2019/6/17, Mon.

 パイプをぷかぷかやり始め、どうやら思うところを頭の中でまとめているらしい。くだくだしい老いぼれのくせに! (……)
 (ジェイムズ・ジョイス/柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』新潮文庫、二〇〇九年、12; 「姉妹」)

     *

 コッター爺さんはしばし僕を見つめた。黒光りする当り眼[まなこ]が僕を窺う気配は察したけれど、相手の思いどおりに皿から顔を上げてやりはしなかった。(……)
 (13; 「姉妹」)

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 話しながら、彼女は手首の銀のブレスレットをくるくる回した。行かれないの、と、彼女は言った。その週には修道院で静修があるから。彼女の弟と二人の男友達が帽子の奪い合いに戯れていて、僕だけは鉄柵のところにいた。彼女は鉄柵の棒の頭をつかんで、僕のほうへ頭を垂れていた。戸口の向い側の街灯の明りが彼女の項の白い曲線をとらえ、そこにかぶさる髪を照し出し、それから下へ落ちて、鉄柵にのせた手を照し出す。さらにワンピースの片側に降り落ちて、彼女が姿勢をくずすときにちらりと見えるペチコートの白い縁[へり]をとらえた。
 (49; 「アラビー」)

     *

 その晩以来、かぞえきれないくらい愚かな思いがわいて、それが寐ても寤[さめ]ても僕の思考を荒廃させた。(……)
 (49; 「アラビー」)


