2019/5/11, Sat.

 例によって一時半まで糞寝坊。九時に一度ベッドを抜け出したのだが、いつも通り戻ってあえなく撃沈。上階へ。父親もソファの上で臥位になって目を閉じていた。食事は鮭や昆布の混ざった寿司飯、筍に前夜のジャガイモの味噌汁の残り。食べ終えると薬を飲み、食器を洗ってから外されていた炬燵テーブルの天板を卓上に戻した。それから風呂を洗ったあと、父親のスーツを合わせてみればと母親が言うのに従って階段を下り、両親の衣装部屋に入ってグレーのスーツを身に着けてみた。上着は丁度良い。スラックスはやや緩くて、そのままだと動いているうちに少しずつずり落ちてきそうな気配だったが、ベルトを締めれば問題ない程度だった。たくさんあるので一着くらい貸してもらうか譲ってもらうかすれば良いと母親は言うのだが、どちらにしても今ある自分のスーツも腰回りの幅を直せるのかどうなのか、紳士服店に訊きに行かなければならない。母親は今日早速行くかと意欲を見せるが、面倒臭いので今日は良いと答え、スーツを脱いでジャージを履いて階段を上った。そのまま外に出て背に温かな陽射しを浴びながら家の南側に下り、雑多に置かれている植木鉢たちにホースで水をやりはじめた。そのうちに母親もやって来て、畑まで下りていくのは面倒臭いから、上から水を放つかと言って、こちらが差し出したホースを受け取って直射的に水を畑へと撒いていたのだが、結局玉ねぎを採ると言ってそのあと畑まで下りていくことになった。こちらも遅れて階段を下って、草の生い茂っているなかに踏み入り、そちらにも置かれているホースを取ってジャガイモや玉ねぎに水をくれる。母親は紫玉ねぎを一つ収穫していた。水をやり終わったあと、それを受け取ってこちらは上がっていき、水道の栓を忘れずに締めておいてから屋内に戻った。台所の調理台の上に玉ねぎを置いておくと下階に下って、自室に戻り、開けていた窓を閉めてFISHMANS『Oh! Mountain』を流しはじめた。そうして前日の記事の記録を付け、この日の記事も作成して日記に取り掛かったのが二時四四分だった。これから前日の夜のことを書かねばならない。
 その前に、"感謝(驚)"の流れるなか、起床直後に干してあった布団を取り込み、寝床を整えた。それから日記に戻って、前日の記事を仕上げると三時半過ぎだった。ブログやnoteに記事を投稿し、Twitterにもリンクを通知しておいた。ここ数日、ブログのアクセスが増えていて、ほぼ恒常的に一〇〇を越えるようになっている。それ以前は平均してまあ二〇~四〇といった程度だったのだが、今日などは六時二〇分現在で一三五を数えている。一体どこから流入しているのか謎なのだが、ことによるとSkypeグループの皆さんが読んでくれているのかもしれない。いずれにせよ、有り難いことである。その後、三時五〇分頃から読書を始めた。岸政彦『ビニール傘』である。タイトル作である「ビニール傘」は二部構成で、一部においては様々な、少しずつ違っていながらもすべて同じ一人でもあるような複数の「俺」が断章形式で物語を語っているのだが、二部においてはそれが「私」一人の一続きの語りへと変わっている。ちょっとしたずれを孕みながらも共通点も持ち、繋がっているようで繋がっていない、ようでやはりどこかで繋がっているらしき「俺」たち、及びその「俺」たちと関与する「女」たちの匿名性、全体で一つの「俺」や「女」の像を形成しているかのような無名性、そのあたりについて分析できたら分析してみたいと思う。そういうわけでこの作品は最後まで読み終えたのだが、メモをまったく取らずに一気に読んでしまったので、頭まで戻ってもう一度詳しく読んでみたい。四時半に至ると読書を中断して本を枕の傍らに置き、目を閉じて休みながら、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 2)の音楽に耳を傾けた。"Milestones"のベースはやはり凄い。音楽が終わったあとも目を瞑って布団を被りながら、しかし意識は落とさずに休み続け、五時の鐘が鳴ると立ち上がって上階に行ったが、そこでもすぐに食事の支度には取り掛からず、椅子に座って卓に突っ伏してしばらく休んでしまった。