2022/5/24, Tue.

 侏儒 [こびと] の少女がハンス・カストルプのためにクルムバハ・ビールを持ってきた。しかし彼はそれを諦めて断った。きょうはビールは飲まないことにしよう、全然飲まないでお(end358)こう、いや、すまないけれども、きょうは水を一口飲むぐらいのところでやめておこう。こういう彼の言葉が一大センセーションを惹き起した。どうなさったんですの。なんで急にそんなことをおっしゃるのです。なぜビールを召しあがりませんの。――少し熱があるんです、とハンス・カストルプはさりげなくいった。三十七度六分、ほんのちょっとですが。
 すると、みんなは人差し指を立てて彼をたしなめる仕草をした。――はなはだ奇妙な光景だった。みんなはいたずらっぽい調子で、首を横にかしげ、片方の眼をつむり、耳のあたりで人差し指を振った。まるで、いままで純真を売り物にしていたひとが何か突飛なことをしでかして、それが皆に知れ渡ったとでもいうような具合であった。「おや、まあ、あなた」と女教師は微笑しながらおどす真似をして、産毛の生えた頬を赤くした。「結構なお話ですね、ほんとにたいしたお話だこと。いまに見ていらっしゃいよ」――シュテール夫人も「あら、あら、あら」といって、短い赤い指を鼻の横に当てておどした。「参観の殿方に温度(Tempus)がおありですって。あなたも相当なものね――ご立派だわよ、頼もしい同志だわ」――上手 [かみて] の席に坐っている大叔母さんも、ニュースが伝わると、ふざけて、ずるそうに彼を脅す真似をした。美人のマルシャも、これまでハンス・カストルプに目もくれなかったのに、彼の方へかがんでオレンジ香水の匂うハンカチを口に当てたまま、まん丸い鳶色の眼で彼を見つめて、やはり彼を脅す真似をした。(end359)シュテール夫人から伝え聞いたドクトル・ブルーメンコールもみんなと同じそぶりをしたが、しかしそれでもハンス・カストルプの顔は見なかった。ミス・ロビンスンだけが、例の打解けない様子を崩さずにいた。ヨーアヒムは真面目な表情で眼を伏せていた。
 こんなにまでみんなからからかわれたので、ハンス・カストルプはくすぐったくなり、謙遜して何か否定の言葉を述べなければなるまいと思った。「いや、皆さん」と彼はいった。「皆さんは勘違いをしていらっしゃるのです。ぼくの熱は全然他愛もないもので、このとおり、ただの風邪でして、眼に涙がでて、胸が重苦しくて、夜の半分が咳きこんで、どうもとてもやりきれないのです。……」 しかし誰も彼の弁解など受けつけようとはせず、そんな言い草はたくさんだといわんばかりに笑って手を振り、「さよう、さよう、そのとおり、ごまかし、逃げ口上、風邪のお熱、そうでしょう、そうでしょう」と叫んだ。そして一同急に異口同音に、即刻診察を受けるようにとすすめた。このニュースでみんなが活気づいて、この朝食中は、七つの食卓の中で、この食卓がいちばん賑やかだった。ことにシュテール夫人ときたら、襞縁 [ひだべり] からまっ赤で頑迷な首を突きだし、頬には小さなひび [﹅2] を見せて、ほとんど野蛮とも評すべき饒舌で、咳の快感について一席長広舌をふるった。――胸の奥底でむず痒さがつのり、それが大きくなって、その刺激に応ずべく、こちらも痙攣したり我慢を重ねたりしながら息をずっと深くしていく気持、これはまことになんともいえないほど楽しくて、いい気持である。それは急にあのくさ(end360)めをしたい刺激が高じてきて、たまらなくなり、うっとりと二、三度大きく息を吐いたり吸ったりしたのち、その刺激に身を任せて、甘美な爆発に全世界を忘れ去るあの快感に似ているではないか。しかもときには二度、三度と続けざまにすることもある。これぞ人生の無料の楽しみというものであろう。もっとも、ほかにもたとえば霜焼けを搔く快感がある。春さきに、これがおそろしく痒くなり、それを一心不乱に、残酷に、それこそ血のでるほど狂暴に搔きむしって恍惚となるのも同じ種類の愉悦であるが、そんなときに、ふと鏡を見ると、そこには悪魔のようなしかめっ面が映っている、というのである。
 (トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、358~361)



  • 「英語」: 521 - 549
  • 「読みかえし」: 807 - 824


 820番。「まさにいま、通りではオルガン弾きが演奏しながら歌っている。素敵だ、これこそが人生という重要事における無意味な随伴物なのだ」。すばらしい。

 (……)成人後の生活でキェルケゴールが客を招くことはほとんどなく、実に生涯を通じて友人といえる者はほぼ存在しなかった。しかし知人は多い。姪のひとりによれば、コペンハーゲンの街は彼の「応接間」であり、そこを歩き回ることはキェルケゴールの日々の大きな楽しみだったという。それは人と暮(end43)らすことのできない男が人びとに交わる術であり、束の間の出会いや、知人と交わす挨拶や、漏れ聞こえる会話から幽かに伝わる人の温もりを浴びる術だった。ひとり歩く者は、居ながらにしてとりまく世界から切り離されている。観衆以上の存在でありながら参加者には満たない。歩行はその疎外を和らげ、ときに正当化する。そのおだやかな懸隔は歩いているからこそであり、関係を結ぶことができないためではない、と。ルソーと同じように、歩行はキェルケゴールにとって思惟への沈潜を助けつつ、日常に隣人との交歓の機会をつくりだすものだった。
 ちょうど文筆活動をはじめたころの一八三七年に、次のように記している。

実に奇妙なことに、わたしの想像力は大勢の人びとのなかで、ひとり座っているときにもっともよく働くのである。騒音や人びとの声のせいで、想像力の集中を持続させようとするならば根こそぎの意志の力が必要となるような場面だ。この環境なしには無限に湧いてくる思念を受け止めることができず、想像力は血を流して死んでしまうだろう。

 彼は、この同じ喧騒を街路に見出した。それから十年以上を経たのちの日記にはこう述べられている。

わたしのような精神の緊張に堪えるためには気晴らしが必要となる。通りや裏道での偶然の出会いによって気を逸らすのである。なぜなら、数名の限られた人物との交流ではまっ(end44)たく気晴らしにならないから。

 キェルケゴールはこの日記やそのほかの文章で、精神がもっともよくはたらくのは周囲に気を散らすものがあるときだという考えを記している。周囲の喧騒から隔たってゆく過程ではなく、自らのうちに退いてゆく過程において集中力が発揮されるのだ、と。「まさにいま、通りではオルガン弾きが演奏しながら歌っている。素敵だ、これこそが人生という重要事における無意味な随伴物なのだ」。都会生活の騒乱に身を浸しながらそう書くこともあった。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、43~45; 「第二章 時速三マイルの精神」)


 一一時一〇分に起床。天気は快晴というほどではないが、あかるく、晴れ寄り。気温も高め。からだに汗もたしょうかいていた。起き上がると消毒スプレーとティッシュをつかってコンピューターを拭き、水場へ。トイレにはいって小便を放ち、洗顔したりみずを飲んだりする。もどると屈伸してからベッドで書見。屈伸をきちんとたくさんやるとからだが軽く、楽になる。活力が出て立って作業する気にもなる。ホッブズリヴァイアサン』は宗教についての章をすぎて、いよいよ自然法とか契約とかのはなしにはいっている。「各人の各人にたいする戦争状態」というれいのゆうめいな定式も出てきた(178)。感覚論や認識論からはじまって言語を経由しにんげんの感情や精神的性質について分類的に論じてきたのち、それらにもとづいてにんげん相互の「契約」という共同関係へと主題を移行し、そこからコモンウェルス(国家)についての部へとはいっていく、というみちすじ。宗教については、「こうしたことから、この世における宗教のあらゆる変化を同一の原因に帰することができると思われる。すなわちそれは不愉快な僧侶たちであり、彼らはカトリック教徒のなかだけではなく、宗教改革の大部分をやってのけた教会のなかにさえ存在する」(165~166)と第一二章「宗教について」の末尾に記されており、すくなくともホッブズローマ・カトリックの制度的な教会にかんしてはかなりディスっている。その直前には、反語的な問いかけのかたちで、教会の教説や私的なミサや煉獄の教義がもっぱら教会じたいの利益のためだということをはっきり示唆している。いっぽうで唯一絶対の神にかんしてはその存在を信じているのか、無神論なのか、どういうスタンスなのかそんなに明瞭とはかんじられず、いちおうそれを尊重するようなことは書いているのだが、ほんとに? といううたがわしさが全体的な内容や筆致からかもしだされてくる。
 ホトトギスが盛んに鳴いて声を空にわたらせていた。きのうの深夜、寝るまえにも耳にしたが、これがじぶんにとっては今年の初音だ。一二時五分から瞑想をした。やや遅くなってしまったのできょうは二〇分ほどでみじかめに。上階に行き、ジャージにきがえ、屈伸をよくやってから食事。煮込みうどんやペスカトーレだかなんだかパスタなど。新聞一面は日米首脳会談の話題。岸田文雄はバイデンにたいして防衛力の拡充をめざす意志をつたえたと。バイデンのほうは台湾有事が起こったばあい米国は軍事的な関与をおこなうつもりがあるかという記者の質問に、イエス、それが米国の責任だと断言したと。アメリカはいままでこの点あいまいな戦略をとってきたので、これはおおきな転換なのだという。こんなにはっきりと明言したのなら、中国にとっては相当な抑止力になるのではないかと、素人考えではおもってしまうが。ところで母親いわく兄から連絡が来ているということで、番号をおしえていいかといわれたので了承しておいた。食後は皿と風呂を洗って、きょうはきのうの帰りに駅で買ったコーラのちいさなボトルをもって帰室。そのあと白湯も飲んだが。
 兄からはSMSでViberへのリンクがきていたのだが、兄貴かと確認したあと、悪いがおれはそういうのをやる気はない、性に合わないといっておき、そのあとたしょうやりとり。テレビや浄水ポットがいらないかとおもってというので、テレビはおれには必要ないと断言し、浄水ポットはもしかしたらつかうかもしれないから、越してみてほしくなったらもらうということにしておいた。その後のメッセージによると、ブリタというメーカーのものらしい。ぜんぜん知らなかったが、たぶんいちばんメジャーなほうのやつなのだろう。兄はなんだかんだ会社で飲み物を買ってしまうが、それだと金もかかるので、浄水ボトルをつかって浄化された水道水を持っていったりもしているらしい。いまべつに水道水がまずくて飲めんということはすこしもかんじないが、たしかに(……)だとまた質がちがうかもしれない。浄水ポットというのがただ浄水するだけなのか、それとも加熱して湯にすることもできるのかが気になる。白湯は飲みたいので、後者だったらつかえる。
 あときのうの夜に(……)から二七日の(……)見送り会についての連絡があって、(……)付近の居酒屋かなんかを手配してくれたらしい。正確には(……)という土地らしいが、(……)駅からいっしょにあるいていこうというので了承し、ついでにようやく家を出て(……)に越すぞということをつたえておいた。(……)の実家もそのへんでけっこう近いのではないかとおもっていたが、(……)駅から五分くらいといっていたので、おもったいじょうに近場で笑う。タイミングが合えば軽トラを出しててつだってくれるというのでそうしようかなとおもった。きのうの昼間に父親からも運ぶものがあるんだったら準備して日を決めとかないとといわれたのだが、親に運搬を頼むつもりはなかったし、めんどうくさいからスーツケースに服とかだけ入れて身ひとつで行き、必要なものはもうむこうでそろえればよいかともおもっていたのだけれど、布団は母親が家にあるやつを持ってけばというので、なんだってよいしあるならまあ買う必要もないかなともおもっていた。そのばあいは運搬が必要になるので、(……)にでも頼もうかなとおもっていたのだけれど、このタイミングで(……)から連絡が来て渡りに船というかんじだ。さいきんはなぜなのかわからないが運がよいとかんじることがおおい。まず、ゴールデンウィークに(……)の両親で来るといわれていてめんどうくさそうだな、逃げようとおもっていたところがまあもろもろあってとりやめになった。つぎに、物件をさがせば最低ランクとしてはまあよさそうなやつがみつかって、支障なく審査にとおることもできた。そして今回の(……)。もともと(……)の件があったからこのへんで連絡が来るというのは予想どころか予定されたことではあるのだが、メールが来るまで(……)に頼めるかもということはまったくあたまになかった。ゴールデンウィークの件も、(……)家に泊めてもらうよう頼もうかなとおもいながらも、まよったりめんどうくさかったりで連絡をしないでいたら向こうからはなしが消えたといういきさつで、状況が変わるかもというあたまがまったくなかったわけではないが、可能性としては低いとおもっていた。ぐずぐずなにもせずようすをみているとむこうで勝手にうごいたりチャンスがきたというのがひとつめと三つ目。ふたつめはじぶんからもう出ちまおうとおもって行動したわけだが、それも(……)の両親が来るというはなしに触発されたところもあるので、触発をうけてうごこうとおもっていたらその触発の原因が消えてしまい、そのままうごきだしたらうまい具合に物件が決まったというかたち。なにかいろいろわりとうまくはまっている感がある。日ごろのおこないの善良さとにんげんとしての高潔な徳性が天の愛を引き寄せているにちがいないが、ここにこうして書いてしまったのでたぶんそれも今回で終わる。そもそもまだ(……)の予定が合うかどうかわからない。
 白湯を取りにあがったときに、母親が布団これだよというので元祖父母の部屋に行ってみておいた。ニトリで買ったコンパクトなやつだというがなんだってよい。それをもっていくことに。あとは服と本とアンプとその他必要そうな小間物くらいでいいのではないか。本を入れる段ボールかなにかがあるかわからないが。たくさんもっていっても部屋がせまくなるだけでどうせすぐ読めもしないし、そんなにおおくもっていくつもりはない。だんだんすこしずつ移すつもりではあるが。六月四日か五の土日で(……)にたのむとして、そのまえにでむいて洗濯機とか買って設置しておくのがよいだろう。あとカーテンか。電球も買わないとならんと(……)がいっていたがどういう型なのかよくわからん。重要事項説明がたぶんあしたかあさってになるだろうからそのときわかるようだったらおしえてもらうか、そこで鍵がもらえるはずだからその後にでむいて調べる。あとネット回線や電気ガス水道の契約か。このへんまったくよくわからんのでぜんぶauにしようかとおもいながらめんどうくさいのでサイトをおとずれてすらいない。auでんきというのとあとauガスもあったはずとおもっていまサイトをみてみたが、これはたぶんあれだ、auをとおして契約できるというものではなく、もともと東電とかと契約しているひとがauをかませることでポイントをもらえるみたいなやつだ。ネット回線はauひかりとかいうのがあるのでそれでいいかなとおもっていまサイトをたしょうみてみたがよくわからんしめんどうくさいので、とりあえず重要事項説明のときに(……)にいろいろきいておしえてもらえばよいだろう。
 音読。二時半すぎくらいまでやったか。「読みかえし」をけっこうたくさん読んだ。その後きょうのことをここまで記述してもう四時を越えている。社会生活のことももちろん知っておかねばならないが、こういうあまり興味が出ない、必要からくるわずらわしい調べ物に時間をつかったときは、いまでもまだそこそこのもったいなさをおぼえる。きょうはあときのうの日記をしあげたいのと、それがすめばだいたいなんでもよいがホッブズをできるだけ読みすすめはしたいかな。散文断片もやれたらやりたい。


