2017/11/26, Sun.

 床に就いたのはもう夜明けも近い午前四時五〇分とかなり遅くなったのだが、そこから四時間ほど経った時点で一度覚めていたらしい。ふたたび眠りに入って、次に覚めたのは一一時台の後半だった。正午も目前だが、消灯の時間を考えると思いのほかに早い。前日、一年前の日記を読み返していると、この一年後と同じように眠りの長さや寝起きの悪さに悩んでおり、そこでは布団に入ってから入眠までのあいだに深い呼吸を繰り返すという方策を実行して、それなりの成果を得ているようだった。いつの間にか習慣が途切れてやらなくなっていたこの技法を、それではまた試してみるかとこの夜に行ったのだったが、やはり深呼吸というのは効果があるのかもしれないなと思った。思えばパニック障害の時期だって、とにかく不安を少しでも和らげ、発作を遠ざけるために、四六時中ゆっくりと深い呼吸を心掛けていた覚えがある。睡眠は時間にすると七時間一五分と、ここのところでは一番遅く眠ったのに一番短くなった。
 起床後の瞑想も入眠時と同様に、とにかく呼気を吐ききることに重点を置いて実行し(ヨガの呼吸というのは多分こういうものなのではないか)、すると二三分の長きを座ることになった。そうして上階に行くと、(……)おでんを温めているあいだに、前日に買ってきた納豆を一つ取り出し、酢と大根おろしを混ぜて用意し、諸々揃えて卓に就いた。新聞の二面に、エジプトのテロの続報が載せられていた。「エジプトテロ 襲撃時「イスラム国」の旗 死者305人、軍は報復空爆」と言う。それを読み、そこから国際面に移って、そこに並べられた記事のほとんどを読んだ。「過激派 標的拡大か エジプトテロ 神秘主義者が礼拝 異例のモスク襲撃」とこちらにもエジプトの事件の関連記事があり、ほか、「クルドに武器提供停止 トルコ「米大統領が伝達」」、「独、大連立維持を模索 メルケルSPD党首と会談へ」、「ワールドビュー: 欧州ポピュリズムの底流」である。あいだに、ドナルド・トランプが米誌「タイム」の「今年の人」を辞退したとあるが、これはまったくもってどうでも良い情報だと思った(しかしそのように、「どうでも良い」と思ったということを記憶し、メモに取り、書き記すことができるということは、「どうでも良い」というのもまた一つの差異なのだ。本当にどうでも良く、自分の脳がまったく関心を抱かない事柄を記すことはできないだろう)。さらに続けて二面に戻って、「基礎控除10万~15万円増 政府・与党調整 高所得者は段階的縮小」という所得税改革についての記事をも読んだ。毎週日曜版に設けられている書評欄は仔細には見なかったが(新聞の書評は、普段自分が触れないような書物を知るにはいくらか役に立つが、そこに寄せられている文を面白いと思ったことは一度もない)、ちょうどこの前日に図書館の新着棚に見かけた神崎繁『内乱の政治哲学』を納富信留が紹介していた(「神崎繁様」と冒頭に宛名を置き、一年前に亡くなった著者に対して二人称で呼びかけるという趣向を取っていた)。
 新聞に切りを付けると一時一五分くらいだったらしい。立ち上がって洗い物をし、風呂桶も擦ったのち、緑茶を持って自室に下がった。何とはなしに気分が良いような感じがしたのだが、これも深呼吸のために良く眠れたということなのだろうかと、半ばこじつけ気味にそう思った。しかし、日付上で一二月二日に入った現在、この数日の体感を顧みるに、ゆっくりと吐ききる呼吸を意識することで心身にいくらかの作用が働くことは確かだと思われる。まず端的に、心が落着くようになり、この日記にもたびたび書きつけていることだが、他者や外界に対して折々覚える不安や緊張のようなものが薄くなった(それが完全になくなるわけではない)(また、自分においては、こうした方面から見るその日の心的安定性は、道を歩いている時にすれ違う相手にまっすぐ遠慮なく視線を向けることができるかとか、通りがかりに行き会った知人と話す際の言動のリズムや声の高さといった点から容易に測ることができる)。さらに、深い呼吸によって血液が良く巡るようになるのか、あるいはこれもセロトニンなどの脳内物質の分泌による効果か知れないが、全体として肉体もほぐれて軽くなるように感じられる。それにしても、このような技法の実践に現れる自分の執心、「常に落着いた心持ちでいたい」「不安や緊張というものを微塵も感じたくない」「いつも万全の精神状態でありたい」というような願望は、それ自体がまさしく神経症的ではないだろうか?