2017/11/25, Sat.

 一〇時半の時点で一度目覚めて、七時間の睡眠と計算したらしい。カーテンをひらくと陽射しがあって、顔にも多少触れたのだと思うが、しかしやはりどうしても目がひらいたままにならなかった。次に時計の時間を定かに確認したのは一一時五分で、そこから二五分に正式な覚醒を迎えるまでのあいだに夢を見たが、内容はすぐに忘れた。どうにも寝起きが良くならないが、起き上がると脚は軽かったようで、体内の流れのようなものもすぐに回り出すように感じられる。一年前二年前と比べれば、全体として肉体はかなり軽く、確かなものとなってはいる。便所に行ってから瞑想をすると、階段を上った。(……)
 卵とハムを焼いて食事を取る。食いながらいつも通り新聞を読む。国際面からは、「ジンバブエ新大統領就任 平和的な権力移行強調」、「移民社会アメリカ 下 分断の家族」。次に四面に戻り、「退位へ 残された課題 3 「上皇」あるべき姿とは」。さらに二面に移り、「「自衛隊改憲議論 影響も 自民・維新 連携不透明に」、それに接する「モスク襲撃184人死亡 エジプト 礼拝中に爆発・銃撃」、そして最後に、「韓国に「慰安婦記念日」 8月14日 日韓関係 影響も」と辿って、普段よりもやや多く読んだような感じがする。すると、一二時三五分だった。立ち上がり、食器乾燥機の中身を片付けてから自分の使った皿を洗い、さらに風呂を洗いに行った。磨りガラスの嵌め込まれた窓が好天に明るく、外のガードレールの白さが、上下の輪郭を曖昧に広げた筋として横に走っていた。同じような主題(効果)は、ここのところ夜道を歩いていると、街路の端々に設置されたミラーのなかにことごとく見られる。結露で曇った鏡面に街灯や信号の明かりが朧にぼやけて、普通に映るよりも広がりを持って彩っているのが何とはなしに心惹かれるものだ。浴槽を洗い終えると、食後の緑茶を用意する。合間に外を見やると空は澄み渡っていて、晴れやかにひらけたそのなかに、ちょっとものを掠った痕のような曇りが僅かに見える。右上に弧を据えた細い曲線形のそれが、月でないかと思われたが、答えは知れない。
 自室に帰ると(……)を読んだ。すると一時半前で、出かけるかどうしようかと迷う心があった。天気が良いので陽の下を歩きたい気持ちはあったが、どうもやはり、日中ただ散歩するという気にはならず、外出するのなら何らかの目的地もしくは理由が必要なようだった。それで、昨日Nina Simoneを聞いて元ネタのほうも聞きたいと思ったBessie Smithを図書館に借りに行くかと目的を呼び寄せたのだが、それでもまだ迷いが抜けきらなかった。決めきれず、ひとまずギターに流れ、ブルース風に鳴らして二時を過ぎ、洗濯物を取りこみに行った。タオルなどを畳んで戻ってきた頃には、どうせこのような気分が湧いた時でもないとわざわざ外に出ないのだから、ともかくも出かけてみようと心を決めていた。その前に身体をほぐすことにして、この日はtofubeatsでなくて何となくくるり『アンテナ』を掛けて軽い運動をし、その後、また諸々歌を歌ってしまって二時台を過ごした。歯磨きをして街着に着替え、出発する。
 三時も越えると既に陽は薄い。北東のほうに逃げはじめており、空には雲も結構多いのだが、坂の入口あたりにぼんやりと淡い日なたが置かれてはいる。楓は内側を覗いてももう橙の色も少なくなって、注視しながら前を歩くと、空を背景にして赤の葉の折り重なりが、ちらちらと視神経に刺激を与えながら交錯するのが瞳に良い。坂の日なたに入っても、特段の温もりは感じなかったようだ。眼下の銀杏に目を向けて過ぎ、上って行きながら自らの内側を、胸のあたりの感覚を探ったが、この日は不安というほどのものは何も感じないようだった。