母親が台所に入り、蕎麦にしようとか、面倒臭いけれど天麩羅を揚げようとか何とか言っていた。それで、しばらく休んでから身体を起こしてこちらも台所に合流すると、既にフライパンに油が溜められ、それが火に掛けられ、ボウルのなかに粉も入れられてそろそろ揚げはじめることができそうだった。まず最初に、細かく切った餅をフライパンに投入して揚げ、あられ煎餅のようにした。それをあと二度繰り返して、揚げたばかりの煎餅を茶色の紙袋に入れ、塩を振ってつまみ食いしながらその後の作業を進めた。揚げたのはほかに、筍・牛蒡・人参・玉ねぎ・春菊で、春菊が最後まで終わると衣がほんの少々残っていたので、ハムでも揚げるかと言って母親が冷蔵庫から薄いハムを一パック取りだし、それも三枚揚げて天麩羅は終わった。揚げているあいだに母親が、揚がったものをその傍から三つの皿に分けて整理していた。さらに加えて、父親が自治会の会合に行く前に何かものを食べたいと言うので、蕎麦も続けて茹でることにして、三つある焜炉のなか、三角形の頂角の位置の焜炉に乗せられていた大鍋を――この位置の焜炉は火力が一番弱い――右下の、火力の強い焜炉の方に移し替えて、蕎麦を一輪と少々茹でた。鍋の位置を少々ずらして湯に対流の動きが生まれ、蕎麦がよく踊るようにして数分、そろそろ良いだろうというところで、こちらの傍らに立った母親が持った洗い桶の水に、箸で蕎麦を掬って移していった。それを母親が洗って竹製の笊の上に乗せ、天麩羅も揃って膳ができたので盆に乗ったそれを卓に運んでおくと、書類に向き合って何やら作業をしていた父親は、はい、ありがとうと言った。我々の食事のためには、おかずに天麩羅ができたし、昼の寿司飯も残っているので、あとは蕎麦を茹でるだけというわけで、あとの作業は母親に任せて、こちらは階段を下りた。自室に戻るとcero『Obscure Ride』を流しはじめ、"Yellos Magus (Obscure)"を歌ったあと、日記に取り組みはじめたのが六時二〇分、そこから三〇分ほどで記述を現在に追いつかせることができた。
 七時直前から、岸政彦『ビニール傘』をふたたび読みはじめた。タイトル作、「ビニール傘」の冒頭に戻って、気になったところを手帳にメモし、折に触れて観察されたことをコメントにして書いてもいると、あっという間に一時間が経って、八時に至った。そこで本と手帳とペンを置き、食事を取るために上階に行った。メニューは蕎麦、天麩羅、昼の寿司飯の残りや筍に菜っ葉だった。夕刊をひらいて目を落としている母親の向かいでどうでも良いテレビ番組に目を向けながらもぐもぐとものを食べ、速やかに食べ終えると抗鬱剤ほかを服用し、照明の薄い台所に移って食器を洗った。そうしてすぐに入浴に行き、洗面所で服を脱いで裸になって、タオルを持って浴室に踏み入ったのだが、蓋を開けると風呂が沸いていなかった。それで湯沸かしのスイッチを押しておき、洗面所に戻るとパンツのみ履いてほとんど裸の格好のまま外に出て、母親に沸いていなかったと告げると、用意ができるまでの時間を過ごすために下階に引き返した。そうしてふたたび、岸政彦「ビニール傘」を読んだ。三〇分が経つとそろそろ沸いただろうと上階に行き、入浴した。温冷浴を行って上がり、洗面所で身体を拭いていると電話が鳴り、出た母親の声の調子からすると父親らしい。電話を切った母親は、茹でている途中のうどんを見てくれと言って彼を迎えに出かけて行ったので、寝間着の下を着て上半身は裸のままのこちらは鍋を瞥見しながら髪を乾かし、そのあと自室から手帳を持ってきて、台所の大鍋の前に立って番をした。一〇分ほど経つと麺を一本掬って、啜ってみると丁度良い茹で具合だったので火を止め、鍋を持って流し台の縁に置き、箸を使って洗い桶のなかに麺を流し込んだ。そうして流水を使って洗っていると、両親が帰ってきた。グレーのスーツ姿で居間に入ってきた父親は、こちらの作業を見て、うどんをやってくれているのか、と笑った。洗った麺を指に巻いて丸い塊にして、竹製の笊の上に取り分けていき、すべて済むと手を拭いて手帳を持ち、下階に戻った。そうしてcero『Obscure Ride』の続きをヘッドフォンで聞きながら日記を書きはじめて、ここまで一五分ほどで記した。
