一四日の木曜日のつづきで「塔のある街」の精読をすすめようとおもうが、そのまえにことのついでに、ムージルの「グリージャ」「トンカ」の冒頭について。まず前者の一段落目。

 人生には、奇妙に歩調をゆるめて、前進をためらっているのではないか、それとも方向を転じようとしているのではないか、と思われるような一時期がある。このような時期にひとは不幸におちいりがちなものらしい。(岩波文庫、7)

 一文目では「人生」の途中でありうる一時期の様相が、擬人法をもちいた歩みの比喩で語られている。この一文じたいはとくになんということもない。「人生には(……)一時期がある」という断言調で述べられているので、読んだひとは、とりあえずそれをそのまま受けとめるしかない。あ、そうなのね、とか、そういう時期もたしかにあるかもしれない、という感じだ。ひとつだけポイントかもしれないのは、「奇妙に」という一語である。これがなければ、一文目の内容はなんの引っ掛かりもない、まあたしかに、というくらいの納得におさまる。この一語がくわえられていることで、人生が「奇妙に歩調をゆるめ」るというときの「奇妙」さとは、どういった感じだろう、どんな時期だろう、という疑問が生まれて、意味の輪郭がちょっとだけぼんやりとし、あいまいなひろがりがひらかれる。
 そして二文目、「このような時期にひとは不幸におちいりがちなものらしい」。これもなぜそう言えるのか、論理のつながりは明確でない。一文目とちがって推測調の結びになっているけれど、根拠が不明なので、読んだひとはこれもそのままのみこんでおくしかなく、実質的には断言として機能しているともみえる。この文の中核となっているのは「不幸」の一語だ。この「不幸」が、一文目におけるわずかな余剰だった「奇妙」と微妙に響き交わすように感じられる。「奇妙」さと「不幸」とはなにか関係があるんじゃないか、というわけだ。そうしてつぎの段落からは、「ホモには病気の小さな息子があった」と物語本篇が語られはじめる。
 順当にかんがえれば、「グリージャ」の物語は、この、人生が「奇妙に歩調をゆるめ」た一時期に、主人公ホモが「不幸におちい」ったできごとを語るものとして予期されるし、そのようなものとして読まれるはずだが、ただ「グリージャ」の内容を漠然とおもいだしてみたときに、冒頭の記述ときっちり対応している要素があったかどうか、いまいちピンとこない。ホモは「地質学者」(9)である。「自分の書物や計画」(7)をもっている。そういう生業、メインのしごとをもっているホモが、「数年前旅行中に知りあって、ほんの二、三日友誼を結ぶことになった」あいてからの誘いを受けて、「フェルゼナの谷の古い金鉱を再開掘しよう」(8)という事業に参加することになる。その動機は明確ではない。こうしたことのいきさつをみれば、たしかに谷間の村への滞在は、ホモの人生が「奇妙に歩調をゆるめ」た一時期と言えるかもしれない。しかしそれがほんとうに「奇妙」なのかどうか、よくわからない。「グリージャ」のなかで「奇妙」ということばはあと何回か出てくる。おそらくこの小説では、その「奇妙」さの質が明確にされていない。定義されていないといってもいい。あるいは、問題にされていない。「奇妙」とか、それに類する表現をつかい、ことがらにさしむけつつも、それをほかの概念に翻訳・要約することなく、具体的な描写や記述やエピソードをもっぱら展開する。「奇妙」ととりあえず言いはするけれど、じゃあ具体的な記述のなかのどこが「奇妙」なのかは、はっきりとわかりきらない。「奇妙」という要約語と、物語の内容やほかの意味づけのことばが、あからさまに結びつくことが回避されているんじゃないか。だから、「奇妙」といわれればたしかに奇妙にはおもえる、でももし「奇妙」という語がこの小説のなかに書かれていなかったら、そうはおもえないかもしれない、というあいまいな状態に読者はおとしいれられるんじゃないか。それが、こちらがいぜん「グリージャ」について記した、謎がないようにみえるのが謎、という印象のよってきたるところではないか。
