2014/3/5, Wed.

 駅近くの路地裏を歩いているとラーメンの屋台を見つけた。白衣をつけた店員の短い袖からたくましい上腕がちらちらと見える。麺をふる動きに合わせて血色のいい腕の筋肉が締まり、飛び散る汗に濡れひかる。顔は見えないが、Yの面影をそこに見るようでもあった。素通りして路地の出口を出ると、駅のロータリーの一角にステージが設けられていて、人もそれなりに賑わっている。いまちょうどコンビ漫才が終わったようで群衆は拍手喝采しているが、見ればステージ上の一人は塾の生徒であった。隣には姉だろうか若い美人が立っており、そちらをぼけっと見ていると、知らない女性二人に両脇から腕をつかまれて、次はあなたの番ですよ、とステージへと上げられそうになった。
 夜の公園では祭りが催されており、広場の中央に櫓が立って暖色の光を放ち、周囲にはいくらか色めいた雰囲気が漂っているが、そんな空気を意にも介さずひとり周縁でフェンスかなにかにもたれていると、O.Sがあらわれた。久しぶりに会ったので積もる話もいろいろ出てくるその会話のなかに、Oとは面識のないK.Yがいつの間にか混ざっている。お前いまどこに住んでんの、とOに尋ねれば、バイパス周辺のアパートだと答えるその顔がいくらか困ったような笑みを見せるので、そうかこいついま貧乏になっちまって、気に病んでいるのだな、と察する。Kがアパートの何号室かと尋ねると、右上だよ、アパートは右上から埋まっていくからね、とOは答える。どうもそんな傾向があるらしいな、聞いたことがある、とKはこともなげに言うが、そんな法則の存在をはじめて耳にしたこちらはひどく驚いた。
 春の空気はどこへやら、寒雨の日で、寝床からは一面白くくすんだ空しか見えないけれど雨が降っているのは耳が知らせた。食後そのままリビングでプルーストを読み、部屋に戻ってEvan Parker『50th Birthday Concert』を流してからも読みすすめていると母が帰宅した。彼女の買ってきたハンバーガーをつまんで、借りたCDのデータを記録していると腹が痛んだ。かまわずストレッチをし、ダンベルを持っていくらか筋肉痛になっている腕をさらに追いこんでから風呂に入った。
 大雨というほどでもないが久方ぶりにそれなりの降雨で、靴を買おうと思ったのは駅から歩廊へ出るときに右のかかとが滑ったからだ。すり減ったかかとはこらえ性がなく、雪のとき以来同じようなことは繰りかえしており、大股で歩くことも力強く踏み出すこともできず、おぼつかない足取りでちまちまと歩くのにも飽きてきた。地元の図書館では小曽根真 & Gary Burton『Time Thread』とJames Blake『Overgrown』だけ借りて、新着図書すら見なかったが、柴崎友香『ビリジアン』を借りておくのだったとあとで思い出した。気温の低さに備えてまとった外国人が着るような大きなコートが、濡れると何ともいいがたい妙なにおいを放つことに気づいた。古着屋で見たときは明るい黄土色とチェック柄がシックだと思われて買ったが、においはあるし、かさばるし、今さらになって失敗だったのではないかとも思われてきた。雨は強く、屋根や何やらにぶつかる雨音が重なって、駅で電車を待ちながら河のそばにいるような音にも聞こえた。
 電車内ではJohn Coltrane『My Favorite Things』を聞いていた。ホームでの位置取りを誤って座席の端に座れず、だからよりかかって眠ることはできず、右手で傘をおさえながらただ目をつぶって聞いていた。聴覚にくわえて視覚も閉ざされた世界は現実と隔絶していて、目をあけてもしばらくはそのまま夢を見ているような現実感の希薄さがつづくのだった。立川は相変わらずの人の多さで、駅のコンコースにひしめき合う人海を見ていると、酔いそうになった。午後五時も過ぎれば空は青く暗く暮れ、オレンジの光を広げる円盤型の電灯がシャワーの噴出口のようになっているのを見て、雨の強さを視認できた。