 岸政彦『ビニール傘』。タイトル作である「ビニール傘」は、二部に分かれており、第一部は八つの断章から構成されている。その八個の断章の語り手を担っているのは、いずれも等しく自らを「俺」という一人称で名指す無名の男性である。それに対して第二部では「私」という一人の女性によって、複数の断章には分かれずひと繋がりの記述でもって彼女の物語が語られる。
 この小説は、文体にこれといった個性的な特徴がなく、記述は全体にフラットで淡々としているのだが、それがむしろ複数の語り手「俺」の一体的な匿名性を生み出しているように思われる。すべての「俺」は少しずつ違っている――ずれている――のだが、そのすべての「俺」が集まり重なり合って、一つの集合的な「俺」の像を形作っているように感じられるのだ。
 断章①の「俺」はタクシードライバーをしており、ある日、「真っ黒」な「巻き髪」の「若い女」を客として乗せる。「新地の女」と呼ばれる彼女は、話者が観察するところ、おそらくガールズバーでアルバイトとして働いているらしい。女は、「いまから出勤ですか? さいきん景気どう? 店流行ってる?」といった「俺」の質問にまったく答えず、ただひたすらにスマートフォンを弄りながら無言を貫くのだが、しばらくすると「とつぜんすすり泣きをはじめ」る。マスカラが崩れないように、「器用に人差し指で涙を拭いている」彼女の仕草が描かれたところで断章①は静かに終わりを告げる。
 断章②の「俺」は清掃員である。彼が「今日の作業をする小さなビル」に赴き、廊下のモップ掛けをしていると、「黒髪の女」がエレベーターから降りてくる。彼女の目のマスカラはほんの少しだけ崩れ、流れていて、「女」は「さっきまで泣いていたように見える」。
 さて、断章①の「新地の女」と、断章②に一瞬だけ登場する「黒髪の女」とは同一人物なのだろうか? そのようにも見えるのだけれど、それを完全に確定させる要素はないのだ。むしろ、この二人の「女」は、同一人物であってもなくても良いように書かれているように思われる。この小説では複数の「俺」と同様に、「女」やのちに出てくる「彼女」も、複数でもあり、同時に一人でもあるような存在なのだ。
 断章③の「俺」はコンビニの店員として働いているのだが、彼もまた、客として接した「女」のことを、「ガールズバーか居酒屋のチェーン店か、安いサービス業のバイトをしているのだろう」と推測している。さらに続けて「女」の住まいの様子が、「何ヶ月もシーツを替えていない枕もとには、子どものときに買ってもらったミッキーマウスのぬいぐるみが置いてあるだろうか」といった調子で想像されるのだが、そこから改行を挟んで突然、「部屋の真ん中には小さな汚いテーブルがあった」と、過去時制の断言が書き込まれている。この段落は全体を書き抜いてみよう。

 部屋の真ん中には小さな汚いテーブルがあった。その上は吸い殻が山になった灰皿と、携帯の充電器と、食べかけのジャンクフードの袋と、なにかわからないドロドロした液体が入っているパステル色のコスメの瓶であふれかえっていた。床の上には、脱ぎ捨てた服や下着、ゴミのはみでたコンビニの袋、ジャニーズの雑誌が乱雑に散らばっている。小さな液晶テレビ、派手なオレンジ色のバランスボール、足がグラグラするコートハンガーには大量の安っぽい服がぐちゃぐちゃに掛けられていた。テーブルの上をもういちどよく見ると、カップ麵の食べ残しがそのままになっている。
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 「俺」はコンビニで働いていたはずなのだが、それが「女」の境遇の想像を経由して、どこの誰のものとも知れない部屋を観察し、描写する視点に移っている。その部屋は、「コスメの瓶」や「ジャニーズの雑誌」が置かれているところを見るに、女性の住人のものらしい。