 西にひらいた丁字路に掛かっても、太陽は雲に留められて照射がない。もっと早く出れば良かったのだろうが、と勿体ないような気がしたが、街道まで来ると一応、それなりの日なたが用意されていた。裏に折れず表を進む。道端の家の、真っ赤に染まった植木に目が行く。家々の側面や、それらを越えた先の林はまだ陽を掛けられている。坂下の辻で信号待ちに立ち止まると、向かいの通りの一軒の窓に山際の暖色が映りこんでいたが、目を振っても家屋に遮られて直接には見えない。解体工事中の会館の前に差し掛かると、頭上の足場で作業員が鉄骨の類を取り扱っている。年嵩の、穏和そうな顔貌の警備員が、通ってしまうようにという風に身振りをしてくるので、会釈して下を通過する。過ぎたあとで、あそこでもし鉄骨が落ちてきて頭に直撃したらそれだけで死んでいたな、とちょっと思った。図書館(分館)に続く折れ口に掛かったあたりで、考えの理路は不明だが、散漫な物思いのなかに、「書く」という語は「綴る」と比べて実に散文的で良いなとふと浮かんできた。Kの子音が二つ重なるその音の軽さが良かったようで、対して「綴る」は濁点の響きが粘るように感じられたらしい。
 駅に着いて改札を抜けると、通路の途中の便所に寄ってから、ホームへの階段を上った。ゆっくりとした調子で、足取りも何か重く、老人になったような心地がする。先頭車両に乗ってしばらく、降りて駅舎を出ると、歩廊の上でカメラを構える高年の男性がいる。その後ろを通りつつ、レンズの向いた先を追うと、西の空に陽が沈んでいくところで、雲が出張って眩しくはないが縁に薄朱の灯っているのが小さく見られ、その上にも雲は出て、左右に搔き乱されたように荒くなっていた。図書館に入ると、雑誌の区画から『思想』と『現代思想』の表紙をチェックするのだが、見ることは見ても今まで一度も実際に借りたことはない。文芸誌にはあまり興味を惹かれないので素通りして、CDのコーナーに入り、Martin Scorseseが編集したBessie Smithの音源を獲得した。一度に三枚まで借りることができるので、どうせだからもう二枚何か借りようと見てみると、James LevineというピアニストがScott Joplinを演じたアルバムが見つかり、これも借りてみることにした。そのほか、現役の演者のものでは類家心平やら大西順子やらBill Frisellやらのアルバムが見られ、また、女性ボーカルに合わせてHelen Merillにするかとか、Esperanza Spaldingの作品も結局聞いていないなどと考えたが、ひとまずロック/ポップスのほうに移行してみると、ここに区分を間違えられてArt Tatumがある。古い時代の音楽でまとめるかということで、その『Gene Norman presents An Art Tatum Concert』を三枚目として、CDを小脇に抱えて階段を上った。新着図書の棚を一通りチェックしてから、先に貸出機で手続きを済ませ、CDをバッグに収めてから棚の前に戻って、気になった書名を手帳にメモしていった。長く陣取ってメモしているあいだに、当然ほかの人々もその場にやってきて棚を眺める。邪魔にならないようにとちょっと後ろに退きながらもメモを続けるわけだが、そうしているあいだに、顔が熱くなって赤面しているのが感じられた。何しろほかに、そんな風に熱心に書物を見分している人間などいないから(しかし自分がこのようにやっているのだから、見たことがないだけでほかにも何人か、そういう人間はいるはずだろう)、珍しい人だとか変な人だとか思われやしないかと、そんな意識が働いたのだと思う。要するに自意識過剰なのだが(自意識過剰でなければ、多分パニック障害になどなりはしない)、同じような行為をしていても、こうした恥の感覚があからさまに発揮される日とそうでない日があるのはどういう要因によるものなのか、いまいち良くわからない。この時記録された書物は以下の通りである。

・土田知則『現代思想のなかのプルースト
・ウラジーミル・ソローキン/松下隆志訳『テルリア』
ブルガーコフ『劇場』(白水Uブックス
松田隆美『煉獄と地獄』
・指昭博・塚本栄美子編著『キリスト教会の社会史』
・クレイグ・オリヴァー/江口泰子訳『ブレグジット秘録』
・ハーバート・フーバー『裏切られた自由 上』
神崎繁『内乱の政治哲学』
・『火の後に 片山廣子翻訳集成』
・カマル・アブドゥッラ『欠落ある写本』(水声社
・鈴木範久『日本キリスト教史』
・フランス・ドゥ・ヴァール『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』