 「不幸」についてもかんがえてみる。物語中でホモにおとずれる「不幸」として念頭にあがるのは、ラストの場面だろう。グリージャと不倫していたホモは、彼女の夫によって山の廃坑のなかに閉じこめられて、最終的にはどうも死んでしまったようにも読める(53: しかしこの時、生に復帰するには彼は衰えすぎていたのだろう。復帰を望まなかったのかもしれないし、それとも、もう意識を失っていたのかもしれなかった」)。これはたしかに、ホモにとって「不幸」なできごとといってさしつかえない。ただ、このさいごの場面で、うえに引いた二文にたどりつくまでの記述に、「不幸」のいろあいは希薄なのだ。それに類することばや、それを象徴するような要素が、たぶんまったくつかわれていないんじゃないか。冒頭では「不幸」ということばがつかわれていた、ホモのさいごは作品外の一般的な観念に照らせばたしかに「不幸」である、けれど、作品を記述することばたちはそれを「不幸」として演出していない、意味づけていない、えがいていない、こういう関係になっているんじゃないだろうか。「グリージャ」という小説では、「奇妙」や「不幸」という概念の内実が、骨抜きにされているとまではいわない、ほどかれ、やや流動化され、あいまいに撹乱されているんじゃないか。

 二時四〇分ごろだったかに外出。スーパーへ。とにかく風がつよすぎる。朝起きたときから豪風のひびきを聞いていたし、一一時台に洗濯物を干したときも窓をあければ右から左へ、北から南へと吹きつづけていて、圧力を受けて水平になろうとするパンツとかをかたむいたまま棒に留めていく。留めればならんだものが即座に南に向かって走り出していて、それをピンチがなんとか棒につなぎとめている次第で、だいじょうぶかなあ、これ飛んでいくんじゃないかとこんかいもおもうのだけれど、いままで洗濯物が飛ばされたことはいちどもないし、きょうもだいじょうぶだった。スーパーから帰ってきて入れたときも風はつづいていて、パンツもシャツもどれも横になっているし、円型ハンガーのとなりに吊るした無印良品の黒い長袖の肌着は円のなかに入りこんでいたのだけれど、なんだかんだ洗濯ばさみがつよい。
 いつもどおりのかっこうで道に出るとすぐさま風がおそってきて、陽射しのあかるい日だがさすがにつめたい。右手に折れて路地を抜け、そのまま向かいに。西向きに変わっていくあいだ、風はまえから厚く寄せてジャケットやシャツの裾をめくり、左の対岸では建物にぶつかるとともにそのうえを高速で過ぎるうなりが立って、巨大な筒状のものがじっさいにそこを行っているような、甲高くない、物体的な音だった。あるくあいだ、花粉なのかしらないが目にもはいってくるものが頻繁にあるし、まぶたはつねに細め、二、三秒くらい閉じながら行かねばならないときもままあった。H通りの公園にひびきがおおきい。奥の梅はもう散って色味がさだかでないが、それをはっきりみるのもむずかしい。こちらがわには桜だとおもうが裸木が枝ぶりをながくひろげて、なかに緑の葉をしげらせたこずえもあり、それにあたって大気がさわがしい。さむいのでじきに腕を組むような姿勢になった。胸のあたりをじぶんで抱いてすこしでもぬくみを確保するかたちだ。それでときどきまったく目をつぶりながら行く。小学校のほうから子どもたちの叫びが立つ。HA通りにあたって左折。風は変わらない。おれの毛根を痛めつけようとしているのか? 髪の毛を引っ張りぬこうというのか? という調子で前髪をみだしてくる。髪もそろそろ切りたい。天気はいい。ほそめた視界で対岸のほうをみやれば空に太陽はつつがなく、水色もたたえられ、雲は無目的に切り取られてなんのかたちにもならないフェルトのようなやつが前方にひとつふたつ浮いていた。厚みがすこしだけあり、その内が氷河風に青い。
 スーパーはきょうもごきげんな音楽。食い物を買う。店員ははじめてみる男性。この店のなかでは比較的若いほう。土偶みたいなからだつきと雰囲気。土偶といってもいろいろある。あの教科書に載っているいちばんゆうめいな、土偶ということばのイメージを一身にになっているあれがなんというのかわすれた、遮光型みたいななまえだった気がする。ちかくのカレー屋の関係ではないかとおもうが、インドかネパールかたぶんそのへん出身の外国人のひとが会計の操作に苦戦している。店員はこちらの品の読み込みのとちゅうで少々お待ちくださいと言って、かれを手伝いに行った。整理台には車椅子に低く沈み込むようになった老婆と、その連れ合いらしい老人。こちらが店を出るとき、なんとか言い合いをしていた。帰り道も風は変わらない。頭上をびゅんびゅん音をあげて吹く。