2018/8/19, Sun.

 アラームが鳴り出すのを待たず、六時台に一度目覚めた。部屋は既に朝陽で明るくなっていた。しかしそのまま起き上がることはできず、微睡んでいるうちに七時のアラームが鳴った。ベッドから抜け出したが、携帯を手に取り操作をしながらまた寝床に戻ってしまう。それでさらにしばらく休んで、目を閉じたりもしていたが、二度寝に陥ることは避けられて七時半頃起き上がった。
 上階に行くと洗面所で顔を洗った。食事は前夜の牛肉が残っていると母親が言うのでそれを温め、米と味噌汁をそれぞれ椀によそった。ほかにはポテトサラダがあった。卓に就き、味噌汁を一口啜ってから席を立って、外のポストに新聞を取りに行った。戻ってくるとビニール袋を鋏で切りひらき、日本の移民政策の欠如を批判するコラムを読みながらものを食べた。そのうちに父親も眠そうな様子で階段を上がってきた。こちらは食器を流しに運ぶと飲むヨーグルトを冷蔵庫から取り出し、コップに一杯ついで飲み干す。それから卓のほうに戻って抗精神病薬マグネシウム錠剤を服用した。そうして皿を洗う。ソファに就いた父親は欠伸をしばしば漏らしていた。
 現在ネットワーク設備が有線であるのを無線に変えるとかで、九時から電気屋が来ることになっていた。それで掃除機を掛けてしまおうかとこちらは言って、父親が食事を始める前にと機械を駆動させた。居間から台所、それに玄関にトイレのなかとさっと掛け終えると、掃除機は祖父母の部屋に置いておき、それから風呂を洗った。そうして自室に戻ると、業者と顔を合わせることがあろうからと、そしてのちのち出かける予定があったので、カラフルなチェック柄のシャツをもう身に纏ってしまった。ハーフパンツも履き替えようと思ったが、あとで柔軟運動をするだろうというわけで、こちらはまだ着替えなかった。
 時刻は八時過ぎだった。それで早速前日の日記を綴りだし、完成させるとブログに投稿し、Twitterのほうにも通知を流した。それからこの日の分も記していると、九時間近になってインターフォンが鳴った。業者がやって来たのだった。母親とともに階段を下りてきたところを、こちらも廊下に出てこんにちは、ご苦労さまですと挨拶をした。業者は深く濃い青のツナギ姿の男性だった。よろしくお願いします、と言われたので、こちらもお願いしますと返した。
 戻って日記を書き終えると、間髪入れずに運動を始めた。業者の人を慮って音楽は流さずに、屈伸に開脚、ベッドに移って前屈と行った。それから、保坂和志『未明の闘争』を新たに読みはじめた。ベッドのヘッドボードにもたれながら読み進めていると、涼風が流れてカーテンが押し上がる。レース編みのカーテンに濾された陽光の色が、曖昧な形の影の集団とともにページの上に宿っている。九時半を越えたあたりで外から機械の駆動音が響きはじめ、草を刈っているぐずぐずとした音が耳に届き、しばらくすると風に乗って刈られた草の匂いが鼻に感じられた。上階からは業者の人が両親に何か説明しているらしき声が聞こえていた。
 一時間読んで切りとし、ハーフパンツをベージュのズボンに着替えて上階に行った。母親はこちらの姿を見て、上下とも柄付きだと合わないと指摘してみせた。上はチェック柄に、ベージュのズボンは星の煌めきを模したような細かな模様が配されているのだったが、こちらがそのような格好をすると母親は必ず柄に柄だ、と口にするのだった。こちらはそれを意に介さず、持ってきた二つのゴミ箱からゴミを取り出し、上階のものと合流させた。それからおにぎりを一つ作り、自室に帰るとコンピューターを前にしてもぐもぐと食べた。ものを食べたすぐそばから便意があったのでトイレに移動し、消化されたものを尻からひり出すと、歯ブラシを咥えて東京新聞のサイトを閲覧した。「CIA元長官、トランプ氏を批判 「権力に酔いしれている」」、「「視力弱い」で障害者 不正認識か、中央省庁雇用水増し」の二記事を読むと時刻は一〇時四〇分、コンピューターを切って『未明の闘争』とともにリュックサックに入れると、それを背負って室を抜けた。
