2019/2/10, Sun.

 一〇時四〇分起床。快晴と言って良いだろう陽射しが寝床に射し込んで顔を舐めていた。ダウンジャケットを羽織って上階へ、階段に掛かるとちょうどその上に青いウインド・ブレーカー姿の父親があった。おはようと挨拶をして居間に出て、服を早速ジャージに着替える。それから便所で排便し、出てくると食事は煮込みうどんを作るので待ってくれと母親に言われたので、そのあいだにもう風呂を洗ってしまった。そうして新聞を読みながらうどんが出来るのを待ち、完成を知らされると丼によそって食べながら引き続き新聞記事を読む。新聞からはまず一面の、「シナイ半島 陸自派遣へ 停戦監視 春にも 司令部に2人」の記事を読んだ。「政府は今春にも、エジプト東部のシナイ半島イスラエル、エジプト両軍の停戦監視にあたる多国籍軍監視団(MFO)に陸上自衛隊を派遣する方針を固めた。2016年3月施行の安全保障関連法で新設された国際連携平和安全活動を適用する初めてのケースとなる」。「計画では、陸自隊員2人をシナイ半島南端のエジプト・シャルムエルシェイクの現地司令部に派遣する」。「MFOは中東戦争後、エジプトとイスラエルが1979年に締結した平和条約を受けて82年からシナイ半島に展開している」。続いて同面、「米、日韓と連携確認 ハノイ米朝会談へ」。そうして二面、「親トランプ紙と対立 アマゾンCEO 「脅しに屈しない」」、「慰安婦問題 韓国議長が持論 天皇陛下の謝罪「望ましい」」。さらに四面、「自民「改憲ムード」醸成へ 推進本部会議 「統一選・参院選で議論を」下村氏」に、「維新「国会で改憲論議主導」 19年活動方針 参院選へ差別化狙う」。そこまで読んで食事を終え、抗鬱剤ほかを服用し、皿を洗うと自室に下りた。時刻は正午直前、日記に取り掛かる。前日の記事を速やかに仕上げ、アマゾン・アフィリエイトのリンクもいちいち作りながら(昨日のクリック数は六回だった)ブログに投稿し、それからこの日の記事を書く前に、そう言えばシューアイスがあったなと食べたくなって、ついでにゴミを整理しようと燃えるゴミの箱を持って上階に行った。両親は食事を取り終えていて、母親はテーブル、父親は台所に立って洗い物をしていた。ガトー・ショコラがあるから食べればと言うので、ゴミを台所にゴミ箱に合流させたあと、一切れ取り分けて貰った。ゴミを整理していると、お前今日はまたどこか出かけるのと父親。予定はないと言うと、あとで手伝ってくれないかと。林の竹が雪で倒れそうになったのを切りたいのだが、そのあいだ、車が来るか来ないか見張っていてほしい、というようなことらしかった。了承し、シューアイスを齧りながら自室に帰ってきて、FISHMANS "Walkin'"をリピート再生させていたのをFred Hersch『Alone At The Vanguard』に音楽を変えて、ここまで記して一時前である。
 二曲目の"Down Home (Dedicated to Bill Frisell)"が流れているのを最後まで聞いてから(譜割りが良くわからない、コーラスの最終部でそれまでよりも一小節かそこら長くなっているのか?)、上階に行き、短い靴下を履きながら散歩に行ってくると両親に告げた。そうして出発。道に出ると同時に風が吹いており、路上には膿んだ傷口のような水溜まりがひらいて、ところどころ白い筋が差し入れられている。その雪の残滓の上に靴を乗せて擦ってみたりしながら西へと向かう。空は薄雲が全体に混ざってビロードの膜に包まれたかのように淡いが、太陽は眩しく、先日まで道路工事をして溝を掘っていた市営住宅の前の道に白く反射する。坂を上って行くと脇の家の敷地に紅梅が一つ立っており、隣の木は白い裸木で、周囲にはあとは常緑樹や薄緑色の竹ばかりのなか、陥穽のようにしてピンク色に彩られているのが色鮮やかだった。風の多い日で、樹々のあいだを歩いていると、右方から葉擦れが聞こえたかと思いきや次の瞬間にはまた左から響いてくる。背後の遠くに膨らむ音に、車がやって来たのかと勘違いして道の脇に寄るという場面もあったが、それでも不思議と路上には風はあまり吹かず、身に強く当たってくることはなく、路傍の樹々から樹々を渡るように流れていた。