公園の木の葉がバサバサやられる。スーパーのすぐ向かいから入る裏道を抜けて細い道路を渡ってはいったまたの裏で周囲をみれば、自転車はたおれている、二階の窓のそとにある柵から垂らされたよくわからない紐はぶらぶら揺れている、強風をみこして敷地の柵に紐でつながれたなにかの箱は転がっていくことは回避しつつも中身を散らばせている、おおきめの植木鉢がかたむきながらも底に接したブロックのおかげでたおれず耐えてもとの直立にもどる。公園では子どもたちがたくさん、だいたいはジャンパーを羽織ったすがただが半ズボンの子もまじえて元気にあそんでいた。折れるこちらは前方、北から来る風にたびたびさしとめられて、圧迫に身を前傾させながらのろのろ行く。アパートにたどりついて入り口をはいり、風の影響をのがれると、保育園のそとでむかえに来た母親といっしょにいる女の子が、飛ばされるー、飛ばされるーと言っていた。

 いまじぶんはTのはしっこのほうにある三万円くらいのワンルームアパートに住んでいて、おなじまちのなか、ここからあるいて三五分かそのくらいのところにA家という親戚がある。母親の妹であるYさんがとついださきで、むかしからかかわりや親しみが深い。きのうきょうとそこに行ってきた。いくらかまえに、兄からSMSが来て、A家に行こうとおもうけど三月一六日はどうかと打診され、そのころの体調次第だがとりあえずそこでいいとかえし、無事じっさいに行ってこれたかたち。これがかなりおもしろかった。といってとくべつなことはなくて、ひたすらくっちゃべったりギターやベースを弾いていただけなのだけれど、いや、これ記録しておきたいな、とやはりおもう。ただ、聞いたはなしにせよ、しゃべった内容にせよ、情報量がおおすぎて、いまのじぶんではとても無理。二月一四日にまた文を書きはじめていらい、記録的欲望、というよりじぶんの経験を記録することにたいする執着もしくは強迫観念といったほうがいいが、それがいぜんよりうすれているのをかんじていて、日記的なことがらを書くこともあるけれど、どちらかといえばフィクションのほうにながれている。その両方はできない、まえみたいに日記を書いて、さらに小説も書いてというのは、すくなくとも現状はとても無理だとわかっているので、キャパシティのなかでできることをやるようにしていると、「ふうけいしゅう」を書いたり、外出のときのことを書いたりというほうに行く。そういうキャパシティの問題もあるけれど、記録欲求じたいがまえよりもうすくなっているのもかんじている。これは自己への執着がすこし弱くなったということだとかんがえている。いいことでもある。けっきょくパニック障害も、根源はそこじゃないかとかんがえているので。いっぽうで、経験を書きたいという欲望が、フィクションのほうに横すべりしたな、とみえる側面もある。いぜんのじぶんの欲求が、じぶんの生活や経験、じぶんじしんと見聞きした範囲でのこの世界をなるべくぜんぶ書きたい、だったとしたら、それが、おもいついたことなるべくぜんぶ書きたい、に変容したな、ということだ。ただ、その「なるべくぜんぶ」も体調の問題で弱くなっているというのはうえに書いたとおりだ。いろいろこだわりが弱くなっている。たとえばこんかいA家に行っていろいろくっちゃべったのだけれど、それはたいへんたのしく、あとなんというか、すっきりするのをかんじた。行くまえはすこし気後れがあって、あるいは気負いがあって、ひとの家に行って飯食ってもだいじょうぶかな、きもちわるくならないかなというおそれもあったのだけれど、まあA家だからいいやという納得もあったし、行けばすこしだけやばい瞬間はあってもまあ問題はなかった。ひととはなすの大事だなと素朴におもったところだ。よく、なやみをひとにはなすだけでも楽になる、かるくなるということがいわれていて、むかしのじぶんはあんまりそれを信じていなかったというか、そういうことはたしかにあるんだろうとはおもっていたのだけれど、じぶんでなやみとか困っていることとかを他人にはなしたり相談するということはほぼせず、いつもじぶんじしんでかんがえたり、こうして文章に書いて分析したりしてきた。それはそれでべつにいいとおもっているし、これからもそういうやりかたはするだろう。こんかいA家に行ってなにかなやみをはなしたり、相談をして助言や解をもとめたりしたわけではない。