実家では家事をするか、約束された安息の地であるベッドにあおむいて休むか、ギターを弾くかくらいしかしなかった。家事といっても衣服にアイロンをかけるのと、食事の支度をすこしするくらい。土曜の夜はカレーを食いたかったので野菜を切って炒めるところまでやって、煮込みと味付けはまかせてしまい、日曜日は畑でとれた春菊を辛子和えにしたり、うどんをゆでたり。父親が育てた春菊がたいそう茂っているようで、それをとったり洗ったり調理したりするのがいやなものだから母親は、(まんじゅうこわいの落語を踏まえつつ)春菊こわいだよ、ほんとうに、とか、口にいれるまでがたいへんだよ、とくりかえし言っていた。母親が言っていたことから推すに、どうも父親は今度はシイタケも育てはじめたようなのだけれど、そんなに手広くやらないでほしい(からだが動かなくなったらどうするんだろう)、という前々からの文句および不安をこのたびも漏らしていた。ちなみに母親が先般会ったMのKさんなんかもおなじことを言っていたらしいし、あとだれだったか、父親のH仲間の奥さんだったかも、まえに会ったときに似たようなことを言っていたらしい。やめてほしいんだけど、と。春菊はマヨネーズも混ぜた辛子和えにするのがいちばん好きだ。きのう、月曜日は出勤前に余裕をもって麻婆豆腐をつくるとともに、春菊もたくさんあるし味噌汁にしようとおもって、タマネギと、冷凍庫にパックのまま半端に凍っていた雪国まいたけと合わせて小鍋に入れたところが、味噌がもうなかったので、しかたなく麺つゆとか醤油とかかつおぶしとかで味をつけた。かつおぶしと書いておもいだしたが、ひとつ前の記事に書いた路面の花びらのうち、土っぽく汚れた部分はまさしく濡れたり汁にひたされたかつおぶしの色合いだった。その場でそういうふうにおもっていながら、さきほどはその比喩を忘れていたのだった。
勤務のパフォーマンスはわりといい。いぜんの感じにほとんどもどったとすら言ってもいい。ただ、職場に出向くまでに、覚醒後、一食目のあと、二食目のあととそれぞれベッドで休んで身をやしなっているので、パフォーマンスがよくなければむしろおかしい。それに一コマのみだし。ただそれだけ休んでからだをだいぶリラックスさせていっても、わずかばかり緊張するには緊張して、腹のあたりにそれが感じ取れたし、今回授業前の号令をやったけれど、さいごのほうでやや息苦しくなって顔が熱くなってしまった。しかしまあそれくらいではある。授業本篇、生徒三人のあいだをつぎつぎ移って回るその感覚とかは、まえのものに近い。さいきん縦に三人ならんだ区画に割り当てられることが多いのだけれど、先頭の、ここでは個人情報をよりおもんぱかって三人の生徒を性別も不問でそれぞれAさん、Bさん、Cさんとしておくが、先頭のAさんにあたっているあいだに、Cさんがそろそろ終わっているな、答え合わせに入っているな、あるいはそれをもう終えたなというのを感知する。視界の端にみえるからだのちょっとした動きとか、解くのをやめて答えの冊子を取り出したときの音とかでわかるわけである。そういう感じで回るのはあまり遅滞なくバランスよくできた。ただしゃべりのペースがちょっとだけまだはやいような気がじぶんではした。なんかちょっと急いてるような感じが。Aさんはとりわけテンポの遅い生徒だ。あいての発言を待つときはいくらでも待てるのだけれど、こちらがしゃべったり説明したりつぎの箇所に移ったりするときに、その呼吸がちょっとだけはやいのではないかという気がする。Cさんはたぶんこちらのしゃべりがはやいとは感じていないのではないかとおもうが、それでもやはり、あとすこしだけ落ち着いて遅くなったほうが、受け答えのリズムがより合致するんじゃないかという気がする。終わりは余裕をもっていいタイミングで入れたし、全体的なできとしてはけっこうよかったとおもうが。
むかしやっていたように、個々の生徒についてや授業の詳しい内容、流れ、良かった点や反省点、やりとりの感触、はなしたことなどについてもまた記録したいとはおもうものの、まだまだそれができるからだではない。今後の進展を待つ。