きょうは二時ごろ実家を発って、ふたたび母親の車で送ってもらった。T駅南の通りのとちゅう、S予備校のまえで降りる。図書館に行くつもりだった。通りをちょっと西へもどる。右折する。快晴。ひとも多い。リュックサックはやや重い。てくてく行って階段から高架歩廊へ。駅舎内コンコースの人混みに気後れしたのでそちらは避けて、左のほうにある南北連絡通路へ。その左側はガラスの壁で、果てはひかりの降下の向こうでうっすらしている西の山までのぞき、ちかくは周辺の線路やその合間に生えた緑や茶色の草たちや、ひとびとが電車を待っているホームを見下ろすことができる。ゴムっぽい薄緑色の上着を制服としてまとった掃除の女性がガラス壁に寄り、手に持ったトング的用具で道の端に落ちていた何かを取ろうとしたが、くりかえし挟んでもうまくつかめず、じきにトングを手すりにかけてしゃがみこんでいた。北に抜けると駅前広場にはひとのながれがいっぱいで、そうするとからだに緊張が生まれて、いままさにじぶんの心身が明確にストレスを感じているということがわかる。太陽は電気屋のはいっていてたぶん上層は住居になっている高層ビルにかくれており、その縦線に接した空は真っ白で、あるくうちに太陽も出てきて一気につやめき、みれば右手の路上はひろい日なたのなかでカップルなどがベンチに座っており、足もとは頭上の屋根の影がいくらか伸び出ている。モノレール駅を過ぎて道沿いに進み、右に折れてまっすぐ。さらに左折。そうすればその先が図書館のビル。火曜ってどこかの週は休みじゃなかったっけとおもっていたが、みえてきたビルの入り口にひとの出入りがあるのでやっているらしいと判断する。すれ違うのは近間の高校の生徒が多い。図書館にはいると新着図書を瞥見し、フランス文学の棚へ。ユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』を来月の読書会で読むことになっていて、いまそんなにガンガン読めないし、そろそろ読みはじめてちびちびやっておかないと間に合わないというわけで、図書館にあるか見に来たのだ。ここでユルスナールに目を留めた記憶がなかったのだが、ふつうにあった。ハドリアヌス帝と、白水uブックス版の『東方綺譚』もあったので、それも借りることに。両方とも多田智満子訳。ほか、ユルスナールコレクションのたぶん最後の三冊だろうか、なんかAくんに前聞いたところでは自伝みたいなやつだとおもうのだけれど、その三冊と、岩崎力訳の『アレクシス とどめの一撃』があった。二冊を手に持ち、ついでに「Black Is The Color of My True Love's Hair」のために砂漠関連の本見ておこうと地理のほうに行き、アフリカの紀行のコーナーとかみる。サハラについての本を確認。ただ、漠然とサハラ砂漠をおもっていたけれど、べつにそこに限る必要はない。ゴビ砂漠でもタクラマカンでもコロラドでも中東あたりでもオーストラリアでもいい。サハラあたりのものでなんかちゃんと具体的な記述がありそうな本はやはり少ない。いっそ地理総記みたいなくくりで、砂漠という土地についての本とかあればよかったのだけれどそれもない。ただそのへんに世界探検全集みたいな、シリーズ名はわからないが、スヴェン・ヘディンのゴビ砂漠探検記とか、砂漠は措いてその他いろいろ充実しているのが何冊も揃っていて、ヘディンのそれは読んでみてもいいのかもしれないし、ほかのもけっこう読みたい。ついで文化人類学と民俗学の棚も見ておいたがここもあんまりという印象。ただ、民話伝説のところでアフリカのやつがあったのは読んでおいてもいいかもしれない。あとはやはり砂漠が出てくる小説を参考にするかだが、砂漠を書いている作家を知らない。エジプトのナギーブ・マフフーズとか書いてんだろうか?
 二冊を借りて退去。帰路、駅から北へまっすぐ伸びる通りの脇から横道にはいっていき、そうするとその目抜き通りの交差点から東の地点に至る。その北側で横断歩道に止まる。右をみやれば大通りに満ちた車のことごとくが真白い光の球をボディのどこかしらに、主にあたまの先端に乗せていて、走っているとある地点を境にそれが一挙にふくらんで勢力をつよめ、その後ちょっと落ち着いて、横にすべったあと、車は立体交差のほうへ曲がっていく。渡ってその立体交差を通っても良かったのだが、車の音がうるせえし、東にながれて線路の下を南へ抜けることに。道沿いにある小さいバーみたいな飯屋のカウンター席にたぶんスタッフらしい男性がかけて暇そうにしている。周辺には白と赤の建材が組み合わされた電波塔がふたつそびえており、ちかくで見上げると子どものおもちゃをそのまま巨大化したようなあの威容はなかなか独特なものだ。なぜ赤と白の二色で、部分部分できっちり色を分けてつくられているのか? 単にデザインの問題なのか? 背後の西空は雲がおおきくて満々とひかりを受けていたが、行く手の東はほそく淡い、ほとんど空に同化してうす青いものが低みにちからなく引かれているだけで、空の色ももはや役割は果たしたといわんばかりに落ち着いた水色に休まっている。