むしろこちらが聞いたことにたいして、それはこういうことなんじゃないかとか、こういうきもちがあるんじゃないかとか、まあとにかく分析野郎なので、そういうことをさしむけてみて、そうかもしれないとか、いやー、どうかな、とかいう反応をもらった。で、これにすっきりするのをかんじた。すっきりしたというか、充実感や満足感のようなもので、これがつまり承認されているということなんだなとおもったのだ。あたりまえのはなしだが、あちらがはなしたことをこちらが聞いて、こちらからなにかことばをかえすとき、こちらもはなしを聞いてもらっているのだ。そして、意見とか考察みたいなもの、ひらたく言ってじぶんのかんがえを口に出してつたえるというのは、じぶんを提示しているということで、それをきちんと聞いてもらえるということは、じぶんが承認されているという感覚をもたらすものなのだ。じぶんは塾講師をやっているわけだけれど、生徒と接するにあたっていちばん大事なのは、その生徒の現状を拙速に変えようとせず、まずいまのあいてのありかたを受け入れてみとめることだとかんがえてきた。だから基本生徒に合わせるし、こちらがこうしたほうがいいなとおもうことがあってもあいてに聞いて合意を取るし、意思がない、なんでもいいですみたいな生徒にたいしても、いちおう選択肢を提示して、どっちでもいいですとくればじゃあこっちにするけどいい? というかんじで合意を取る。あいてにやりたいことがあれば、もうぜんぜん折れるというか、さいしょからこっちのいいとおもうやりかたで指導しようとか、そういうみちすじに持っていこうとかかんがえてない。ただそれでむずかしいのが小学生で、やんちゃな子だと、ある程度強制力がないとぜんぜんやることやらなかったりするので。まあこちらはそこももういいやというか、ぜんぜんなめられてるし、なめられてなんぼくらいにおもっているし、まあもちろんできる範囲でやらせようという努力はするけど、強制力発揮しようというこころにはならない。こういう、弱腰というか、もうすぐ折れちゃう、くにゃんとしたようなありかたなので、基本、こちらから積極的にはたらきかけて生徒を変えようとかおもってないわけだ。あいてを受け入れてサポートすることしかかんがえてない。もちろんそれでうまく行く生徒行かない生徒、合う生徒合わない生徒がいて、ときには非介入ではだめで、さすがにこいつの態度とかかんがえとかはちょっと介入しておかないとまずいな、という生徒もいるはずだけれど、うちの塾にはそんなやつはこない。すくなくともここ何年かは。あと、これは個別指導だからできることでもある。集団体制の塾だとちょっとできないですね。そもそもおおくの人数のまえに立ってしゃべりたくないし。はなしをもどすけれど承認という話題で、要はその生徒のありかたを受け入れてみとめることの具体的なやりかたが、あいてのはなしを聞くということなのだ。ただ聞いてあげるだけでそれがそのまま承認になる。そういう時間をくりかえすと関係ができてくる。そうするとだんだんなんかいい方向に向かい出す、かもしれない。それがうまく行ったこともあったし、行かないこともあった。こんかいA家でじぶんが経験したのはその生徒のたちばみたいなもので、ただこっちはこっちではなしを聞いたわけだから、あちらもあちらでおもしろかっただろうし、受け止められたという感覚はたぶんあったんじゃないか。これは、いま流行りの、とたぶんいっていいだろうケアの哲学のかんがえかたにつらなるはなしだ。ケアの哲学にかんしては、ふつうに大事だとはおもうし、哲学史上のけっこうな画期なんじゃないかともおもういっぽうで、相互依存ということが強調されすぎるとそれはそれで窮屈になるなということと、とうぜんながらじっさいの人間関係においてはそうそう理想的なことにはならないから、相互依存ということをいわば名目として、かくれみのとして、抑圧的な関係が温存されたり、あらたな抑圧の温床になるということは起こるだろう、とおもっている。ちなみにもっと形而上学的な、全体的な世界観のほうにひろげると、仏教の縁起思想にかんしてもおなじことをおもうのだけれど、つまり縁起思想ってこの世に単体として独立自存しているものはなにもなくて、すべてはなんらかのつながりをもっており、そういうネットワーク的関係のなかでその都度その都度の条件にしたがってものごとが生滅している、したがって実体というものは存在しない、というかんがえかたなのだけれど、「すべてはなんらかのつながりをもっており」というところがむずかしいところで、方向をまちがえると全体主義に転じかねんぞとおもうのだ。