20241025Fri.
(21:35)いましがた買い出しに行ってきた。もうだいぶボロくなっているグレンチェックのブルゾンを真っ黒な肌着のうえに羽織り、したは真っ黒いズボン。部屋を出て階段を下り、ポストを確認するとNHKから放送受信契約のご案内という封筒が来ている。道に出る。視界はそこそこのクリアさ。西に向かい、(……)通りを歩く。とちゅう、左のほうから子どもの声が聞こえてくる。交差部分で左方を見やると、ひとつ先の角に白くちいさな影があり、人間ひとり分くらい空けてそのそばにもうひとつ、あやふやな像がある。それが声のもとである子どもとその親なのか、そこに置かれてある柵とか看板かなにかなのか、最後までわからない。人間ともものともつかないちいさな影の、距離とあいまいさのためにひととすれば妙に奇形的にも見えた薄白さに、むかしの人間が幽霊を見間違えたってのはこういう感じなんだろうなと思った。通りを抜けて渡り、裏路地へ。一路西。駅前マンションの内側、つまり通りに接していないほうの面が一望できる位置がある。縦横に整然とならぶ暖色の灯の斉一に、感興というよりある種のすごさをおぼえさせられる。ひとみを丸ごと領されることの快楽でもある。通り過ぎるあいだに四回くらいは繰り返し、首を曲げて左をみやった。路地を抜けて(……)通りを左折し南下。病院や文化施設の裏側にあたるすじに折れる。東に戻っていく。夜空は雲がち。きのうの夜に歩いたときより空の色やマンションの色かたちがすこし明晰でない気がする。到着前にすでに踏切りが閉ざされ、鳴っている。待つひとのなかに加わるとまもなく、分厚く巨大な音が右のほうから迫ってくる。青い車体にBlue Thunderと記された牽引電車が二両ほどまずあらわれる。圧力的な音の出どころはこれである。待っているひとのなかにひとり、遮断棒の間近に立ってスマートフォンを見下ろしている黒人がいたが、あんな至近距離でこの騒音を受けてだいじょうぶなんだろうかと思った。牽引両のあとには巨大な円筒型のタンクが横に寝かされたかたちで何両分もつながって慎重なスピードでながれていく。それがだんだんと減速していき、クジラの潮をおもわせる排気っぽい響きや、接合部品や金具や車輪などの軋む音とともに停止する。踏切りの内側は、左手、駅のほうから右手の線路が隠れるほうまでつらなったタンクで埋まっている。めずらしいなと思った。この輸送列車自体は過去に(……)駅でもよく見かけてきたが、こんなところで停止して、それを待たなければならないというのははじめてのことだった。タンクには「石油輸送株式会社」という文字が記されており、ENEOSのロゴマークも入っている。「ガソリン専用」ともあった。横向きになった状態でのうえから三分の二くらいはビリジアンから青みを抜いたような緑色、したは灰色だった。待ち時間はそこそこありそうな雰囲気だった。周りのひとをみやれば、キャップをかぶった黒人のひとは踏切内を縁取る縁石のいちばん端に片足を乗せながらスマートフォンを見下ろしており、ほかに男性ひとりもスマホを見ている。女性ひとりは何をするでもなく前を向いていたり、あたりに目をやったりしている。こちらのまえには黒髪をシンプルに垂らしてコートをまとった女性がおり、右腕に黒いバッグを掛けて、左腕のほうも垂れ下がっておらずからだの前方へ消えていたところからすると、このひともスマホを見ていたのかもしれない。うしろにもひとりかふたり、いるようだった。場を離れ、右のほうに少し進んだ先にある踏切りへ迂回しようかとも思ったが、もしかしてタンクの列はそこまで続いているのだろうかという思案が妨げとなり、それにこうして止められるのも貴重な時間だからと足を動かさなかった。といって大して観察をしたわけでない。