2019/7/3, Wed.

 小林 神仏習合の神というのは神道ですけれど、神道はなにかというと、簡単に言えば「土地」なんですよね。土地におわす神。それに対してどう儀礼を捧げるか。儀礼を通して土地の神と安全な関係を保つという、これが神道にみなぎっている原初的な考えだと思います。ここに水が流れて、わき水がわいて、水の神がおわす。この山があり、ここに山の神がおわす。山を神としてこの「山=神」と自分とがよい関係になるように、結界をつくって儀礼を奉じる。そうして人間ではない存在と人間という存在の間に調停を行うわけですね。白い砂を敷き、しめ縄を張り、結界をつくり、自分には見えないけれどここに厳としてある自然の力に対して、畏怖し、敬うことで自分を安全な場所に保つ。それにはどうしても儀礼が必要で、年に一度ハレの日にお祭りをするというような。
 ところが仏教のほうは、基本的には、具体的な「土地」、つまり自然のほうに行くのではなく、むしろ人間の「心」へと向かう。人間の心の奥底が、――これは空海的ですけれど――全世界につながっているという方向。自分の心をそこにまでもっていかなければならない。すなわち、自分自身が修行をしなければならない。儀礼ではなく、修行。単に身を清めてお払いをすればいいわけじゃなくて、自分自身を向上させなければならない。その意味で非常に主観的。いや、超主観的ですね。
 神仏習合というのは、こういう2つの異なった道がぐるぐると回転扉みたいに回るわけです。ここにおわす神は山の神だけれど、同時に向こう側には大日如来がおわすので、だからわたしがここで儀礼をすることが同時にわたしの心の修行になります、という論理ができていくわけです。神仏習合は、社会を一挙に飛び越えて全宇宙と自分との関係をどう構築するかに関する見事なハイブリッド操作ですよ。一方には具体性や現場性があって、他方には抽象的なけっして見たこともない観音や如来が出てくるという。表裏一体なんです。
 (小林康夫・中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、178~179)

     *

 小林 『弓と禅』もそうですけれど、最終的には「無為」というところに行くわけですよね。「する」ということをしなくなる。でも、行為という意識がなくなったときに、なおかつ起こることがある。弓を射るのではなく、弓が勝手に離れ、放たれて、でも的にあたってしまう。意図とか判断というものを完全に捨てたときに、世界が起こる[﹅6]みたいな。すると闇のなかでも的に当たっちゃうみたいな。日本の体の究極はそういうところに行くように思いますね。行為が無になる時点でなおかつ行為が起こっている。もちろん、わたしにはこんな境地はわからないのですが。
 (187)