 上階に上がって行くと、母親はふたたび柄に柄だと指摘するのだが、何故同じことを何度も言われなければならないのか。僅かな苛立ちを感じながらハンカチをポケットに入れ、行ってくると残して玄関を出た。爽やかな日和だと思っていたが、道に出ると、思いのほかに暑気が厚かった。しかし坂に入ったあたりで風も吹いてくる。上りきったところで、カナブンのような虫がぶんぶんと宙を飛び交っていた。さらに進むと、蜻蛉も現れて斜面の濃緑を背景に飛んでいる。
 街道に入るとふたたび正面から風が流れてきた。行き交う車の横を歩いていると、走行音に紛れて何か声が聞こえてきた。道の先に、見知った姿があった。時折り見かける初老の女性で、ひっきりなしに独り言を言っている、あるいは見えない何かと対話しているのだった。多分あれが統合失調症というもので、幻聴と話をしているのではないかと推測するのだが、真実は知れない。右手に荷物を引きまた傘を持った彼女は、左手を宙に差し上げながら大きな声で何かを言っていた。近づくにつれて、今回は会話をしているのではなくて、どうもそれが通り過ぎる車のナンバーを読み上げているのだと判別された。目に入った番号を次々に口から放つのだが、時折りそこに、「ホンダ!」とか「スズキの軽!」とメーカー名が差し挟まれることもあった。彼女の近くを通り過ぎる時、顔を一瞥したが、その肌は濃い褐色に染まっていた。
 街道を北に渡って裏通りに入って行く。静かな暑気が空中に漂っていた。近くの団地に接した小公園に木々があるが、蟬の音はさほどではなかった。空にはガーゼのような雲が到るところに広がって、青さの量を半減させていたが、地上にはわりあいにはっきりとした日なたが生まれていた。それでも気候は盛りのついたような猛暑からは一旦落ち着いて、腕に汗も溜まらず、荷物を負った背中に汗の玉が転がることもなかった。
 路地の途中に挟まる坂を渡ってすぐ、一軒の百日紅が枝先に紅色を帯びさせながら、微かに枝葉を上下に揺らしていた。駅近くに来るともう一本木があって、大きく広がって色濃い花を無数に灯したそれがなかなか見事だった。小さな社に生えているものなのだが、旺盛に成長し、敷地を区切ったステンレス製の壁をはみ出してその上からこちら側に垂れかかっているのが、梢全体の丸みと合わさって一瞬、寝転んでいる人の姿を重ねさせた。駅前の角を曲がるとコンビニの前に、外国人が五、六人溜まって、ホットドッグやら何やらを立ち食いしていた。
 ホームに上がると電車が入線してきた。停まったそれに乗り込み、席に就くとすぐに『未明の闘争』をひらいて目を落とした。(……)駅で客が増えたなかに、ベビーカーの幼児を連れた夫婦があって、こちらから左の方の席に乗りこんだ。紙を短く刈り込んだ父親がベビーカーを押さえて立ち、母親は座って、姿は見えなかったが子どもはおそらくその膝の上にいたのだろう。その男の子は声変わりなどまだ遥か先である甲高くあどけない声をしばしば立てて、この電車速いね、こんなに速い電車は初めて見た、などと言っていた。途中、こちらの隣席に座るものがあった。息を一つつきながらポケットから携帯を取り出したその男性を見やると、外国人らしかった。半袖の赤いシャツを着て、同じく赤いフレームの眼鏡を掛けた彼は、すぐにLINEをひらいてメッセージを打ちこんでいた。
