2019/9/9, Mon.

 この地点から振り返って見るならば、あの「葬式列車」という作品もまた不思議なアレゴリーとして立ち現われてくるのではないだろうか。屍臭たちこめる「葬式列車」に詰めこまれていた亡霊たち、それは石原の記憶であり、言葉そのものである、と言うことができるからだ。いまだ目覚めることのない不定形の「まっ黒なかたまり」としての言葉。「もう尻のあたりがすきとおって/消えかけている」記憶。「やりきれない遠い未来に/汽車が着くのを待っている」それらの亡霊たち――そして亡霊とはまた、もはやけっして死ぬことのできないものの謂いにほかならない。だがそうだとすれば「葬式列車」とは、宙吊りにされた戦後を駆け抜けてゆく、石原という詩人の肉体の喩以外のなにものであるだろうか。
 あの作品が結末において冒頭に回帰する円環的な構造をそなえていたのも示唆的である。石原の肉体に詰め込まれた記憶=言葉は、自らの原点に回帰する以外、どこにも行き着く先をもたないのだ。どろどろと橋桁を鳴らしながら、戦後のとある街角で、おびただしい記憶と言葉が石原の肉体のなかで「ひょっと/食う手をやすめる」だろう。そのとき言葉は思い出そうとするだろう、「なんという駅を出発して来たのか」を。そしてシベリア・エッセイとは、それ以上不可能なまでに厳密な散文でもって、この駅の名を銅板に刻みこむようにして正確に名指そうとする試みにほかならない。
 だが、ゴヤの黒い絵のシリーズを思わせるあの不気味な詩が石原の戦後の肉体の喩であるとすれば、それはいくらか暗鬱な解釈でありすぎるかもしれない。あの詩の別の可能性あるいは魅力についても私たちは語っておかなければならないだろう。あの作品においては、やがて生じることになる石原とシベリア体験をめぐるさまざまな評者の思い入れ、場合によっては石原自身も陥りかねなかったすれ違いや錯誤といったものの遥か手前で、確実に言葉はある解放的なリズムで紡ぎ出されている。そこでは言葉はなによりもリズムと連帯することによって自らの記憶を運びつづけているのである。
 あの作品は、円環構造をとることで自律的な作品空間を構成し、そのことによって、のちの石原独特の酷薄なまでに気密な構造体としての作品への方向を予示しながらも、あくまで語りとしてのゆたかさをたたえている。その意味では、「葬式列車」という作品は、ややのちの意識的にシベリア体験をあつかった物語叙述的な作品と、石原の単独者としての言葉で張りつめた気密的な作品への分裂の手前に打ち建てられた、記憶とリズムとの確かな共生の記念碑でもあるだろう。やがて私たちは、省察の突出がこの記憶とリズムの共生に独特の荷重をくわえるのを目にすることになる。その結果生じる、圧縮や褶曲や断裂の諸相こそが、石原の特異な詩の顔貌を形づくってゆくのである。
 (細見和之石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』中央公論新社、二〇一五年、39~40)

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 たとえば文芸評論家・平野謙は、すでに一九二八年(昭和三年)三月一五日にはじまった日本共産党への大弾圧を背景として、その後共産党およびその周辺で戦前に生じた「転向」問題を捉えるうえで、「昭和一〇年前後」を一つのメルクマールとした。小林多喜二が築地署で虐殺されたのは一九三三年(昭和八年)二月二〇日であり、同年五月には滝川事件が生じ、日本共産党幹部の佐野学と鍋山貞親の「転向声明」が発せられたのはその翌月(一九三三年六月一〇日)のことだった。これ以降、転向現象が雪崩のように生じたのはよく知られているだろう。ふたたび確認するならば、石原吉郎は、平野が繰り返し俎上にのせた「昭和一〇年」にまさしく二〇歳を迎えた世代である。
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 正午前までだらだらと寝過ごす。ベッドから起き上がって携帯電話を見ると、(……)からのメールが入っていた。昨夜の一一時頃に、起きてる~? という連絡が入っていたのだが、こちらがそれに気づいたのは零時を回ってからで、携帯を見ていなかったと返信しておいたところ、それに対する再返信が届いていたのだった。ギターについて相談したいことがあるから、明日の夜にでも話せないかとのことだったので、明日だと労働があるから一一時か一一時半頃になってしまうが良いかと問いを返しておいた。