たぶん、こちらの理解が浅いところがあり、縁起思想じたいはもっと精妙なものじゃないかとおもっているのだけれど、つまり「なんらかのつながり」にはとうぜん濃淡があるとかんがえられているとおもうのだけれど、なんかたしょう見聞きする範囲では、そこがけっこう単純な語られ方をしているというか、均一につながっているような印象を受けるのだけれど。それだとなんかよくないじゃんとおもうし、あと、そのつながりのありかた、ネットワークの構成じたいも瞬間瞬間で移り変わっているというのが縁起思想の理屈から順当にみちびきだされるイメージだとおもうのだけれど、そのへんもじっさいどうなっているのかよくわからない。はなしをもどすと承認のことで、ひととはなすの大事だなと素朴におもったということなのだ。で、こういうことを素朴におもったというのは、じぶんもだいぶ丸くなってきているなということなのだ。丸くなるというのはこだわりを捨てるということだ。捨てるまでいかなくてもいいのだけれど、それが弱くなるということ。さいきんはもう突っ張っててもしょうがねえというか、こだわってるとほんとに身がもたないというかんじなので。じぶんはむかしからそれをくりかえしてきたようにおもう。書くことについてもそうで、日記で小説やりたいとか、私性を排してマルケスみたいな文でじぶんを登場人物みたいに書きたいとか、その都度こだわってがんばるのだけれど、じきになんかもうだめだなという行き詰まりが来て、だめだもういいやとあきらめるとむしろ自由に、楽に書けるようになり、やりたいとおもっていたようなことがかえってちょっとできる、という。こんかいフィクションが書けるようになったのもそういうことだろう。小説の面でも、まだ一作しか書いていないのでわからないが、あんまりこだわらないというか、「塔のある街」はそういうものだった。たとえば、《凍て闇の悪魔》と呼ばれる雪虎を出したけれど、この呼び名とかこれじたいが中二病風でクソダサいし、またその直前に吹雪の平原を「白の地獄」と書いていて、地獄にきちんと悪魔がいるというそのお約束的几帳面さもダサい。じぶんで笑ってしまったのだけれど、まあいいや、ベタなこと書いてもいいや、と。あともうひとつ、じぶんでこれはダサいとおもって笑ってしまったところがあって、街の中央広場の中心に位置する噴水に男の像があり、その肩や腕やあたまにハトがたくさんとまっている。周囲のまちびとに聞けばこの像は平和を願った巡礼のすえに倒れた聖人を記念したものだという。ここを書いたとき、ハトが平和の象徴とされていることをじぶんはまったくわすれていて、たんに西洋の観光地とかによくありそうな、それはそれでベタな景物を書いたつもりだったのだ。脱稿後に実家で読みかえしたときにそういえばハトって平和の象徴じゃんと気づいて、うわ、なんだこの平和のふたつ重ね、めっちゃダサいことやってしまった、とおもって笑った。さいきんはもう、だいたい、まあいいやという調子ですね。もうほんと、突っ張ることに疲れちゃった。いいもの書こうとか、おもしろいもの書こうとか、そういうきもちももちろんあるはあるけど、疲れちゃうんで、下手でもダサくても失敗してもいいからとりあえずおもいついたものをただ書こうと。

  ふうけいしゅう



 くるまのなか ふろんとがらすに、つぶがぶつかりだす かぜにほうこうをうしないうずをまくむし ゆきだ、とこえがあがる あまつぶをこえないおおきさに、たしかにしろさをもっている あたればまもなく、じわりときえる あとにいろはない。



 こうえんのはじにうめのきがある ちいさな あめのひだった わさんぼんのほのかなあまみをはらんだしろが、つつつ、とならんでえだをうめている ゆらぎなく あめにおされず、つちにひかれず、しずかにとまっている かさなるように、かたわらに、もっとちいさないっぽんがあでやかなあかをよせている。



 みちのうえ ときのとまったようにあおいそらからひざしはそそぐ かぜとれいきをちゅうわする はてにまちなみ うえにもりあがりしたはまっすぐたなびいたくもひとひら、ぼうしめく、まちのずじょうに ゆきからひとつきがたった しらさごはみちをさった じゃりのまじったかたまりはいえいえのかげにしつこくなごる それをかきだしてみちばたへ、ひなたのなかへ、おとすひと。



