2021/11/26, Fri.

 (……)人が「対象(object)」を認知するのは「記号(sign)」を通してであるが、その「記号」はそれを解釈するもうひとつ別の記号作用の項としての「解釈項(interpretant)」を通してしか意味を持たない。対象と記号、そして、記号の解釈(記号の別の記号による解釈)のプロセス――これを「解釈作用(interpretance)」と言います――があって初めて対象の意味経験は成立するというわけです。つまり人間の精神が記号を使って事物を理解するという従来の立場に対して、人間の精神が行っていることは記号による記号の解釈のプロセスであって、そこにはもうひとつの記号から別の記号へという記号の解釈の連鎖がつねに介在しているというわけです。
 こうした記号解釈のプロセスがあって初めて対象についての意味の経験は成立するとパースは考えています。少し具体的なことを考えましょう。
 たとえば、春の菜の花畑で紋白蝶が飛んでいるのをある人が(end67)目にしたとしましょう。この場合、飛び交っている紋白蝶がパースの図式における「対象」です。「モンシロチョウだ!」とその人は叫ぶことも――心の中で呟くことも――できますし、たんにだまって自分の頭の中にある「モンシロチョウ」のイメージを思い浮かべて目の前を飛び交っている蝶と結びつけることもできます。名前あるいはイメージとしての記号「モンシロチョウ」がここでいう「記号」プロパーとしての「表意体」です。しかし、紋白蝶の意味経験は、「モンシロチョウ」という記号がどのような解釈項を持ち、どのような解釈作用のなかで受け止められていくかによって異なります。
 たとえば都会から行楽にやってきた家族が飛び交っている紋白蝶を見て「春らしいのどかな風景だな」と眺めるとしましょう。その場合には、紋白蝶と菜の花の風景はどこかで見た春の風景として〈頭の中にある春のイメージ図式〉を「解釈項」として解釈されます。記号「モンシロチョウ」は、そのような「解釈項」を通して、「対象」である目前で飛び交っている紋白蝶に意味を与えることになります。ところがその菜の花畑のちょうど隣でキャベツを栽培している農家の人が紋白蝶が飛び交う光景を見たとしたらどうでしょう。記号「モンシロチョウ」の解釈項は、その場合、「害虫の図式」であり、「今年はずいぶん害虫である紋白蝶が発生してしまっているな」→「早く駆除しなくてはいけないな」というような解釈の連鎖を生むことになるでしょう。
 このように「対象」は「記号」によって意味を付与されるのですが、「記号」の意味は(end68)それを解釈する体系(=解釈項)と不可分に結びついており、「解釈作用」を通して「対象」に意味を与えるのです。「対象→表意体(記号)→解釈項」というこうした記号プロセスの理解は、対象の知覚から、言葉やイメージによるカテゴリー化、そしてイメージ・スキーマによる解釈へという、現代の認知科学が行う説明原理と非常に近いことがわかります。
 「記号はあるものつまり対象の代わりをする」が、「記号はだれかに話しかける、つまりその人の心の中に、等値な記号、あるいはさらに発展した記号を作り出す」とパースが言うとき、述べられているのはこのような解釈作用のことです。じっさいすべての記号の意味はその記号がどのような別の記号との解釈関係に入るかによって決まるのですが、解釈項として連想にのぼる別の記号もまたもうひとつ別の記号との連想関係によってしか意味を持たない。そして、さらにそれ以後も同様です。対象を知覚する人間は、自分の心の中に「等値な記号、あるいはさらに発展した記号」を次々と作り出していく。ひとつの記号は、それを解釈する記号を作り出し、その解釈する記号もさらにそれを解釈する記号を作り出していき、そのプロセスは無限の連鎖をかたちづくっていく。このプロセスが「無限のセミオーシス(semiosis 記号過程)」です。
 (石田英敬現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)、67~69)



  • この日のことは三〇日現在いままでなにも書いておらず、マジでちっともおぼえていない。かろうじて記憶にのこっているのは、最寄り駅からの帰り道で坂をおりているときに、きのうの『ロトの紋章』のイメージのことをおもいかえしていると、頭上から一本たれさがった蜘蛛の糸のさきに薄褐色の落ち葉がくっついて弱い風のながれにくるくるふるえているのを見たことで、魚を釣るため水中でうねうねおどっているゴカイかなにかの餌のようだなとおもったのだった。あとは勤務中のことだがそれもたいした印象事はない。(……)

2021/11/25, Thu.

 パースが西欧の哲学的伝統から受け継いで発展させている記号についての考え方に、記号を、それが指す事物との関係に基づいて定義する、記号代替説があります。記号とは何かの代わりをしているものだという考え方です。たとえば、「木」という言葉を考えてみますと、「木」という記号は、実物の木の代わりをしているわけですから、そのときに記号「木」は、実物の木の代替物であり、記号とは対象の代わりであると考えることができます。こうした記号観は記号についての西洋の伝統的な定義のひとつでもあるわけです。
 それを発展させて、パースは次のように提示しました。

 「記号(sign)あるいは表意体(representamen)とは、ある人にとって、ある観点もしくはある能力において何かの代わりをするものである。記号はだれかに話しかける、つまりその人の心の中に、等値な記号、あるいはさらに発展した記号を作り出す。」(「記号の理論についての断章」一八九七年 [註10: C・S・パース(一九八六):『パース著作集2 記号学』、勁草書房、二頁] )

ここに述べられているのは、ひとつには、記号が指している対象の代わりになるという記号代替説です。しかし、それだけではありません。記号に基づいて人間が推論を連ねていくことによって、さらに人間は自分の心の中に様々な記号を作り出しているという考えが述べられている。この「人の心の中に等価な記号、さらに発展した記号を作り出」しているというところが、パースのオリジナルの視点なのです。ひとつの記号を受け取って、そこで理解が成立するというのではなくて、記号はさらに別の記号と結びつくことによって様々に解釈されていく、そのように次々と記号を繰り出し、意味を作り出している活動こそが解釈である。このように記号処理の連続的プロセスとしての生命の意味活動を捉えようとするのです。
 (石田英敬現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)、65~66)



  • 一一時一三分の離床。このあたりのことはあまりおぼえていない。瞑想はたしかしたとおもう。食事にはハムエッグを焼き、あと母親がシチューをつくってくれていたのでそれをいただいた。したの元(……)さんの宅にあたらしい入居者が引っ越してきているようだと母親は知らせてきた。たしかに、寝床にいるあいだに、オーライ、オーライという(おそらくは女性だったとおもうが)トラックかなにかを誘導する声が聞こえていて、ふだんそんな声はこの付近では耳にしないので、なんだろうとおもっていたのだ。じゃああいさつするようじゃん、というと、たぶん遭遇したのは父親だったのだとおもうが、あとで来ると言っていたらしい、とのこと。その父親はこちらが居間にあがったのとほぼ同時くらいにでかけていったが、入院していた祖母がきょう退院するのだという。祖母も正直もうあまりながくはないだろうし、死ぬまえに一回くらいは顔をあわせておきたい気はする。たぶん、むこうはこちらのことをもうおぼえていないか、顔におぼえはあるとしてもなまえやだれだという認識は出てこないとおもうのだが。
  • 二時から美容室を予約してあった。起きて瞑想したなら階を上がったころにはもう正午に達していただろう。食事やもろもろを終えて帰室すると一二時四〇分かそこらだったはず。そこから二時までの時間は「ことば」ノートの石原吉郎の文を読んだり、ベッドでだらだらしつつ脚をマッサージしたりした。工藤顕太「「いま」と出会い直すための精神分析講義」をどんどん連続で読んでいったはずで、このときだけではなかっただろうが、この日で第六回から第一一回まで読んだ。一時四〇分くらいになると身支度へ。GLOBAL WORKのカラフルなシャツにブルーグレーのズボン、モスグリーンのモッズコートというかわりばえのしないかっこうで、そろそろあたらしい服がほしい。冬に着るものとしてふさわしいようなシャツがないし、腹まわりも痩せたため、ベルトなしで履けるズボンが青灰色のそれしかないのだ。もうひとつ、褐色ひとつでまとまった無地の、やや毛のような質感をふくんだズボンもあるのだけれど、それがいぜんはちょうどよかったのがゆるくなってしまい、履いているとたびたびもちあげなければならないのが面倒臭い。そして茶色のほそいベルトを持っていたはずが、なぜかどこにもみあたらないのだ。なにかの機会に父親に貸したりしてそのままなのだろうか?
  • 出発。カエデの赤はきょうも空にくっきり映え、そのとなりではなんの種かわからないが柑橘類の木が実をふとらせていくつもぶらさげており、それはしかしまだあかるい黄色にはたどりつかず、青さのおおい未熟児だった。林のなかをまっすぐくぐっていくほそい坂道へ。足もとには落ち葉がたくさん散らかっており歩をすすめるごとにくしゃくしゃという音が立つけれど、とはいえまだほんとうに埋め尽くされたというかんじではなくじゅうぶんにすきまがあって、靴がそこにはいって擦過音を生まない一歩もある。うえの通りがちかくなると道の形態が変わって幅のおおきめな段が両側に配されたかたちとなるが、そのまんなかをとおる苔むした坂のうえには灰色の、ほんとうに白っぽい炭のような色をしたおおきな葉っぱがいくらか落ちていた。おもてに出ると坂をのぼってきて苦しかったのでマスクをずらして呼吸をととのえ、道をわたって店へ。先客に高年の婦人がひとり。あいさつをしてモッズコートを吊るしてもらい(財布をポケットに入れたままだったが、とられる心配はなにもない)、洗髪台へ。美容室でのあおむけになっての洗髪はそこそこ苦手な時間である。いまよりもパニック障害の残滓がもっと色濃かったむかしはふつうに緊張したし、あと脚のマッサージとかストレッチとかをきちんとやるようになるいぜんは首が硬かったので、やや苦しかった。いまではもはや緊張や不安はかんじないものの、今回は洗われているあいだに喉のほうで分泌される唾とかが飲みこみにくくてすこしわずらわされた。髪を洗うと鏡のまえで椅子につき、一二月一八日に友人の結婚式に出るので今回はそんなに刈りすぎず、とあたまのうえのほうは多少のこしてもらうことにした。周りはバリカンをつかって削ってもらう。それで会話をしながらあたまを処理される。話題としてひとつおぼえているのは秋篠宮眞子内親王(いまでは小室眞子と呼ぶべきなのだろうが)の件で、もうひとりの客だった婦人がパーマをかけて待っているかなにかのあいだに(……)さんにそのはなしを振っており(たぶん週刊誌を見ていたのではないか)、それを拾ってこちらの髪を切っていた(……)さん(ずっとなまえに自信がなかったのだが、今回確定した)も俎上に載せたのだった。まあみんな小室圭氏にも結婚にも批判的なようすで、まず話題をもちだした婦人は小室氏について、なんか軽いでしょ、軽いかんじがして、皇族と結婚するのにあれじゃあ、みたいなことを言っており(なにかの会見のときだろうか、髪をしばってきたでしょ、あれにはおどろいた、あれでいいの? っておもった、とも言っていた)、(……)さんはそれにおうじて、軽いのはいいけど、嘘をつくのはねえ、と苦言を呈していた。じぶんはこの件にとくだんの関心がないし情報も持っていないので、小室圭がなにについて嘘をついたと言われているのかわからない。そういうはなしを受けて(……)さんもいろいろ言うわけだが、なかでひとつ、金銭問題が取りざたされている小室氏の母親について、あのひとは常習犯なんだって、むかしからそうで、だからたたかれてもぜんぜん気にしないって、息子をとにかくああいういいところに行かせたいって、それでいろいろやってきたみたい、というような言があった。(……)さんはさらにそれに類する例として、イギリスのチャールズ皇太子のむすこさんいたでしょ、その奥さん、なんていったっけ、と挙げたので、なんですっけ、メーガンでしたっけ? 女優かなんかだったひとですよねと受けると、あの女性の家庭も親が娘を上流階級の仲間入りをさせたくて必死で、ヘンリー王子の好みをいろいろ調べあげて、それに合った服を着せたりとか、目にとまらせよう気に入らせようと画策していたらしい、という情報がかたられた。そういったゴシップ的なうわさの情報源というのは、おそらく週刊誌か、店に来る客との会話がメインだろう。元内親王の結婚にかんしてはふつうに興味がないし言いたいこともとくになかったので、でもあの小室さんのほうもよく皇族と結婚しようとおもいましたよねえ、めちゃくちゃたいへんでしょ、という最大限にあたりさわりのないことしか口から出てこなかった。じっさい、ほんとうにそれくらいの感想しかない。
  • もうひとつには(……)さんがさいきん負傷したというか、腕をひっぱられてすじをやったというはなしがあり、それは客の老婆が立つときに手を貸してくれというので支えようとさしだしたところ、いきなりぐいっとひっぱられて怪我をしたのだという。それで腕があがらないようなありさまになり、また朝起きるときなども上半身がかたまって容易にうごかせず、難儀する時期がいくらかつづいたと。腕がうごかないのではしごとにならないので、店もしばらく閉めなければならなかった。それでさいしょのうちは気持ちがわりと沈んでいたのだが、根っこのところで気がつよいほうだからだんだんと怒りがまさってきて、あんのクソババア、ぜったいゆるさん、と寝床で憤慨していたというが(老婆のほうはたいしたことも言わずにさっさと帰ってしまったらしい)、それもおちついてくると、まあじぶんももう若くないのだから、だいぶの歳なのだからという自省に転じ、また友だちにその件をはなしてみても、あなたねえ、そもそも還暦をこえてまだやってるのがねえ、ふつうだったらもう引退してる歳なんだから、とむしろたしなめられるような調子だったという。世話になっている整体の先生にも、(……)さん(とここでほんにんの口からじぶんの名字が漏れたので、ようやくなまえが確定されたのだったが、(……)という名はたしかこうじゃなかったかとこちらがおぼつかなげにおもっていた名と一致していたので、いちおう記憶は合っていたのだ)、そのおばあさんはあなたになにかを教えにきたんですよ、といわれたというので、坊さんみたいなことをいいますねと笑うと、そう、ちょっとほかのひとと見方がちがう先生なのよ、坊さんみたいな、とかえるので、整体なんかやってるとやっぱり東洋のあれですかね、中国の仙人みたいな、とてきとうなことを言った。
  • あと、いまここでは整髪料って売ってないですかとたずねると、お客さんの注文を受けるということはしているが、ふだんから店で売っているわけではないという返答があった。なにかいいものがあれば切りたてでみじかいうちは多少セットするかとおもっていたのだが(いちおう家にもARIMINOのやつがひとつあるにはあるが)、それではしかたがない。しかし、この日さいごに髪につけてくれたやつがもうのこりすくないからと無料でくれるというので、遠慮しながらもありがたくいただいた。これはたぶんほんとうは女性もので、ミルクタイプというのか白い液体の整髪料である。(……)さんによればさいきんはハードなやつできちんと固めるというひとはあまりいない印象だとのこと。だいたいみんな、しっとりと濡れたようなかんじでながすくらいのスタイルにしていると。
  • こちらが髪をやってもらっているあいだにもうひとりの客だった婦人は終わって帰っていったのだが、帰りぎわに入り口脇のレジのところで(……)さんとつぎの予約をしていたようで、年内にもういちど来るかどうかみたいなことを言っているときに、こちらの脇で髪を切っていた(……)さんは、ささやき声で、やらなくていいとおもうんだけどな、こなくていいとおもうんだけど、と漏らしていた。どうも、けっこう注文がおおくてたいへんな客のようだった。しかしあのくらいの声のかんじだと、婦人にもあるいは聞こえているのではないかという気がしたのだけれど、むしろそれを意図していたのか、あるいは婦人の耳の能力を熟知していたのか。じぶんの調髪が終わったのは三時すぎだった。レジで会計し、整髪ミルクとカレンダーを入れたちいさな紙袋を受け取ると、よいお年を、とふたりにいわれたので、まだ一一月なのにと笑いながら礼をかえし、あいさつして退出。街道にはまだ太陽のひかりが西からまっすぐふりそそいでおり、視界がまぶしく染められた。とおりをわたって来た道、林のなかの坂をくだっていき、家のほうにあるいていきながら見上げると、だんだんと高みにむけて引きつつあるあかるみが林のうえのほうにはまだかかっており、竹は葉の緑をおだやかにしつつ淡緑の幹を薄白さと化していた。
  • 帰宅して室にかえるといったんジャージにもどってだらだらした。いつもどおりベッドにころがって脚をほぐしていたわけだが、たぶん工藤顕太「「いま」と出会い直すための精神分析講義」を読んでいたはず。(……)でのイベントは七時から、電車をしらべると五時半くらいのものがちょうどよかったが、どうせ(……)に行くならひさしぶりに(……)にも寄ろうかなという気持ちも起こっていた。一時間くらい見てまわるとして、それなら四時台の電車に乗るのがよいが、その時間を日記などにつかったほうがよいのではないかという迷いもあった。本を買ったところですぐには読めないといういつもながらの事情もある。しかしけっきょくは欲望にしたがおうと結論し、四時台の電車で行くことに決めて、そこにまにあうように身支度。出るまえにおにぎりをひとつつくって食ったはず。
  • かっこうはさきほど美容室に着ていったものとまったくおなじである。リュックサックを負って出発。最寄りまでの道のことはもうわすれた。電車に乗って移動し、乗り換えがすぐだったので山帰りのひとびととともにすぐ手近の口に乗り、揺らされながら前方へ。二号車のとちゅうについて、さいしょのうちは瞑目にやすんだはず。(……)あたりで本を読みはじめたのではなかったか。いずれにせよ電車内においてたいした印象はのこっていない。(……)につくと降車。すわっていたためにかたまったからだを背伸びでほぐし、リュックサックを背負って改札へ。エスカレーターをあがっていき、出るまえにトイレに寄った。そうして改札を出るとSUICAの残額がややこころもとなかったので券売機に寄ってチャージし、北口方面へ。毎年のことで駅前はロータリーのなかにイルミネーションがほどこされており、試験管のなかをつたい落ちる液体めいて緩慢に下降するひかりが気に入りだと去年かおととしの日記に書きつけた記憶がある。一年前か二年前は青いひかりでそれがおこなわれていた記憶があるのだけれど、この日見たのは白いもので、それも数はすくなくほとんどひとつふたつしかなかった気がする。ロータリーまわりに何本も立っているイチョウの木にもやや無造作な調子で白い光の線がかけられて、こずえをいくつかにわけるようになっている。駅前には高いビルがいくつかそびえており(とりわけ上部にあらわした大文字を赤くひからせた白木屋のビルがめだつ)、それをくっきりくぎりながらつつみこんでいる空は黒々と濃密で、意外なほどに高い。通りをわたって(……)へ。店外の棚をまず見たが、ほしいほどのものはなし。フォークナーにかんする英語の研究書がいくつもあった。入店し、レジのほうに寄ると(……)さんがいたので、こんにちはと声をかけてあいさつ。お元気でしたか、お変わりないですかとかたがいに交わして、無事をことほぐ(などというとおおげさすぎるが)。それから店内を見分。だいたいいつもそうだとおもうが哲学の区画から見はじめて棚をたどっていく。入り口から見ていちばん右の通路を奥にすすみ、左をむくと、棚の端はドゥルーズとかレヴィナスとかそのあたりのいわゆる現代思想があつまっている。そこから左に、つまり入り口のほうに推移していくと、哲学のほかに海外の文学研究、歴史(たとえばフィリップ・アリエスとか(この日はなかったとおもうが)ジャック・ル・ゴフとかそういったものや、アナール学派方面の著作)、日本の文芸批評のたぐい、むかしの日本人の作家の文学的エッセイのたぐい(渡辺一夫とか粟津則雄とか杉本秀太郎とか)、幻想怪奇方面(中井英夫全集かなにかがあったはず)などがある。この一連のならびの時点でまず、前回来たときにも目にして気になっていたものだが、石川学『ジョルジュ・バタイユ 行動の論理と文学』に目をつけており、これは買うかとおもっていた。そのとなりにはバタイユ著作集のうちの『聖なる神』というやつもあって(なかをのぞくと「マダム・エドワルダ」がはいっていた)、安かったのでこれも買っておこうと決めていた。もうひとつ、中山元が書いたハンナ・アーレントの評伝らしきけっこうおおきな本があり、世界にたいする愛、みたいな副題がついていてわりと気になったのだけれど、これは今回見送った。また、アドルノの著作で『不協和音』というのがあって、「管理社会における音楽」という副題を見るかぎり、これはたぶんジャズを批判しているやつだなとおもって、一〇〇〇円くらいでやすかったのでこれも買っておくかとこころにとめておいた。そして、棚のいちばん左側(入り口にちかい側)、幻想怪奇系の本のいちばんしたには日本の古典文学関連がすこしそろえられていて、そこに古典文学全集の『方丈記』の巻と『土佐日記』および『貫之集』の巻があったので、これらも買っておくかとおもっていた(じつのところ『土佐日記』の巻はいぜん買ったような気がしないでもなかったのだが(あるいはこのおなじ場所で見てそのときは見送ったのだったか、記憶に判定がつかなかった)、五〇〇円くらいで安いしべつにかぶったならそれでいいやとこだわらなかった)。それからふりむくと、壁際のそこはレジにちかいほうから美術・写真、演劇・映画、音楽、建築という芸術分野のならびになっており、美術のところで、こまかいことはわすれたが水声社のおもしろそうな本があったり、ジャコメッティの『エクリ』があったり、あとみすず書房のなにかもあったような気がするが、それらはすべて見送った。それから通路をひとつ内側にうつるとそこは入り口から見て右側が海外文学や詩、左側が短歌俳句や日本文学という構成で、いろいろ興味をひかれるものはあるけれど、この日はこれからイベントにでむくわけで、そうするとあまり大荷物になってもたいへんだからとあらかじめ冊数を制限するこころがはたらいていたので、あまりとりあげず。また、そろそろ時間がせまってきているという事情もあった。詩歌のたぐいももっと読みたいところではあるが。詩の棚でおぼえているものとしては田中冬二全集みたいなものが三巻くらいあったはずで、田中冬二という詩人についてはこまかいことをまったく知らないのだけれど、このあいだ偶然職場で読んだ文章のなかに出てきたひとで、そこに載っていた詩はセンチメンタルだがみずみずしくてよさそうなものだったので(街に時計(わりとおおきめの振り子時計のはず)を修理しにいってもらった少年が、修理の終わったその時計を背に負いながら星空のもと雪の道をあるいて帰ってくるみたいな内容で、「ぼむ ぼむ ぼうむ」とかいう独特のおもしろい擬音がつかわれていたのだが、それはたぶん少年のこころもしくは記憶のなかで鳴っている時計の音ということだったのだろうか? あまりきちんと読まなかったのでわからないが、あと、夜空に浮かぶ星のかがやきを「あられ酒」にたとえていた)、あのひとじゃんと目にとめた。海外文学の区画だとアポリネール全集なんかも気になるのだがおおきくて重そうなのできょうは捨て置き、そのそばにあったランボーのほうに注目した。粟津則雄訳の『ランボオ全詩』というやつで、じつのところランボー河出文庫の鈴木創士訳も持っているし、金子光晴とあとだれかふたりが共同で手掛けたランボー全集みたいなものも持っているのだけれど、ランボーはすごいらしいからいろんな訳を持っておいてもわるいことはないだろうとこれを買うことにした。ところで『ランボオ全詩』のとなりにはおなじく粟津則雄訳の、『ランボオ全作品』だったかわすれたけれど、なにかちょっとだけ文言がちがうおなじような本があって、これどういう区分なの? とおもったのだが、目次を見るかぎりでは内容も同一のようだったので、たぶん版のちがいだろう、古いやつを出しなおしたのだろうと判断し、それで出版年がよりあたらしかった『ランボオ全詩』のほうをえらんだのだった。その他、文庫の棚や、店内左側奥の東洋文庫があるあたりや(この区画にキリスト教神学がひとつのカテゴリとしてあつまっていてカール・バルトとかボンヘッファーとかの関連があったが、これはいぜんはなかったあたらしい区分だとおもう)、政治方面の本や時評的なものなどもちょっとだけ見たが、いますぐ買うほどのものはないし、そろそろ時間もないというわけで会計へ。買ったものの一覧は以下。

