記憶が希薄で捉えどころのないものとなっているが、アラームよりも前、六時頃に一度覚めたのだと思う。しかし次に意識を取り戻したのは八時か九時かそのくらいで、寝床の手もとに携帯電話が置かれていたのだが、アラームを聞いた覚えも、立ってそれを消した覚えもまったくなかった。最終的に一〇時半頃までだらだらと寝過ごすことになった。
ベッドの端に畳まれてあったハーフパンツを履き、上階に行った。母親は(……)で既に不在だった。冷蔵庫を覗くと、即席のハンバーグが一部、ラップを掛けた皿のなかに入っていたので電子レンジで温めた。それと白米だけの簡素な食事である。新聞の一面には玉城デニーという自由党の議員が、翁長雄志知事亡きあとの沖縄知事選に立候補する見込みだと伝えてあった。その記事を読みながらものを咀嚼し、食べ終えると水を汲んできて薬剤の類を服用した。そうして皿を洗い、風呂も洗ってからアイスを食べつつ自室へと下りていった。
すぐに日記に取り掛かりはじめた。一〇分ほどで前日のものを仕上げ、この日の分も書き綴って正午が近づいた。そのまま読書に取り組んだ。保坂和志『未明の闘争』である。ベッドに腰掛けてスツール椅子を台にしながら一時間ほど読むと、運動を行った。室内には読書のあいだから、Terence Blanchard『Bounce』が流れていた。何度も膝を曲げては伸ばし、ベッドの上で前屈をして脚の筋を和らげ、腹筋運動を三〇回こなした。そうするともう一時、何となくカップラーメンが食べたいという気になったので部屋を抜けて上階に行った。ベランダの前に敷かれたマットの上に陽射しが入りこんで、水溜まりのような白い明るみの地帯を作り出していた。気候は前日よりも蒸し暑く、運動のために前髪の裏の額にも汗が湧き、肌がべたついていた。戸棚から件のものを取り出して、ポットの湯を注ぐ。麺ができるのを待つあいだに台所に入って、小皿に大根おろしを作る。ポン酢を掛けたそれを一気に搔き込み、それからカップをひらいてスープの素を投入した。麺を啜りながら新聞の一面、地方銀行勢が金融緩和の悪影響を懸念、という記事に目をやる。食べ終えるとラーメンの容器を処理して下階に戻った。
だらだらとした時間を過ごしたあと、二時半からふたたび読書を始めた。Terry Callierの音楽を共連れにした。最初はベッドに腰を掛けていたが、じきに姿勢は横になり、そうしていると段々と身体の力が抜けてくるようなところがあった。三時一五分に到って読書を切りとして、洗濯物を取りこみに行かねばと思っていたのだが、淡い眠気が湧いているような、疲れているような感じがあって、しばらくごろりとした体勢のまま目を閉じた。Terry Callierの音楽は、ふくよかなボーカルにせよ、女性コーラスにせよ、背景を成すピアノのサポートにせよ、甘やかだったが、こちらの好みとしては甘やかにすぎるようだった。今日は昼寝に陥ってはならないと意志を確かにして、ちょっと経ってから起き上がり、上階に行った。
ベランダには既に陽はなく、涼やかな空気だった。しかし日と影の境はまだ近くにあり、眼下の梅の木や隣家の柚子の木の梢は光を被せられていて、空は一欠片の雲がぼんやりと浮いているのみで広く澄明に晴れ渡っていた。林からは蟬の声が絶え間なく湧出していた。風が激しく吹いた覚えもないが、洗濯物はいくつか床に落下させられていた。それを拾い、タオルや足拭きマットなどを室内に運んで畳んで行った。タオルを畳んでしまうと洗面所に持って行き、戻り際、冷蔵庫から「オロナミンC」を一本取り出して、その炭酸を味わった。それから肌着や寝間着の類を次々とハンガーから外して行き、ソファに就いて整理して行った。それらを仏間に置いておくと、最後にエプロンとハンカチを取ってアイロンを用意し、皺を伸ばして行く。それで事は終わり、時刻は四時直前だった。
自室に戻ってこの日の日記を記した。それから中原昌也『名もなき孤児たちの墓』から文を写して、そうしている途中に上階から母親の帰ってきた音がした。三箇所を写し終えると階を上がって台所に入り、食事の支度を始めることにした。台所には見慣れない菜っ葉の類があり、何かと訊けばモロヘイヤだと言った。こちらは茄子を四つ手に取り洗って、蔕を除き、縦に二つに割ったものを薄く切り分けて行き、切ったものはボウルの水に晒した。それからフライパンに油とニンニクを熱して、茄子を投入し、炒める合間に隣のコンロでは湯を沸かしていた。モロヘイヤを茹でるためだった。茄子は醤油で味を付け、モロヘイヤも茹で上がると、味噌汁のために玉ねぎを切ったが、この玉ねぎの内側が腐っていた。茶色く柔らかくなった部位は取り除き、ほかの部分を細く切って湯に入れ、待っているあいだに卵を溶かしておいてから、新聞の夕刊を持ってきた。甲子園の記事が大きく扱われているが、生憎こちらには特段の興味がない。自民党の総裁選が九月二〇日に決まったという報が左下に小さくあったのでそれを読み、そうするともう鍋に味噌を溶き入れてしまい、そのあとから卵も流して完成とした。モロヘイヤの処理などあとのことはやってくれと母親に言い残して、こちらは自分の部屋に戻った。