表に出て通りを渡り(白梅の木が、一つ一つが泡であるかのような花を灯しており、全体として輪郭線が丸みを帯びてまとまりながら直上に向けて突き立った姿形が燃え上がる炎のようにも見え、道の上には花びらの断片が米粒のように散っている)、もう一度細道に入って緩い坂を上っていると、ここでは風が正面から冷たく厚く吹き当たってくるのは、横が斜面になっているからやはりそれに象られて道を埋めるのだろう。墓場の片隅に生えた白梅を見上げて過ぎながら、今度はその花弁の曲線を帯びた形が、ポップコーンのようだと思われた。道の先の保育園からは子供たちの燥ぎ声が聞こえてくる。敷地の縁の、骨組みだけになった枝の先を鋭く天に向けた銀杏の木の上に小鳥が何羽も止まっているその下を過ぎ、裏路地を行くあいだ、今度は風が乏しくて西に向いた背に温もりが宿り、足もとには太陽に写し取られた影が浮かんで、それは先日の宵の散歩道で見た電灯による影とは違って歩を進めても伸びてもゆかず薄くもならず、ただ一定の形と色を保ちながら先導するかのように足の下に終始ついてくるのだった。駅を過ぎて街道に出て、途中で通りを渡り、また林のなかを抜けてみようと細道に入ると(それまで分厚い風が吹きすぎて顔に冷たかったのが、裏道に入ると建物に遮られてぴたりと止んだ)、高年と言ってよいだろう年嵩の男性がおり、どうしたんだと思う、などと突然訊いてくる。何かと思えば地面の脇に明るい緑色の、毬藻のような塊があって、一瞬遅れて鳥ですか、と気づいた。メジロだった。動かない、あるいは動けないでいるのを男性は怖じず、片手で掴み取って憐れむような声を出しているのに、怪我をしちゃったんですかねとこちら。メジロをこれほど間近で見るのは初めてだったが、その緑色の、かき氷の上に掛けるシロップのように原色めいて鮮やかで、指の先で恐る恐る体に触れると毛が柔らかくふわふわとしていた。左足が変だと男性は言う。横に寝かせてみれば彼の手指を掴んでくるが、姿勢を直して縦にすると、うまく踏ん張れないような感じだった。じきに男性は、ここに放置しておくわけにも行かないから、箱のなかに入れておいてみるか、そうすれば自然に飛び立つかもしれないと言うので、こちらは、任せちゃっていいですか、どうもすみませんと言って別れた。やはり外に出て散歩をしていると、思わぬ遭遇、書くべき時間があちらから飛び込んでくるものである。そうして林のなかに入ると途端に烈しい風が走って、あたりの四方八方に水の流れが生まれたかのように樹々全体がばたばたと鳴りを立てるのに、これは凄いなと思わず立ち止まって耳を張るようにしていた。
 帰宅して居間に入ると母親が、父親を手伝ってあげるようじゃないと言う。こちらももとよりそのつもりだったのだが、父親の姿は家内にはなく、窓から見てみれば既に林の方の敷地に出ていたので、こちらも玄関を抜けた。しゃがんでパンジーの花を弄っていた彼は、こちらが近寄っていくと立ち上がり、林の竹を切りたいが、道の先から車が来ないかどうか見て、合図を出してくれと言う。了承し、林からちょっと離れて道路の途中に出ると、父親は斜面になった竹林のなかを身軽に上って行き、樹々の合間から顔を出した。そこでこちらは両手を頭上に掲げて丸のポーズを作り、父親がチェーンソーを操作して竹を切り倒す。うまい具合に道路にはみ出ず、敷地の入り口を縁取るように倒れた。もう一本な、と父親は言い、同じようにこちらは合図を出して二つ目が切り倒されると、横倒しになったものに近づいて行く。父親が斧あるいは鉈を持って枝を、かん、かん、かん、と小気味良い音を立てながら切って処理していく。その枝をこちらが集めて林のほうに捨てに行くのだが、薄緑色の葉っぱが大量についている枝を何本も集めて持っていると、吹く風がそれに当たってちょうど枝葉が扇のようになって遮られ、腕にぐっと重みが掛かるのだった。途中で勝手口から顔を出した母親が、こちらが素手で作業しているのに、それじゃあ出来ないでしょと言って軍手を持ってきてくれた。それをつけて引き続き枝を集めては捨て、終わったところでありがとうと言われたので室内に戻ることにした。しかしその前に、家の前まで来るとあたりに落葉が散っているのが目についたので、掃除しておくかと箒と塵取りを持ち、腰に負担の掛かる前屈みの姿勢で移動しながら枯葉を集めて、林の入り口に捨てた。
 そうして自室に戻り、日記の読み返しである。一年前の日記は不安に追い立てられてその反作用のようにして、手当たり次第に色々なことに感謝の情を感じており、それを尊いことのように書いていて今冷静になって読み返すと少々気恥ずかしい。二〇一六年八月二日の記事からは以下の描写を引いておこう。