・石川学『ジョルジュ・バタイユ 行動の論理と文学』(東京大学出版会、二〇一八年)
木村正中 [まさのり] 校注『新潮日本古典集成 土佐日記 貫之集』(新潮社、一九八八年)
・三木紀人 [すみと] 校注『新潮日本古典集成 方丈記 発心集』(新潮社、一九七六年)
・Th. W. アドルノ/三光長治・高辻知義訳『不協和音 管理社会における音楽』(音楽之友社、一九七一年)
生田耕作訳『ジョルジュ・バタイユ著作集 第五巻 聖なる神 ―三部作―』(二見書房、一九九六年)
・粟津則雄訳『ランボオ全詩』(思潮社、一九八八年・改訳版)

  • 七七〇〇円だった。一万円を出す。レジ台のうえにはこれから整理や掃除や値付けなどして棚に出すのだろう本たちが積まれているが、そこにバタイユ著作集が数巻あったので、それも見たかった。しかしまたの機会に。紙袋を受け取って礼を言い、退出。駅のほうにもどっていく。すこし行ったところで袋を地面に置き、持つものをすこし軽くしようと三冊リュックサックにうつした。そうしてふたたびあるいて駅へ。そこそこの疲労感や、からだが熱をもっているかんじがあったはず。駅舎にはいるとそのままコンコースをとおって反対側に抜けていき、エスカレーターを下りて通りへ。(……)をしばらくまっすぐ行って「(……)」という店があるビルの五階だということだった。それで周囲の店々をながめながらまっすぐすすんでいく。なかなかそれらしいビルが見えてこないなとおもいながらすすみ、だんだん駅からはなれてひかりのすくない雰囲気になってきて、道のさきに夜空の黒がめだつようになってきたので、五階建てのビルとかあるのか? とおもっていると、くだんの看板が発見されたのでここだなとなかにはいった。なぜかすこし緊張していた。エスカレーターをつかわず、階段を五階までのぼっていくと、狭い階段通路のとちゅう、室のまえ(エスカーレーターを降りて目のまえでもある)にスタッフの男性がいたのでこんにちはとあいさつし、なまえをもとめられたので息をととのえながら、(……)と申しますと名乗った。男性は手にもった予約客の名簿からこちらのなまえを確認して消し、代金は一五〇〇円だというので二〇〇〇円で支払った。そうしてアルコールで手を消毒してからなかへ。(……)というなまえは過去にもどこかで目にしながらはじめてきたわけだけれど、そうおおきくはなく愛想のないような室で、はいってすぐ目のまえにはスツール的な足高の椅子がいくつかならんでおり、そこから右手にふつうの椅子の席が二列あった。さらに右方にむかって奥の壁際は講演者のスペースである。好きな席にということだったので、前列の右側三席のうち左端についた。左脇が通り道としてすこしひらいている場所である。本のはいった紙袋を右隣の椅子とのすきまに置き、リュックサックを足もとにおろした。二列の椅子席はたぶん前列が五席か六席、後列はそれとおなじかすこしだけ多かったのではないか。(……)
  • 七時の開演まではまだ一〇分ほどあったが、とくになにをするでもなく椅子に座ったままあたりをながめながら待った。室内はさしてひろくなく、殺風景で仄暗いようなスペースで、壁は全面真っ白に塗られており(といっても純白というほどきれいな白ではなさそうだった)、床は薄灰色めいたくすんだ色調のうえになにかものをこすったあととか靴が行き交ったあとと見える淡くて乱雑な線や痕跡が無数にえがかれている。天井は黒っぽい鼠色というかそんなような色合いで、あれはなんなのかわからないのだが頭上ではあちこちに、突起が整然とならんだ板状のものがとりつけられており、見たところではゴムっぽいような素材におもわれたのだが真実は知らない(防音用の、音を吸収するようなものなのか?)。突起がたとえば六個×六個でならんで正方形をつくっているようなもので、もっとおおきなサイズもあったが、すべて縦横の突起がおなじ数の正方形だったとおもう。ライトは講演者のテーブルを越えた最奥に四つ(正面の壁の最上部の中央には一見すると意図的にあけたのではなくあやまって破壊したようなちいさな穴があった)、頭上付近ではひとつの列には六個だったか八つくらい、それよりうしろにはまた四つの一列があった。テーブルは特徴もない、白くて横にややながいもので、三人それぞれのためにスタンドをつかって外側からマイクが配され、顔がくるだろう付近にむけて伸ばしてあった。テーブル上には今回のトークに関連する書籍がいくらか。右手の壁のとちゅうにはごくちいさなスペースが奥にひらいており、それは申し訳程度の水場らしく、水道らしきものとその下に雑多に詰めこまれた器具類や、湯沸かしのパネルらしきものが暗がりにのぞいていた。そのとなり、客席から見ると奥にはトイレ。さらにその奥、正面壁のいちばん右にはとびらがもうひとつあって、その奥はたぶん楽屋的なスペースになっているのだろうが、いまはあかりがついておらず暗いためにどちらかというと非常階段につづくような雰囲気がかもしだされており、わずかにのぞいている範囲に柵のようなものが見えていたのもその印象をつよめたのだろう(一段たかくなったような場があるようで、そこに柵らしきものがもうけられているように見えた)。そのうちに三人あらわれてそろい、テーブルについて、佐々木敦がスタッフに合図をしてそれまでかかっていた音楽(抑制的な女性ボーカルの洒落たものだった)がフェードアウトしていき、照明がしぼられて開始。客席から見て左から佐々木敦、古谷利裕、山本浩貴という席順。(……)山本浩貴は雰囲気としてはいちばんスマートというか、語り口もおちついており、また席についたりあるいたりするときの物腰もわりとゆっくりしたかんじで、知性的な若者という印象だったが、このイベントは佐々木敦が彼にやろうともちかけたものらしく、そのときにいちおう司会進行をまかされたということだった。それを意識してかはじめのうちは彼がふたりにむかってはなしを振り、発言を配分するような役目をすこしになっていたし、佐々木敦がはなしたことを要約してくりかえし、整理してみせるような場面もあったのだけれど、時間がすすむうちにそのあたりはあいまいになって、山本浩貴もじぶんのかんがえを積極的に披瀝するようになり、全体として観客にむけた説明とか配慮とかはほぼなくして、つまり観客のほうをむいてしゃべっているというよりは、三人がたがいのほうをむいていろいろ語っているのを横から客が見るというかんじの趣向になった。山本浩貴は基本的にですます調のていねいなことばづかいで語っていたのだが、ときおり、「~~なんですけど」ではなく、語りのとちゅうで「~~だが」「~~なのだが」というかたい逆接をはさむことがあり、その後の発言の切れ目もしくは文末ではかならずですますに回帰して対話あいてを志向するのだけれど、この「~~だが」の時点では反省的にじぶんのかんがえを言語化するほうによりフォーカスしているというむきがつよく、格式張ったようなその逆接がなかなかおもしろく耳に立って印象的だった。全体をとおしてたぶん五回から七回くらいは登場したとおもう。あとはじぶんがこれから言うこともしくはいましがた言ったことにたいして、~~ですけど、という留保や付記的なことわりを足すことも何度かあり(たとえば、そう断言するのは慎重にならないといけないですが、みたいなこと)、これはメタ認知の能力(自己相対的反省性)をそなえた知的に慎重な人間に典型的なふるまいというかんじ。
  • トークは七時ごろからはじまってたぶん八時半くらいでいちどみじかい休憩がはさまれ、さらに一時間半つづいて一〇時ごろで終了となった。前半は佐々木敦『半睡』についてのもろもろにほぼ終始し、後半は古谷利裕および山本浩貴の作品についてや、より一般的な話題が展開された。はじめに山本と古谷の『半睡』についての感想や、それを受けた佐々木敦の自作説明あるいはネタばらしのようなはなしがなされたが、おもいだせる順につづっていくと、まず古谷が、「偽日記」には書かなかったけれどと前置いて、インターネットがあることを前提にしてる小説だなとおもった、と言い、それにおうじて佐々木がそのあたりをいろいろと説明していた。「偽日記」で読んだ記述やこのトークのあいだにはなされたことによれば、『半睡』は二〇一二年の三月一日からはじまって、二回断絶をはさんで四年ずつ飛びながら二〇二〇年三月一一日までのことを語った手記という体裁をとっているらしく、登場人物としては語り手もしくは手記の書き手である「私」と、その「私」と恋愛関係にあったらしいふたりの女性「N」と「M」、それに「私」の友人か知人で作中作『フォー・スリープレス・ナイト』の作者でもあるらしい「Y・Y」という人間がメインのようだ。「偽日記」によればNとMというふたりの女性は村上春樹ノルウェイの森』の「緑」と「直子」という人物に対応しているらしく、佐々木敦いわくそれは読めばだれでもわかるようになっているらしく、この小説は『ノルウェイの森』の主人公が生まれ変わったもの、いわば「転生もの」なのだと言った(そうだったのか、という笑いが起こっていた)。主人公の「私」が一九七五年生まれと設定されているのもそこから来ているらしい(じぶんは『ノルウェイの森』を読んだことがないのでよくわからなかったのだが、これは要するに『ノルウェイの森』の主人公が三七歳だから、二〇一二年時点で「私」を彼とおなじ年齢にしたかったということのようだ)。佐々木敦が語っていたネタばらしのたぐいをさきに書いておくと、大枠としては夏目漱石の『夢十夜』を逆転させた趣向になっており、『夢十夜』のほうはたしか「こんな夢を見た」からはじまって、第一夜はもう死にますという女が出てきて、浜辺で砂を掘ったり一〇〇年待てますか? みたいなやりとりがあったり天からしずくが落ちてきたりしていた記憶があるけれど、『半睡』のほうはさいごでもう死ぬみたいなかんじになっているらしい。佐々木敦じしんのアイディアは二〇一二年の二月末に吉増剛造と対談した日があって、その夜になぜかねむれなくなり、かんがえるともなしに小説のアイディアがあたまにおもいうかんできて、そのときに『夢十夜』を逆転させたらどうかという着想をえたという(だからY・Yは、モデルというようなひとはいないが、その「Y」はひとつには「吉増」のYでもあると言っていた)。『半睡』というタイトルにせよ、『夢十夜』の参照にせよ、また『フォー・スリープレス・ナイト』という作中作の題にせよ、眠りにまつわるテーマがこの作品のなかには横溢しているようなのだが(佐々木じしんも言及していたが、『フォー・スリープレス・ナイト』というのは岩波文庫にもはいっているヒルティの『眠られぬ夜のために』を取ったものである)、そもそも書き出しからして、『失われた時を求めて』の冒頭をもじった文章になっているらしく、そういうかんじでいろいろな作品から一部引用したりパスティーシュ的にちょっと変えて書いたりした部分がかなり多いようだ(ついでにここに書いてしまうが、『失われた時を求めて』の冒頭では語り手が本を読んでいるうちにねむってしまっていつの間にか蠟燭が消えて部屋が暗くなっていることに気づかない、というような記述があるのだけれど、『半睡』ではそれが部屋の電灯に変えられており、ということはこの「私」には彼がねむってしまったときに電灯を消してくれる存在があるということなのだ、と佐々木敦は説明した。それはつまり「私」がNやMだけでなくいろいろな女性と関係をもっているという可能性をにおわせた要素であって、したがって佐々木のことばでいうならばこの「私」はかなり「ヤリチン」なのだと。古谷利裕は「偽日記」上で作品内の時系列を整理して、NおよびMとの交際期間がかぶっていたのかどうなのかいまいちはっきりしない、NだかMが、わたしはあなたがほかの女と会っていることも知っているんですよみたいなことをいうけれど、そのほかの女がもうひとりのことを指しているのかどうかあいまいであると述べていたが、佐々木敦としてはそれはNおよびMとの交際期間がかさなっているということではなく、ほかにもたくさんの女性とあそんでいる男として暗示的に造形していたのだということで、この「私」はなやましいようすで誠実ぶったり、じぶんがおかしたらしいなんらかのおおきな裏切りを後悔するようすを見せるのだけれど、そういう放埒な性的関係のことはなにひとつ書いていないわけで、だからじぶんにとって都合のわるいことがらを隠しているのだということになるが、そのへんについてはまたあとに記すことになるだろう)。作中に書かれているできごとも(二〇〇〇年代の文化的風景とか演劇界隈のこととかがしるされているらしいのだが)、じっさいのできごとや歴史的情報をもとにしたものがおおいようで、それがようするに古谷が言っていたインターネットがあることを前提としているということの意味である。つまり、作中でかたられたり言及されたりしているできごとや固有名詞をちょっと検索すればその詳細がわかるようになっているということで、インターネットがなければいちぶの教養あるひとにしかわからない衒学的な作品になってしまったかもしれないのだが、グーグルのちからでそれは回避されている。なにしろ佐々木じしんもネットを活用してじっさいのこまかな時系列などしらべながら書いたといい、そうしているなかで鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』も出てきたのだという。『半睡』のなかではこの作品がテーマもしくはモチーフ的に全体につうじるような重要な役割を果たしているらしいのだけれど、これはもともと「私」とNだかMだかのどちらかを再会させたいとなったときに、その動機がおもいつかなかった、それでいろいろしらべているうちに『ツィゴイネルワイゼン』が二〇〇一年に再上映されていたという事実に行き当たり、これを契機とすることに決め、そこからひろがっていったのだと。そういうかんじで、元ネタにする事実情報などをしらべているうちに、芋づる式にというか、引っ張られるようにして内容がふくらんでいってできたということだった。元ネタにかんしては雑誌掲載時には作品のあとにかなりこまかい一覧をしるして典拠を明示していたのだが、それは「美しい顔」事件というものがあったことがひとつには影響したと。詳細は知らないがこちらも「美しい顔」という作品のなまえくらいは目にしたもので、ようするに小説作品の制作にあたって参照した典拠をしめさなかったことで剽窃のそしりを受けたということだとおもうのだけれど、それがあって雑誌側としてもナーバスになっていたというか、批判されないようにきちんとやっておこうという事情があったらしい。ただ、今回書肆侃侃房から単行本を出すにあたっては編集者とのはなしあいでそこまでしなくてもいいのではないかということになり、かなり簡略化したということだった。
  • まずもって大枠としてはそんなかんじだったとおもうが、もうひとつ古谷利裕が述べた感想としては、「偽日記」にも書かれてあったことだけれど、この小説の話者はなにかを隠している、なにか言えないことや言いたくないことがあって、それにふれずにすませているのだけれど、その隠す身振りがかえってなにかをばらすことにつながったり、反対になにかをバラすことでべつのことを隠したりしていて、隠すことで明かし、明かすことで隠すという循環的なうごきが形成されていると。古谷利裕は『文學界』の「新人小説月評」でこの作品をとりあげたとき、フロイトの夢解釈のラカンによる再解釈を援用してそのあたりの欠如のリアリティみたいなものについて書いたのだけれど、その夢のエピソードとはつぎのようなものである(ちなみにこのはなしは、ちょうどこの日(の帰宅後だったとおもう)に読んだ工藤顕太「「いま」と出会い直すための精神分析講義: 11 目覚めるとはどういうことか――現実の再定義としての夢解釈」(2020/2/12)(https://www.akishobo.com/akichi/kudo/v11(https://www.akishobo.com/akichi/kudo/v11))でもとりあげられていた)。フロイトの患者の男性に息子を亡くした父親がいたのだが、献身的な看病をつづけたすえに子どもが亡くなったあと、その遺体が棺に入れられ安置された部屋のとなりでねむっていた。すると夢のなかに息子が登場し、腕をつかみながらとがめるような調子で、お父さん、ぼくが焼かれているのがわからないの? というようなことを言う。そこで父親ははっと目覚めて、隣室を見ると、たおれた蠟燭の火が棺に燃え移って遺体は焼かれかかっていた。工藤顕太の説明によれば、このエピソードにたいするフロイトの解釈は『夢解釈』の全体をつらぬく「「夢は欲望充足である」というテーゼ」にもとづいたもので、父親が「二度と会えなくなってしまった子どもと会うために、彼を夢のなかに呼び戻し」、その欲望を満たすため、火事が起こっている差し迫った状況下にもかかわらず(フロイトにいわせれば)「眠りを一瞬引き延ばした」のだというものである。それにたいしてラカンは、「続行された夢は本質的に、こう言ってよければ、欠けた現実へのオマージュなのではないだろうか?」と述べており、その「欠けた現実」とは、(工藤顕太によれば)目覚めたあとの世界としての「外的現実」にはあらわれない「父親の内的現実、つまり彼の欲望を決定している現実界である」。「息子の喪失に根ざした父親の欲望、いつ生じていたのかさえわからない息子とのすれ違いをなんとか埋め合わせたいという実現不可能な(それゆえに尽きることのない)欲望」が、夢として形象化されてあらわれたのだという。「偽日記」に引かれた古谷利裕の説明によって言いかえれば、「父には息子との関係において意識から排除された(記憶に回帰することのない)レベルの(死因にもかかわる)後悔があり、その関係の不調(現実)が「責める口調」として夢に入り込み父はその現実から逃れるために目覚めた」ということになる。そういう欠如たる現実としてのリアリティみたいなものを古谷はかんじたらしいのだけれど、ところでこの単行本の帯には、小説を書くというのは人工的に無意識をつくりだすことなのだとおもう、という千葉雅也の評言がしるされているらしく、それはなかなかおもしろい発想だなとおもった。山本浩貴もそれを受けて、小説で無意識をつくるとか、小説の無意識っていったいどういうものなんだろう? ということをじぶんもずっとかんがえていると言っていたが、この文脈で『半睡』の内容について語られたことにもどってもうすこし記しておくと、手記の書き手である主人公=話者の「私」は、二人称「あなた」をときおりもちいて、あいてに語りかけるような姿勢を見せているらしい。