一二分を座っているあいだ、窓を閉めていても外から鳥の鳴き声が耳に届いて、空気もなんとなく動きのあるようで静寂が耳に痛いほどの夜とはやはり違って、こちらのほうが同じ瞑想をするにしても気楽で面白い。窓から入ってくる光も、顔の左側に貼り付いて熱が心地良かった。八時二〇分になって目をひらくと、橙がかったその光のなかで、睫毛よりもよほど小さくてちょっと縮れたような白い塵の、ゆらゆらと、群れながらも適度な間隔を保ってそれぞれ自律しながら浮遊しているのが、一つ一つ明瞭に視認される。柔らかな朝陽のなかにのみ生じるその情景に、息を一つ吹きかけて渦を作り、静かで小さなものたちのなかに動揺をもたらしてやってから、部屋を抜けた。
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そのうちに、炬燵テーブルの脇にいた母親が父親の動きを見て、そんな靴下履いていくの、というようなことを言った。義姉からもらったものを履いて行くよう勧めるのに、しかし父親は、あれは履くのが勿体ないから履かないのだと返して、履け履かないの、朝の出かける前だというのに、およそくだらない言い合いが始まった。母親が、その声が甲高いのはよくあることだが、しかしここのところ耳にした覚えのないような早口で、履いていきなよそうすれば喜ぶでしょと、ややヒステリーめいて畳み掛けるのに、卓に就いて新聞に目を落としつつうんざりさせられながらも、しかしその何か差し迫ったような声音にこれは妙だなと思った。たかが靴下の話である。妙と言えば父親のほうも同じで、こちらもやはりたかが靴下なのに、随分とそれを大切に思っているようで、絶対に使わない、一生履かないの頑徹な一点張りである。こうして文として記してみても、いささかグロテスクな喜劇のようで、一体これは何なのだろうと、その時は疑問が先に立ってむしろ苛立ちが湧かなかった。
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道に出て、父親の既に先に歩いていった方を向くと、陽射しが薄く敷かれたその上に、絵具を点じたように落ち葉が置かれていて、風はなかったはずだが、上からも次々と降るものがある。見上げれば一本、葉群れの先端までもはや飴のような褐色に染まった木があって、光を帯びて艶めきながら空中をざらつかせていた。温かななかを歩いて行き、坂を上って駅に到れば、ここでも楓が紅葉を進める途中で、なかから外へ向けて緑から黄から唐紅へと、波紋のような精妙なグラデーションを描いていた。首を傾けてそれを見やりながら階段を上る。通路の両側に覗く空は、すっきりと青一色で、水の上へと上ってゆくような感じがする。
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外を見れば、空は一片の過ちもなく、自然の卓越した手さばきで、マンションや民家を囲む輪郭線のその際まで、清らかに塗り尽くされている。武蔵小金井あたりでは高架線路も高く、まだ建物も低くて、伸び広がる町並みのすべてが眼下に収められて、電波塔の類が小さな模型のように立っている遠い果てまで見通すことができた。手近に視線を落とせば、出番を待っているのだろうか、電車が二つ行儀良く並んで停まっており、その側面を白い反映が風のように、こちらの乗る電車の速さに遅れまいとばかりに、車両の端まで併走してついて来た。
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ホームの端に陽が掛かって、温かいそのなかを殊更好んで歩く。首を振れば、小さな虫が空間から欠片が零れて遊ぶようにして、白い軌跡を空中に丸く描いている。前方に視線を戻せば、先に行く両親は、身体が接しそうなほどに近づきながら、ゆるゆる進んでいる。腕を組まないのだろうかと、その距離感に思っていると、目を離したうちにやはり、母親が父親の腕を取ったようで、次に見た時には腕が交差していた。二人のその背を、電線の影が斜めに渡って宿り、何か線の上に設置されている機具だろうか、時折り出っ張りを作りながら、歩みに応じてするすると、縄が引かれるように流れて行く。
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果てには淡い暮れ色が、建物の輪郭に接して揺蕩っており、そこから頭上へと広がる空は進む夕暮れにもうだいぶ青味を吸い取られて、白く褪せたようになっている。住人のいないという古びた団地のあいだを抜けて行くと、図書館に行き当たった。その前を通っていると、猛る犬を抑えるのに手いっぱいになっている老婦人がいる。何かと言葉を掛けながら犬の綱をようやくのことで固めているのだが、犬は吠えこそしないものの、興奮したような吐息を荒く吐き散らしている。後ろから、熱い蒸気を噴射するようなその唸りが聞こえるのに、襲いかかられるのではという錯覚を覚えかけたが、当の犬が身につけた薄オレンジの布に、「平和主義」の文字がでかでか記されて背に掲げられているのが、皮肉で滑稽だった。