2019/2/12, Tue.

 一〇時二〇分起床。南の空に雄々しく押し広がる太陽の光線をじりじりと、心地良く浴びており、後頭部の髪などかなり温まっていた。七時頃にも一度目覚めたような記憶が僅かにあるが、本来だったらそのあたりで正式に起床して朝から勤勉に本を読みたいところではある。睡眠時間は八時間半。これを七時間、六時間に縮めたいものだ。コンピューターを起動させてTwitterなど確認し、それからアマゾン・アフィリエイトにアクセスすると、前日のクリック数は何と二九九、めっちゃクリックされてるやんと思ったが、それでも品物を注文してくれた方はゼロで紹介料は発生しないので、このあたり難しいところだ。しかしまだまだこれからだろう。クリックされているだけでも有り難い、しかし一日で三〇〇もクリックされているということは、やはり自分の日記は結構読まれているのだろうか――一人五回クリックしたとしても、六〇人に読まれている計算になる。一〇回ならば三〇人。もっとも、あれだけ長々とした文章なので、本文を最初から最後まで隈なくすべて読んでいる人などそうそういないだろうが。断片的にであれ読んでもらえているならば有り難い。
 ダウンジャケットを羽織って上階へ。両親は買い物に出かけたらしかった。米をよそり、大根ほかの煮物と味噌汁も椀に盛る。新聞は今日は朝刊が休みである。それで何も読まずにぼんやりとしながらただ食事を取り、薬を飲んで皿も洗うと服をジャージに着替えて下階に戻った。早速前日の日記を仕上げ(Blankey Jet City, "胸がこわれそう"を一回流し、その後、"RAIN DOG"をリピート再生)、人名をイニシャルに変え、アマゾンへのリンクも設置しながら投稿(これにやはり結構な時間が掛かる)。それからこの日の分もここまで綴ると一一時二〇分。
 二〇一八年一二月三一日の記事にアマゾンへのリンクを仕込むと、日記の読み返しをした。まず一年前、二〇一八年二月一二日月曜日。三宅さんと通話をし、労働のあいだの自分自身の動作や言動の「自動感」についてなど話をしている。こうした「自動感」、自分の動作のすべてがまるで客体のように、自分から離れたところで自動的に流れていくかのような感覚、というものは、今はほとんどなくなった。気分の平静さも合わせて考えるならば、以下で述べられているような「悟り」のような心境に、自分は概ね至っていると考えて良いのかもしれない。

 帰路、歩きながら、労働中の自動感が気になって、頭が回った。自己の自律感が薄いというか、自分の意志というものがなくなって、自分の身体が勝手に動いているような、とでもいう感覚である。どうもやはりこれは、メタ認知の問題で、主体として「見る」ほうの地位が優勢になりすぎてしまったのではないかという気がする。また、無常感、この世の無根拠性の感覚ともどこか関わっているようにも思えなくもない。すべてがあらかじめ決まっているというのではないが、ある種、運命論にも通じそうな感じに思われた。何か超越的な存在、「神」が自分の信じるものとして導入されれば、おそらくそうなるのだろう。自動的に動くようでも、振舞いとして特に問題は起こっていないので、適応できればむしろ楽なのかもしれないが、神経症的性分のなせる業か、今は気になってしまう。