ただしその「あなた」とは未来のじぶんのことであって、この手記を読むものがもしだれかいるとしたらそれは未来のじぶんじしんしかありえない、そのじぶんにむけていま書いている、みたいなことを話者は明言するらしいのだけれど、それはたんなることわりというか、(佐々木敦のことばによれば)「言い訳」にすぎず、この「私」がなぜ手記を書いているのか、だれにむけて書いているのかということは、根本的には不明で、まったくの謎なのだと。小説を書き出す、なにかを語りだす(もしくは人物に語りださせる)といったときにはどうしてもなんらかの動機設定とかきっかけみたいなものが(ある種のエクスキューズとして)必要となるもので(ちなみにここで、それこそ「新本格」だったら、たとえば廃墟から一冊のノートが発見されて……みたいな外枠の設定がなされるだろうけれど、という冗談が口にされたのだが、それはこれよりもまえに古谷利裕がこの小説の内容を指して、かなり青春的というか、「シンホンカク」みたい、中年の「シンホンカク」、という感想を漏らしていたからで、「シンホンカク」という語がなにを指しているのかじぶんにはわからなかったのだけれど、あとでメフィスト賞とか舞城王太郎とかのなまえが出てきたので、あのへんのミステリーっぽいやつを「新本格」というのだなと判別された。『半睡』は上述したように「あなた」を志向したり、また言ってみれば「読者への挑戦」みたいな文言もふくまれているらしく、その点読み手を巻きこんでいく作用(「インタラクティヴィティ(interactivity)」という語がもちいられていた)が濃厚で、山本浩貴のかんがえではここにいる三人はみんななんらかのかたちで小説にインタラクティヴィティをくみこんで読者に(おそらく理想的には身体的な側面から)影響や効果をあたえようとつとめている書き手だということだったが、佐々木敦にかんしていえばそれは彼のミステリー好きがおおいに反映されているらしかった)、だからしかたなくそういう「言い訳」をつくったのだけれど、ただこの作品ではその「言い訳」が終盤にいたって破綻してしまうようになっているらしい。というのも、終わりちかくなって、それまで未来のじぶんだとして呼びかけられてきた「あなた」が変質して、語りがとつぜんこの作品を現に読んでいる読者のほうを志向するからだといい、またおそらくほぼ同時的に、「あなた」なんていうあいてはほんとうは存在しないのだという認識が表明されるかららしく、山本浩貴は、そこでそれまでの前提が一気にくずれて、底が抜けたようになると述べていた。だからこの小説にあらわれている手記の書き手がいったいなにを語ろうとし、また語れずにいるのか、語りを語ろうとする理由や動機はなんなのか、それが根本のところではまるであきらかではないと。明示的には、「私」は(MやNとの関係において?)なんらかのひじょうにおおきな裏切り的行為を犯したらしいと読み取られ、それを後悔し懺悔するような調子で文をつづっているようなのだが、しかしその裏切りの詳細はやはりすこしもあきらかではない(ちなみに後悔という語にかんして言えば、佐々木敦Twitterに、この小説のテーマは「後悔とエゴイズム」ですと投稿したらしいのだけれど、それはエゴイズム的な行為を後悔し懺悔するということではなくて、後悔することのうちに本質的にエゴイズムがふくまれるという意味なのだといい、また、じぶんが村上春樹を読むときにかんじるのがそれなのだとも付言していた)。それでいながらさいごには「私」はもうこれから死ぬみたいなことを言って手記を終えるらしく、だからあからさまに「遺書」としてひびくような書き方になっているようなのだが、山本浩貴はそのあたり、読んでいてかなりきつかったと言っていた。語り手が本質的には重要なことをなにも語っていないという点や、物語の根本的なところが不透明だということにかんしては、Y・Yの存在もそうで、Y・Yというのは「私」の友人だか知人だかの大学教授かなにかしている人物らしく、作中には彼が書いたという小説(『フォー・スリープレス・ナイト』)も引用されているようだが、彼がほんとうに存在しているのかもじつのところうたがわしいのだと。佐々木敦じしん、Y・Yなんて人間はどこにもいないじゃないですか、この小説で語られてるエピソードのなかで、Y・Yなんていちども出てきませんよね? これがY・Yだっていう人物、そうだと推測できる人物すらいない、とはなしており、だからY・Yは「私」がつくりだした仮構的な人物だという可能性すらあるということだろう。じっさい、Y・Yが作中で具体的にどのように語られているのかは知らないが、「私」はじぶんにとって都合のわるいこと、じぶんに不利になるようなことをY・Yにすべて押しつけている、それでいて誠実に罪を悔い、後悔しているようにふるまっているのだという、自作の人物にたいする佐々木の評価もあった。しかしそういうある種の演技のはざまに、「私」がかくそうとした(語ろうとしなかった)ことがおもいがけず垣間見える瞬間があり、たとえば性関係にかんしていえば、それがうえにふれた電灯の件なのだ。
  • テクストに直接書きつけられているのは電灯がいつのまにか消えていることに気づかない、という意味のことがらであり、読むものはそこから、この「私」にはねむっているあいだに電灯を消してくれる人間がいるのだな、と、直接書かれてはいないが論理的にみちびきだせることについて推測をはたらかせることになる。そういうぶぶんはほかにもたくさんあるようで、山本浩貴がなんどか言及していたことには、そういう類推による「参照のネットワーク」が複雑に張り巡らされているという(おそらくは現実の歴史的なできごとをもとにした記述がその参照関係にからんできて、さらに網目を複雑化するしくみになっているのではないか。つまり、この作品にあっての参照方向はテクスト内における完結的=閉鎖的相互性にとどまらず、言語作品という枠組みのそとがわを志向したりそこから媒介項をとりこんだりするうごきがおりこまれている)。そのネットワークが成立しうるのは、とうぜん、「私」が諸所で肝心なことをかたらずにあいまいな状態にとどめているからのはずで、その中核にあるのが「私」にも語ることができないおおきな欠如ということだろうが、この欠如が中心となってネットワークを生じさせ構築しているというよりは、無数の参照関係がめぐらされることにおいて(事後的に)穴としての中心が浮き彫りになって発生してくる、というほうが、おそらくこの作品のありかたにちかいのではないか。じっさいに読むものが体験するのはそのようなテクストのうごめきだとおもわれる。ところでこのひじょうに複雑な参照のネットワークという点にかんしては、(……)さんが『双生』でやったことと、種類はちがうけれど似かよったものなのかもしれない、とおもった。『双生』は象徴的な意味の面で、自動的に駆動しくみかわりつづける多層的機械構造みたいなものをつくりあげたとおもうのだけれど、『半睡』はそれを類推という、(リアリズム的?)論理の原理にもとづいてやった、というような。意味のかさなりあいというのはもちろんメタファーといいかえることができ、ひるがえって類推というのはAからBがみちびきだされるという統辞的関係のはずで、それは隣接性の一種であるはずだから、メタファーにたいしてメトニミー(換喩)の秩序をなしている、ということができるのか? この二分法は汎用性がたかすぎてなににでもあてはめられるがゆえにあまりたよりたくないというか、それじたいではたいして有効なものにならない気がするのだが。
  • あと佐々木敦は、この「私」やその言動が直接的に作者の佐々木じしんにむすびつけられてしまうことにも不満を述べていた。たとえばインターネット上の評判として、(たぶんNとMが死ぬことになっているのだとおもうが)女性をかんたんにころしてひどい、とかいうものがあったといい、それについてはNとMをころしたのは「私」ではなくいちおう作者の佐々木のはずなので、書き手による女性登場人物のあつかいかたという点で問題化する余地がまったくないわけではないのかもしれないが(佐々木じしんもこのはなしをしているとちゅうで、ひどいのは俺じゃなくて、といいかけながら、いや、俺もひどいのかもしれないけど、と言をちょっと後退させながら笑っていた)、ほかにたとえば「私」が書きつけている「読者への挑戦状」的なことばにかんしては、あれはじぶんが読者にそう言っているわけじゃなくて、読み手にたいしてそういうことを言いたがるような人物をつくったということなんだから、それなのにあんまりみんなそういうふうに読んでくれない、と不満を漏らしていた。
  • 前半の『半睡』についてのはなしはだいたいそんなところ。五分か一〇分くらいのみじかい休憩がはさまれてから後半にうつったわけだが、こういうトークイベントというものに足をはこんだことはいままでほとんどなかったというか、もしかしたら今回がはじめてなのかもしれず、ただ椅子にすわってずっとはなしをきいているだけなのだけれど、ながくおなじところにすわりつづけているから尻や腰がそこそこ痛くなっていた。それで休憩中は席を立って室のそとに出て、せまい階段通路で屈伸をしたり背伸びをしたりした。開始時点でからだはそれなりにつかれていたのだけれど、ただじっとうごかずにすわっているとだんだん疲労が中和してきたというか、腰や尻はのぞくとしても各所の筋肉がほぐれてぬくもりながらまとまってきたようなかんじがあり、ようするに瞑想をしているときと似たような身体の変化が起こったので、目をつぶっていなくてもじっとしているだけでそうなるんだなとおもった。それで後半は『半睡』をはなれてもっと一般的な話題がかたられたのだけれど、けっこう雑駁としたというか、深く突っこんで関連するテーマを連鎖的に展開させるというよりは、漠然としたむきのほうがつよかったようで、内容をあまりおぼえてもいないし、いいかげん面倒くさくなってきたのでそろそろやめたい。しかしおぼえている範囲でしるしておくと、岡田利規の重要性ということがひとつにはあった。日本の現役の作家の作品をぜんぜん読まない人間なので、例によって岡田利規の文章もまったく読んだことがないから、じぶんはその重要性をなにも理解できていないのだけれど、彼はやはり画期だった、小説のかたちを更新したとおもうというのが佐々木や古谷の共通見解のようで、古谷利裕は、九〇年代に保坂和志を読んだときにこんな表現をできるひとがいるんだとおどろき、その後二〇〇〇年代に岡田利規を読んでもういちどそういうおどろきをえたとはなしていた(古谷は小説一般が好きで関心をもっているわけではなく(「偽日記」に載っている東工大講義のスライドなど見ると、あんなにこまかくていねいに作品を読んでいるのに)、小説という形式においてそういうあたらしい表現をするひとがいるという点にかぎって小説に興味を持っている、といっており、山本ももっぱら小説が好きだというよりは、現時点ではじぶんの表現したいことに小説というやりかたがいちばんあっており、コストもそこまでかからずできるかなというかんじで、根っこのところはぼくは詩なんだとおもいますといっていた)。小説というジャンルはやはりある種、ひじょうに古臭い、古めかしいような形式なのだと佐々木は言い、ただそこで、古いわりに他ジャンルからの影響を受け入れとりこんで更新されてきた(生き延びてきた、と言ってもおそらくよいのだろう)、そのインパクトのもっともおおきなものが映画で、たとえばヌーヴォー・ロマンは完全に映画をどのように小説において受け止めるかというこころみだったとおもう、とはいえそれももう五〇年いじょうまえだ、その後、小説の発展なんてもうないだろうとおもわれていたところが、じつは映画よりも小説よりももっとはるかに古い演劇というジャンルにそのヒントがあった、現代日本でそれをみちびきいれたのが岡田利規だという見取り図を説明した。ただ、岡田利規はべつに小説を更新してやろうなどとおもってそれをおこなったわけではない、戯曲の分野でそれまで活動してきてえたことを小説というかたちにくみこんでみたらそれが革新的なものになった、つまり彼はあたらしい小説を書こうとおもったのではなく、たんに小説を書いてみたらああなっただけだと(おなじタイプとして山下澄人の名もあがった)。佐々木はそういう他ジャンルで活躍したり、あるいはいろいろなジャンルや形式をわたりあるいてきたようなひとが小説という分野でなにかおもしろいことをなすことに期待をいだいているようで、多ジャンル横断的ということでいえばきょうここにいる三人も全員そうだというはなしもあったが、佐々木はもとから小説家として小説をずっと書いてきた作家と、じぶんたちのようなそうでない書き手のあいだにある種の線引きをしているようだった。いわく、たとえば小説家がイベントなんかで小説について語るとき、なるほどとおもったり、いろいろと感心するような見地が聞かれたりもするけれど、そこで言われていることは煎じ詰めればけっきょくふたつで、小説とは小説であるというトートロジーと、じぶんの書いているもの(こそ?)が小説であるというその二点に集約されると。そういう小説家としての誇りめいたものを持っていたり、小説という形式の存在を所与の自明なものとして受け入れてきた作家がいっぽうにはいるが、たほうで、この小説ってものはいったいなんなんだろう、という疑問や違和感をもったり、その約束事とかになじめないような書き手がいて、そういうひとがむしろ小説でできることの可能性を開拓したりすると(さいごのほうでは、生粋の小説家ではないそういう書き手をあつめて「小説研究会」をつくりたいなと漏らしていた)。小説が古いジャンルだということに関連して、山本浩貴も、小説っていうのはかんがえてみればみるほど変なもので、なんというか、粗いというか、すきまがおおいようなもので、ふつうにかんがえて映画なんかとくらべると情報量すくなすぎでしょ、手間かかりすぎでしょ、みたいなところがあるし、また作者がかんたんに書き換えることができて、それでいて読者もその書き換えを違和感なく受け入れることができる点も変なのだけれど、と述べ、そういうすきまがおおくて粗いような形式であるがゆえに、まだやられていない可能性がたくさんねむっていて、あたらしいことを導入して更新していく余地はまだまだある、というのがいちおう全体としてのおおまかな結論めいた希望のようだった(古谷もそれに対応することとして、たとえば絵画なんかでも二次元の平面であるがゆえにむしろ三次元ではできないことができると言って、マティスの名をあげていた)。
  • あとは古谷利裕の小説作品について山本浩貴が言っていたことが印象にのこっており、いわく、ひじょうに思弁的な要素をふくんでいながらもそれを徹底的に具体的なかたちで表出しているということで、そういう思弁的具体性の強靭さみたいなところは、古谷利裕が八年くらいまえに連作を書いたときから(今回書いた篇はそれのつづきである)惹かれており、じぶんではかなり影響を受けたとおもっている、といっていた。からだのうごきや空間の描写などをかなりこまかく書いている文章らしいが(こまかくといってもおそらく微視的な観察のそれではなくて、そこにあるものや生じるものをひとつひとつひろいあげて、特殊な空間性のながれをていねいにつくることで読者の身体性になんらかのはたらきかけをおこなおうとするようなものではないかとおもうが)、古谷はやはり空間性や空間感覚に興味があるようで、特殊だったり奇妙だったり不思議だったりするそれをつくりあげ、なおかつそのなかに人間(もしくはじぶん?)の身体を投げこんでうごかしたい、という欲望があり、それが小説を書く動機のひとつらしかった。
  • おもいだせるはなしはせいぜいそんなところ。一〇時で終了。時間がおそくなったので質疑応答はなしで、さいごに三人がそれぞれの展望というか、なにをやりたいかみたいなことを述べて終わった。室がややあかるくなって客がうごきはじめるとじぶんはまず腕をまえに伸ばしたりしてからだをやわらげ、それから退出。来たとき同様エスカレーターはつかわずに階段を下りていき、そとに出るとひらいていたモッズコートのまえを閉ざし、駅へともどってあるいていった。腹が減ったのでそのへんの店でなにか食ってもよかったのだが、店にはいって注文して食事をするというのがなんとなく面倒臭く、なぜかコンビニのおにぎりが食べたいという気持ちが湧いていたので、地元で帰りに買っていって自室で食べようと決定した。さすがに一〇時すぎとあってひとどおりはそれなりにすくなくなっている。駅にはいってホームにおりるとやってきた(……)に乗車。一号車のもっとも二号車側の口からはいり、北側にあたる七人がけの左端の席のまえあたり(両側の座席のあいだをとおる通路が扉の位置まで来ると四角い空白スペースが生まれるが、その右上の角あたりということ)に立って吊り革をつかみ、到着を待った。(……)で降りて乗り換え。発車まぎわのものは混んでいたので見送り、まもなくつぎに来た電車に乗ってすわり、(……)につくまではだいたい目を閉じて休んでいたはず。ねむったおぼえはない。疲労はけっこうあったはずだが、意識は明晰だったのではないか。つくといったん駅を出てコンビニでおにぎりやチキンをはさんだパンを買い、もどって(……)に乗り、最寄りへ。駅正面の坂道をおりると道のうえには微風がながれてからだを冷やしてくるのに、空気のながれが林を避けているかのように周囲からは葉擦れがまったく立たず、枯葉が落ちる音すら聞こえず、左の木立からあたまのすぐうえにはりだしている枝葉のさきもすこしも揺らがず、じぶんの身にだけながれがとおってくるという不思議なしずまりを見たのがこの夜ではなかったか。坂のとちゅうで木蓋がいちぶはずれて暗闇の空がのぞく箇所があるけれど、ちょうどそこに蜘蛛の巣がかかって色つきの葉を数枚とらえているさまが夜空の前景に浮かびあがって、どうでもよい連想なのだが、藤原カムイ作『ロトの紋章』の一五巻くらいで、ゴルゴダみたいななまえの冥王(古代にほろんだムー帝国(だったか?)の王だったタオ導師(アルスのなかま)の兄かおとうとで、宇宙のかなたから異魔神を召喚してつくりあげた張本人)と主人公アルス一行がたたかうさいに、巨大な蜘蛛型の化け物である冥王が幻術をつかって、宙にとらえたなかまたちを石化させて砕きころしていく幻覚をアルスに見せるという場面があったことをおもいだした。したの道に出ると夜空はきわめて青くなり、くもりくすみがどこにも見られず星々のあいだをくまなく埋めてそのひかりをかたどりあかるくきわだたせている天蓋の、純然たる青のひらきであり、みだれなく大気の一片までのがさずたたえられた凪の液体であり、磨き抜かれた金属の質を帯びた表面だった。
  • 帰宅後のことはおぼえていないし、つかれていただろうからとりたてたことはしなかったはず。

