日曜日、夜九時ごろギターを二回連続で弾いて録った。それが56番と57番。一度目をやっているあいだに父親が帰ってきていたようで、祭り関連の会合でYで飲んできたので酔っ払っており、いくらか荒いような声が上階に聞こえた。母親はたびたび、きょうもまた、きょうもまた、と頻回の飲み会に文句を漏らしており、「ベロベロになって」帰ってくるのがいやだと言っている。二回目を弾いているとちゅうで父親が下階に下りてきて寝室に行った。いつもそうなのだが、なにかしら文句めいたトーンでぶつぶつと独り言を言いながら、階段を下りたり部屋に入ったりし、部屋に入ったあとは寝床に横になっているはずだがそこでもよく独り言を漏らしている。携帯でラジオだかポッドキャストだかなにかの音声を流していることが多い。それで、あんまり大きな音を出しても悪いかとおもって、二回目のとちゅうからはしずかな演奏にした。
 それで一〇時。ギターをとなりの兄の部屋にかたづけて、自室のベッドで休んだ。窓を細めに開けた。雨が降っていた。ひどく落ち着いた。目を閉じてじっとしていると気持ちが良かった。いったいなんだろうなこの時間、この時空は、とおもった。なんだろうなというか、どこなんだろう、というか。時刻としては午後一〇時くらいなのだが、そんな数的区分がほんとうになんの意味もなさないような感じで、場所としても、自室のベッドにいることはわかっており、目を閉じているとはいえあたりのようすも思い浮かべようと思えば浮かべられるし、父親の声や、上階で母親のうごく気配が立ったりなくなったりするのも伝わってくるものの、それらは単に知的な理解としてそうとわかっているというだけのことで、この時空そのものの質感とはなんのかかわりも持っていないかのようにおもわれた。じぶんがたしかにいまここにいるには違いないのだけれど、そのいまここがどこなのかわからないというような、じぶんが存在していることが不思議になるような感じだった。そして例によって死をおもう。むかしよくあったのと同様、いつか死ぬなあ、とおもうだけで、それ以上はなにもない。感情も生まれないし、死ぬからどう生きようということもないし、じぶんはいつか死ぬという事実を漠然とおもうだけ。そうして雨音にひどく落ち着いており、リラックスしていて気持ちがいい。
 その後、アイロンかけをしようと上階へ。母親がテレビを見ており、『ミス・ターゲット』というドラマがながれていた。男がなにかの建物のまえで立って待っているところに、すこし可愛い子ぶったような声で「むねはるさん」と呼ぶのが聞こえて、待ち合わせ相手の女性があらわれる。男性はストライプの入った真っ青なスーツを着ており、ネクタイも翡翠の色味を弱くしてつやを落としたような薄緑色で、ずいぶん洒落た格好してんな、きれいな色だなとおもって口に出した。アイロン掛けをしながら見るともなしに最後まで見たが、とくにおもしろくはなかった。
 実家ではまた新聞も読んで、一面と二面をいくらか読み、国際面から書評欄まではアパートに持ってきたのだがまだ読んでいない。一面は自民党の政治資金規正法の改正案についてがトップというかいちばん右でおおきな扱いになっており、悪質な不記載があった場合は同額を国庫納付とするとか、いまの規制法では会計責任者への議員の責任に関して、「選任」と「監督」の両方で責任が認められなければ罰則に問えないらしく、公明党がどちらか一方でも議員の責任が認められれば違反とできる案を出しているのに自民も同じる方針とかあった。真ん中は團伊玖磨という作曲家の新資料が見つかったという報。左はリチャード・ハースというひとが二面にまたがって寄稿していて、今年の米大統領選にまつわって三つの危機の局面があると述べていた。ひとつは一一月の投票日まで。ひとつはそこから一月の就任まで。さいごのひとつは忘れたが、とうぜん大統領就任後ということになるはず。いま米国では下院の共和党の反対でウクライナ支援法案が可決できず、停滞しているらしい。