2019/7/14, Sun.

 二人とも劇場の音と扉の外側
 そこのソファーで息を殺したのだが

 ふるえる長針さえ短針にのしかかり
 ポイントから激しく尾灯がすさり

 それから襖や唐紙のなかで
 ぼくらがひそかにラジオを操る

 荒れ果てて美しい女の声 ほら
 約束は木の葉 足跡は絶望だよ
 (『岩田宏詩集成』書肆山田、二〇一四年、15~16; 「幼い恋」; 『独裁』)

     *

 ぼくらの胸から地平線まで
 夜空にくろぐろとそびえ立つもの
 ぼくに あのひとに ひとしく
 売春婦の姿勢をえらばせるもの
 あれはなに あれはなにか
 モビール オイル スタンダード。
 (25; 「土曜の夜のあいびきの唄」; 『独裁』)

     *

 その夜の劇場の
 そとはくらやみと見えない雨
 ぼくらは松のように濡れて
 道に迷った
 (その・いのちぇんて)
 そのつめたさやくらい木立を
 不信 絶望
 またはかすかな希望ととりちがえて
 ぼくらははげしく愛し合っていた
 (26~27; 「その夜の劇場の」; 『独裁』)


 正午前まで寝坊。雨降り。例によって夢は色々見たのだけれど、たびたび覚醒してそのたびに中断されてしまい、記憶は残らない。上階に行くと母親はソファに座って静かにしていた。何時に行くのかと訊くと、一時半頃と言う。YBさんのおばさんの新盆で宅に伺うのだ。父親も多分一緒に行くはずだと思うのだが、その姿は見当たらなかった。食事は混ぜご飯を作ったと言う。それで洗面所に入って櫛付きのドライヤーを頭に当て、髪を梳かし――今日髪を切りに行って短くするから、この習慣ともしばらくはおさらばである――台所に出て五目ご飯をよそり、冷蔵庫から前夜の肉じゃがの残りが入ったパックを取り出して電子レンジに入れた。そうして卓に就いて新聞一面を瞥見しながらご飯を食べていると、母親がうどんの入った汁や胡瓜の漬物を持ってきてくれた。それも頂き、肉じゃがも食い、テレビは『のど自慢』がまもなく始まり、その頃にはこちらは食べ終わって抗鬱剤を飲んでおり、台所に移って皿を洗った。母親の使った分もまとめて洗う。風呂は残り湯が多いと言うので洗わなくて良いかと決め、下階に下りた。自室に入ってコンピューターを起動させ、準備を整えると日記を書きはじめたのが一二時四〇分である。そこから三〇分強でここまで。BGMはいつもの通り、FISHMANS『Oh! Mountain』。
 歯磨き。その後便所で排便し、上階に行って制汗剤ペーパーで身体を拭く。食事の際母親に、汗臭いようだから拭いていった方が良いんじゃないと言われたのだ。自分で嗅いでみてもあまりよくわからないのだが。それほど汗臭いようには思わなかったのだが、他人からすると多少臭うのかもしれない。しかし今まで生きてきた二九年、体臭関連のことでトラブルが持ち上がったことはないので、それほど強烈に臭いわけでもないだろう多分。身体を拭くと部屋に戻って着替え、上はエディ・バウアーの細かなチェック柄の半袖シャツで、下は明るい煉瓦色の九分丈のズボン。着替えると今日も「記憶」記事を音読する。一番から五番まで。日米安全保障条約や、『古事記』の序盤の記述や、第一次世界大戦の開始から二一か条要求への流れや、柳条湖事件と盧溝橋事件の発生についてなど。読んでいるうちに一六分が経ち、一時五四分になったので切り上げて部屋を出た。美容院の予約は二時である。上階に上がると仏間に入ってカバー・ソックスを履き、玄関を出た。雨がまだいくらか降っていたので黒傘を戸棚から取った。そうして扉に上下とも鍵を掛け、傘をひらいて道を歩き出した。木の間の細い坂道に入ると、足もとには葉っぱがたくさん落ちており、濡れそぼって地面に同化するかのように沈んでいる。道の中盤に達すると落ちている葉の数が急に多くなって、鈍い褐色の落葉が、避けようもないくらいに重なっていた。その上を踏むと、少々水っぽい感触が靴裏に伝わる。坂を上って表の通りに出て、横断歩道へ行くとちょうど車通りがなくなったのでスイッチを押さずに渡った。そうして美容室へ。入り口の扉は開放されていた。その前の軒下に立ち、傘を閉じながらどうも、こんにちはと室のなかの二人に挨拶する。美容師のおばさんと、助手のYさんである。