 外に出ると既に雨は過ぎており、水気をはらみながら熱された空気が生暖かくて、腰のあたりに温もりがわだかまった。裏通りに入ってしばらく行き、足もとに目をやると、落ちる薄陽にアスファルトが白く照っている。路面を構成する骨材一粒一粒の作る微小な隙間に、光がいちいち入りこんでは宿ってあたりに無数の白さをばら撒き、それがこちらの歩みに応じてちらちらと絶えず身じろぎして路上の均一な固さを乱しているさまは、上空遥かから見下ろされた静かな海面の揺らぎにも似ていた。進みながら先に目をやると、女子高生が二人並んで歩いているその地点と自分とを繋ぐ道路が、光と水気の具合でか普段より色を稀薄にしていて、まるで空の色が垂れ落ちて広がったように薄青い。そこを過ぎて坂道の途中に出ると、路面から湯気が湧いており、立ちあがらずに地にぴったりと伏せて、右方の坂上から僅かな風に流されて這ってくる。道の見えない向こうに巨大なドライアイスでも仕掛けてあるみたいだと見ながら渡り、ふたたび裏通りに入った。空にはいつの間にか雲が減って、晴れ間が覗いている。街道に出てやけに空間が明るいと感じたのは、やはり濡れた路面が光を跳ね返しているからだろう。歩む足のすぐ傍には白点が群れ遊んで表面のざらつきが露わだが、進む先の道路は先ほどの裏通りと同じく、空を映したような淡青色を均一に塗られて微細な起伏を視認させずに緩く身を持ちあげながら伸びていて、まるで女人の背中めいたその滑らかさの上を走る車の鼻面に天の光が丸く集中すると、それが道にも映って薄衣のような白影が車の先に掛かるのだった。