(「苛立ちという感情の存在自体に苛立つ」という心的傾向も、この性質と軌を一にしたものだろう) 一種の完璧主義とでも言うべきなのかもしれないが、こうした性向をこちらが身につけたのも、やはりパニック障害という経験ゆえであると、これは確かな実感としてそう思われる。実際、こちらが自分の現在時点での「体調」、その瞬間瞬間における心身の調子を生活の折々に確認する癖を習得したのは、パニック障害に対抗するそのなかでのことである。それは勿論、発作に対する恐怖心がそうさせたのであって、「習得」などと言うと何かポジティヴな能力を意志的に身につけたかのような響きがあるが、そうではなく、自分はいま疲れていないか、身体が凝ってはいないか、気分が悪くはないかという風にして、こちらが気づかないところから発作が忍び寄って来ている兆候を見落としていないかと、自らの状態を「監視」せざるを得なかったのだ(パニック障害という疾患の内に長期的に巻き込まれれば、誰でもそうなるのではないかと思う)(「監視」「見張り」(より広くすれば「観察」)というのは、ヴィパッサナー瞑想の実践のなかに含まれているはずのテーマであり、また、言うまでもなく、フーコー的な主題の一つでもある。と言ってこちらは『監獄の誕生』をまだ読んでいないので確かなことは言えないのだが、自分の体験と結びつけて予想するに、おそらく、「監視」という主題はフーコーの権力論と主体論を接続する蝶番の一つなのではないだろうか。つまり、「監視」という活動においては、「視線」のうちに対象を(その行動様式や心身[﹅2]の働き方を)変容/変形させるような「権力」が含まれているわけだが、主体は自らに絶えず「視線」を差し向けることによって、すなわち自分自身に対して「権力」を作用させることによって、主体そのものの存在様式を変容させていくことができる(そのようにして時には、外部から迫ってくる望ましくない(抑圧的な?)「権力」に抵抗/対抗することができる)というようなことが、そこでは考えられているのではないか。パニック障害を患って以来自分が実践してきたのも、結局はこういうことだったのではないかとまとめられるようにも思われる。こうした文脈における「書くこと」や「ロゴス」の位置づけや、こちらの神経症的性向の方向転換(?)についてなど、まだ考えるべきことはあるが、しかし既に一二月二日の深夜二時半前に至っており、疲れも高じてきたので、ひとまず今日はここまでとしよう)。
 その日の生活を記録するのみでなく、上のように、連想される思考を書き付けていては、要するに現在の時点からの「注釈」を付してばかりいては、日記の記録がいつまで経っても生活そのものに追いつかないのは必定である。ロラン・バルトが「省察」と言って、日記というものが「作品」たりうるのかということを考察した文章(『テクストの出口』に収録されていたはずだ)のなかで、もしそうしたいのだったら、人は(あるいは「私は」だろうか)非常に熱心に、必死になって、それこそそれしか見えないくらいにその営みに没頭しなければならないだろう、というようなことを結論として述べていた覚えがあるが、要するにそういうことなのだ。「日記」と称されているこのテクストを本当に(十全に)「書こう」と思ったら、自分の生活の大部分はそれに占領されてしまうことになるだろう。本を読むこともできず、ほかの種類の文章を書くこともできず、その他諸々の活動もできなくなるわけだが、さすがにそれはこちらとしても困る事態だ(一応こちらは、いつか「小説」を作りたいという願望をまだ持ち続けている)。このテクストは、もっと気楽に、毎日無理なく続けられるという種類のものであるべきなのだ(何よりも重要なのは、「毎日続ける」というその一点である)。そうでなくては、明らかにいつまで経っても小説作品を拵えることなど出来はしない。「思考」や「注釈」の類を書きつけるにしても、それが自分の頭のなかでどの程度明晰な形を成しているのか、いま書き付けておくほど「確かな」ものとなっているのか、という点を見極めるべきだろう(自分のなかで「確かな」ことが記録できればそれで良いのだ)。基本的にはやはり、「過去(記憶)に付く」こと、これが肝要だろう(しかし、この段落全体の記述がそもそもそうした方針を裏切るものである)。