店内に客はおらず、彼女らはちょっと暇していたようで、店の奥の方に座っていた。どうぞと言われるのでなかに入り、洗髪台に座って身を倒す。Yさんの手によって髪を洗ってもらっている途中、彼女はFくん、伸びたねえと言った。そうですねと受け、明日が給料日なのでそれまで我慢しましたと言おうかどうしようか迷っているうちに洗髪は終わった。そうして鏡の前へ。カットクロスに手を通す。Yさんが、こんな天気だとFくん、調子悪くなったりしない、と訊いてきた。こちらは、調子は良くて、と受け、お蔭様で仕事にも復帰しましてと報告した。二人はそれは良かったねえといった感じだった。美容師が近づいてきて、今日はどのくらい、と訊くので、短くと答える。
 それで耳元あたりまでバリカンを入れてもらい、頭頂部の方はやや残して刈ってもらった。切ってもらっているあいだの話題は概ねこちらの職場の話である。宿題をやって来ないのだと言うと、出来るとか出来ないとかそれ以前の問題だねという反応があった。うちの室長が言っているんですけど、と口をひらき、宿題をやって来ないっていうのは、医者に行って診察だけしてもらって薬を飲まないのと同じだって、と室長の言を紹介すると、二人は大層納得して感心した様子で、それは良い例えだと言っていた。そのほか、システムの根本として授業記録ノートというものがあるのだが、それを忘れてくる生徒もいると話すと、それでは話にならないねと美容師は受けた。
 一時間弱、髪を弄ってもらって、さっぱりと短くなった。終わったところで鏡を渡され、椅子を横に回転させられて後頭部のあたりを鏡に映して見た。こんな感じでどう、と言われるので、有難うございますと了承し、立ち上がって会計へ。三二五〇円である。金を支払うと、飴の入った小さな籠の近くに寄って、これ、飴、頂きますねと言って手を伸ばすと、美容師がFくん、お勧めの飴があってとがさがさ探し出す。何ですかと待っていると、酵素の飴だと言って差し出してきたので受け取る。酵素って何の酵素ですかと笑うと、野菜の、とか何とか言っていた。この飴のことを今しがた思い出して口に入れてみたのだが、全然美味くない。そのほかに貰った果物の飴の方が美味かった。桃と葡萄の飴を一つずつもらい、それで有難うございました、またお願いしますと挨拶して退出。雨は止んでいた。道を歩いていると、向かいの通りに現れたワイシャツ姿の男が、何とか声を出した。ちょっと遅れてそれがこちらに向けられたものだと気づき、よく見てみると――と言って、目が悪いので視覚像がぼんやりとしていて定まらなかったのだが――父親らしかった。美容院行ったの、と父親は先ほどの言を繰り返したので、手を挙げて挨拶し、ああ、と答えた。父親はそのまま、すぐそこの肉屋の、今日は肉屋はシャッターが閉まっていて休みらしいのだが、その建物の側面についた勝手口めいた扉を開けて、肉屋の婦人だろうか、一人の女性と一緒になかに入っていった。それで思い出したけれど、美容院に入った最初に、洗髪中だったと思うが、Fくん、さっきFくんのお父さんが来たよと言われたのだ。何でですかと訊くと、神社の祭りがどうとか言っていたが、何かしら自治会の役目だったらしい。従って、父親はYBさんの宅には行っておらず、母親一人で盆の挨拶に行ったわけだ。
 来た道を戻って帰った。家の近くに来て川向こうの山の方に目を向けると、山の谷間から霧が湧いていた。雨が止んでも空は相変わらず白く濁っており、また降ってもおかしくなさそうである。玄関に行き、扉の鍵を開けてなかに入った。靴下とシャツを脱いで洗面所の籠に入れておき、それから下階に戻る。そうして三時を回った頃合いから読書――冨岡悦子『パウル・ツェラン石原吉郎』である。一四五頁から一四六頁に掛けては、パウル・ツェランの「ハヴダラー」という詩が紹介されている。次のようなものである。

  ハヴダラー

 その一本の、その
 たった一本の
 糸を、 それを
 おまえは張りめぐらす―その糸で
 紡ぎくるまれたものよ
 外側へ、かなたへ
 拘束のなかへ。

 丈高く
 紡錘たちが立っている
 荒地のなかへ、木々が―
 下から、ひとすじの
 光が 空気の
 織物に結ばれている、その上でおまえは食事の支度をする、空気の
 椅子たちと それらの
 安息日の輝きに―

