2017/1/20, Fri.

 出勤の支度を済ませて上がって行き、本当に雪が降るのだろうかと居間の南窓から外を見やれば、雪というよりはほとんど微雨に近いようなものだったが、確かに落ちるものがあって、既に降っていると洩らせば炬燵に入っていた母親が引かれて顔を上げた。靴を履くと傘用の棚をひらいて一本、黒いものを持って玄関の扉をくぐったが、すぐに差す必要はなく、いまにも消え入りそうな降りで塩の欠片のような粒が舞ってくるに過ぎなかった。空気は寒かった――と言って、怯むほどではなく、新聞の予報によれば最高気温が五度と言い、前日の半分くらいになったようだが、それでもこのくらいならば怖れていたほどのものでもなく、充分に耐えられると思われるくらいだった。とは言え歩きはじめのうちはやはり、コートの内側に温もりが溜まっても、なかなかそれが広がらずに身体がなかのほうから細かく震えるのを感じながら坂を上って行った。頭上の電線に、何という名なのか一向に知らないが、顔のすぐ下から丸々と胴を太らせて愛らしいような鳥が止まっていて、寒々しく白い空を背景にそれがシルエットとなっているのを見上げながら過ぎ、今度は右側のガードレールの向こう、一段下から生えた木のほうに目を振ると、いましがた見たのと同じ種かどうかわからないが、短く鳴き交わしながら小鳥が何匹か、枝から枝に移って行くその動きの、やはり空を向こうにして黒く貼られた木枝と一緒に影と化して滑らかに宙を渡るのが、何だかパズルが組み替えられているようで、木の一部として構造化されたかのように機械じみていた。風は前日のように固く肌に擦れると言うよりは、そうした摩擦の感覚も確かにあるが、加えてさらに一段進んで、顔に正面から当たって来るとそのまま細胞に染み入って、震えを誘発させるような、と思われた。裏通りに入ったあたりで、降りの間がやや縮まったように見えたから傘をひらいた。すると、耳元に、ちりちりと鳴りが聞こえる。それは足音のなかに紛れるように幽くあって、足もとの細かな砂を靴の踏みにじる響きかとも思ったのだが、ちょっと停まってみると確かに頭上を囲む傘から鳴っているので、粉雪の粒子が布の表面と触れ合い、転がる音に違いなかった。進むうちに段々と、耳が気温の低さに負けて、顔の横から滲むのが歯痛のようでもある刺激がじりじり始まったが、むしろそれほどひどくならないのは、出る前に耳をよく揉んでおいた恩恵と見えた。傘の柄を持つために露出する手の肌もひりついたが、左手に一度持ち替えてもう一方をしばらくポケットのなかで休め、ふたたび右に戻したあとは、耐える心を決めて右手を動かさなかった。

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 夜道の途中で、猫が通りを横切る影を、少し先に見かけた。建てられてまだ比較的年数の短い、駐車場を家の前に設けた敷地に土の露出するところがなく、いかにも新興住宅といった感のあるこじんまりとした家の数件集まったあたりから出てきて、垣根に囲まれたうちは草も生えて昔からそこにあるだろう民家のほうへと入っていったのだが、その前に来たところで、口笛を短く鳴らしてみると、暗闇に包まれた垣根の向こうからみゃあみゃあと、両唇鼻音の要素の強い声が聞こえた。こちらに応えると言うよりは、ほかの誰かに呼びかけるような、何か探しているかのような鳴き方だった。過ぎてしばらく行くと、後ろから同じ声が聞こえて、振り向けばまた影が道の上を通って自動車整備工のあたりに消えるのを見た。戻ってみようかと思ったが、自転車のライトがその向こうから来るのに気を失くして、また帰途に復帰した。この日の行きだったか前日のことだったか、先の垣根の民家のあたりで明るい褐色の姿を見かけたので、その同じ猫だったかもしれないが、この時思ったのは二年ほど前によく行き会って戯れていた白猫のことだった。ある時からとんと消えたので死んだかと思っていたのがまた見えたのかと疑ったが、しかしあの猫はあんな風に、甘えるように鳴き声を立てはしなかったし、首輪についていたはずの鈴の音も聞こえなかった、と考えながら息の濁って膨らむ道を行った。