2016/7/3, Sun.

 フランツ・カフカの生まれた日である。八時台のうちに母親が部屋にやってきて、墓参りはどうするかと訊いた。前日が祖父の命日で、明日行くから、と言われていたのだ。時計を見ると時刻が随分早く思われて、もう行くのかと返したあと、何らかのやりとりをして母親は去った。ひどく暑い朝だった。布団を乱しながら眠り、完全に布から逃れてもまだまどろみ、意識がはっきりしたのが一〇時一五分だった。窓から入る光の熱が大変なものだったので、熱中症を恐れてまず、ベッド脇のスピーカー上に置いてあったペットボトルの水を飲んだ。そうして立ちあがると、さすがに四時まで起きていたためか身体がこごって下に引っ張られるようで、血が身体の上方まで回り切っていないような感じがある。洗面所に行ってきてから、まだ固い肉体のままで瞑想をした。一〇時二八分から三八分まで、入ってくる風も熱を散らす力はなく、脛のあたりの毛を揺らしながらくすぐったいような温もりを運び、窓外では草刈機のものだろうか、巨大な蜂の唸りのような、リズムの乏しい持続音が響いていた。ベッドから下りるとコンピューターを点け、夢を記録した。

・学生身分。普段の学校ではなく、合宿所のような認識の建物にいる。選挙の投票日なので、投票に行かなければならない。しかし外は陽が空間に満ち渡った夏の盛りの酷暑である。覚えていないがこれ以前にも何らかのストーリーがあって、その時既に陽射しに晒されて体力を結構失っていた。建物内の廊下を歩いていても、先に外出した時に光が瞳に貼り付いて取れなくなったかのように視界が薄く、目に映る色が稀薄化しており、意識レベルが低くなっているかのようで、離人感めいたものもあり、この状態で外に出たら倒れるのではないかと不安を感じる。しかしともかく行かなければならないので出口に向かうが、階段の途中で、選挙通知葉書を忘れたことに気付く。荷物のなかから持ってくるのを忘れたということではなく、自宅を発ってこの場所に来る時に家に置き忘れてきたのだ。それで投票できないではないかと、悔しさのようなものと罪悪感めいた感情を滲ませながら戻る。廊下の途中で、小中の同級生M.Hに出会う。こういうわけだと事情を説明すると、相手はそれは疑わしいという表情になって、あるのではないかと示唆する。そうするとこちらも葉書があるような気が半ばしてきて、ともかく教室に戻り、リュックサックのなかを探ってみると、確かに手に触れる紙の感触がある。引き出してみるとしかしそれは、祖母の名前が書かれた紙だった。「百合野小夜子」というのがその名前で、現実の祖母の名では勿論ないが、この時はそのように認識されていた。達筆らしい墨筆の字で書かれたもので、そもそもその紙は選挙通知葉書ですらないようだ。