きのう、八時台に起きていって居間で食事を取ったとき、南窓のカーテンは開いており、ガラスの向こうの眺望があらわれていた。近間の屋根とか電線とかを越えた先、川のながれ自体はみえないがその向こう岸の林がはさまり、川向こうの地区の家屋根もいくらかのぞいていちばん果てに、山が窓のなかを横にひろく占めている。緑色はうすいところ濃いところあるがいずれくすみがつよくて初夏の青々とした充溢はまだまだで、なかに山桜のほのかな色が差し入っていたり、藤がもう咲くものなのか知らないけれど、対岸のいちばん手前にある寺のあたりにそれらしき色の縦すじもみえたりした。山といってもとくにうつくしくもなく、高くもない。風景としては平々凡々なもので、名勝や明媚の感はちっともない。実家のいいところはこうして居間にいながら視線を窓のそとのひろい空間に伸ばせることだなとおもった。視線が伸びれば気分もあきらかにすこし伸びやかになるし、応じて体感もちょっとほぐれる。
二時ごろ母親の車で地元を発ち、Fまで来たあたりで、あそこに整骨院があるでしょ、といわれた。目がよくないので表示がよくみえなかったのだが、あそこがむかしは喫茶店で、お父さんのまえに付き合ってた彼氏とよく会ってた、という。そもそも父親のまえに恋人いたのかというはなしだったが、母親は直後に、その彼氏のことではなくてさらにそれよりまえ、たぶんNにつとめだしてまもないころに、先輩が紹介してくれるということで会った男のことを語りだした。Y沿いのピザ屋に行ったら、「きみって顔が丸いんだね」といわれて、「なんだこいつ」とおもったという。母親はたしかに若いころは顔が丸くて、こちらが生まれたころなんかもまだ丸く、いまはかなりほっそりとした人相になっているじぶんもおさないころはその丸顔を受け継いで可愛らしい幼児だった。うら若き母親はその丸顔を気にしていた。紹介されてはじめて会った男がいきなりその気にしている容貌を指摘してきたので、「なんだこいつ」とおもって先輩にはことわりを入れたという。馬鹿な男だなあとこちらは笑いつつ、あれじゃないか、ピザが丸いからそれをみてそうおもったんじゃないか、と言うと母親も笑った。それでそのつぎの、こちらは正式に付き合った彼氏について聞いてみると、なんだったか、バドミントンクラブ? だったかわすれたけれど、当時はたらくかたわらそういうサークルに出入りしていたらしく、そこで知り合ったらしい。三年くらいつづいたと言っていたか? まじめなひとだったという。なんで別れたのかと聞けば、なんか次第に、自然消滅、ということだった。兄が生まれたのが母親が二五歳だか四歳だかのときなので、二四歳ごろには父親と付き合っていたとかんがえていいだろう。それ以前なので二〇代前半だ。母親は高校を卒業すると車の免許を取ってはたらきだした。とにかく車に乗りたかった、という。それで車でHのほうまで通っていたこともあったといったか。Nでどういう仕事をしていたのかはそういえばいままで聞いたことがない。事務だったのか、売り子だったのか? 父親はさいしょは整備士として入ったはずだが、どういう出会いだったのかも聞いたことがない。
おまえはだれかいないの? と聞いてきたので、ぜんぜんいない、とこたえ、めぐり合わせにまかせるといういつものことばをかえしておいた。