さきほど、実家から帰還。きょうは母親がMさんとMに行っており、父親が代わりに送ってくれた。こちらとしては医者に行ったあといちど実家にもどり、ひとのすくない夜の時間に電車に乗って帰るつもりでいたのだが、昼時、スワイショウしながらさくばん弾いたギター音源を聞いたあと(三〇分いじょうあったのでじぶんで聞き返すのも面倒くさい)、白湯をおかわりしようと湯呑みをもって室を出ると、階段下の部屋にいた父親が声をかけてきて、お前を送るついでにお母さんを迎えに行こうとおもって、というので、そのながれに乗ることにした。それでその後休み、二時半ごろに出発して医者に行き、ロラゼパムをゲットするとTへ。車中で父親がじぶんからはなしだしたところでは、右上の奥歯が縦に割れてしまい、きょうの午前中ということだったのだとおもうが、それの処理に行ってきたという。こちらからはアパート付近の家はだいたいどこも草木や花をきれいに調えてあって、小さなスペースでもうまくあしらっており、一戸建ての暮らしというのはこういうもんなのかなとおもった、と、先日書いたことをはなしたりする。
 Rのまえで降ろしてもらったのが四時半ごろ。ここ数日雨降りだが、このときはほぼやんでちらほら散るくらいだったので傘はもたず。病院前の道に沿って桜が何本かあり、盛りの極みだったのを雨で一気にこぼされたようすで、路面に散ったものが濡れながらおびただしく付着しており、行くあいだにもやや肌寒い空気にふよふよただよいだすものがある。梢は甘ったるさをちょっと混ぜこんだ柔和な白の雲めきがくずされて、葉の軽い緑もすこしずつあらわれだしている。毎年この時期に書いているけれど、桜は満開の豊満よりも、それがくずれて、花びらの白、萼なのかなんなのかわからないが花弁の土台となっていた部分の紅色、それに葉のあかるい緑が同居する時期の混淆態がいちばん好きだ。先日の金曜日に髪を切りに行ったときにも、Y駅に続く南北の道の中学校の付近では、通りの左右に桜木がならんで、道路を見通せば車道の頭上をメレンゲめいたかたまりが、ほんのわずかにピンクをひそめた白さでふくれあがって埋め尽くしているありさまで、車もひともみなそのしたをくぐっていくような具合なのだが、それはそれでべつに悪くはないけれど、そんなあからさまに単色と物量で来られても、みたいな、そんなむやみに浮遊性の幻想感を演出されても、みたいな感じもちょっとおぼえた。病院前の路上に貼られた無数の花弁は点描めいて、かさなって色を混ぜてちょっとだけ厚くなっているところなどじっさい絵の具の質感とみえて、白さを保っているものもありピンクの濃くなった部分もあり、ひとに踏まれて土気を混ぜたらしくすこし汚く沈んでいるところもありがアスファルトをところせましと彩っており、これはこれで興だった。なんだったら木のほうよりも興だった。