塔のある街
旅の途中で、ひとは多かれすくなかれ、おのれをうしなうことになる。ただしいこころ構えを知らなければ、それに気がつくことはない。気づく者は数すくなく、おのれ以上をうしなえる者はさらにずっとすくない。
街の門をくぐるときの数秒間、そこでうつり変わるのは空間ではなく、なによりもにおいだ。どの都市にも、固有のにおいがある。大気の、街路の、花々の、そこで生きるひとびとの、出店で売られる特産物の、何のにおいともいいがたい、すべてが混然とからまり合った、その街のにおい。入り口が視界にはいったあたりで、おとずれる者を待ちきれないとばかりに漂いだすひどくせっかちなにおいもあれば、街なかをしばらく歩いてから遅れて鼻に寄ってくる、にぶい寝坊助のにおいもある。ひとが旅人に無関心でも、においはいつも変わらず、むかえることのよろこびをためらいなくあらわに伝えてくる。顔は見えなくともそれぞれちがった性格のわかる精霊のように。そのようにして、わたしたちはふたたび、ひとつの街につつまれることになった。
季節は雪だった。ジャジャーの毛はあらあらしい寒さに感応して生え変わり、いつも残照を内に秘めているような赤褐色の、うすいところは翅っぽく透きとおり、厚くなったところは一層ふさふさとして陰を織るのだった。山脈と森にかこわれた平原から成るこの辺境で雪はおもうままに我が意を達し、どこからはいるにしても日々は険しかった。わたしたちも山の洞窟にとどまって荒天をしのいだり、途中の村で大熊を一頭丸ごとつかった毛皮の寝具をあがなったりして、どうにか道をつないできた。平原にはいってからの一週間ほどは、ただただ白さとのたたかいであり、足もとの白さと地平線下の白さのあいだになんのちがいも見つけることのできない広大さのなかで、時間と空間はがんじがらめの囚人として呼吸を投げ棄てつつあった。食事はおおかたこわばった乾燥肉と、死にきったキノコや薬草のたぐいを湯にもどし、半端に蘇ったそのいのちを糧とすることにたよるほかなかった。たしかに、食事ではなく食糧というべき栄養源だったが、ときにはたどりついた開拓村でウサギやカモのような鳥の肉を喰らえることもあったし、自分でも、こんな土地をなにくわぬ顔でうろついているそれらの小動物――寒さになにも感じなくなるよう進化したらしい、面のみならず全身の皮の厚いカエルもいた――をしとめて捌くことがあった。正気の選択とはとてもおもえない土地におのれをゆだねているにしてはあまりにも健気な、あるいはそれゆえにこそうつくしく健気な、動物たちの目はどれもそんなひかりをはなっており、その健気さに耐えられないわたしは、いつも真っ先にその目をナイフで潰すのだった。ひとびとの目にもおなじひかりがひそんでいた。開拓村といったのは、なにも近年あらたにできた村だということではない。ただ、この地にひとが住みついた歴史の果て以来、村人たちは、いまもなおずっと開拓をつづけているのと同義だったのだ。
村で雇った橇の主人は、苦みのつよい煙草をくわえながら、「まあ、ひとが暮らすにしちゃあんまりととのった場所じゃあねえですわな」と言った。白さの裏返しとして天に一面むすぼれた、永劫的な青空のもとだった。
じゃあなんで、ここに住んでるんです?
「そりゃ、ご先祖様に聞きたいですね」
にやっと口の端がゆがんだあと、カッカッカ、という笑い声がついてきた。その声が白さの彼岸までとどきそうなほど乾ききった大気はふるえる陽光にすべてを明け渡し、いまやきらめきの族と化した雪のひろがりは、漂いのぼる無数の微光で視界を幻惑にいろどって、その揺らぎが陽光のふるえと同調しきらない調和を踊りつづけていた。橇は意外なほどにひろく、ジャジャーを乗せてはこんでもらう余裕すらあったが、「そちらの犬っころちゃんも、いっしょに引いてくださるんで?」と主人がいうので、五頭の犬たちにならんで綱を身につけ、走る時間もあった。「でっけえ、犬っころちゃんですなあ」と漏らしながら、主人はわっしわっしとジャジャーの首のあたりをなでる。たしかに、狼の記憶を濃くのこした五頭の端正なすがたとならぶと、それよりひと回り、もしかするとふた回りはおおきいかもしれないジャジャーのからだは頑健な重量感をほこって見えた。なでられるがままにときおり、垂れた両耳をぱたん、ぱたん、と、かるくひらつかせてみせるそのあたまに、わたしは手を乗せた。相棒です、と告げると主人は、「そりゃあいい。幸福ですな」と、歌声のような神妙さを舌に乗せて、薄緑色の煙をぷわっと吐き出した。
抽象的なまでに単純であるがゆえにある種の楽園とも目にうつる白の晴天と、あばれだした冷たさと風に空も地も一挙にうずまき衰弱する白の地獄とが、世界の振り出すダイスによって気まぐれに、会釈なしに交替するのがこの地の時間だった。吹雪けば、昼も夜もなく、あるのは視界を全方向に行き交う無数の斑点によって存在を詰問されているかのような、うすく青暗い闇だった。でも、視界がきこうときくまいと、果てまで雪しかないことはわかっているのだから、おなじことじゃないか? だが、そうではなかったのだ。「お客さんよお!」と、主人がふりかえりながら声を張り上げてきた。周囲にほかの音をゆるさない雪の苛烈な独裁欲にくわえて、防寒着であたまを覆い、耳も毛皮であたためているので、そうでもしないとことばが聞こえないのだ。
わたしは氷の空気ができるだけ肌にふれないよう、慎重に耳当てをずらした。「あれが見えるかね?」
なんです?