 五時すぎで上階へ。アイロン掛けをやる。けっこう数があった。シャツ類やエプロンやハンカチ。六時くらいまでかかったとおもう。終えるころには台所で母親がやっていた食事の支度も終わってしまっていたので、そのまま下階へ帰った。なぜか『族長の秋』をまた読みだそうかなというきもちになっていた。まいにちすこしずつちびちびと音読して読んでいくのがよいのではないかと。まあまえにもおなじことはなんどもかんがえて、そのたびやりださなかったりやってもつづかなかったりしたので今回もたぶんつづかないのだが、しかしこの日はさいしょから五ページほどをじっさい読んだ。書き出しからしばらくのながれはあらためて読んでみてもすばらしく、ほぼ完璧と言ってよいなとおもった。まいにちすこしずつ音読をするというのもそうだが、まいにちでなくとも、一ページずつ精読してわかったこと感じたことをぜんぶ記録していくというのをやるのもよいかもしれないとおもった。これもおなじようなことはいぜんからいろいろな作品にたいしてかんがえていながらじっさいやっていないので、たぶんやらないが。しかし、きのう(……)くんとはなしたときにも話題にあがったけれど、そういう記事をnoteにでもコンスタントにたくさんあげていけば、これからはじめるひとり暮らしで収入をすこしでも増やすにあたって、オンラインでむずかしい本をいっしょに読むだけで金をくれるひとをつのるときの助けになるのではないか。(……)くんには、ポッドキャストがいいですよ、To The Lighthouseを読んで、訳文もいっしょに出して解説していく、そういう音声をYouTubeにでもコンスタントにあげてファンをつくって、そっからしごともらえばいいんですよ、みたいなことをいわれたが、そういうことも一案としてありえるだろう。
 夜はきのうの日記をすすめたりだらだら休んだりを交互にくりかえすような感じだったが、けっきょくすべては終わらず。通話中のことが書けずにのこってしまった。しょうがない。散文断片もできず。書抜きも。読み書きにかんしてはなんだかあまり奮わないさいきんだが、ともかくもまいにちそういう時間をつくること、そういう時間のなかにはいることができればとりあえずはよいというのが原点だ。

2022/5/23, Mon.

 (……)この高原の谷間の風景、その千状万態の姿、つまり方々の尖った峰や尾根や山壁、左手の、その背が斜めに部落の方へおりていて、山腹が牧場のある荒涼たる森に覆われている「ブレムビュール」の岩壁、いまでは彼もその名をすっかり覚えこんでしまった右手の山々の連なり、ここから見ると谷を南の方でふさいだ格好になっているアルタインの岩壁、それらはいずれも彼にはもうすっかりおなじみになっていた。(……)
 (トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、352)


 八時のアラームで覚醒。寝起きはまあまあ。布団のしたでしばらく深呼吸をしてからだやあたまに血をおくる。空はにごっているものの、ときたまうすびかりが射す瞬間もある。八時半まえで起きると、さくばん喉がかわいていながらねむけに屈してみずを飲まず用も足さずにそのまま寝てしまったので、水分が足りないとどこおりのかんじがすこしあった。洗面所に行ってまずみずを飲み、顔も洗って小用。もどるとホッブズ/永井道雄・上田邦義訳『リヴァイアサンⅠ』(中公クラシックス、二〇〇九年)を読む。宗教についての章などにはいった。150すぎくらいまで。九時一〇分にいたると起きなおって瞑想した。わるくない。さいしょはからだがやや硬く、またあたまもすこしかすんでいるようだったが、座っているうちにほぐれて意識もだんだん晴れてきた。ちょうど三〇分。上階に行ってジャージにきがえ、屈伸をいくらかやり、台所にはいって食事にはハムエッグを焼く。味噌汁も鍋に一杯分あったので椀にそそぎ、ハムエッグは丼に盛った白米のうえに乗せていっしょに食卓に持っていった。新聞、二面からウクライナ関連の記事を読む。ドンバスで戦闘がつづいているというはなしだったが、具体的な情報をぜんぜん覚えていない。米国のリンダ・トマス=グリーンフィールド国連大使エコノミスト紙のインタビューを受け、戦争を終わらせるためにどういう方策があるかみたいな質問に、ロシアを非難し孤立させるための取り組みをおこなってきたと回答、と。具体的には四月に国連総会で七割が賛成するロシア非難決議を実現させたり、また人権理事会でも理事国みたいなたちばからロシアはおろされたらしい。
 食事を終えるともう九時五五分くらいで、きょうはひさしぶりに一〇時から通話なのでいそいで乾燥機のなかのものを出して皿を洗い、白湯をもって下階へ。隣室にコンピューターをうつして用意し、ZOOMにログイン。通話中のことはれいによって後回しにする。
 一時四五分ごろ終了。自室にものをもどし、よく屈伸したあとどうしようかなとまよったが、ひとまずきょうのことをここまで記した。きょうは五時ごろ出勤する。それまでに河合塾の英語長文をいくらか読んでおきたいのと、きのうおとといの記事を終わらせたい。きのうの分はたいしたこともないしわりとやっつけ的にすませるとして、おとといはまだそこそこ書くことがありそうだ。月一の会議で日常のことがらでないから記憶は比較的保たれるだろうし、あしたになってもわるくはないが。しかしやるべきことを、やはりやれればはやめにやってしまいたい。


 いま四時直前。きのうの分もおとといの分も書き終えて投稿することができた。よろしい。自室にもどってきてから日記にとりくみ、二時半ごろに洗濯物を入れにいったのだが、乾きがわるくてタオルはぜんぶかすかに湿り気がなごっているかんじだったのでたたまず。ベランダをみるとおおかた無色だが空気は暗くはなく、ちいさな日なたの矩形が奥のほうにわずかにのこっていたのでそのなかに足をそろえて入れるようにして屈伸したり、左右に脚をひらいて腰をひねったりした。風はあり、大気はやわらかに涼しく、太陽は背後、屋根のいちばん端に見え隠れしながら温もりを肌に寄せる。屈伸をきちんとなんどもやるというのが地味だが有効だぞということを再発見した。脚をそのようにやわらげたためか、もどったあとはというかそのまえからずっと立ちながら文を書いていて、母親がカレーをつくっていってくれたので三時すぎにそれを食ったのだけれど、そのときも立ったままだったくらいだ。出勤前に日記を書き終えられるとはおもっていなかった。余裕やんけ。あとは河合塾の英語長文を読みつつ準備にはいる。


 以下は帰宅後に読んだ(……)さんのブログからの引用。五月六日付。ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき」の文。「良心のやましさがない、とは、集団生活に従うという意味であるかぎり、「わたし」というのは、良心的にやましい、ということになる」というのは、すごいことを書くなとおもった。

 わが兄弟よ、あなたがひとつの徳を持ち、それがあなた自身の徳であるなら、それは他の何びととも共有すべき性質のものではない筈だ。
 もちろんあなたはその徳に名前をつけ、愛撫したいと思うだろう。耳をひっぱったりして、ふざけてもみたいと思うだろう。
 だが、どうだろう! そうした名前をつければ、それは民衆と共通のものとなり、あなたはあなたの徳を持ちながら、民衆となり畜群となってしまう!
 むしろこう言うべきなのだ。「わたしの魂に苦しみやよろこびを与えるもの、わたしの内臓の飢えでもあるものは、言葉に言いあらわしがたく、名前を持たないものなのだ」と。
 あなたの徳は、馴れ馴れしい名前で呼ばれるには、あまりにも高貴なものであらねばならない。そして、もしあなたがそれについて語らなくてはならないときは、口籠り、吃ることになってもなんら恥じることはない。
 吃りつつ、こう言いなさい。「これがわたしの善だ。わたしはこれを愛する。わたしにはすっかり気にいっている。わたしの欲する善はこういったものしかないのだ。
 わたしはそれを神の律法(おきて)としては欲しない。わたしはそれを人間の間の規約、必要物としては欲しない。わたしはそれを超地上的な世界、天上の楽園への道しるべにはしたくない。
 わたしが愛するのは大地の徳である。そこには利口な駆引はあまりなく、万人に共通な理性はもっともすくない。
 だが、それは鳥のように、わたしのところに来て、巣をつくった。それゆえにわたしはそれを愛し、胸に抱く。――いま、それは、わたしのところで、黄金の卵をかえそうとしている」と。

     *

 はじめはもろもろの民族が創造者であったが、のちになってようやくもろもろの個人が創造者となった。まことに、個人そのものは、きわめて最近の産物である。
 かつてはもろもろの民族が、善を刻んだ石の板を、みずからの頭上にかかげた。支配しようとする愛情と、従おうとする愛情、それが結びついて、そのような石の板をつくりだしたのだ。
 集団生活につながるよろこびは、「わたし」につながるよろこびよりも、古い。良心のやましさがない、とは、集団生活に従うという意味であるかぎり、「わたし」というのは、良心的にやましい、ということになる。

 帰宅後はほか、夜半すぎにMaria Konnikova, “The Work We Do While We Sleep”(2015/7/8)(https://www.newyorker.com/science/maria-konnikova/why-we-sleep(https://www.newyorker.com/science/maria-konnikova/why-we-sleep))をとちゅうまで。
 四時以後は歯磨きをしたり白湯を飲んだりしながら河合塾の『やっておきたい英語長文500』を読んだ。八から一一のとちゅうまで。ぜんかい授業でやったのは七だったはずだが、(……)くんはわりとじぶんですすめてくることがあるのでおおめに読んでおいた。ベッドにころがって脚をもみながら読んでいるあいだ、電車で行くか徒歩で行くかまよっていたが、気分に余裕があったし、通話中に(……)さんがさいきん夜に英語をききながら一時間半くらいあるいているというはなしをきいて誘われるところもあったので、徒歩をとることにした。ぐずぐずしていて電車で行くのと到着はほぼ変わらない時間になってしまったが。起き上がってスーツにきがえ、バッグをもって上階へ。ジャケットなしのベストすがた。靴下を履き、石鹸をつかって手を洗い、出発へ。玄関を出ると父親が水道のところにいたので行ってくると告げ、みちに出た。みちばたの林に接した空き地には草が繁茂し、ここにも西側の林縁に群れているのとおなじ穂をもった青々しい草がいくつもならんでうなだれている。坂道の入り口脇で卯の花の嵩がおおきくふくらんでいた。坂を越えてすすみ、またべつの坂が合流するT字の辻あたりまで来ると西空が坂のうえにひらいて数本の樹々をてまえに太陽の所在もみえたが、空は雲がおおくまじってあたりに西陽のいろはほとんどない。それでも暗さはなく、あかるくおだやかな午後五時である。街道まで来ればさきのほうでまた工事をしているらしくこちらと行く手をおなじくする左車線の車らがぞろぞろならんで停止しており、そこから工事の位置をさっしてまだわたらずに南をすすんだ。東側の空はおおきな雲の下腹もあるものの青さがひろくて夏模様、たびたびそれをみあげながら向かい風を受けてあるき、対岸でおこなわれているアスファルト敷設をじろじろながめた。ダンプカーのたぐいにいま真っ黒なアスファルトの、粉末というにはもっと粗くいくらかべちゃべちゃしていそうな集合がになわれ、うすくもれはじめた西陽の重さをもたぬただよいを受けてつやつやとここそこをひからせて、どういうしくみになっているのかわからないがそちらの端は受け皿がうごいて集合をかき混ぜているような様相で、反対側の端ではおくられてきたものなのか否かおなじ集合が路上に落とされて、そのさきは帯状の地帯に沿って人足が両側にひかえて落とされたものを路面として定着させるてつだいをしている。人足のうちのあるものは長めの竹箒を持ち、ほかにも道具はあったとおもうがひとつ目立ったのは音を立てる機械で、地帯の縁を綴じるように、境界線を画定させるようにひとりがそれを地面にガガガガ押しつけているのだった。中学校まえの横断歩道をすぎてそのさきで整理員が車を停めているところがあったので、そこで隙をみてわたることに。そうすれば目のまえはいつも裏に折れる箇所である。車がとおりすぎるのを待っているあいだに「(……)」のトラックが来るのがみえたので、乗っている八百屋の旦那にむけて会釈した。反応があったのかなかったのかよくみえなかったが、すぎざまの横顔に気づいたらしきにやけが浮かんでいるようにもみえた。
 裏路地へ。ひとが多かった。住人がいるようにも見えない古家のところに近所のひとらしき老女や、なにかの職員が業者らしきみえるふたりの男や、配達人がいて、配達人は老女にたいして助かりましたと礼をいい、ふたりの男のうちいっぽうもなにかをきいて、たまに来るみたいだけどという答えをもらっていた。そのむかいではそこの家の夫婦なのか高年の男女が立ち尽くしてみている。みちのさきの遠くからは下校する白ワイシャツの女子高生の一団がにぎやかにしている声がわたってきて、その他犬を散歩する年嵩の婦人らもとおり、戸口前で笑い声をあげる女性ふたりもあった。鳥の声もひっきりなしにあたりに湧いて、風とともに気配やおとがおおくて初夏らしい空気のうごきかたである。風は微風、するするとながれ、向かいから来てあたまやからだで左右に分かれ、肌をこすって身のまわりをすぎていくそのすずしさをかんじながら、のんべんだらりとのろい歩みで、淡々と単調にあるいていった。(……)をわたったあたりで空に陽のいろを見たのか、そういえばまえは朝からの勤務があったから、そういうときには昼下がりの帰路でこのみちを逆にたどって、路地の果てで西空にそのときどきのひかりのいろがあるのをながめたものだったとおもいだした。あかるいうちにも暗いうちにも、西にむかってここをあるくということをさいきんめっきりやっていない気がする。駅前まで来るとツバメが宙を切るすがたがみられ、さえずりのあいまにジジジジとある種のダイヤルをまわすかのような鳴きもきこえた。
 勤務。(……)
 (……)
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 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)退勤は一〇時ごろ。帰路は省略するが、あたまが痛かった。眼鏡をながい時間かけたことによって頭蓋や視神経が疲れてこごったのだが、しかしはたらいてもそうなる日とならない日があるわけで、この日のばあいは昼間に通話で長時間モニターをみていたことも影響していたのではないか。だいぶの鈍痛と疲労感だった。それで帰るとベッドにあおむけになって静止して休んだり、あたまをもんだり。しかしあまりよくはならず、夕食を取る段になってもつづいていて、そのせいなのか食事のさいしょに野菜を腹に入れると、それだけでちょっと吐き気がにじみ、電車のなかで嘔吐恐怖のために吐き気というか緊張を感じることはさいきんあるが、そうではなくてほんとうに胃から来ていると感じられる器質的な吐き気はひさしぶりだった。知らぬ間に胃がわるくなっていたのだろうか? ともおもい、それもないではないのかもしれないが、やはり頭痛がメインの要因だったとおもう。夕食はカレーのあまりと、そのカレーののこり滓をスープにしてうどんを入れたカレーうどんと、酸味のついたサラダだったのだが、それでまずはもっぱらサラダを食って胃を慣らし、調子をみようと慎重にからだの変化をうかがった。ばあいによってはサラダだけで済ませてのこりは冷蔵庫に入れておきあした食べようかともおもったし、じっさい食欲らしい食欲もなかったのだが、しかし間をあけてゆっくり食っているうちになんだかんだ吐き気もなくなり、まあまあふつうに食べられる気配になってきたので、けっきょくぜんぶ食べてしまった。そのあと風呂のなかで頭蓋や顔をよく揉んだ。そうして発見したのだが、耳のまわり、しかも耳に沿った至近のぶぶんを揉むと楽になるようだ。とりわけ顔の内側に近いほう、顎や口まわりの骨と頭蓋骨の接合部のあたりだろうか。揉むばしょをすこしずつうつして詳細に調べてみると、そのあたりがいちばん反応がおおきくて、そこをよく揉んだり冷水シャワーをからだに浴びせて血のめぐりをうながしたりしているあいだにだいぶよくなり、頭痛はほぼ消えた。しかしかなり疲れていたのはまちがいないので、そのあとの夜はたいしたこともできず。


 通話中のことを記す。(……)
 (……)
 (……)

2022/5/22, Sun.