 へやのべっどからたちあがる かおをしたにむけたとき、こげちゃのいろこいふろーりんぐのゆかが、すこしだけちかくなる みぎてに、つるつるしたしろさのほそながいてーぶるがある そのしたにせんがおちていた たけぐしがある、とおもった かーてんのすきまをぬけてきた、ひかりのきれはしだった。



 こうえんのかどにあたるじゅうじをみぎにおれる あさのあめがきえたそらに、りんかくせんをおとしたくもが、そこらじゅうなじんではれがあわい うすびかりがある みぎにならぶいっけんのまえ、みちとのさかいにあかいきをみる ひくいあたまがこまかくあかい ぴんくもわずかにあり、うめとみる くうかんのなかのまちがいのように、ひとつぶふたつぶ、そのいろがふよりとながれる ちかくにみると、もうほとんどちりきって、はなびらにかこまれていたまんなかだけがのこっている はなびのもえがらめきしわしわとかわいた、おいらくの、あざやかなべに すぎてから、いちどかえりみる。



 としょかんの、そと あおくそまっている、そらが、いちめん はだかのはれではない、もやになったあいまいなあお たいようはぼやけながら、いばしょをおしえる たよりなくとけたひかり そのした、やまのちかくで、もやはとぎれる やまはそらのあおよりあおい ひらいたすきまにくもがあかるく、そこだけしろく、うずをえがきだす。

 一食目を食って歯を磨いているあいだに、「Happiness is a step away from misery」というタイトルをおもいついた。
 きのうさっそく、「塔のある街」の精読・分析をはじめたが、きょうはできない気がする。一回一段落ずつくらいでゆっくりやっていきたい。

 きょうの外出。いつもとは逆の道のりで、Cまわりをあるいてみようとおもった。かっこうは例によって、無印良品の茶色いシャツに、ブルーグレーのズボン、藍色のジャケット。シャツの第一ボタンをとめる。もうジャケットで日陰をあるいていても空気が冷たくない。きのうと同様、まずは郵便局のほうへ。きのうとおなじ非常階段側面のあかるさをみるが、きょうは出たのが二時前できのうよりもはやいため、全面が日なたとなっているわけではない。郵便局の横を過ぎる歩道を行く。この歩道はせまい。右側は垣根的な葉叢に接した柵をはさんで敷地内で、木がけっこう立っている。鳥の声も散る。無為を知る者にしかくりだせないとろとろとした足取りをすすめる。うしろから来るひとがとうぜん追いついてくる。すぐ間近に来た気配を察すると、せまい歩道のそれでも左端にこころもち寄り、右手をからだのまえ、左側にむかって差し伸べるようにして通りやすくする。ふたりそれで通過した。そのあとこんどは向かいに、杖をついた老人が柵に寄るようにこちらの通行を待っているので、おなじように右腕をどかしながら会釈して過ぎる。角にガードマン。右折すると、そこの道路をなにかしら工事している。といってもうおおかた済んでいるような雰囲気。穴はなく、路面のうえを掃いたりしていたとおもう。まえからひとが来る。ひとりめは徒歩、ふたりめは自転車。徒歩のひとをやりすごし、自転車もすこし会釈してすれちがうが、そのさい乗り手のちょっと髭を生やした眼鏡男は舌打ちめいた音を発した。これはじぶんに向けられたものではない。視線がこちらの背後に伸びていたので、徒歩のひとりめを追い抜かせない苛立ちとみた。ふりかえるとじっさい、苦慮しているようだった。Cの正面口のところで対岸に渡る。道路の左側の歩道、東側を行くことになる。こちらのほうが日なただからだ。右手をみやればひろい敷地の縁には幹と枝を詰められた裸木が一定の間隔で置かれ、柱廊の柱めいた存在感を引きならべている。そのさきは草や土の平地で、ヴィルヘルム・ハマスホイの絵画主題めく白い建物もみえるけれど、こちらの視線は南西のほうへとななめに走り、ネットを透かして空の青さを、白さをとらえる。太陽は純白の凝縮と散乱をふたつながら属性として、青い空は青さが削られて淡く澄み、低い空はほとんど白へとながれている。