 同日の記事をブログに投稿してまた一つ蓄積を増やすと、それからSさんのブログを読んだ。彼もこちらと自分のBill Evans Trioに対する感想が偶然にも一致していて思わず笑ってしまったと書いていたが、このシンクロニシティにはこちらも稀有なものを感じて、「二人の聴いている対象の同一性が、このことでぐっと前に出てきたような、我々の聴いているものは、たしかにアレに他ならないですね、やはり同じものを聴きとってしまいますねえ」というのはこちらの感慨でもある。そして、二つのブログ上において、記述の偶然による同一性から端を発した引用の相互交換による相互交感のようなものが発生しているのもまた今まで自分が得たことのない貴重な体験のように思われて、こうした状況を生み出してくれたSさんに対しては深く感謝したいと思う。それにしてもBill Evansの演奏の仕方について彼が言う、「弾くというよりも、置くというのか、残すというのか、中心を外すというのか」という言葉にはまさにその通りだと頷くものであって、まさしく彼は、音楽を弾くというよりも、音を「置く」プレイヤーなのだ、「配置」の人なのだと我が意を得たような感じになった。
 その後、「ワニ狩り連絡帳2」も読んだあと、「偽日記」でSさんの名前を検索し、そこを経由して「R.S.N」の二〇一〇年四月一一日の記事を読んだ。「いい加減、だらだらしすぎだ」で始まるこの日の記事は、確か二月五日の夜にMさんが絶賛していたものではなかったか? 引用――「運動神経とはまず第一に、集団の中でそれを人並みに発揮するためにあるもので、それは通行許可証のようなものだ。だから、それの披露に失敗するというのは、おずおずと差し出した申請が受理されないという事で、生まれてはじめて経験する社会的挫折だ」。「作品の価値はみな、例外なく、作者たる貴方がいつその場を立ち去っているかによって、きまってくるんですよ!」 そこまで読んで何となく、ギターを弾きたい気分になったので隣室に入って適当に弄り、戻ってくると今度は更新されていたMさんのブログを読んだ。自分の日記と見比べながら読んで、四〇分掛かった。そうして日記の加筆に入って、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』を背景にここまで打鍵を進めて、現在五時八分を迎えている。
 食事の支度をしようと思い、FISHMANS『ORANGE』のディスクを持って上階に行くと、もう母親が済ませてしまったあとだった。早いじゃん、と言うと、父親が早く食べたがるからと言う。それでストーブの石油を補充してくれと言われたので快く了承し、タンクを持って玄関を抜けると隣家の前でTさんが掃き掃除をしている。こんにちは、とやや声を張って放ると、掃いてくれたのかなと訊くので、いやいや、と手を左右に振り、うちはやっていないよと答える(しかしどうやら、母親が少々やっていたようだ)。いつもすみませんねえと言うのにこちらも、どうもすみませんと返して勝手口のほうに上り、灯油をタンクに補充していると、林のほうにいて何かやっていた父親が家の前に戻ってきた。母親も出てきて、Tさんと何やら話をしていた。父親の横を通って屋内に戻るとタンクを戻しておき、そうして自室に帰ると、五時二〇分から六時前まで読書時間の記録がついているのだが、この時何を読んだのだったか? 「記憶」記事から大津透『天皇の歴史1』の記述を読んだのだったろうか。しかしそのわりに記憶がはっきりしないが――まあ良い、その後続けて一時間ほど読んだのは斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』である。しかし例によって、寝床で布団にくるまって読んでいると眠くなってきてしまい、一向に読み進まなかったので、意識を取り戻してからは床を抜けてコンピューターの前に座って読んだ。そうして七時直前に上階へ。父親は炬燵テーブルに就いて既に食事を取りはじめており、母親はテーブルでタブレットを弄っていた。夕食は米・野菜に豆腐に餃子が入ったスープ・おそらくセブンイレブンのチキン・薩摩芋・大根や人参などをシーチキンとマヨネーズで和えたサラダである。新聞を持ってきて、キューバ改憲に関しての記事を読みながら食べていたのだが、じきに父親に話しかけられたので読めなくなった。苺狩りにお前も行くかと言う。父親が明後日まで休みなので、そのうちのどこかで母親と出かけようと企画しているらしい。こちらは良いかなと答え、その後、昨日医者に行ってきたのだと報告した。活動的ですねと言われ、薬は前回は三週間分だったのが四週間になった。先日三日連続で出かけた時などは、朝だけ飲んで夜は外で食事を取ったので飲まなかったのだがそれでも問題なかったところ、しかしせっかく安定してきたところだから安全策を取って飲み方は朝晩で変わらずと。頭のなかで音楽が鳴るとか、言葉が聞こえるとかはまだあるのかと訊くので、まだあると。しかし、病前から頭のなかの独り言というのは自分にあっては通常のものだったし、今はまあ尋常の物思いの範囲内に収まっているだろう――それでもやはり、病前よりも精度や速度といった面で落ちるような気はするが――一年前の一月に自生思考が激しかった時には、今とは違っていて、とにかく言語が高速で頭のなかを駆け抜けていく、奔流を成していたのだとこれまでもした説明を繰り返した。あの時はやはり、完全に頭が何かおかしくなっていたのは間違いない。ただ、物凄い思考のスピードだったことも確かで、病気という形にならずあの速度・精度の思考をコントロールできていたとすれば、自分はもっと面白いことを色々と書けただろうとそんなことも考えてしまうが、しかしそれはまさしく無い物ねだりである。今はこうしてふたたび日記を毎日書けているのだからそれで充分なのだ。そんな話をしながらものを食べ、抗鬱剤ほかを服用しておき、食器を洗うと入浴に行った。「記憶」記事の内容を想起したりしながら湯に浸かり、出てくるとガトー・ショコラを一つつまんで下階へ、そうして八時二〇分から読書を始めた。まずふたたびムージル、『生前の遺稿』中、「Ⅲ 物語とはいえない物語」まで読むと、この本の読書は一旦中断することにして、岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』に移行した。三月三日のAくんらとの読書会では、この本と、小野寺史郎『中国ナショナリズム』(ともに中公新書)を読むことになっているのだが、二段組でなおかつ難解な記述のあるムージルにかかずらっていると、それまでに課題書をよめないかもしれないとの危惧を抱き、時間に余裕のあるうちに先に読んでしまうことにしたのだ。それで、Dmitry Yablonsky; Russian State Symphony Orchestra『Shostakovich: Jazz Suites Nos. 1 and 2 / The Bolt / Tahiti Trot』を背景に流しながら読み進める("Jazz Suite No. 2"中の"Dance 1"が良かった)。続いて音楽をDokken『Beast From The East』に移行させ、場所も寝床に移って身体に布団を掛けながらさらに読み進めた。ムージルと比べると文章が簡易で非常に読みやすく、新書であることも相まって頁はどんどん進む。しかしそのうちにまた眠気が出てきて、『Beast From The East』が終わりに近づく頃には本を置いて目を閉じていた。書見は一一時直前まで。それからTwitterを眺めつつ歯磨きをして、Valery Gergiev; London Symphony Orchestra『Prokofiev: Romeo & Juliet』を聞きながらここまで日記を書き足すと、日付替わりまであと二〇分となっている。
 寝床に移って、Ernest Hemingway, Men Without Womenの書見。結構分詞構文を使ったり、あるいは通常の構文でない、ちょっと省略的な形を使ったりして、コンマとともに長く繋いでいく文が見られて、そのあたりは何が主語になっているのかも結構わかりにくく、それは勿論こちらの英語力の貧弱さの問題なのだが、日本語訳を参照せずにがんがん読んでいこうと先日決めたばかりなのだけれど、やはりこれは大まかにでも邦訳を見ながら読んだほうが良いかなと意志を翻して、新潮文庫の高見浩訳を頻繁に見ながら進めた。しかしこの人の訳文はそこまで日本語として素晴らしい訳ではないような気がする(きちんと読んでみないとわからないが)。以下、英単語メモ。