 敬意を表して。
 (『誰でもない者の薔薇』所収)

 ここで詩人は自らを、言わば糸を吐いて自身を包む繭を拵える蚕に擬していると考えられる。詩人の言葉の糸は「ひとすじの/光」と化し、「荒地」――原語ではUnlandと書かれるこの語は、どこにもない、非在の場所を含意しているだろう――を「下から」昇っていくそれは「空気の/織物」に結びつけられており、冨岡はこの「空気の織物」を「詩人の言葉で編まれた詩作品のアレゴリー」だと判断している。
 そこまでは良いと思うのだが、そのあと、「詩人のこうした営為を支えるのは、幼年時代の彼の記憶であり、記憶のなかの母や祖母への追憶である」(147~148)と述べられているのには首を傾げてしまう。「というのも、糸を紡ぎ紡錘に巻きつけ糸を織物にする作業を連綿と続けてきたのは古来より女性であったからだ」(148)と続けてその根拠が記されているのだが、しかしだからと言って、「ハヴダラー」の詩が本当にツェランの「幼年時代の記憶」に支えられているのか、本当にそれが「母や祖母への追憶」を元にしているのか、それはツェラン自身の証言などの伝記的な資料でも存在しなければ、畢竟誰にもわからないのではないだろうか。それにもかかわらず筆者はこの部分で、「……である」という断定の形を用いている。自分はこの断言の身振りが気に掛かる。勿論、こうした箇所をいちいち「……であろう」とか、「……だと考えられる」という推測の様式にしていては、記述が曖昧なニュアンスを帯びて説得力が損なわれるという言い分はわかる。形としての断定はレトリック上の問題で、何も筆者はこうした読みを絶対的なものとして提出しているわけでは勿論なく、筆者個人の一つの解釈として受け止めれば良いとわかってはいるのだが、確かな根拠のないままの断定の形がどうしてもこちらの心に引っかかってしまう。
 それから、かなり遡るが八四頁においては、筆者は石原吉郎の「脱走」を取り上げて、この詩は「失語の果ての悲惨から、「あるはげしいものが一挙に棒立ちになった」まさにその瞬間をとらえているのだ」と石原のエッセイのなかの文言を引いて解釈している。続けて改行し、段落を変えた筆者は、「棒立ちになったはげしいものとは、一発で脱走囚を射止めた監視兵の殺意への恐怖と憤怒であり、若いロシア人の脱走への衝動に対する同意である」と述べているが、ここに関してもこちらは首を傾げたくなる。「脱走」のなかの一体どこに、「恐怖と憤怒」が、「同意」が書き込まれているのだろうか? 筆者はその直後に、「詩の中において、それは、「射ちおとされたのはウクライナの夢か/コーカサスの賭か」、「まあたらしく刈りとられた/不毛の勇気のむこう側/一瞬にしていまはとおい/ウクライナよ/コーカサスよ」という詩語にあらわれている」と断言しているのだが、詩作品全体の文脈でここを読んでも自分には「恐怖と憤怒」や「脱走への衝動に対する同意」が読み取れるようには思われない。冨岡の読み込みは肝心なところでありきたりの「感情」や「内面」に還元されてしまっている。彼女の解読はほとんど毎回必ずエッセイや、伝記的な事実を引いてきて、それら詩の外部の情報に基づいて遂行されていて、その限りで伝統的と言うべき手法に支えられている。その手つきは実直で丁寧とも言えるものなのだが、そのせいで外部情報の重力――それは特に石原の一連のシベリア・エッセイにおいて重い――に引きずられ、その文脈に巻き込まれすぎているようにも感じられる。
 同様のことは「サンチョ・パンサの帰郷」についても言える。