 こういう次第でハンス・カストルプは、ダンテについてもあれこれと聞き知ることができた、しかも権威者の口から。むろん彼は、話し手のセテムブリーニに誇張癖があることを計算に入れて、話の全部を信じこむようなことはしなかったが、それにしてもダンテが目ざめた大都会人だったという説は、一応傾聴に値すると思った。さらに彼の聞いたところでは、セテムブリーニは自分自身をも話題にして、自分、すなわち孫のロドヴィコは、近い祖先の傾向、つまり祖父の公民的傾向と父の人文主義的傾向の結合した存在であり、従って自分は文学者、自由な著作家になったのだ、と説明した。なぜなら文学とは、結局は人文主義と政治との結合にほかならず、この二つのものは、人文主義自体がすでに政治であり、政治が人文主義であるだけに、いっそう自然に結び合うものなのである。……ここでハンス・カストルプは耳をそばだてて、話をよく理解しようと努めた。なぜなら、いまこそビール商のマグヌス氏の無学ぶりがよくわかるはずであって、文学がどうして「美しい品性」ではないのか、それも理解できるだろうと期待したからである。セテムブリーニはふたりに、ブルネットーという名の人のことを聞いたことがあるかと尋ねた。一二五〇年ごろフィレンツェ市の書記をしていて、美徳と悪徳に関する書物をあらわしたブルネットー・ラティーニ氏についてはすでにお聞き及びであろうか。彼こそは、フィレンツェ人に磨きをかけ、言葉に関する作法を教え、彼らの共和国を政治の原則によって統治することを教えた最初のひとである。「これですよ、諸(end331)君」とセテムブリーニ氏は叫んだ。「これなのです」と叫んで彼は、「言葉」、言葉の尊重、雄弁について語り、雄弁こそ人間性の勝利なり、といった。なぜなら、言葉は人間の名誉であり、言葉によってはじめて人生は生きるに値するものとなる。単に人文主義のみならず、人間愛一般が、つまり人間の尊厳、人間尊重、人間の自己敬愛という古くからの諸観念は、言葉や文学と密接不可分の関係にあるのである。――(「ね、聞いたかい、君」とハンス・カストルプはあとでいとこ [﹅3] にいった。「文学では美しい言葉が問題だってさ。ぼくもそう思っていたんだよ」)――だから政治もまた文学に関係している、というか、むしろ政治は、この結合、人間愛と文学との同盟から生れるのである。なぜなら、美しい言葉からこそ美しい行為が生れるからである。「みなさんのお国には」とセテムブリーニはいった。「二百年以前にひとりの詩人がいました。すぐれた雄弁家でした。この詩人は、美しい筆蹟は美しい文体を生むという考えから、筆蹟の美しさということを非常に重要視していました。しかし彼はもう一歩進んで、美しい文体は美しい行為を生むというべきだったのです」 美しく書くとは、美しく考えるということとほとんど同じことであって、美しい考えという段階から美しい行為という段階までは、あとほんの一歩である。あらゆる人間教育やその道徳的完成は、文学の精神、つまり人間尊重の精神から生れるが、これはまた同時に人間愛と政治との精神である。しかり、これらいっさいのものはひとつなのだ。同一の力、同一の観念である。そしてそれはひと(end332)つの名称で要約できる。で、その名称とは? その音節の組合せは別に耳新しいものではないのだが、その意味や威厳は、おそらくいとこ [﹅3] たちはまだはっきりとは把握していないのではあるまいか――さてその名称は「文明」である。セテムブリーニはこの言葉を発音しながら、乾杯するひとのように、小さな黄色い右手をさしあげた。
 (トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、331~333)



  • 「英語」: 491 - 520
  • 「読みかえし」: 801 - 806


 はやい時間から混濁気味に覚めつつ、九時ごろ意識がかたまる。布団のしたで深呼吸して九時二三分に離床。空には薄雲が引かれているもののみずいろも透け、ひかりの感触がある。消毒スプレーとティッシュでパソコンを拭き、洗面所へ。顔を洗ってみずを飲み、トイレで用足し。もどると書見した。ホッブズ/永井道雄・上田邦義訳『リヴァイアサンⅠ』(中公クラシックス、二〇〇九年)。力の種類や、名誉・不名誉のあたえかた、ひとの態度(マナーズ)についてなど、あいかわらずカテゴリカルというか、分類列挙的な記述がつづく。にんげんのふるまいかたにたいするホッブズのみかたは、皮肉なところがある。ただシニカルというよりは、冷静で冷徹ながら真をうがった面がある、というような。「自分と対等であると思っている相手から、こちらが報いることができるより以上に大きな恩恵を受けたばあい、私たちはにせの愛、いや実際には、ひそかな憎悪をいだきがちである。そのようなばあい人は絶望的債務者の状態におかれ、債権者に会うことを避け、もはやけっして会うことのない場所へ債権者が行ってしまうことを心ひそかに願うのである」(136)とか。「自分をそれほど有能だとは思っていないが、それでも勇者と思って得意になっている者は、見かけのよさにばかり気をとられ実行しようとはしない。なぜならば、危険や困難が現われたさいに、自分の無能ぶりが発見される以外に何も期待できないからである」「自分の能力を他人の追従や以前の幸運な行為によって評価し、自分自身についての真の知識に発する確実な希望にもとづいて評価しようとしない自惚れ屋は、向こう見ずをやりかねない。そして危険や困難が近づくと、引っこもうとする。なぜならば彼らは安全な道が見つからないとわかると、どのような救助によっても助からない生命を危険にさらすよりは、弁解によって救うことのできるかもしれない名誉を危くするほうをえらぶからである」(138)などもなかなかのディスりぶり。筆致に過剰なところはなく、ホッブズはべつにディスっているつもりはないのかもしれないが、ただ冷静に考察しているだけでそれが鋭いディスりになっているようなかんじ。あと、「(……)私たちは、人間のこの世における至福(フェリシティ)は満ちたりた精神の休息状態ではないことを考えなければならない。というのは、「究極の目的」(フィニス・ウルティムス)とか「最高善」(スンムム・ボヌム)とか、むかしの道徳哲学者たちが書物のなかで述べたものは、まったくありえないからである」(133)ともあって、これはなかなか論議を呼びそうなところ(刊行されたとうじに論議を呼んだのではないかというところ)ではないか。「満ちたりた精神の休息状態」とか、「究極の目的」「最高善」とかいうことばからは、キリスト教的な神の国というか、最終的に神がもたらすであろう天国的至福みたいなイメージがおもいおこされるのだけれど、ホッブズは「この世における」至福は、と留保をつけながらもこれらを否定している。逆にいえばそういう種類の「至福」は「この世」ではなく死後の世界にしかありえないという主張としても読めるわけで、じっさいすこしあとの136では、「(……)死後の喜びとは、えもいわれぬ天国の喜びにつつまれるか、地獄の極端な苦悩にかき消されるかのいずれかであるが、(……)」とも書かれており、すくなくとも書面上ではホッブズが「えもいわれぬ天国の喜び」の存在をみとめていると読めるけれど、ここまでのかれの記述の調子からして、ほんとうにそうなのかなあと、あるかなしかわからない死後のことなどどうでもよろしいとおもっているんじゃないのかなあといううたがいが湧く。133の記述はつぎのようにつづく。「さらにまた欲求がなくなった人間は、感覚と想像力が停止した人間と同じく、もはや生きることはできないのである」、そして改行後、「至福とはある対象から他の対象へと欲求が絶えず進んでゆくことであり、さきの対象の獲得はあとの対象の道程にすぎない。それというのも人間の欲求の目的は、ただ一度だけの、あるいはただ一瞬間の享楽ではなく、将来の欲求への道を永遠に確保することにあるからである」。だからここは直接には、にんげんの「この世における至福」とは「満ちたりた精神の休息状態」という、欲求が解消された静止性ではなく、際限なき欲求の連続状態だという再定義の箇所だが。「人間の欲求の目的は、ただ一度だけの、あるいはただ一瞬間の享楽ではなく、将来の欲求への道を永遠に確保することにあるからである」ということは、欲求とは欲求が永続することそのものを欲するものである、ということだろう。ここから欲求の本質は再帰性にあるという方向でなにかしら考察をひろげることも可能なのかもしれない。極端なばあいの不安が不安そのものにおびえるようになり、恐怖症がついには恐怖恐怖症にいたりうるということをおもいだす。じぶんの経験からすると不安障害とは、どんなものであれ不安がすこしでも発生することじたいをおそれる不安不安症のことである。
 さらにその後、「そこで私はまず第一に、あらゆる人間に見られる一般的傾向として、死にいたるまでやむことのない権力への不断のやみがたい欲求をあげる」(134)と述べられている。ホッブズはけっこう「力」に注視をむけており、なにが力であるかということも列挙していて、そのなかでは「学問はたいした力ではない。それは目だたないものであり、したがってどんな人のばあいでも持っていることが分らない。またそれは少数者をのぞけば誰ももってはおらず、その少数者のばあいでも、わずかのことがらに関してもっているにすぎない。つまり学問とは、自分自身がかなりの程度身につけていないかぎり、理解しえないものなのである」(118)などともいわれている。ほんにんが権力志向だったかどうかは措いても、このあたりにんげんの本質や、力がものをいう世界もしくは時代にたいしての苛烈な現実認識がみえる気がされ、そのへんがゆうめいな自然状態の定義につながっていくのかもしれない。
 一〇時一八分くらいから瞑想。窓をあけていてもまったく寒くなくさわやかな大気で、そとの空気もよくうごきまわっているひびきを帯びていて、鳥の声もひっきりなしにたくさん散ってにぎやか。目をあけると一一時ぴったりだった。すなわち四二分も座っていたわけで、こんなにながく座ったのはひさしぶり。座ってじっとしていればそれで成立だという原点にたちかえったので余計な模索がなくなり、ちからを抜いて楽にいられるようになった。上階へ。両親は不在。映画に行ったらしい。いくらか晴れてきており空で雲のまわりに濃い青が見えだしていたので、肌着類などなかに吊るされてあった洗濯物を出した。食事はきのうののこりもの。新聞一面にはロシア国防省がアゾフスタリ製鉄所を完全掌握し、マリウポリを制圧した旨を発表と。アゾフ大隊の司令官も「投降」したといっており、セルゲイ・ショイグ国防省は、マリウポリを「解放」したとプーチンに報告したという。フランシス・フクヤマの寄稿も。二面のつづきもあわせてぜんぶ読んだが、民主主義が近年衰退低迷しているなか、われわれは権威主義的独裁国によるふたつの誤った選択を目撃することになった、ひとつはむろんロシアによるウクライナ侵攻であり、もうひとつは中国のゼロコロナ政策への執着である、ロシアは負け戦の途上にありドンバスの獲得も当初の想定より縮小せざるをえないだろうし、制裁によって経済的にも破綻するだろう、中国も同様にコロナウイルスや都市封鎖によって経済が危うい、習近平は個人崇拝を確立させようとしているが、コロナウイルス状況下で孤立を深めたといわれているプーチンとおなじく、恐怖のためにだれもかれにただしい情報を報告しなくなっている可能性はたかい、政策転換を提言できる側近や高官もいないだろう、欧米においてすら権威志向の煽動政治家が増えているなかウクライナの帰趨は一国のみならず世界全体の民主主義のゆくえを左右するものになる、民主主義国が結束をとりもどす機会にもなりうるだろう、というかんじの、スタンダードなはなしだった。
 食事を終えると乾燥機をかたづけて皿洗い。風呂も。そのあと白湯をコップについで帰室。Notionを用意して、音読。一時くらいまでだったか。そのあときょうのことを綴りはじめ、とちゅうウェブに寄り道したり洗濯物を入れたりもして、ここまで記すと三時前。きょうじゅうにきのうのことを書きたい。きのうの昼間に(……)から連絡があり、物件の書類がとどいたから重要事項説明をするというのに候補日がいくつか挙がっていて、そのなかにきょうの夜があったのでさっそく会うつもりでいたのだが、さきほどメールがあって今夜は無理そうとなった。再調整。


