18:49。実家からさきほど帰還。Mさんのブログをのぞいたら、こちらと知り合って一〇年とあった。その間、じっさいに会ったことは三回しかない。これはけっこうふしぎな感覚だ。生活を詳細につづったブログをたがいに読んでいて、あいてのことはだいたい知ってるみたいなことになっているので、じっさいに対面した機会が三回しかないというのがそれと相応しない。
 三回とも三日間ずつ会ったはず。二〇一四年の三月一〇日はたぶん夕方くらいから新宿に出向いて駅で合流し(こちらはHさんといっしょにいて、MさんのほうはTさんといっしょにいた)、そのあと紀伊國屋書店に行ったり、なんか「黄金珈琲」だったか、「珈琲貴族」みたいな高そうななまえの喫茶店にはいったりしたおぼえがある。このときじぶんははじめて現代詩文庫を買った。岩田宏石原吉郎と多田智満子だったはず。Mさんのブログで知っており、ほしかったけれど、それまで書店で現代詩文庫を売ってるのをみたことがなかったのだ。じっさいにはたぶん、TのOでも売っていたとおもうのだが。一一日はTさんとMさんと三人で上野の国立科学博物館に行った。西洋美術館のほうに行こうかという案もあったのだけれど、Tさんがこちらを推したんだったとおもう。そしてかなりおもしろかった。いろんな昆虫のきれいな色した標本が無数にあったり、最上階で鹿とかバッファローとかでかい動物の剝製をながめて、どの角がかっこういいとかいったり。大人の男三人で来てあんなにはしゃいでたの、われわれくらいだったんじゃないか。あと、たぶんゆうめいなやつだとおもうけど、国立科学博物館にはクジラの腸だかが縦に伸ばされて馬鹿でかいガラスケースにおさめられており、そこになんとかいう寄生虫が寄生しているさまが展示してあって、あれはかなりグロい。幼児がみたら悪夢に出てくるぞ、トラウマものだぞ、とおもったものだった。
 一二日はなんだったのかおぼえていない。ワタリウム美術館に行ってナム・ジュン・パイク展をみたのがこのときだったんだろうか?
 二度目にMさんが東京に来たのはドナルド・トランプが当選したときなので、二〇一六年の一一月で、いまウィキペディアをみると一一月八日が大統領選だったらしい。二日目に新宿で合流したさいに、カプセルホテルのラウンジのテレビで大統領選の結果が報じられて、そこにいたいろいろな人種国籍のひとがみんなテレビのほうをみつめており、いま世界史の瞬間に立ち会ったとおもった、と聞いたので、時差をかんがえるとこの朝は九日だろう。だから、一一月八日、九日、一〇日で来京していたとおもう。
 一日目はたしかMさんとH兄弟が神保町あたりにいて、こちらもそっちに向かって合流し、喫茶店にはいって駄弁った記憶がある。このとき、MさんがTさんに、まだオーラみえてんのみたいなことを聞いて、こちらも瞑想中の丹光のことをちょっとはなした。この日はそれで飯食って解散したんじゃなかったか。
 二日目三日目はたぶん上野でゴッホ展だか印象派展だかをみたのと、恵比寿の写真美術館だっけ? わすれたけれどそこで、杉本一博展をみたのがこの年だったはず。まちがえた、自信がなくて検索したら、杉本博司だった。どっちが二日目で三日目だったかはわからないが、たぶんさきに杉本博司展に行った気がする。そこの喫茶店蓮實重彦のはなしなんかをした。上野のほうでも公園口から横のほうにながれていったさきにある通りの、飯屋とかがたくさんはいっているビルの一階にあったタリーズかなんかで『囀りとつまずき』のはなしをした。バルトが「ニュアンス学」もしくは「差異学」という概念をときおり言っていて、『囀りとつまずき』はその実践のようにみえるという趣旨だった。こちらの認識だと差異とかニュアンスというのは生命的なものなので、この小説からもそういう生命的な質感を受け取る、というようなことだったとおもうが、このときうまく整理してはなせなかったおぼえがある。