 自室に下りたあとは、日記の読み返しをする(二〇一六年一一月一八日金曜日及び一九日)。その後、この日のことをメモに取り、上階に行くと取り込まれた服にアイロンを掛けた。テレビには、『マツコの知らない世界』が映っていた。アイロン掛けを終えたあともソファに就いて、ローカルな各地域のパンだとか、世界の護身術だとかが紹介されるのを眺めて少々笑った。そうして自室に戻ったが、さて次に何をしようかと立ち迷うところがあり、決められないままに隣室からギターを持ってきて弄びはじめてしまった。例によって適当に鳴らすだけなのだが、結構長く没頭してしまい、四時前に至る。Oasisのファーストアルバムを掛けながら、運動を始める。身体をほぐすと、他人のブログを読み、その後、『ダロウェイ夫人』から気を引いた部分を抜き出して記録しておいた。
 五時を過ぎると室を出て台所に行き、紫玉ねぎを隼人瓜を洗面器様のトレイのなかへスライスしていった。ほか、茄子とブナシメジを合わせて炒めることにした。(……)炒め物はバターと醤油で味付けをして、料理ののち、ストーブの石油を補充しに外に出た。タンクを持って勝手口のほうへ回る。あたりは空間全体が濃淡さまざまな墨色で塗られ、満たされている。二つのタンクをいっぱいにすると屋内に持ち帰り、自室に下がった。空腹が差し迫っていたが、ふたたび『ダロウェイ夫人』の記録を始めて、そうすると熱が入って七時過ぎまで続けることになった。思考がうまくまとまらず、その形が良く見えないので一旦区切り、食事を取りに行った。
 煮込みうどんを食べたいという気分になっていた。それで鍋に湯を沸かし、合間に玉ねぎと白菜を切る。生麺をさっと湯がいて、新しく水を火に掛け、麺つゆと粉状の出汁と味の素を加えると、野菜を投入した。その上から生姜をふんだんにすりおろして、野菜が煮えるのを待つあいだに、丼に卵を溶いておく。具合の良い時点で麺を入れ、ちょっと経ってから卵も垂らして、完成とした。丼から零れそうになるくらいに盛られた上にさらに大根おろしを乗せ、ほか、先ほど炒めたものなどを用意して卓に就いた。テレビ番組やウツボカズラや、以前シンガポール土産に貰ったその置物などについては割愛する。
 食後、入浴に行き、上がって室に帰ると緑茶を飲みながらインターネットを回った。この時、官足法のスレを眺めたが、有用なあるいは興味深い情報は特に見当たらなかった。官足法というのは、脚を揉みほぐすことで体調を整え、健康を保とうという養生法のことで、こちらが自室内で良くゴルフボールを踏んでいるのも、その手軽な実践形態の一つということになるだろう。官足法を非常に熱心に実行することで病気が治ったとか癌が消滅したとか、そのような噂が流通してもいるようだが、そこまで行くとさすがにこちらには胡散臭く思われ、仮にそのような体験をした人がいても治癒にはほかにも要因が重なっていたのではないかと推測するものだが、しかし血行が良くなるのは確かではないか。もっとも、「血行が良くなる」というのも考えてみるといまいちどういうことなのか良くわからないようでもあるのだが、疲労感が軽くなるというのは体感として確かに感じられるので、病気がどうのこうのと大袈裟なことを言わなくとも、その程度の効果が得られれば十分だろうと落とした。
 その後、ふたたび『ダロウェイ夫人』の記録を行い、続けて、武田宙也『フーコーの美学――生と芸術のあいだで』の書抜きも大変久しぶりに行った。読み終えた本の書抜きを全然できていないというのは、最近の懸案事項の一つではある。そうして瞑想をしてから音楽を聞き出したが、眠気と疲労が散っておらず、目を閉じて耳も塞いでいると意識がぼやけてくるようで、音も明晰に聞こえてこないので、三曲で切り上げた(Bill Evans Trio, "All of You (take2)", "My Man's Gone Now"、Nina Simone, "I Want A Little Sugar In My Bowl"(『It Is Finished - Nina Simone 1974』: #5))。かと言って眠る気にはならず、それから書き物に入る。二三日の記事を仕上げ、この日のメモを取って一時四〇分、さらに二時二〇分まで二四日の記事を進めたあと、『ダロウェイ夫人』を読んだ(二一四頁から二二四頁まで)。瞑想をして三時半に就床である。


