きょうの外出。三時。かっこうはきのうとおなじ。きょうはアパートを出ると右へ。風がつよくてやはりそこそこ寒い。日なたを欲して対岸へ。左へ折れる。当たれば横断歩道がちょうど青なので渡ったが、そこの歩道もまた陰だ。両手をこすりあわせながら行く。豆腐屋のまえを過ぎて左折し、H通りへ。車通りがある。前方で高齢の女性がふたり、杖をともなって連れ立っている。先んじた若い女性はかのじょらの脇を車道にちょっとはみだすかたちで抜かしていく。車道といってもここの道は段差つきの歩道がなく、白線が引かれているのみだ。その左側を北へ行っている。うしろからバスが来た音を聞く。こちらの歩みはのろい。バスが通るまでに、あるいはそこのバス停にとまるまでに抜かせないだろうとおもい、はみ出さずに老女たちの内側をすり抜ける。対岸の公園からやってきた帽子すがたの小学男子が、よいしょといいながら駄菓子屋のガラス戸をあける。風が寒い。じきに我が身を抱くような、胸のあたりで腕を組むようなかっこうになる。HA通りまで来て左に曲がればここはずっと日なたでありがたい。天気はいい。右をみやれば駅前マンションのそばで太陽は直視をゆるさぬかがやきをひろげ、そのしたの空は雲なく青くまた白く、いずれ淡い水色の快晴で、正面の南空には端切れの雲がすこしはみえた。横断歩道にいたりつくと待って、向かいのスーパーへ。野菜やキノコなど。マスクを買おうとおもったが棚になかった。小さめタイプしか。あと米も切れたがそれは次回でいいやとした。
 帰り道は横断歩道をもどるとそこの口から裏へ。道幅はそこそこひろい。日なたのなかに、右側の家々の影がくっきり青く、屋根のかたちをなげうつしてちがう角度の三角形がいくつかえがかれている。道路の右側はもちろんすべて青い日陰ですきまはほんのわずかしかない。ちょっと興だ。まえにみえてくる小公園の木、枝先に葉がさして多くない、なんといえばいいのか、ワンピースのマルコみたいな髪の毛がところどころついていてこずえにすきまがおおい木だけれど、これは先日の大風の日には風にやられて狂っていたのが、きょうは音も立てずしずかで、すぎればサー……と聞こえてきたのはその木ではなく、園内の奥にあるこちらは濃緑が豊穣なべつの一本だった。目的である買い物も終えて、わりとぽわーっとした心身になっていた。だからといって知覚と観察がめぐらないわけではない。公園をすぎれば路地は細くなる。左側の家々は陽を受けてあかるみ、だいたいどれも二階のそとに洗濯物を干してある。無為を知る者にしか踏めない歩みでのろのろ行くと、この家はこんな模様をしていたのか、あそこの屋根は青かったのか、あんなに青かったのかと、いままで目につくことがなかった、あるいは目についても記憶がいつか捨ててしまったあたりのようすがはじめてみえて、数秒、知らない町をあるいているような気分が身におとずれる。出る。車一台が過ぎる。渡る。ふたたびの裏路地の入り口脇はほそく小規模な畑で、菜の花がおおく湧いていた。風に揺らぐ葉と茎の緑と花の黄色が、目を向けながら横を過ぎていくあいだにながれ交じって、視覚を愛撫されたような感じがする。正面は公園。子どもらの歓声。風が不意に来る。左の家の足もと、鉢植えのパンジーが花をふるわす。氷雪の土地の朝めいた青と、痣のように濁った赤。