「ずっとあっちに、ちょこっと白いかたまりがあんのが見えるかね?」
しめされた方向に視線を飛ばして目を凝らしたが、白さの入り混じったにごり闇のかなたに、ほかよりわずかに色のおおきく濃い斑点が、そういわれればあるかもしれない、そんな程度のものだった。
ありゃ、ここらで《凍て闇の悪魔》って呼ばれてる雪虎でさあ、というのが主人のはなしで、ひとみから尻の穴まで真っ白なその猛獣は、太陽の下にすがたをあらわすことはほとんどなく、はげしい吹雪にまぎれて忍んできては、瞬速の一撃で獲物を裂き殺して喰らうのだといった。
「あれに見つかったら厄介なことになっちまいますわ」
そう言って犬笛を口にもっていった主人は、ひとには聞くことのできないその音で進路転換を命令し、橇はすみやかに減速しながら角度をおおきくたがえていった。うしろで身を低く休んでいたジャジャーが、一瞬だけぴくりと反応するのが背に伝わった。まとう空気の色を埋み火の穏和さから、警戒のそれへと変えたのだった。くちびるにはさんだままの犬笛をゆびで支えている主人の左手の甲には、藍色の入れ墨がえがかれていた。両の頬にも図形がきざまれているのに、晴天の下ですでに向かい合っていた。なにかの動物をもとにした象形的な記号とも、線と点のたわむれがたまたまそのかたちに落ち着いたともみえる身飾りの、色だけつうじ合わせの三種三様だった。
雪原の端までたどりついたわたしたちは、奇観を目のあたりにすることとなった。都市があるのは平原のなかにさらに一段くぼんだ土地で、目のまえをすとんと落ちている崖はしかしながくはつづかず、まもなくゆるやかな斜面にながれ、大池のような雪のたまりがまだらに散らばる窪地の底をもうすこしだけ行ったところに、壁にかこまれた街をのぞめる。つくりかけで不意に飽きられた子どものパズルめいても見えるその街並みのなかほどから、塔というほかはない巨大な柱が周囲を圧して天へ抜け出し、そのまま際限もなく、どこまでも高くそびえ立って消えていくのだった。首をうしろに目いっぱい曲げれば、いまは青い空のみのいちまいとなった目のまえを、視線は塔とおなじく際限もなく、風の神よりもすばやく飛んでいき、釣りこまれていったさきで果てをうしなうと、じぶんがいまどこに立っているのか、その記憶も刹那刹那にうしなわれていく。想像は可能であるものが、想像力のほどよい甘さを裏切って現に屹立している、転覆の動揺が足から下腹へとのぼるいっとき、単純さをただ単純におし進めた結果として、つながるはずのないものとものとがつながってしまっている、ひそかに恍惚と手を組んだ罪深さすらを脳裏に垂らす景観だった。これを見たいというその一心だけで、あの白の世界をこえてくるひともいる。そのことがたしかな体感とともにうなずけた。すでに街のにおいははじまっていたのだ。
宿はいくぶん外れの地区に取った。宿というよりは老夫婦が終の住まいとして余生をくつろぐような、ペンションをおもわせるたたずまいだったが、なかはひろく、敷地に野営の道具を置いてもらう余裕もゆうゆうとあり、そばには井戸がひらいていて、そこから引いたものなのかどうか、風呂すらあるということだった。ちかくは木立がしばらくつづく道で、二階の部屋の窓からもそれが見えた。溶けのこった雪の白さをほそ長いこずえのはしばしに溜めた暗緑色の木々はいま、暮れたひかりの金色をあつく受け、その衝突の散乱的なはげしさは、木が難破船めいてぎしぎしとかたむきはじめやしないかとおもえるほどだった。
重装備を部屋におろしたわたしは、食事のまえに湯をもらうことにした。ジャジャーの足やからだを拭いてやるためだ。扉をくぐって廊下に出ると、となりの部屋のドアのまえに、待ち受けていたかのようなうごきのなさで、青っちろい顔の男が立ってこちらを向いていた。目の下が少々落ちくぼんで、頬も日陰の雪でこしらえたように血色がわるく、ただ顎だけは殻を剝かれた直後のゆでたまごのように妙に光沢をはなつ白さだった。「あたらしいお客さん?」と男は言った。
ええ。
「となりの部屋ってことでね、どうぞよろしく。どちらから来たんです?」