六時前だった。まず持ってきた夕刊の二面から主に米国関連の記事をいくつか読み、それから保坂和志『未明の闘争』の続きに取り掛かった。Jose James『While You Were Sleeping』の流れるなか、七時頃まで書見を続けて、それから「(……)」も読んだ。そうすると七時を回っており、食事を取りに上階に行って台所で諸々の用意をした。父親は既に帰ってきて風呂を浴び終えたようで洗面所にその気配があり、その手近のオーブントースターには鮭のホイル焼きが入っていた。ほか、味噌汁を温めたり、米をよそったりして卓に就き、ものを食べていると両親もあとから席に加わった。向かいに座った母親が、ハイになってきた、とこちらの調子を窺って訊いたが、言った傍からハイにはならないか、と自分の言い方のおかしさを訂正していた。ハイにはならないとこちらは答え、テンションが高くなることがなくなってしまったと述べた。でも音楽を聞いているみたいじゃないと母親が言うのには、また前みたいに感じられたらなと思って聞いてはいるけれどと応じた。それから食卓に追加されたアボカドを食ったり胡瓜をかじったりしてから薬剤の類を飲み、ごちそうさまでしたと挨拶をして、流しで食器を片付けた。そうして食後すぐに散歩に出かけた。
室内は蒸し暑く、歩く前から肌は汗を帯びていたが、玄関をくぐると風が流れるところで涼やかで、思いのほかに涼しい夜気だった。西南の方角に半月よりも僅か膨れたほどの月が浮かび、空は昼と同様雲を寄せつけず清涼な暗色を湛えて、道に出て数歩行けば明るい光点の灯しが二つ現れ、思わず立ち止まった。一つは飛行機で蚊のようにゆったりと、やや蛇行しながら上って行き、静止したもう一つは星でオレンジ色の姿を露わにしていた。蟋蟀の声の響く道を進んで行くと、市営住宅に掛かったあたりで右手北側の空にも星が見えだし、団地の棟の並んだ左方はその建物の上に蝶を思わせる点が二つ、時折り発光しながら星を追うように飛んでいた。
一五分ほど歩けばさすがに汗が湧くが、腕の表面の水気のためにかえって涼しく夜気の度が知れる。保育園まで来るとそこの水場で水を汲んでいるらしき女性二人があり、建物の向こうから良く響く声も飛んできて、それで相撲の練習をしているのだなと気づいた。九月に行われる神社例大祭の催しのためである。行事の立てる声を背後に歩を進め、駅も間近になるとちょうど電車が通りがかった。流れてゆく光の色の箱のなか、疎らな乗客の椅子にもたれて顔を傾がせ、疲れたような風情に見えるのが目に入った。
帰るとすぐに入浴し、出れば自室に帰って、煎餅をぱりぱり食いながらしばらくインターネットを閲覧した。九時四五分に到ると、三度日記に取り掛かった。四〇分弱記述を書き足すと現在時に追いついたので、コンピューターを離れて本を持った。保坂和志『未明の闘争』を一時間ほど読み、それから歯磨きをしてインターネットをちょっと見ると零時を回っていた。そうしてBecca Stevens『Regina』を五曲目まで聞いてから薬を飲んできて、久しぶりに瞑想を行った。一五分、枕の上に腰掛けて静止すると、電灯を消して布団に潜り込んだ。
中原昌也『名もなき孤児たちの墓』新潮社、二〇〇六年
陽助のピリピリした雰囲気のせいで、自分までもが萎縮しなければならない状況に相当にウンザリしてきたので、五郎も手近にあった花瓶を地面に叩きつけて割ってみた。会社の古株である経理課の朱美さんが、最近趣味でろくろを廻して作り始めたという花瓶。それは最悪に下らなかった。腹が立った。最初見た時、不気味だとさえ思った。それを顔面にビンタをくらわすような手の平行な動きで、机の上から叩き落としたのだ。その勢いは誰が見ても、まるで蛮族の暴力衝動みたいだったから特別に気持ちがよかった。花瓶が砕け散る様は、スローモーションで再生された映像のようにゆっくりであったから。それが何の脈絡で叩き割られたのか、その場にいた同僚たちは誰も理解できなかった。理由なき破壊行動が恐怖をもたらす一方で、「自由」などという恥ずかしい言葉でしか説明できない解放感。もともととりわけ人一倍くだらない存在である朱美さんが、誰に頼まれるわけでもなくこさえた、誰にも望まれぬててなし子のような、邪魔な花瓶を、本来あるべき状態に戻してやる。それは思(end105)いきって叩き割ることだ。