 やがて私は声もなく
 石女[うまずめ]たちの庭へむかえられ
 おなじく 声もなく
 一本の植物と化して
 領土の壊滅のうえへ
 たしかな影をおくであろう

 上記の箇所について筆者は、「石原の戦後詩人としての立場の表明」(88)だと読んでおり、続けて、「シベリア・ラーゲリの死者の証言者として生きるという決意が、この詩の一節に託されていた」とこれ以前の読解を振り返っている。つまり、「領土の壊滅」――荒廃した戦後日本の国土――の上に立つ「一本の植物」は詩人自身の姿の比喩であり、それが「たしかな影をおく」というのはシベリアで目にした死者たちの証言者として生きていくことの決意だと読み解く。この時点で多分に石原本人の、不確かで根拠の薄い「心情」に引き寄せられた読解となっていると思うが、さらに筆者は続けて、ここで言われる「領土」とは「すなわち日本語にほかならず」、「石女たちの庭」は「子孫を残しえない戦後詩の位置をアレゴリーによって示唆している」という理解を披露している。しかし、この段階を踏まない一挙の、断定的な読み替えはあまりに性急で、自分の文脈に強引に引き寄せすぎているように感じられるのだが、どうだろうか。
 さらに、同じく石原の「麦」の読解を取り上げよう。先ほどの「サンチョ・パンサの帰郷」読解の文脈で、「詩の定義」というエッセイを引く筆者は、石原の詩は「沈黙を語るためのことば」だったという本人の言葉を紹介し、それを敷衍して「麦」の詩も「「沈黙」の言葉を紡ぐ詩人の姿勢を示すメタファー」(95)だと読んでいる。そうして付け加えて、石原がキリスト者であった事実を勘案して、「麦」の詩の背景には、聖書申命記の「良い土地」についての記述があったのではないかと推測し、その段落の締め括りとして、「最上の糧としての麦を詩人のメタファーとする石原に、最良の戦後詩を書いた人間の自負が感じとれないでもない」と述べる。「感じとれないでもない」と断定を避けた曖昧で慎重な表現になってはいるものの、ここに至っては、そんなものが一体どのようにして感じ取れるのか、と大きく首を傾げざるを得ない。石原が自身を「最良の戦後詩を書いた人間」として自恃していたと言うのだろうか? ここの読解は、あったかどうかもわからない作者の感慨に作品を従属させようとするもので、言わば邪推のような読み込みであり、端的に言って退屈な深読みではないだろうか。
 以上のように、冨岡の読みは大部分は穏当なのだが、時折りこちらの感覚からすると疑問符をつけてしまうような箇所が散見される。こちらが枝葉末節にこだわりすぎているのかもしれないし、詩の解釈というものは多かれ少なかれそうしたものになる要素が含まれているものなのかもしれないが、釈然としないことは確かである。とは言え、それではお前はそれに対してどういう解釈をするのだ、と言われたら、これと言って積極的な読解も持ち上がってこないのは事実である。従って自分は今、批判するだけしておいて、対案を出せない野党のような立場に置かれているのかもしれない。
 ともかく一時間ほど読書を続けたのち、眠くなって少々休んだ。五時近くになって天井がどんどん鳴った。それと同時に、ひらいた窓の外から上階にいる母親――既に帰ってきていたのだ――が誰かと電話をしている声が聞こえてきて、Mちゃんをあやすような声音とその内容からロシアの兄がビデオ通話を掛けてきたのだなとわかった。何度目かに天井が鳴ったところで何とか起き上がり、上階に行った。すると、イケメンが来たよ、イケメンが、と謂われのない揶揄を母親から受けた。ソファに就き、タブレットの画面に映っているMちゃんに手を振る。それからしばらくのあいだ、Mちゃんが遊び回って、シールブックにシールを貼ったり、人形の髪を梳かしたりするのを眺めた。Mちゃんは結構よく喋るようになっており、発語がわりとはっきりしてきた。我々が発した言葉をそのまま繰り返したり、シールブックを扱いながら、「どこかな」とか、「前のページ」とか言ったりすることもあって、どうも意味を理解しているらしいぞと観察された。しばらくして、Mちゃんが、おしっこがどうとか言いはじめて、どうやら催したようだったので――通話の終わり際に、母親が見たところ、Mちゃんは息むような表情をしていたようだ――通話は終了した。それから、腹が減ったと言いながら、テレビで掛かっていた『探偵ナイトスクープ』を少々眺め、そうして食事の支度に入った。野菜炒めを作れば良かろうという話だった。それで母親の買ってきた野菜ミックスを取り出し、笊に空けて洗い、そのほかキャベツを刻み、玉ねぎも切った。そうして炒める。野菜の硬さが少々残ってシャキシャキするくらいで火を消して、塩胡椒を振りかけて完成させると、まだ六時に至らないくらいだったと思うが、こちらは腹が減っていたのでもう食事を取ることにした。五目ご飯、大根の煮物、今しがた作った野菜炒め、茄子や卵の入ったスープである。卓に就いて黙々と食い、食後、抗鬱剤を飲んだあと、母親が買ってきたバニラ味のアイス、「MOW」も頂いた。テレビは世界遺産を紹介する番組が掛かっていた。オーストラリアの何とか言う、赤と黒の縞模様の奇岩が広がる地帯。赤い砂岩は表面のところどころに穴が空いていて水分が蒸発し、酸化して赤くなったとのことだった。それに対して黒い地層は泥混じりの部分で、水分を求めてバクテリアが繁殖しており、そのために黒くなっているのだと言う。アイスを食べ終わると食器を洗い、アイスの容器も洗って始末して、下階に下りた。我が塒に入ると、六時半前からふたたび読書。BGMはBob Dylan / The Band『Before The Flood』。しかしここでも、時折り音楽に耳を傾けているうちに、眠気に刺されて意識がやや曖昧になってしまう。音楽は、二枚目の冒頭の"Don't Think Twice, It's All Right"などがやはり素晴らしい。弾き語りなのだが、ギター一本とハーモニカ一つと自らの声音だけで満員の観客を湧かせることが出来るというのはやはり凄いものである。ストロークも結構速いのだが、実に切れが良く、コードチェンジに一片の緩みもない。さすがと言わざるを得ない。