 何時に起床したのかよく覚えていないのだが、確か九時台か一〇時台だったはずなので、ひとまず一〇時四〇分に起きたものと考えておく。と書いて思い出したが、そうではなかった、それよりも一時間早く、九時四〇分頃だったはずだ。何故それがわかるのかと言うと、上階に行ったのがちょうど母親が掃除機を掛けはじめたタイミングだったからで、彼女はいつも九時半頃に掃除機を掛けるのだ。比較的早く起きたは良いのだが、上階に行くとソファに寝転がってしまい、そのまま一一時四〇分まで微睡みに取り巻かれることになったので、結局はいつもと変わらない。こちらがそうしているあいだに母親は掃除機を掛け終わり、ビザ申請用の写真を撮りに行くと言って出かけていった。一一時四〇分を迎えて起き上がったこちらは冷蔵庫からカレーのフライパンを取り出し火に掛け、そのあいだに洗面所に入って髪を梳かした。そうしてフライパンの前に戻り、お玉でカレーを搔き混ぜながらしばらく熱して、大皿に盛った米の上によそった。それで卓に就き、新聞をおざなりにめくりながら食事である。香港関連の記事を一つ読んだ。若者たちの過激化によって香港の民主派は苦境に立たされているとのこと。食事を取り終えると氷水で抗鬱剤を胃のなかに流し込み、台所に移って皿とスプーン一つを洗って、風呂場に行った。窓を開けると、その先、坂の入口のところにカラー・コーンが立てられ、真っ青な作業服を着込んだ警備員が立っているのが見られた。坂の下の方で工事でもしているらしい。時折りそちらを見やりながら風呂桶を擦り洗っていると、警備員は無線で誰かと交信しているのか、何やら大きめの声で呟いていた。シャワーで洗剤を流して蓋と栓を元に戻し、風呂場を出ると下階に下りて、自室に入りコンピューターを点けた。中島隆博・石井剛編著『ことばを紡ぐための哲学』をちょっと眺めながら起動を待ち、準備が整うとEvernoteOperaWinampをひらき、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しだして前日の記録を付けた。それからこの日の記事も作成し、そうして一二時一九分から日記に取り掛かって、前日分はさっと仕上げて今日の記事もここまで記すと、一二時三四分に至っている。
 それから前日の日記をブログに投稿した。続いてTwitterやnoteの方にも発表したが、それだけで二〇分ほどが掛かっている。それからいつものようにベッドに移ってクッションに凭れ掛かり、布団は身体に掛けずに脚を前方に伸ばして柴崎聰編『石原吉郎セレクション』を読みはじめたのだが、最初のうちはFISHMANS "いかれたBABY"を口ずさむような時間があったものの、音楽が終わるとじきに、これもまったくいつも変わらぬ怠惰だが、眠気に襲われるようになった。それで四時までベッドに乗っていた時間のあいだ、ほとんどは目を閉じて眠気との戦いに費やされ、実際に本を読んでいた時間は三〇分余りしかなかったと思う。四時に達すると手帳に時間を記録しておいて上階に行った。カレーうどんを作っておいたと言う。ありがとうと言って台所に入り、フライパンのカレーうどんを搔き混ぜながら温めると、丼によそって、ゆで卵一つとともに卓に運んだ。汁気を散らしながらうどんを啜っていると、向かいの母親が撮ってきた証明写真を見せてくる。一七〇〇円も掛かったと言うが、先般自分が撮った時もそんなに掛かっただろうか? 父親も三分写真みたいな施設で撮り終えたと言い、LINEでその画像を母親に送ってきていたが、彼の方は八〇〇円で済んだと言う。ものを食っているとじきにインターフォンが鳴った。行商の八百屋である。それに応じて母親は出ていき、こちらは台所で丼に箸、あとゼリーを食うのに使ったスプーンを洗っていると、母親が戻ってきて、玉蜀黍を買ったと言って袋のなかのものを見せた。こちらはその後、下階に下りて、cero "POLY LIFE MULTI SOUL"をリピート再生に据えながらワイシャツを身に纏い、灰色のスラックスを履いた。そうしてTwitterを覗きながら歯を磨くのだが、ワイシャツを着ていればそうしているだけで首もとに汗の感触が湧く蒸し暑さである。歯を磨き終わると四時半から日記を書きはじめ、一〇分も掛からずにここまで追いついている。
 それから岩田宏「むすめに」を六分間音読し、四時四六分に達したところでクラッチバッグを持って部屋を抜けた。上階に上がり、母親に暑いねと言うと、送っていこうかと問われたが、良いと払って、行ってくると告げて玄関の扉を抜けた。室内よりも屋外の方が、やはり空気に動きがあって涼しいようだった。とは言え、涼しいのは今のうちだけで、街道まで歩いた頃にはどうせ身体が熱を持ってまた汗を搔いているのだろうと思いながら坂を上って行った。坂道の路面はもう大方乾いており、茶色く変色した葉っぱがいくつも散って道の端を縁取っていた。それを足先に触れさせながら歩いていく。