 新宿に着く直前まで本を読み続けた。そろそろ停まる頃合いになると本を閉じ、読書時間の終わりを手帳にメモして、そうして立ち上がって降車した。新宿に来たのは二月以来だと思うが、特段の感慨はなかった。階段口が混み合っているのでホームを歩き、空いているほうの階段から構内に上がった。人々とすれ違いながらのんびり歩いて行き、山手線のホームに下りてやって来た電車に乗りこんだ。乗って目の前の優先席には、幼児連れの夫婦と子の祖母という四人組があって、子どもの小さな靴を脱がしているところだった。それで子どもを座席の上に立ち上がらせ、空いたスペースに祖母が座り、子どもに窓の外を見せてやっていた。代々木までは僅かな時間で到着した。
 駅を出て横断歩道で止まると、身体の半分が風で涼しく、もう半分は陽に温められていた。唇の赤い右隣りの女性は、やはり赤のケースをつけたスマートフォンを弄っていた。視線を左方に振ると路地のなかに停まった黒い車が見えて、そのフロントガラスに太陽の光がじりじりと収束し、白い円を広げていた。しばらくそれを見ていたので、ふたたび視線を振った時には視界のなかに光の跡が残っていた。道路を渡り、路地に入って「Coffee House TOM」の前まで来たのだが、入り口のシャッターが閉まっていた。何の表示もされていなかったが、もしかすると閉店してしまったのかもしれないなと思った。それでどうするかと道を戻り、ひとまずPRONTOに入ったがひどく混み合っていたので出て、道を渡ったところのドトールコーヒーに入った。一階を通り抜けて二階のフロアに入ると、煙草の煙がくゆっていた。下階に戻って、窓際のカウンター席の端に腰を落ち着けることにした。アイスココアを注文して席に就くと、時刻は一二時四〇分頃だった。それから一時間以上打鍵をして、覚えている事柄を言語に移し替えていった。
 尿意が湧いていた。男子トイレは地下一階にあるとの表示だったが、フロアの奥の戸をくぐってみても二階への階段があるばかりで、地下への階段が見つからないのでひとまず我慢することにした。トレイを片付けて退店し、代々木駅に行くと(……)さんが既に立って本を読みながら待っているのが見えた。彼の正面に歩いて行き、近づいて気づいたところをこんにちはと挨拶し、お久しぶりですと互いに続けた。TOMが閉まっていたことを告げて歩きはじめた。行き場としてはPRONTOぐらいしかなかったので、横断歩道を渡って入店してみると、都合良く空きが見つかり、二つテーブルを並べた四人掛けの席に座ることになった。こちらは注文の前にトイレに向かったが、使用中だったので諦めてレジの列に並び、本日二度目となるアイスココアを注文した。
 会話の最初のほうで、(……)さんは忘れないうちにとビニール袋を取り出した。高松土産の讃岐うどんをくれるのだった。礼を言って受け取り、リュックサックにしまいながら、代わりにこちらは保坂和志『未明の闘争』を取り出して、いまこれを読んでいると示した。(……)さんは保坂和志は『季節の記憶』しか読んだことがないらしかった。面白いのかどうかわからないがつまらなくはないとこちらが言うと、(……)さんも本を取り出した。講談社文芸文庫古井由吉『仮往生伝試文』だった。どうですかと尋ねると、古井由吉はよく狂わなかったと思いますね、と(……)さんは述べた。彼はこの夏に香川の祖母の家に旅行したのだが、その帰りの新幹線のなかで小説の力に中てられるとでも言うような体験をしたのだった。香川に行って「アイデンティティの揺らぎ」を感じて精神的に不安定になっていたところ、帰りにこの本を読んでいると、彼にはかつてもそれに悩まされた時期があったのだがトイレに行きたくて仕方なくなり、どうしよう、どうしようと危なかったのだと話した。それはほとんどパニック障害の症状ですよとこちらは受けた。