 意識を曖昧にしながら八時まで読書し、それからまた横たわって姿勢を横に向け、薄布団を抱くようにして少々休んだ。八時半を過ぎてから起き出した。父親が帰ってきたようだった。伝わってくる声色から酒を飲んできたのがわかった。インターネットを回っていると天井がどんどん鳴ったので、上階に行くと、洗面所に母親が入っていて先に風呂に入るよと言うので、了承し、下着だけ洗濯機の上に置いておいて引き下がった。父親は風呂から出たところらしく、上半身裸で食事をよそっていた。台所で。こちらは下階に戻り、九時直前から日記に取り掛かった。二五分書くと天井がまた鳴ったので、結構出るのが早いなと思いながら上階に行き、もう出たの、早いじゃんと母親に言った。そうして入浴。職場での予習について事務給を貰おうか否かと考えながら湯に浸かり、頭を洗って出ると、身体を拭いて髪を乾かした。髪を切ったので乾かすのが非常に楽である。そうして洗面所から出ると、父親の姿がない。電気をつけっぱなしで行きやがった、消して、と母親が言うので、玄関と仏間の明かりを消した。どこに行ったのかと訊くと、上の駐車場の鍵がどうのこうのとか言っていた。自治会館の駐車場に行ったらしいが、よくもわからない。払って下階に下り、Bob Dylan / The Bandの音楽を聞きつつ手の爪を切ったあと、一〇時直前からふたたび日記を記しはじめた。書いているうちにいつの間にか一時間以上が経っていた。冨岡悦子の著作にケチをつけるのに時間を費やしてしまったためだ。別に初めからケチをつけようと思って読んでいるわけでは勿論なくて、どうしても気になってしまっただけなのだが。どうせならどんな本であれ、その著作の良い部分を見つけたいものである。しかし冨岡のこの本に関しては、今のところ際立って興味深い部分、すなわち書抜きしたいと思うような箇所はほとんど見つかっていない。
 日記を現在時刻まで書き綴ると、書抜きに入った。柴崎聰編『石原吉郎セレクション』から三箇所。続けて谷川俊太郎『詩を書くということ 日常と宇宙と』も三箇所抜いて、この本の書抜きは終了。音楽はヘッドフォンをつけてBob Dylan / The Band『Before The Flood』を繰り返していた。それで零時ぴったりに書抜きを切り上げ、インターネット記事を読むことにした。まず、志葉玲「「官邸に記者達が屈服」アンケートで明らかに―国連も懸念、日本の報道再生の鍵は?」(https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20190712-00133900/)である。「国境なき記者団」による報道の自由度ランキングにおいて日本は、二〇一〇年には一七八か国中の一一位だったところが、今年二〇一九年には一八〇か国中六七位までに下がってしまったと言う。例の、望月衣塑子記者に対する官房長官の排除、締め出しなどの問題を反映した結果だろうが、現在その菅義偉官房長官への取材に当たっては、「録音自粛」が行われているらしい。つまり、記者は携帯やICレコーダーを事前に回収袋に入れて、オフレコの発言を録音しないという「忠誠を誓って」からでないと取材が出来なくなっているのだと言う。小学生か、というような話である。
 続けて、星浩「「挫折」から「一強」へ。安倍晋三政権の権謀術数」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019062100005.html)を読みはじめた。手帳に色々な事項をメモしながら読み進めたので時間が掛かって、読み終わる頃には一時半を過ぎていた。途中、一時を過ぎた頃だったかそれとも一時になる手前だったか、腹が減ったのでカップヌードルを用意するために上階に行った。父親はまだ起きており、テレビを見ながら例によって何やら感心の唸りを漏らしていた。戸棚から日清のカップヌードル(シーフード味)を取り出して湯を注ぎながら、今日美容院で、と口火を切り、Fくんのお父さんが来たって言われたよと父親に話しかけたのだが、聞けば今日は美容院には行っていないと言う。前に行った時のことを言っていたのではないかとのこと。今日来たというような口ぶりだった気がするのだが――真相は不明である。そうしたやりとりを交わしてからヌードルを持って自室に戻り、啜り、スープも飲みながら記事を読み進めた。経済という分野は昔から苦手で、知識が定着していないので、高校生の政経レベルの事柄だろうが、金融緩和や財政出動といった政策について簡易的な説明を調べ、それも手帳にメモしておいた。
 そうして一時四〇分を迎え、コンピューターをシャットダウンさせて閉ざし、ベッドに移った。また雨が降りはじめているようだった。冨岡悦子『パウル・ツェラン石原吉郎』の書見。こちらの違和感ばかりを表明して恐縮なのだが、石原吉郎の「海嘯」という詩に関しても、いささか強引な深読みではないかと思われる箇所がある。まずは当該詩作品の前半を引いておこう。