 会話を順序立てて再構成することはできないので、取っておいたメモに従って個々の話題に触れるが、まず自分の最近の症状について話す時間があった。自生思考というか脳内の言語が意思を離れて自走しており、妙な妄想を勝手に繰り広げたりするのだった。一番嫌だったこととして、町を歩いている時に可愛らしい犬を見かけたのだが、その直後に、その犬の首を締めて殺すというイメージが自動的に湧き上がってきたということを話した(この時は話さなかったが、両親についても同じようなことがあった)。これは一種の加害恐怖で、そうしてしまうのではないかという(根拠のない)恐れから、かえってそのことを考えてしまうということではないかと思ったのだが、当時は不安で頭がまとまらず、自分が本当に殺したいと思っているのでは、無意識のなかにそうした欲望を抱えているのではなどと考えてしまい、怖くなったものだった。また、ここ最近折に触れて、というか頻繁に抱いている無常感や、行動の自動感についても話した。自動感については上に書いたのでここには繰り返さないが、要は自己が客体化されすぎて外界の事物とほとんど同じ位相に置かれてしまったということではないのか(外界の事物とは、まさしく「勝手に動いていく」ものである)。神経症性向によって、今はそれが違和感として、不安として現れて気に掛かってしまうことがあるようだが、それに適応したものが要は「悟り」なのではないかということも話した。そうした自動感に適応できれば、まさしく流れていく世界のなかの一片としての自分として、随分と楽に生きていけるのではないか。最近の自分は、自生思考の件もあって、自分の頭のなかに考えが生じること自体が怖い、何かを感じてしまうことそのものが怖い、というようなところがあったもので、神経症もここまで来ると相当なものと言うか、ほとんど極地ではないかと思うが、しかし現在、薬の助けもあって、それにもどうやら改めて慣れつつある。今までに症状として発現してきた心臓神経症とか嘔吐恐怖とかも、概ね克服して来ているわけで、すべての不安の対象を一度不安として認識し、その後それに耐えて相対化し、要は「慣れて」行けば、ついには何も怖くないという境地、まさしく苦しみからの解放がやって来るのではないかという見通しも、Mさんと共有した。しかし自分は別に、そのような悟りじみた境涯に至りたいとは思わない、もう苦しみや不安は、あまり過度にならなければあって良いと今は考えている。