この時窓のほうを向いて、誰かと二、三、何らかのやりとりがあり、その後目を紙に戻してみると、祖母の名は変わって、「柳瀬」なにがしというようなものになっており(ただし、「柳」の字は実際にはこの字ではなく、形が似ているがより複雑化して画数の多くなったもので、おそらく現実には存在しない漢字だったので読みがわからなかった)、紙自体も一瞬で経年劣化したような質感に変わっており、端のほうには火に炙られた跡のように鈍く濃い茶色の焦げがついていた。それは放棄して、もう一度リュックサックのなかに手を入れると、通知葉書が発見されたので、ふたたび出口に向かう。歩いていると誰かが、もう午後になるぞというようなことを投げかけてくる。どうも投票は、陽射しの盛りを避けて午前中に行ってしまうのが本来望ましかったようで、午後になるぞというのは今や陽も旺盛に力を奮いはじめたという意味が一点、そして、そろそろ授業も始まるぞという意味がもう一点の、二重の警告の意味合いを持つ言葉であるらしい。それに対してしかし、どうにでもなると軽く答えて返す。階段に入ると、合宿所めいた認識が薄くなり、通常の中学か高校のような雰囲気が漂いはじめる。途中で教師に会うが、その教師は民進党代表の岡田克也の姿である。こちらが手に持ってぷらぷら揺らしている紙を見せてみろと言う。投票に行くのだということは認識されたはずで、しかしもう授業だから戻れと言われるかと思いきや、何も注意しない。ただ、「Aは一分一秒を大切にして待っている」というようなことを口にする。Aというのは高校時代の同級生である女生徒の下の名前である。わかっているという風に知ったような感じで答えるが、その実こちらはまったく真剣には捉えておらず、余裕綽々で、とりあえずトイレにでも行こうと考えている。そうして階段を下りて行きながら、岡田が女生徒を名前の呼び捨てで呼んだことが頭に引っ掛かる。階段を下りきった昇降口の前、そこのトイレの前には生徒たちがわんさか溜まっているので、どこか別の場所を探そうと考える。
・夜、公園。木々豊富。ベンチに三人、こちらは後ろからその黒いような影を眺めている。左から男、男、女。女は泣いている。何かしらの犯罪の、あるいは犯罪計画のにおい。(大部分忘れてこのシーンしか残っていないが、自分も何かその犯罪に関わる立場だったのではないか)。
・写真あるいは画像。家庭の一室。ターバンを頭に巻いたアラブ人らしき髭の男と、肌の色が濃い女。この女は先の女とおそらく同一人物である。ニュースか何かで流された画像で、女が殺人だか詐欺だかを働いて、刑期を務めたあとに、許されてこの男と結婚したというような話だった。女は顔を前に突きだし、上目遣いになって、可愛い子ぶるような調子で写っている。男はゆったりとして貫禄のある物腰。