2021/11/24, Wed.

 パースが提唱したのは、「記号論(英 semiotics、仏 sémiotique)」でした。彼が考えた記号論は言語をモデルとするようなソシュール流の記号の理論ではなく、人間や生物や動物や、あるいは宇宙の様々な現象全体を記号のプロセスとして捉えようとする非常に普遍的な記号論、汎記号論です。パースにとっては人間自体も記号現象にほかならず、宇宙は記号から記号へと現象が次々に送られる無限のプロセスから成り立っていると考えられたのです。パースの信念を導いていたのは、「宇宙全体とは、記号のみから成り立っていると言わないまでも、記号に充ち満ちているものである」という考えでした。「数学にせよ、倫理学形而上学、重力、熱力学、光学、化学、比較解剖学、天文学、心理学、音声学、経済学、科学史、ホイスト、男女、ワイン、気象学にせよ、私にとって記号研究として行われなかったものは何もない」と彼は述べて(end62)います。
 人間とは記号のプロセスであるとパースは考えます――

 「人間が使っている言葉や記号こそ人間自身である。なぜなら、すべての思考は記号であるということが、生は一連の思考であるということと一緒になって、人間は記号であるということを証明するように、すべての思考は外的な記号であるということは、人間は外的な記号であるということを証明するからである。つまり人間と外的な記号とは homo と man という言葉が同一であるというのと同じ意味において、同一である。こういう訳で、私の言語は私自身の総体である。というのは人間は思考であるから [註9: C・S・パース(一九八六):『パース著作集2 記号学』、勁草書房、一九一頁] 。」

 人々が頭の中で行っている様々な思考というものは、言葉になる以前の記号のようなものの連鎖として捉えてみることができて、そうしたものが、人間の思考の推論の連続を作っていると考えてみれば、私というのは私の思考の連続であるというわけです。そういう意味で人間とは記号を使った推論のプロセスであるという考えです。
 ここでパースが「思考」という言葉で指していることですが、それは難しく論理的に思考するということでは必ずしもなくて、感覚や意識の働きのことであると考えてみればよいでしょう。引用の文章中の「外的な記号」というのは、話したり、書いたりする言語記(end63)号や、実際、紙の上にイメージや絵として描かれた図像などの具体的な記号です。
 人間は文字を書いたり言葉をしゃべったりしていないときにも、記号を使って半ば無意識のうちに推論を行っている。人間の活動とは記号に基づいた知覚や認知や推論の連続的なプロセスのことであって、記号から記号へとたえず解釈するという活動を行っているプロセスとして、人間を、そしてさらには、生物一般をも捉えることができるのではないかという考え方です。
 (石田英敬現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)、62~64)



