きょうの調子はわるくはないが、あまりよくもない。腹のあたりがすっきりしない。
 きのうの外出で印象にのこったことがいくつかある。出たのは三時半ごろだったか? まず金をおろすためにちかくの郵便局に向かった。アパートを出て右に向かい、路地はすぐ尽きるのでそこを右に曲がって、道路の右端をすすむ。しばらく行くと左方、道の対岸から年かさの男がのそのそとななめに出てくる。そこには古い木造の家が一軒ある。となりには、もともと電気屋だったらしいがいまはあきらかに営業していない、黄ばみくすんだガラス張りの、縦にながい直方体の箱のような建物のなかに、売れ残って何年放置されているのかわからない冷蔵庫やエアコンののぞける室がある。奥に向かっていくらか伸びているのは家屋といっしょになっているのだろう。木造家のほうも奥行きをもっており、むしろ道に面したほうが側面で、元電気屋側の側面が玄関らしい。そちらの壁は古い家によくある、ほとんど炭化したような煤色のなかにわずか茶色ものこっている黒ずみぶりで、壁板がながい縦枠とみじかい横枠でいくつもの四角にくぎられているのがほんのすこし波打ってみえる。その玄関付近と元電気屋のあいだに、うす黄色い簡易天井のような屋根がわたされており、そのしたにハトが無数にあつまっていた。木造家の軒にもとまっており、こちらが目を向けながら通り過ぎるあいだにつぎつぎ飛び降りていく。
 道をすこし行って十字にあたれば郵便局は向かいである。こちらは交差の右側手前に立っている。その真向かい、右側奥が郵便局だ。この局は例のだだっ広い敷地をほこりそのまわりをよく散歩するCの敷地内、その角にある。そうひろくない駐車場にいまは車も自転車もなく、白い地面がそのままぜんぶ、日なたのあかるさを乗せている。右手は敷地内との境で、黒いかっこうの職員が柵のとちゅうの出入り口を閉めてなかに去っていった。真っ白くおおきい、おなじかたちの窓がいくつもならぶ棟が右奥に向かって三つほど立っている。こちらの立っている位置からすると正面方向にながく伸びる建物だ。どれも規格はおなじだとおもう。その端っこは非常階段になっていて、高校の校舎もおなじつくりで廊下の端から外部階段に出られるようになっていたのをおもいだす。そこにたまって駄弁るでもなく風を浴びることもしばしばあった。その非常階段の側面もまた陽射しを受けてどの階も全面、空中に浮かぶ日なたとなっている。いちばん間近の一棟だけは、すぐそばに木が立っているので、その影が投げかけられてほとんど薄色におおわれている。すばらしいなとおもった。
 金をおろしてから道をもどり、反対方向にすすんで、H通りにはいる。入り口の角に会館がある。それに接した小公園は、高校のクラスメイトでありアパートを世話してくれた不動産屋であるNが、おなじくクラスメイトだったK.Mさんと夏前あたりまで付き合っていた高校二年のいっとき、下校途中に立ち寄って(とうじ、Kさんの家はこのあたりにあったらしい。かのじょは広島から越してきた転校生だった)、ベンチのうえに寝そべった恋人のすがたにパンツみえるかもと期待をふくらませたあの公園だ。梅の色はもうさだかでない。心身はわりとリラックスしていた。無為を知る者にしか踏むことのできない、ちからづよさのまったくない、ゆっくりとした、足音もほとんど立たないしずかな歩みが身にやどっていた。道路の左端を行っていた。対岸に二軒ならんだほぼおなじデザインの家に目が向く。二階のちいさなバルコニーの外側をなす壁、その模様が、右の一軒はたがいちがいのレンガ積みを模したような、肌色オレンジの長方形のあつまり、左の一軒は寒色味のつよい青さの正方形の均一なあつまりで、いずれもうえに電線の影を受けて引いており、左のほうなど柱のうえから伸びる湾曲線のさきにぶらさがった籠型街灯の、その曲線や籠の一部まで映っていた。それをみるだけですこしこころもちがほわっとした。
 スーパーのBGMがよかった。レベルが高いとすらいってもいい。はいってすぐは、スキャットっぽいことをやっている男性の歌がかかっていて、Bobby McFerrinの息子か? とおもった。Taylor McFerrinもスキャットをよくするのかは知らない。作品を聞いたことがない。Taylor McFerrinではないかもしれないが、そういう、Bobby McFerrinを連想させるようなうたいぶりで、ほかにもたしかポルトガルの、マヌエル・リンハレスといっただろうか? そのひとがちょっとブラジル音楽風味入れたみたいなアルバムをすこしだけ聞いたことがあるのだけれど、なんとなくそういう雰囲気の曲もかかったりして、ぜんたいてきに現代ジャズの方面でポップス寄りのことをやっているひとたちみたいな音楽だったのだ。晴れの昼間なので爽やかっぽい雰囲気にしていたのだろう。ふだん来るとき、もうすこし遅い時間とか夜に来るときとかは、ソウル系がよくながれていて、James BrownとかDonny Hathawayとかふつうにながれるし、このスーパーがなぜこんなに音楽の趣味がいいのかまったくわからない。なにかの放送サービスなのか、ネット上にあるプレイリストとかをつかっているのか。いずれにしてもだれが選んでいるのか、会社の方針ともおもえないし、この店にこういう趣味の店員がいるのだろうか。すぐちかくにもうひとつ、よりおおきなスーパーがあって、越してきたとき実家がすぐそこであるW(引っ越しを手伝ってくれた高校のクラスメイト)に聞いたところでは、そちらができていらいこのソウルフルスーパーはみんなあまり行かなくなり、下火だというのだ。そのとおりで、昼下がりの時刻に行くと店舗前に停まった自転車の数もまばらで、客はそう多くなく、レジの店員が突っ立って待ち受けている時間もある。いい場末感なのだ。その場末感にとうてい見合わない音楽の国際性、ジャンル横断性。このちぐはぐさをこれからも保ちつつ、なんとかつぶれずに生き残ってほしいとおもっている。まさかもうひとつのおおきなスーパーのほうでもこんな音楽がかかっているということはないだろう。越してきて以来いちどもはいったことがないのは、ひとが多くてゴミゴミした場所が苦手だから敬遠しているのだ。こんど、はいるだけはいってみて、BGMを確認してみてもいいかもしれない。