 そうすると、一一時二二分だった。上階に行き、母親に挨拶をして、まず風呂場に入って浴槽を擦った。出てくると玉ねぎやらハムやらの雑多に混ざった炒め物を温め、即席の味噌汁と米を用意して卓に就いた。新聞は前夜に続き、バングラデシュのレストラン襲撃テロ事件を、確か一面すべてを使って報道していた。読みながらものを食べ、食べ終えても新聞をひらいて読み続け、閉じた頃合いで正午が近づいたか、正午になったかしてテレビのニュースが始まった。新聞ではまだ安否不明とされていた日本人の七名、その死亡が確認されたという趣旨だった。それを見てから立ちあがって皿を洗い、室に帰った。居間の気温計は三四度を指す酷暑である。さすがにこのように暑くては熱い蕎麦茶を飲む気にもならない。部屋に来るとインターネット各所を回ったり、各種記録を付けたりしたのだと思うが、何をしていたのか記憶が定かでない。ギターを少しばかり弄ったのはおそらくこの時間のあいだだっただろう。部屋に立っているだけで熱が興奮した蜂のように身の周りに群がってくるのに体力と気力を奪われて、そのうちに洋書を持ってベッドに寝転んだ。Gabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraである。それを読みながら仰向けに寝ていたが、濡れた背の肌がシーツにじっとりと粘るのが不快なので、そのうちに横を向いて接触面積を減らした。語を調べる気力も出ず、あとで改めて読めば良かろうと線も引かずに文字を追っているうちに、額のあたりに常に貼りつく暑気がまるで風邪を引いて自分の身体が発熱しているかのようで、眠くなるようだった。一時を過ぎて起きあがり、歯を磨いて、肌を拭きに上階に行った。制汗剤ペーパーで肌のべたつきを拭い、クイズ番組を少し眺めていると、一八八三年の七月三日に生まれ、『審判』や『変身』などの作品が有名な作家は、というような問題が出て、そうか今日はカフカの生誕日だったかと気付いた。それで室に帰り、日記記事にメモしておいてから服を着替えた。薄雲が溶けこんだ時の空のような淡い青のシャツは、持っている前開きのシャツのなかでは最も薄手なのだが、それでも着ると肌が息苦しい。荷物をまとめて上に行くと、母親もちょうど出掛けるから送っていってやると言う。さすがにこの炎天下を歩きたくはないので好意に甘えることにした。それでまたクイズ番組を眺めながら支度を待ち、終わるとテレビを消して水を飲み、ソファにもたれて瞑目した。扇風機の静かな唸りの外から、ぴゅるるるる、という回転性の鳥の鳴き声が聞こえたので、鳶かと思いきや、光の浸透して粉っぽいような空気のなかで鶯が鳴き狂っているようだった。母親が来ると外に出た。家の前の林に太陽は遮られて日陰ができているのだが、そのなかにいても顔のあたりに熱が集まってすり寄ってくるありさまである。鮮やかな緑に染まった林を見上げていると、七月にも入って一体いつまで鳴くのか知らないが、鶯の声がここでも落ちた。車のなかは、サウナであった。窓をひらいて顔を寄せながら左腕を乗せたガラスの内側の縁も肌に温かい。坂を上っていくと、両側のひらいた窓を風が通り抜け、街道に出た頃にはちょうど陽も陰って、熱はそのうち散らされた。駅前で下ろしてもらい、駅に入って電車に乗った。ひとまず、中央図書館でプルーストを借りるつもりだった。同時に、立川に出てクラッチバッグを入手したいという気持ちもあった。Bill Evans Trioを聞きながら電車に揺られ、降りた瞬間にはまたにおい立つような熱気である。そのなかを通って図書館に行き、CD棚をまず見た。珍しくワールドミュージックのほうも見分したが、結果、Stevie Wonder『Innervisions』と、高柳昌行と新世紀音楽研究会『銀巴里セッション』を選んだ。そして階を上がり、フロアを進むと、さすがの日曜日、並んでいる丸テーブルや一人掛け用ベンチは大方埋まり、書架の側面に設置されたボックスにも腰掛ける人が多く、子どものコーナーのほうでも婦人たちが棚のあいだを行って、空間が窮屈なようである。『失われた時を求めて』の一巻と二巻を取って戻り、貸出機で手続きをした。席は見るからに空いていなかったのでさっさと出口に向かいながら、どうするかと考えた。立川に行って喫茶店に入ってもいいが、どうせそちらも混んでおり、最悪行き場をなくすのだから、それだったらいつものハンバーガーショップで書き物をして、涼しい夕刻を迎えた頃に立川に行ったほうがいいかと、そういうわけで駅の反対側に向かった。