  • 七時四〇分ごろにいちど覚めたのだけれど、睡眠を計算すると四時間未満なわけで、それではさすがにきびしいだろうとみずから能動的に二度寝にはいった。そうして九時半に再度の覚醒をえてカーテンをひらき、きょうは文句なしの快晴となった空からそそぐひかりと熱を顔に吸う。喉を揉んだり深呼吸をしたりしながら三〇分ほどすごし、九時五三分くらいに離床。水場に行ってきて洗顔やうがい、放尿などすませると、すぐに瞑想はせずにまた横たわって書見した。熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』(講談社、二〇一七年)。そうして一〇時三五分から瞑想。まあまあ。とちゅうであたまがカチッときりかわるような瞬間があり、同時に耳鳴りがはじまった。たいしたことはなくすぐに引いていく。座ったのは二〇分。上階へ行き、ジャージにきがえて髪を梳かすとハムエッグを焼いて食事。大根の味噌汁も。新聞は国際面を瞥見し、上海市当局が子どもらに自殺にかんするアンケートをとったその文言が、「自殺をこころみたことはあるか」とか「遺書を書いたことはあるか」とか直接的で保護者からの非難が殺到し、それで当局は謝罪に追いこまれたという報道をきちんとではなくちょっとだけ読んだ。中国では青少年が一年で一〇万人ほど自殺しているというが、おおくの子どもが遺書に書いているのが学業の圧迫で、永遠に終わらない宿題を課されるとか、来る日も来る日も宿題ばかりでわたしたちはあなたたち大人を憎みます、みたいなことばが記されているという。現代の科挙ともいわれるらしい受験制度がとうぜん問題の根幹にあり、学習塾の廃止とかもその関連で勉強量を減らそうという意図なのだろうけれど、ある保護者にいわせれば受験がなくならないかぎりなにも変わらないというわけで、それはそうだろう。
  • そうして読みつつものを食っていると母親がこれ見る? と言って録画されていた『NHKスペシャル』を映しだしたのだけれど、それはVillage Vanguardコロナウイルス状況中のニューヨーク市のジャズをとりあげたもので、このプログラムは先日新聞の番組欄でピックアップされていたのを見かけて見たいとおもっていたものだった。冒頭のみじかいあいだだけちょっとながめたが、Village Vanguardのオーナーであるデボラ・ゴードンという女性がはなしており、また番組の中心的な取材あいてとしてはあとふたり、キーヨン・ハロルドと海野雅威がいるので(キーヨン・ハロルドだって、知ってる? と聞かれたので、もちろん、とこたえたが、そのじつなまえだけで作品を聞いたことはない)彼らの発言やようすがダイジェスト的にながされたり、各所の街角で"What A Wonderful World"を演じたりうたったりするひとびとのすがたが映されたりした。また、街を鳥瞰する画にあわせて、たぶんあれはデボラ・ゴードンの語りだったのか、ニューヨークのミュージシャンたちはいままでずっとこの街を音楽にし、この街の物語をつくり、演奏して語ってきた、まるで神話のように、ということばが語られて、アメリカの連中は言うことがいちいちかっこういいんだよなとおもった。海野雅威は昨年の九月にニューヨークの地下鉄でおそわれて暴行され、腕を複雑骨折したわけだが(「チャイニーズだ、やってしまえ」という声を聞きました、とダイジェストのなかで本人が証言していた)、回復して演奏活動に復帰できたらしい。とても良かった。
  • 皿と風呂を洗う。風呂場の窓をあけると路上には淡色の落ち葉を乗せたすきまのない日なたがひろがっているものの、凛と締まった空気の冴えがかんじとられ、ボロボロになった旗の切れ端を触手のようにおよがせている微風とともにしずけさがながれているのが聞こえてきた。浴槽を洗って出ると茶をこしらえて帰室。Notionを準備したあと、さっそく「ことば」ノートから石原吉郎を読み、「読みかえし」も少々。それで一二時半くらいだったか。きのうのことを綴ってしあげ、投稿したあときょうのこともここまで記せばちょうど一時半。
  • きょうは三時すぎには労働に出る必要があった。なにはともあれ脚をやわらかくしたいというわけで、寝転がって書見。熊野純彦の本をすすめる。ひじょうに要領よくまとまったカントの批判哲学の解説になっているので、書き抜こうというぶぶんがほとんど切れ目なくつづくようなありさまとなる。二時直前くらいまで読み、それからストレッチもおこなった。二時一五分くらいに上階に行ったとおもう。母親が出勤するまえに「中村屋」のレトルトカレーを食べたのだがそれをはんぶんのこしてくれていたので、大皿によそった白米のうえにそれをかけて(パウチをたたみながらぐにぐにと押しつぶして中身をできるだけ吐き出させる)、電子レンジへ。きょうは自室に持っていくのではなく、すぐに食べ終わるしと卓について新聞を見ながら食べた。このときは一面の記事をざっと読んだはず。アメリカ政府が石油価格高騰をおさえるために石油備蓄放出を決め、日本、韓国、中国、インドと、あとひとつどこかあったとおもうのだが(オーストラリアか?)それらの国にも協力を要請し六か国で備蓄放出をする方針を発表したという記事がひとつ。もうひとつは不妊治療をおこなう夫婦に里親・養子縁組制度についての周知を強化する方針を政府がまとめているというはなし。治療のとちゅうや行き詰まってから情報を提供するとあきらめるよううながされたととらえられるおそれがあるので、治療をはじめるまえに制度についておしえることを原則とし、夫婦の心情をおもんぱかった適切なつたえかたを文書に記述したり、またじっさいに不妊治療をあきらめたさきで養子縁組をおこなったひとの体験談を聞く機会をもうけたりする、ということなどが内容らしい。ただ、里親・養子縁組制度は子どもがほしくてもえられないひとにとっての代替となるのが本義ではなく、あくまで虐待や貧困によって親のもとで暮らせない事情がある子どもを家庭というばしょでそだて生活させるための制度なので、その点を理解してもらうことが必要だし、たがいのニーズが一致するかという問題もありそうだ、とのこと。親元をはなれて児童養護施設などにひきとられている子どものうち、アメリカは八割くらいが養子的な制度によって家庭にはいっているらしいのだが、日本はその割合がまだまだ低いといい、正確な数字をわすれたけれど一〇パーセントか二〇パーセントくらいでしかなかったのではないか。
  • それでつかった食器を洗い、下階にかえって歯磨き。そのあいまに(……)さんのブログを読んだ。さいしんの二記事。そうしてきがえ。スーツすがたになるまえにまたちょっと屈伸したり脚を伸ばしたり。準備がととのうと上階へ。さきほど放置していた寝間着などをたたみ、まだあかるいがもうカーテンも閉めてしまって、食卓灯をともしておいた。母親が帰ってくるころには真っ暗になっているはずなので。そうして三時一〇分ごろに出発。近間の路上に日なたはもうないけれど、澄明さそのものである淡い青空に真っ赤に焼けたカエデのこずえがきわだって、くっきり印された赤のかたまりから垂れさがった葉っぱの下端はあるかなしかのながれにゆらいで水色にかこまれながらちらちらしている。見上げれば林の上方、なだれる竹の葉の緑にはまだひかりもとどいており、坂道の入り口あたりにも金色がすべりこんでいた。川のそばに立っているイチョウの木はみごとに東側だけ葉を散らして色をはんぶん剝がされており、肉がだんだん風化して消えていきつつあるむくろのようだった。川水の色も緑の濃さはなくなってもはや鈍い。
  • 坂道をのぼりきって街道にむかえばその先にある北の丘の樹々が色変わりしていて、毎年おなじイメージをえるけれど、色つきの砂をまぶして彩色したような、子どものあそびどうぐとしてあざやかな砂で絵を描くものがあるとおもうけれど、そういう質感にかわいて赤や黄を帯びており、その赤さはしかしほんとうは赤とも橙とも直言しがたいような微妙な色あいで、弱くおだやかな赤褐色というところだった。(……)さんの家のまえをすぎればカーブの角付近にススキが群れているそれもみんな穂をゆたかに生長させて、さきがややカールしている洒落ものたちがこぞって道へと張り出しており、なかには足もと低くから生え出てしどけないように路上に伏しているものもある。曲がっておもてにむかうあゆみの脇には斜面のしたから杉の木が伸び上がっているが、その葉は西の陽をあびてずいぶん鮮明な緑につやめいていた。合流点のそばの家にも真紅に染まった木がいっぽんあって、ふつうにあるいてまわりを見ているだけで緑やら赤やら空の青やらどれもくっきり対照しているこの晩秋、こんなに色めいてちゃどうも参るなとおもった。
  • おもてみちでは歩道を拡張しているらしい工事がつづいている。ひかりは宙をおよいでいるけれど風もあり、正面からひたいや頬をこする感触はそこそこつめたく、眼球も刺激されて目をほそめ気味に行く。工事現場をすぎて整理員が車を止めている地点もこえたあたりにバスの停車場やゲートボールなどをやる広場があわさった(だからといってたいしておおきくもない)敷地があって、そこにもうけられている簡易トイレが工事員らの用足しの室のようだが、いまその入り口で女性ガードマン(字義矛盾のいいかただ)がちいさな箒を持って足もとを掃除していた。やはりおっさん連中はそういうことをみずからやろうとはしないらしい、女性にまわされてしまうのだろう、とおもった――むろん、こちらが見たこのときだけたまたま女性が掃いていたということもありうるが。自発的にやっているのか、それともしごととして指示されたのかもわからないが、なんとなく前者のような気がしたのだ。
  • とちゅうで通りをわたり、裏路地へ。眼鏡をかけているとやはり目のまわりやひたいあたりに負担がかかるような気がするけれど、サザンカの葉のひとつひとつやそこに付されたピンクの花や、丘のほうの樹々のすがたなど、格段に明晰に映るのでそのほうがむろんおもしろい。道に沿ってある家々の庭木の葉の色と粒立ちを見ているだけでわりと充足するようなかんじがあった。空は青のみ、雲は家並みのあいだにときおりひらく南の低みにモールス信号めいてみじかくほそく浮かぶのがひとつ、まっすぐ頭上や北側は、目から飲めるようなという比喩がにつかわしい、無償の青きみずみずしさにみちていて、路上にとおるひとや車もたまにあるしカラスも鳴いてうごきがないわけではないのだけれど、あたりはしずけさと停止の感覚におだやかで、『灯台へ』に書きつけられたウルフのことばを借りるならば、人生がつかの間ここに立ち止まったかのようなみちゆきだった。すこし土手っぽくもりあがったうえをとおる線路のむこうでは林縁から丘のうえまでくすんだ緑がひろがって埋めているが、葉群のおりなしが密なために樹々が遠近に分かれていてもおなじ面でとなりにあるようにしか見えず、奥行きの差をうしなった緑の壁がただざらつきばかりを目につたえてくる。そのうちに男子高校生ふたりの声がうしろから聞こえてきた。いっぽうがたほうに、あしただかアルバイトの面接を受けるというようなはなしをしており、だれもぜんぜん知らないとこならさいあくいつでもやめられるじゃん、いきなりいなくなってもさ、関係ないひとたちだし、とバックレを肯定しつつ、すでにひとつはたらいているのかあるいは過去のことなのか、あそこのバイトはだれだれの紹介で、だれだれのきょうだいもいたし、知り合いがけっこういたからさ、やめらんないよね、しごとぜんぜんつまんないんだけど、みたいなことを言っていた。白猫はくだんの家にいたが、敷地と道路のさかいから奥のほう、家の戸口ちかくにある台のうえに乗っていて遠かったのでかまわず過ぎる。上体を伏せて尻のあたりを持ち上げるという、前方後円墳もしくはひょうたん島的なかたちを白いからだでつくっていた。
  • とおりすがりに目にする樹々の葉のどれもひかりをかけられて妙にあざやかで、もうほとんど冬にはいりかけている時季なのにと不思議なくらいで、熱と湿気をはらんで水っぽくぎらぎらした夏の色のつよさではなく、かわきながらも密に充実した表面だった。(……)をこえたあたりで尿意がたまっているのに意識がむいた。茶を飲んだうえにあるいたためだろう。二年くらいまえまではやはり茶を飲んだ日にはあるいているうちにトイレに行きたくなって、我慢できずもらすのではという不安をちょっとおぼえながらもあえていそがず平静をよそおいながら公衆トイレまでがんばるということがけっこうあったが、そんなやせ我慢をすることもあるまいときょうは(……)にはいってトイレを借りることにした。自動ドアをくぐって手を消毒するとすぐ右手がトイレだったのでそちらへ。小便を排出して手を洗い、ハンカチで拭きながらさっさと出た。
  • 職場着。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)そうして退出。駅へ。帰路の記憶はない。
  • 帰宅後の休息中に(……)さんのブログを読んだ。前日、二三日付冒頭からの引用。おもしろい。

 このような分析の終結のモデルは、ジェイムズ・ジョイスによって与えられている。ラカンによれば、ジョイス精神分析を実践することなしに、「精神分析終結に期待できる最良のものに直接到達した」(AE11)。というのは、特に『フィネガンズ・ウェイク』に顕著なように、ジョイスの実験的な作品はもはやその意味を理解することや翻訳することが誰にも不可能であり、むしろその作品からは「それを書いた人物の享楽が呈示されていることが感じ取れる」からである(S23, 165)。つまり、ジョイスの作品は、作品の意味を呈示しているのではなく、作者であるジョイスの特異的=単独的な享楽のモードを呈示していると考えられるのである。ここで表現されている特異的=単独的な享楽は、他の誰の享楽とも共約することができない自閉的な享楽であるが、それでも私たちはジョイスの作品を読むことによって、そこに普遍的な文学と呼びうるものを発見しうる。分析の終結においては、このような享楽のあり方、治癒不可能性の肯定化が実現されるとラカンは考えたのである(…)。
 反対に、論文「抵抗」のなかではっきりと述べられているように、デリダにとって分析はつねに終わりなき分析である(Derrida, 1996b, p.49/66頁)。ラカンが述べるような、各主体のそれぞれにおいて異なる絶対的差異(S1)や、症状における特異的=単独的な享楽のモードは、象徴的な知の水準における形式化を免れてはいるものの、それでもひとつの起源を設定する思考であるとデリダなら批判するであろう。そう、デリダが分析に終わりがないと言うのは、「分割不可能な元素や単純な起源などというものはない」と彼が考えるからである(Ibid., p.48/64頁)。デリダは、このような分析の終わりのなさを、症状における「痕跡」というフロイトの――そしてデリダ自身の――概念に見出している。フロイトは、抑圧された表象の痕跡に対してヒステリー者の注意を向けさせようとしたときに、そこに抵抗を感じとっていた。この抵抗は、症状を生み出す原動力であるとともに、その症状を除去しようとする分析の作業にとっての抵抗にもなる。それゆえ、痕跡は分析不可能なままに残りつづけることになる(Ibid., p.45/59頁)。終わりなき分析が要請されるのはそのためである。
 先に晩年のラカンの理論を確認してきた私たちにとって、ここでデリダが述べている事柄に、症状がもつ象徴的/現実的な側面という二分法が現れていることに気づくことは容易である。症状の象徴的な側面を取り扱うだけでは、分析は終結にいたらない。この点は、ラカンデリダの両者がともに同意するところである。ラカンデリダの相違点は、前者が症状の現実的な側面に主体の特異性=単独性を見出し、それを分析の終結の積極的な条件と考えるのに対して、後者が症状の分析において不可避的に出会われる抵抗と、その抵抗を生み出す痕跡を分析の終結不可能性の理由と考えることにある。
 このように、分析の終結をめぐる両者の違いは明らかである。しかし、驚くべきことに、分析家の共同体や、来るべき精神分析のことを考えるとき、ラカンデリダの意見はふたたび共鳴しはじめる。
 ラカンにとって、分析主体が自らに特異的=単独的な享楽のモードに対してうまくやっていくことができるようになったとき、分析は終結する。そして、このまったく特異的=単独的な分析経験が、その分析主体が所属する分析家の共同体のなかで共有できるものであるかどうかを確認する装置が、「パス」と呼ばれるラカン派の装置である。言い換えれば、パスにおいては、そもそも定義上、他者へと伝達することができず、それまで普遍的なものとされてきた分析理論から外れるものであるはずの特異的=単独的な分析経験が、分析家の共同体のなかであらたな普遍として伝達されることができるかどうかが問われているのである。この仕組みは、分析家の共同体のなかで、精神分析というものがつねに新たなものへと変化していくことを可能にするために設けられている。つまり、ラカン派の分析家の共同体とは、ラカンの理論に杓子定規に従いながら精神分析を行う分析家の集団なのではなく、ラカンのつくったパスという装置にしたがって精神分析をたえず書き換えていく集団なのである。あえてデリダ的な言い方をすれば、パスとは、他なるもの(特異性=単独性)を迎え入れることによって、分析家の共同体や精神分析そのものを異なるものへと変化させうるという意味で、ひとつの歓待の原理なのである。ラカン派において分析の「終わりなさ」が存在するとすれば、それは各個人の分析経験のなかに存在するのではなく、むしろ分析家の共同体における精神分析の不断の書き換え、すなわち来るべき精神分析の到来を待ち望む、精神分析永久革命にこそ存在すると言えるだろう。
 では、デリダにとって分析家の共同体とはどんなものでありうるだろうか。デリダの読解によれば、精神分析における「抵抗」の概念は、統一的な意味をもたない。それゆえ、精神分析は抵抗という概念のもとにひとつのまとまった統一体をつくることができない。しかし、この不可能性は、精神分析にとって悲劇ではなく、チャンスでもある。デリダは次のように述べる。

分析への抵抗の概念が……統一されえないということが事実だとすれば、その場合には、分析概念も、精神分析的な分析概念も、精神分析という概念そのものも、同じ運命をたどることになるだろう。……精神分析が一つの概念ないし一つの使命のうちに結集されることはけっしてないだろう。抵抗が単一でなければ、単数定冠詞付きの精神分析――ここではそれを、理論的規範のシステムとして、あるいは制度的実践の憲章として理解していただきたい――もないのである。/事情がこのようであるとしても、この状況は必ずしも挫折を意味しない。成功のチャンスもまたそこにあるのであり、芝居じみた嘆き方をするには及ばない。(Derrida, 1996b, p.34/44頁)

 デリダにとって、抵抗が分析の終わりのなさとして残りつづけるかぎり、精神分析は――立木康介(2009)の優れた表現を借用するならば――「抵抗の関数」として存在することになる。それゆえ、さまざまな抵抗の数だけ、精神分析は複数的に存在することになるだろう。つまり精神分析は、抵抗の概念とともに、つねに他なるものへと開かれているのである。ここに、来るべき精神分析が到来する可能性が確保される。
 いまや私たちは、ラカンデリダの相違点をより明確に把握することができる。一方では、ラカンはそれぞれの分析主体の分析経験という個人のレベルと、「精神分析なるもの」を定義づける分析家の共同体のレベルを峻別している。そのため、個人のレベルにおける特異性=単独性が、共同体のレベルにおけるあらたな普遍性として伝達されうるかどうかが問題となる。他方では、デリダは個々の分析経験における抵抗の複数性を「精神分析なるもの」の複数性へとダイレクトに接続してしまう。ここでデリダが「抵抗」と呼んでいるものが、痕跡が差異を含んだ反復によって他なるものの到来を可能にするという意味でのデリダ的な特異性=単独性の思考と肉薄していることを考慮に入れるなら、両者の最終的な相違点は、やはり特異性=単独性という概念の取り扱いにあると考えることができるだろう。
 (松本卓也『人はみな妄想する――ジャック・ラカンと鑑別診断の思想』 p.424-428)

2021/11/23, Tue.

