2016/7/4, Mon.

 九時頃からだんだんと覚醒しはじめた。まどろみと小覚醒を繰り返して一〇時になり、薄布団を乱していると、耳もとに蚊の羽音がしてはっと正気付き、手をぶんぶん振って退治した。そうして布団を剝いで寝転がったまま、鈴木道彦訳『失われた時を求めて』をしばらく読み、一〇時半を過ぎてから立ちあがった。水飲みと用足しをしてきて、枕の上に腰掛けた。一〇時四〇分から一〇分間、瞑想である。そうしてから部屋を出て上階に行き、チャーハンを電子レンジに突っこんでおいて、風呂を洗った。さらに前夜の野菜スープも温めて、おかずはゆで卵の食事を卓に並べ、新聞をひらきながら食べた。バングラデシュの事件が変わらず、いくつもの記事を設けて伝えられている。読み終えると、一一時四五分だった。食器を洗って蕎麦茶を注ぎ、母親が求人広告のバーコードを携帯で読み取れないでいるのを手伝ってやってから、室に帰った。インターネット各所を回ってから、ロラン・バルト石井洋二郎訳『小説の準備』の書き抜きである。蕎麦茶を飲みながら、前日よりはまだ僅かにましな暑気のようだが、それでもやはり汗が背にびっしょりと湧いた。カーテンの半分を畳んで留めて、網戸から入ってくる風を妨害するもののないようにしたが、涼気は引っ込み思案で部屋をなかなか訪れて来ず、時たま恩恵のようにおずおずと入ってきたかと思うと、またすぐに出て行ってしまうのだ。それで、塩っぽい水の玉が背を這って、愛撫のようなくすぐったさをもたらすのを止めるものもない。三ページほどの書き抜きは、一二時四〇分には済んだらしい。歯を磨いてから、その頃には汗がわりあい引いていたので、ベッドに転がった。そうして『失われた時を求めて』を読むわけだが、空模様は白く晴れ晴れとしないわりに、暖気が澱んで身を包み、脳を窒息させるかのような眠気が湧く。仰向いて顔の前に掲げていた本が落ちてきて額を打つのに、起きあがってもみるのだが、そうしてもやはり瞼は閉じて、うとうとしながら合間にひらく目で辛うじて文字を追って、一時半である。読書は切りとして、腕立て伏せと腹筋運動を行った。それでまたびっしょりとなった肌を拭いに上に行って、制汗剤ペーパーを上半身に当ててから、戻って瞑想をした。窓外には鳥の声が無数に満ちているが、そのなかでとりわけ際立って聞こえるのはやはり(固有名と音が結びついて同定できるのがそれだけだということに過ぎないのだろうが)鶯のもので、ホケキョ、ホケキョ、と尋常に鳴いているかと思いきや突然狂いだし、ひゅるるるるると花火が上がっていく音のような声を、しかし花火の軌跡とは反対に錐揉み状に螺旋を描いて落下させて、最下部に達するとまたちょっと短い声を数回撒き散らす、それを繰り返すのだった。鳥の声に混じって聞き取りにくいが、低く鈍色めいた虫の音もずっと途切れず持続しており、それはあたかも空間にぴんと張ったワイヤーが長く差しこまれているかのようである。話し声なり車の走行音なり槌で木を叩く音なり、普段はどこかしらから響いてくるはずの、人間の立てる物音がこの時は不在で、そのため外気は賑やかでありながらある種の静けさをはらんでいるようでもあり、それらの最周縁を画す川の響きに耳を寄せていると、その音はおのれの心臓の鼓動に合わせて波打っているようにも聞こえるのだった。一時四七分から五五分のあいだ、そんなことを頭のなかで考えながら瞑想をし、ワイシャツとスラックスに着替えてネクタイを締めると、荷物をまとめて上に行った。母親がハムだか何だかを挟んでくれたマフィンをラップで包み、パックに入れて荷物に加えると出発である。陽は照っていない。そのくせ湿気が凄まじいようで、街道にまだたどり着かないうちに服の内がくすぐったいほど濡れて、かえって前日よりも激しいのではないかと思うほどだった。車の行き交う表に出ると、Bill Evans Trioの一九六一年のライブのディスク二を流し、裏通りに入った。