 実のところ、この一三頁における記述は、第二部も終盤の六八~六九頁に書き込まれている、自殺した「私」の友人の部屋の描写とまったく同じである。常識的に考えるならば、この部分の描写はコンビニ店員である「俺」が「女」の部屋を想像し、仮想的にその場に立っているように描かれているものだと解釈するべきなのだろうが、のちの記述を読んだ読者には、ここに第二部の「私」の記憶が唐突に、時空を越えて嵌入されているようにも感じられる。そのような形で、この小説の第一部と第二部は、「俺」たちあるいは「女」たちと「私」とは緩く繋がっているのだ。「俺」たち「女」たちは、一人の「俺」、一人の「私」の様々な可能性の分岐なのかもしれない。
 さらに続けて改行ののちに、「俺はカップ麵から目をそむけ、テトラポットの上に座ると、ぼんやりと大阪港の海を眺めた」と書かれている。またしてもいつの間にか、場面が移転しているのだ。「俺」はコンビニにいて、次にどことも知れない女性の部屋を眺めていたはずが、次の瞬間には突然、その部屋のなかの「カップ麵から目をそむけ」て、海に臨んでいる。いささか強引とも思えるような、物理法則を超越した時空の転換だ。
 この海を眺めている「俺」は「日雇いの仕事」をしているらしいのだが、彼が断章③の最初に出てきたコンビニ店員の「俺」と同じ「俺」なのかどうかもはっきりしない。むしろ、先の――「私」の記憶の嵌入であるかのような――「部屋」の描写を挟んで、「俺」が別の「俺」に転移したと読んだ方が、筋が通るようにも思われる。
 その後、場面はまたシームレスに、突然に「マクド」に移動するのだが、そこで「俺」が座るテーブルの反対側には、「若い女」が座って、彼をじっと見つめている。「どうやって声をかけようか」と躊躇しているうちに、女は店を出ていってしまうのだが、そのあとから「俺」が退店すると、「マクドの前」にはその女が立ち、彼を待っていたのだった。そして、短い断章④を挟んで断章⑤では、この小説において初めて「彼女」という人称代名詞が現れる。ここで同棲生活をしている「彼女」と「俺」は、「マクドの前の路上で出会っ」たらしいのだが、彼らは断章③の最後で「マクドの前」で向かい合った男女と同一なのだろうか? ――それもやはり最終的にはわからない。しかし、上にも記した通り、それはどちらでも良いことなのだ。これらの男女たちは少しずつずれながら繋がっている。つまり、繋がっているようで繋がっていない、ようでしかしやはりどこかで繋がっているような存在の有り様を描くのが、この小説の目的なのだと思う。
 この後の記述に沿った詳しい分析は行わないが、そのほか、複数の「俺」たちが、「このあたりがむかし湿地帯だった」ことに口々に言及するのも特徴である。最初に冒頭からまもなく、八頁において、「此花、西九条、野田あたりは、昔はだれも住んでなくて、ちょっと雨がふるとすぐに水浸しになるような湿地帯だった」と触れられており、その次には断章③のなか、一二頁で、「このあたりは昔は湿地帯で、誰も住んでいなかったらしい」と述べられている。同じく断章③で「日雇いの仕事」をしている「俺」は、「マクドの百円のコーヒーを飲みながら」、「このあたりがむかし湿地帯だったことをふと思い出し」ている。こうしたたびたびの言及を見る限り、この小説の「俺」たちは、大阪の、同じ土地に根付いていて、そこの記憶を共有しており、互いに交換可能であるような存在なのだと思われる。
 第二部の「私」は、第一部断章⑧の「彼女」に似ているのだが、「彼女」の田舎が「四国」であるのに対して、「私」の実家は「和歌山の片隅の、海に面した小さな町」である。また、断章⑧の「彼女」は、「昔」にガールズバーで働き、そのあとで美容院に勤めているが、「私」は美容師を辞めたあとにガールズバーで働くことになる。このように、微妙な、ささやかなずれが仕込まれることによって、第二部の「私」も、第一部の「女」あるいは「彼女」たちのうち、誰でもなく同時に誰であっても良いような存在として現れているわけだ。