 それから哲学の区画を見に行く。ブノワ・ペータース『デリダ伝』を読みたいものだと大層厚いそれを手に取ってめくる。それから東洋哲学のほうにずれる。日本国と呼び慣わされている地理・文化的圏域に一応は生を享けて育ってきた身だから、この国の(あるいはより広く、「アジア」や「東洋」と呼ばれている地域の)先人たちがどういったことを感じ、考えてきたのかということにも触れたいとは思っている。並んでいるなかでは、長谷川宏『日本精神史』上下巻が、見取り図を掴むには良さそうに思った。また、前田勉という研究者の平凡社選書から出ている二冊、『兵学朱子学蘭学国学 近世日本思想史の構図』と『江戸の読書会』にも少々興味を惹かれた。そのほか、無骨で巨大な本居宣長の研究書などもあった。
 出先で書き物をできたらと、コンピューターを持ってきていた。それで空いている席はないかと窓際を辿って行くのだが、予想通りすべて埋まっている。書架の角からテラスのほうを覗いてみても混んでいるので、そのなかに入って行って作業をする気にはなれない。どうしようかと考えながら海外文学の列を眺め、ひとまず隣のビルにある喫茶店を見に行き、実際にその場を目にした時の気分で滞在するか否か決めようと相成った。それで退館し、歩廊を渡ってビルに入り、喫茶店をガラスの外から眺めたところ、それほど混んでいるわけでもないのだが、やはりどうもなかに入る気持ちが起こらない。先の自意識過剰にも、この日の内向的な精神状態が表れていたのだと思うが、人間たちのあいだに座って作業をするということに気が向かないようだった。やはり自室が一番良いのだろうと落とし、買い物だけして帰ることにした。スーパーのほうに進んで行き、籠を取って、まず三個でセットの豆腐を二組取り、次に生麺のうどんを獲得した。それから納豆を入手しようと思ったところが、納豆の区画の前には人がいたので、方向を変えて野菜のコーナーに入り、長茄子を二袋確保してから戻って、納豆は一パックを取った。そこまで来たところで、何か寿司が食いたいという欲求が湧いており、フロアの端に設けられた区画の品々を見に行ったものの、一旦保留として棚のあいだに入り、麻婆豆腐の素を籠に加えた。それからスナック菓子の類を見に行ったが、棚を眺めてみてもこれを買おうという気が起こらないので不要と判断し、フロアを渡って行ってヨーグルトを一つ、入手した。そうして寿司に戻った(……)こちら個人の分と、ほかに一応ネギトロの中巻を一パック買って帰ることにした(……)。鰤やら真鯛やら鯖寿司やら(これはもしかすると、関サバというやつだったのだろうか)、九州の味覚を取り揃えたという触れ込みのものを選び、そうして会計に行った。列に並んでいる途中で、隣のレジが空いたようで女性店員が拾い上げてくれる。その女性は感じの良い、穏やかそうな雰囲気の人だったのだが、会計はやはり、何か緊張があるというか、居心地の悪さの感じが否めなかった(しかし過去、パニック障害の時代に、会計の列に並んでいて大きな不安を招いたということはなかったように思う)。支払いを済ませると品物をバッグとビニール袋に仕分け、両手を塞いでビルを出た。
 既に宵がかった暗さである。空の中央にペンキをぶち撒けたようにして、大きな雲の影が挿し込まれ、その外縁はところどころ蔓のように細くなって伸びている。雲の裏には黄昏の青さが残っているものの、内実を抜き取られて醒めたような淡色で、微生物の集合めいて浮遊する橙の色素が山際にまったく窺えないではないが、残照と言えるほどの厚みはもはやなかった。円形の歩廊を駅舎のほうへ回っている僅かなあいだにも、微かになり、消え行くようにすら思われた。