 一二時まで糞寝坊。母親が上階の床をどんどんと叩く音で意識を明らかにした。起きていき、母親に挨拶。卓上には既に天麩羅やうどんが用意されてあった。便所に行って放尿。戻ってくると、椀に麺つゆを用意して卓に就き、食事を始めた。天麩羅はもう冷めていたが、それでもかりっとした食感が残っていてなかなか美味かった。テレビはニュース、大阪は吹田市で男が警察官を襲って拳銃を奪った事件の続報が入っていて、件の容疑者が捕まったと。精神障害を持っている人間らしい。それを見ながらものを食ったあと、抗鬱剤を服用し、食器を洗って洗面所に入り、髪を梳かしたあとに風呂を洗った。出てくると下階へ戻る。母親は「K」の仕事に出かけていった。こちらは自室に戻り、コンピューターを点け、前日の記録を付けるとともにこの日の記事を作成。日記を書き出したのが一二時半過ぎ。そこから一〇分でここまで。面倒臭いのでちゃっちゃっと、詳細さを求めずに軽く書いているが、これはこれで日記然としていてなかなか良いのではないか。
 前日の日記をブログに投稿。Amazon Affiliateのテキストリンクもしっかりと、たっぷりと仕込んで投稿したのち、一時半を回ったところから読書。山尾悠子『飛ぶ孔雀』である。BGMはFISHMANS『Oh! Mountain』及び、その後はRadiohead『Kid A』。『Kid A』が始まって、冒頭の"Everything In Its Right Place"が流れるなか、窓外の雲の原とその合間に、雲を切断するように差し込む青空を背景にしてあれは燕だろうか、鳥たちが頻りに弧を描いて舞っているのを眺めたあたりまでは良かったのだが、しかしこれが、朝あれだけ長々と床に留まったというのに、毎度のことではあるけれど一体どうしたことなのか、三〇分ほど読んで二時に至ったあたりから眠気に刺されて目を瞑り、薄布団を身体に掛けたまま長々と微睡むことになった。そうして四時。堕落! 糞である。一旦起きて上階に行き、洗濯物を仕舞った。そうして下階に戻り、ふたたび書見。BGMはBill Evans『Alone』山尾悠子『飛ぶ孔雀』は読み終わる。間髪入れず、東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方1 心と存在』を読み出す。手帳にたくさんメモしながら二時間、六時一六分まで。そろそろ炊事なりアイロン掛けなりをしようということで上階へ。まず米がなかったので新しく磨いで、すぐに炊けるようにセットしておく。それからアイロン掛けが先だったか? 茄子の味噌汁を作ったのが先だったか? わからないが、その二つをやった。いや、アイロン掛けが先だった。まあそんなことどちらでも良いのだけれど……。おかずには昼間の天麩羅の残りがあったのでそれで良いだろうというわけで、それらを終えると自室に戻って、ふたたび『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方1 心と存在』を読みはじめた。母親はまもなく帰宅。こちらは七時四〇分までものを読んでから食事へ。天麩羅の残りをおかずに白米を食べる。あと前日の肉巻きも一つ残っていた。そのほか自分で作った味噌汁とサラダ。テレビはどうでも良い。食べ終えると入浴し、出てきて部屋に戻ると、Mr. Childrenの曲など数曲流して歌い、それからMr. Big『In Japan』とともに日記を書きはじめた。ちょっと気の抜けすぎた文章だけれど、ともかく毎日続けていられれば最低限それで良しとしたい。
 日記に区切りを付けると、書抜きを始めた。渡辺守章『フーコーの声――思考の風景』に、山尾悠子『飛ぶ孔雀』の書抜きを三〇分でそれぞれ終わらせ、一〇時を回った頃合いから、Cさんの小説「泉のフーガ」を読み出した。短いものなので一気に最後まで読んでしまい、それからインターネット記事を読むことにした。木澤佐登志「2020年米大統領選の候補も危惧…世界を覆う「加速主義」的な現実」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63996)である。この記事によると、カナダ出身の哲学者であるニック・スルニチェクという人は、AI技術の発展による生産のオートメーション化をポスト資本主義への好機と捉え、ベーシック・インカムと組み合わせて人間は無用な労働から解放され、もっと生産的な仕事や趣味に従事できる社会が来るのではないかと楽観的に考えているらしいが、本当にそうした社会が実現してほしいものだなあと切に願う。同記事を読み終えたあとはさらに、上妻世海×奥野克巳×古谷利裕「別の身体を、新しい「制作」を」(https://dokushojin.com/article.html?i=4618)を読みはじめた。その頃には音楽はSam Harris『Interludes』に移っていただろうか? 記事は途中までしか読めなかったのだが、そのなかで興味深かったのはユカギール人という、シベリア東部の先住民族たちの生活様態についての話だった。ユカギール人という人々はサハ共和国やマガダン州に住んでいるらしく、サハ共和国というのは確か兄がいつだかに訪れていた地であり、マガダンという町はクセニヤ・メルニク/小川高義訳『五月の雪』のなかで名前を知った土地だが、強制収容所が設けられていた場所である。兄の会社の工場もこの町にあるらしくて、昨年末に会食をした際にはこの名前が彼の口から挙がった瞬間もあった。それで、ユカギール人のハンターと言うのは、「儀礼的制作」と上妻世海が名付ける行為を媒介として、非人間化と人間化の二つの状態のあいだを往還するというのだ。具体的には、彼らは森に入る前にはサウナに入って人間に匂いを落としたり、また森のなかではヒトの言葉を話すということをしないようにする。そうした「儀礼的制作」の行為によって「非人間化」するということを、上妻は「制作的空間」に降りていくこと、と捉えているらしかった。そうしてハンターたちは、森からキャンプに戻ると煙草を吸ったりおしゃべりをしたりして、ふたたび人間化するというのだ。そうした事柄を手帳にメモ書きしながら記事を読んでいると、零時が近くなった頃合いに、突然、Skypeの着信の音楽が流れはじめたので、アンプのスイッチを押してシステムをヘッドフォン・モードに切り替え、応答した。Yさんである。それから一時間少々通話したが、時間のうちの大部分はYさんと二人での会話だった。最後の方になってSさんが参加してきたが、まもなく一時を迎えて通話を終了したので、あまり話すことは出来なかった。
 こちらとYさんとNさんは七月二〇日に上野で会う予定になっているのだが、関西の方は関西の方で、AさんとCさんが来週あたりに一度会うらしいという話があった。オフ会である。Yさんはまた、今日は本屋に行ってきたと言うので、またですかとこちらは笑ってしまった。彼も本をよく買う人なのだが、それに比してその買った本を実際に読む方はあまり進んでいないようである。山田詠美の何とかいう作品を探しているのだが、見つからないのだと彼は言った。山田詠美に関しては、ずっと昔、文学に触れはじめてまもない頃に高橋源一郎か誰かとの対談本を読んだような記憶が微かにないでもないが、作品自体に触れたことはない。『ぼくは勉強ができない』という作がおそらく有名らしくて、Yさんもその名を何度か口にしていた。
 大阪の事件のことが話題に挙がった時間もあった。Yさんはニュースを見ないと言って、詳しい情報は知らないようだったが、犯人は精神障害を持っている人らしいですねとこちらは告げた。どこまで本当かわからないですけれど、手帳を持っているという話だったし、犯行に関しても、自分がやったことではない、病気が酷くなってやらされたことだ、というような供述をしているらしいですね。さらには、犯行と逮捕を受けて、容疑者の父親が実名を出して謝罪をしたというような報もTwitterで見かけたと知らせた。父親は関西テレビのディレクターだかプロデューサーだかだという話だったと思う。
 Yさんは手もとに『ナショナル・ジオグラフィック』があるようで、手に取ったそれをおそらくめくりながらだろう、どういう記事が掲載されているのか語ってみせた。アフリカとかタイとかで、観光客を引き寄せるために動物たちが劣悪な環境で飼育管理されているという話だった。日本の動物園はまだしも環境が良いんですかね、と疑問を投げかけると、少なくとも上野動物園に関してはあまり良くはないだろうという返答があった。
 こちらは、最近はインターネット記事をよく読んでいると話して、先ほどはこれを読んでいたと言って木澤佐登志「2020年米大統領選の候補も危惧…世界を覆う「加速主義」的な現実」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63996)のURLをチャット上に貼って紹介した。どういう話なのかなと訊かれるので、「加速主義」と呼ばれる思想潮流が新しく出てきているようで、それはテクノロジーの加速度的発展によって資本主義の外部に到達できるのではないかというような考え方らしいと説明し、上記したニック・スルニチェクの未来予想などについても簡単に紹介した。
 話した事柄のなかで覚えているのはそのくらいである。一時直前に至ったところで、僕はそろそろ抜けますよと口にすると、Yさんも、僕も本を読みたい、と言ったので、解散することになった。そうして通話を終え、チャット上に、「ありがとうございました! よい眠りを」と投稿しておくと、コンピューターをシャットダウンしてベッドに移った。そして読みはじめたのが東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方1 心と存在』の続きである。ひらいた窓から時鳥の鳴き声が遠く届いてくるなか、三時まで本を読み進め、そうして就寝した。


・作文
 12:36 - 12:45 = 9分
 21:13 - 21:29 = 16分
 計: 25分

・読書
 13:32 - 14:00 = 28分
 16:15 - 18:16 = 2時間1分
 18:50 - 19:40 = 50分
 21:33 - 22:07 = 34分
 22:09 - 23:48 = 1時間39分
 25:05 - 27:00 = 1時間55分
 計: 7時間27分

・睡眠
 1:10 - 12:00 = 10時間50分

・音楽