花粉は大気に満ちてもいようがそのせいではなくひかりとネットの介在のため、南側のとおくにならび立つ、型は古そうな大型マンションのすがたが、漠然と平らかにされて、経年劣化した色紙のようにそそり立っている。十字まで来ると右折するかたちで道路を渡り、そのまままっすぐ、敷地の南側をあるく。歩道の左端にはやはり裸の街路樹が頻々とならぶ。隈なく陽射しを敷かれた路上にその影がひとつひとつはっきりと伸び、ほとんどは右側、敷地の柵をささえる土台のコンクリート壁までとどいて直角に折れあがっている。壁はところどころ鈍く変色し、上端から垂れはじめたその変色がすじに分かれて縞模様めいた範囲もあって、まだ距離のあるうちに鋭角でみると、影もそのうえに同化して薄青さを添える縞のひとつふたつに映る。踏むあたりまで来れば、壁にはだかのこずえが、伸び上がるおばけのたたずまいで描かれている。敷地横を過ぎて家並みの脇を行く区画にはいっても、おなじく街路樹の影が路上を頻々と切り分けて、家塀にふれて天を向いている。わりあい恍惚とした気分だった。なにしろ天気がいい。初春の陽気だ。無為を知る者の足取りを踏んでいると、膝裏あたりがすこしきもちよくなってくる。肉の伸びる快だろうか。リラックスしている。いつもこういう気分でいられたらいいのになあとおもうが、そうもいかない。金も稼がなければならないし、個人的にも世の中にもいろいろ問題はあるし、小説や文も書きたい。のほほんとしてばかりいられない。残念なことに。ストアに寄った。はいるとすぐさま目の前の棚からアレグラFXの箱を取り、会計の列へ。ひとり分待ってから金を払い、ジャケットのポケットに小箱を入れる。店を出ると財布も胸の内ポケットにおさめて、もうすこしあるくことにした。北へすすむ。コンビニ脇をとおって裏道。のこりの道のりに、さしたる印象事はよみがえってこない。「埋立て通りはきょうも快晴」のことをかんがえていた。ネットで、電子でいいだろうがギャル雑誌いくらか読んどいたほうがいいかなとか。しかしソネコがギャルだったのは高校生のころだ。時代的には漠然と、二〇一〇年ごろを想定している。ギャル史の文献にあたりたい。そのころ安室奈美恵とかってどういう扱いになっていたのかとか、アムラーはいつまでいたのかとか。ちなみにこの小説に東日本大震災への言及は出さない。この作品でそこに踏み込むつもりはない。コロナウイルスはいちどだけふれられるとおもうが、語り手の口調をおもえば「コロナウイルス」とはいわない。「新型コロナ」が妥当なところだろう。

 きょうの調子はわるくはないが、あまりよくもない。腹のあたりがすっきりしない。
 きのうの外出で印象にのこったことがいくつかある。出たのは三時半ごろだったか? まず金をおろすためにちかくの郵便局に向かった。アパートを出て右に向かい、路地はすぐ尽きるのでそこを右に曲がって、道路の右端をすすむ。しばらく行くと左方、道の対岸から年かさの男がのそのそとななめに出てくる。そこには古い木造の家が一軒ある。となりには、もともと電気屋だったらしいがいまはあきらかに営業していない、黄ばみくすんだガラス張りの、縦にながい直方体の箱のような建物のなかに、売れ残って何年放置されているのかわからない冷蔵庫やエアコンののぞける室がある。奥に向かっていくらか伸びているのは家屋といっしょになっているのだろう。木造家のほうも奥行きをもっており、むしろ道に面したほうが側面で、元電気屋側の側面が玄関らしい。そちらの壁は古い家によくある、ほとんど炭化したような煤色のなかにわずか茶色ものこっている黒ずみぶりで、壁板がながい縦枠とみじかい横枠でいくつもの四角にくぎられているのがほんのすこし波打ってみえる。その玄関付近と元電気屋のあいだに、うす黄色い簡易天井のような屋根がわたされており、そのしたにハトが無数にあつまっていた。木造家の軒にもとまっており、こちらが目を向けながら通り過ぎるあいだにつぎつぎ飛び降りていく。