歩行中は特段何かを感じ取った覚えはない。ただ汗に辟易しながら進み、職場に着くと奥の一席に荷物を置いた。十分涼しかったが、さらに換気扇を点けて水を飲み、コンピューターを取りだすと二時四五分である。前日の記事をひらき、読み返しているうちに文言を調整しはじめている。このような単なる日々の記録に推敲じみた真似など阿呆ではないかと思うのだが、書き忘れていたことなども足して、三時から続きを記しはじめた。音楽はPaul Motian『Lost In A Dream』の最終曲から流して、すぐに終わると『On Broadway, Vol.1』、そして『On Broadway, Vol.3』と続けた。何だか知らないが意外と書くことがあって時間が掛かり、前日の分を済ませると四時一九分、三二〇〇字足して、記事全体では八〇〇〇字にほんの僅か満たないほどだった。他人と会ったわけでもないのに、よくも書いたものだ。それでこの日のものに入ったが、残り一時間ほどになったところで飯を食べようと中断した。『失われた時を求めて』をひらきながらハムと紫玉ねぎと胡瓜が挟まれたマフィンをかじり、すぐに平らげると、ふたたびコンピューターに向かい合って打鍵した。Paul Motian『Psalm』を共連れて、現在時刻に記述を追いつかせたのが五時一三分である。ガムを持ってくるのを忘れていたし、家にあるボトルのなかもそろそろ空になるので、買いに行くことにした。外に出ると、室内にいるうちに雨が降っていたようで、通りには水の染みが至る所にまだ乾かず残っており、生暖かい湿気が足もとから立ち昇ってきた。コンビニに入って通路のあいだでしゃがみ、三つあるガムのボトルのうちどれにするかちょっと迷って、決めるとレジに持っていった。若い女性店員の声音と挙動は訳もなく焦っているかのようで、こちらまでその焦りを伝染させられそうである。レシートを渡すと相手は、七〇〇円以上買ったからというわけらしい、くじ引きの箱をカウンターの下から素早く取りだして目の前に置いた。やや困惑しながらのろのろとレシートを畳んでポケットに入れ、右手を突っこんで券を一枚選びだすと、アイスの当たり券だった。いま引き換えますかと言われるのに、いまはちょっと食べられないんでと笑って返すと、後日でも大丈夫ですのでと相手もぎこちないように笑って、それで退店した。職場に戻ってまた少し読書をすると、働きはじめた。終業は少し遅くなって九時半を過ぎて、職場を出たのは九時四五分かそこらだった。雨が過ぎたためか気温は下がって、空気が軽くなっていた。それほど身体がこごってもおらず、尾骶骨にも痛みはほとんどなかった。裏通りの途中でBill Evans Trioを聞きだし、音楽で外界の音を完全に遮断しながら帰路を辿った。帰宅して室内に入ると、歩いてきたためにやはり汗が湧いていて、なかの空気も停滞してひどく蒸し暑い。ソファの上にパジャマがあるところでは、風呂の明かりが見えたのは、父親が入っているらしい。居間はオレンジ色の食卓灯が点いているのみで母親の姿が見えないのに、体調を崩してでもいないだろうなと思いながら一旦自室に行き、両親の寝室に見に行くと、母親は布団の上に仰向けになって眠たいようにしていた。コンビニで当てたアイスの引換券を差しだすと、母親は色のくすんで肌色というよりは茶色がかったような顔で笑って、子どものように、あるいは反対に老人のように、その券を両手の指でつまんで腕を伸ばし、裏返しながら眺めるようにしていた。ネクタイをほどきながら自室に帰って、スラックスも脱ぎながら、あああの母親も、いつか死ぬんだなと不意に思われて、少々寂しいような気分になった。それで服を脱ぐと七分間瞑想をして、一〇時二七分になるとハーフパンツを履いて上に行き、カレーの鍋を熱した。