そうして次にSkypeを確認すると、(……)さんから台風の被害を案ずるメッセージが届いていたので、お気遣いありがとうございます、大丈夫ですとの返信を送っておき、それで上階に上がった。母親に挨拶をしてから台所に入ると、前日天麩羅を揚げた油をまた使ったようで、細切りにして揚げられた鶏肉が皿に入っていたのでそれを電子レンジで温める。そのほか米をよそって、既に椀に用意されていた生サラダも持って卓に就き、食事を始めた。母親はスマートフォンで、(……)ちゃんがファームに行って山羊に餌をあげている様子を映した動画を見せてくれた。また、今日母親は労働なので、良い時間になったら洗濯物を入れてくれ、ただし白い足拭きだけはびしょびしょなので四時くらいまで出しておいてくれと言うので了承を返し、ものを食べ終えると彼女が作ってくれたカルピスでもって抗鬱薬を流し込んだ。そうして皿を洗い、さらに風呂も洗って出てくると、居間の隅、ベランダに続く戸の手前に掛けられていたGLOBAL WORKのカラフルなシャツを持って、下階に運んだ。自室の収納のなかに吊るしておくと上階に戻って、昨日頂いた柿の種をまた一袋貰おうと思って玄関の戸棚や辺りを探したのだが、見当たらなかった。その過程で仏間に入ったところ、押入れのなかの収納ケースに、前田裕二『メモの魔力』があった。父親が買ったものだろうが、それを持ち上げて下に置かれていたもう一つの書籍を見てみると、これが何とみすず書房のスーザン・サザード/宇治川康江訳『ナガサキ』だった。まさか父親がみすず書房の本など購入するとは予想だにしていなかったが、なかなか良さそうな本を買ったものである。それから階段を上がってきた母親に柿の種はどこかと尋ねると冷蔵庫だと言うので、なかから一袋を頂き、ハーフ・パンツのポケットに入れ、さらにそろそろ出勤に向かおうとしている母親が、父親の飲んだ炭酸水や水のペットボトルを始末しておいてくれと言うので、彼女を見送りながら、空のペットボトルを裸足で踏みつけて潰した。全部で六本あった。六本とも潰してしまうとビニール袋に入れて、クロックスを突っ掛けて外に出て、駐車場脇の物置きに収めておいた。そうして戻ってくると下階の自室に帰り、柿の種を食ったあとにFISHMANSCorduroy's Mood』を流し出して歌を歌いながら前日の記録を付け、この日の記事も作成した。その後、(……)さんとSkype上でチャットを交わしながら、(……)さんのブログを二日分読み、さらにプリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』の書抜きを行い、最後の一箇所を写してこの本の書抜きを終わらせた。(……)さんとの会話のなかで、企業の内部留保が過去最高を更新したという話題を挙げたので、何となくそれについて検索してみると、河北新報の社説が出てきたので、Cさんとのやりとりが終わるとそれを読んだ(https://www.kahoku.co.jp/editorial/20190907_01.html)。さらに、同様に検索で引っ掛かった磯山友幸「使わないなら家計に回せ!企業「内部留保」が7年連続過去最大って…」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66995)も読んだのち、「あとで読む」と題したEvernoteのノートにストックしてある記事のなかから、木村草太「【憲法学で読み解く民主主義と立憲主義(2)】――憲法73条から集団的自衛権を考える」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2014102500005.html)を続けて読んだ。それをちょうど読み終わった頃、机上の携帯電話が震えたので見ると、(……)さんからの着信だった。先日こちらから久しぶりに連絡を取ったのだが、大学時代にバンドを組んでいた年上の仲間である。近々会おうと言い合っていたのだが、出ると、一四日の土曜日はどうかとあった。一旦、うーん、と受けておき、一応用事があるんですけどね、と言って、まあでもどっちでも良い感じなんですけどね、行っても行かなくてもと告げると、任せるよと言われたので、それなら一四日に会いましょうかと決断した。一四日は元々、「(……)」のグループでスタジオに入るとか、あるいは(……)宅の防音室でアレンジを固めるとか言われていたのだが、こちらは実際に演奏するわけではないのでまあ参加してもしなくても良いくらいの緩い感じだったと思うのだ。こちらも一六日や二一日など予定が入っているし、ほかに都合の良い日を(……)さんとのあいだで再検討するのも面倒臭かったので、決断してしまった形である。(……)と明日の夜電話することになるだろうから、その際に一四日の件については伝えておけば良いだろう。電話を終えると部屋を出て、洗濯物を取り込みに行った。上階のベランダに出ると、陽射しは淡いが、空気には熱が籠っていた。吊るされているものを室内に入れておき、足拭きは言われた通りまだ出しておいて下階に戻ると、この日の日記を綴りはじめた。ここまで記すと三時一四分である。