  • 16: The critic looked up to see Zurito, directly below him, leaning far out over his horse, the length of the pic rising in a sharp angle under his armpit, ――armpit: 腋の下
  • 16: and the triangular steel point of the pic ripped in the bull's hump of shoulder muscle as he tore loose to find Hernandez's cape before his muzzle.――muzzle: 鼻面
  • 17: where the monos were leading a horse out by the bridle toward the bull, whacking him on the legs with rods and all, ――whack: ぴしゃりと打つ
  • 17: Zurito, sitting his horse, walking him toward the scene, not missing any detail, scowled. ――scowl: 顔を顰める
  • 17: The picador, now on his feet, swearing and flopping his arms. ――swear: 罵る
  • 17: And the bull, the great black bull, with a horse on his back, hooves dangling, the bridle caught in the horns. ――dangle: ぶらぶら揺れる
  • 17: There was a sheen of blood all down his flank. ――sheen: 光沢、輝き / flank: 脇腹
  • 18: The monos were spreading canvas over the two dead horses and sprinkling sawdust around them. ――sprinkle: 撒く / sawdust: おが屑
  • 18: Retana's man handed him the heavy porous jug. ――jug: 水差し
  • 20: But standing there he had a heavy sense of apprehension. ――apprehension: 不安、危惧

 零時半過ぎまで読み、眠気が差していたので早めに就寝。


・作文
 11:59 - 12:51 = 52分
 16:26 - 17:09 = 43分
 23:10 - 23:42 = 32分
 計: 2時間7分

・読書
 14:01 - 15:17 = 1時間16分
 15:42 - 16:23 = 41分
 17:20 - 17:57 = 37分
 17:59 - 18:56 = 57分
 20:22 - 22:52 = 2時間30分
 23:43 - 24:32 = 49分
 計: 6時間50分

  • 2018/2/10, Sat.
  • 2016/8/2, Tue.
  • 「at-oyr」: 「Einstürzende Neubauten」; 「誰男」; 「interplay」
  • 「ワニ狩り連絡帳2」: 「「1.26反原発集会」@三鷹・SCOOL」; 「2019-01-27(Sun)」; 「2019-01-28(Mon)」; 「「サスペリア」(1977) ダリオ・アルジェント:監督・脚本」; 「2019-01-29(Tue)」; 「2019-01-30(Wed)」; 「「山椒大夫」(1954) 溝口健二:監督 依田義賢:脚本 宮川一夫:撮影」; 「2019-01-31(Thu)」; 「2019-02-01(Fri)」
  • 「R.S.N」; 2010-04-11
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 「夜行バスの中でひとり冴えている I’m a boy I’m a boy」
  • 「記憶」: 51 - 52, 9 - 11, 34 - 39
  • 斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』: 90 - 104
  • 岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』: 4 - 59
  • Ernest Hemingway, Men Without Women: 16 - 20

・睡眠
 2:10 - 10:40 = 8時間30分

・音楽