店に入ると、バニラシェーキを頼み、席に就くとコンピューターを起動させながら、借りてきたばかりのプルーストをひらいて、懐かしの冒頭に目をやった。シェーキを啜りながら文を読みつづけ、全部啜って腹のなかを不健康に冷たくすると、書き物に掛かった。三時頃、音楽はEnrico Rava『New York Days』を流した。記述には時間が掛かった。音楽を同じEnrico Ravaの『Tati』に移してまもなく、仕上げると四時四七分、随分と掛かったわりに書き足したのは三〇〇〇字、帰途に見た空の様子を言葉に移すのに苦戦したのだった。ともかく済ませて、それからこの日の文を書きはじめて、これも一時間、夢の記述を除いてこの時書いたのは二六〇〇字だった。そうして、六時に至るまで時計の針は残り九〇度を残すほどになった。これから立川に行こうかどうしようか? フランツ・カフカがこの世に生を享けた七月三日も残り六時間ほどであるし、それよりは書き抜きをするなり、さっさと帰ってプルーストを読むなりするのが先決ではないか。ちょうど土曜日に立川で会合があるのだから、この一週間はリュックサックで我慢し、その日に用事と合わせて買い物も済ませるのが良いか、とそう決めて、持ってきた『竹乃里歌』から正岡子規の短歌を写すことにした。音楽はPaul Bley『Not Two, Not One』である。その次にPaul Motian『Live at the Village Vanguard Vol.3』を流して、バッテリーが少なくなっても画面が落ちるまでやってやろうと進めていると、七時を回ったあたりでコンピューターが力尽きた。それで荷物を片付けて席を立ち、シェーキの容器を持ってボックスに行くと近くにいた例の店員がまた声を掛けてきたので、礼を言って退店した。甘く熟した果物のような、生ぬるい夏の黄昏時である。駅へと階段を上がって、通路の壁の上方にある窓の向こうに目をやると、西のほうでは薄紫が煙り、その右方では、図書館のビルに遮られて定かではないが、細い炎の筋のような夕焼けの色も僅かに見られたようだった。雑多な掲示の紙が張られて味気なくくすんだ壁が左右を囲み、窓はその上端に申し訳程度にしかひらいていないこの通路を通るたびに、やや高い位置にあるのだから全面ガラス張りにすれば良かったのにと思うものだ。ホームに降りると北側に寄って空を見上げた。暮れ方の空に、綿を薄く裂いて配置したような、あるいは水のなかに落とした絵具の一滴を筆で引き広げたかのような淡い雲が棚引いており、青に染まった表面のなかでそれのみが紫とも薔薇色ともつかない微妙な色を帯びていた。ロータリーの周りの街路樹からは、鳥の声が無数に、騒がしく立っている。振り向いてホームの反対側に移ると、南の空は一面乱れない青の天幕である。iPodを操作してBill Evans Trioの "All of You (take1)" を聞きはじめたのだが、まだ静かにピアノが和音を鳴らしている冒頭で、鳥の声が近くから聞こえることに気付いた。音楽を止めてイヤフォンも外すと、頭上の電線に小さな姿が止まっているのを発見したが、すぐに飛んで屋根の向こうに隠れてしまった。それでもちちちち、と、釘を壁に打ちこむ電動器具の打音のような短い声が降ってくるのを見ていると、もう一匹の姿を見つけた。駅舎の外側にベランダじみたスペースがあるが、それを囲む横格子状の柵の一本の上に、青く浸った空を背景に立って、まるで犬か猫のように尾を上下に振っている。さらにしばらく眺めているともう一匹がまた電線の上に出てきて、こちらは尾が非常に長かった。おそらくロータリーの木に群がって鳴きしきっているのと同じ種なのだろうが、距離の違いによって鳴き声の質も異なって聞こえた。眺めるのに満足するとまた音楽を聞きだして、そのうちやってきた電車に乗り、揺られて降りると乗り換えはまだだったので、ホームの真ん中のほうに進み、ベンチに腰掛けた。黄昏が進んで空の青が一層醒め、地上にも同じ色を含んだ半透明の幕が下ろされてあたりは薄暗み、その向こうに立つ小学校の白壁も色に浸かっているように見える。空はそれと比べるとまだ明るみを残して、と言って小学校を抱く丘の際にやっとのことで届いているそれは、西に去っていった光の細った切れ端であり、厚みを失ったその先端に辛うじて触れられているだけの青い空は一枚の紙のようで、その紙の輪郭線は既に黒影と化している木々の冠の連なりによって、誰かがそこに噛み付いて隙間を空けずに何箇所も食いちぎり、その歯型が刻まれたかのようにいびつに波打っているのだった。