家を出たのは午後七時である。青さの留まった宵の空で、ポストから夕刊を取り出せば、米国の三長官が対北朝鮮政策についての声明を発表と、一面の記事が定かに読めるほどに、まだ明るさが残っている。室内で身体を動かさずにいたから、外に出ると肉に熱がなくて、いくらか首もとの冷える空気である。街道に出る前の丁字路に集って立ち話をする行商の八百屋と、近所の婦人らの姿はこの日はない――そもそもいつも八百屋が野菜を積んだトラックを停めているのは五時過ぎで、この時間にいるはずがないのだが、ちょうど同じくらいの暗さのなかで彼らを目にした記憶の像が蘇るのに、あれは冬のことだった、と思い当たって、となると、それから一時間半か二時間ほども、日の暮れが遅くなったのだと思った。裏通りを行くうちに宵は深まって、空は暗く彩りを失って行く。こちらの左右両側に斜めに湧いた影が、歩みにつれてじりじりと中央へ移動して行き、しかし一つに重なる前に薄れて地に消える。行く手東は墨色で、振り返った西も青がもうよほど暗んで海の深みのようで、その上に煤煙めいた雲も掛かっていた。まだ距離の離れた後ろから、女子中学生だか女子高生だか二人くらいと、男子一人の声が伝わって来て、至極直截に性交を誘う歌詞の歌を大声で、恥も憚りもなく、頭を空っぽにしようと言わんばかりの邪気のなさで叫ぶ女子の声が聞こえた。その後も何曲か、あまり音程も確かでなく、いくらか幼さを残したような声音で歌っていて、それに触発されたわけでもなかろうが、前から来た自転車のすれ違う時に、わりと年嵩らしい婦人の乗り手の口からも、演歌風の節が洩れているのが耳に届いた。