 上記まで書き終えると時刻は一一時、ふたたび読書に入って、『ビニール傘』から「背中の月」の篇を読んだ。四五分ほど掛けて一気に読み終えたが、こちらの篇は特別に気に掛かる部分は見当たらず、さらりと読み過ごしてしまった。そうすると時刻は零時前、何となく疲れたような感覚が湧いていた。それでヘッドフォンを点け、Charles Lloyd『Mirror』を流しだし、ベッドに乗って布団を身体に掛けながらクッションに凭れて目を閉じ、音楽に耳を傾けた。そうしていると三曲目の途中でSkype上での新たな発言を知らせる電子音が入ってきたので、コンピューターに寄って確かめると、Bさんが、「皆さん今日はもう集まらないのですか?」と発言していたので、それに答えて、僕はいますよと返信しておいた。その後しばらくしてから、通話しましょうかと投げかけると、即座にBさんから着信があったので応答した。
 それから三時頃まで長々と、まったりとした会話を続けたのだったが、例によって何を話したのかはあまり覚えていない。しかし皆にこれは書いてくれと言われた話題が三つあって、メモしておいたのだが、それはタイトルをつけるならば、「しるぶぷれ~」と、「エッチな女子高生」と、「乳房肥大化」という話である。最初の話題は、八時頃にYさんが間違えて通話発信をした際に、それを謝るような文言をフランス語及びドイツ語で発言していたのだけれど、それに対してBさんが「和訳でしるぶぷれ~」と応じていて、過去ログを遡ってそれを見たIさんが、「和訳でしるぶぷれ~」「訳してしるぶぷれ~」とネタにして何度も発声して、それが面白くて皆で笑ったということだ。Aさんなどはかなりツボに入ったようで、大いに笑っていた。その後もIさんは折に触れて、「許してしるぶぷれ~」とか、「祝ってしるぶぷれ~」とか、新たなバージョンを開発してBさんを弄りまくり、そのたびにBさんは、そのネタいつまで引っ張るんですかと抗議し、皆は笑い、こちらは汎用性高いなと冷静に感心して口にした。
 「エッチな女子高生」というのは別にエロい猥談ではなくて、Twitter上でよくある業者アカウントやそれから送られてくるダイレクト・メッセージの話題である。最初はYさんの積極的なダイレクト・メッセージについて話していたのだと思う。IさんもAさんも、Yさんと相互フォローになった途端に彼からメッセージが突然送られてきて、それで話が続いているうちに仲良くなったということだったのだが、BさんはこのSkypeグループに誘う内容の長文が送られてきたと言うので、よくブロックしませんでしたねというような話になったのだ。実際、Yさんは、ほかの人からは怪しがられてブロックされることもあるようなのだが、そうした話から、Twitter上では何だかよくわからない投資を呼びかけるアカウントとか、起業やビジネス系のアカウントがあってそれからメッセージが送られてくることがあるという話題に移った。そこでIさんが、あと、何か、エッチな女子高生みたいな、と口にして、ああ、あるある! と皆は同意した。実際こちらのアカウントも、たまにそのようなエロ系アカウントからフォローされている。面倒臭いのでいちいちブロックなどはしていないので、こちらのTwitterアカウントのフォロワー欄を見ると、ごくたまにそのような露出の激しいプロフィール写真を載せているアカウントが散見されるはずだ。それでIさんは続けて、そういうアカウントのプロフィールを見ると、フォロー数が一で、何故か僕だけしかフォローしてないんですよと言うのでそれには笑った。そういうのが好きそうだと思われてるんじゃないですか、とAさんが応じて、もっとムッツリな人をフォローしてくださいよとIさんは嘆いた。
 「乳房肥大化」は、のちになって二時頃だっただろうか、Yさんが参加して以降の話である。これはAさんがYさんから送られてきたメッセージのなかに、「乳房肥大化」という言葉が混ざっていたらしくて、そのやり取りの画像をAさんはチャット上に貼ってくれたのでそこから引用しよう。Yさんがまず、「先端きょだいしょう」「ホルモン分泌」「乳房が肥大化」と片言のように断片的な発言をしたのに対して、Aさんが、「落ち着いて…」と冷静に呼びかけ、それに対してYさんは「ん?」と答えたあと、ふたたび、「乳首の肥大化」「間違えた」「左乳房の肥大化」と応じている。これだけ見ると訳がわからないのだが、Yさんが話したところによると、彼は女性ホルモンの分泌の関係とか、あるいは豆乳をたくさん飲んでいる関係とかで、胸が少々大きくなっているのだと言う。それをAさんに伝えたかったようなのだが、上のような断片的な発言のみではその意図が伝わらないのも道理で、Aさんが困惑しながら「落ち着いて…」と求めたのもむべなるかなといった感じである。