ヴァージニア・ウルフ土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』光文社古典新訳文庫、二〇一〇年

●126
 「(……)そのとき十五分の鐘が鳴った。十二時十五分前の鐘が」

  • 現在時の指定。


●135
 クラリッサは、「(……)要するに女らしい女だったということだ。どこにいても自分だけの世界を作り上げるあの才能――あれが女の持つ力でなくて何だろう」(ピーター・ウォルシュ)


●137
 「結婚生活で起こりがちな悲劇の一つだ。夫の二倍も頭のいい妻が、夫の目で物事を見るようになるんだから。自分で考える頭がありながら、口を開けばリチャードの受け売りをするんだから。リチャードの考えなど、朝にモーニングポスト紙を読めばすむことではないか。パーティにしたところで、すべてはリチャードのため、クラリッサの思い描くリチャードのためだ(客観的には、ノーフォークで農業をやっているのが一番なのに)」(ピーター・ウォルシュ)

  • 「パーティの動機」に対する、(クラリッサ自身とピーター・ウォルシュのあいだの)見解の相違。212でクラリッサ自身は、「わたしはただ生きたいだけ」、「だからパーティを開くの」と述べている。そして「パーティを開く」ということは、彼女にとっては「捧げ物」という言葉で表現されるような実質を持つ(しかし、この語が表す意味の内実は(クラリッサ本人も認めている通り)あまり判然としない)。


●138~139
 「それでいて懐疑主義なんだから奇妙だ。それも、めったにお目にかかれない徹底した懐疑主義ときてはな。わかりやすさとわかりにくさが同居するクラリッサ。(……)神々などいない、誰が悪いわけでもない――そう思うようになって、善のために善をなすという無神論者の宗教が生まれた」(ピーター・ウォルシュ)


●140
 「ダロウェイの役に立つかもしれないというだけの理由で、食卓の主人役として老いぼれ相手の時間を堪え忍ぶ(……)」(ピーター・ウォルシュ)


●141
 「(……)こうして五十三にもなると、もう他人などほとんど必要なくなる。生きていることだけで十分。人生の一瞬一瞬、生の一滴一滴、ここ、いま、この瞬間、日の光、リージェント公園――それで十分だ。いや、多すぎるとさえ言える」(ピーター・ウォルシュ)

  • クラリッサとの類似(現在の「瞬間」に対する志向性)。→ ●21: 「わたしが愛するのは目の前のいま、ここ、これ。タクシーの中の太ったご婦人」 → ●214: 「わたしがこのすべてをいかに愛しているか、世界中の誰も知らない。この一瞬一瞬を……」
  • しかし、クラリッサは生の一瞬一瞬を「愛している」が、ピーター・ウォルシュはそれに対して愛を抱いているとは述べていない(それで「十分」あるいは「多すぎる」とだけ言っている)。また、ピーターの場合、こうした心境を抱くようになるには、加齢が条件として必要だった(「こうして五十三にもなると」)。


●147
 「レーツィアは、何週間もひどく不幸だった。起こること起こることに暗い意味づけをし、ときに善良で親切そうな人を路上で見かけると、呼び止めて、一言「わたしは不幸です」と言いたい衝動に駆られた


●154
 ルクレーツィアは、「悪趣味や過剰な装いを目にするとけなしたが、辛辣に言い募るというより、むしろ手の動きでいらいらを表した(まじめに描かれていても明らかな駄作を見た画家が、いらいらとそれを遠ざけるときの手の動きに似ていた)」