 身体がこごったのでベッドに移って書見をしながら休もうと思ったのだが、やはりもう少しだけ日記を進めておくかと思い直して、前日の記事に着手した。しかし結局八分間しか作業は続かず、一旦コンピューター前から離れてベッドに移り、扇風機をこちらに向けて風を浴びながら、牧野信一『ゼーロン・淡雪 他十一篇』を読みだした。三〇分ほどは目を覚ましていたと思うが、四時に達した頃合いから薄布団を被ってしまい、それで為すすべもなく眠りのなかに引きずり込まれたのではないか。五時半前まで休み、そろそろ食事の支度をしようということで上階に行った。まずベランダに出しっぱなしだった足拭きなどを室内に入れ、それからタオルをハンガーから取って畳み、洗面所に運んでおくと台所に入って夕食の準備に取り掛かった。カレーでも作ってくれれば良いと言われていたのだが、冷蔵庫を覗くとカレールーがいくつもなく、これでは明らかに足りないだろうと思われたので、材料はカレーと同じだが代わりに豚汁を作ることにした。それで茄子、人参、玉ねぎ、ジャガイモを切り分け、笊にまとめるとフライパンを取り出し、油を引いてその上から生姜を摩り下ろしたあと、野菜を炒めはじめた。玉ねぎ、人参、ジャガイモを先に炒め、ちょっとしてから茄子も加えるとさらに冷凍になった小間切れ肉をばらばらと投入し、それからまたしばらく火を通した。そうして水を注ぐと、左側の火力が弱い方の焜炉に汁物は移動させ、右側の焜炉の上にはもう一つのフライパンを置き、餃子を焼くことにした。冷凍庫から餃子の袋を取り出してフライパン内にばら撒き、火に掛けて、平たい面が下に来るように向きを揃えて並べると、袋に書いてあった作り方の指示通りに水を投入した。蓋を閉めて蒸し焼きにしているあいだに、下階に下って手帳を持ってきたのだが、それを読んでいる暇はほとんどなかった。すぐに水が少なくなってフライパンから上がる音が甲高くなってきたので、蓋を開けると油を回し掛け、さらにまた火に晒したのだが、ここで餃子の下側がフライパンの底に貼りついて動かなくなっているのが気になって、フライ返しで剝がそうとしたところ、何個かは失敗して上手く剝がせず、袋を傷つけてしまい中身が少々露出した。ほかのものはおおよそこんがりと焼き目をつけて焼けたので、もう少し待ってからひっくり返した方が良かったかもしれない。餃子が仕上がると今度は汁物、水量が少なくなっていたので小さな薬缶で水を足しておき、爪楊枝でジャガイモを刺すとあと少しだけ煮た方が良さそうだったので、一旦台所を抜けて居間の椅子に就いた。扇風機を固定状態で回して汗だくの身体に風を浴びせかけながら手帳を読む。それで五分か一〇分かそのくらい待ったあと、台所に戻って豚汁に味噌を溶かし入れた。
 そうして食事が完成すると、もう夕食を取ってしまうことにした。風呂の湯沸かしスイッチを押しておき、米とまだ温かい餃子に豚汁をそれぞれよそると、いつものように食卓の東側の席に就いた。扇風機は相変わらず固定させてこちらに常に風が当たるようにしておき、食卓灯のオレンジ色の薄明かりが降るなかで新聞も読まずテレビも点けず、黙々と餃子をおかずにして白米を賞味した。豚汁が美味かった。野菜が良く煮えており柔らかくほどけるようだったし、味付けも、適当に目分量だったのだがちょうど良かった。それですべてものを食べ終えるともう一杯汁物をおかわりし、汗を流しながら食べ終えると冷たい水を汲んできて抗鬱薬を飲んだ。それから食器を洗っておくと下階に下り、Franck Amsallem『Out A Day』を流してだらだらとした時間を過ごした。合間にSkypeで(……)さんからメッセージが送られてきて、明日の夜、通話するのはどうかと訊くので、明日は労働で遅くなるのでそれでも良ければと答えると、問題ないとのことだったので了承した。八時過ぎから日記を書きはじめたのだが、途中で(……)さんが綴った九月二日の記事を読んだり、それに触発されて自分の日記を読み返したりしているうちに時間が過ぎて、いくらも書かないうちに八時四〇分になって入浴に行った。上がって行くとパジャマ姿の母親は頭にタオルを巻いて卓に就いており、父親はパンツ一丁でいたのでちょうど今しがた風呂を出たところらしい。おかえりと挨拶すると、豚汁はまだ食べていないと言うので、美味いよと勧めておいてから下着を持って風呂に行った。出てきてパンツ一丁で自室に戻ると、扇風機にエアコンをふたたび点けてだらだらしたあと、一〇時ぴったりからFISHMANS『Oh! Mountain』とともに日記を書きはじめた。前日の記事はまもなく仕上がり、この日の記事もここまで綴って記述を現在時刻に追いつけると一〇時半である。