ここで朱美さんが呼び出され、永遠にやってこない出荷の日を待つトーテムポール型スピーカーの立ち並ぶエキゾチックなこの会社内の環境で断首されるなどというスキャンダラスな蛮族まがいの儀式が起こらなくて、よかった。朱美さんの持つ「ただそこにいるだけで、どんな温厚な人間でも殺意を抱かずにはおれぬ佇まい」はあらゆる過去の衝動殺人事件の記憶を呼び起こした。その都度の被害者の面影を、朱美さんはすべて兼ね備えている。誰もが一目見て「これは誰かが殺すしかない! 君が殺らなきゃ、俺に殺れというのか?」と思わせる何か。被害者の顔のモンタージュ、というのは作成された試しはないのだろうが、あるとしたら、それは全部朱美さんの顔なのだ。
(105~106; 「鼻声で歌う君の名は」)
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もし自分が本当に書きたいと思える小説を、才能という限界を超えて書けるのだとしたら、僕なら迷わず「誰の欲望も満たすことの絶対にない」小説を書いてみたいと思う。いままで自分が書いてきたような「とことん、自分の才能のなさを他人に見せつけたい」という欲望の元に書かれてきたものは、もうダメだ。そのコンセプトを貫くのは限界だ。じゃあ、だからと言って誰の目から見ても才能に満ち溢れた小説などを書くのは、どう考えても無理な話で……。
人から評価されるかどうかも、最早どうでもいい。どうせ、僕の書けることなど、大した金を生まないのは嫌というほどに知っている。しかも人を感動させる小説を書くことなど、ハナからまったく興味がないのだから仕方がない。
どうせ書かねばならぬのならば、誰からも興味を持たれない、道の脇にある雑草のようなものを書きたいものだ。雑草は花のように、道を行く人々の足を止めて心を休ませるものではない。あってもなくてもどうでもいいものだ。しかし、たかが雑草といえども、それは確(end170)実に生きているし、さしたる理由もなく毟[むし]り取られるのを拒む権利だって彼らにはあるような気がしてくる。むやみにライターなどで燃やせば、彼らの悲痛な叫びのようなものが心の中から聴こえてくるかのように感じる。
「言葉を持たぬ意志」のようなものを、勝手に生い茂る雑草たちから感じて、何だか嫌な気分になることもある。まるで害虫が殺される際に「俺たちもあんたと同じように、生きたいんだよ」と必死に叫んでいるような気が一瞬して、気持ちが悪くなった経験は誰にでもあるだろう。五〇年代のSF映画『蠅男の恐怖』のラストシーンみたいな感じ、といえばこの映画を観ている人には伝わるのだろうが……。それとよく似て、自分の書いた原稿の活字の一つ一つが、誰の意向とも関係なく何かを伝えようとして、必死にもがいているような気がしてくる。それが本当に気持ち悪い。僕本人はまったく読者に伝えたいことなど持ってはいないし、見ず知らずの人と何かを共有する気分に浸るなど、どうしても薄ら寒いことに思えてならない。無理に探して何かあるとすれば、せいぜい無様なまでに才能のない、しかも、滑稽なことに少しでも才能らしきものがあるフリを演じなければならない自分の惨めさくらいか。
何の目的もなく垂れ流される孤児のような言葉たちに、僕がしてやれる唯一の優しさは、彼らの持っている意味を、可能な限り軽くしてやることだけだ。
しかしそれは、まだ名前を持っていない存在なのだから堕胎しても悲しくないだろう、というのと同じ考えのような気もしてきたのだが。
(169~170; 「名もなき孤児たちの墓」)
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相手の顔は醜かった。相当に醜かった。ただ粘土が捏ねてあるだけで、まだ何の造形も施す以前のようだった。その表現だって、まだまだ相手に対しての何らかの配慮があるように感じられた。ズバリ「そのような顔で、よく外を歩けるものだ」と言いかけて、止めた。「いや、それは少し言い過ぎだ……初対面の相手に失礼だぞ」と祐介は心の中で自分を恥じた。しかし、本当にそれは醜い顔だった。顔に吐瀉物でも塗りたくっているのか? と一瞬思ったが、こんなに顔の近くにあるのに胃液の香りなどはせず、むしろレモンパイのような甘酸っぱい匂いさえしたのだ。しかし、その顔は見れば見るほどレモンパイなどという甘い菓子などに関係がない、山道で落ちている単なるゴツゴツした岩石そのものだった。何度凝視しても、目や鼻がどこなのかさえも判別できない。が、かろうじて鼻息のような微弱な風が祐介の顔面に感じられたので、恐らく普通の人間と同じ位置の穴から呼吸をしているのが判った。
(178; 「大集合! ダンサー&アクターズ」)