 そういえばきょう、フランシス・フクヤマの寄稿文中で、ロシア軍黒海艦隊の旗艦「モスクワ」が沈没させられたことや、ロシア軍の戦車を農民が牽引していく映像がひろまったことはロシアにとって屈辱の象徴だろう、という一節があり、そこを読んだときに小説のアイディアをおもいついた。その戦車を牽引していって回収し、ひろめの車庫とか作業場とかにひとまず置いた農民が、じぶんたちは平和を希求するというメッセージをはっきりと世界にむけてしめすために、知り合いをさそってじぶんたちだけでこの戦車を解体するという一種のパフォーマンスをおこなおうとかんがえ、そのようすをさいしょからさいごまで撮影してそのまま編集無しでぜんぶインターネット上にアップする、その動画の内容を文章として記述する、というもの。そもそも素人に戦車が解体できるのかどうかまったくわからないので、人脈をたどってそういう技術方面の職人とかエンジニアとかにも参加してもらい、やりかたをおしえてもらいながら数人で時間をかけて解体をすすめる。そのあいだカメラはずっとまわしっぱなしになって、その場のすべてが重要なこともそうでないことも分け隔てなく撮影されている。動画の冒頭は農民による趣旨説明や視聴者にたいする訴え、メッセージからはじまり、その後は作業のようすとか、そのあいまにかわされる会話とか(そこから戦争や社会の状況やさまざまな個人的物語や体験がかいまみられる)、BGMとしてながされる音楽とか、なにも起こらない間延びした合間の時間、あるいはだれもいないときのこととか、そういったことごとが三人称で記述される。そのようなものだが、これはほんとうにたんなるおもいつきで、じぶんがうまくできるともおもえないし、そもそもじっさいのウクライナにもとづくにせよ、架空の状況をつくりあげるにせよ、倫理的な躊躇があるので、すくなくともいまはやるつもりはない。うまくできればけっこうよい作品になりそうな気もするのだが。じっさいのところ小説のアイディアというよりも、新聞記事の一節からそういう架空の情景が妄想的におもいえがかれたというのが正確で、それを小説にしたらおもしろいかもしれないとおもったということだ。


 その後はだらだら怠けたり、アイロン掛けをしたり、きのうのことを記述したり。どうもなかなかながい時間書きものをつづけるということができなくなっている。むかしは二、三時間いっぺんにがんばっていたのだが。いまはもうちょっと書けばすぐ疲れて休みたくなってしまう。気概が足りない。それで二一日分を終わらせることができず。あしたが朝一〇時から通話なので、二時に寝た。


 あとこの日、音楽をきく時間をつくろうというか、座ってじっとしていればそれでもう瞑想として成立するというところにたちかえったので、音楽をバックにそれをやろうかなとおもってMiles Davisの『Four & More』をヘッドフォンでながしつつ座った時間があったのだけれど、ねむくなってあまりきけなかった。なぜなのかわからないのだが、耳をふさいでじっとしているとそうでないばあいよりはるかにねむくなる。これはまえからそう。瞑想としても、音楽をききながらやるよりもなにもながさず、耳もふさがずにやったほうがからだのほぐれがよくなる気もする。やはりきくのだったらきく、瞑想だったら瞑想としなければだめなのかもしれない。

2022/5/21, Sat.

 そういう考え方、理想、不屈の努力は、セテムブリーニにいわせれば、彼の家の伝統であった。祖父、父、孫の三人とも、各人各様に生涯と精神をそういうものに捧げてきたのである。その点では、父も祖父ジュゼペに決してひけをとらなかった。ただし父は祖父のように政治的煽動家、自由の戦士ではなく、物静かで柔和な学者、いつも机に向っている人文主義者だった。ところで人文主義とはいったいなにか。それは人間に寄せ(end329)る愛というものにほかならず、従ってまた政治であり、人間という観念を汚し卑しめるいっさいのものに対する反逆である。人文主義はその形式偏重の点で非難されてきたが、人文主義が美的形式を尊重するのは、唯ただ人間の品位のためなのであり、その点、人間憎悪や迷信のほかに、恥ずべき無形式に陥っていた中世に対して、人文主義は光輝ある対照をなしている。人文主義はその出発点から人間の権利、現世の利益、思想の自由、生の歓喜のために闘いつづけてきたのであり、天国はばか者どもに任せておけと主張してきたのである。(……)
 (トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、329~330)


 いちばんはじめ、六時ごろに覚めたおぼえがある。さすがにそれでは無理だとおもって寝つき、つぎに九時くらいからだんだんと覚めていった。まどろみながらも息を吐いたりして、一〇時前には意識がさだまり、一〇時一〇分で離床。足の裏をあわせたポーズで深呼吸すると太もものすじなどがうごめくから血がながれるようで、意識が晴れてくる。布団のしたにいる時点でそれをやっておいたほうがよい。小型消毒スプレーをティッシュに吹きつけてパソコンをちょっと拭いておき、廊下に出て洗面所へ。洗顔とうがい。トイレで小用もしてくるとベッドに帰ってホッブズリヴァイアサン Ⅰ』。ホッブズは聖書とか教会などについては微妙なたちばをとっている印象。神というものについては時代柄否定できないし、じっさいに信仰があるかないかはべつとして尊重せざるをえないが、聖書や教会にたいしてはもうすこし批判的に、冷淡にみている、というような雰囲気をかんじる。「化体」についてひとびとがいうことは不条理にほかならない(そして、ことばの誤用による無意味というのは狂気の一種にほかならない)と述べているところなど(109)。かれはやたらと小難しいことばづかいをして意味をなさず不条理としかおもえない文章を書く「スコラ学者」を一貫して批判している。スアレスの『神の関与、運動、助力について』の第六章表題を翻訳してみせたあと、「自分が狂気であるか、さもなくば他人を狂気にしようとの意図を持たないかぎり、全巻このような内容を持つ書物を書くことがありえようか」(108)とまでくさしている。イギリスにはやはりこういうところから来る言語的明晰さへの志向が伝統的にあるのかもしれない。岩波書店が出している「一冊でわかる」という欺瞞にほかならない謳い文句のシリーズがあって、これはOxford University Pressから出ているA Very Short Introductionというシリーズの翻訳であり、日本語版につけくわえられた欺瞞的な謳い文句のわりに平板な概説におちいらず著者の独自の色が出てけっこうおもしろい本がおおい印象なのだが、そのうちサイモン・クリッチリーが書いた『ヨーロッパ大陸の哲学』というタイトルの著作中で、たしかJ. L. オースティンとバタイユが会ってはなす機会があったのだけれど、あいてがなにをいっているのか互いにわからず、はなしがぜんぜん通じなかった、というエピソードを紹介していた記憶がある。フランスを主とした大陸哲学の文学的な非明晰性と、分析哲学に代表されるイギリスの明晰さのあいだに深淵があるという主旨である。というわけでいまEvernoteにアクセスして典拠をもとめたが、ちがったわ。オースティンではなくてA. J. エイヤーだった。

 ・・・<エイヤーとバタイユ>は、メルロ=ポンティを伴って一九五一年にパリのバーで会った。議論は午前三時まで続いたらしいが、議論されたテーマはいたって単純なもので、〈太陽は人類が存在する以前に存在したか〉というものだった。エイヤーは、太陽が存在したことを疑ういかなる理由もないとしたが、バタイユはこの命題全体が無意味だと考えた。エイヤーのように科学的な世界観に賛同する哲学者にとっては、太陽のような物理的対象が人類の進化以前に存在していたと言(end 46)うことは理にかなっている。しかし、現象学にいっそう精通しているバタイユにとっては、物理的対象が存在していると言われるためには、それが人間主観の立場から知覚されねばならない。したがって、命題で仮定されている時点で人類がまったく存在しないとするなら、人類より以前に太陽が存在したと主張することには意味がない。バタイユは次のように結論する。

昨日の会話はショッキングな結果を生んだと言わねばならない。フランスとイギリスの哲学者のあいだには一種の深淵があり、これはフランスとドイツの哲学者のあいだには見出せないものである。

 (サイモン・クリッチリー、佐藤透訳、野家啓一解説『ヨーロッパ大陸の哲学』岩波書店、2004年、46~47)

 内容としても、こちらがおもったような文学性の有無というより、科学的で実体的な世界観をとるか、にんげんの認識と癒着した相関的な世界観をとるかというはなしだった。ところでこの書抜きは二〇一二年六月末作成の記事から取ってきたもので、とうじはまだ省略符を(……)にさだめていないし、補足も [] でしめさずに大文字の<>をつかっている。
 あと、第九章「知識の種々の主題について」ではあらためて、「《知識》には二種類ある。その一つは「事実にかんする知識」であり、他は「ある断定の他の断定への関連にかんする知識」である」(112)と要約されているのだが、それにつづいて「前者は感覚と記憶以外の何物でもなく、「絶対知」(アブソルート・ノレッジ)である」とも断定されており、おい、ひとは「絶対的知識」にはいたれないんじゃなかったのかとおもった。そこできのうの日記にも引用した85ページの記述を読みかえしてみたのだが、きのう書いたこと(のいちぶ)はどうやら誤読だったようだ。「どのような論究も、過去や未来の事実にかんしての絶対的知識には到達しえない。なぜならば、事実についての知識は本来感覚であり、その後は記憶にほかならないからである」(85)というのをこちらは、感覚がそもそも絶対的なものたりえないのだから、根本的にはそれがベースや素材になっている論究もとうぜん絶対的な知識をえることはできない、と解したのだが、そうではなくて、「絶対的知識」を獲得できるのは「論究」によってではなくて「感覚」によるのみである、という主旨だったようだ。そのばあいの「絶対的」とはどういうことなの? というのが問題になってくるが、これもホッブズはさきにつづく85の記述、きのうも引いた箇所ですでにこたえていて、「また、連続関係についての知識が学問と呼ばれることはさきに述べたが、これとても絶対的ではなく条件的である。すなわち、論究によっては何人 [なんぴと] といえども、あることがらが、ある、あった、あるだろう、ということを知ることはできない。すなわち絶対的に知ることは不可能である」とある。だから、「絶対的知識」というのは、「あることがらが、ある、あった、あるだろう、ということを知ること」にあたるだろう。そのひとつの意味は、事実間の連関ではなく、もっぱら単一の事実についての知識、ということだろう。もうひとつ、ありうる意味は、その事実の存在についての知識、ということだろう。「絶対的」ということばの意味としてひとまず読み取れるのはそういうことで、だから、ホッブズがいう「絶対的知識」とは、普遍的に妥当する真理というような意味ではなく、むしろひとが感覚によって得た経験的知識とその記憶、という主旨になるはずである。112にもどれば、「絶対知」の説明として、「つまり私たちがある事実が行なわれているのを見たり、それが行なわれたのを想起するばあいである」とも付言されている。この「絶対」は普遍や確実性の意ではなく、たんに、相対的に成り立つものではない、べつの事実との類比や連関や並列によってではなく、それ単体でもたらされ、独立して成立する知識、という意味合いではないか。したがって、「絶対的」とは言い条、それはあやまっていることもありうる。もしくは、ホッブズの説明に即すならば、「「真」あるいは「偽」は、事物ではなく言語(スピーチ)の属性であり、言語のないところには「真」も「偽」もない」(43)のだから、「感覚」にほかならない「絶対的知識」は、「感覚」の水準にとどまっているかぎりでは真偽の問題にはなりえない。それを言語の水準に変換した時点ではじめて真偽が発生してくる。ということはつまり、他者もしくは自分自身にむかってことばをつかって体験を発話し、記述しようとしたその段階でこそ真偽の属性が誕生するということだ。だとすれば、真偽は単独ではなりたたない、共同的な性質である。言語を共有する自分もしくは他者が真偽の証人として必要だということになる。
 一一時ごろまで読み、一一時五分から瞑想。二五分ほど。座ってじっとしているだけという原点に立ち戻っている。上階に行ってゴミを始末し、ジャージにきがえてあらためて洗顔など。食事は五目ご飯にきのうののこり。新聞、アゾフスタリ製鉄所から避難したひとのエピソードが紹介されていた。二四歳の女性で、夫は海兵で「アゾフ大隊」に参加し、いまは捕虜として親露派地域に送られていると。製鉄所の地下では七〇人ほどがかのじょといっしょに生活していたらしい。子どもも一七人かそこらいて、当初はいちにち二回だった配給はしだいにいちにち一回になり、子どもたちは食べものの絵を描いて遊んで空腹をまぎらわせていた。かのじょが脱出したのは四月末くらいで、国連がかかわった退避だったようなのだが、製鉄所を出て連れて行かれたのは「選別収容所」であり、全裸にされて(ナチスをあらわす?)タトゥーなどがないか女性の係官に調べられたと。そのあとロシア軍の尋問。かのじょの夫が兵員だということはあちらですでに調べがついており、夫の情報を明かすようもとめられたが、離婚しようとおもっており、居場所は知らないと言い張って切り抜けることができたという。そうして安全なザポリージャに避難したと。夫をとりもどせるよう、ほかの避難者たちとも協力して政治家にはたらきかけているという。
 テレビは檜原村をとりあげていた。タカ&トシと温水洋一と橋本マナミによる旅番組。橋本マナミってこのひとかとおもった。なまえはきいたことがあるし、過去にみたこともあるはずだが、何者なのかぜんぜん知らない。なんかエロいみたいな、妖艶な色気がすごいみたいな評判が流通していた気がする。二〇一九年に結婚して二〇年に出産したという。真緑というかんじの、原色にちかいあざやかな緑一色のボトムスを履いていた。
 皿洗いと風呂洗いをして白湯を持って下階の室にかえり、Notionを準備してウェブをちょっとみたあとさっそく書きもの。きのうの記事をしあげて投稿し、きょうの分をここまで記せば二時二〇分。朝方にはおおきな雨が短時通ったときもあり、その後も降りがこぼれるひとときがあったが、いまは止んでいるようだ。とはいえよどみがちな曇りで気温も比較的低く涼しい。肌寒さはかんじない。


 この日の母親に頼んで車で送っていってもらうことに。ちょうど買い物に行きたいということだったので。雨もまた一時盛ったりして、面倒くさそうでもあったので。しかし三時五〇分くらいに出たそのときにはやんでいたはず。車のうしろに同乗。道中母親は、髪の毛ボサボサだともらし、白髪になっちゃって、髪を染めるやつ買いたいんだけど、そうするとマツキヨとサンドラッグ(だったかどうか)と両方行くようかな、とかいっていた。いざそとに出てみるとすこしでも足をうごかしてあるきたいきもちがあったので、すこしまえで降ろしてもらおうとおもったが、けっきょく街道沿いの、職場からたいした距離ではないところに降りた。アジサイの黄緑色の葉っぱが駅前の通りの壇におおきくなってきている。
 勤務。(……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)そうして一〇時三八分くらいに退出。雨が激しく降っていた。地面の毛羽立ちがすごく、路面はすべてびしょびしょにみずに覆われていた。駅にはいって電車に乗り、最寄り駅から帰宅。坂道にも皺を帯びた水流が生まれるくらいの降り。帰宅後はたいしたこともなし。記憶にのこっていない。

2022/5/20, Fri.

