2018/2/12, Mon.

 やはり三時か、そのくらいで一度覚めたはずである。その後、六時になる前、アラームが鳴るよりも早く覚めて、先んじてスイッチを切っておいたのだが、油断してふたたび眠りに入ってしまった。気づけば六時四五分になっており、カーテンに朝陽の色が付されている。
 上階へ行く。朝が早いのでさすがに寒く、ストーブで温まる。母親が汁物を作っておいてくれた。ほか、米を茶漬けにして食べたが、あまり時間がない。皿洗いをする頃には七時半前だったので、自分の分だけ洗って下階に下り、歯磨きや着替えをした。先月分の国民年金を支払うのをすっかり忘れていたので、今月のとまとめて二か月分を懐に入れ、出発する。
 林から、風の音が聞こえていた。竹の幹が僅かに触れ合う音もする。坂を上っていても風が吹いて寒い。表通りの日なたのなかを歩いて行く。空は晴れ晴れとしており、雲はほとんどなくて、僅かに希薄な染みのようにしてあるのみである。
 労働は概ね問題なかったが、しかし、自分の行動や発言がすべて自動的に流れているかのような感じがあって、気に掛かった。それとも関わっているのかもしれないが、喋る時には、やはりどこかに苦しさのようなものがあった。
 二時前に退勤すると、コンビニへ行った。ATMが空いていなかったので、パンの棚を見ながら待ち、その後、金を下ろしてまず年金の支払いをした。そうして籠を持って、昼食を入れていく。メインとしては、鶏肉の入ったグラタンを選び、ほかにパンを二つ、またアイスを四つほど買うことにした。さらにスナック菓子でも買って帰ろうかと考えたのだが、棚を前にすると気が向かなかったので、グミを選んだ。
 帰路、歩きながら、労働中の自動感が気になって、頭が回った。自己の自律感が薄いというか、自分の意志というものがなくなって、自分の身体が勝手に動いているような、とでもいう感覚である。どうもやはりこれは、メタ認知の問題で、主体として「見る」ほうの地位が優勢になりすぎてしまったのではないかという気がする。また、無常感、この世の無根拠性の感覚ともどこか関わっているようにも思えなくもない。すべてがあらかじめ決まっているというのではないが、ある種、運命論にも通じそうな感じに思われた。何か超越的な存在、「神」が自分の信じるものとして導入されれば、おそらくそうなるのだろう。自動的に動くようでも、振舞いとして特に問題は起こっていないので、適応できればむしろ楽なのかもしれないが、神経症的性分のなせる業か、今は気になってしまう。
 天気は、美しいと言って良いだろうものだった。道端の樹々や、民家の脇に小さく生えた植物の葉が、光で彩られていた。帰宅すると服を着替え、食事を取る。グラタンやソーセージを挟んだパンを温めて食べるのだが、食べているあいだも頭が回ってしまい、そのこと自体が不安でストレスである、という感じが少々あった。最終的に、それでは勿体無いというところに至った。思考、思念というものは抽象的であり、そちらにばかり意識が向いていると、目の前の、実体のある具体的な現実世界が疎かになってしまう。ものを食べているのにその味もろくに感じないようではいただけず、自分は生きているこの一瞬を大切にしたいと考えた。そういうわけで、デザートのアイスを味わって食べ、それから風呂を洗って米を研いだ。続いてタオルを畳んだのだが、このように家事をしているあいだも、行動に焦点を合わせるように心掛けた。思考も良いのだが、自分の頭は明らかに思考に偏ってしまっているので、意識的に行動のほうに注意を向けるくらいで、バランスが取れるのではないか。
 室へ帰って、白湯を飲みつつコンピューターを操作し、この日のメモも取った。それから(……)にメールを出した。返信を待つまでのあいだに隣室に入ってギターを弄んだ。目を瞑りながら弾く時間があり、ちょっとしてから携帯電話を確認してみると、気づかないうちに返事が来ていたので慌てて返信し、自室に戻ってSkypeにログインした。こちらからコールを掛け、そこから二時間、六時半くらいまで話した。