山脈のほうを、浅いところを越えて。
「そりゃあまた。もっとも、森も似たりよったりだ……時期がよければねえ、もっと雪がすくないんだけど。やっぱりあの塔を見に?」
ええまあ。腰を据えられない性分でして、いろんなところを回ってるので……いちどは来たいとね、見てみたいとおもってましたよ。
「そうでしょう」
にやにやとした笑みをのこして、男は廊下をしばらくあるくと、足を止めてふりかえり、「案内しますよ、もしよかったら」と言った。手に持っていながら渡しわすれていた小包にいま気づいたような、同時に、もともとそれを言うことだけをねらいとしていたような口調だった。一階へと消えた男のあとを追って階段を下り、おかみさんに湯をもらってジャジャーの身をととのえてやると、じぶんも風呂で汗や汚れをながしてもどった。そろそろ食事の時だった。
ジャジャーが食堂にはいることはだれからもまるで問題視されず、ことばいらずの当然として受け入れられた。おかみさんがひとりで切り盛りしている宿なので、配膳は滞在客のしごとでもあった。あつまってきた数人の客たちは、みなすでにながくをここで過ごしたようだった。皿をはこんでいるとき、からだのおおきな新顔におどろくとき、卓上の料理をならべなおすとき、椅子を引いて座るとき、足取りや声色や物腰のひとつひとつから、この建物にすっかりなじんだ者の習慣のにおいが、砂の地面を踏んだあとのようにかそけくもれ立つのだった。翼を閉ざしてまるまった巨鳥のすがたで暖炉のそばにうずくまったジャジャーは、肉や水をさきにあたえられ、すこしずつそれを食べているとなりでおさない宿の娘が興味津々にしゃがみこんでいた。配膳の間に、おかみさんがはなしかけてきた。
「ずいぶんでっかいお相棒さんですねえ。お客さんはどちらから?」
ええ、山脈の浅いところを、どうにか来ました。
「あれまあ。もっと楽な、雪のすくない時期もあるんですよ? ながくはないけどね。でも、この季節に来たがるひとのほうが多いのかもしれませんねえ」
なんともいいづらい旅路でしたね。
「そうでしょう。途中の村には寄った?」
ええ、あそこでウサギやカモの肉をたくさん食べさせてもらったんで、それで生き延びたようなもんですよ。
「わたしの弟はあの村にいるんですよ。もしかしたら会ったかもしれませんね」
というわけで、夕食がはじまった。食堂は宿の規模をかんがえると不釣り合いにひろく、もてあまされているのが一目瞭然だった。中央に通る長テーブルは、わたしたちでは暖炉にちかいその一角を埋めることしかできず、クロスも半分ほどまでしか引かれていなかった。どうかんがえても不要な椅子の多さだったが、「むかしはねえ、ここがいっぱいになって、席が足りないもんでお客さんの部屋から持ってこなきゃならないなんてこともありましたよ」とおかみさんは言った。しかし、部屋の数をおもえば、すべての部屋に二人か三人連れを泊めたとしても、まだまだ余裕ののこる卓のながさだった。暖炉にほど近いあたりの壁には、細部まで精巧につくりこんだ一角獣の模造剝製が職人のたましいをやどして見事に息を止め、ほかにこれも目を寄せられる優美さの、けれどなにか無機質な情感を色と模様にたたえたようなタペストリーがながれおちていた。それらはまだしも調度品として食堂をいろどり活気づけていたが、テーブルが生身をさらしているほうでは、いったいこの空間をどう飾りどう埋めたらいいのか、そう嘆息が聞こえるようで、クロスなしの木目の上に、ないよりはというおもいの透ける花瓶が置かれて花びらを二、三、散らしていたり、壁のほうにも棚がとりあえずの風情で場をあたえられたり、遠景で塔をえがいたやや無造作な筆の絵が、周囲の空白をきわだたせるようにぽつんとかかったりしていた。
