2014/6/27, Fri.

 六時十八分のアラームで起きられなかった。二度寝をくりかえして、ようやく目があいたのは十時半だった。眠りすぎたからからだがかたかった。たぶん昨夜お菓子を食べて胃が重かったから起きられなかった。夢をおぼえていた。幽霊が出てきた。病院の外側にある鋼鉄の階段をのぼっていた。段と段の隙間から下が見えて、のぼりきるころになって見下ろすと、隙間のむこうに緑色の顔が浮いていた。
 ハムを炒めてとメモに書いてあったから、うすく切って卵といっしょに焼いた。兄が送ってきたハム類はまだいくつも残っていた。米にのせて食べてお吸い物も飲んで、さっさと下へおりた。晴れかくもりかわからないあいまいな天気ではなくて明確にくもりで、灰色の雲が低いところまでたれこめて部屋は薄暗かった。Miles Davis『On The Corner』を流しながら日記を書いた。書き終わると十一時半になって、三月の日記を最後まで読みかえした。三十日に「「風船のようにふくらみながら中身はすかすかであるという記述の可能性」(二〇一三年十月二十三日)」と引用してあって、その下に「芸術家よ、ただ形成せよ、多弁を弄するな」が三つ並べてあった。家を出てから図書館に行くまでの段落がまあまあよかった。真っ白なアスファルトの情景はおぼえている。本当に雪が積もったのかと一瞬思ったくらいだった。日記をベッドで下書きしていると雨が降りだしたから、上へあがって洗濯物を入れた。
 ムハマド・ユヌス『貧困のない世界を創る』を読んだ。雨は一瞬ぱらっときてすぐに消えて、そのあともくもったままだった。読みながら腕立て伏せをはさんだり、足上げ腹筋をしたり、背筋も寄せて刺激した。二時をすぎて上へあがって、タオルをたたんで、シャツとハンカチにアイロンをかけた。腕立て伏せとスクワットをして汗をかいてから風呂にはいった。ひげをそった。出て歯みがきをした。音楽は読書中からずっとJoshua Redman『Trios Live』を流していた。"Mantra"の冒頭のサックスソロをギターでコピーしたかった。パンツ一枚で今月の給料を計算すると七万円前後だった。これでは自立して生きていけない。スーツに着替えて、ネクタイはいつもと違うやつをつけた。いつもは水色で斜めに交差したストライプが入っているものとワインレッドで斜めに交差しないストライプが入っているものを交互につけていて、この日は水色のものより少しだけ青が強い水色で斜めに交差したストライプが入っているものをつけた。水色のものより生地が厚いから結びにくかったけれど、単に結び慣れていなかっただけかもしれない。リビングにあがってソファで日本史の一問一答を少し読んでから勝手口から出た。
 坂を入ってすぐの脇にいつもどおりガクアジサイがあった。蝶がひらひら飛んでいるようなまわりの花びらは青一色に染まって、白い部分が残っているものはひとつくらいしかなかった。中心の粒々もひらいて、細い触角のようなものを八方に伸ばしていた。まだ閉じているものは薄緑色だった。前のめりになるように歩いて坂をどんどんあがっていった。大きく呼吸はするけれど全然苦しくなくて、駅の階段も一段飛ばしでのぼった。筋トレをたくさんしたからからだがあたたまっていて、熱がはじけるようだった。ホームの先のほうまで行ってMiles Davis『Four & More』を聞きはじめた。空はなめらかな青を乱すように乳白色が散らばっていて、電車のなかからひらけた空中を見ると、おだやかな海面のようにゆったりとした巨大なうねりが明らかになった。山の向こうにはもうひとつの山みたいに白い雲がわきおこっていた。Herbie Hancockが鍵盤を駆けまわっていた。駅で降りると帰りの高校生がたくさんいて、改札へ向かうあいだも何人もすれちがった。駅から出ると同時に"So What"が終わって、イヤフォンを外した。公衆トイレに寄った。入り口にいた清掃のおじさんにこんちは、と声をかけた。あい、どうぞ、といった。少し舌のまわらない声だった。公衆トイレは汚い。薄いピンクの壁と床は掃除したばかりで濡れているけれどその光沢が余計に汚らしかった。用を足すこっちの横で赤い小さいクモやハエが薄汚れた壁にとまっていた。自分が市長だったら真っ先にここを建て替えさせる。
 四時間はたらいた。つかれた。
 雨が降っていた。傘は持っていなかった。駅へ入って、電車に乗って席へ座ると、先の車両から女子高生があらわれた。こっちに目を送って笑いながら寄ってくるからよく見たら元生徒だった。前髪をあげているのは雨でびしょびしょに濡れたから、といった。テスト前なのに部活の休みがなくて大変だといった。野球部のマネージャーだった。そんなことを言って先の車両に戻っていった。降りると雨がけっこう強かった。駅前の木の下で立ちどまって、車がいなくなるのを待った。電灯の光に雨の線が浮かびあがって、そのむこうに虫が群がっているのも見えた。車の途切れ目をぬって道を渡ってかばんを脇に抱えて走った。濡れた髪が逆立った。林に入ると雨は葉にさえぎられてあまり濡れなかった。玄関をあけるとすぐそこで母が電話していて、そばにダンボールが積んであった。手を洗っていると電話が終わった。ダンボールは盆に配るきし麺とジュースだった。それを仏間へ運んでから部屋へおりた。
 肉の炒めものを米にのせて食べた。父が帰ってこないからおかわりしてすべて食べた。母が盆の法要についての愚痴をやめないので、もう五十何年も生きてきたんだからいままで大変なことなんていくらでもあっただろう、いい加減覚悟を決めろといった。仕事をやめたあとも人がたくさん来そうだとか家のことをやらなくてはとかぐちぐちいっていて、どうして文句ばかりで自分の人生を自分で楽しいものにしていこうという気が持てないのかといらいらした。夕食後にベースを弾いて、風呂に入って出ると、不思議に感傷の芽生えがあった。岩田宏の「神田神保町」を読んでそれを助長した。最後の連を書きぬいた。明日は読書会で、ムハマド・ユヌスを読まなくてはならなかったけれど、ギターを弾いてだらだらして、十一時半からやっと読みはじめた。一時間読んで、歯みがきをして、日記を下書きして寝た。