 「いや、実に驚いたね」 エレベーターに乗ってから、ハンス・カストルプはヨーアヒムにいった。「骨の髄までの教育者というやつだ――そういう素質があるということは、自分でもいっていたけれど。まったくあのひとの前ではうっかり口もきけないな。へたなことをいうと、長々とお説教を食ってしまうから。しかしあの話し方は見事なものだ。あのひとの口からは、言葉という言葉がどれもとても丸々と、おいしそうにとびだしてくる――あのひとのしゃべるのを聴いていると、つい焼きたての巻パンを連想する」
 (トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、214)



  • 「英語」: 823 - 826, 479 - 490
  • 「読みかえし」: 793 - 800


 一一時起床。やや混濁したからだ(理由ではなくて体)。水場に行ってきてからホッブズリヴァイアサン Ⅰ』。カテゴリカルな記述がつづく。多種類の情念の分類など。たぶんこの感情分類は、トマス・アクィナスをたしょう踏まえているのではないか。第七章は「論究の結末、または結論について」という題で学問的な知のありかたやものごとを信じることについて述べられているが、ここには、「どのような論究も、過去や未来の事実にかんしての絶対的知識には到達しえない。なぜならば、事実についての知識は本来感覚であり、その後は記憶にほかならないからである」(85)という慎重な科学者的相対主義のようなものがみられる。記述はつぎのようにつづく。「また、連続関係についての知識が学問と呼ばれることはさきに述べたが、これとても絶対的ではなく条件的である。すなわち、論究によっては何人 [なんぴと] といえども、あることがらが、ある、あった、あるだろう、ということを知ることはできない。すなわち絶対的に知ることは不可能である。知りうることは、もしこれならば、あれである、これであったならば、あれであった、もしこれであろうならば、あれであろうなど、すなわち条件的に知ることにすぎない。また、論究によって知りうるのは、あるものと他のものとの関連ではなく、あるものの一つの名称とそのものの他の名称との関連にほかならない」。さいごの文が重要で、ホッブズは一貫して、知識とは「名称」すなわちことばにかんすることがらだというかんがえを保持しているようだ。これいぜんにも、「「「真」あるいは「偽」は、事物ではなく言語(スピーチ)の属性であり、言語のないところには「真」も「偽」もない」(43)とか、「「真理」とは私たちが断定を行なうさいに名称を正しく並べることである」(44)といわれていたとおりである。ここでのつぎの段落でも、「したがって、論究が話法となり、ことばの定義からはじまり、その結合による一般的断定へと進み、それらがさらに結合し三段論法になるとき、終結すなわち最後の要約は結論(コンクルージョン)と呼ばれる。そして、それによって表わされる理性的な思想は、条件的な知識すなわちことばの連続関係についての知識であり、ふつう《学問》(サイエンス)と呼ばれる」と説明されている。だから、にんげんが知ることができるのはあくまで事物やものごとをことばの領域にうつしたときの連続関係であり、事物やものごとそのものの関係を知ることはできない、ということだろうか。そのさい、ことばと事物の関係がどのようにかんがえられているのか、あるものごとをことばに置き換え、その語をただしく定義するというさいしょの段階で、その変換と定義の正当性はどのように獲得されるのか、さらには事物やものごとの存在論的な地位や性質はどのようにみなされているのか、というのがつぎの疑問である。85ページの記述にもどると、「事実についての知識は本来感覚であり、その後は記憶にほかならない」と書かれている。したがって、あることがら、ある事実についての知識は「感覚」としてにんげんにもたらされる。そして「感覚」は、ホッブズのかんがえでは対象となる物質のなんらかの運動がにんげんの諸器官を刺激することでひとの内部に生み出される運動のことであり、われわれがそれをじっさいに知覚識別するときには「現れ」「表象」「映像」となってあたえられる(13~14)。感覚が諸器官に作用するときの「作用の多様性が現象の多様性をつくりだす」(13)といわれているように、また常識的にかんがえても、あるものごとにたいしての「感覚」は普遍的に一様のものではありえない。したがって、「事実についての知識は本来感覚であ」るならば、ひとはある事実について絶対的な知識をえることはできない。これがまずひとつ、ホッブズの相対的な説明の主旨だろう。
 「感覚」はそれが発生した時をはなれてその後は「記憶」になるのだが、それは一種の「衰えゆく感覚」であり、記憶が量的に多くなると「経験」と呼ばれるようになる。「感覚」がそもそも絶対的な知識たりえないものなのだから、その集合である「経験」もまたおなじで、したがって経験をもとにした未来や過去の推測はたしかなものではないとホッブズはくりかえし言明している(32: 「ときに人はある行為のなりゆきを知りたいと欲する。そのようなとき、類似の行為には類似のなりゆきが続くと考え、彼は過去における類似の行為を思いだし、そのなりゆきをつぎつぎに思いだす。(……)この種の思考は「予見」「深慮」あるいは「先見」(プロヴィデンス)、またときには「知恵」と呼ばれる。とはいえ、このような推測もあらゆる事情を観察することが困難であるためにきわめて誤りやすいものである」; 33: 「「過去」のことがらは記憶のなかに存在するにすぎない。そして「未来」のことがらはまったく存在しない。「未来」とは過去の行為の結果を現在の行為に適用した心の仮想にすぎない。それは経験に富む者によってもっとも確実になされるが、それも十分確実であるわけではない」; 34: 「深慮が「過去」の「経験」から収斂された「未来」への「推定」であるように、〔未来ではなく〕過去の他の事物から引きだされる「過去」の推定もある。(……)しかしこの推測は、未来の推測とほぼ同じくらいの不確実さを含んでいる。ともに経験にもとづくものにすぎないからである」)。
 つぎに、「論究によっては何人 [なんぴと] といえども、あることがらが、ある、あった、あるだろう、ということを知ることはできない」とあるが、そもそもにんげんがある事実について知るのが「感覚」によってでしかないのならば、それもとうぜんのことである。また、「論究」や「学問」は「連続関係についての知識」にほかならないのだから、あることがらをそれ単体で知るものではないということになる。したがって、あるものごとがどういうものであるのか、どういうものであったのか、などをそれ単独で知ることはできず、「論究」はあることをべつのこととならべたり、比較したり、引き合わせたりしない限り成立しえず、「論究」においてはなにかべつのものがなければあるものについて知ることはできない。これが「絶対的知識」が成り立たないことの第二の説明だとおもわれるが、さらに上述したとおり、そこで知り得るのはあくまで、「あるものと他のものとの関連ではなく、あるものの一つの名称とそのものの他の名称との関連にほかならない」。つまりあるものをある呼び名で呼んだときに、ほかのものの呼び名とどう結びつくかということがわかるだけだということになる。「あるものの一つの名称」ということは、そのものをべつの名称で呼ぶ可能性も確保されているはずである。その点はひとつの事実についての知識である感覚の多様性に即しているのだろう。
 いずれにしても、ここにあらわれている「知」のみかたというのは、それがもっぱら言語の領野と結びつけられているところからしても、たいへんロゴス的なものだとかんがえられる。だからそこでは、たとえば啓示的な体験でものごとの実質が一挙に感得されるという直接知のようなものとか、もっと一般的に身体的な知のようなものはたしかな「知識」としてみとめられないのではないか。それはしょせんは「感覚」としての、ある限られたことがらについての知識にすぎない。言語にのぼらせることができなければ、確実な「知識」の地位に達することはできない。こういう種類の知識観は、たしかいぜん『ソクラテスの弁明』を読んだときにソクラテスも口にしていたようなおぼえがある。ギリシャにはじまったロゴス偏重が西欧において脈々と受け継がれていたことのひとつのあらわれなのだろう。
 正午を越えて上階へ。母親はすでに出勤。食事には卵を焼いて米に乗せたり、あときのうの残り物であるナスの味噌汁やマグロのソテーなど。新聞、山口県阿武町で役所がまちがえてコロナウイルス対策給付金をひとりに四六三〇万円分ふりこんでしまったという事件の報。ここ数日なんとなくこの地名を目にしていたが、記事ははじめてちゃんと読んだ。振込先となったのは二四歳の男性で、ネットカジノにすべてつぎこんだといっているらしく、きのうこの件を瞥見したときにはいやそれぜったいうそでしょ、とおもってしまったのだが、このひとは逮捕されたという。電子計算機使用詐欺とかいう容疑で、直接にはあやまって振り込まれた金だと知りながら四〇〇万円ほどを業者の口座にうつしたという行為が罪となったらしい。振込の依頼書は役所内のある職員がつくり、べつの職員がそれを銀行に提出して依頼したあと、銀行側が振り込んでからおかしいということに気づいたようで役所に連絡が行き、職員がこの男の家をおとずれて事情を説明し、男もいったん返金に同意して銀行支店までいっしょに行ったというのだが(この点、車で約七〇キロ離れた支店まで行ったと書かれてあって、銀行遠すぎじゃない? とおもった)、そこまで来て男性はやはりきょう手続きをするのはやめる、書類を郵送してくれといいだしてとりやめ、その後連絡もとりづらくなったのだという。かんぜんに大金の誘惑に負けちゃってるじゃん、という感じ。ほか、ジョー・バイデンホワイトハウススウェーデンのアンデション首相とフィンランドのニーニスト大統領と会談したとか。NATOの加盟申請についてはなし、申請中に両国が安全をおびやかされないよう注意していくみたいなことを述べたらしい。
 食後、食器を洗って、風呂も。きのうは入浴したときに浴槽の両側下端をさわってみても奥までずっとなめらかだったので、きょうもきのうとおなじ感じでわりとていねいにこすったつもり。出てくると白湯を持って帰室。Notionを用意。ウェブを見る。一時半くらいではやめに洗濯物を入れてしまった。曇り空がひろがっている日で、ひかりがなく、なんとなく怪しいようだしたいして乾きそうもなかったので。しかしじっさいにはベランダに出てみるとほんのわずか日なたはあって、洗濯物もけっこう乾いていた。もどると音読。「英語」と「読みかえし」を両方とも。そのあとしたのウェブ記事を読んだが、これはかなり参考になった。じぶんも塾で授業をするとき、きょうどこをやろうかというのを生徒じしんにゆだねて決めさせたり、宿題もほんにんに決めさせたり、そうでなくともいっしょにはなして決めることが多いが、それもごくちいさな自己決定として悪くないのかもしれない。「自己決定」ということばでそれをかんがえたことはなかったが、いちおう自律性をはぐくむどうのみたいなことが会社の方針とはされているし、その点大事だというのは同意するところなので、それにしたがっていたかたち。まずもって授業というものをこちらから一方的にあたえたり押しつけたりするものにしたくなく、すくなからず対話的であるべきだとかんがえている。それはひとつには、じぶんが対象であれ他人が対象であれ押しつけがましさが大嫌いだからであり、もうひとつにはたんなる知識の伝達に終始するだけの授業などクソおもしろくもないとおもっているからである。知識の伝達はもちろん大事だしそれがしごとでもあるわけだが、それをするのにもいろいろと工夫やはたらきかけをしなければならない。授業が理想的には対話的で双方向的であるべきだとするのならば、とうぜん、その時空はこちらひとりでつくりだすものではなく、生徒と関係することでともにつくりあげていくものだというかんがえがみちびきだされるだろう。端的に言って、生徒じしんの協力がなければ授業などうまく行くわけがないし、それどころかやすやすと崩壊するものなのだ。生徒がこちらの言うことを素直に、もしくはしぶしぶであれひとまずきいて、指示にしたがってものごとをこなすということはすこしも当たり前の事態ではないということである。それはやんちゃなあいてに当たればたちどころに理解される。そのことをわすれてじぶんになにか無条件的に権威や権限のようなものがあたえられているとおもいこんだ瞬間に、どのようなものであれ教育といういとなみは終わる。

野本 先生が麹町中学校で、宿題をなくす、定期テストをやめる、固定担任制ではなく全員担任制にするなどの改革を行おうとしたとき、抵抗はなかったですか。

工藤 大きな抵抗はなかったですね。僕は基本的に敵を作らないという姿勢で仕事をしています。例えばA案をもってくる先生、B案をもってくる先生がいるとします。A案とB案の内容がまったく反対の内容だと、先生の中に考え方の対立が起きているわけですが、日本人はまずこの対立を嫌がります。考え方の対立が感情の対立に直結しやすいからです。感情の対立になると、コントロールするのはむずかしい。日本は心の教育を重要視してますが、その心の教育とは「感情が穏やかであること」と錯覚をしています。

野本 意見と感情が分けられないということですね。

工藤 それは小学校の教室からすでに起こっています。よく「みんな仲良く」と言いますが、仲良くとはどういうことか、言語化された共通認識がないので、「仲良く」の考え方が違っている。仲良くというのは、ぶつかったときにどう合意するかなんです。しかし、日本ではそのように指導するのではなく、感情的な対立を避けようとする。先生は中身よりも、言い方や感情のトラブルを増長させるようなことはやめなさい、という方向に誘導します。
 それに、日本の学校では何かを決めるときに多くの場合、多数決を使います。例えば、文化祭でクラスの出し物のアイディアを出し合った場合、ダンスに人気が集まった。劇をやろうという意見もあった。ダンスが多く、劇は少数だった状況で、多数決しましょうとなりますね。しかし、多数決というのはA案でもB案でもどちらでもいいとき以外には取るべきで手段ではありません。
 日本は数の論理で、8割だったらみんなが決めたことだという理屈をつける。これは教室の中でマイノリティを切り捨てることを教えているのと同じなんです。A案と決めることによって利益を損なう子どもがいる。それはどういう子どもたちだろう。B案だったら誰がどういう利益を損ねるだろうと考える。どちらも利益を損ねる可能性がある場合に、子どもたちから「好きな子だけ出たらいい」というアイディアが出てくる。これも考えが進んだことにはなるのですが、その案では全員が参加できない。さらに話し合いを続け、全員OKというC案を出すところまで対話をさせることが重要なのです。
 しかし、日本は同調圧力が強いので、数の論理で負けていく子どもは、どんどん自己否定されることになる。そのうち自分はどうせ少数派だと、意見を言わなくなるのです。

     *

野本 問題は、はみ出した子どもが日本では行くところがないこと。ところがマレーシアのインターナショナル・スクールでは、1年生が寝転がって授業受けてもいいし、子どもの特性や性格で選ぶことができる。5歳で頭はすごくいいけれど着替えが一人でできないので、体育の時だけ親が着替えさせに来ることもあります。

工藤 日本は「型」を大事にする型の文化。一旦型を覚えて、そこを越えるためには型を破って成長しなさいという指導法です。これを日本独特の良さと捉える人たちが結構います。しかし、教育に関しては何のために繰り返すのか分からない。高度経済成長期、従順な人間は尊ばれましたが、世の中の本来のあるべき姿はもっと混沌としているはずで、もしかすると今の時代が普通なのかもしれない。そこで大事なのは、教育がもっと本質的なことを教えること。ただ真似をしていればいいという時代は終わったと思います。

