いまじぶんはTのはしっこのほうにある三万円くらいのワンルームアパートに住んでいて、おなじまちのなか、ここからあるいて三五分かそのくらいのところにA家という親戚がある。母親の妹であるYさんがとついださきで、むかしからかかわりや親しみが深い。きのうきょうとそこに行ってきた。いくらかまえに、兄からSMSが来て、A家に行こうとおもうけど三月一六日はどうかと打診され、そのころの体調次第だがとりあえずそこでいいとかえし、無事じっさいに行ってこれたかたち。これがかなりおもしろかった。といってとくべつなことはなくて、ひたすらくっちゃべったりギターやベースを弾いていただけなのだけれど、いや、これ記録しておきたいな、とやはりおもう。ただ、聞いたはなしにせよ、しゃべった内容にせよ、情報量がおおすぎて、いまのじぶんではとても無理。二月一四日にまた文を書きはじめていらい、記録的欲望、というよりじぶんの経験を記録することにたいする執着もしくは強迫観念といったほうがいいが、それがいぜんよりうすれているのをかんじていて、日記的なことがらを書くこともあるけれど、どちらかといえばフィクションのほうにながれている。その両方はできない、まえみたいに日記を書いて、さらに小説も書いてというのは、すくなくとも現状はとても無理だとわかっているので、キャパシティのなかでできることをやるようにしていると、「ふうけいしゅう」を書いたり、外出のときのことを書いたりというほうに行く。そういうキャパシティの問題もあるけれど、記録欲求じたいがまえよりもうすくなっているのもかんじている。これは自己への執着がすこし弱くなったということだとかんがえている。いいことでもある。けっきょくパニック障害も、根源はそこじゃないかとかんがえているので。いっぽうで、経験を書きたいという欲望が、フィクションのほうに横すべりしたな、とみえる側面もある。いぜんのじぶんの欲求が、じぶんの生活や経験、じぶんじしんと見聞きした範囲でのこの世界をなるべくぜんぶ書きたい、だったとしたら、それが、おもいついたことなるべくぜんぶ書きたい、に変容したな、ということだ。ただ、その「なるべくぜんぶ」も体調の問題で弱くなっているというのはうえに書いたとおりだ。いろいろこだわりが弱くなっている。たとえばこんかいA家に行っていろいろくっちゃべったのだけれど、それはたいへんたのしく、あとなんというか、すっきりするのをかんじた。行くまえはすこし気後れがあって、あるいは気負いがあって、ひとの家に行って飯食ってもだいじょうぶかな、きもちわるくならないかなというおそれもあったのだけれど、まあA家だからいいやという納得もあったし、行けばすこしだけやばい瞬間はあってもまあ問題はなかった。ひととはなすの大事だなと素朴におもったところだ。よく、なやみをひとにはなすだけでも楽になる、かるくなるということがいわれていて、むかしのじぶんはあんまりそれを信じていなかったというか、そういうことはたしかにあるんだろうとはおもっていたのだけれど、じぶんでなやみとか困っていることとかを他人にはなしたり相談するということはほぼせず、いつもじぶんじしんでかんがえたり、こうして文章に書いて分析したりしてきた。それはそれでべつにいいとおもっているし、これからもそういうやりかたはするだろう。こんかいA家に行ってなにかなやみをはなしたり、相談をして助言や解をもとめたりしたわけではない。むしろこちらが聞いたことにたいして、それはこういうことなんじゃないかとか、こういうきもちがあるんじゃないかとか、まあとにかく分析野郎なので、そういうことをさしむけてみて、そうかもしれないとか、いやー、どうかな、とかいう反応をもらった。で、これにすっきりするのをかんじた。すっきりしたというか、充実感や満足感のようなもので、これがつまり承認されているということなんだなとおもったのだ。あたりまえのはなしだが、あちらがはなしたことをこちらが聞いて、こちらからなにかことばをかえすとき、こちらもはなしを聞いてもらっているのだ。そして、意見とか考察みたいなもの、ひらたく言ってじぶんのかんがえを口に出してつたえるというのは、じぶんを提示しているということで、それをきちんと聞いてもらえるということは、じぶんが承認されているという感覚をもたらすものなのだ。じぶんは塾講師をやっているわけだけれど、生徒と接するにあたっていちばん大事なのは、その生徒の現状を拙速に変えようとせず、まずいまのあいてのありかたを受け入れてみとめることだとかんがえてきた。だから基本生徒に合わせるし、こちらがこうしたほうがいいなとおもうことがあってもあいてに聞いて合意を取るし、意思がない、なんでもいいですみたいな生徒にたいしても、いちおう選択肢を提示して、どっちでもいいですとくればじゃあこっちにするけどいい? というかんじで合意を取る。あいてにやりたいことがあれば、もうぜんぜん折れるというか、さいしょからこっちのいいとおもうやりかたで指導しようとか、そういうみちすじに持っていこうとかかんがえてない。ただそれでむずかしいのが小学生で、やんちゃな子だと、ある程度強制力がないとぜんぜんやることやらなかったりするので。まあこちらはそこももういいやというか、ぜんぜんなめられてるし、なめられてなんぼくらいにおもっているし、まあもちろんできる範囲でやらせようという努力はするけど、強制力発揮しようというこころにはならない。こういう、弱腰というか、もうすぐ折れちゃう、くにゃんとしたようなありかたなので、基本、こちらから積極的にはたらきかけて生徒を変えようとかおもってないわけだ。