 香川では大学時代の同級生と会って、一万円のコース料理を食べたり、海で泳いだりしたと言う。これはのちの夕食時のことだが、(……)さんは、一万円ならもう一品二品欲しかったと感想を漏らしながら、刺身の盛り合わせや何やらが写った料理の写真を見せてくれた。海というのは島に行ったらしく、自分たち以外は誰もいない貸切り状態で満喫したようだった。蟬の声がやたらとうるさかったと(……)さんは言った。
 喫茶店にいるあいだはほかに、こちらの日記のことも話題に上がった。書きたいという欲望をさほど感じず、感情や感受性が希薄化している状態を指してこちらは、実存の底が抜けてしまったようだと形容した。死ぬまで毎日日記を綴るという文学的野心も以前のような輝きを持っては見えず、小説を作りたい翻訳をしたいという欲望もやはり薄くなっている。とは言え結局のところ自分には日記を書くほかできることもない、やることもないというところに話は落ち着くのだった。実際、読み書きのできなかった二か月前はそれこそ死にたくて死にたくて仕方がなかったのに、書き物を復活させたあとはそうした希死念慮が湧かなくなったのだから、日記を綴るというところが自分の実存を最低限のところで支えているのだろうと言った。人は結局、何かをせずにはいられないのだと漏らすと、何もせずに部屋のなかにじっとしていられないところから人間のすべての困難は始まりますからねと(……)さんは返して、パスカルもそう言ってますからねとこちらは受けて仕舞った。
 将来の展望は、と尋ねると、以前から語っていることだが、自分の店を持つということを(……)さんは話してみせた。料理を土台としてそこに音楽やら小説やらを詰め込んで(どういう形で両者を関わらせることができるのかはまだわからないと言ったが)、自分と自分の好きな人たちが集える「汽水域のような場所」を作りたいと言うのだった。今働いている店はどういうところかと訊くと、高級居酒屋のような感じだと帰った。日々叱られながらも逞しく働いているようだが、働いていて嫌なことの一つは客だと言う。(……)さんの店に来るような客はどこかの社長だったり、それなりに地位の高い人物たちであるわけだが、資本主義社会を勝ち抜いてきたそうした人々の性向は(安易な?)ナショナリズムと結びつきやすいらしく、反韓・反中的な言説を大上段に撒き散らして恥じないのだと説明があった。自分の店を将来持ったとしても、そうした人々をターゲットとして相手にして行かなければならないというのはげんなりする、というようなことを彼は漏らした。
 ほかにも色々と話しただろうが、覚えていて書き記せるのはそのくらいである。四時を回ったあたりで(……)さんが、そろそろ行きましょうかと呟いたのでこちらも同調した。新宿の紀伊國屋書店に行こうという話になっていた。トレイをカウンターに片付けて、店員に会釈をしながら店を抜けると、午後も下って空気から温みが取れて過ごしやすくなっていた。北に向けて道を歩き出す。青い装飾を施した小田急の電車がまず左から右に流れて行き、そのあとからすれ違って反対側に走って行くものがある。今僕は完全にニートですけど、それでも一日が短いですよと言いながら、新宿サザンテラスへと階段を上がった。上ったところにはロブスター料理の屋台店が出ており、座席がいくつも並んでいた。それを過ぎて新宿駅のほうへと歩いて行きながら、日記について、書けないと言いながらも書くのだ、大した文章ではないと自分で言いながらも書き続けるのだと言うと、中原昌也じゃないですかと(……)さんは笑った。駅前の大きな横断歩道を渡り、東南口のほうに折れると、マルイのビルが視界の先に窺えた。東南口の階段下には常に多くの人々が行き交っており、なかに一人何やら踊っている者がいて、その周りをいくらかの人たちが取り囲んで携帯を向けたりしていた。近くを通り過ぎる際に目を向けると、踊っている男はシャツにネクタイをつけた姿で、目の周りを化粧で黒く縁取って、ヴィジュアル系がちょっと崩れたような風貌だった。