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工藤 日本の教育基本法を見てみると、第1条に「教育は人格の完成を目指す」云々と書かれており、私はここに問題があると思っています。
 例えば、デンマーク教育基本法の第1条は「学校は保護者と協力をして次のような知識やスキルを提供する必要がある」。「次のような」の部分には、「子ども自身がもっと学びたいと思うように」とか「働きたいという願望の枠組みを作成する必要がある」とある。子どもが主体的に学びたい、働きたいと思うようにし、民主主義社会への参画を学ばせなければならないともあります。
 つまり、一人で歩いていく力をつけさせ、社会が幸せになるために学校があるという考えだから、学校では民主主義とはどういうものかを教えていく。つまり、多様なものを受け入れながら、その中で起きた対立を克服し、誰一人置き去りにしない方法を模索し、持続可能な社会を作ることを教えていくのです。
 一方、日本の教育は、ある一部の子どもに良いものを全員に押し付けるので、当然そこから あぶれる子どもが出てきます。

野本 まさにそう。一部の子には合う教育なんですよね。

工藤 麹町中学校は教育熱心な保護者の下で挫折を経験した子どもたちが入学してきます。親に批判され、先生に批判され、やたら勉強時間が長く、そこから落ちこぼれていった子どもたちです。
 僕は麹町中学校で6年間校長をしていたのですが、着任した1年目、入学してきた1年生は百何十人かですが、第一志望で入ってきたのはたったの20人。残りの100人以上は受験に失敗したり、不登校だったり、勉強嫌いな子どもたちでした。毎年転校生が30人から40人いて、海外から戻ってくる子、他の学校で適応できなくなった子、私立の中退組も入ってきます。彼らの中には親も嫌いだし、先生に対しても反抗的な子もいます。1年生の4月、5月なんて見方によってはちょっとした荒れた学校です。
 麹町中ではそんな生徒の元気と主体性を取り戻すためのリハビリを行なっていくのですが、その作業がほぼ終わるのに、約1年かかります。まずはそのための環境を整えていくことです。具体的には「勉強しなさい」と言う仕組みをゼロにするところから始めます。宿題をなくす、テストをなくすなど。そして次に、主体性を失って依存心だらけで批判的に育っているから、大人を信頼しないという特性も何とかしなければならない。
 そこで考えたのが3つのセリフです。必ず子どもたちに対して「どうしたの、困ったことある?」それが1つ。2つ目が「そうか。それで君はどうしたいの?」と対話する。たとえば授業中に教室から飛び出してきた生徒に、「なんか困ったことがあったの」と声をかけると、「あの先生大嫌いだ。授業なんて受けていられない」と言うので、「そうか、で、キミはどうしたいの?」と聞く。小学校時代に「どうしたいの?」なんて聞かれたことないし、どうせ先生は叱るものと思っているから、「どうしたいの?」と聞かれても答えが出てこない。
 そこで3つ目に「なんか僕に手伝うことある?」と聞く。それでも返事がなかったら、「また教室に戻って1時間を過ごすか、別室へ行くことも選べるけど、どうする?」と言うと、「じゃあ別室に行かせてください」と。小さな自己決定ですが、これが重要です。これを何回も繰り返していくうちに、子どもは主体性を取り戻していくのです。
 この3つのセリフで、「この学校は失敗を許してくれる環境」だということを知っていく。教員は敵じゃないと分かって、学校は居場所だと安心する。失敗しても「どうする?」「どうしたい?」と繰り返されるので、自己決定をすることが自分に求められていると分かってくる。これを繰り返していると1年でほぼ全員が変わっていきます。

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工藤 そうそう。大阪に大阪市立大空小学校という公立の小学校があるんです。『みんなの学校』というドキュメンタリー映画になっているんですが、ここは今僕が言った教育をしています。この学校でも麹町中学校と同じで、固定担任制をやめ、チームで子どもたちを見ていく。子どもは相談したい人を自分で選んで、保護者は一緒に当事者となってサポートしていく。木村泰子校長に「小1はどうなんですか」と聞いたら、麹町と同じように最初はリハビリをするんだそうです。

野本 小1でリハビリですか。

工藤 幼児教育でさんざん「姿勢正して」「お手手はお膝のうえに」とやられ、それができない子どもは排除される。傷つくわけです。リハビリをするのに1か月かかるそうです。麹町中学校では1年かかりました。中学校に適応できなくて不登校になったお子さんたちが通う学校として有名な明蓬館高校の日野公三理事長にお聞きしたところ、この高校では、リハビリに3年かかるそうです。

野本 高校生活が終わっちゃうじゃないですか。

工藤 はい。でも3年かかって主体性を取り戻す。一生ものですから、それでもいいわけです。「麹町で、そんな自由な環境で教育を受けた子どもたちは、高校いったら挫折するでしょ?」と質問されるんですが、これが挫折しないんですよ。麹町の子どもたちは現実を受け入れ、頭の中で優先順位を決めて自己決定する訓練をしているからです。

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野本 7歳でも15歳でも人間ですから、それを無視したらいけないし、自己決定できると人格的にも成熟してきて、他人の決定も認められるようになってきます。

工藤 日本は自己肯定感という言葉が大好きで、褒めれば自己肯定感が上がると思っているんですが、子どもは褒められたくないことを褒められても自己肯定感は上がらない。むしろ、バカにしているのかという気持ちになります。
 かけっこで1位になったから褒めると、小さい頃は喜びます。しかし、大きくなって負けを知ったときに、勝った結果ばかりを褒められてきた子どもは挫折しやすいですね。うまくいかなくなると自分には能力がないと思ってしまう。でも、1位になった結果ではなく、「楽しんでいたね」「工夫してやっていたね」と、プロセスを褒められて育った子は、うまくいかなくても、今度はこんな工夫はどうかな、とチャレンジしていくんですね。
 日本は親も先生も、褒めまくって言葉のシャワーを浴びせれば自己肯定感が高まると勘違いしています。一番大事なのは、自己決定してその結果を自分で褒めるようになること。こういう子の自己肯定感が高い。自己決定なしに自己肯定感なんか高まるわけがないのです。

野本 自己決定と、それによって引き起こされた結果を引き受けることが大事ですよね。そういう大人がたくさんいると、世の中ってまんざらじゃないな、と子どもも思えるようになる。先生が人生を楽しそうに生きていると、子どもは「自分もここに居ていいんだ」という気持ちになると思うんですが、日本は先生が忙しすぎるんですよね。

工藤 麹町中学校の保護者説明会で、「子どもたちが学校に来て、世の中って大変そうだ、世の中に出たくない、大人がカッコ悪い、大人になりたくないと思うようだったら、その学校の教育は間違っています。学校に来たら、世の中って大変そうだけど面白そうなことがいっぱい転がっていそうだなとか、素敵な大人がたくさんいるなとか、早く大人になりたいなと思う子どもを育てることが学校教育の役割でしょう。麹町はその方向に向かって改革をしているんです」と言ったんですが、そういう原点を日本の学校は本当に失ったと思います。

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工藤 人それぞれですが、意外と変わりやすいのは年配の先生ですね。ガチガチの固定化した古い教育を大上段にかざしてやってきた先生の方が、実は本質が分かれば変われます。なぜかというと、矛盾を抱えてやってきたからです。これでいいのだろうかと悩みながら、でもこうすることが子どものためだ、と信じてやってきているわけです。
 さっきのA案を持ってきた先生とB案を持ってきた先生の例でいうと、どっちも良かれと思って案を作っています。一番上の目標は、いい学校を作りたいし、子どものためにいい教育をしたいと思っている。目指す教育が「自律をさせること」だとすれば、進学実績を上げることだけが目標になってはいけない。自律を削いでしまいますから。このように上位の目標という考え方を、一人一人の先生に理解してもらわないといけない。対立が起きても、感情の対立に直結させずに、上位の目的を実現するためには何が必要かということを考えてもらう必要がある。
 学校を変えるためには3つのポイントが必要です。先生たちが当事者になること。ただし、当事者になるだけだったら権限を与えるだけでいい。決定権があれば当事者になれますから。

野本 子どもと同じですね。自己決定が先生にも必要。

工藤 しかし、権限だけ与えると組織は崩壊します。「みんな自由にやれ、オレが責任取るから」という言い方をする校長だと、これはダメになるんですね。権限だけ与えると、今までの成功体験を押し付けるようになるのです。
 大事なのは、権限は与えるけれど、最上位の目標を一度合意させること。最上位は自律、そして多様性を受け入れること。そして実際に対立が起きたら、この目標の実現に沿っているかどうかを検証すればいい。「権限を与える」「当事者にする」「最上位の目標に合意する」「それを実現するための手段を考える」。麹町はそれをやっただけなんです。
 自分がやっただけ成績も評価も上がるサイクルを覚えていくと、子どもたちは勉強しろと言われなくてもチャレンジするようになっていきます。勉強はわからないもの、できないものを、わかるようにしたり、できるようにしたりするのが大事です。そのなかで、自分の力で解決できないことが多いとわかると、人に聞かなければならない、自分からアクションを起こさなければならないと、体験を通して学んでいく。体験を通して学んだ力は人生で何度でも繰り返せますし、そのことでますます強くなっていきます。
 たとえば、子どもたち主催の体育祭にしようと、子どもたちに「体育祭をあげる」と言ったことがあります。しかし、与えられてばかりの子どもたちだから、最初は全くアイディアが出てこない。そこで「面白い体育祭をやっているところがあるよ」といって、開成中学や都立小山台高校の様子をネットで見せ、少しずつイメージをもたせていくと、子どもたちは次の年にはレベルアップして少しずつアイディアが出てくる。その積み重ねをちゃんと後輩に引き継いでいくんです。
 あるいは、体育委員とか図書委員は学級で1名とか男女1名ずつとか決められて、イヤイヤやっている人もいる。すると、今のうちの学校なら、委員をやりたいというボランティアの人だけで事足りるんじゃないですか、と言う子どもがでてきた。そこで、生徒総会にかけてみればと言ったら、本当にかけてボランティアにした。すると、図書委員会では本をいろんな場所に自由に置こうというアイディアが出て、図書室がどんどん進化していくわけです。つまり、組織というのは自分たちのものだから、自分たちがどうしたいか考えればいいんだ、ということを学んでいったわけですね。
 麹町は先生と子どもたちが参加できる会議があります。その会議で彼らが提案してきて興味深かったのが避難訓練でした。これは毎月1回やるのですが、いつ地震が来るか分からないのに先生の後ろについて避難するのはおかしい。生徒たちだけで避難するべきだという案が出た。それがどうなったかというと、専門的知識も自分たちで調べてきてみんなに伝え、訓練後の講評も全部生徒がやっているんです。

     *

工藤 日本では、教育の問題点としてメディアで取り上げられるのはイジメとか不登校。そこに焦点がいくので、問題が心の教育にいってしまいます。イジメの問題は、トラブルが起きると大人が介入して解決に当たり、あなたが謝りなさいと裁定する。すると子どもたちは、大人が介入して解決してくれるものだと体験で覚えていく。いつの間にか子どもの問題が大人の問題にすり替わり、親も学校の介入によって、裁判みたいなことを求めるようになる。

野本 どっちが悪いか決めてくれみたいに。

工藤 先日、うちの学校で3対1のケンカがあったのですが、その4人が放課後、校長室に入ってきて、それぞれ言い分をまくしたてたんです。そこで僕が間に入って、ひとつだけ質問させてくれと言いました。「いま中1だけど、これから5年以上、この学校でケンカ状態を続けたいの?」と。そうしたら4人ともいやだと言う。その点において全員が合意したんです。
 この状態を続けたくないことは一致している。それではどうすればいいかは自分たちで考えなさい。解決できなかったら明日またおいでと言ったら、次の日は解決していましたよ。

野本 面白い。先に目的を決めるんですね。

工藤 このなかで1人でも、この経験を記憶して育っていけば、次に問題が起きたときに、先生が入らなくても調整のできる子が育っていく。社会を持続させていこうという考え方ができるようになる。国と国のいさかいも同じです。お互いの国が持続可能になりたいかの合意を、国のトップも国民も一度はする必要があって、それができる国になるかならないかが重要ですよね。

野本 妥協するということですね。

工藤 デンマークのジャーナリストが、デンマークでは「最高の妥協点を探せ」という言葉があると言っていました。

野本 マレーシアでは、クラスにいろいろな民族がいて、なんとかそこの合意を作っていかなければいけないんです。そうしないとみんなが損するから。最高の妥協点、それはすごくいいと思います。


 五時ごろから瞑想。座ってなにもしない、もしくはじっとする、それに尽きるというところに立ち返る。座ってじっとしていればもうそれで成立だ。きもちがよかった。三〇分くらい座ったつもりでいたのだが、目をあけると一八分しか経っていなくておどろいた。それから上階へ行き、まず食事の支度。豆苗を肉と炒めてくれと書き置きにあったのでそうすることに。ほか、ニンジンとキャベツもくわえることに。冷蔵庫の野菜室にはまた半分になった新タマネギがあったので、それは味噌汁にすることにした。そうしてまず鍋にみずをそそいで火にかけ、タマネギを切り、投入。弱火で煮ているあいだに炒めものにする野菜も切って、フライパンにオリーブオイルを垂らして熱し、チューブのニンニクとショウガを落とすと肉をばら撒いた。冷凍の廉価な薄っぺらい豚こまぎれ肉なのでたいしてうまいものでもないが。たしょう炒めてから野菜もくわえて強火で加熱。塩コショウやスパイス少量で味つけ。味噌汁のほうも味噌を溶かし、さいごにネギをくわえておいた。鍋のうえにネギを持ち、包丁で削ぐように刻み落としていくかたち。洗い物をかたづけて洗い桶も洗うと、キュウリと大根をスライスして生サラダに。それで飯のほうは仕舞いとして、つぎにさきほどたたまなかったタオルいがいの洗濯物を始末し、それからアイロン掛け。ワイシャツなど。おえると六時半前くらいだったか。室にもどって、なにをしたのだったかはわすれた。
 その後の夜もたいしたことはなし。深夜に前日の記事をなんとかしあげておととい分といっしょに投稿した。あと、風景を投稿するためにnoteをみていたときに、なにかの拍子で「アウシュヴィッツの絶滅に関する証拠一覧」(https://note.com/ms2400/n/n8ffaebf9a985(https://note.com/ms2400/n/n8ffaebf9a985))という記事を発見した。パッと見たかんじではこれはすごいしごとだ。このひとはほかにもショアーについて解説する記事や、その証拠を紹介する記事や、否定論を反駁するような記事をひじょうにたくさん書いているようで、すごいしごとだ。すこしずつ読んでまなんでいきたい。夜半にいたるくらいにはいちにちじゅう家にいてたいしたことをやっていないにもかかわらず疲れがきざしていて、きょうははやめに寝ようとおもったところが油断して夜食にカップラーメンを食ってしまった。そうすると消化がすすむまで臥位になれない。しかし疲れてはいる。そういうわけで枕を縦むきにベッドのヘッドボードに立てかけ、それにもたれるかたちで臥位でも座位でもない中途半端な姿勢で休んでいたが、そのうちにそれでも意識をうしなっていた。気づくと三時二三分。消灯。ものを食わずに臥位で休み、もうすこしさっさと寝てしまうべきだった。

2022/5/19, Thu.