鳥を眺めたり空を眺めたりと、こうして書いてみると自分はものを眺めてばかりいるのだが、この時もしばらく視線を送って、そのうち電車が入線してきて丘も空も小学校も隠れてしまったので、音楽に意識を移した。乗り換えの電車が背後の番線にやってくると乗り、瞑目してBill Evans Trioの演奏に集中しようとしたのだが、いつの間にか湧いてきたまどろみのなかに意識が逸れて、半分夢のような劇を目撃していたり、誰かと問答を交わしていたりするのだ。最寄り駅で降りると、ディスク一の最後、 "Solar" が終わりに近づいていた。階段を上りながらそれを聞き、駅を出るとイヤフォンを外して、坂を下って自宅に向かった。帰り着くとちょうど八時頃、外に比べて室内は蒸していた。部屋に帰り、服を脱ぐと、ベッドに転がり、早速借りてきたプルーストをちょっと読んだのだと思う。鈴木道彦訳集英社版の一巻、その後ろのほうには、全篇のあらすじだとか、登場人物一〇〇人の紹介だとかが付されているのだが、その扉ページに描かれている花や道化様の人物の線画に、以前読んだ時はそんなことはまったくなかったのに、この時は惹きつけられるものを感じた。絵を能くする人から見れば多分何ということのない、スケッチ風のものではあるのだが、どことなく優美さが香っているようで惹かれ、なおかつ自分でも何年か訓練すればこのくらいは描けるようになるのではないか、このくらいのものでいいから描いてみたいと思ってしまうような親しみを感じた。本を読んだあと、八時三五分から四三分まで瞑想をして、食事を取りに行った。新聞を読みながら、炒め物を乗せて丼にした米を食ったり、野菜のスープを飲んだりして、皿も片付けると蕎麦茶を持って部屋に戻った。そして先の絵について、あれも集英社版で挿絵として採用されているキース・ヴァン・ドンゲンの描いたものなのだろうかと、インターネットを検索したが、彼の名前で線画は出てこないし、どうも作風が違う。ともかくそれは置いておいて、九時半から書き抜きに入った。ロラン・バルト石井洋二郎訳『小説の準備』である。Paul Motianの続きから音楽を流して、終わるとそのまま一つ下の『Lost In A Dream』を繋げた。蕎麦茶を飲むと夜にもかかわらず汗が噴き出して、シャツを脱いだ上半身の背中がびっしょりと濡れ、腕を当てると水気のためにつるつると滑って、拭っても拭いきれなかった。書き抜きのあとはLove in the Time of Choleraをひらいて語の復習をし、途中で母親が風呂から出たので入浴に行った。上がってねぐらに帰ると一一時一五分、復習の続きを済ませて、それからまたプルーストを読みはじめた。読んでいる途中にまた絵のページをひらいて見ていると、絵の脇に何か文字列が書かれている。最初は花の名前かと思ったが、道化の図にも付されているし、どれも形が同じなので、画家のサインだとわかり、読み取ることにした。筆記体の前半、Madeleineまではわかったので、その名前を持つ画家を検索しつつ、その後も後半の文字列に目を凝らし、さらにGoogleの検索予想の力も借りて、最終的にMadeleine Lemaireだと判明した。画像検索でトップに出てきた眉の濃い女性の写真に見覚えがあった。ロラン・バルト『小説の準備』の最後尾には、彼が計画したセミナーの関連で、プルーストの周辺の人物の写真がいくつも載っている。そのなかにあったはずだと確信を持って本をひらくと、マドレーヌ・ルメール夫人、作中のヴェルデュラン夫人のモデルの一人らしかった。それでもう一つ思いだしたのは、プルーストの書簡のなかで読んだのだが、『楽しみと日々』の挿絵を担当していた女性がこの人ではなかったかということである。それで、読みさしのまま放置していたプルースト全集を探ると、当たりだった。それを確認してからしばらくまた画像検索をして、集英社版の本に採用されている線画が出てこないかと探したのだが、似たような植物のスケッチはあっても、そのものらしいものは見つからなかった。それから本を読み進め、一時を回ると前日に引き続きまた自慰をして、さらに読書を続けた。さすがに深夜になると気温が下がって、汗も乾いて下着一枚でベッドに転がっても、肌がシーツにべとつかない。三時まで読むと用を足して水を飲んできて、瞑想をした。三時一二分から二二分まで一〇分間、そうして消灯した。