 その他、Aさんが本を読むのが非常に速いという話から、映像記憶、フォト・リーディングというものがあるらしいですねというような話題にもなった。そこでこちらは、エルンスト・カッシーラーがそのような映像記憶能力を持っていて、どこにいてもいつであっても古典作品などの引用を正確に出来たらしいというエピソードを披露すると、古典で会話とか出来たら格好良いですね、やばいですねとIさんが言ったのだったが、それを受けてチャットで参加していたNさんが、「古典だけで会話はまるで押井…」と発言した。押井守作品のことで、『スカイ・クロラ』とか『イノセンス』などでは、「話と全く関係ないけど、齊藤緑雨とか孔子とかの引用で登場人物が会話する」らしい。『イノセンス』はNさん的にお勧めの映画なので見てほしいと言ったが、映画も見たいけれどなかなか生活習慣のなかに入ってこないんだよなあ、本ばかりで、とこちらは応じた。さらに続けて、まあこの通話している時間を映画に当てろっていう話ですよねとも口にした。
 あと、「ふぅ」というゲーム実況者の声がこちらに似ているということもIさんが話して、動画を貼り、それをこちらもちょっと見てみたのだけれど、似ているのか似ていないのか自分ではあまり判別がつかない。ほか、Bさんの学校でのポジションはどんな感じですかと問いかけたこともあった。彼女は学校では読書家だということを隠しているらしい。高校生の時にはそれで「ガリ勉」キャラのように思われたこともあって、それが嫌だったかららしいのだが、しかしこんなところに来ている時点でアウトサイダーなのは確定なんですから、今更本を読まない人間ぶったってしょうがないですよ、とこちらは身も蓋もないことを言った。あと、そのBさんに、『族長の秋』について紹介した時間もあったが、この作品についてはこれまで何度も書いてきているので省く。ただ、『族長の秋』の話ばかりしているので、段々こちらが「『族長の秋』の人」みたいになってきてますよとAさんが言ったが、まあ光栄なことと見なして良いのではないだろうか。何せ七回も読んでいるわけで、世界広しと言ってもあの作品を七回も繰り返して読んでいる人間はそんなにはいないだろう。
 Yさんはこの日珍しく、通話の最初には参加しておらず、どうしたんでしょうなどと皆で言い合っていた。Rさんなどは、昨日僕が嘘つきって言ったから、それでショックを受けたのかもなどと言っていたが、結局別にそういうわけではなく、単純に何か用事があったらしい。それで二時を過ぎてYさんが通話に参加したあとは、例によって映画の紹介などしていたのだが、こちらは二時には通話を離脱するつもりが、結局三時を迎えてしまった。それは、Yさんが彼の飼っている白いハムスターの非常に可愛らしい映像を映したことが原因である。机の上を駆け回って、机の端の僅かな隙間に入りこんだりする齧歯類の様子を見ているうちに三時に至ってしまったのだ。それでこちらはようやく通話から退出し、今晩もありがとうございましたと礼を述べておいてからコンピューターを閉ざした。そうして明かりを落とし、すぐに寝床に入って就寝した。眠るのにそれほど苦労はしなかった。


・作文
 14:44 - 15:37 = 53分
 18:20 - 18:48 = 28分
 21:31 - 22:58 = 1時間27分
 計: 2時間48分

・読書
 15:48 - 16:30 = 42分
 18:55 - 20:00 = 1時間5分
 20:27 - 20:57 = 30分
 23:07 - 23:51 = 44分
 計: 3時間1分

  • 岸政彦『ビニール傘』: 41 - 124(読了)

・睡眠
 2:45 - 13:30 = 10時間45分

・音楽