 その後、二〇一六年七月三一日。小池百合子都知事が当選した際の東京都知事選の日である。雨のなか、投票に行って、濡れそぼって帰ってきている。それを読むと時刻は正午前、散歩に出ることにした。玄関の鍵をジャージのポケットに入れ、上階に行って黒い靴下を履き、洗面所に入るとまず寝癖を整えた。それからついでに風呂も洗ってしまってから、出発である。日の照る快晴で、と言って雲もあり、西の山稜によって生まれた空の段差を埋めるようにして山際に走っているが、太陽の広がる高みまで達するほどのものは一つもない。坂を上って行きながら一軒の庭に生えた低木の、葉のことごとくに光が宿って微風に揺らされては白い光点が明滅しており、まるでクリスマスの時期に家を彩るイルミネーションのよう、天然の電飾が生まれているわけだと見ながら過ぎた。道からちょっと下った窪地にある紅梅の、香るようなピンク色にも目を向けながら上って行き、裏路地を進む。桜と変わらないような淡く、和菓子のような薄紅色の梅が途中、林の縁にあるのを前日目に留めていながら書き忘れていたが、この日通ると、道に射した陽光の明るさで、暗がりにある梅の木の色ははっきりとは窺えないほどだった。街道の横断歩道を渡って緩く坂になった細道を上って行くと、分厚い風が正面から吹いてきて、そのなかをくぐるようにして受けながら行くけれど、寒さに結実するほどでない。むしろ、背は常に照らされていて暖かく、服の内には風によって際立たせられた汗の感覚が滲んでいるくらいである。墓場に立ち並ぶ墓石の表面に、こちらの歩みに合わせて空の青さが映りこんでいき、敷地の端の白梅は今日もポップコーンのような花を灯している。保育園を過ぎた頃、ダウンジャケットとジャージに守られた腕の表面に湿り気を感じ、ファスナーを下ろしてジャケットの前をひらいたが、それでもやはり体温の冷えることはなく、かえって爽やかで心地よいほどだった。駅を過ぎ、街道に出て渡るとしばらく行って、この日は家に続く林中の階段は取らず、もう少し先で木の間の坂道に折れる。鴉の声が背後から立つなか、地面に転がった乾いた葉を踏みつけて、crispという英単語で表すにぴったりなかさかさとした音を立てながら下りて行った。
 帰宅。食事。日本ハムのサラダチキンの類を電子レンジで一分加熱。その他、米と即席の味噌汁。新聞を読まずに黙々と食べ、皿も洗って自室へ行くと、fuzkue「読書日記(121)」を読むBGMはBob Dylan『Live 1975: The Rolling Thunder Revue Concert』。一月二四日まで二日分。そうしてその後、「記憶」記事も読みはじめたところで、帰ってきた母親が部屋に来て、布団を入れてくれと言うものだから了承して音楽を流しっぱなしのまま上階に行き、ベランダの柵に掛かった布団を二つ持ち上げ、折り畳んではベランダのほかの洗濯物のあいだを苦労して通り抜け、仏間に運んだ。そうして、母親がチョコレートの今川焼きと苺を買ってきたと言うので、それらを頂くことに。今川焼きを一分間、レンジで加熱し、箸で切り分けるととろとろのチョコレートがなかから溢れ出してくるそれをつまむ。苺も頂くと皿は水に浸けて放置し、下階に戻った。音楽はアルバムも佳境、"Just Like A Woman"が掛かっているところだった。最終曲、"Knockin' On Heaven's Door"の流れるなかで「記憶」記事をぶつぶつと音読する。Bob Dylanが終わると音楽は『The Jimmy Giuffre 3』へ。そうして二時過ぎを迎え、そこから日記を書き足して二時半を回る。
 上階に行った。既に取り込まれたであろう洗濯物のうち、アイロンを掛けるものがあれば掛けようと思ったのだった。しかし居間に着いてみると、ストーブの前に乱雑に置かれた衣服やタオルのうち、アイロンを掛けるようなシャツなどは特段見つからない。それで何となくストーブのタンクを持ち上げてみると軽かったので、石油を補充しておくことにして外へ出た。母親は家の前を掃き掃除しており、父親は林の奥に入ってチェーンソーを操って木を伐っているようだった。勝手口のほうに回って石油の保存されている箱を開け、ポンプの先をタンクの口に差し込む。つい先ほどまでは晴れていたのだが、今は薄雲が空の全体を、ところどころにほつれて隙間から覗く青さを残しながら覆って、光の感触は失われていた。補充を終えると室内に戻り、タンクを戻しておいて自室に帰った。そうして、Ernest Hemingway, Men Without Womenを読む。コンピューターの前に座って、折に触れてインターネットの辞書サイトで英単語を検索したり、また邦訳を参照したりしながら三頁読み進めたが、Hemingway程度の簡易な英文でそれに四五分も掛かっているのだから遅すぎる。それから一〇分間、「偽日記」の最近の記事――大江健三郎『晩年様式集』に触れたもの――を読み、それから寝床に移った。岡本隆司『中国の論理』を読もうとしたのだが、緩い眠気が差しており、読書ノートに記してあるメモを読み返したのみで自ら力尽きて目を閉ざし、そこから断続的に、七時過ぎまで眠ることになった。