 三度目は二〇一八年にこちらが一年死んで、一二月に回復しはじめて明けてからの二月だったはず。二月四日にUくんとひさしぶりに再会した記憶があるので、二月五、六、七日だとおもう。一日目はたしか立川のジュンク堂に行ってめっちゃ本あるやんというわけで書棚を回り、とちゅうで体系性と断片性のはなしとかをした。ジュンク堂は、できてまだ一年くらいだったのかな。もっと経ってたか? 一八年の変調以前にも行っていた気がするから、もっと経ってたか。書店のあとにとうじはまだあったPRONTOにはいってくっちゃべっているとき、前日にUくんと会ったときにかれがルジャンドルのはなしをいろいろしゃべっていて、その日の日記にそのことを書いたじぶんは、Uくんが立て板に水という感じで語ってすごかった、うまく理解できなかった気がして申し訳ないみたいなことを記したのだけれど、それについてMさんに、Fくんなんか卑屈なこと書いてたけどぜんぜん気にすることあらへんよとかいわれたおぼえがある。とうじは変調から回復してまもなかったので、まだじぶんのあたまがたしかな気がせず、自信がなくて、はなしをうまくのみこめた気がしなかったのだ。そのあと夜から新宿にうつって、Sさん、WさんとPrego Pregoで食事を取った。このときSさんに、"All of You"、めっちゃ聞くよね、といわれたのをおぼえている。
 二日目は荻窪ささま書店に行ったのだけれど、ささま書店はその後つぶれたはず。あのレベルの古書店がつぶれるってどういうことなのかわからないのだけれど、そのあとにまたあたらしい店ができたんだっけ? 古本屋をみてこのときじぶんはれいによっていろいろ買いこんだ。パスカル全集の一、二巻はこのとき買った。実家に積んである。そのあとHさんとも合流してだべり、翌三日目はHさんとMさんと三人で昭和記念公園に行ってワギャンと遭遇する。
 ワタリウム美術館がいつだったのかわからない。もしかするとこれが二〇一六年だったかな。ゴッホ展だかをみたのが一四年の三日目だったかもしれない。わからん。ワタリウム美術館に行ったときはたしかHさんのほうはいなかったはず。TさんとMさんと三人だったとおもう。このときエレベーター内で、Tさんが、さいきん哲学の本をちょっと読んでるといって、プラトンの対話篇だかソクラテスについての本だかをとりだしてみせたのをおぼえている。『ソクラテスの弁明』だったかもしれない。
 でも、上野のタリーズかなんかで『囀りとつまずき』のはなしをしたのはたしかなので、一六年にやはり上野に行っている。
 H兄弟も元気にしていればいいんだけれど。からだを壊していなくて生きてりゃもういいとおもう。Hさんのほうは料理人街道を邁進しているはずで、過去にときたま書いていたブログの記述によればたぶんけっこうなところにのぼっているんじゃないか。客ひとりあたりの支払金額が一万五〇〇〇円だったか三万円だったか、そのくらいの店に行くみたいなことを書いていたはず。あと、大量の大便を無理やり食わされるみたいな夢をみたともあったので、これかんぜんに精神やばいじゃん、やられてるじゃん、大丈夫なのかなとおもった。
 Hさんの小説はいつもちょっと変でけっこうおもしろかった。「歌いながら眠っていた」、あれは好きだった。このChromebookじゃないパソコンのほうにデータがのこっているはず。また読んでもいい。あのなかに、夕暮れ時の時間じたいについてだったか、空の色についてだったかわすれたのだけれど、「〜と〜のあいのこ」といういいかたが出てきて、この「あいのこ」がとうじのじぶんの表現語彙になかったので、これはいいなとおもった。さいきんじぶんもどこかで書きつけたぞとおもっていま「塔のある街」を検索したが、ここではなかった。ブログを検索したら三月五日の外出時の記事に、「奥の一辺に沿ってならんだ梅は紅梅と白梅の合いの子めいた半端な赤みを雨に濡らして、あまり赤というかんじでもない」とあった。この「合いの子」はHさん由来の語。