 会話を順序立てて再構成することはできないので、取っておいたメモに従って個々の話題に触れるが、まず自分の最近の症状について話す時間があった。自生思考というか脳内の言語が意思を離れて自走しており、妙な妄想を勝手に繰り広げたりするのだった。一番嫌だったこととして、町を歩いている時に可愛らしい犬を見かけたのだが、その直後に、その犬の首を締めて殺すというイメージが自動的に湧き上がってきたということを話した(この時は話さなかったが、両親についても同じようなことがあった)。これは一種の加害恐怖で、そうしてしまうのではないかという(根拠のない)恐れから、かえってそのことを考えてしまうということではないかと思ったのだが、当時は不安で頭がまとまらず、自分が本当に殺したいと思っているのでは、無意識のなかにそうした欲望を抱えているのではなどと考えてしまい、怖くなったものだった。また、ここ最近折に触れて、というか頻繁に抱いている無常感や、行動の自動感についても話した。自動感については上に書いたのでここには繰り返さないが、要は自己が客体化されすぎて外界の事物とほとんど同じ位相に置かれてしまったということではないのか(外界の事物とは、まさしく「勝手に動いていく」ものである)。神経症性向によって、今はそれが違和感として、不安として現れて気に掛かってしまうことがあるようだが、それに適応したものが要は「悟り」なのではないかということも話した。そうした自動感に適応できれば、まさしく流れていく世界のなかの一片としての自分として、随分と楽に生きていけるのではないか。最近の自分は、自生思考の件もあって、自分の頭のなかに考えが生じること自体が怖い、何かを感じてしまうことそのものが怖い、というようなところがあったもので、神経症もここまで来ると相当なものと言うか、ほとんど極地ではないかと思うが、しかし現在、薬の助けもあって、それにもどうやら改めて慣れつつある。今までに症状として発現してきた心臓神経症とか嘔吐恐怖とかも、概ね克服して来ているわけで、すべての不安の対象を一度不安として認識し、その後それに耐えて相対化し、要は「慣れて」行けば、ついには何も怖くないという境地、まさしく苦しみからの解放がやって来るのではないかという見通しも、(……)と共有した。しかし自分は別に、そのような悟りじみた境涯に至りたいとは思わない、もう苦しみや不安は、あまり過度にならなければあって良いと今は考えている。
 そうした話のなかで、宗教の起源について話が及んだ時があった。森達也が言っていたらしいのだが、なぜ宗教があるのかというと、やはり人間は自分が死ぬということを理解しているからではないか、という、これはやはり納得の行く考えである。仏教はその厳然たる事実を受け入れる方向を志向し、キリスト教は永遠の生とか救済とかいう「フィクション」(自分にはやはり、それは一つのフィクションだとしか思えないが、しかしこのフィクションを実際に必要とする人々が、この世にはいるだろう)でそこからの救いを志向する、と、方向性は違うがどちらもやはり「死」に対してどのように対応するのかという話なのだ。
 また、不安症のただなかにある時は、文字すらが、単なる意味すらが怖くなるということも共感し合った。(……)が一時期不安障害的な症状に陥った時には、死への恐怖が酷かったので、「死」という文字をまともに読めなかったと言う。こちらは嘔吐恐怖があったから、「吐く」が怖い時期があったとそれに応じた。「嘔吐」そのものの意味で使ってなくて、例えば「言葉を吐く」などと書いてあっても、自動的に連想が働いてしまい、怖くなるのだ。
 そうした精神衛生に悪い話ばかりをしていたのだが、その後この先のことも話し、こちらは、今年度までで職を変えて、知り合いの古本屋に雇ってもらえるよう頼んでみようと思っていたところが年末年始の例の変調で、今ちょっと環境を変えるのが怖くなって様子見していると言った。そうすると(……)は、こちらに古本屋は似合いである、こちらがカウンターの裏で寡黙に店番をしている姿、そのヴィジョンが完全に見えたと言って、転職するよう大いに勧めてくれて、そのように言われているうちに、こちらとしてもやはりそういう気が湧いてくるのを感じた。少なくとも、人間関係、「他者」との関わりから言っても、今の職場よりは確実に未来があると思うので、もう少し暖かくなってきたらやはり頼んでみようと思う。