 『寝ても覚めても』の映画版の主題歌にtofubeatsが起用されているのだ、などと話しながら紀伊國屋書店エスカレーターに乗る。入店すると手近の区画に、『大江健三郎全小説』の巻が二つ積まれていた。手に取って裏返してみると五千円ほどだった。それから日本文学の棚の前を推移して行く。(……)さんは、山下澄人がちょっと気になっていると言った。一作読んだ覚えがこちらにはあったが、随分と前のことなのでもはや何の記憶も残ってはいなかった。それからしばらくそれぞれ棚を見て回り、その後に(……)さんに何かありましたかと尋ねると、松本圭二がどのような小説を書いているのかはちょっと読んでみたいとの答えがあった。しかし、復活する会合の課題書は海外文学にしようという話になった。それでまた棚の前をゆっくり動いていると、(……)さんが丸谷才一訳のジェイムズ・ジョイス『若き芸術家の肖像』を指し示した。ジョイスをまだ一冊も読んだことがないこちらにも異存はなかった。文庫版があるのではないかということで、そちらの区画に移動して、岩波文庫を見に行く途中、こちらは講談社文芸文庫のコーナーで立ち止まり、棚に目をやり、岡田睦『明日なき身』を発見して取り出した。この作家は生活保護を受けながら私小説を書いていた老人で、二〇一〇年以降は失踪したと言うのだが、日記ばかり書いて経済的能力のないこちらも、ことによるとずっと先にはそうした境遇に陥っているかもしれないとの思いが浮かんで、読んでみようと考えたのだった。それから岩波文庫の棚を見に行ったが、ジョイスの作品は置かれていなかった。ほかの棚も見回っているうちに、こちらは思いついて、それか『ボヴァリー夫人』はどうですかと口にした。喫茶店にいるあいだ、こちらが最近読んだフローベールの書簡に関連して、その作品の名前も上がっていたのだった。(……)さんもそれで良いと了承し、山田爵訳を収めた河出文庫の区画に行った。ここにも目当てのものは見つからなかったが、(……)さんは、『ボヴァリー夫人』なら確か持っていたと思うと言うので、課題書についてはそれでまとまった。
 上階の哲学のコーナーを見るだけ見てみようということになった。それで見に行ったのだが、棚を見回っていてもやはり、以前だったら彩り豊かな魅力と輝きを放ち、こちらの購買欲を刺激していたはずの著作群に惹かれる気持ちを抱けないのだった。日本の思想の棚を見ていた(……)さんが、これを買うと言って示してみせたのは、岸政彦『断片的なものの社会学』だった。ほか、最終的に彼は『ベンヤミン・コレクション』の六巻と、柴崎友香の著作も手もとに保持していた。思想のコーナーをしばらく見分してからふたたび下階に戻って、それぞれ会計を済ませた。
 階段を下って一階の通路に出たところで、次回の会合の日程を決めることになった。二か月後なので、一〇月一四日か二一日はと(……)さんは提案した。こちらは精神をやられて経過観察中の身、その頃になっても今の生活が続いているかわからないが、ニートなのでと笑ってどちらでも良いと了承し、会合は二一日に決められた。それからどこか飯に入ろうという話になって、通路を店舗外へ抜けて行く。入り口の傍では何やらステレオ機器の宣伝をしており、日本語ではない言語で歌われた"涙そうそう"があたりに流れていた。横断歩道前で立ち止まって見上げると、淡い雲のいくらか掛かった午後六時の空は夕暮れて色が希薄になっていた。店の選択は完全に(……)さんの直感に任せて、しばらく歩き回っていると、和食創作料理の店が先ほどあったのでそこで良いですかとなった。道を引き返してビルの五階にエレベーターで上がって行った。
