2020/10/20, Tue.

(……)テクストが与えるのは、テクスト自体だけである。テクストは素材やものを、露にするのと同じくらい隠蔽する。いかなるテクストも「もの」を歪曲し、誤訳していると言うことができるであろう。テクストは単にページの上の語という姿のままでいることで…

2020/10/19, Mon.

私は読むことの倫理を、自分自身を読み解こうとする作家たちの文例を通して探究してきたが、その探究の最終到達地点は、少なくとも目下のところは、読解はその規範としてのテクストに従属するのではなく、テクストが従属している規範に従属するという奇妙で…

2020/10/18, Sun.

(……)自分は内なる光を持っており、自己の中の自己、魂のなかのいまだ小さい神の声という伝統的な意味での良心に基づいて行動していると言う人がいたとしても、そうした基盤を実際に持っているかも知れないし、持っていないかも知れない。それを知るのは不…

2020/10/17, Sat.

構想(conception)という語と、「一般に知られている性格の諸特徴を孕んだ人物を作り出した」という表現と、自然発生的に創り出すペンのイメージに見え隠れしている性的メタファーが、何も考えずに早く書くのが一番よいと論じている引用の後の一節で、さら…

2020/9/18, Fri.

(……)日常語では、あることをこうむることに快楽を覚える者(そうでないとしても、ともかく、このこうむることの共犯者である者)を定義するのに、かれはあることを「自分にしてもらう」(ただ単に、あることがかれにたいしてなされる、ということではない…

2020/9/17, Thu.

恥ずかしさにそっくり相当するものが、まさしく、近代哲学において自己触発と呼ばれ、カント以降、時間と同一視されるのが習いとなっている主体性の原初的構造に認められるとしても意外ではない。時間が内的感覚の形式、すなわち「わたしたち自身とわたした…

2020/9/15, Tue.

二十世紀の倫理は怨恨[ルサンチマン]のニーチェ的な克服をもって始まる。過去にたいする意志の無力に抗して、いまでは取り戻しようもなくかつてあったものとなってもはや欲することができなくなってしまったものにたいする復讐心に抗して、ツァラトゥストラ…

2020/9/14, Mon.

他人の代わりに生きているがゆえの罪の意識が生き残り証人の感じている恥ずかしさについての正確な説明になるかどうかは、まったくさだかではない。まして、生き残って証言する者が無実ではあっても、生き残りである以上、罪を感じなければならないというベ…

2020/9/13, Sun.

現代における死の零落について、ミシェル・フーコーは、政治用語を使ってひとつの説明を提示している。それは死の零落を近代における権力の変容に結びつけるものである。領土の主権という伝統的な姿のもとでは、権力は、その本質において生殺与奪の権利とし…

2020/9/12, Sat.

じつは、『存在と時間』では、死に特別な役割が託されている。死は決意の体験であり、「死に向かう存在」の名のもとに、おそらくはハイデガーの倫理学の究極の意図を体現している。というのも、人間は、おしゃべり、あいまいさ、散漫からなる日常の非本来性…

2020/9/11, Fri.

正直な知性が示す無理解にはしばしば教えられるところがある。プリモ・レーヴィは難解な作家を好まなかったが、パウル・ツェラーンの詩には惹かれていた。本当には理解できなかったにしてもである。「難解に書くことについて」と題された短いエッセイのなか…

2020/9/10, Thu.

証言のうちに証言不可能性のようなものがあることは、すでに指摘されていた。一九八三年、ジャン=フランソワ・リオタールの著作『ディフェラン〔文の抗争〕』があらわれた。それは、ガス室の存在を否定しようとする論者たちの最近の主張を皮肉まじりに取り…

2020/9/5, Sat.

「責任(responsabilità)」という語の起源をなす spondeo〔請け合う〕というラテン語の動詞は、「ある者(あるいは自分自身)のために、ある者の面前で、あることの保証人となること」を意味する。したがって、婚約の場面で、父親が spondeo という文句を口…

2020/9/3, Thu.

一九八三年、エイナウディ出版社はレーヴィにカフカの『審判』の翻訳を求めた。『審判』については無数の解釈がおこなわれているが、いずれも、それの政治的予言としての性格(絶対悪としての現代の官僚機構)、あるいは神学的な性格(裁判所は知られぬ神と…

2020/8/31, Mon.

ところが、イーディスがセントルイスに行っていた数週間のあいだ、講義をしながらときどき、課題に没頭するあまり、無能さのことも、自分自身のことも、さらには目の前の学生たちの存在すら忘れてしまいそうになった。ときどき、興が先走るあまり、どもった…

2020/8/30, Sun.

(……)イーディスの生活は虫の羽音のように単調で、いつも母親の監視下にあった。(……) (ジョン・ウィリアムズ/東江一紀訳『ストーナー』作品社、二〇一四年、63) 一一時起床。なぜだかわからないが目覚めた直後からFISHMANS "いなごが飛んでる"が脳内に…

2020/8/29, Sat.

