往路、薄白い曇り空の午後五時である。坂を上りながらすぐ傍で立つ鶯の音に、姿を見たいとあたりに視線を振るが、声は近くても一体どこに止まっているのか影がどうしても捉えられない。街道沿いの公園の桜は大方花を落として、薄紅色の方が少ないくらいになっていた。裏通りでも鶯の鳴き声が、林の奥の方から立って届くのが耳に入る。一軒の家先に立つ山桜が葉を旺盛に緑に茂らせて抱えているのが、もうこんなに膨らんだかと驚かれて見やりながら過ぎると、茂みの奥にはまだ僅かに残って潜んでいる白花の姿が捉えられた。それから顔を正面に戻してすぐに、頬に痒いような感触が点打たれて、気のせいのようでもあったが、整然と緑にまとまった四手辛夷に、花の燃え殻もおおよそ落としきって同じく緑葉を纏った白木蓮と過ぎているうちに、水滴が確かに落ちはじめているのがわかった。湿り気を含んだ風が時折り強くなって顔に当たり、耳の横をはたはたと素早く過ぎて行くのに、予報で伝えられている春嵐の気配が兆すようでもあったが、いまはまだ、降るというほどでもなくかすかなもので、傘をひらく必要もなかった。寺の枝垂れ桜は色が濁って背景の木々との色彩の差が小さくなって混ざりはじめている。ほかの場所でももう大方、葉桜に移行しかけているが、裏道の途中、丘のあいだを北に続く道路に差し掛かったところで、森の縁に遅れて満開の一本が、砂糖菓子の甘さを香らせて淡紅に浮かんでいるのが映って、優しかった。
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帰路は雨が始まっていた。大した降りではないが、同時に風があって、時折り強まって傘に寄せて来るとぱちぱちと音が厚くなり、雨粒が飛ばされるから傘の下でジャケットの表もそこそこに濡れる。道中、傘にはしばしば、上に向けての浮遊感がいくらか加わり、一度は風が決然として強く攫おうと引っ張ったこともあった。視界が限られるからあたりにそれほど見えるものもなくて、視線を落とし、濡れたアスファルトが街灯を反映して微光を放っているのなどを見ながら歩いていると、周囲で風が止まっていても高みでは駆けているようで、丘の木々が鳴り騒ぐのが耳に届いた。空は一面曇っているが、それでかえって明るいような具合で、家屋根の輪郭もくっきりと画される、薄く褪せた色である。表通りに出る角で、老人ホームの脇に桜が一本あるその花が、傘で区切られた視界にも入ってきて、足を止めて顔を寄せれば、楕円形の花弁の集まったその中央に、光の下で血のように色を深めた紅色が滲んでいるのが、艶だった。