 「(……)」という店だった。その名の通り毬をモチーフにしており、エレベーターから降りるとすぐ目の前には大きな毬を模した球体型の半個室のような席がいくつか並べられていた。さほど待たずに案内された席はしかし、奥のフロアのテーブル席だった。その席の頭上にも、やはり毬を模した紙の球に葉っぱのような彩りを描いた電灯が吊るされてあった。ひとまず飲み物を注文した。こちらはジンジャーエール、(……)さんは温かい焼酎だった。飲み物が届くとともにお通しが持ってこられたが、それは茄子と赤味噌のゼリー寄せだった。それを摘みながらメニューを見ていると、鮪の漬け丼というものがあったので、こちらのメインはそれにすることに決めた。そのほか、(……)さんの選択で、刺し身の盛り合わせ、蛤の吟醸蒸し、甘海老と帆立のセビーチェ、九条葱と水蛸のアヒージョが注文された。
 刺し身の盛り合わせは氷をいっぱいに詰められ、笹のような植物があしらわれた大きな容器に乗せられて出てきた。カツオ、サーモン、タコ、マグロ、アジと品が少しずつ並んでいた。(……)さんは口をつけて、マグロは完全に冷凍のものだけどタコは美味いと言った。冷凍とかわかるものですかと尋ねると、何だかんだで毎日触っているので、見た目と味でわかるのだと言った。冷凍でも上手に解凍する方法があって、塩分濃度が三パーセントほどで五〇度程度の湯でやるのだと(……)さんは語ってみせた。こちらは山葵に涙を催しながら鮪の漬け丼を堪能した。セビーチェというのは(……)さんもどういう料理なのかいまいち知らなかったようだが、細長い器に出されたサラダ風のもので、白く泡立ったムースが添えられており、それを掛けて食べるのだった。
 食事のあいだ、(……)の話がなされた。(……)
 ほか、結婚は無理だとか、性欲がほとんどなくなってしまったなどと話をした。(……)さんも最近は性欲が薄いらしかった。我々は揃って悟り世代ですからと口にすると、自分は五合目くらいだけれど、(……)さんはもう頂上まで行って朝陽を拝んでいるくらいですよねと言うので互いに笑い合った。ほかにも色々と話したと思うのだが、思い出せない。自分の記憶は何と不完全なのか? 以前はもっと頭のなかが整理されていたと思うのだが。その時話したはずのこと、その時あったはずのことを十全に書けないと、その時間がまるでなかったことになってしまうかのような気がする。アン・モロー・リンドバーグが『翼よ、北に』の序文で、「自分のやってきた冒険について語ろうと、日記のかたちで、あるいは物語として、あるいは書簡体で書き残す人々は、一風変わっていると見られがちだ。彼らは経験を言葉にしないと、そうした経験そのものがなかったような錯覚に陥る。少々疑いぶかいのか、鈍感なのか。ともかくも言葉にして繰り返さないかぎり、それを見ることができないのだ」と書いているが、ここで言われていることはこちらにもわかるような気がする。
 出てきた品を食べ終えたあと、最後に溶岩ステーキというものが注文された。これが出てくるのに結構な時間が掛かったのだが、ともかく品が届くと、女性店員が最後にフランベをしますと言って容器に入った液体に火を灯した。それを肉の上に掛けると一挙に炎が燃え上がって食器の周りに汁がはみ出し、こちらはおお、凄いという声を上げた。手慣れていますねと(……)さんが声を掛けたのに対して女性は、一日三回くらいは注文があるからと返した。それでも最初のうちなどは、前髪を焦がしたりしてしまったのだと言った。
 肉を食い終わると会計だった。(……)さんは、一万円ちょっとだと思うと値段を予想し、今日は(……)さんの復帰祝いということでと一万円を卓上に出した。さすがにそれはおかしいとこちらは固持しようとしたのだが、財布のなかには千円札が一枚しかなく、あとは一万円札だった。レシートが届くと、値段は約一万二千円だった。それで(……)さんが千円札を追加して払ったのだが、こちらが釈然としないと言っていると、次回松茸でも奢ってくださいと(……)さんが言うので、こちらも今回はそれに甘えることにした。感謝するほかはない。