ストーナーの学位論文の主題は"古典的手法が中世叙情詩に与えた影響"だった。夏の大半の時間を、古代及び中世のラテン語の詩、特に死を題材にした詩作品の再読に費やした。そこでもまた、ローマの抒情詩人たちが死という事実を淡々と受け入れるその典雅さに…

2020/8/28, Fri.

(……)「きみは、自分が何者であるか、何になる道を選んだかを、そして自分のしていることの重要性を、思い出さなくてはならん。人類の営みの中には、武力によるものではない戦争もあり、敗北も勝利もあって、それは歴史書には記録されない。どうするかを決…

2020/8/25, Tue.

「それを見定めたきみの愛はいっそう強いものとなり、 永の別れを告げゆく者を深く愛するだろう」 スローンは視線をウィリアム・ストーナーに戻して、乾いた声で言った。「シェイクスピア氏が三百年の時を越えて、きみに語りかけているのだよ、ストーナー君…

2020/8/24, Mon.

アウシュヴィッツのユダヤ人犠牲者は何名だったのだろうか。 一九四五年二月、「解放」直後から調査委員会を設けたソ連は、ドイツがベルリンで無条件降伏した五月八日に四〇〇万名と発表した。だが、ユダヤ人が何割を占めたかは明らかにしていない。 ニュル…

2020/8/23, Sun.

一九四五年一月一二日、アウシュヴィッツ方面に攻勢を開始したソ連軍は、二七日騎兵を先頭に同地を占領した。すでに前年七月二三日マイダネク絶滅収容所を解放していたソ連軍は、西側連合軍よりかなり早くナチスの収容所に入ったことになる。 ソ連軍は到着時…

2020/8/20, Thu.

アウシュヴィッツでの最初のガス殺は、一九四一年九月三日(あるいは五日)であった。これはユダヤ人が対象ではなく、二五七名のポーランド人政治犯、ソ連軍捕虜約六〇〇名などで「労働不能」とされた人びとだった。彼らは第一収容所内監獄の第一一ブロック…

2020/8/17, Mon.

ガス殺は一九四三年秋には停止されたが、一方で銃殺は継続された。マイダネクの親衛隊員は特にサディスティックで、乳児や子どもたちを母親の目の前で殺害することを頻繁にやってのけたという。 一九四三年一一月三日には、一万七〇〇〇名ものユダヤ人が機関…

2020/8/16, Sun.

ラインハルト作戦の三つの絶滅収容所に続く四番目の恒久的施設として位置付けられるのが、マイダネク絶滅収容所(正式名称は「ルブリン強制収容所」)である。 マイダネクはルブリン中心部から南東に四キロと近く、ラインハルト作戦の三つの収容所と異なり、…

2020/8/7, Fri.

[一九四一年]一〇月四日、県知事[フリードリヒ・]ユーベルヘーアは、ウーチ・ゲットーへの二万五〇〇〇名の追加問題についてヒムラーに書簡を送った。そこでは、ゲットーへのインフラ整備の支出は不可能であり、軍のための生産保証の限界、伝染病、食料欠乏…

2020/8/6, Thu.

ガス・トラックを使った実験は、[一九四一年]九月一七日に行われた。五〇〇~六〇〇名のユダヤ人を中心とした労働不能者が一三時間にわたり改造されたガス・トラックに入れられ、一酸化炭素ガスで殺害された。 翌一八日には、施設の浴室を使ったガス殺実験が…

2020/8/5, Wed.

だが、ソ連侵攻とともにはじまったユダヤ人の無差別大量射殺は、非常にセンセーショナルであり、直接の執行者たちに心理的抵抗を引き起こしつつあった。親衛隊のトップであるヒムラーでさえも、大量射殺をミンスクで実見し気分が悪くなったと伝えられている…

2020/8/4, Tue.

ユダヤ人虐殺には、ロシア人の支配下にあったラトヴィア、エストニア、リトアニアといったバルト三国やウクライナ、ベラルーシでの現地の人びとの協力もあった。 バルト三国は、早くも[一九四一年]七月上旬までにナチ・ドイツが占領した。バルト三国の人びと…

2020/8/3, Mon.

(……)占領下でユダヤ人の射殺にあたったのが行動部隊[アインザッツグルッペン]であった。総勢約三〇〇〇名、表のように四つの部隊で構成されていた。バルト諸国、ソ連の相当数のユダヤ人は、親衛隊・警察体制の種々の部局から集められ編成されたこの射殺部…

2020/8/2, Sun.

一九四一年六月二二日早暁、「バルバロッサ作戦」、つまりソ連侵攻作戦が実行に移された。ドイツ軍は、三六〇万名の兵力(このうち六〇万はフィンランド、ルーマニア、スロヴァキア、イタリア軍兵士)、二一個戦車師団を含む一五三個師団、三六〇〇両の戦車…