 ホームに入るとベンチに就き、脚を組めば自ずと腰が前に滑って座りが浅くなる。そのように偉そうな姿勢で座りながら、何をするわけでもない。欠伸を漏らすと涙が瞳の表面に張られて、正面に見える街灯や駐輪場の白い明かりがいくらか水っぽく艶を帯び、まばたきをする瞬間にこちらの眼球に向けて一斉に筋を伸ばしてくる。やって来た電車に乗って降りると、乗り換えを待ってまたベンチに就いた。横に座っていた中学生二人が、去って行く間際に、見えなくても聞こえるな、というようなことを口にする。確かに、線路を挟んで正面の小学校の校庭から、既に闇が降りてものの姿も動きも視認できないその暗がりの内から、子どもらの遊び声が湧いては昇り、音のみで動き回っている。ジャンケンをしたり、やっほー、と声を合わせたりしたあとに、何が面白いのかわからないが、必ず皆で一斉に大きく笑い声を重ねるその邪気のない様子に、こちらも心和んでちょっと笑みを浮かべそうになった。それから、ヴァージニア・ウルフ土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』を読みはじめる。空気は冷たいのだが、しかし待合室に入る気にはならない。文庫本を持つ手が大層冷えるのに、片手をコートの内に差し込み、脇で挟むようにして守って、交代させながら文を追った。
 (……)最寄りからの帰路に、特に印象に残ったことはない。自宅まで来て、ポストから夕刊を取って玄関の鍵を開けると、その音が静まった夜の路上に、思いのほかに定かに響く。居間の卓上に荷物を置くと食卓灯を点し、まず窓のカーテンを閉ざした。それから買ってきたものを冷蔵庫に収めたのち、室へ行き、何故か知らないが入浴まで街着を着たままで過ごそうという気分があったので、コートだけを脱いでダウンジャケットを羽織った。そうして上階に戻り、台所に入ると、風呂の湯沸かしスイッチを押す。(……)麻婆豆腐を作ることにした。ここの行動の連鎖は記すのが面倒なので省略するが、白菜も加えたものを作り、そのまま食事に入った。麻婆豆腐は丼に盛った米に掛け、ほかに大根と紫玉ねぎをスライスしたのみの簡素なサラダを添えた。寿司は美味だった。真鯛から食べはじめて、二貫を平らげて鰤も食い出すと、胃が空だったところに栄養価が高いものを入れたためか、刺激がちょっと強い感じがした。つまり、気持ち悪くなるのではないかという予感が微かに兆したのだが、それで麻婆豆腐のほうに一旦寄り道し、野菜も腹に入れて調子を取って、その後は問題なく食事を進めることができた。夕刊にはエジプトのテロの続報が出ていた。「エジプト モスクテロ死者235人に イスラム過激派犯行か」というものである。現場はシナイ半島は北部アリーシュ近郊、ビルアベドという町のラウダモスクと言う。この地域はスーフィー教徒が多いらしく、イスラム国関連の組織は彼らを異端視しているので、今回の犯行に及んだのだろうという話だった。一一面にも関連記事があって、「集団礼拝に手投げ弾 エジプトテロ 逃げる信者を銃撃」と題されている(「ラウダモスク」という施設の名前はこちらに載っていた)。こちらには、目撃者の証言がいくつか紹介されているのだが、そのなかの一つ、「あらゆる場所から攻撃され、多くの人が逃げ切れずに死んでいった」というものが印象に残った(特に、「あらゆる場所から攻撃され」という部分に(この事件の襲撃は、包囲攻撃[﹅4]である)、傍点による強調が見えるかのようだった)。
 食器を片付けて室に帰り、(……)日記の読み返しを行った。二〇一六年一一月一七日である。そのまま続けて、岡崎乾二郎「抽象の力」を読みはじめた。途中の記述に触発されて、過去に自分が考えたことを(と言うよりはむしろ、書き記した文=言語のことを)思い出した。この日のメモを取った時点では、回帰してきた思考を改めてまとめ直そうと思っていたのだが、今の気持ちとしてはそれはやはり面倒臭く思われるので(現在は、一一月三〇日の午後一一時三〇分である)、触発の元となった岡崎の記述と、自分の過去の文章を合わせて引いておくことで間に合わせとする。これは、二〇一六年六月二八日に(……)に送ったメールの一節である。

 「(……)事物に関わり、何かを形づくることはむしろみずからを陶冶する=形成することに繋がるのだ。これは柳宗悦が見出した、手工芸制作過程に内在する倫理性とも通じるものだった(『民藝とは何か』1929)」