 ソシュール以前の一九世紀の歴史言語学を考えてみますと、言語をもっぱら文字に書き取り、あるいは古文書に書き取られていた言葉の記録を文献調査することによって研究す(end45)るという方法によるものでした。文字を手段として言語を研究し、言葉がどのように変化していったのかを歴史的に研究しようというのが歴史言語学です。ソシュールの整理によると、そうした言語学の研究のあり方は、言語の通時態(diachronie)の研究である「通時態言語学(la linguistique diachronique)」と呼ばれます。そのような通時的な観点にもっぱら基づく言語学のあり方から、電話モデルに示されたように、その場でAさんとBさんがお互いに同じ時点で言葉をキャッチボールする、やりとりするということを基本にして、同じ時点で何が起こっているのか、頭の中でどのようなことが起こっているのかということをモデル化して理解することから言語の研究を始めようと考える立場への転換がソシュールによって引き起こされたのです。後者は言語を話者たちが話している状態において、コミュニケーションの同時性において研究する、言語の「共時態(synchronie)」の研究であり、ソシュールによって「共時態言語学(la linguistique synchronique)」と呼ばれることになります。言語を同時性において研究する共時態言語学こそが言語学の原理的な出発点であり、言語の通時態の研究はその延長上で考えられるという、共時態モデルの言語学研究へのパラダイム転換を「ことばの回路」は表しているというわけです。
 (石田英敬現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)、45~46)



  • 作:

 信号をぶっ壊せほら空のため無償の青に老い先を知る

 コンビニとたたかいばかりこの街の東西南北愛はどちらに

 雷鳴をはじめて聞いた夜こそが出産なのだ恋の秘密の

 雲に聞け解決不能の俺たちは何億年もかれらのとりこ

  • この日は一一時半の覚醒とおそくなった。瞑想は実行。休みの日なのでたいした印象事もなく、いつもどおりだいたい読むか書くかしていただけ。読んだのは読書の本線である熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』(講談社、二〇一七年)がひとつ、それに「ことば」と「読みかえし」のノートをそれぞれ、(……)さんと(……)さんのブログ、といつもどおりのラインナップに、あさって古谷利裕が出る鼎談イベントにでむくので、「偽日記」で佐々木敦の『半睡』とか山本浩貴の作品について書かれた記事を読んでおいた。そのどちらの作品も読んでいないし、荒川修作とかマドリン・ギンズについてもぜんぜん知らないのではなしの内容が理解できるかうたがわしいが。ほか、工藤顕太「「いま」と出会い直すための精神分析講義」を一回目から三回目まで読み、蓮實重彦『「私小説」を読む』(講談社文芸文庫、二〇一四年/中央公論社、一九八五年)の書抜きもできた。
  • 昼に食事を取ったときにテレビでは阿佐ヶ谷姉妹のドラマがながれていて、いままでなんどか目にしたことがあるのだけれど、エンディングのクレジットで阿佐ヶ谷姉妹のうちのいっぽう(だいたいつねに焦点化されてより中心的にえがかれている、したがって主人公と言うべきほう)が木村多江だということに気づいた。たしかに言われてみれば木村多江なのだけれど、なまえを目にするまでまったく気づいていなかった。
  • 新聞記事としてはベラルーシのルカシェンコ大統領がEUの非難や制裁を避けるために移民保護を演出しているというやつを読んだ。みずからポーランド国境の前線にでむいて指示を出し、倉庫を開放して厳寒のなか野宿していた二〇〇〇人ほどを受け入れたという。BBCのインタビューで、一部の当局者が移民の越境を支援したということはあったかもしれないとみとめながらも、ベラルーシが移民を意図的にEUへのいやがらせとか攻撃につかっているという主張にたいしてはとうぜん否定し、国境を閉ざすポーランドにたいしてはナチスとおなじやりかただと批判したらしい。
  • 日記はこの日のことはまったく書かず(つくった短歌をメモしておいただけ)、前日の記事をなんとかしあげるだけでちからつきてしまった。それも書きはじめたのがおそく、完成したのは深夜。なんか音読とか、いろいろ読むほうに意欲がむいたので。入浴したのは一一時過ぎで、けっこうからだがこごったりつかれたりしていたのだけれど、湯のなかできょうは無行動に静止するのではなく深呼吸というか、息をゆっくり吐くことをくりかえしていたところ、全身がみるみるほぐれていくのがかんじられてすげえなとおもった。腹をしぼってなるべく吐ききるところまでやらなくても、かるいちからでゆっくり吐いていってリラックスするくらいのかんじでじゅうぶんほぐれる。それで心身がやわらかくなったので短歌でもつくるかというあたまがしぜんと湧いて、そうしてこしらえたのがうえに記してあるやつである(さいごのひとつだけはあとでつくったものだが)。就床は四時五分だったがそのまえにもMichael Feinberg『Hard Times』をながしながらやはり深呼吸した。さすがにその時間になるとからだも揺らいで、冒頭二曲分しかできなかったが。しかし寝るまえとか寝床にはいってねむりを待っているあいだに深呼吸しておけば、眠りの質は格段に変わり、滞在もみじかくなる。それでここから六時間後には床をはなれることができたわけだ。

2021/11/22, Mon.

 虚飾にまみれて

 私たちは、作られたマネキン
 静止画の中の人物 着飾った
 衣装には組み合わせ文字のロゴ
 偽りの見せかけの下で血まみれになって否定する
 人工的な真実の透き通った層に包まれて
 私たちは包み隠し別の外見を装う
 偽りの愛の中で愛情深く
 作りごとの優しさの中で優しく
 非人間的な非人間性の中で人間的に見えるように
 私たちは外見を偽る
 こんな自分たちを覆い隠すために…

 (ニール・ホール/大森一輝訳『ただの黒人であることの重み ニール・ホール詩集』(彩流社、二〇一七年)、53; 「虚飾」 Veneer)



  • 八時半のアラームで覚醒した。そのまえにもいちどか二度、覚めたおぼえはある。起き上がって携帯をとめると水場に行ってきて、用足しやうがいなどしてもどると寝転がって書見した。あるいは水場に行ったのは書見に切りをつけたあとだったかもしれない。いずれにしても九時ごろまで熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』(講談社、二〇一七年)を読み、それから瞑想もしくは静座をおこなった。三〇分弱。まあまあ悪くはないかんじだった。
  • 上階へ。きょうの天気は水っぽいような、すこしよどんだ曇りで、いま午後三時だが窓外を見ればどうも薄雨が降っている気配である。きのうのカレーののこりと菜っ葉やうすい肉を炒めた料理を食べた。新聞はさいしょソファについた父親が前かがみになって炬燵テーブルのうえにひらきながら読んでいたが、こちらが飯を食っていると読み終えてわたしてきたのでページをめくって記事たちを瞥見する。連合が衆院選の総括を発表して、共産党との限定的な閣外協力を表明したことが有権者に困惑をあたえたことは否めない、と評価し、立憲民主党共産党と組むのをやめて国民民主党と連携するようもとめたという報のみ読んだ。民主党立憲民主党の支持母体となってきた連合は過去に共産党とはげしくやりあった歴史があるらしく、前会長の神津里季生のときから共産党と組むのはちょっと、というメッセージをたびたび発して距離を取ろうとしていたのだが、会長がここで芳野友子というひとに変わってからはより強硬になり、マジでかんがえられん、みたいなかんじになっているようで、この記事でも共産党と組むことは連合の意志とは合致していない、みたいな芳野会長の発言が引かれていた。
  • 食事を終えて皿をあらうともう九時五五分であり、一〇時から通話なので風呂は洗わずに下階にもどって、そのままコンピューターを隣室に持ちこんだ。ZOOMにアクセスして開始。通話中にはなしたことを書くとまたながくなるのでそれはあとにまわしてさきにすすむと、一時ではなしは終わって自室にもどり、ずっと座っていたためにからだがこごったので、いつもどおり寝転がって書見しながら脚をマッサージした。二時ごろまで。それからストレッチ。ストレッチはやはりすじを伸ばすことに傾注するというよりは、瞑想の一パターンみたいなかんじで姿勢を取ったまま静止するという意識でやったほうがよいような気がした。息を吐くのも、限界まで吐ききればそれはそれでからだはめちゃくちゃほぐれるのだけれど、そんなにがんばらず、ある程度の深さにとどめて気楽にゆっくりやったほうがよい気がする。それから日記を記しはじめて、きのうのことを多少書き足して投稿、きょうのこともここまで書けばいま三時二〇分にいたっている。(……)
  • あと、日記を書きはじめるまえに「読みかえし」をすこしだけ読んだのだった。
  • 日記に切りがつくと上階へ。トイレに行って腸を軽くし、それから風呂洗い。浴室に行くまえに台所でフライパンにうどんがあるのなどを見ていると、上がってきた父親がじぶんは山梨に行くと言うので了解した。そうして風呂を洗い、カレーの残滓とともにフライパンで煮込まれたうどんにさらに麺を足して加熱。ブクブクなっているあいだに食器乾燥機の食器をかたづけるなど。炒めものもパックにあまっていたのでそれもレンジで熱し、うどんを丼にそそぎこむと双方盆に乗せた。居間のカーテンを閉めておいて自室へ。(……)さんのブログや(……)さんのブログを読みながらものを食べてからだをあたたかくし、食器を洗ってくると歯磨きも。そうすると四時二〇分にいたった。出勤まえにもういちど瞑想。音楽をともなわずにすわり、うすい雨音だけがそとからひびいていたが、けっこうねむくなって上体が揺れたりあたまがすこしかたむいたりする瞬間があった。ここまでかなと目をあけると二〇分経って四時四〇分。ちょっと腕を伸ばしたりしたのち、ここまでさっと加筆して五時前。そろそろきがえて出かけなければならない。あとそうだ、ものを食べ終えて食器を洗いに行ったさい、ついでに餃子を一〇個焼いておいた。父親が山梨に行ったので米は足りる。
  • スーツにきがえ、バッグとコートも持って上階へ。手を洗ったり用を足したりしてからマスクをつけて出発。きょうはさいしょから眼鏡をかけた。雨が降っており、そこそこの勢力だった。傘をひらいて、バッグは提げると濡れてしまうので左腕で腹につけてかかえるようにして行く。とうぜんながらなかなか寒い。路上には色を変えた葉っぱがたくさん落ちてぐちゃぐちゃになっている。吐く息で眼鏡がたびたびくもるのに、また両手ともふさがっているのでかけかたを気軽になおせないのにわずらわされながら坂を上っていった。駅につくとホームの屋根のしたにとどまらず、また傘をひらいてさきのほうへ出ていく。このときには降りはもうだいぶ弱くなっていた。来た電車は、きょうの天気ではさすがに山に行ったものもすくないらしく空いており、席について瞑目することができた。
  • (……)につくと職場へ。駅の通路をあるくあいだの気分はまあ平静平板だったが、とくに意欲的だったり楽だったりするわけでもなく、どちらかといえば面倒くせえなというほうに寄っていた。それにはたぶんあしたも出なければならないだろうという見通しが寄与していたのだろうけれど、ありがたいことに翌日の追加労働は回避された。勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • それからベンチについて書見しながら電車を待ち、来ると乗って席で瞑目。最寄りで降りるともう雨は降っていなかった。駅を抜けると黄や橙や赤の色を帯びたモミジがそこらじゅうに散らばっていたが、とはいえもう夜で空も閉ざされているから濡れて黒い地面が街灯にひかるばかりで葉の容色もあまりあきらかならず、こんがり焼けたビスケットのようなかたちと色味をしているもののいまは雨をしこたま吸って水っぽさにつつまれているからその比喩も小気味よさをうしなって相応しない。木の間の坂にはいればあたりからしきりにしずくのひびきが立って、木立のなか、葉のあいだではまだ雨が降っていた。したの道に出るとその降りはやみ、微細なおうとつに水をおぎなわれて黒さをなめらかにしたアスファルトが、あるかなしかのそのもりあがりに街灯の白さをかけられて、それじたい歩につれて移動するもう一種の液体であるかのようなこまやかな発光をひろげており、純な黒と白のおりなすこの路面の光景を雨の日に目にするといつも、女人のせなかのような、という過去につくった比喩をおもいだすけれど、ひとと性関係を持ったことがないから女人のせなかなど見たことがない。
  • 帰宅後はいつもどおりでこともなし。Constance Grady, "“I am half agony, half hope”: Jane Austen’s most romantic love scene"(2018/2/14)(https://www.vox.com/culture/2017/2/14/14598536/persuasion-jane-austen-most-romantic-love-scene-letter-valentines-day(https://www.vox.com/culture/2017/2/14/14598536/persuasion-jane-austen-most-romantic-love-scene-letter-valentines-day))を読んだ。やはり疲労のために文を書く気力が起こらず、だらだら過ごしてしまいがちである。風呂を出てきてから、石原吉郎の肉親に宛てた手紙の一節をくりかえし読んだ(夜なので無声音で)。いぜん、そうとうに気に入った文章や詩などをやはり暗唱できるようにして身体化したいなというもくろみをもって「ことば」というノートをつくり、くりかえし読んでいたみじかい時期があったのだけれど、そのいちばんさいしょに引かれている文である。この暗唱のこころみをまたやってみるかという気になったのだった。とはいえ前回は暗唱できるようにするという目的がさきに立ちすぎて、そうするとやはりただ読むだけではなくて読みながらきちんとおぼえようという意識が出てきてしまい、それが面倒くさくなってぜんぜんつづかなかったので、今回はおぼえようとかよりよく理解しようなどという余計な企図は排除して、とにかくひたすらくりかえし読むというひたむきさに賭けることにした。つまるところいわゆる素読というやつで、江戸時代とかに子どもらが論語をとなえておぼえていたのとおなじようなかんじで、とにかく声に出して読むことじたいを自己目的化することにした。ひとつの引用文について一〇〇〇回くらい読めばいいんではないかとおもっている。一〇〇〇回がおおければ五〇〇回か三〇〇回くらいでもよいだろう。一日一〇回読めば一か月で三〇〇回は行くわけで、一日一〇回はそこまでながくなければわりと余裕である。おなじ文章を一〇〇〇回も読めばおぼえるおぼえないなどというあさはかな意図や虚栄心をこえてもう歌をうたうように口がしぜんとうごくようになっているだろう。歌をうたうように文を読み、ことばを吐きたい。
  • あと書いておくとしたら通話中のことだが、これも正直書くのは面倒臭い。それでもおのずとおもいだせることはいくらか記しておくか。(……)
  • (……)
  • (……)

2021/11/21, Sun.