 (……)個々の場合、病人をいたわったり、大切にしてやったりすることは結構ですが、しかし、病気を精神的に尊崇するとなると、それは倒錯 [﹅2] というものです――ここのところをしっかりつかんでいただきたい――それは倒錯です、いっさいの精(end210)神的倒錯の端緒なのです。さきほどあなたが話題にされた婦人――その名前を思いだすことはいま断念します――ああ、そうですか、シュテール夫人、どうもありがとう――つまるところこの滑稽な婦人は――あなたがおっしゃった人間的感情にとってのひとつのディレムマを意味するものとは思われません。病気で無知――これは所詮悲惨そのものであって、事はきわめて簡単、つまりそこには憐みと軽蔑あるのみです。ディレムマ、すなわち悲劇 [﹅2] というものはね、あなた、自然で高貴で健全な精神を、人間生活に耐えられない肉体に宿らせ、それによってその人格の調和を無惨にも破砕するときとか――あるいは最初からそのような調和を不可能にしている――というような場合にのみ起りうるのです。(……)
 (トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、211)


 九時五三分に覚醒。さくばんはまた休んでいるうちに気づかず意識を失っており、もう夜も明けてカーテンを透かして早朝のあかるみがはいりこんでくる五時すぎにいちど覚め、そのとき払暁の白さと室内の蛍光灯のあかりが混ざって妙な白さになっていたのだが、その電気を消してふたたび寝ついた。一〇時前の覚醒後は布団のしたでしばらく深呼吸。息をながく吐いて呼吸につかう筋肉をほぐしておくと、その後の一日のなかで不随意的な呼吸も自然と深くなるようなので、からだが楽な気がする。一〇時二〇分に起き上がり、水場に行ってきて顔を洗ったり小用を足したりした。もどるときょうはつけっぱなしだったパソコンを持ってウェブをみながら脚をマッサージ。一一時二〇分から瞑想した。きのうにひきつづきさわやかな初夏の日和で、風が豊富かつ盛んで、あたり一帯をひっきりなしにめぐって草ぐさをざわめかせており、トタン板が打たれるようなおととか、家屋の周辺でなにやらバタバタいうおととかがきこえる。
 上階へ。ジャージにきがえてトイレで排便すると食事。素麺。母親はきょう、三時に家を出て職場の避難訓練のみ参加するという。(……)新聞一面は、ロシアがアゾフスタリ製鉄所から「投降」したウクライナ兵に尋問する旨を表明と。きのうの夜に夕刊でも読んだが、ロシア下院では捕虜交換禁止令というものが審議されはじめているようで(たしか下院議長が、ウクライナの兵士たちは戦争犯罪者である、裁きにかけなければならない、と言った当人だったとおもう)、ナチスと認定された兵とロシア兵捕虜を交換することを禁じるという主旨。また連邦捜査委員会は、アゾフスタリ製鉄所から「投降」した兵士が民間人への犯罪に関与していないかどうか調査をはじめるというが、そのあたりはロシアのことだからふつうにでっちあげることができるだろう。ロシア側の発表では、いままでに九六〇人が「投降」したという。国際面には、ロシア国内の国営放送でも侵攻を批判するような声がすこしずつ見られはじめている、という記事。退役大佐で軍事専門家だというひとが国営放送の討論番組で、我々は欧米の最新鋭兵器を提供された一〇〇万人のウクライナ兵と戦わなければならないかもしれない、耳通りの良い情報だけに飛びつかないようにしてほしい、みたいなことを述べたという。SNS上でも、今回のロシアの作戦のやりかたについて軍事専門家から疑問や批判の声があがっているらしく、米国は、こうした動向が世論に一定の影響を与える可能性はあるかもしれないとみているもよう。
 テレビは皺をなくすとかいうクリームの販売宣伝をながし、表情筋をおおきくうごかし、口もおおきくひらいてわざとらしい声色で商品を紹介する映像に母親は、ほんとかなあ、ほんとにきくのかなあ、ともらしていたが、まあたいしてききはしないだろう、けっきょく運動しなきゃだめだとおもうんだが、などと受けておいた。台所に食器を運んで洗い、風呂場に行って浴槽をこする。きのう下端をだいぶ念入りにこすって、入浴したときに、しっかりやったほうである手前側(入り口にちかいほう)はたしかに汚れがのこらず消えていたのだが、比較的手間をかけなかった奥のほうはやはりプラークみたいな感触がすこしだけのこっていたので、きょうは下辺の全体をきちんとこすったつもりである。出ると白湯を持って帰室。母親が布団を干したらというので協力してベランダの手すりにかけ(ガラス戸をあけたさいにヤモリが一匹落ちてきて、ベランダ上をかさかさすばやくうごいて消えていった)、きょうのことをここまで記すと一時。きのうの往路以降のことをなにも書いていないので記憶が薄れるうちにそれを書くべきなのだが、きょうは労働がみじかい予定だし帰ってからでもいいかなというゆるいこころになっている。

  • 「英語」: 463 - 478
  • 「読みかえし」: 788 - 792


 そういうわけで音読。しかしとちゅうで書きものをする気になってきのうのことを綴り、往路まで終えられた。よろしい。一時四〇分ごろに布団をとりこむ。両親の敷布団などが重そうなので母親のぶんもたしょうてつだう。それで二時くらいまで文を書き、そのあとすこし休みつつホッブズリヴァイアサン』を読んで、二時半過ぎから瞑想。鎖骨から首すじにかけてのあたりがじわじわとほぐれた。ストレッチも軽くしておいて上階へ。母親はもう出るところ。ちいさな豆腐をひとつ皿に出して電子レンジで加熱し、鰹節にショウガを添えて醤油をかけて食べる。新聞一面をあらためて見ると、米国が打ち出そうとしているあたらしい経済圏構想である「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」(たぶんIndo-Pacific Economic Frameworkということだろう)に日本政府も参加する予定とあった。二三日に日米首脳会談が予定されているらしいのだが、その席で参加をつたえ、また米国もその日に正式な発足を発表する予定だという。参加予定国はオーストラリアや韓国、ニュージーランドシンガポール、マレーシアなどで、台湾も参加を模索しているもよう。デジタル方面をふくめた貿易の円滑化、インフラ整備や脱炭素、税や腐敗対策などが主な内容。ドナルド・トランプ政権がTPPから離脱したため、その代わりとしてインド太平洋地域の空白を埋める必要があるということで構想されたらしい。ただ、TPPなどの自由貿易協定とはちがって関税の引き下げなどはふくまれておらず、市場開放をもとめる東南アジアの国々にとってみるとそのあたりが不満かもしれないとのこと。
 皿を洗ってもどってくると歯磨きをし、白湯を飲んでここまで書き足せばもう三時半前。


 帰宅後、休息中や夕食後にMaria Konnikova, “Why Can’t We Fall Asleep?”(2015/7/7)(https://www.newyorker.com/science/maria-konnikova/why-cant-we-fall-asleep(https://www.newyorker.com/science/maria-konnikova/why-cant-we-fall-asleep))を読んだ。

But it may be that the most important aspect of sleep hygiene has to do with light—which, of course, has gotten more pervasive during the past century, especially at night. Humans have evolved to be exquisitely sensitive to the most minute changes in the light around us. In fact, there are specific photoreceptors in the eye that only respond to changes in light and dark, and which are used almost exclusively to regulate our circadian rhythms. These melanopsin receptors connect directly to the part of the brain that regulates our internal body clocks. They work even in many people who are blind: though they can’t see anything else, their bodies still know how to adjust their circadian clocks to stay on schedule. Light helps the body predict the future: it’s a sign of how our environment will change in the coming hours and days, and our bodies prepare themselves accordingly. As the Harvard circadian neuroscientist Steven Lockley told me, “Our clocks have evolved to anticipate tomorrow.”

     *

Czeisler has found that artificial light can shift our internal clocks by four or even six time zones, depending on when we’re exposed to it. In one study, out earlier this year in the journal PNAS, Czeisler and his colleagues asked people to read either a printed book or a light-emitting e-book about four hours before bed, for five evenings in a row. The effects were profound. Those who’d read an e-book released less melatonin and were less sleepy than those who’d read a regular book; their melatonin release was delayed by more than an hour and a half, and their circadian clocks were time-shifted. It took them longer to fall asleep. The next morning, they were less alert. These resetting effects can result not just from prolonged reading but from a single exposure. In his sleep lab, Lockley has seen it happen after exposing subjects to short-wavelength light for less than twelve minutes.


 出勤。この日も電車を取った。玄関を出ると向かいの家で老人がひとり、脚立だったかよくみなかったがなにかのうえにのぼって入り口の木を剪定している。こんにちはとあいさつ。たぶん(……)さん、すなわち(……)ちゃん((……)さん)の縁戚だとおもうのだが。亡くなった(……)さんの姉妹の旦那というあたりではないか。これからお仕事? ときかれたのではい、と返し、行ってきますとのこしてみちを西へすすんだ。きのうとおなじく林のいちばん外側、みちに接した石段のうえにひろがる草むらの、さらにそのいちばんそとに茎をつきだしたさきから穂を垂らした草が群れなして、ゆるい曲線をいくつも描いているのをみながらあるいていった。空にみずいろはみられず、ほとんど模様もかたよりもなく薄白さが一面にひろがっているが、公団前まで来るとこちらの影がみじかくほんのうっすらと湧く程度のあかるさもあった。坂道に折れる。きのうとはちがって路上に日なたと影の共演はなく、ガードレールさきの樹々もひかりをちりばめられることはなく、ただシールを貼ったような白さを葉のいちまいいちまいに塗られた樹がひとつふたつみられた。空気はぬるい。坂を抜けて街道前に立てば太陽は雲のむこうからいくらかすがたを透かしており、肌にたしょうのぬくもりが降りかかってくる。駅のホームにわたってさきへ、すこしむこうの踏切付近で機械をもちだして草を刈っているらしいおとがきこえていたが、ようすはみえなかった。線路にむかって立ち、電車を待つ。風はきのうよりひかえめであまり駆けない。丘のみどりのうごめきも鈍い。午前や昼下がりには部屋にいてもよくめぐっているのがきこえたが、雲が湧いたそのしたでうごきを抑えられたか。それでも立っているうちに線路沿いの草ぐさはふるえた。
 電車に乗って移動。山帰りの高年たちが多かった。降りる段になって老人らが出口のほうに狭苦しく寄せてきたりとか、降りてもむかいの乗り換え電車に席をとるためにせわしく急いだりとか、からだがちょっとぶつかっても声をかけるでも会釈でもないとか、ひととかかわらねばならず自閉のしにくい時代を生きてきたはずなのに、いまの世というのは年寄りこそ余裕がないようにみえるななどとおもった。駅を抜けて職場へ。勤務。(……)
 (……)
 (……)
 (……)
 帰宅後はきのうの日記を書くなど。夜半すぎに終わったが、投稿する気力はなくてそのあと休んでしまった。だらだらとだいぶの夜更かし。

2022/5/18, Wed.

 「アルビンさん、アルビンさん、ピストルをお離しになって。顳顬からピストルを。なんていうことをなさるの。アルビンさん、まだお若いんですから、きっとご丈夫になってよ。下の世界へお戻りになって、誰からも愛されるようにおなりになるわよ、本当よ。だからちゃんと外套を着て、横になって、毛布もかけて、養生なさいよ、ね。アルコールでからだをふいてくださる先生が見えても追い返したりするんじゃありませんよ。煙草もおやめになることよ、ねえ、アルビンさん。私たち、心からあなたのおからだ、あなたの大切な大事なお若いおからだのことを心配して、こんなにお願いしていますのよ」
 (トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、170)


 一〇時二〇分に起床。ゆめをふたつ。ひとつめは図書館らしき施設が舞台で、書架のあいだで本をみているさいちゅうになんだかよくわからないが緊急事態が発生した。モンスターだか暗殺者だかわからないがなにかそういうかんじのものが出たということだったとおもう。しかもそのなにかは目にみえない存在だったのではないか。それで書架の区画から出て、シャッターもしくは結界的なものが降りて区画が封鎖されるのをそのそとでながめる。区画内にはまだひとがけっこういて、早急な対応を優先するためにかれらは犠牲にされた。書架区画とそのそとにはもともと区切りはなく、フロアのなかに四角い空間がもうけられて自由に行き来できるようになっており、だから結界的な境界はすぐ目の前である。ちかくには(……)がいた。またもうひとり(……)もいて、かれのところに行って(……)さんが怪我をしただったかなかにとりのこされたとつたえようとすると、こちらのことばをほとんど待たずにかれは、ここにいるのみえる? みたいなことをきいてきた。それは少年の幽霊がすぐ横にいるということで、その存在をまったく感知していなかったがみてみると足の先か、ほんのすこしだけ瞬間的にみえるものがあったので、そのようにこたえる。(……)さんについてはそのあとおしえたはず。書架区画との境界のべつの辺、じぶんがさいしょにいてふたりと会ったのを右辺とすれば下辺にあたるぶぶんだが、そこに(……)さんがいて、身を低く、ほとんどたおれこむようになっている。(……)さんと仲の良かった女子である。もうひとり、(……)さんもいた。(……)さんはおそらく(……)さんがとりのこされて犠牲になったことに打ちひしがれていたのだとおもう。区画内をみると(結界は透明なのでなかのようすがみえる)、そこにはすでに書架の要素はなく棚もみえなかったが、ひとがなんにんかいるなかに(……)さんの生首があって、からだが地面(というか床か)に埋まってあたまだけが生えたようになっている。みているうちにその色がどぎつく変わるだったか、金属のように、あるいは絵のようになるだったか、端から作用がわたっていくようなかんじで丸ごと様相を変化させた。
 もうひとつは街道北側の歩道をあるいているとちゅう、(……)のあたりで(……)が前方から来て、すれちがいざまに腕をつかんで、(……)、と呼びかける。何年かまえの生徒である。二〇一七年か。とうじ中三で、勉強もぜんぜんできないし、不登校気味だったとおもうのでやっていけるのか心配していたが、たしかこちらの体調が悪くなってはたらけなくなり、行く先をみることができなかったのではなかったか? (……)は無言ながらなんらかの反応をみせ、すぐそこにある建物にいっしょにはいることになる。入り口をくぐるときにはもうひとり、少女の同行者が増えているが、かのじょは幽霊なのだという。しかしおどろおどろしいかんじはまったくないし、足もあるし、幽霊らしいところはなくてただのにんげんにしかみえない。建物内にはいると、さいしょの部屋は壁をつたうようにして移動しなければならないのだが、この建物も幽霊の場かなにかで、ルールにしたがわないと悪いことが起こるみたいな設定になっていた気がする。すこしだけ不安をおぼえた記憶がある。
 天気はようやくの晴れ。水場に行ってくると書見。ホッブズリヴァイアサン Ⅰ』。やはり分析哲学的なおもむきがつよい。49では、「 [名称が無意味になる場合の] もう一つはその意味が矛盾していたり、一貫していない二つの名前から一つの名称をつくるばあいで、たとえば「無形の物体」また〔同じことであるが〕「姿なき実体」その他数多くの名称がある。すなわち、ある断定が誤りであるばあい、その断定を構成するために結合され、一つにされた二つの名称はともにまったく意味を持たない。たとえば、かりに「四角はまるい」というのが誤った断定であるとしたとき、「まるい四角」はなにものをも意味しない。それはたんなる音である」とあって、この「まるい四角」の例はラッセルが論理学方面の著作でまったくおなじことを言っていた記憶がある。といってもじっさいにそれを読んだわけではなく(ラッセルは岩波文庫の『幸福論』だけ読んだことがある)、蓮實重彦が『「ボヴァリー夫人」論』のなかでもろもろのフィクション論者を批判しているそのうちのひとつとして「論理実証主義」を取り上げ、引用しているのを読んだだけだが。とおもって「読みかえし」ノートを探ってみると、以下のような記述があった。