  海嘯
   銭塘江残照図

 どのように踏みこえたか
 それを知らねばならぬ
 生涯でこえたといえる
 およそ一つのもので
 あったから
 残照へあかく殺[そ]いだ
 落差とも
 断層ともつかぬ壁の一列が
 わずかに風と拮抗した
 そのつかのまを
 見すえてから
 その位置を不意に
 踏み出したのだ
 めりこんだ右の
 おや指から
 海がその巨きさで
 河をおびやかし
 河がその丈で
 一文字にあらがうさまに
 わずかに彼は耐えた

 「海嘯」とは海の水が河に向けて壁のように立ち上がって逆流する現象のことだと言う。冨岡悦子はこの詩について、その海嘯現象を、「石原は自らが立つ位置の比喩としている」と述べ、「すなわち、高波に襲われた人間を、戦争に徴兵された人間のアレゴリーとしているのである」と直後に説明を付け加えている。それに対応させて次の段落では、上記した詩の前半部について、「徴兵という現実を受け入れざるをえない人間の心身の恐怖を的確に描写している」との評価を下しているのだが、上の詩句から「人間の心身の恐怖」が一体、読み取られるだろうか? 自分にはよくわからない。よしんば「恐怖」が書き込まれているとしても、「徴兵という現実を受け入れざるをえない」という状況まではこの詩の射程として含まれていないのではないか。ここでも筆者は、詩の外部のエッセイの記述に作品を無理に引き寄せており、言わば作品を外部情報に従属させ、強引な文脈化を施しているようにこちらには感じられる。冨岡が上のように判断するに当たっては、「詩と信仰と断念と」の中で語られている「戦争による死への身がまえの前提となった断念」という言葉が根拠として挙げられているのだが、その文言がなければ上記のような読みはまず出てこなかっただろうし、このエッセイとこの詩篇がそのようにうまく対応しているのかもこちらには疑問である。
 三時二〇分まで読み、この本は読了した。書き抜きしたいと思われる箇所は五箇所程度だし、それらも正直なところ物凄く印象的あるいは啓発的だったというわけでもない。この本から自分が得られたものは残念ながらあまりなかったようだ。その後明かりを落として、枕の上に座り、一〇分弱瞑想の真似事をしてから横になった。しかし、眠れないような予感はしていた。昼間にうとうととしてしまったためだろうか、眠気の近寄ってくる気配が感じられなかったのだ。それで、三〇分経って四時になっても眠れていなかったらもう起きてしまおうと考えていた。


・作文
 12:42 - 13:16 = 34分
 20:56 - 21:21 = 25分
 21:55 - 23:14 = 1時間19分
 計: 2時間18分

・読書
 13:38 - 13:54 = 16分
 15:05 - 16:12 = 1時間7分
 18:23 - 20:02 = (30分引いて)1時間9分
 23:18 - 24:00 = 42分
 24:05 - 25:37 = 1時間32分
 25:42 - 27:19 = 2時間37分
 計: 6時間23分

・睡眠
 3:30 - 11:55 = 8時間25分

・音楽