 私は忠誠の誓いを立てた そそり立つポールに掲げられながら
 半ば弛み垂れ下がった旗に そして
 一つでも…不可分でも…すべての人に自由と平等を与えるのでもない我が共和国に [註1: フランシス・ベラミー(一八五五 - 一九三一)が一八九二年八月に作成した「忠誠の誓い」を改変]

 私は祈ってきた あなたがたの [﹅6] 主への祈りを、あなたがたの [﹅6] 神に対して
 あなたがたの似姿に作られた神に…私をあなたがたの悪行から救ってくださいと
 しかしその名は虚ろであり、黒人の祈りを叶える気もない [註2: 聖書「マタイによる福音書」六章九 - 一三節を改変]
 この世でも 閉ざされた天国でも

 魂は明け渡した、せめて名は奪わないでくれ [註3: 一九九六年の映画「クルーシブル」におけるダニエル・デイ=ルイス演じるジョン・プロクターの台詞]

 多くの苦しみ焦り怖れに悩んだ
 この五十と七年の間に
 私の血と汗と涙(のすべて)が流れ込む
 あなたがたが私を捨てたあらゆる谷間に
 私は歌った…「我が祖国、汝を讃ふ [註4: サミュエル・フランシス・スミス作の「我が祖国、汝を讃ふ」(一八三一年)より] 」を…
 歌えと言われれば

 私は喝采も送った 夕暮れの陽が消えるころに
 あなたがたの大きな縞模様と輝く星が
 はためく姿に その下にはあなたがたが自由と宣言した土地
 勇者の故郷 それなのにすべての人を自由にする(end30)
 勇気はない [註5: 米国国歌を改変]

 魂は明け渡した、せめて名は奪わないでくれ

 私は信じた あなたがたの言う通りコロンブス
 正確な航海術によって
 西に向かって帆を上げ東にあるインドを見つけようとし
 アメリカを発見したと
 見つからなくなっていたわけでも見つけられたかったわけでもないのに
 住民も見つからなくなっていたわけでも見つけられたかったわけでもない
 それなのに新しい名前を付けられた 自分の名前ではないものを

 魂は明け渡した、せめて名は奪わないでくれ

 自由が呼びかけてきたとき 呼ばれるべき(end31)
 名がなければ、自由にはなれないのだから 名は奪わないでくれ

 (ニール・ホール/大森一輝訳『ただの黒人であることの重み ニール・ホール詩集』(彩流社、二〇一七年)、29~31; 「私の名前」 My Name)



  • 「読みかえし」、157番。マルセル・プルースト井上究一郎訳『失われた時を求めてⅠ 第一篇 スワン家のほうへ』(ちくま文庫、一九九二年)より。したのぶぶんの執拗さというか、~~な匂いという表現をひたすらならべていくさまはなかなかすごいなとおもった。ただそれだけではなく、声に出して読んでみるとこれがなかなかリズムがよいというか、なにか気持ちのよいところがあって、井上究一郎の訳はかなりこまかく読点を置くし、いまの文章の感覚とはちょっとちがうなというところがあったり、現在の感覚として精度がたかいかというと意外とそうではないとおもわれるところもあったとおもうのだけれど、この箇所は読点にしたがって口に出してみるとひとつのながれが生まれるかんじがあり、やはりさすがなのだなとおもった。
  • 82: 「その二つの部屋は、田舎によくある部屋――たとえばある地方で、大気や海のあちらこちらがわれわれの目に見えない無数の微生物で一面に発光したり匂ったりしているように――無数の匂でわれわれを魅惑する部屋、もろもろの美徳や知恵や習慣など、あたりにただようひそかな、目に見えない、あふれるような、道徳的な生活のいっさいから、無数の匂が発散するあの田舎の部屋であった、それらの匂は、なるほどまだ自然の匂であり、すぐ近くの野原の匂とおなじように季節の景物なのだが、しかしそれはすでに居すわった、人間くさい、部屋にこもった匂になっている、そしてそれらの匂は、いわば果樹園を去って戸棚におさまった、その年のすべての果物の、おいしい、苦心してつくられた、透明なゼリーの匂、季節物であって、しかも家具となり召使となる家つきの匂、焼きたてのパンのほかほかのやわらかさで、ゼリーの白い霜のちかちかしたかたまりを緩和する匂、村の大時計のようにのらりくらりしていて几帳面な、漫然とさまようかと思うと整然とおさまった、無頓着で先の用意を怠らない匂、清潔な白布の、朝起きの、信心家の匂、平安をたのしみながら不安の増大しかもたらさない匂、そのなかに生きたことがなくただそこを通りすぎる人には詩の大貯蔵槽に見えながら、そのなかにいれば散文的なたのしみしかない匂である」
  • 覚醒は九時二二分だったはず。それから寝床で喉を揉んだり深呼吸したり、あときょうは腹も揉みながら(昨晩風呂のあとに茶を飲んだのだけれど、そうすると寝るまえくらいにはなぜかやたらと腹が張っていたので)だらだらして、一〇時八分に離床。水場に行ってきてからまたベッドにころがって書見した。熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』(講談社、二〇一七年)。おもしろい。『判断力批判』を中心として趣味判断や美にまつわるカントの所論を追っていくもので、かなりわかりやすいとおもう。そうはいっても論述のながれをよくおぼえているわけではないし、また細部で意味の射程がつかみきれない語もあるにはあるが、なにより文章の質感がとてもなめらかで、ほとんどすべすべしており、熊野純彦の本はどれもそうだ。文体の円滑さによって乗せられてするすると読めてしまう(するすると読めるというのはかならずしもつねに褒めことばになるわけではないとはいえ、ここでそう言うことに否定的な含意はないし、むしろいくらかの羨望をまじえてさえいる)。これはふつうの書き手はひらかないだろうという語もひらいていることがままあり、それもやはり過去の著作においても同様だが、きょう読んだなかだったらたとえば22に「ふつうのいみでの普遍性 [﹅3] 」という一節があり、「意味」をひらくためにはなかなかおもいきりがいるような気がする。おなじく22にあるそのつぎの段落の冒頭は「とはいえたほう」という七文字ではじまっていて、「たほう」単体ならまだしも、この七字の字面はほかではまず見かけないものだとおもう。「たほう」がひらいているのだからとうぜん、それにたいする「いっぽう」もひらくわけで、16ページにはその組み合わせが見られるが、ところが63ページにいたるとこの二語は漢字になっており、一七八五年に公刊された『倫理の形而上学の基礎づけ』にかんして、「一方で、第一批判で予告されていた形而上学の第二部門に対する序論であるとともに、他方で、第二批判を公刊するまえに道徳哲学をめぐるみずからの基礎的視角をやや一般むけにあらかじめ提示したものである」という説明の一文が見て取られる。「一方」「他方」の双方に「で」という助詞一文字がついているので、それが漢字とひらがなの選択においてなんらかの影響をおよぼした可能性があるかもしれないが実情はむろん知れず、さきにふれた「意味」についてもいつもかならずひらいているわけではなく、36ページには「美と善が独立なことがらであることが、趣味による判定には関心のいっさいが欠けていると語られるさいに、意味されている消息のひとつなのである」と漢字のすがたであらわれる。そしてそのつぎの37ページではまた、「美が経験されるさいの自由な適意は感性的で、あるいみでは動物的な次元からの解放を、そのかぎりでの自由をふくんでいる」とふたたびひらがなになっているけれど、これにかんしてはおそらく、「意味する」という動詞形でつかわれるか、名詞としての「いみ」でもちいられるかの別なのではないか。つまり、熊野にしても「いみする」とは書けないのではないかという気がするのだが、べつにそんなことはなく、のちにあっけらかんとそういう表記が出てくるか、あるいは気づかなったところですでにつかわれていたのかもしれない。いずれにせよ、おなじ語でも箇所によって漢字とひらがなでつかいわけているものがこの本のなかにはいくつかあるとおもうのだけれど、それらにかんして明白な法則性があるのかいなかは確定しがたく、だからといって気まぐれにつかいわけ、てきとうに書いているというかんじはまったくなく、個々の箇所の文脈や見え方によって適宜判断しているのではないかと推測する。
  • 一一時半ごろまで読んだのだったか。きょうの天気は曇りで、明確に青さは見えず、濃淡さまざまな雲がほつれもなくつなぎあわさったさきに透ける色もほとんどなかったが、それでもときおり太陽が雲の窪みにはいってひかることもあった。上階へ行き、ジャージにきがえて食事。きのうの五目ご飯をスンドゥブで混ぜておじやにしたものと、それだけではすくなかったので冷凍のドリアや煮物のあまりを食べた。新聞は書評面を瞥見したくらい。ジョイスの『ユリシーズ』の紹介があり、加藤聖文が武井彩佳の『歴史修正主義』をとりあげていた。この中公新書の新刊は読みたい。ほか、一面から二面にかけて北岡伸一が寄稿していたのでそれも。北岡は国際協力機構(JICA)の理事長をやっているのだが、それでカブールが陥落してタリバンが制圧したさいに現地職員の安否を心配して退避のためはたらきかけたと。現地職員とその家族や関係者のみならず、北岡の懸念の対象はあとふたつあり、それが警官として育成された女性らと(一五〇〇人ほどとあったか?)、アフガン人元留学生だと。このうち女性警官らにかんしてはタリバンがひきつづきはたらきつづけてもらうと表明したので危険度は相対的にすくないと判断されたが、仲間として尽くしてくれた現地職員らについてはなんとか脱出させたくて、岸信夫防衛相に直接自衛隊の派遣を頼みにいったという。それでもけっきょくまにあわずにあとすこしのところで例のテロが起こってしまい、自衛隊機によって脱出できたのはたしかひとりだけだったはずで、ほかはその後陸路で隣国にのがれたりしてなんとか退避した。元留学生らについてはまだアフガニスタンにのこっているひともおおく、当人たちが脱出をのぞんでいるのかもわからないが、日本はこういうばあいにしかるべき人間を見捨てるようなことはせず、人道と人権を重視する外交をおこなう国であってほしいと。それは国益にもつながるはずであり、安全保障の観点からして人権を重要視するにあたって、岸田内閣が元防衛大臣だった中谷元を人権担当の総理補佐官に任命したのはたいへんけっこうだと評価していた。日本でまなんでいたアフガニスタン人の元留学生については酒井啓子が先日彼らをすくうべきだという要望を政府に提出して記者会見をしたという記事もあったが、それについてもほんのすこしだけ言及されていた。
  • 皿と風呂を洗い、帰室。茶を飲みつつ、きょうも「読みかえし」。一時すぎから一時間くらい読んだ。だいたいプルースト。それからひさしぶりにギターをいじる気になったので隣室へ行き、あそぶ。まあまあわるくはない。ほぼ似非ブルースだけ。やはりジャカジャカやりたいので、いちど(……)の練習室を三時間くらい借りてみるのもよいかもしれない。ギターに満足したあとは自室にもどってまた書見。いま74ページまで読んでいてまあまあはやい。
  • Oasisがながれるなかで静座。静座という語がきのうの記事を書いているときにふと出てきてつかったのだが、瞑想や坐禅というよりもこの語のほうがぴったりするのでこれをつかうのがよいかもしれない。検索してみるとWikipediaに記事があって、狭義には儒教の身体的実践について言うらしい。「朱子学創始者である朱熹は24歳のときに師である李侗から、感情や意識が働く以前の心(性)を養う「未発の存養」の方法として静坐を伝授されたという」、「朱熹は仏教の禅の座禅を思考を断絶するものだとして退け、しっかりと意識をもちながら心の安静な状態を維持するものを静坐とした。 しかし、人の日常は未発ではなく、外部からの刺激によって情が励起する「巳発」の場面がほとんどであり、静坐を極めても心の問題が全て解決するものでもないとも考えた[1]。 朱熹儒教経典に見られる「敬」を重視し、日常的な場面でも心を安静の状態に置くこと(居敬)を求め、静坐をその一部に位置づけた。一方で静坐にも一定の意義を認め、静坐での呼吸法について『調息箴』という書物を著している。その後、朱子学では明の陳献章が静坐を重視したことで知られており、陽明学では王畿らに静坐への言及がある」とのこと。仏教的坐禅が「思考を断絶するもの」なのかは微妙な問題だとおもうが、「しっかりと意識をもちながら心の安静な状態を維持する」というのはまさしくじぶんがやっているそれの説明としてただしいとおもう。「感情や意識が働く以前の心(性)を養う」というのも、なんとなくわかるような気がするというか、なにかしら示唆的なものをかんじる。「静坐を極めても心の問題が全て解決するものでもない」などというのはあたりまえのことである。
  • 四時四〇分で上階へ。アイロン掛けをする。母親がけっこうやってくれたようで、かけるべきはだいたいじぶんのワイシャツくらいだった。食事もスパイスカレーをつくるというのでまかせることに。ワイシャツの処理を終えると下階にもっていき、部屋のそとにかけておいて、それから蓮實重彦『「私小説」を読む』(講談社文芸文庫、二〇一四年/中央公論社、一九八五年)の書抜きをした。書抜きもなかなかできない。音楽はOasis『Familiar To Millions』をつなげたが、"Stand By Me"がやはりよく、とくにB部にはいって"so what's the matter with you?"と言うさいしょのところがいちばんよくて、観客らがシンガロング的に合唱している声がきれいにそろっており、雲につつまれた月が周囲にうつしだすひかりの暈みたいに拡散しながらもさわやかなひびきでボーカルに添っているのがきもちよい。書抜きは意外と時間がかかって三箇所しかできず。指をうごかしながら、なんかなげえなという印象だった。講談社文芸文庫は字数がおおいのだろうか?
  • 七時ごろになって食事へ。カレーや生サラダ。新聞からは国際面を読んだ。北京支局長だかの吉田健一(かの文芸評論家とおなじ名、おなじ字である)が香港で毎年おこなわれていた天安門事件追悼の光景がもう見られなくなったことをなげき、中国共産党にとって都合の悪い歴史の風化や修正的解釈がすすむことへの危機感を表明した記事と、パキスタン政府がパキスタンタリバン運動(TTP)という国内の過激派と停戦合意したことをつたえる記事。アフガニスタンタリバンが仲介して実現したらしく、タリバンを後援してきたパキスタン政府としては、彼らに停戦合意を仲介してまとめる能力があることを国際社会にしめし、一定の評価を得させたいという思惑があるのではないかとのこと。パキスタン政府もタリバンを援助しているし、パキスタンタリバン運動もなまえのとおりタリバンを支持し奉じる組織なのだが、シャリーアにもとづく統治を要求するTTPと政府はながねんあらそっているらしく、一〇月だけでもTTPによるテロ事件が一〇いじょう起きたと書いてあった気がする。停戦がつづくかどうかは不透明。
  • 食後に部屋にもどってからはきのうの日記を綴り、九時過ぎくらいまで書いて、たしかここでしあがったのだったとおもう。日記はまたのちほど、この日のこともとちゅうまで綴った。九時半かそのくらいまでベッド縁に腰掛けて打鍵していたらからだがだいぶつかれたので、たおれこんで休息。このときはたぶんウェブをまわってだらだらしたはず。そうして一一時ごろにいたって入浴へ。風呂のなかではいつもどおり静止して肌やからだの感覚に意識をむけた。さいしょは換気扇がついていたので聞こえなかったのだが、やがてそれが停まると窓外でいつのまにか降っていた雨のひびきがガラスをとおってながれてきて、しばらくするとおだやかになったもののこのときにはそこそこ厚く、こもるようにひろがっていた。もう冬にちかくて乾いた晴れもおおく、雨の音を聞くのがひさしぶりだったためか、ひびきがあってもそのにおいとか雰囲気とか空気のつめたさとかがちっとも喚起されず、なんとなく違和感があるというか、いまにそぐわず実感できないようなかんじがあった。零時過ぎまでながくすごす。出て水を飲み、手にユースキンを塗って自室にもどると、きょうのことを記したはず。一時くらいまでだったか。それからまたつかれに負けて、枕とクッションにからだをもたせかけてやすんでいるうちに意識があいまいとなり、三時をむかえたところで起きるときょうはここまでだなと明かりを消して布団のしたにはいった。

2021/11/20, Sat.

 夜ではなく
 灯の欠如

 砂漠のうだるような暑さではなく
 降るはずなのに降らない雨

 人間性が人間らしさを失い(end25)
 人を人とも思わず人でなしにすることではなく
 人間性が人間らしさを見極められず
 人とも思われず人でなしにされた人が
 人であることを奪い返し取り返すためにやり返さなくなったこと

 悪意のある人々の不快な怒号や非難の声ではなく
 恐ろしいほどの沈黙
 善良であると自認する人々の [註1: マーティン・ルーサー・キングの言葉より]

 夜ではなく
 灯の欠如こそが
 我々を暗闇に留める

 その暗闇の中で
 思い出すべきは(end26)
 敵の言葉ではなく
 仲間の沈黙 [註2: 同右]

 (ニール・ホール/大森一輝訳『ただの黒人であることの重み ニール・ホール詩集』(彩流社、二〇一七年)、25~27; 「恐ろしいほどの沈黙」 Appaling Silence)