 「しかし《フレーベルの教育遊具》は、その演習が、あまりに詳細な操作方法まで指定されていたことによって形式的すぎる、儀式的であるという批判もされていた。ここまで詳細に事物との関わりに指示を与えてしまうと、児童の自発性、自由はむしろ抑制されるのではないか。後続するモンテッソーリの《教育遊具》はそもそもマリア・モンテッソーリ(1870-1952)が知的障がい児の知能向上育成にあげた驚異的な成果をもとに発想されており、事細かな指示がいっさいなくても、ただ遊具と具体的に接していれば自動的に思考や感情が促されるように工夫されていた[fig.109]。まさにモンテッソーリの《教育遊具》は主知的な指導がなくても事物が身体を触発し、知性を生成させるという発想に基づいていたのである。
 《感覚教育》として知られる、そのメソッドは以下のようなものだった。身体的な運動およびその感覚から、抽象的な概念、法則性の理解を自動的に促すこと。そして身体的な交渉、試行錯誤を繰り返すことで、その過程で与えられる具体的な感覚、感性的感受から高度な抽象概念の習得へと導くこと。すなわち事物との関わりこそ知性を維持し育成するきっかけになる。むしろ知性を誘うのは事物である。人は事物に触発され考えさせられるのだ。触発すなわち事物が与える感覚が人間を育てる」


 事物の具体性と一般性、そのそれぞれを明晰に認識する能力を鍛え、――通りの良い言葉を使えば――統合させることこそが、必要なのではないでしょうか。しかし、僕の個人的な感覚からすると、この「統合」という言葉はあまりしっくり来ておらず、その代わりに「交雑」とでも言ってみたいような気がします。つまり、一つには勿論、具体的な個々の事物に対する観察力を養い、またそこから一般的な図式や概念などを見出し、抽出すること。そしてもう一つには――逆説的で、矛盾している表現かもしれず、したがってこうした考えが有効なのかどうかについても自信がないのですが――観念の具体性とでも言うべきものを、掴むこと。抽象的な思考に長けた人は、まるでそれを舌で味わうかのように、観念と接することができるのではないでしょうか? 鋭敏な数学者は、ある種の数式に美しさや、エロスさえも感じるということも、聞いたことがあります。こうしたことを考えるのは、抽象的な情報の塊に過ぎないはずの言語に対して、僕自身(そして多かれ少なかれ、ほかの人もきっと)、それがまるで手に触れられる物質であるかのような、特殊な質感を覚えることがあるからです。

 ここにおいて、僕が「統合」という言葉を採用しなかったのは、それがはらむ静的な感触に不足を感じたからなのだと思います。統合という語は、複数のものをまとめて、ある一つの定まった形を作りあげること、というような意味を持っていると理解していますが、我々の認識は固定された一つの形に行儀良く収まるというよりは、もっと流動的に入り組んでおり、複数的でさえあるものではないかと感じるわけです。そうしたニュアンスを表現するために、別の語が必要とされ、ここでは差し当たって「交雑」という言葉が選ばれました。したがって、ここで僕の言う「交雑」は、具体的なものをその具体性とともに一般性において把握する能力、また、抽象的なものをその抽象性のみならず具体性において捉える能力、そして、それらの認識のあいだの諸段階を滑らかにスライドするように、絶えず動的に行き来すること、というほどの意味になるでしょう。

 このようにして考えてくると、ここでの思考が前提としてきた二項対立は、我々の認識上、あるいは言語上の罠であるのかもしれません(だとしても、ある程度有効な罠だとは思うのですが)。なぜなら、具体的とか一般的とかいうことは、おそらく常に相対的な事柄であって、ある一つのものに対する位置取りの違いに過ぎないように思われるからです。二つの領域は、対立的なものと言うよりは、相補的なものであるのかもしれません。そうだとすれば、小説家の性格と関連させて、物事の具体的な側面の感受ばかりを強調したのは、あまり適切ではなかったとも考えられます。優れた小説家は、具体物のみならず、抽象概念に対する鋭利な感受性をも、持ち合わせているはずだからです。むしろ、先に述べた「交雑」を言い換えるようにして、そうした小説家の持つべき資質、そして優れた文学が担っており、時には読者に教えることもあるはずの性質を、比喩を交えて次のように言い表してみることができるかもしれません。すなわち、泡のように微細な世界のニュアンスを汲み取る繊細さ――あるいは、夕刻の空に描かれる青と紫と薔薇色の階調にも似て、最小の具体性から最大の抽象性まで連なる、差異のグラデーションを見分ける視力、と。