 街道に出た頃にはやはりいくらか汗ばんでいたようだ。行き交う車の二つ目はまだ灯っておらず、立体感のないのっぺりとした鼻面が次々と、いくつも通り過ぎていく。それに引かれたものだろうか、風もいくらか流れてきて肌を涼めた。老人ホームの窓のカーテンは大方閉まっており、端の一角だけひらいていて、その前を通り過ぎる際に室内に視線をちょっと向けると、テーブルの周りに集まった老人たちも窓の外を通り過ぎるこちらの方に視線を送っていた。彼らにとってはこちらという存在が、一つの通りすがりの風景として映っているのだなと思った。
 裏通りに入ると、家々の先の林の方から時鳥の鳴き声が響き渡る。家内からは人間の話し声が漏れ聞こえ、執念く鳴き募る犬の吠え声も通りに響き、進んでいるうちに今度は時鳥に替わって、光線銃めいた鶯の音が何度も放たれた。
 白猫は見当たらず、あたりには幼子が自転車を乗り回して遊んでいるだけだった。青梅坂の手前の家の敷地では、少年が一人、ペットボトルのキャップをボール代わりにして、バットで打つ練習をしていた。バットを立てて左右に揺らしてみせるその構えはなかなか様になっているのだが、自分で持ったキャップをいざ投げて振ってみると、うまく当たらないのだった。
 職場に着いたのは五時二五分かそこらだったはずで、授業開始までにだいぶ余裕があった。それでこの日の授業準備を終えたあとは中学受験用の国語テキストなどを読んで時間を潰した。職場には(……)マネージャーと、顔を見た覚えはあるが名は知らない女性一人が来ていた。これはどうも、(……)さんの研修を行うためだったらしく、のちに教室の入口付近で生徒の出迎え見送りをしている際に、面談室で交わされていた彼らのロール・プレイ及び会話を盗み聞きしたところ、マネージャーが(……)さんに対して――厳しい口調ではなかったが――駄目出しをしており――生徒を相手にした時の声のトーンと、保護者に向かった際の声のトーンが一緒になってしまっている、というような内容だったと記憶している――彼女はこの日、そこそこ絞られたようだ。のちのち、業務が終わって教室に生徒や講師もすべていなくなり、こちら、(……)さん、室長の三人だけになった際には、彼女ははあ、疲れた……と漏らしていた。それで話を聞いてあげたほうが良いか、愚痴の一つでも吐き出させてあげたほうが良いかとこちらはちょっと思ったのだったが、うまく励ましの言葉を送るための話術的自信がなかったので、結局何も触れずに職場をあとにしたのだった。
 授業は二時限で、どちらも二人が相手だったのでやりやすかった。一限目は(……)くん(中一・英語)と(……)くん(中三・英語)。特に問題はなかったと思う。(……)くんは夏期用テキストに入っているが、一般動詞二課を一コマで進めろという計画だったところ、彼はわりあいスピードが速いのでうまく進めることが出来た。(……)くんはWhere is~?の表現などを扱って、ほとんどミスもなく出来ていたと思う。
 二限目は(……)さん(中二・英語)と、(……)さん(中三・英語)。前者は初顔合わせ。それに対して後者は最近結構よく当たっている。彼女もまた一般動詞二課を一コマで進めるような指示になっていたのだが、彼女のスピードでは終わらないのではないかと危惧していた通り、案の定一頁扱ったのみで時間が来てしまった。三単現の理解も定着していないようなレベルなので、致し方ないところだ。出来ることを一つ一つ、地道にやっていくしかない。ただ、彼女の場合、チェックテストの勉強をしてきていて今日は高得点だったし、前回の授業の復習もスムーズに出来たので、もしかすると授業前にノートを読み返したりしていたのかもしれない。もしそうだとしたら、それは良い心掛けである。二年生の(……)さんの方は対してチェックテストの勉強をしてきていなかったので、これは勿体無い。ただ授業本篇は教科書本文の和訳を確認してから、問題を解かせるという形で進めたのだが、訳はわからない単語も少なく概ね訳せていたし、問題も、教科書を参照しながらではあるが英作文以外は問題なく出来ていた。英作文はこちらが少々手伝って完成させた。ノートには確認した単語や、その英作文で出てきた文章を書いてもらった。