  • 八時半ごろにいちど覚めて、そこでもう起きるつもりだったのだがいつの間にかまた意識をうしなってしまい、まどろみのなかで一一時にいたった。しかたあるまい。深呼吸をすこししてから一一時二〇分に離床。きょうの天気は曇り。布団を剥いでベッドの奥へとたたんでおき、床におりると部屋を出て水場へ。顔を洗ったり口をゆすいだり、用を足したりうがいをしたり。もどってくると瞑想をした。三分か五分かそのくらい深呼吸をしてからだ全体をほぐしてから静止。きょうは下半身がややこごり気味で座っていると左足がすこししびれてきたのだが(その時点でたぶん二〇分くらいだった)、なんだかんだつづけてちょうど三〇分ほど。時刻は正午だった。姿勢を解くとしばらく脚を揉んで痺れが去っていくのを待ち、それから上階へ。
  • 食事は鮭。また、五目ご飯が炊かれてあったのでそれも椀に盛る。新聞からは昨晩につづき大谷翔平の記事とマルコムX暗殺関連を瞥見。マルコムX殺害の実行者として逮捕された人間は三人いたらしく、今回無罪と判断されたふたりを除いたのこりひとりは容疑を認めているという。ムハンマド・アジズとすでに故人であるカリル・イスラム(だったか?)いがいの四人がかかわっていたと供述しているらしく、真相は謎のままだと。ムハンマド・アジズについてはドキュメンタリーが放映されたことをきっかけにしてニューヨーク地検の再調査がはじまり、事件のときに自宅にいた彼と電話したという新証言が見つかったり、きのうの記事にも触れられていたとおりFBIが都合の悪い証言を隠していたという事実が発覚したと。
  • その後、立憲民主党の代表選について。きのうの一時ごろだったか、風呂を洗って出てくるとテレビで四者が会見前にならんで座っているところが映っていてちょっと見やったのだが、そのときは泉健太がまっすぐ背すじを伸ばしていかにも真面目そうなようすで座っており、ちょっと硬い感じも受けたのだけれど、それにたいして小川淳也はすこしだけ余裕のありそうな雰囲気だった。しかしきょうの新聞記事に載っている写真(四氏が差し伸べた手をかさね合わせた記念撮影)を見ると、ほかの三人がほほえんでいるなかで小川ひとりだけ無表情の硬い顔をしていた。新聞記事にはそれぞれの候補の推薦人も載っていたので、議員などぜんぜん知りはしないがすこし見てみると、菅直人西村智奈美を推薦しており、これは彼女が菅の派閥に属しているからである。石川大我というひとは同性愛者の議員でLGBTの権利拡大に熱心なひとだったとおもうが、彼も西村智奈美を応援しており、やはり彼のような立場の人間としては女性を推すということになるだろう。階猛 [しな・たけし] というひとはなんか政策通みたいな、勉強会とかをひらいてよく研究しているみたいな評判をどこかで聞いた気がするが、小川淳也を推薦していたはず。まあ候補者四人は全員それぞれの派閥に分かれているので、だいたいそこに属している議員がそのまま推薦しているのだろうが。西村智奈美は先述どおり菅直人がリーダーの派閥で、逢坂誠二は党内最大派閥の「サンクチュアリ」所属(リベラル勢のあつまりで、枝野幸男もここにいる)、小川淳也野田佳彦がリーダーの派と書いてあったはずで、泉健太は国民民主党から来た人間だからそちらのほう。小川淳也がどういう立ち位置なのかあまりわからないのだけれど、リベラル派ふたりにたいして「穏健保守」と呼ばれている支持層をとりもどそうとする泉健太および国民民主党出身のひとびと、という大雑把な構図だろう。四者とも来夏の参院選でも野党候補を一本化するということは前提として共有しているようだが(これにかんしては小川淳也が先頭で口火を切り、ほかの三人もそれに追随した、みたいな書き方になっていた)、共産党との連携にかんしてはみなあいまいな態度で評価を濁したとあった。
  • 食べ終わったころ、髪をととのえに行っていたらしい母親が帰宅。食器を洗い、彼女が買ってきたものを冷蔵庫に入れ、風呂も洗う。出てくるときのう母親が買っていたケーキと茶を持って帰室。一服し、ウェブを見たあと(昨晩メールを送ったSCOOLの予約が完了したという返信が来ていた)、きのうの一九日の記事にひとこと足して投稿し、「読みかえし」。またもOasis。一時くらいから一時半くらいまで読んだのち、きょうのことをここまで記して二時過ぎ。
  • そのあとはルイーズ・グリュック/野中美峰訳『野生のアイリス』(KADOKAWA、二〇二一年)を読んだとおもう。寝床にごろごろしながらさいごまで読み終えてしまった。そんなに印象にのこる詩集ではなかった。じぶんとのあいだになにかが発生する瞬間を呼びこみむかえることができなかった。テーマじたいはじぶん好みなぶぶんもおおいとおもうのだが。出勤までのことはあまりおぼえていないが、静座しながらMichael Feinberg『Hard Times』を聞いた時間があった。また、帰宅後にちょっと休んだあと、夕食を取りにいくまえにも聞いた。これはなかなか強力なジャズで、Michael Feinbergというベースはぜんぜん知らなかったが骨太で充実した音をしているし、参加しているひとたちもみんなうまくて、フリーまでは行かないが譜割りやリズムがどうなっているのかよくわからないところがあったり、ほどよくアウトしたフレーズをたたみかけたりする場面もおおく、かっこうがよい。曲はめちゃくちゃ凝っているわけではないけれど拍子や展開に工夫があるものがおおくて、有名曲とかスタンダードにあたるのは#2の"Nardis"だけだろうが(#3 "The Husafell Stone"という曲にもあきらかに聞きおぼえがあって、たぶんHerbie HancockFreddie Hubbardあたりが六〇年代につくった曲かなにかを下敷きにしているのではないかという気がするが)、これも範囲ごとでビート感を変えて総体的に緩急をしこんでいる。Jeff 'Tain' Wattsも手数がやたらこまかくてバシバシうるさいくせにさらに重さもあるごついドラマーだから、ベースの重厚さとスタイル的に調和していたのではないか。この日に聞いたのは#9 "Monkeys Never Cramp"までで、一曲のこっているのだけれど、細部でよくわからない箇所もおおかったので、くりかえし聞きたい。
  • たしか出勤前に歯磨きなどをしながら(……)さんのブログを読んだはず。帰宅後も読んだかもしれない。したは一七日分からの引用だが、この記事は帰宅後に休んでいるあいだに読んだのだったとおもう。一四日の記事でガタリの『カオスモーズ』について、集団のなかで患者の主体性が立ち上がってくるさまを病院でのじっさいの経験にそくして記述した本だと漠然と理解している、みたいなことを書いたのだけれど、この引用を読むかぎりではその理解はずれていそうだ。「言表は個人としての主体に帰属させるべき行為ではなく、むしろその言表の生産される現場を社会の集団や権力関係のなかで捉えることが必要だというのである。この立場からは、主体ではなく、むしろ集団的主体性が問われることとなる」とあるのだから、個々の「患者の主体性が立ち上がってくるさま」を描き考察するというよりは、集団としての主体性、環境や構造のような水準がより問題となっているはずだろう。まあ、さっさと原著を読めというはなしなのだが。

 AOにおける精神分析批判のもう一つの要点は、精神分析の「主体化」へのアンチテーゼである。主体化とは、「シニフィアンは他のシニフィアンに対して主体を代理表象する」というラカンの公式に示されるように、精神分析シニフィアンを必ず主体と結びつけてしまうことを指している。つまり、精神分析はあらゆる言表行為を個人としての主体に帰属させ、そうすることによって「言表行為の主体」を形成してしまうのである。
 反対に、ガタリの立場からは、言表行為の主体は存在しない。存在するのはただ言表を生産するアジャンスマン(さまざまな次元の構成要素からなる異種混交的な編成)だけである。つまり、言表は個人としての主体に帰属させるべき行為ではなく、むしろその言表の生産される現場を社会の集団や権力関係のなかで捉えることが必要だというのである。この立場からは、主体ではなく、むしろ集団的主体性が問われることとなる。そして、その実践のなかでは「共通規範を逸脱する主体の欲望的特異性にそれ相応の場所」が付与される。つまり、集団的アジャンスマンは「特異性の〈素材〉として現出するあらゆるものと連結することのできる開かれたシステム」なのである(Guattari, 1977, p.39/104頁)。人間は、つねに何らかの集団のなかにあるが、それでも集団の規範を逸脱する特異性がつねに轟き、生じている。スキゾ分析の任務は、その特異性を抑圧から解放し、「前人称的な複数の特異性を開放すること」にほかならない(Deleuze & Guattari, 1972, p.434/下272頁)。
 (松本卓也『人はみな妄想する――ジャック・ラカンと鑑別診断の思想』 p.398-399)

  • 四時半くらいに出勤にむけてものを食べに行った記憶がある。五目ご飯がのこっていたのでそれを食べたのではないか。あと即席の味噌汁も飲んだような気がしないでもない。腹をすこし埋めると、身支度へ。しかしそのまえに、五時一〇分から一〇分だけまた「読みかえし」を読んだのだった。熊野純彦レヴィナス』中の記述(154番)ひとつを二回読んだだけで時が尽きてしまった。それからわずかにストレッチをしたり、歯を磨いたり、服を着替えたりして出発。こちらが玄関を出たあとから出てきた母親が、月が赤くてすごいみたいなことを漏らしたが、たしかに扉をくぐったさいに、東の坂沿いの樹々に隠れつつも赤の色が低いところにのぞいているのを目撃していた。道を行くあいだ振り返ってみても、鍛冶場で焼けたような赤さの月、ほとんど満月だが上端だけかすかに薄れているそれが、おしなべて雲がかっているはずの白墨色の空でそこだけきりきり刳りぬかれたようにはっきりと浮かんでいた。五時半を過ぎたころあいなので道はとうぜんもう暗い。
  • 最寄り駅にはいるとホームの先のほうへ。駅まで来たあとは階段通路を行きながら、月が消えたなと暗い空に視線を吸いこませていたのだが、ホームを行けば正面、東の空に、こんどはあまりはっきりせず色もにぶくなったすがたのなかに雲の黒い線を横にながして裁断された赤さがあって、切り絵のように貼りついていたそれはしかし、ちょっと見ないでいるうちにもうすぐ呑みこまれてしまい、ふたたび見やったときには指紋程度の希薄さしかなくなっていた。
  • 乗車。満員。しかし扉際から一歩下がるくらいはできたので、そこで頭上の吊り革をつかむ。右手に白人の一団。四人ほどの男女だったはず。左隣りでは比較的若い男と比較的歳を取った男がはなしていて、歳を取った男のほうがだれか女性について、だれかがねらっていたのにゆっくりはなれていたらもう男をつくってた、みたいなことを言っていた(じっさいにはっきり聞こえたのは「もう男つくってた」ということばくらいで、かなり想像によるおぎないがはいっているが)。そのあとでべつの女性について、目のまえの若い男がねらっているということだったのか、あるいはたんじゅんに性質の評価だったのか知らないが、あの子はだいじょうぶ、ゆっくりしてても、みたいなことも言っていた。目を閉じて揺られていると右腕のあたりになにかが当たったので開けてそちらを見やれば、そこにいた中年くらいの女性が降車にそなえて荷物を身に寄せたさいにぶつかったらしく、あいてはすみませんとちいさく言って恐縮してきたので首を何度かうごかして会釈する。そうして目的の駅について降りるとぞろぞろと吐き出されて向かいに乗り換えていくひとびとのなかを横に渡っていき、改札へ。駅を出ると、ロータリーのなかでつつましやかなものではあるがイルミネーションがはじまっていた。きのうの夜に見たおぼえがないので、たぶんきょうからはじまったのではないか。職場へ。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)さんとともに退出。いっしょに駅にはいり、(……)とかはなしながらホームへ。(……)がもう出るまぎわだったのであいさつを交わして別れ、じぶんは反対側へ。出口のないようで不思議な土曜日の夜なので、それに似つかわしく酒を飲んだものがけっこういたようで、(……)さんが乗っていったときにはしたたかに酔っているらしく歩調も語調もあやういような、ほとんどバイオハザードのゾンビみたいにおぼつかないようすの中年いじょうの男性が電車の脇でよろよろしていたし、(……)に乗って発車を待っているあいだも、~~、三六歳です! とかおおきな声で自己紹介している女性とそれを受けてなんとか言っている男の声がどこからか聞こえてきた。疲労感はなかなかつよかった。時間にしてみればまあ五時半に家を出たとして帰り着いたのが一一時だからたかだか五時間半にすぎないはずなのだが。二、三時間はたらけばそれだけでもうふつうにつかれる。また、やはり眼鏡をながくかけていると額や頬骨、頭蓋がかたくなってかなりつかれるなということを再認識した。この夜は風呂場などでそれをほぐすのになかなか苦労したものだ。
  • 帰路にとくだんの印象はない。帰ると休み、ブログを読んだりし、その後Michael Feinberg『Hard Times』を三〇分くらい聞いて零時を越えた。夕食は五目ご飯ののこりやスンドゥブなど。新聞を読もうとしたがやはりあたまがかたくて困難そうだったので、夕刊で一記事読んだだけであきらめたはず。その一記事というのはウィスコンシン州ケノーシャで昨年八月だかに人種差別に反対する抗議デモのさいちゅうに路上で発砲し白人をふたり殺したカイル・リッテンハウス(Kyle Rittenhouse)が無罪となったという報で、この青年はとうじわずか一七歳、現在一八歳で、有志があつまった武装自警集団(vigilante)に参加していた人間であり、事件とうじは右派メディアをいどころとしているたぐいのコメンテーター的な評論家(TV pundit)が、まだ一〇代の青年が国を憂いて銃を取りストリートに出ているというのに政治家はなにをしているのか? 彼を大統領にしたいくらいだ、とか言っておおげさに彼の行状を称賛していたはず。たしかミシガン州知事のGretchen Whitmerにたいする誘拐計画があきらかになって数人逮捕された事件をつたえるGuardianの記事のなで、そういう情報を読んだおぼえがある。それでNotionを検索してみたところ、やはりそうで(直接的にWhitmerの事件じたいをつたえる記事ではなく、それを受けて、テロリスト(domestic terrorist)を"militia"と呼んでその実態を曖昧化するメディアの報道を問題視する意見記事だったが)、Arwa Mahdawi, "Enough with militias. Let’s call them what they really are: domestic terrorists"(2020/10/10, Sat.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2020/oct/10/militias-domestic-terrorists-gretchen-whitmer(https://www.theguardian.com/commentisfree/2020/oct/10/militias-domestic-terrorists-gretchen-whitmer))がそれである。問題の情報は以下のぶぶん。

It’s not just the White House that’s complicit, it’s the media. Kyle Rittenhouse, for example, the 17-year-old accused of killing two protesters in Wisconsin last month, was celebrated as a vigilante by rightwing outlets. “How shocked are we that 17-year-olds with rifles decided they had to maintain order when no one else would?” Tucker Carlson asked on Fox News. Far-right pundit Ann Coulter tweeted that she wanted the teenager “as my president”. The New York Post, meanwhile, published photos of Rittenhouse cleaning up graffiti; he was framed as a concerned citizen rather than a cold-blooded killer.

To be clear: double standards aren’t just a rightwing media problem. A study conducted by Georgia State University last year found that terror attacks carried out by Muslims receive on average 357% more media coverage than those committed by other groups. While this is clearly racist, it’s also dangerous. White supremacists, plenty of evidence shows, are the deadliest domestic threat facing the US. By downplaying the threat of white nationalist terrorism, by finding politer ways to refer to it, the media have allowed it to proliferate. So please, let’s call things by their name. Enough with the “militias”, these people are terrorists.

  • Kyle Rittenhouseは故意殺人とか未必の故意とか、五つくらいの罪状に問われていたらしいのだが、地元の裁判所で一二人の陪審の全会一致の判断によって(原則として全会一致をめざすらしい)無罪となったという。彼は銃撃によってふたりの白人を殺害し、ひとりに重傷を負わせたというが、事件の直前に彼が銃を持っている被害者から追いかけまわされているようすをうつした映像があるらしく、それで弁護側の正当防衛だという主張、また本人の、じぶんは身をまもろうとしただけだ、という訴えが事実上みとめられたと。検察側は控訴できないらしい。ニューヨークなどで抗議デモが(この文を書いている二一日時点からすると)すでに起こっており、今後もつづいて混乱となる可能性もあると。
  • 新聞をあきらめたあとはテレビに映っていた『ごほうびごはん』というドラマを見た。このドラマはいぜん、第一回目が映っていたのもちょっと見たことがある。主演の女性は桜井日奈子というらしく、母親は見ながら、ほんとうにおいしそうに食べるねと笑って褒めていた。彼女がうな丼をつくる場面があって、(食にかんしてはたびたびそうであるように)うなぎというものをさいしょに食おうとおもった人間もいったいなにをおもってそうしたのかわからんなあとおもったのだが、たしかそれとおなじ場面でながれていたBGMが、あきらかにJackson 5のゆうめいな曲のパクリというか、それを踏まえているのでは? というかんじだった。Jackson 5なんていちども聞いたことがないので知らないのだが、これは"I Want You Back"で、やたらゆうめいでCMとかでつかわれていたはずなので曲だけは聞いたことがあったのだ。Richie Kotzenが『Peace Sign』のさいごで(たしか日本盤のみのボーナストラックとして)カバーしていたので、それでギリギリ記憶していた。なんかイントロがこれに似たかんじだった気がするのだけれど、よく聞こえていたわけではないし、じっさいにはべつに似た音楽ではなかったのかもしれない。いま"I Want You Back"をながしてみたが、Motownやばいな、というほかない。
  • 入浴後は日記を書きたかったのだけれど、やはり疲労がつよくてとりかかれなかった。それでだらだら過ごしてしまい、たいしたことはせずに四時直前に就寝。寝るまえに熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』(講談社、二〇一七年)をあたらしく読むことにして、ほんのすこしだけひらいた。