首を回したりして待つ。タンクの表面にはふたつがかわるがわるに灯って往復する赤色灯の色がぼやけたあいまいさで映り、灯りと同時に鳴る警報音は、巨大な音のあとだからか、ふつうよりも小さくしぼんだように聞こえ、うるさいという感じがない。そのうち右手から婦人がひとりやってくる。そのひとが踏切り前に着いたとほぼ同時に、列車の動き出す気配があらわれて、キイキイギシギシガチャガチャいうような金属音が各所で立って、またながれはじめた。車両の合間に、向こう岸にも多くのひとが集まっているのが見て取れる。そうして開くと歩き出す。前後のひとをやり過ごすために、通路の左端から一歩外に出て傾斜した石のうえなどを踏んでいく。渡ると左折、駅のほうへ。道端に座りこんでスマートフォンを見ている若い男などがいる。寺とマンションに挟まれた暗い道を行き、右折して交差点へ。行きに裏路地に入った位置にあたる。もともともう少し歩きたい気がしていたのだが、なんならあとでまた出ればいいかと落として右に曲がり、スーパーへ。マスクをつけて入る。It won’t be long beforeなんとか、とか歌っているおそらく黒人の男性歌手の歌がながれている。回ってもろもろ籠に入れる。ワイドハイターPROの詰替え用パックはあるのにボトル本体が売っていないのはどういうことなのか? と思う。会計を済ませて整理台に移ったところで、急に便意が高まりだした。これはことによったらうんこを漏らすかもしれんなと思った。湯を浴びてすぐ出てきたうえ、スーパーはやはりけっこう寒いから腹が冷えたのだろう、それに人中に入ったことでからだが微妙ながら緊張したのでもあるかもしれない、と原因を考える。そもそもきのうきょうと腹の調子がゆるかった。きょうなど、起きて布団のしたにいるあいだにもう、少しゾクゾクするような便意をもよおして、慌てて寝床を抜けて便所に行けば、下痢まではいかないがやわらかい大便がたくさんスムーズに発射されたくらいだ。家のそとでうんこを漏らすかもしれないというくらいに便意に迫られたのは久しぶりだが、ある意味でこうした切迫感は慣れたものでもある。パニック障害のため、尿意の高潮に追い立てられることは過去幾度もあったからだ。昔とった杵柄でもないが、むやみに急がず冷静ぶりながら買った品物をリュックとビニール袋に収める。整理台の脇に積まれてある籠のうえにじぶんのも加えて、退店。さすがにここからはやや急ぎ足になった。周知のとおり、切迫した排便圧は波をもっている。肛門部分につよく押し下がってくるかとおもえば、しばらくのあいだ引き、また押し迫ってくる。とぼしい腹筋と肛門括約筋を頼りに上げ潮に耐えながら歩く。このくらいならたぶん部屋まで耐えられるだろうと思ったが、上げ潮のときは多少ゾクゾクするので予断を許さない。それで、もう走っちまおうということにした。路地をまっすぐ行って折れて進めばアパート、という地点で小走りになる。駆けたときの振動とか血流加速とかがかえって便意を助長するおそれもあるが、波の引いているあいだに危険をかえりみず距離を殺し、部屋に入ったらすぐにトイレで安息しようという判断だった。うんこに押しまくられて走るのもひさしぶりだが、そもそも小走りとはいえ歩くのではなく走ること自体があまりにもひさしぶりで、一歩ごとに靴の裏を叩く刺激のつよさが実になじみなく、ほとんど違和の感すらある。そうしてアパート手前でここまでくればだいじょうぶだろうと歩きにもどり、律儀にポストのNHK封筒を取って階段を上り、肛門を締めたまま扉を開けて、荷物を下ろすとトイレに入ってことなきを得た。その後服を脱いで気楽なかっこうになり、買ってきたものを冷蔵庫などにおさめ、NHKの封筒をチラシ類の捨て場である紙袋に突っこんでからここまで記述。(22:39)