 では、語られていることがらの真偽を確かめえない言説とは何か。かりにそれが「フィクション」だというなら、その言説はどのような言葉として組織され、現実の世界とどのようにかかわっているのか。その問題に直面して最初に困惑したのは、ゴットローブ・フレーゲ Gottlob Frege やその英国への紹介者であるバートランド・ラッセル Bertrand Russell をはじめとするいわゆる「論理実証主義」の哲学者たちである。彼らが、その困惑――それを間違っても「困惑」とは意識していなかったろうが――を、「論理」の世界からフィクションを「非在」として排除することによって解決しようとしたことはよく知られている。実際、ラッセルは、その名高い論文「指示について」(ラッセル 1986)で、ハムレットのようなフィクションの作中人物を、「『円い四角』、『2を除いた偶数の素数』、『アポロ』」(同書 71)などと同様に「非 - 実体的な存在者」(同前)とみなし、その語を含む命題を、その指示対象が「存在していない」という理由で、ことごとく「偽」とみなしている。したがって、「論理実証主義」によるなら、シャルルやエンマというフィクションの作中人物を含む『ボヴァリー夫人』のテクストは、「偽」の命題の連鎖にほかならないと結論される。その理論にしたがうなら、「ご自分をボヴァリー夫人に比較なさってはいけない。まったく似てはおられないのです」というルロワイエ・ド・シャントピー嬢に向けたフローベールの言葉もまた「偽」ということになろう。だとするなら、「論理実証主義」なるものは、そうした「偽」の言葉なしにこの矛盾にみちた世界が成立しているとでも主張しているのかと真摯に問わざるをえない。いったい、彼らは、「真」と判断される命題だけで、この世界の曖昧さや複雑さが記述しうると本気で信じているのだろうか。
 (蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』(筑摩書房、二〇一四年)、482)

 やはり「円い四角」である。これは例としてわかりやすいし、たぶんこういう方面の学問で定型句のひとつになっているのだろう。また、ラッセルは「非 - 実体的な存在者」をふくむ命題、いいかえれば指示対象が存在しない語をふくむ命題を「偽」とみなしているが、ホッブズは、それを無意味としている。もっとも厳密には、ホッブズは「命題」単位ではなく、ここではあくまで「名称」、すなわち語のレベルでかんがえているので、ラッセルのいう「非 - 実体的な存在者」が、ホッブズにとっては「まったく意味を持たない」「たんなる音」となるだろう。これをさらにいいかえると、「不条理」となる。それは「誤謬」すなわち「欺き」ではなく、あくまで「不条理」「無意味」だとホッブズは強調している(57~58: 「そしてことばが音声以外のいかなる概念も与えないときには、「不条理」「無意味」「ナンセンス」ということができる。(……)それは誤謬ではない。彼のことばは意味を持たない。つまり不条理なのである」)。
 ホッブズの言語論やそこからみちびきだされる推論についてのかんがえは、論理学的なおもむきがつよく、だからいまでいえば科学者(自然科学方面の学者)のいろあいが濃い。かれは推論を要素や部分(ことばであるならば「名称」)の「加算」「減算」による「計算」として数学的(あるいは幾何学的)にとらえている。したがって、推論によってただしい結論にいたるためには、まずさいしょに数をきちんと数えることができなければならないのと同様、ことば(名称)をただしく定義することが必須だということになる。「キケロがどこかで、哲学者の書物に見いだされるものほど不条理なものはない、といっているのはまさに真実である。その理由は明白である。すなわち哲学者にはだれひとりとして、自分が使おうとする名称の定義あるいは説明から自分の推論をはじめるものはない。この方法を用いてきたのはただ幾何学のばあいだけであった。幾何学の結論だけがそのために争う余地のないものとされてきたのであった」(58)。哲学と呼ばれるにんげんの思考が論証の数学的厳密さや真理につくのか、それとも詩的なことばの性質やレトリックにつくのかという点にはおそらく一種の緊張関係があって、ソクラテスいぜんの哲学者にとって哲学と詩はひとしいものだったのだが、プラトンの詩人批判からこれが分離され、詩すなわち文学は虚偽の言述であるとおとしめられ、真理を志向する哲学や教育のことばが優位に置かれたというのがこちらの理解である。その後、デカルトスピノザなども、哲学的な記述というのは数学に似て厳密かつ純粋に抽象的なものでなければならない、という理想を提示したというふうにもききかじっている。そこではしたがって文学的な要素はしりぞけられるか、すくなくともできるだけ混ざらないほうがよいノイズとみなされるはずだが、ホッブズもいっぽうではそのたちばをとっている。すなわち、比喩は真理にそぐわない、ということだ。ことばのつかいかたが不条理になってしまう原因を列挙する段で、かれはつぎのように述べている。「第六の原因は、そのことばに固有なもののかわりに、隠喩、比喩、ことばのあやなどを用いることにある。〔たとえば〕ふつうのスピーチでは、「その道がどこそこへ行く、あるいは導く」「諺はこうこういう」という表現は正当である。〔とはいうものの、道はけっして自分で行くことはなく、諺が話すこともない。〕 しかし、真理について計算し探求するばあいには、このような表現は許されるべきではない」(60)。したがって文学的言語に真理追求の役割をになわせることはできないということになるが、だからといってホッブズが文学の魅力をみとめていないということはありえない。なにしろかれはフランシス・ベーコンのもとではたらきその『随想集』をラテン語にするのを手伝ったらしいし(川出良枝による冒頭の解説、10)、著述のキャリアはトゥキュディデス『歴史』の英訳からはじまっており(11)、そしてなによりも最晩年には、『イリアス』と『オデュッセイア』の英訳に熱意をかたむけていたらしい(22)。ホッブズじしんうえの記述で、「ふつうのスピーチでは」比喩的な表現も「正当」だけれど、「真理について計算し探求するばあいには」適切ないいかたではない、と留保をつけているとおりだ。
 一一時半から瞑想。わりとよい。解放的。三〇分ほど。中学校のものだとおもうが、一二時らしきチャイムが聞こえたのでそれが鳴り終わったのを機に姿勢を解いた。上階へ。母親は出勤前の食事を終えたあたり。父親は山梨に行ったと。ジャージにきがえ、瞑想の余波で脚がしびれていたので台所でうがいをしながら麻痺がなくなるのを待ち、それから洗面所であらためて顔を洗ったり髪を梳かしたり。食事はきのうのスンドゥブをつかったおじや。それを電子レンジであたためているあいだ、居間に出て屈伸をしながらテレビのニュースをながめたが、ロシアがマリウポリを完全掌握した可能性とのこと。製鉄所で抗戦していた兵士や戦闘員の二六五人が「投降」したといい、ウクライナ側も、かれらは戦闘任務を遂行し終えたと発表したという。東部ぜんたいではロシア側の進展はない。その後食事をとりながら新聞一面でおなじ内容をふくんだ記事を読んだ。ゼレンスキーが「英雄」たちの生還を優先し、退避を指示したと。二六五人のうち重傷の五〇人だか六〇人くらいは親露派占領地域の病院にうつされたという。兵士たちは当初、身の安全の観点から第三国へ逃れることをもとめていたというのだが、果たせず。あつかいが大丈夫なのかなとおもう。ロシア国内のある議員だかは「裁きにかけるべきだ」と言っているらしいし、ほかの政治家とかもたぶんだいたい同様だろう。ウクライナ側は捕虜にしたロシア兵との交換をかんがえているというが、ロシアがそれに応ずるかもわからない。いずれにせよマリウポリはこれで完全に掌握されるみこみ。これはニュースでいっていたことだが、米国に観測によれば港に沈んでいるウクライナの船をロシア側が引き上げにかかっているらしく、航路を確保しようとしているのだろうとのこと。ほか、岡田利規三島由紀夫賞をとったという報をきのうみていたが、それで文化面に小欄がつくられていて、「ブロッコリー・レボリューション」というくだんの作についてすこし紹介されていた。タイに行ったときの「経験」を小説にしたかったという。なんだったかな、恋人に去られたひとが、タイにわたったあいての行く場所とか体験とかをこまかく想像しながら二人称で語っている、という形式だとか。選考委員の多和田葉子は、「小説の盲点をついている」とかいう評を述べたらしい。
 母親は一二時二〇分すぎごろに出勤に向かっていった。食器を洗い、風呂も。きちんと洗ったとおもっていても、どうも入浴時にいつも浴槽内部の下端にぬるぬるした感触が断片的にのこっているので、きょうはさらに念入りにこすっておいた。出ると白湯をもって帰室。Notionを支度し、一時からきょうのことを記述。そんなつもりはなかったのにホッブズについてが長くなって、二時までに現在時に追いつけず。きょうは三時台後半の電車で行こうかなとおもった。それだと準備にやや余裕がなくなるのだが。ストレッチを軽くやり、瞑想もみじかめにしばらく。そうして二時二五分で上がり、洗濯物をとりこんで、とりあえずタオルだけたたんでおくとスンドゥブののこりをあたためて持ち帰った。食す。白湯を飲むと歯磨きもそのまますぐにしてしまい、食器をもってふたたびあがるとそれを洗って片づけて、スンドゥブのはいっていたフライパンに水をそそいで火にかけているあいだに洗濯物ののこりを始末した。空には雲が湧いてみずいろがかくれたり淡くなったりしており、ひかりも薄っぺらになったが爽やかさはつづいている。洗濯物をかたづけてもどってくると、ここまで記して三時半。なんとか現在時。あとは帰宅後に一六日と一七日の記事を書きたい。きのうほぼ書いたので記すことはすくなく、たぶん行けるはず。


 スーツにきがえて出発へ。上階に行って靴下を履いたりハンカチをもったり手を洗ったり。玄関に置いてあるパッケージからマスクをひとつ取って顔につけ、扉を抜けた。(……)さんが杖をついてゆるゆるとあるいているところだったのであいさつ。しかし玄関前の階段上からかけた時点では反応がなく、鍵を閉めて階段をおりるところでこちらを向いたので会釈を交わした。もうひとり、向かいの家に来ている(……)ちゃんの仲間のひとり(からだのおおきめな女性)が家のまえに立ってなにやら家屋を見るようにしていたので、こんにちはとあいさつをかけてみちを行った。雲はあるもののさわやかな空気はつづいており、林縁の石段上では草がおおいに繁茂して、キリンのようにまっすぐながい首を伸ばしたさきで穂をゆらりと垂れさげている若緑の植物がおおく、カマキリの鎌めいたそれが群れなして草むらの波を生んでいる。坂道に入ると風の鳴りが樹々をはさんださきから聞こえ、みちの左側を縁取るガードレールのさきは林だがなかにひかりがさしこんで明暗の絵が生まれている。近くにある手前の樹々はおおかた蔭に沈んで緑が鈍いものの下り斜面のとちゅうから葉のうえにひかりの粒を石のように貼りつけ散らして無数の象嵌細工と化したものがはじまり、あまり見えないが底にながれている沢のあたりはひかりがやすやす入りこんで落ち葉を巻きこみすべて日なた、そのうえに立ち上るあかるさの柱かかけ落とされた絹膜のごとくひろがっている光線の、その向こうの木の葉はことごとく黄をまぜられた新緑をつよめていっそう晴れ晴れしい。みちのうえにも樹々の影がうつってほんのりゆらぎながらあいまに霊性じみた木漏れ日をつつんでいる。坂を出て横断歩道にかかるとここではひかりにさらされて、ワイシャツをまくったベストすがたできたがさすがに暑い。信号を待つあいだ東へ視線を放って青白い空と丘をみたり、マンションの脇に立った八重咲きの桜の葉叢がやはり色をそのまま注入されたようにずいぶん濃くて、凛としたビリジアンでゆれているのをながめたりした。西空に雲は巨大にあるのだが太陽はいまそのそとに逃れてあたりは陽の水、雲はみずいろの空のなかで輪郭をほの白くくぎりながらそのなかにもうひとつみずいろの地帯をつくりだしてクジラの腹をみあげるおもむき、ホームにうつってさきのほうに出ると陽射しはやや重いくらいで肌に染みる熱に息苦しさをおぼえ、マスクをずらして風を吸いながら丘のみどりがかきまぜられているのを見た。陽はかげり、薄らぐだけで消えきりはせず、また射す。
 電車に乗って移動。駅で降り、ホームをとおって、階段をすこしだけ小走りに降りてそとへ。職場に移動して勤務。(……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)退勤。帰路は最寄りを降りるとコーラでも買おうかと自販機に寄ったのだが財布に小銭がなく、また札も五〇〇〇円か一万円しかなかったので買えず。しかしそのまませっかくなので遠回りで街道沿いをあるき、すずしい夜風に肌をさらされて自由と解放をいささかかんじた。帰宅後は特段のこともなし。労働のあった日の夜は基本疲労でつかいものにならないからベッドで休みつつ書見などしてはやめに寝ようというまえまえからの教訓を活かそうとしたのだが、休んでいると二時を待たず意識を失ってしまい、半端なことになった。寝るならきちんと寝たほうがよい。