 それぞれトイレに行ってから席を立って、エレベーターを下って退店した。ビルから出ると目の前には「ビックロ」の建物があり、左に折れるとその先が駅だった。地下への階段に入って行き、改札の前で方向を異にする(……)さんと別れた。縦横無尽に行き来する無数の人々のあいだを歩いて行き、ホームに上がると手近の列に並んだ。しばらくして特快が到着した。
 中野に着いたところで扉際が空いたのでそこに入ったが、本を読むこともせず、電車内ではのちに記す日記のためにこの日の記憶を思い返していた。向かいには金髪の女性が立っていて、手に持った袋にはジーンズの絵柄が印刷されていた。その絵の一部から、何かが出っ張っているのに気づいたが、ジッパーの取っ手のようにも見えたそれが、見ているうちに蛾がとまっているものだとわかった。女性は気づいていないようだった。
 立川で降りて番線を変えて乗り換える。(……)行きに乗っているあいだは席にも座れたが、やはり本を読まずに記憶を探り続けた。(……)に着くとホームを歩いて、例によって自販機で小さなスナック菓子を三つ購入する。それからもう着いていた乗り換えに乗って、ここでは短い時間だが『未明の闘争』に目を落とした。(……)に到着して降りると、九時二五分だった。夜気のなかに、何かを燃やしたあとのような臭いが嗅がれた。階段通路を抜けて横断歩道に出ると、ちょうど車の通りは一台もなく、あたりは静寂に満ちていた。坂に入っても、都市に出て人の多いなかにいたからだろう、遠く虫の音と小川のせせらぎのみが聞き取れるのが、随分と静かな感じがした。
 帰宅すると、両親は居間に揃ってテレビを見ていた。(……)さんから貰ったうどんを香川土産だと言って取り出すと、酒を飲んだらしく赤い顔になっている父親は、機嫌良さそうに相貌を崩して、いいじゃん、と言ってみせた。うどんを冷蔵庫に収めたこちらは自室に帰ってズボンを脱ぎ、パンツ姿のまま風呂に行った。冷水シャワーを浴び、束子で腹回りを良く擦って風呂を上がると、氷を入れた水を用意して卓に就いた。テレビは田中力というバスケットボール選手を紹介していた。アメリカに渡るらしい彼が空港で母親と別れを交わしている場面、片手で母親の身体を抱いているその様を見ると、腕の太さや背丈の高さから、まるでアメリカ人のようだなと思ったが、実際ハーフであるらしかった。水を飲み終えると下階に下りて、日記を書きはじめたのだが、僅かに書いて喫茶店の場面に達すると、うまく会話が思い出せずどう書けば良いのか考えあぐねてインターネットに流れた。自分の記憶から以前のような定かさが失われていると感じている現在、「記憶力 サプリメント」などと検索して、情報を探ってしまったのだ。日記に戻ることができず、そのまま一時過ぎまで無闇なネットサーフィンが続くことになった。ホスファチジルセリンというものやDHAなどが記憶には良いとされていたが、サプリメントなど所詮は気休め程度のものだろうと考えてはいた。検索したなかに「バコパ」というハーブが紹介されており、インドのアーユルヴェーダでは古来から記憶力増強のために使われてきたなどと語られていた。これだって胡散臭いものではあるが(本当に効果があるのだったら、もっと人口に膾炙していて良さそうなものではないか)、それでも迷った挙句の一時過ぎ、Amazonで注文を確定させてしまった。まあとりあえず、飲んではみるつもりである。
 歯を磨いたあと、寝床に仰向けになって布団を被りつつ、買ってきた岡田睦『明日なき身』を適当にめくり、断片的に文字を追った。夜気は秋めいて窓を開けていると肌寒いくらいであり、たびたび大きなくしゃみを放っていた。二時になったところで本を置き、明かりを落として眠りに向かった。