2016/12/28, Wed.

 晴天で、坂に入ると、まだ低い太陽が横薙ぎに暖色を送りつけるのに、路上に陰陽の縞模様が生まれていた――右方で斜面となった林に接して伸びるガードレールの影が、青く太く拡大されて道路の中央を通る帯となり、それを左右から陽色が挟みこんで、目の粗く立ち並んだ木々の影がその上を、左の上り斜面の際まで横断しているのだ。そこを通って行くと自分の黒い写し身も随分な巨人となって、下草に頭が掛かってちょっと持ちあがる。街道に出ても、まだ陽の角度が小さいから、路上は大方家蔭に入って、そのなかにいると晴れてはいても空気が冷たくて、スーツの表面にも冷気が虫のように群がって固まる。裏通りも同様の薄青い蔭模様で、寒々しく脚を晒して空気のなかに肌色を差しこませている女子高生がしかし、殊更に耐える様子もなく歩いている。広い空き地の脇まで来て日向に入ると、降る光線に視界が引っ掻かれて、目の前に虹色を混ぜこまれた光の翼が生まれたようになった。

               *

 ロータリーの周囲を回って踏んでいく足取りが、前日やそれ以前のものとは明確に違っているのを、数歩進んだだけで早くも感じ取った。緩くほぐれたようになっているのは、年内最後の勤務を終えて、正月を挟んで一週間ほどの休みが行く手に控えているのに、自ずと解放感が身を浸して現れたものだろう。裏通りを進むあいだも、上体は柔らかく、歩みは余計な動きと力を帯びずに、早くも遅くもなく、大きくもなく小さくもなく、身体の自然な調にぴたりと嵌まり合っていかにも自足しており、そうしてみると、確かに自分がこの脚を動かしており、それはこちらの意思一つで容易に停めることができるのは疑いないのだが、あまりにも軽く送りだされて行く交互の律動に意識を向ければ、それ自体脳の指令とは無関係に自動で駆動しているかのようにも感じられて、まるでおのれがロボットになったかのような幻想も湧く。歩調を速めたとしても遅めたとしても、その先にはまた不動の自足が待ち受けているであろうことは間違いなかった。直上から全方位に向かって孤を描いて、丘や屋根の際まで青さが隈なくひらき、高くなった陽に、浅いも深いもないただ表面そのもののその色が艶を帯びて、くっきりと張っている。昼下がりらしい静けさに弛緩した道で、旧家らしい長めの白い塀内で、賑やかに接し合っている庭木のなかの、露わな枝先に停まった小鳥の、腹に丸みを帯びて朗らかなのが、短い声を散らし落として来るのがいかにもの平穏さである。日向は温もるが、凶暴な恍惚は訪れずに、あくまでも静謐な陶酔のようなものが身内に仄かに点って、軽い歩みは続く。裏通りをいつも出る角の、T字の折れ口の向かいに立った白い公営住宅の、椿か何かかピンクの花を付けた垣根が、濃緑の葉のあちこちを筆でべたべたやられたように光にまみれて白点を受け持っていた。