風呂を出てきた父親も食べると言って自分の分をよそったそのあとからこちらも大皿に用意し、卓に就いて夕刊を脇に寄せた。父親が灯したテレビは政見放送を流しており、その声のせいで文字が頭に入らなかった。いまは公明党山口那津男代表が口上を述べており、党の活動の成果をアピールするなかで、平和外交がどうのと言って、私自身訪米してヘンリー・キッシンジャー国務長官と会談しましたと山口が話すと、ソファに座って前かがみになった父親は、聞いたことのある名前が出たのにああキッシンジャーねとでも言うようにうなずいていた。その後は幸福実現党の釈量子党首が現れて、増税ではなくて減税してより自由な市場と小さな政府の実現をとか、中国北朝鮮に脅かされないよう自虐史観の克服をとか、声を奮って勇ましいことを訴えるのにやはり新聞が読めず、父親のほうを時折りちらりと見やると、目を細めてテレビを眺めたり、疲れたように首を前に落としてほぐしたりしていた。食事を終えると入浴して、出てきたのがいつもより少し早くて、まだ一一時を回った程度だったはずである。ところが自室に帰って蕎麦茶を飲みながら、インターネットを回って娯楽的な時間を過ごしてしまい、結果そのまま一時を迎えた。そこから歯を磨きながらプルーストを読みはじめて、ベッドに寝転んだ。パンツ一枚の格好で窓を開けていたが、さすがに丑三つ時にもなると気温がだいぶ落ちて肌寒くなってきたので、シャツを着た。それが二時半だったのだが、するとそれまで目が冴えて眠気がほとんど感じられなかったのが、突然瞼が落ちるようになって、一瞬で三時に移った。これでは仕方がないと用を足してきて、眠気にやられて瞑想も怠けて就寝した。



 終えてしまう
絶対としての書くこと[﹅4]は、特殊な実存的運動をもたらす : 再開するために(作品を)終えること[﹅15]=「終えてしまう」というファンタスム。人は狂ったように(end250)作品に磨きをかける、それを終えてしまうために[﹅12]――だが、それが終わるや否や、同じイリュージョンの条件のもとで別の作品をまた書き始めるのだ(ジョルジュ・サンドは午前2時に小説を書き終えると、3時にはもう別の小説を書き始めていたという) ; 「欲動」とはまことに疲れを知らぬものである。
「終えてしまう」ことへの願いは、各段階に現れる : 素材の収集、執筆、推敲、タイプ清書、出版 ; だから各段階に、熱意があり、早くこの段階を過ぎてしまいたいという焦燥があり、それがなされてしまうと、今度は一種の失望が生じ、対象の最終的な平板さが実感される。 : なんだ、こんなものでしかないのか[﹅15]!(最初の読み直しはつらいものだ)、早く別のことに移ろう[﹅10]!――こう言ってもいい(私にはこう言える) : ひとたび始まってしまえば、私は終えてしまうためだけに書くのだと。――別にこじつけでも何でもなく、一冊の書物が私に与えてくれる唯一の喜びとは、それを終えてしまうこと――うまく書き終えることなのだ ; それ以外のこと(読者にどう迎えられるか)はイメージ上の満足であり、何かをすることの満足ではない――したがって疑わしい満足である、なぜならイメージというのは正確ではありえないのだから(出版された文章が私に与えてくれる唯一の本当の満足、それは未知の読者から手紙を受け取り、それまで知られていなかった要求に自分の文章が応えたのだ[﹅27]と納得できることである=生きている[﹅5]書物の定義)。
最終的な目標、決定的な目標をファンタスム化することは、前方への投射 Projet〔計画〕(一歩ずつ段階を追って前方に投げ出すこと)の論理からすれば必然である : そこに到達すれば、もう人は書くことをせず、書くことをやめるというよりも欲望の絶えざる再起動をやめて、ついに休息することになるはずだ ; 全面的な無為[﹅6]をファンタスム化するルソー(サン = ピエール島) → そこから最終的な遺言としての<最後の作品>というファンタスム的な特権が生じる : もうひとつ作品を! それこそが最後の作品となり、そこで私はすべてを言い、そして黙るであろう、等々。遺言のファンタスム、常に書き直される遺言の現実。