 授業後、退勤しかけていた(……)先生に、哲学やってんの、と声を掛けた。凄いね、レヴィナスとか俺読めないよと言うと、いや、俺も読めないですと笑いの返答があった。それからちょっと立ち話をしたのだが、他者論を主にやっていて、きっかけは一般教養で取った倫理学が面白かったことだと言う。哲学面白いな、もっと学びたいなという気持ちがある一方で、他方、本を読むのが嫌いだと言って、その背反的な気持ちが拮抗していると言うので笑った。今度また、哲学の話などしましょうと言って別れたのだが、こちらはレヴィナスやらメルロ=ポンティやら、ましてやデリダなんて一冊も読んだことがないので、果たして面白い話が出来るかどうか。ただ、(……)くんも、竹田青嗣の名前を出してみると知らなかったので、非常に有名な名前以外はそれほどまだ詳しくはないのかもしれない。竹田青嗣の名が話題に出たのは、中三の国語の教科書に彼の文章が載っていて、それを扱った際に彼から――(……)くんは元々この教室の生徒で、こちらが担当した学生のなかでもなかなか優秀な方だったのだが――概念って何ですか、どういう意味ですか、と訊かれたことがあったのを覚えていたのだ。そんな哲学的な問いに対して当時のこちらが如何に答えたのか不明だが、それでその旨伝えると、よくそんなこと訊いたな、という苦笑のような反応があった。
 退勤した頃には九時半を越えていて、奥多摩行きは既に発ったあとだった。次の電車に乗るには、一〇時一二分まで待たなければならなかった。歩いて帰っても良かったのだが、雨がしとしと降っていたし、手帳を読む時間を取れるのは悪いことではあるまいというわけで待つことにして、駅に入った。ホームに上がって木製のベンチに荷物を置くと、一旦立って自販機に寄り、前日と同様、一三〇円で二八〇ミリリットルのコーラを買い、脚を組みつつそれを飲みながら手帳を見返した。そうして三〇分ほどを過ごし、奥多摩行きが入線してくると、三人掛けに腰掛けて、引き続き手帳に視線を落として発車及び到着を待った。最寄り駅に着くと、雨はまだ降っていた。そのなかでも慌てず急がず木の間の坂道を下りていき、ワイシャツに水玉模様をつけながら平らな道を行って帰宅した。
 帰り着くとワイシャツを脱いで洗面所の籠に入れておき、下階に戻って軽装に服を着替えた。そうして夕食である。メンチカツの半切れや野菜炒めをおかずに米を食い、その他白菜の漬物をスープにした料理なども食った。食後は入浴し、出てきて自室に戻り、Skypeをひらいてみると、久しぶりに通話が行われていたので参加した。K.MIさんという新しい方が連れてこられていた。例によってYさんが誘ったものである。住まいは東京、家に池があってそこに業者レベルの数のメダカを飼っていると言う。そのほか、短歌や詩を書いており、好きな詩人は宮沢賢治中勘助とのこと。中勘助が詩を書いているというのは、こちらはそこで初めて知るものだった。ほか、ヤン・ファーブルの名前も挙がった。これは確かゼーバルトが画家としての彼を何かのエッセイで論じていたような記憶も幽かにあるのだが――記憶違いで、ほかの画家だったかもしれないが――書肆山田から詩集が出ているアーティストだなとこちらは何となく記憶していて、調べてみるとやはり、宇野邦一訳で二冊の詩集が出版されていた。書肆山田に宇野邦一訳とは、なかなかコアですねとこちらは口にした。
 零時に至ったあたりで一度、僕はそろそろ離脱しますよとこちらが口にして、それを機に解散しかけたのだが、そのタイミングでNさんがやって来た。それでもう少し話すことになり、先の詩人の話などをしたわけだが、こちらは岩田宏とか石原吉郎という戦後詩の人が好きですと口にして、石原吉郎「葬式列車」と岩田宏「むすめに」の詩句をチャット上に貼って紹介した。零時四〇分頃になったところでふたたび、そろそろ離脱しますよと口にすると、MYさんとMIさんもそれぞれ去っていった。そのあとからこちらは、離脱すると言ったくせに、Nさんの最近の様子を聞いてからにしようかななどと言って、彼女の最近の生活を窺った。テストの準備で忙しいらしい。そのほか、七月二〇日から二二日に掛けて彼女が東京に来る際に、こちらとYさんとで会合することになっているので、その際の計画などを少々練った。一日目は国立科学博物館に行き、三日目には国立西洋美術館なり、東京都美術館なり、六本木にある国立新美術館なりに行こうというような話になっている。最後の国立新美術館でクリスチャン・ボルタンスキーの展示がやっているらしいのだが、Nさんはどうやらそれに特に興味を惹かれたようだった。
 そんな感じで一時頃まで話して通話を終えると、ベッドに移って柴崎聰編『石原吉郎セレクション』を読み出したのだが、いつも通り気づかぬうちに意識を失って、気づけば四時を越えていた。そのまま就寝。


・作文
 12:19 - 12:34 = 15分
 16:31 - 16:39 = 8分
 計: 23分

・読書
 12:57 - 16:01 = (2時間30分引いて)34分
 16:40 - 16:46 = 6分
 25:13 - 28:15 = (2時間引いて)1時間2分
 計: 1時間42分

・睡眠
 2:10 - 9:40 = 7時間30分

・音楽