村尾誠一著『和歌文学大系25 竹乃里歌』明治書院、二〇一六年


   河夏月

 まてしばし小舟さをさすわたしもり涼しき月の影やくだかむ

  (5; 7; 一八八四年(明治一七年))
自筆本、題も含めて墨滅。◯まてしばし―しばらく待てと命ずる。古典和歌でも初句にこの語を置く作例は多い。◯涼しき月―月光は氷に喩えられる。◯影―水に映った月影。▽似た発想の古歌として「秋の夜の月のこほりや堅田舟つりする棹の影くだくなり」(堯恵・下葉集)がある。

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   松下泉

 松蔭にわきて流るゝ真清水の藻にすむ魚は夏をしらじな

  (8; 17; 明治一八年=一八八五年)
◯わきて流るゝ―涌いて流れ出す。ここの「真清水」は、湧き水の様か。「みかの原わきてながるる泉川いつみきとてか恋しかるらん」(新古今・恋一、百人一首藤原兼輔)。◯藻にすむ魚―一般には「藻にすむ虫」が歌われるが、この例も古歌にある。「桂川照る月影のやどる夜は藻に住む魚ぞ底に見えける」(堀川百首・源師時)。

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   竹風似雨

 呉竹のふしも直[すぐ]なる心もて葉分の風を雨とあざむく

  (9; 24; 明治一八年=一八八五年)
◯呉竹―淡竹のこと。◯ふしも直なる―竹の節は曲がったりしていない。心の素直さを象徴するような竹も人を欺くという機知的な表現。◯葉分の風―葉を鳴らしながら吹いて行く風。◯雨とあざむく―竹を擬人化した表現。▽「はちす葉のにごりに染まぬ心もてなにかは露を珠とあざむく」(古今・秋上・遍昭)に学んだか。

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   蓮

 葉がくれにひれふる鯉の過[すぎ]つらん蓮[はちす]の露のこぼれぬる哉

  (9; 27; 明治一八年=一八八五年)
◯葉がくれに―蓮の葉の下を隠れるように鯉が泳ぐ様。◯ひれふる鯉―実際に鰭をふる様子の観察による表現か。◯蓮の露―古典和歌では無常の比喩として用いられることが多いが、ここでは実景的に描写する。

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三時過ぐる頃厳島につきければ、先づ宿をさだめおき、こゝかしこといであるき、名所を見侍に、殿居のうつくしき、景色のたへなる、筆にもつくしがたし。たゞ思ひあたりしこと(end10)共を得るがまにまにかきしるせしのみ

 波の面[おも]にうかべる宮の影見れば海の下ゆく人もありけり

  (10~11; 32; 明治一八年=一八八五年)
◯殿居―社殿が立ち並ぶ様を言うか。◯うかべる宮―海に映った厳島神社の様子。厳島神社は潮が満ちている時は、社殿の下まで海面となる。◯海の下ゆく人―神社の回廊を行き交う人々が海に映っている様子。

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   雲間雁

 玉づさをいそぎよみする心地せり見る間にすぐる天津雁金[あまつかりがね]

  (14; 48; 明治一八年=一八八五年)
◯玉づさ―手紙。蘇武の雁信の故事により、雁は手紙を携えて飛んでくるとする。「秋風にはつかりがねぞきこゆなる誰が玉章をかけて来つらむ」(古今・秋上・紀友則)など古歌でも多く詠まれる。▽速く飛ぶ雁の姿を、手紙を速く読む心地がすると詠むのは、古典的な詠み方の中でもユニークである。

     *

   猪

 糸萩の花を枕にむすびつゝ臥猪[ふすい]も蝶の夢やみるらん

  (14; 50; 明治一八年=一八八五年)
◯糸萩―糸のように枝の細い萩。「むすび」は「糸」の縁語。◯臥猪―猪は安眠する動物としてしばしば古歌にも詠まれる。「かるもかき臥す猪の床のいを安みさこそ寝ざらめかからずもがな」(後拾遺・恋四・和泉式部)。◯蝶の夢―『荘子』の、荘周が夢で蝶になり花に戯れたという故事による。

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   竹間霰

 霜枯の庭に残りし竹の葉をちからにさわぐ玉霰かな

  (18; 75; 明治一八年=一八八五年)
◯霜枯の庭に―「霜枯れにひとり」を訂正している。◯ちからにさわぐ―霜枯れの中に残った竹の葉だけを霰が音を立てるよすがとする様。

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 ゆきかへばやれ衣だにかぐはしき花をきぬると思ふばかりに

  (19; 85; 明治一八年=一八八五年)
自筆本墨滅。◯ゆきかへば―花見の人々が行き交う様。◯やれ衣―粗末な手入れをしない衣。◯かぐはしき―底本および自筆本は「かくばしき」。◯花をきぬる―ふりかかる落花を衣にして着ているような様。

     *

 さみだれにひるくらければあくるともしらでや鶏のねやになくらん

  (32; 140; 明治二一年=一八八八年)
◯ひるくらければ―梅雨空のために昼間も暗い様。◯鶏のねやになくらん―朝が分からなくなり昼間の時間にも時を告げる鳴声をあげる様。