 岡崎の論文中、この日読んだ部分のなかには、パウル・クレーが息子のために作ったという人形の画像が載せられていたのだが、これを見て、一人でくすくすと笑ってしまった。グロテスクと言うか、悪夢にでも出てきそうな感じのもので、とても子どもに与えるようなものには思えなかったからである。ほか、fig.133の、長谷川三郎の写真は格好良く思われ、また、ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキというポーランドの画家の絵画も良い感触を受けた。
 八時半に至ると入浴に行き、戻ると、Ernest Hemingway, The Old Man And The Seaを久しぶりに読んだ。九時四〇分まで三〇分ほど、足の裏をゴルフボールでほぐしながら読んだのだが、外出したためだろう、疲労感があったので、瞑想をすることにした。枕の上に座しているあいだ、身体の諸部分の肌の表面に、微細な痺れと言うか、泡立ちのようなと言うべきか、ともかく疲れが溜まった時の鈍いような感覚がある。それで一二分しか座っていられず、瞑想を済ませても眠気が抜けなかった。ベッドのヘッドボードに凭れて、脚を前に伸ばしながら五分ほど微睡みに入る。
 その後、便所に行ってから上に行く(……)残った三切れをこちらが食べることにした。(……)テレビを漫然と眺めていると、白鵬が四〇回目の優勝をしたと流れて、そんなにたくさん優勝しているのかと驚いた。寿司を食うとすぐに室に帰って、用意した緑茶を飲みながら、借りてきたCDをコンピューターにインポートした。その後、この日の生活のメモを取ったのち、音楽を聞いた。Bill Evans Trio, "All of You (take 1)", "Gloria's Step (take 2)"、Nina Simone, "I Want A Little Sugar In My Bowl"(『It Is Finished - Nina Simone 1974』: #5)、Bessie Smith, "Need A Little Sugar In My Bowl", "Backwater Blues"(『Martin Scorsese Presents The Blues: Bessie Smith』: #9, #15)、Big Bill Broonzy, "Backwater Blues"(『Big Bill Broonzy Sings Folk Songs』: #1)、Brad Mehldau, "Someone To Watch Over Me"(『Live In Tokyo』: #1-6)、Radiohead, "Paranoid Android"(『OK Computer』: #2)で、五〇分ほどである。Martin Scorsese編纂のBessie Smithのこのアルバムの冒頭には、「善良な男はなかなかいない」("A Good Man Is Hard To Find")という曲が据えられているのだが、これはフラナリー・オコナーの小説の題名と同じである(そちらでは、「善人はなかなかいない」という訳になっている)。元ネタであるに違いないと思う。最終曲の"Backwater Blues"というのはBessie Smith自身が作った曲らしい。このタイトルにどうも見覚えを感じていたのだが、ちょうどライブラリで上下に接しているBig Bill Broonzyのアルバムの先頭曲がそれだったので、ここで見知っていたのだなとわかった。それも聞いたあとに、思い立って、Brad Mehldauの独奏を聞く。一〇分に及ぶ演奏の中途で感動が迫ってきて、ナイーヴな話だが、涙が少々湧き出すのを禁じ得なかった。
 日付が変わった頃から書き物を初めて、一一月二一日から二三日までの記事に二時間半を費やした。(……)四時に到達する直前からまた『ダロウェイ夫人』を読んで、五時も間近になっての遅い就床となった。