2021/1/23, Sat.

自由時間が取れた初めての日曜日に、私はとまどいを全身に感じながら、できる限り誠実で、釣り合いが取れ、品位のある返事を書こうとし始めた。下書きを書いてみた。私は実験室に入れてくれた礼を述べ、敵を許し、おそらく愛する準備はできているが、それは…

2021/1/22, Fri.

(……)彼は完全なドイツ人ではなかった。だが完全なドイツ人、完全なユダヤ人がいるだろうか? それは単なる抽象概念でしかない。一般的なものから特殊なものに移行する時、常に刺激的な驚きが待ち構えている。輪郭のない、幽霊のような相手が、目の前で、少…

2021/1/21, Thu.

(……)たまたまその翌日、運命が私にまた違った種類の、比類のない贈り物を用意していた。若い、生身の女性との出会いだった。外套を通しても、寄りそう体のぬくもりが感じられた。彼女は通りに漂う湿った霧に包まれても快活で、まだ瓦礫が両脇に残る道を歩…

2021/1/20, Wed.

(……)私には決まった仕事は与えられなかった。私は化学者としては宙ぶらりんのまま、完全な疎外状態(当時はこの言葉は使われていなかったが)にあって、私を毒していた思い出を何ページも乱雑に書き散らし、同僚たちは私をひそかに無害の頭のおかしい人物…

2021/1/19, Tue.

ブルーニが話したクロム酸塩防蝕塗料と塩化アンモニウムの話は、時をさかのぼらせ、一九四六年の、厳寒の一月に私を連れ戻した。その頃、肉や石炭はまだ配給制で、誰も自動車など持たなかったが、イタリアに希望と自由があれほどあふれていたことはなかった。…

2021/1/18, Mon.

(……)朝の一〇時頃、空襲警報[フリーゲルアラルム]のサイレンが突然鳴り響いた。それはもはや目新しいことではなかったが、警報が響くたびに、私や残りの全員は、骨の髄まで恐怖に打ちのめされる気分になるのだった。それは、この地上の、たとえば工場のサ…

2021/1/17, Sun.

(……)あの時、私はかなりの勇気をふるい起こして、死を待ちながら、ありとあらゆること、人間が経験しうるすべての体験をしたいという刺すような希望を抱いていた。そして自分の前半生を呪っていた。わずかのものを、不十分にしか利用できなかったと思えた…

2021/1/16, Sat.

助手がどういう人物か知るには数時間接するだけで十分だった。三〇歳で、結婚したばかりで、トリエステ出身だが、祖先はギリシア人で、四ヵ国語に通じ、音楽と、ハクスレイ、イプセン、コンラッド、それに私のお気に入りのトーマス・マンを愛していた。物理…

2021/1/15, Fri.

今では、ある人物を言葉で覆い尽くし、本の中で生き返らせるのは、見こみのない企てであることは分かっている。特にサンドロのような人物は。語るべきでも、記念碑を立てるべき人物でもなかった。彼は記念碑をあざ笑っていた。彼は徹頭徹尾行動の人で、それ…

2021/1/14, Thu.

山でサンドロを見ることは、ヨーロッパに覆いかぶさっている悪夢を忘れさせ、世界との和解をもたらした。それは彼向けにあつらえられた、彼の場所だった。顔つきや鳴き声をまねてみせたテンジクネズミと同じだった。山に入ると彼は幸せになった。その幸福感…

2021/1/13, Wed.

私たちは物理学を一緒に勉強し始めた。私が当時もやもやと暖めていた考えを説明しようとすると、彼はびっくりした。人間が何万年もの間試行錯誤を繰り返して獲得した高貴さとは、物質を支配するところにあり、この高貴さに忠実でありたいからこそ、私は化学…

2021/1/12, Tue.

化学研究所の壁の外は夜だった。ヨーロッパにはたそがれが訪れていた。チェンバレンはミュンヘンでいいようにあしらわれ、ヒトラーは銃弾を一発も撃たずにプラハに入り、フランコはバルセロナを屈服させ、マドリッドに腰をすえていた。小悪党でしかないファ…

2021/1/11, Mon.

パンフレットには、初めに読んだ時に見逃がしてしまったある事項が書いてあった。亜鉛は非常に敏感で、繊細で、酸には簡単に屈し、あっという間に解かされてしまうのだが、純度の高い時は大きく違った反応を示すのだった。亜鉛は純粋なら、酸の攻撃にも執拗…

2021/1/10, Sun.

私はP教授が好きだった。その講義の抑制された厳密さが気に入っていた。試験の時に、定められたファシストのシャツの代わりに、手のひらほどの大きさの、奇妙な黒いよだれ掛けをつけ、侮辱をあらわに示すやり方が面白かった。そのよだれ掛けは彼が不意に体を…

2021/1/9, Sat.

実験室のガラス器具に私たちは魅せられ、おじけづいた。ガラスは壊れるから、手に触れてはいけないものだった。だが親密に触れてみると、他のものとは違う、特有の、神秘ときまぐれだらけの物質であることが明らかになった。この点では水に似ていたが、同じ…

2021/1/8, Fri.