 新着図書はほとんど変わりないが、トニ・モリスン『ホーム』があったのと、新訳ベルクソン全集の二巻から四巻が入っているのに気づいた。CDは山下洋輔『Sparkling Memories』、John Zorn Masada『Masada: Alef』、Derek Bailey『The Music Improvisation Company』という弩フリーな三枚を選択した。今日もまた自動機械での貸し出しを終わるころになって便意を催したけれど、最近はここに来るたびに排便しているような気がした。
 午後六時の空はもうほとんど夜になるところで、残ったかすかな青みもいま消えようとしていた。歩廊には胸の高さに丸太のような手すりがあって、下部から洩れて通路を照らすオレンジの明かりと同じ色で眼下の横断歩道も染まっていた。映画館とLOFTをつなぐ歩道橋の上から交差点のほうを見晴らすと、左の車線にはバックライトの赤が並び、右奥にはこちらを向いている車たちの白や橙や黄色がかったライトが連なって、車道の左右を埋める店並みの明かりと一体化した街の風景をつくりあげていた。駅の壁画前でNと合流した。安さが売りで学生の味方として名高いファミリーレストランに入った。学生の味方だけあって禁煙席には学校帰りの高校生や大学生らが隅から隅まで席を埋め、かしましくしゃべり、笑いあうその光景はなんとなく養鶏場の鶏たちを連想させなくもなかった。Nが煙草を吸うため喫煙席に入ったが、こちらはいくらか空きが見られて、スーツの男性が一人で携帯をいじりながらドリアを食べたり、妙齢の女性が二人で談笑したり、仲睦まじいカップルがはしゃぎあったり、自分たちと同じようなフリーターらしき二人がおもしろくもなさそうに雑談しているなかに一人、精神を病んでいるのではないかと思うほど生気のない表情の男性がいて、飲み物をとって戻ってくるその足取りはなかば亡霊じみていた。途中ばっちりと化粧を決めたかわいらしい、しかし気の強そうな女性が一人でやってくるとNが精一杯眼球を横にずらして顔をうかがっていたのが笑えた。
 靴を買うため駅ビルに入ったけれど、先に八階の本屋へ行ったのは、界隈で一番大きな書店にはなかったパウル・クレーの日記がこちらにはあるのではないかというひらめきを得たからで、いざ行ってみると本当にあって胸がどきどきした。マルセル・デュシャン書簡集やゴッホの手紙などもあった。クレーの日記にくわえて阿部公彦『詩的思考のめざめ』を買った。クロード・シモン『歴史』も買おうかと迷ったが、図書館にあるのを知っていたので見送った。それから靴を買いに下へおり、見て回ったが長いこと訪れないあいだに価格帯が全体に数千円上方移動したような印象で、一万円以下のものがあまりなく、最後の店で時間が迫っていたこともあってなかば適当に決めてしまった。服や靴に対するこだわりがどんどんなくなっているどころか、服なんてもう一年以上は買っていない。下りて、改札へ向かっている途中に、いやでも今日は靴より本を買えたことのほうが大きかったな、とつぶやいた。いくらしたの、と聞かれたので八五〇〇円、と答えると驚かれた。じゃあなにお前、この短時間でしれっと二万も使ってたの、と言われて、そう考えるとやはり靴は我慢しておいてまだしばらくはつるつる滑りながら歩いておくべきだったかもしれない、さもなければもう少し安いものを買うべきだった、と古いものと交換して履いている靴を見やれば、ステンドグラスのような柄に目を引かれて買ったけれどもうすでにこれはださかったのではないかという気がしてきて、無駄に色気を出さずにもっとシンプルで安いやつにしておけばよかったのだ、そうすればクロード・シモン『歴史』だって買えたのに、などと心中で嘆息した。Nのほうは最近四万もするジャケットを買ったということで、二人して腐れフリーターのくせにずいぶんと金遣いが荒いものだと笑った。
 風が吹くと冬の名残りが顔を出して体を一瞬で冷たく染める夜だった。雨はやんで、星がよく見える夜空だった。星の光は常に一定ではなくて、かすかに収縮と膨張を繰りかえしているように目に映った。帰って小腹がすいていたのでおにぎりとハンバーガーを食べた。風呂に入って日記を書きはじめたが、疲労が体にわだかまって頭痛に変わりそうな予感があったし、そろそろ正午前に目覚める生活から脱したかったので途中まで書いて眠ることにした。