●165~166
 「いまちょうど十二時。ビッグベンが十二時を打った。(……)十二時の鐘が鳴ったとき、クラリッサ・ダロウェイは緑のドレスをベッドに置き、ウォレン・スミス夫妻はハーリー通りを歩いていた。十二時が約束の時刻だ。たぶん、灰色の車が止まっているあそこ、あれがサー・ウィリアム・ブラッドショーのお宅ね、とレーツィアは思った。鉛の同心円が空気中に溶けていく

  • 現在時の指定。
  • 「クラリッサ・ダロウェイ」の三度目。
  • 「鉛の同心円が空気中に溶けていく」の反復(三度目)。 → ●13: 「ほら、始まった。まずは警告、これは音楽的。そして時報、鳴ったら取り消せない。鉛の同心円が空気中に溶けていく」 → ●88「半を告げるビッグベンの音が降り注いでくる。鉛の同心円が空気中に溶けていく


●180
 「ハーリー通りの時計という時計が六月の一日をかじりとっていく。(……)やがて時間の山がほとんど侵食されつくし、オックスフォード通りのある店の上に設置された店舗用時計がやさしく、親しげに、一時半を告げた(……)」

  • 「六月」への言及。
  • 現在時の指定。


●182
 「ヒューの親切は忘れられないもの。ほんとうに驚くほど親切な人。いつ、どう親切にしてもらったかはもう忘れたけれど、とにかくヒューはとても親切な人」(ミリセント・ブルートン)


●183
 「他人を切り刻んで喜ぶ、クラリッサ・ダロウェイみたいな人の気が知れない」(ミリセント・ブルートン)

  • 「クラリッサ・ダロウェイ」の四度目。


●186
 「その意識は男相手の昼食会などよりずっと深くを流れ、レディ・ブルートンとクラリッサ・ダロウェイを特異な絆で結びつける」

  • 「クラリッサ・ダロウェイ」の五度目。


●195
 レディ・ブルートンは、「眠りはしなかったが、気だるく、眠かった。この六月の暑い日。太陽に照らされたクローバーの野のように、気だるく、眠かった」

  • 「六月」への言及。


●205
 「これが幸せだ、とディーンズヤードに入りながら声に出した。ビッグベンが鳴りはじめた。まずは警告、これは音楽的。そして時報、鳴ったら取り消せない。昼食会があると午後が丸々つぶれてしまうな――そう思いながらドアに近づいた」(リチャード・ダロウェイ)
→ ●12~13: 「クラリッサには確信があった。ビッグベンが時を告げようとする直前のあの沈黙、あの荘厳、いわく言いがたい一瞬の休止、あの緊張(でも、心臓のせいなのかしら。インフルエンザの後遺症があると言われたし)……ほら、始まった。まずは警告、これは音楽的。そして時報、鳴ったら取り消せない。鉛の同心円が空気中に溶けていく。人はみな愚か者、とビクトリア通りを渡りながら思った」


●210
 「世間は「クラリッサ・ダロウェイはだめなやつだ」と言うでしょう。アルメニア人より薔薇が大切らしいと言うでしょう」

  • 「クラリッサ・ダロウェイ」の六度目。


●212
 「二人とも――少なくともピーターは――わたしが人前に出るのが好きだと思っている。有名人に囲まれるのが好き、大物の名前が好きだと思っている。要するに、単なる俗物ということね。それがピーターの考え」
→ ●136~137: 「はっきり言えるのは、クラリッサは世間ずれした――これだ。地位や階級を気にしすぎ、世俗的な成功に目がいきすぎる。ある意味そのとおりね、とはクラリッサ自身も認めている(……)。(……)クラリッサの客間で出会うのはお偉方に、公爵夫人に、白髪頭の伯爵夫人だ。おれに言わせれば、この世で多少なりとも意味のあるものから恐ろしくかけ離れている連中だが、クラリッサはそこに大きな意味を見る。(……)もちろん、ここにはダロウェイの影響が大だ。公共心、大英帝国、関税改正、支配階級の責務……クラリッサの中でそんなことが大きくなった」(ピーター・ウォルシュ)


●212
 「でも、二人とも見当違いよ。わたしはただ生きたいだけ。
 「だからパーティを開くの」と、クラリッサはに向かって語りかけた。
 こうやって部屋にこもり、何もせずソファに横になっていると、常々当たり前のように感じているが物理的な存在となって迫ってくる。日の当たる通りから立ちのぼる騒音の衣をまとい、熱い息を吐き、そのささやきでブラインドを揺らす」