一角獣のまえの席にはいつも、みじかい灰色髭を鼻下にととのえた、元軍人だという老人がついていた。兵士としてはあきらかに小柄なずんぐりとした老体は椅子と同化したように重たるくおさまり、じっさいなかば一体化しているかのように、午前でも午後でも夕食後でも、この席でコーヒーや酒を飲みつつ新聞や本に目を落としているそのすがたを見かけるのだった。宿ではなく、その椅子に泊まっているかのようだった。ほとんど口をひらかない、からだだけでなく舌のたいそう重い御仁で、女性客ふたりがはなしのながれに、ねえ、おじさまはどうおもいます? などと意見をもとめても、伏せていた目をあいてのほうにゆっくりふわっとあげてからまたおろし、そのたっぷりとした間をはさんでようやくぼそぼそと、低さのわりによく通る声を発するのだった。あたかも、ことばをしゃべればしゃべるほど、それだけ他人を傷つけることになる、お嬢さん方はそれがわかっておらん、とでも言いたげなまなざしだった。年をとるうちにやさしさが褪色して憂いへと変わってしまった者の目つき、スープの皿を見つめていてもその下のテーブルを、床を、地中を、星の中心を見つめているような目つき、ひとことで言って、時空を超える目つきを捨てられない種の人間だった。兵士だったころはこことはちがう辺境地帯を守備する任についていたらしいが、それがどこの辺境なのかはだれも知らないようだった。食事中の会話を先導するのは、主に女性ふたりの役割だった。中年未満のいっぽうは、堅苦しくない、ふくらみのあって身につけやすそうなドレスをよく着た婦人で、よくしゃべりよく笑ったが、合間にたびたび咳を漏らして、笑いに興が乗ってたかまるとだいたいいつも咳きこみに転じるのだった。もうひとりはまだ若い、セーターとスカートの似合うほっそりとした女性で、ナツメ色のつやめく髪やひとみとおなじく、頬の色もなかばそれに似たあかるさで、やはりよくしゃべりよく笑ったものの、こちらは笑い声を立てるさいに淡緑のハンカチで口をおさえるのがつねだった。他人に気兼ねせずにおもうさま笑いたいという、屈託のあるようなないような精神の編み出した技巧とみえた。砂糖菓子の散らばるようなふたりのはなやかさにあたっては、青っちろい顔をしたわたしの隣人はなにかの手違いで現世にもどってきてしまった幽霊でしかなかったが、不健康そうな眼窩のわりに意外にも、男はよくしゃべり、よく食べた。会話に口をさしこむときのことば遣いには教養の下地がみえかくれしたし、出された料理はすべて淡々と、一定のペースで平らげていき、顔の白さをいくぶん満足げにひからせるのだった。初日の夕食の終わりまぎわ、婦人がわたしに旅のことを聞き、さまざまな土地の記憶を気楽にかたっていると、あいてはながく咳きこみだした。
大丈夫ですか? 具合がお悪いのでは?
「ええ、肺がすこし。それでここに来たんですよ」
それは……おからだ、大切にしてください。
「ありがとう。でも、熱があるっていうのも、元気な証拠でいいとおもいません?」
ええ、生き生きとしていらっしゃるようにお見えします。
そういうことでもないんですけれど、と婦人はわたしにではなく、口のなかに向かってつぶやきを漏らし、まもなく食堂を去っていった。キッチンで少女とともに食器をかたづけていたはずのおかみさんが、いつの間にかかたわらに立っていた。「あのひとは、肺がわるくなんてないんですよ」
なんですって?
「じぶんでそうおもいこんでいるだけなんです」
でも、そうは見えませんでしたが……もうここにながくいるんですか?
「いえ、二週間くらいですかね」
おかみさんは、どうしてそのことを……
「いえね、あのひとを連れてきた方がそう言ってらしたんですよ。なので、空気の澄んだところで静養させたいって。その方は、お仕事でどうしてももどらなきゃならないとかで、三日過ごして帰っちまいましたけどね」
そうなんですか。ところで、お食事はとてもおいしかったです。こんなに豪勢だとはおもってませんでした。よくあつまりますね、食材が?
「まあねえ、こんな、世界の果てみたいなところでしょう? 食事くらいはたのしくないと、さ。」
まったくそのとおりですね。
「それに、果てってことは、最前線みたいなものなんですよ。何に対してかは知りませんけど。だからいろんなものがあつまるんです、肉も、野菜も、魚も、ひとも」
おかみさんも、べつの街からここへ?
「さっきも言ったとおもいますけど、わたしの弟は平原の村にいるんですよ」