はっきりとした意識を取り戻すと新書を手に取って、布団にくるまったまましばらく読む。そうして七時四〇分になると食事を取りに上階に行った。母親に寝てたの、と訊かれたので、ああ、と答えると、彼女は呆れたような笑みを漏らした。米・豚肉や人参やピーマンの炒め物・茄子の味噌汁・胡瓜やモヤシのサラダ・煮豆のメニューである食事は。卓に就くと夕刊をひらいたが、特に読みたいと思う記事は見当たらなかった。テレビは、『こんなところに日本人』というやつだろうか、世界各地の辺鄙な地域に住む日本人を尋ねていく番組を映していて、この日の現場はイスラエルのゴネンという村だった。そこの役場で経理の係をしている四八歳の女性が取り上げられるのだが、キブツの一員として認められていると聞いて、ほう、キブツね、と思った。社会主義的な農業共同体としてのキブツの実態――今はもうそこまで共産主義・共同主義的な生活形態を取ってもいないのだろうが――については、多少の興味がないでもない。彼女は、二八歳まで普通にOLをしていたのだが、転職までの空き時間を利用して、外国人ボランティア制度に則ってイスラエルのゴネン村にやってきたところ、長閑な雰囲気が気に入って帰りたくなくなってしまい、そのまま居着いて二〇年になると言う。イスラエルの対パレスチナ関係などについてはどのように思っているのだろうと思った。彼女がゴネン村にやってきたのは一九九九年、その頃は情勢も不安定なところはなかったと言うので、第二次インティファーダはあれは何年だったか、二〇〇一年のことだったろうか、などと考えながら見ているとしかし、一番大変だったこととして、二〇〇六年のレバノン侵攻が挙げられた(怖いね、と母親が呟く)。その際には、彼女の自宅からもミサイルか何か打たれて白煙の昇っている様子が撮影されたと言う。そのような番組を見ながらものを食べ、食器を洗うとすぐに入浴に行った。風呂のなかでは今しがた見た番組の内容を反芻したり、散漫な、どうでも良いような物思いに流れていったりして、出てくるとドライヤーを使って髪を乾かし(曇った鏡が熱風によって段々とその明度を取り戻していく)、ジャージを持って洗面所を抜け、ソファの上に衣服を置いておくと自室に帰った。それでCharles Mingus『Pithecanthropus Erectus』を流しながら「記憶」記事から、ムージル「静かなヴェロニカの誘惑」のなかのバーナード犬の完璧な描写を読み返すのだが、ぶつぶつと呟いている最中に母親が戸口にやってきて、見ればストーブのタンクを持っている。下階の、両親の部屋の小さなものである。なくなっていたと言うので、入れろということだなと察して受け取り、上階に行くと、サンダル履きで玄関を抜けた。夜気は思いの外に冷たくはなかった。勝手口のほうに回り、もう一つ、上階の露芯式ストーブのものと合わせて灯油を補充すると、出てきていた母親に片方(下階のもの)を渡して室内に戻り、タンクを機械本体に収めておいて室に帰った。それからまた「記憶」記事をちょっと音読してからここまで二〇分で書き足し、九時四五分を迎えようとしている。
 そうして一〇時直前から岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』を読みはじめ、就床前まで読み続けることになったのだが、その終わりのほうは記憶がいまいちはっきりしない(読書時間を記録しないままに眠ってしまったのだ)。菊地雅章『Sunrise』をBGMにして寝床で布団にくるまりながら読んでいたのは確かだ。零時を越えた時計も一度見たような記憶がうっすらとあるから、多分そのあたりで力尽きて書見を切り上げ、おそらく零時半までには眠りに入ったのではないか。


・作文
 10:49 - 11:18 = 29分
 14:06 - 14:34 = 28分
 21:22 - 21:43 = 21分
 計: 1時間18分

・読書
 11:28 - 11:48 = 20分
 12:38 - 13:08 = 30分
 13:19 - 14:06 = 47分
 14:53 - 15:37 = 44分
 15:40 - 15:50 = 10分
 15:51 - 16:00 = 9分
 19:15 - 19:38 = 23分
 21:00 - 21:22 = 22分
 21:54 - 24:10 = 2時間16分
 計: 5時間41分

  • 2018/2/12, Mon.
  • 2016/7/31, Sun.
  • fuzkue「読書日記(121)」; 1月24日(木)まで。
  • 「記憶」; 14 - 16, 34 - 46, 58 - 59, 47 - 50
  • Ernest Hemingway, Men Without Women: 20 - 23
  • 「偽日記」: 2019-02-06; 2019-02-07; 2019-02-08
  • 岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』: 116 - 191

・睡眠
 1:55 - 10:20 = 8時間25分

・音楽