 インターネット記事を読むことにした。昼に読んだ木村草太の講演会記録の続きである。木村草太「【憲法学で読み解く民主主義と立憲主義(3)】――ネッシーは本当にいるのか?」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2014102900008.html)、木村草太「【憲法学で読み解く民主主義と立憲主義(4)】――二つの憲法の対立」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2014103000009.html)、さらに同じイベントで木村と並んで講演を行った國分功一郎との対談、「【対談】 國分功一郎×木村草太 【哲学と憲法学で読み解く民主主義と立憲主義(1)】――憲法制定権力とは何か?」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2014110800005.html)も読みながら、いくらかの事柄を手帳にメモした。法解釈の意義とは、立憲主義における権力分立の工夫の一つなのだという話が興味深かった。法に対する解釈という作業を介在させ、規範制定者に対して規範翻訳者、技術者を設置することで、権力者が自分と異なる考え方をする「他者」と向き合わざるを得ないようにしているとのことだった。木村はまた、昨今の政治情勢を観察していると、「他者の視点」を経由することを回避しようという姿勢があちこちで散見されて、それはとても危険なことだと批判している。他者の尊重、などという文句はもはや最大限に使い古された、実にありきたりの定型句だと思われるのだけれど、こうした社会状況のなかではやはりそうした当たり前の正論を改めて強く守るべきだという主張が大事ではあるのだろう。ただ、他者を尊重するべきだといくら強く唱えたところで、例えば現在の日韓情勢に接して国交を断つべきだなどと感情的に短絡的に断言している人々や、戦争によって北方領土を取り戻すべきだなどと吐いている一部議員などが、はいそうですねと単純に聞き入れてくれるはずもない。それほど物分かりの良い人々ばかりならばこんな世の中にはなっていないわけだ。こうした一部の政治家の専横というよりは、社会全体の空気感や風潮の短絡化・劣化というような問題は、今すぐにどうにかなる事柄ではないだろうから、やはり一〇年二〇年の長期的なスパンで考えて新たな価値観や文化を立て直していくしか対応策がないのだろうか?
 零時直前に至ったところで部屋を出て上階に行き、戸棚からインスタントのカレーうどんを取り出した。父親は歯磨きを終えたところで、洗面所でげほげほいいながら口を濯いでいた。こちらはポットからカップうどんに湯を注ぎ、ゴミを始末しておくと容器を持って下階に戻り、コンピューターを閲覧しながら麺を啜り、汁を飲んだ。空になった容器をそのままゴミ箱に突っ込んでおいたあとも、いくらかだらだらとした時間を過ごし、そうして一時前になるとベッドに移って牧野信一『ゼーロン・淡雪 他十一篇』を手に取った。手帳の読書時間の記録には三時五分まで読んだことが記されているのだが、後半は例によって意識を落としており、実質読んだのは二時頃までだったと思う。眠りから正気に戻ると明かりを消して正式に就床した。


・作文
 14:48 - 15:14 = 26分
 15:18 - 15:26 = 8分
 20:02 - 20:39 = 37分
 22:00 - 22:31 = 31分
 計: 1時間42分

・読書
 12:50 - 13:16 = 26分
 13:20 - 13:39 = 19分
 13:47 - 14:35 = 48分
 15:29 - 16:00 = 31分
 22:45 - 23:55 = 1時間10分
 24:56 - 26:00 = 1時間4分
 計: 4時間18分

・睡眠
 3:10 - 11:50 = 8時間40分

・音楽