 道をすこし行って十字にあたれば郵便局は向かいである。こちらは交差の右側手前に立っている。その真向かい、右側奥が郵便局だ。この局は例のだだっ広い敷地をほこりそのまわりをよく散歩するCの敷地内、その角にある。そうひろくない駐車場にいまは車も自転車もなく、白い地面がそのままぜんぶ、日なたのあかるさを乗せている。右手は敷地内との境で、黒いかっこうの職員が柵のとちゅうの出入り口を閉めてなかに去っていった。真っ白くおおきい、おなじかたちの窓がいくつもならぶ棟が右奥に向かって三つほど立っている。こちらの立っている位置からすると正面方向にながく伸びる建物だ。どれも規格はおなじだとおもう。その端っこは非常階段になっていて、高校の校舎もおなじつくりで廊下の端から外部階段に出られるようになっていたのをおもいだす。そこにたまって駄弁るでもなく風を浴びることもしばしばあった。その非常階段の側面もまた陽射しを受けてどの階も全面、空中に浮かぶ日なたとなっている。いちばん間近の一棟だけは、すぐそばに木が立っているので、その影が投げかけられてほとんど薄色におおわれている。すばらしいなとおもった。
 金をおろしてから道をもどり、反対方向にすすんで、H通りにはいる。入り口の角に会館がある。それに接した小公園は、高校のクラスメイトでありアパートを世話してくれた不動産屋であるNが、おなじくクラスメイトだったK.Mさんと夏前あたりまで付き合っていた高校二年のいっとき、下校途中に立ち寄って(とうじ、Kさんの家はこのあたりにあったらしい。かのじょは広島から越してきた転校生だった)、ベンチのうえに寝そべった恋人のすがたにパンツみえるかもと期待をふくらませたあの公園だ。梅の色はもうさだかでない。心身はわりとリラックスしていた。無為を知る者にしか踏むことのできない、ちからづよさのまったくない、ゆっくりとした、足音もほとんど立たないしずかな歩みが身にやどっていた。道路の左端を行っていた。対岸に二軒ならんだほぼおなじデザインの家に目が向く。二階のちいさなバルコニーの外側をなす壁、その模様が、右の一軒はたがいちがいのレンガ積みを模したような、肌色オレンジの長方形のあつまり、左の一軒は寒色味のつよい青さの正方形の均一なあつまりで、いずれもうえに電線の影を受けて引いており、左のほうなど柱のうえから伸びる湾曲線のさきにぶらさがった籠型街灯の、その曲線や籠の一部まで映っていた。それをみるだけですこしこころもちがほわっとした。
 スーパーのBGMがよかった。レベルが高いとすらいってもいい。はいってすぐは、スキャットっぽいことをやっている男性の歌がかかっていて、Bobby McFerrinの息子か? とおもった。Taylor McFerrinもスキャットをよくするのかは知らない。作品を聞いたことがない。Taylor McFerrinではないかもしれないが、そういう、Bobby McFerrinを連想させるようなうたいぶりで、ほかにもたしかポルトガルの、マヌエル・リンハレスといっただろうか? そのひとがちょっとブラジル音楽風味入れたみたいなアルバムをすこしだけ聞いたことがあるのだけれど、なんとなくそういう雰囲気の曲もかかったりして、ぜんたいてきに現代ジャズの方面でポップス寄りのことをやっているひとたちみたいな音楽だったのだ。晴れの昼間なので爽やかっぽい雰囲気にしていたのだろう。ふだん来るとき、もうすこし遅い時間とか夜に来るときとかは、ソウル系がよくながれていて、James BrownとかDonny Hathawayとかふつうにながれるし、このスーパーがなぜこんなに音楽の趣味がいいのかまったくわからない。なにかの放送サービスなのか、ネット上にあるプレイリストとかをつかっているのか。いずれにしてもだれが選んでいるのか、会社の方針ともおもえないし、この店にこういう趣味の店員がいるのだろうか。すぐちかくにもうひとつ、よりおおきなスーパーがあって、越してきたとき実家がすぐそこであるW(引っ越しを手伝ってくれた高校のクラスメイト)に聞いたところでは、そちらができていらいこのソウルフルスーパーはみんなあまり行かなくなり、下火だというのだ。そのとおりで、昼下がりの時刻に行くと店舗前に停まった自転車の数もまばらで、客はそう多くなく、レジの店員が突っ立って待ち受けている時間もある。いい場末感なのだ。その場末感にとうてい見合わない音楽の国際性、ジャンル横断性。このちぐはぐさをこれからも保ちつつ、なんとかつぶれずに生き残ってほしいとおもっている。まさかもうひとつのおおきなスーパーのほうでもこんな音楽がかかっているということはないだろう。越してきて以来いちどもはいったことがないのは、ひとが多くてゴミゴミした場所が苦手だから敬遠しているのだ。こんど、はいるだけはいってみて、BGMを確認してみてもいいかもしれない。