また、バイデンが打ち出した南部国境の治安対策を強化する法案も共和党が反対して頓挫したというのだが、記事によれば、これはドナルド・トランプが、移民が多く流入したほうがバイデンへの支持が下がる、と信じているかららしく、共和党の議員たちはその意向を反映して反対行動に出たようだと観測が述べられていた。これはおかしな話だとおもった。「移民が多く流入したほうがバイデンへの支持が下がる」ということは、バイデンの治安強化案は、具体的な内容はわからないが、とうぜん、移民の流入数をいくらか減らすような効果を生むものだということだろう。だったらそれはまさしくトランプが望んでいた方向であるはずだ。まあ現状、とにかくもう一度大統領になりたいだろうから、(「移民が多く流入したほうがバイデンへの支持が下がる」という考えの信憑性はともかく)敵失を狙うというのは戦略としてはとうぜんではある。また、トランプとしてはもっと大規模に移民を排斥したいだろうから、バイデンのやりかたは甘っちょろいと見えるかもしれないし、大統領になってじぶんの手柄としてそれを敢行したいとおもうようなメンタリティの持ち主でもあるだろう、おそらく。しかしそれにしても、結局トランプにとっては、アメリカがどういう国かとか、どういう国であるべきかとか、移民がどうとか、本質的にはたぶんどうでもいいんだろうなという印象をおぼえた。ハースいわく、大統領選が接戦だった場合、結果への異議申し立てが起こる可能性が高いと。トランプが負けた場合はなおさらそう、というか、確実に起こるだろう。そうなると米国はその分断でゴタゴタするわけで、一般に国内のこうした問題でごたついている国が国際的に適切な影響力を及ぼすことは難しくなる、ということで、その機を狙って米国に敵対的な勢力がなんらかの動きを起こすかもしれない、と言われていた。もちろん、中国を念頭に置いているだろう。
 二面にはイスラエルがシリアのイラン大使館を攻撃したことに対するイランからの報復を受けてさらに行った再報復について報じられていた。イラン中部にイスファハンという町があり、その近郊にナタンツというところがあって、そこにある軍事施設だかを守るための防空レーダーがミサイル三発で攻撃されたという。ただこの情報を伝えているのは主にアメリカの消息筋とメディアで、イスラエルもイランも公式にはイスラエルからの攻撃があったと認めていないらしい。ただ、無人機による騒動があったということはイラン側は口にしているらしく、外相が、「無人機というより、子どものおもちゃのようなものだった」と発言したと記事にあったのだけれど、え、これはイスラエルを煽ってるんじゃないのか? とおもった。ぜんぜん大したことのない出来事で、何の心配も問題もない、という文脈だったとも考えられるけれど、ふつうに挑発的な発言のように聞こえる。
 日曜版の「旅を旅して」の連載はいつもなかなかおもしろい。今回は奈良県橿原市の今井町というところについてで、伊藤ていじという建築学者で工学院大学の学長も務めたというひとの八二年だったかの文章を一節引いていた。五〇年代に東大の助手だったときに調査でこの町をおとずれて、今西家住宅という特異な民家に出会い、伊藤のはたらきもあって五九年だったかにこれは国の重要文化財に指定されたと。ふつう民家というのは外観は質素にしながら内装に凝るものらしいのだが、この今西家は民家にしては「突っ張りすぎている」というようなつくりだったらしく、自由な精神のあふれている時代につくられたものだと感じた、みたいな伊藤のコメントが引かれていた。今井町というところはもとは寺内町で、江戸以前の中世期の街並みと江戸期の建築様式が残っているみたいな評価で貴重らしく、もともと自治都市だったのを織田信長に服属したものの、堺と並び称されたという。よそから来たひとはよく「ひとに教えたくない町」と言いながら帰っていくらしく、地元出身者や記者の感慨としても、ほかの地域や町と空気がぜんぜん違うと。写真を見るかぎりたしかによさそうで、ちょっと行ってみたい気はした。