  • 「生」のテーマ。


●213
 「心の中でもっと深く掘り下げてみたら、わたしが生と呼んでいるものはいったいどんな意味を持っているのかしら。考えると、とても不思議。サウスケンジントンに誰かがいる。ベイズウォーターにも誰かがいる。さらに……たとえばメイフェアにも誰かがいる。それぞれの存在をわたしは絶えず感じている。なんという無駄、なんたる口惜しさ、と思う。みんなを一つ所に集められたらどんなにすばらしいか、と思う。だから、やる。つまり捧げ物結び合わせて、作り出して……でも、捧げる相手は誰? /たぶん、捧げ物をするための捧げ物ね」
→ ●『灯台へ』(御輿哲也訳、岩波文庫)、310~311:
 「[ラムジー]夫人は、これとあれと、またこれと、というふうに実に無造作に結び合わせて、取るに足りない愚かさや憎しみの中からでも(……)、何か大切なものを――たとえばあの浜辺での一場面、あの友情と好意の瞬間のようなものを作り出すことができた。そしてそれは長年月を経ても少しも色あせなかったので、(……)その場面自体がほとんど芸術作品のように、心の奥に宿っているのだった。
 「芸術作品[ワーク・オブ・アート]のように」とリリーは繰り返して、(……)絵と風景をぼんやり見比べながら休んでいると、絶えず心の中の空を横切り続ける昔からの疑問が、またしても頭をもたげてきた。(……)人生の意味とは何なのか?――ただそれだけのこと。実に単純な疑問だ。だが年をとるにつれて、切実に迫り来る疑問でもあった。大きな啓示が訪れたことは決してないし、たぶんこれからもないだろう。その代わりに、ささやかな日常の奇跡や目覚め、暗がりで不意にともされるマッチの火にも似た経験ならあった。そう、これもその一つだろう。これとあれと向こうのあれと、わたしとチャールズと砕ける波と――ラムジー夫人はそれを巧みに結び合わせてみせた、まるで「人生がここに立ち止まりますように」とでもいうように。夫人は何でもない瞬間から、いつまでも心に残るものを作り上げた(絵画という別の領域でリリーがやろうとしていたように)――これはやはり一つの啓示なのだと思う。混沌の只中に確かな形が生み出され、絶え間なく過ぎゆき流れゆくものさえ(彼女は雲が流れ、木の葉が震えるのを見ていた)、しっかりとした動かぬものに変わる。人生がここに立ち止まりますように――そう夫人は念じたのだ。(……)」

  • 「結び合わせる」こと、および「作り出す」ことの一致。そして、これらの共通する語彙は、どちらの作品にあっても、「人生の意味とは何なのか」という疑問とともに登場している。
  • ダロウェイ夫人にとっては、「結び合わせて、作り出」すこととは、「みんなを一つ所に集め」ることであり、それはすなわち、「パーティを開く」ことと同義である。そして彼女にとって、「パーティを開く」こととは、「捧げ物」としての意味合いをはらんでいる。
  • 灯台へ』の記述を総合するに、リリー・ブリスコウの考えによると、ラムジー夫人が実現した「結び合わせて」「作り出す」こととは、「ある一つの(「何でもない」ような)瞬間/場面を芸術作品(=「いつまでも心に残るもの」)にすること」と言えるだろう。それは、「絶え間なく過ぎゆき流れゆくもの」を、「しっかりとした動かぬもの」に変えること、という表現に言い換えられてもいる。
  • 語彙及び主題の同一性を根拠にして、『灯台へ』における論理を『ダロウェイ夫人』のなかにも導入するならば、後者において曖昧だったダロウェイ夫人の「捧げ物」の意味は、「芸術作品化された生の瞬間」というようなものとして措定されることになるだろう。あるいはむしろ、テクスト外の伝記的事実に添って読むならば、『ダロウェイ夫人』(一九二五年)よりも『灯台へ』(一九二七年)のほうがあとに書かれたのだから、前者においては未だ「捧げ物」という判然としない表現で詳細な内実を明らかにせずに提示されていた主題が、後者に至ってより明確な形を持って展開されたと見るべきなのかもしれない。