ダウンしているあいだはニュースなどなにもふれていなかったので、ドナルド・トランプが再選していたことも知らず、このあいだ実家に行ったときにテレビのニュースで遅れて知ったのだけれど、これにはさすがにがっかりしちゃったな。
先日ちょっと思ったのだけど、右派というのは世界を内と外で分けて、身内を重視するという考えの傾向だと理解している。対して左派というのは世界を上下(階級)で分けるがゆえに、水平的に(国境を超えて国際的に)連帯することが可能であり、したがって比較的、外部を志向する傾向がある(コスモポリタニズムに行きがちである)。
だけれどたとえば、普遍的人権という観念をより盤石なものとして普及させることを目指す左派(リベラル派)のひとびととかいるじゃないですか。べつにそれ自体はじぶんもふつうに賛成というかいいと思うのだけれど、あれもじつはすんごい広いかたちの身内主義なのかもしれないと思ったんですね。つまり、普遍的人権の根拠というのは、われわれみんな、人間というだけでおなじ権利を共有すべき身内だよね、仲間だよね、ということなんじゃないかと。
繰り返すけれど、人権思想をより実効的なものとして世界に普及させ、根付かせ、機能させることは大事だしそのほうがいいとじぶんも思う。その一方、近年のもろもろの動向のいちばんの問題点は、右派とか左派とか保守とかリベラルとかそのあいだの違いではなく、それら全員、外部を志向できず、じぶんの身内としかコミュニケートできなくなっているということではないかとも感じている。もしそうだとしたら、そして普遍的人権という発想が、非常に抽象的なレベルでの身内主義なのだとしたら、なんかそこに通ずるものがあるような気がする、ということを先日ちょっと思った。
まあこれ、何年も前から、フィルターバブルとか、エコチェンバーとか言われていることとおなじなのだけれど……。いまさらの話なのだけど。