終えてしまう[﹅6]というこのコンセプト、あるいはより控え目に言えばファンタスムによって、おそらく書くこと[﹅4]の新たな――さらには今日的な類型学が可能になる ; ジャン・Pのケース : 彼の手稿は第一の類型に属するものではなかった : つまり「テクスト的」な(読みにくい)ものでも匿名のものでもなかった ; それは洗練された文章で書かれた叙述的な小説であり、彼の最初の小説だった。私は彼に尋ねた(いつも通りにこっそりと、私のほうから) : あなたは自分の将来の人生を作家として送ることをめざしているのか? 自分の人生と同じスケールの作品を(つまり作品の限りない集積を)構築しようと思い描いているのか?――彼はいいえ[﹅3]と答えた。彼が望んでいたのは、(彼の人生の)ある瞬間をひとつの作品の中に封じこめること、それだけだったのだ ; 言い換えれば、彼は固定観念ぬきで――ただし螺旋の別の場所で[﹅11]――「何かを書く[﹅5]」ことへと何度も立ち戻っていたのである。まちがっているかもしれないが、若いもの(この若い小説家のケースがそれだ)はすべて現代的なのだと私は思う。だから私は自分が「時代遅れ」なのだと感じていた、なにしろ私は、書くこと[﹅4]について絶対的な(作品とともに終わるのではなくて作品を再開するような)感情、あるいは終身的な[﹅4](私の人生と同じだけ続く)感情を抱いているのだから → 書くこと[﹅4]は、少なくとも私のそれは、未来志向的[﹅5]である : それは未来を基にして構成されるが、未来とは内容のないものであり、けっして満たされることがなく、その本性は出血性である、というのもそれは絶えず時間を(そして時間が運ぶ事物を)再起動させるのだから ; モンテーニュが言っていること(シャトーブリアンが引用している箇所)を挙げておこう : (end252)「人間は、いつだって先のことばかり追い求めている」。
終えてしまうこと[﹅8]についての話を終えるために、いちばん極端なケースを引いておきたい : プルーストのケースである。『失われた時を求めて』=死にたいする闘いであり、死ぬ前に終えることはしたがって、どうしても遺言的作品の性格を帯びることになる ; それは死によって限界づけられた終えてしまうこと[﹅8]であり、強烈な未来志向(生活全体を律し、禁欲的に生きること)であるが、それも最終的に円環が閉じられさえすればの話である。そこで猶予期間[﹅4]の問題が出てくる : もしプルーストが途中で死なずに、作品がぎりぎりのところで書き終えられていたならば、彼は何を書いただろう[﹅10]? 何を書くことができた[﹅3]だろう? 猶予期間というのはけっして十分に満たされることはないものだ : それは余計な[﹅3]時間であり、退屈[アンニュイ]の時間である(ミシュレと大革命後の猶予期間としての19世紀、cf. 紀元千年の後)。ある意味で、プルーストは死ぬしかなかったのだ ; でなければ、おそらく彼は新しいことは何も書かず、ただ取り木法によって飽きることなく作品に何かを付け加えるだけであっただろう : 紙片、また紙片 ; マヨネーズの際限のない増量。ヴェロナールのしみのついた紙に彼が書きつけた最後の言葉は、Forcheville であった。
 (ロラン・バルト石井洋二郎訳『ロラン・バルト講義集成3 コレージュ・ド・フランス講義 1978-1979年度と1979-1980年度 小説の準備』筑摩書房、二〇〇六年、250~253; Ⅰ. 書く欲望; 「欲動としての書くこと」; 「終えてしまう」; 1979/12/8)