きのうの出勤路。午後五時。雨はすでに止んでいたので、傘を持たなかった。裏を通り抜けていって街道を行く。中学生の下校時間。右側、対岸で、女子のひとりが奇声をあげていた。きょうはいつも裏にはいる老人ホームの角を過ぎてしばらく行く。白く小粒な丸っこい花がやたら群れなして垣根をなしている一軒がある。スズランだとおもっていたのだが、スズランなんて垣根にできる植物なのだろうかと疑問をおぼえていま検索してみたところ、これはスズランではなくてドウダンツツジというやつかもしれない。桜を過ぎてツツジの時季だ。日曜日、母親の車で実家に向かうあいだにも、ときおりツツジのよく咲いているのを窓のそとに見かけていた。T高校から出てきて渡った位置から裏道へ。丘の緑はまだらだが、新緑の色がだいぶ増えて軽やかなあかるさをしばしば挟んでいる。やはり日曜日の車のなかでも丘を見てあかるくなったなとおもったし、居間の南窓からとおくに見える山の印象も同様で、一週間前はまだこんなにみどりしていなかったとおもう。いまさっぱりとした緑色を塗られている部分は、一か月前にはまだほとんど枝のままで、エアブラシを吹きかけたようなおぼろな質感が何色ともつかず煙っているのみだったはず。常緑の連中はまだまだ暗く重いがそれでも色味を増してきている。裏通りのところどころには駐車スペースがある。そのうちのひとつに真っ赤な車が一台だけぽつんと停まっており、道路近くの手前は老残に白っぽく枯れたやれ茎がわだかまっていて、車の向こうで線路を上に乗せた短い土手の斜面はやはり明緑の草におおわれている。Oを越えてまもなく、左手、家の並びの向こうに、明暗の緑が同居したなかに熟しすぎたシソのような臙脂の葉の木が交わった一帯がある。H産業のひとが住んでいるとおもわれる家の脇から入っていくと小さな踏切りがあってその先なのだが、入っていったことはない。その家は駐車場と倉庫置き場を兼ねたようなスペースに接しており、そこにひとつ見上げる大きさの、梢が上下にも横にもたいそう広い広葉の大樹があって、むかしからさまざまな比喩やさわやかな葉鳴りをこちらに提供してきてくれた。やはり緑のみずみずしくなってきている葉叢は泡立つような感触で、内側のほうには茶色く変色した葉もけっこうあり、それが地に落ちてそのへんに転がっている。このとき、風はない。揺れや音はない。過ぎていきながら線路の向こうの樹木を見たり、やや遠くに視線を伸ばして山のほうの木々を見てみても、緑がすすんだなというおなじ印象をくりかえすばかり。頭上ではツバメがたくさん飛び回っている。羽根と尾をしっかり伸ばした、式神の札のようなシルエットで滑空し、電線に止まって鳴き声を落とすのがしばしば見られる。花屋の隣の一宅からやたらと声が立っていたのは、軒に巣があってそこの雛が鳴いていたのだろう。空は雲がそのまま地となった一面の白。