 ブログにアフィリエイトを導入する可能性についても話した。以前は、何事にも繋がらない純粋な書く欲望のようなものを体現したいと思っていたのだが、変調を受けて、現実のこの先の生活の可能性を考えざるを得なくなったいま、なりふり構ってはいられない。今は両親の支えを享受させてもらっているけれど、当然のことながら親だっていつまでもあるわけでなく、こちらのこの先について、彼らを不安にさせるようなことはなるべく避けたい。しかし当の自分はこんな頭であって、自分がいつか狂うのではという考えが(今のところ、それに不安はもうあまり覚えなくなったものの)脳から去って行かないし、狂う云々は措いておいても、自分が不安神経症として結構厄介な脳を持っていることは確かであって、今更社会の本流に戻ってサラリーマンをするというのも難しいだろう。このまま行くしかないのだが、そうすると自分にできること、自分がここ数年で唯一磨いてきた能力というのは、やはりこうして文章を書くこと、それしかないのであって、文章と言ってもそれも自分の生活あるいは生を綴る類のそれでしかないのだが、この文章を載せているブログを、どれだけの人が読んでくれているのかはわからないが、やはり何かしら、生活や収入に繋げる方策を探って行くべきではないのか(生活を書くことで生活を立てて行くと言うと、まるで私小説作家のようだ)。そうすると自分が思いつくのはアマゾン・アフィリエイトであって、一応本は読むので、読んだ本を紹介するというような形で、幾許かの金銭を得られないか。勿論大した金額にはならないだろうが、一応この先も日記とブログは書き続けて行くと思うので、塵も積もれば、という感じで考えて、とりあえず導入するだけしてみてはと思うのだが、どうだろうか?
 そうした諸々を話し、六時半頃になると、(……)が夕食に呼ばれたと言うので、ありがとうございましたと礼を言って通話を終えた。上階に行くと居間は真っ暗だったので、明かりを点けてカーテンを閉めた。そうして、食事の支度である。自生思考がありながらもそれを気にせず、うまく受け流し、共存して行くには、やはり呼吸に意識を向けるのが大事だろうというわけで、ものを切りながら、そのように心掛けた。作ったのは、豚肉と玉ねぎの炒め物である。両親が帰ってくると(この日、両親は、父親の会社の同僚に誘われたとかで、「利き茶」の会に出かけていた)安堵し、彼らが居間に入ってきたあと、台所から目を上げて二人の姿を見て、そこにいてくれるということをありがたく思った。その後、レタスを千切り、人参を千切りにして、茹でるのは母親に任せて下階へ戻った。
 そうして、音楽を掛けながら運動を行った。最中はとにかく、呼吸を意識するようにした。これを自分の存在の中核として据え、思考とのバランスを保って行きたい。ティク・ナット・ハンも、呼吸を核とした存在性みたいな点についてはおそらくヒントをくれると思うので、その著作を今度買ってみるつもりである。身体を動かすというのはやはり良いようで、身体性を感じることができ、思考もあまり湧いてこないようだった。
 その後、歌を歌った。Suchmos, "STAY TUNE"を流しながら、気分が上がっていたので動き回りすぎて、頭が痛くなった。そうして、書抜きである。ミシェル・フーコーほか/田村俶・雲和子訳『自己のテクノロジー――フーコー・セミナーの記録』から文を写しながら、折々に先の電話での会話の内容が思い出されて、その都度メモをしつつ、このように自分の頭は随分と忙しい、多動的なものになってしまったのだなと思った。
 九時になると夕食に上がった。テレビには、ピンク・レディーの二人が映っており、もう六〇歳なのだが、三九年ぶりにレコード大賞の舞台に立ってパフォーマンスを行ったとのことだった。銀色のラメのついたきらびやかな衣装で、年の割にまったく見苦しくなく、身体も非常にキレを持ってよく動き、真剣に、熱を籠めたパフォーマンスを披露しているということが如実に感じられた。
 食後は母親の分も合わせて皿を洗い、入浴した。風呂に入っているあいだも、行動の自動感が気になったのだが、しかし、この時は不安は覚えなかった。出てからヨーグルトを食って自室に帰ると一〇時半、そこから一時間強読書して、一一時四五分に就床した。