(……)エンリーコの兄は怒りっぽい謎めいた人物だった。エンリーコは兄について進んで語ろうとしなかったが、化学を学ぶ学生で、ある建物の中庭の奥に実験室を作っていた。それはクロチェッタ広場から発する、狭く、曲がりくねった奇妙な小路の奥にあり、そ…

2021/1/7, Thu.

(……)私にとって化学は形の定まらない雲のような未来の潜在力、私の未来を黒い渦巻きになって覆い、炎のきらめきで裂け目をのぞかせるような雲、シナイ山を覆い隠したような雲だった。私はモーセのようにその雲から、私の律法を、自分自身や周囲や世界を律…

2021/1/6, Wed.

我らが祖先はトリーノで拒絶されたり、冷たくあしらわれて、ピエモンテ地方南部の様々な農業地帯に定住し、絹の技術を導入したのだが、最盛期でも、非常に数のすくない少数派の状態を超えることはなかった。彼らはさほど愛されなかったし、ひどく憎まれもし…

2021/1/5, Tue.

私たちの呼吸する大気には、いわゆる不活性ガスが含まれている。それらは「新しいもの」「隠されたもの」「怠惰なもの」「よそもの」といった、学術的な起源の、奇妙なギリシア語の名を持っている。それらはまさに、不活発すぎて、自分の状態に満足しきって…

2021/1/4, Mon.

一旦知的好奇心に取り憑かれた者は、決して結果を恐れてはいけない。あらかじめ何らかの見返りが期待できるような仕事に手を染めるのは、すでに学者研究者ではなく、単に資本主義に侵されきって、一切のオルタナティヴを思いつかない小市民の発想である。そ…

2021/1/3, Sun.

黒人奴隷は「自由」を欲した。自由を得るには白人並みにならねばならず、そのためには白人文化の産物である言語の「読み書き能力[リテラシー]」が必要だった。ところが、読み書き能力はさらに黒人を白人的諸学諸芸術という制度の奴隷にしてしまう。要するに…

2021/1/2, Sat.

『煽情的な構図』第一章はナサニエル・ホーソーンの文学的名声がいかに確立したか、その背後のネットワークを語るところから幕開けし、終章第七章は再びホーソーンに戻って、彼の同一の短編でもアメリカ文学傑作選収録の際の編集自体でいかに印象が変わって…

2021/1/1, Fri.

ポウからエリオットへ、そしてアメリカ新批評へと続く批評的伝統の根源へ遡行するなら、カントの『判断力批判』(一七九〇年)に行きあたる。一九世紀中葉、アメリカ・ロマンティシズムの時代がエマソン率いる超絶主義思想の時代でもあったことはよく知られ…

2020/12/31, Thu.

(……)シーバースが展開するのはレトリックを使用してもレトリカルに終わることもなければ政治的[ポリティカル]に走ることもない、あくまで倫理的批評を再考しようとするスタンスと呼べるだろう。 その姿勢は、古代から倫理的批評の歴史を説きおこす第一章か…

2020/12/30, Wed.

たとえば、詩人が詩論を書く。詩論の形式を採って、美学的尺度について書く。これは、めずらしいことではない。前世紀にはポウの「詩の原理」(一八五〇年、死後発表)が人間の認識能力を「純粋知性」「審美眼」「倫理意識」の三つに区分し、詩は何よりも美…

2020/12/29, Tue.

我々はテクストの修辞法を読んでいるのか、それとも我々の読みの性格自体がテクストに修辞的な顔を与えているにすぎないのか? それとも、それらはまったく同時に起こっているのか? 修辞的読解をめぐるこのようにパラドクシカルな問いは、もちろんド・マン…

2020/12/28, Mon.

ポスト記号論及びポスト物語学としての脱修辞学が、精神分析と密接な関わりを持つことには、多言を要すまい。記号の無意識を探り、語りの効果を探る批評――それはまさに、フロイトが臨床医として実践した言説の形であった。分析医は患者を読む。症例というテ…

2020/12/27, Sun.

不完全な言語がたまたま存在するのではなく、言語とは当初より不可避的に不完全であり、その欠損をおおい隠す衣装として修辞形式が存在すること。ただし、そのような修辞形式があまりにも所与のものとなっているため、我々は日常、たとえば「椅子の脚」とい…

2020/12/26, Sat.

たとえば、本書全体の祖型として第一部第一章に置かれた「脱修辞化の事故――ワーズワス『序曲』第五部『書物』にみる字義的/修辞的読解の限界」(初出一九七九年)を一読してみよう。ワーズワスの「書物」のセクションは、なるほどチェイスが述べるとおり、…

2020/12/25, Fri.

比喩操作、それが政治であるとするならば、マザーの時代を支配した最高のメタファーは「父」であった。父権制は、神権政治でいう敬虔をいちばん巧みに表象する比喩体系だ。これが、出発点である。しかし、一七世紀から一八世紀へ、中世的時代から啓蒙主義時…