あいてを受け入れてサポートすることしかかんがえてない。もちろんそれでうまく行く生徒行かない生徒、合う生徒合わない生徒がいて、ときには非介入ではだめで、さすがにこいつの態度とかかんがえとかはちょっと介入しておかないとまずいな、という生徒もいるはずだけれど、うちの塾にはそんなやつはこない。すくなくともここ何年かは。あと、これは個別指導だからできることでもある。集団体制の塾だとちょっとできないですね。そもそもおおくの人数のまえに立ってしゃべりたくないし。はなしをもどすけれど承認という話題で、要はその生徒のありかたを受け入れてみとめることの具体的なやりかたが、あいてのはなしを聞くということなのだ。ただ聞いてあげるだけでそれがそのまま承認になる。そういう時間をくりかえすと関係ができてくる。そうするとだんだんなんかいい方向に向かい出す、かもしれない。それがうまく行ったこともあったし、行かないこともあった。こんかいA家でじぶんが経験したのはその生徒のたちばみたいなもので、ただこっちはこっちではなしを聞いたわけだから、あちらもあちらでおもしろかっただろうし、受け止められたという感覚はたぶんあったんじゃないか。これは、いま流行りの、とたぶんいっていいだろうケアの哲学のかんがえかたにつらなるはなしだ。ケアの哲学にかんしては、ふつうに大事だとはおもうし、哲学史上のけっこうな画期なんじゃないかともおもういっぽうで、相互依存ということが強調されすぎるとそれはそれで窮屈になるなということと、とうぜんながらじっさいの人間関係においてはそうそう理想的なことにはならないから、相互依存ということをいわば名目として、かくれみのとして、抑圧的な関係が温存されたり、あらたな抑圧の温床になるということは起こるだろう、とおもっている。ちなみにもっと形而上学的な、全体的な世界観のほうにひろげると、仏教の縁起思想にかんしてもおなじことをおもうのだけれど、つまり縁起思想ってこの世に単体として独立自存しているものはなにもなくて、すべてはなんらかのつながりをもっており、そういうネットワーク的関係のなかでその都度その都度の条件にしたがってものごとが生滅している、したがって実体というものは存在しない、というかんがえかたなのだけれど、「すべてはなんらかのつながりをもっており」というところがむずかしいところで、方向をまちがえると全体主義に転じかねんぞとおもうのだ。たぶん、こちらの理解が浅いところがあり、縁起思想じたいはもっと精妙なものじゃないかとおもっているのだけれど、つまり「なんらかのつながり」にはとうぜん濃淡があるとかんがえられているとおもうのだけれど、なんかたしょう見聞きする範囲では、そこがけっこう単純な語られ方をしているというか、均一につながっているような印象を受けるのだけれど。それだとなんかよくないじゃんとおもうし、あと、そのつながりのありかた、ネットワークの構成じたいも瞬間瞬間で移り変わっているというのが縁起思想の理屈から順当にみちびきだされるイメージだとおもうのだけれど、そのへんもじっさいどうなっているのかよくわからない。はなしをもどすと承認のことで、ひととはなすの大事だなと素朴におもったということなのだ。で、こういうことを素朴におもったというのは、じぶんもだいぶ丸くなってきているなということなのだ。丸くなるというのはこだわりを捨てるということだ。捨てるまでいかなくてもいいのだけれど、それが弱くなるということ。さいきんはもう突っ張っててもしょうがねえというか、こだわってるとほんとに身がもたないというかんじなので。じぶんはむかしからそれをくりかえしてきたようにおもう。書くことについてもそうで、日記で小説やりたいとか、私性を排してマルケスみたいな文でじぶんを登場人物みたいに書きたいとか、その都度こだわってがんばるのだけれど、じきになんかもうだめだなという行き詰まりが来て、だめだもういいやとあきらめるとむしろ自由に、楽に書けるようになり、やりたいとおもっていたようなことがかえってちょっとできる、という。こんかいフィクションが書けるようになったのもそういうことだろう。小説の面でも、まだ一作しか書いていないのでわからないが、あんまりこだわらないというか、「塔のある街」はそういうものだった。たとえば、《凍て闇の悪魔》と呼ばれる雪虎を出したけれど、この呼び名とかこれじたいが中二病風でクソダサいし、またその直前に吹雪の平原を「白の地獄」と書いていて、地獄にきちんと悪魔がいるというそのお約束的几帳面さもダサい。じぶんで笑ってしまったのだけれど、まあいいや、ベタなこと書いてもいいや、と。あともうひとつ、じぶんでこれはダサいとおもって笑ってしまったところがあって、街の中央広場の中心に位置する噴水に男の像があり、その肩や腕やあたまにハトがたくさんとまっている。周囲のまちびとに聞けばこの像は平和を願った巡礼のすえに倒れた聖人を記念したものだという。ここを書いたとき、ハトが平和の象徴とされていることをじぶんはまったくわすれていて、たんに西洋の観光地とかによくありそうな、それはそれでベタな景物を書いたつもりだったのだ。脱稿後に実家で読みかえしたときにそういえばハトって平和の象徴じゃんと気づいて、うわ、なんだこの平和のふたつ重ね、めっちゃダサいことやってしまった、とおもって笑った。さいきんはもう、だいたい、まあいいやという調子ですね。もうほんと、突っ張ることに疲れちゃった。いいもの書こうとか、おもしろいもの書こうとか、そういうきもちももちろんあるはあるけど、疲れちゃうんで、下手でもダサくても失敗してもいいからとりあえずおもいついたものをただ書こうと。