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  服部嘉陳[よしのぶ]翁へ(五月十日夜)
我師とも父ともたのみぬる服部うしの、都を去りて遠き故郷へ帰らるゝと聞きて、いとゞ別れのつらき折から、如何にしけん、昨夜より血を喀[は]くことおびたゞしければ、一しほたのみ少き心地して(end44)

 ほとゝぎすともに聞かんと契りけり血に啼くわかれせんと知らねば

  (44~45; 202; 明治二二年=一八八九年)
自筆本になし。五月十日付服部嘉陳宛て書簡による。◯服部嘉陳―子規の寄宿した常盤会宿舎の監督だった。◯五月十日―前日の夜喀血。当日医師の診察により肺病と診断を受ける。「時鳥」の題でこの夜四五十首の俳句を作る。子規と号する。このあたりの事情は『子規子』中の「喀血始末記」という文に、閻魔大王の裁判官と被告の子規との問答の形で記されている。◯ほとゝぎす―古典和歌では五月(旧暦)に鳴声を聞(end44)かせる鳥とされる。◯血に啼く―時鳥の口内が赤いので血を吐く鳥とされるのだが、言うまでもなく、子規自身の喀血を重ねている。◯わかれ―嘉陳との別れ。

     *

 そのいろにそみやしぬらん山吹の下行く水にさらす白ゆふ

  (58; 267; 明治二四年=一八九一年)
◯そのいろに―山吹の花の黄色に。◯下行く水―山吹の咲いた下を流れてゆく川。◯白ゆふ―白木綿。楮の皮をさらして白い紐状にしたもの。神社の幣に用いる。▽山吹の鮮やかな黄色が白との対比で印象付けられる。

     *

   無題

 ちる花をまたまきあぐる春風はむかしの枝にかへすとすらん

  (59; 276; 明治二四年=一八九一年)
自筆本墨滅。◯まきあぐる―「ふきあぐる」とする別案傍記。「まきあぐる」は簾などを巻くイメージか。あるいは竜巻なども。▽花を枝に返す発想は古典和歌でも「み吉野の山下風やはらふらんこずゑにかへる花の白雪」(千載・春下・俊恵)などに見られる。荒木田守武の句にも「落花枝にかへると見れば胡蝶かな」がある。

     *

   花上月

 めでつゝも行きや煩ふ春の月しばしはやどる花の上かな

  (60; 284; 明治二四年=一八九一年)
自筆本、題も含めて墨滅。◯行きや煩ふ―花の枝の上に見える月を、花を愛でるあまり行き煩っているのだろうと見立てている。

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 涼船[すずみぶね]かひのしづくにしるき哉隅田河原にいづる月かげ

  (65; 314; 明治二四年=一八九一年)
◯涼船―涼をとるために川に浮かべる船。隅田川には江戸時代から屋形船が出ていた。◯かひのしづくにしるき哉―櫂のしずくを出始めた月光が宿るように照らしている様。▽実景を微細に捉えたか。

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   月前雁

 ともし火に玉章[たまづさ]てらす心地して月のおもてを渡るかりがね

  (66; 323; 明治二四年=一八九一年)
◯玉章てらす―雁は玉章(手紙)を運んでくるものとされていたが、空を列をなして行く雁を手紙の文字に見立てる発想もある。「薄墨に書く玉梓と見ゆるかな霞める空に帰るかりがね」(後拾遺・春上・津守国基)。◯かりがね―雁の異名。

     *

 かざしたる花のうつり香したゝりてすげのをがさにそぼつ春雨

  (70; 343; 明治二四年=一八九一年)
自筆本に無し、『かくれみの』による。◯かざしたる花―前日には句の前書きに「白き山吹」をかざした由が見える。◯うつり香したゝりて―花の香が雨滴に混じるようにして笠からしたたる様。


バンヴェニストは能動態[﹅3]/中動態[﹅3]よりも、外態/内態という区別を提案している。この分析が書くこと[﹅4]についても該当することがおわかりだろう、それは絶対的な意味においては当然ながら、ひとつの中動態であるからだ : 私は自らその作用を受けつつ書く[﹅15]、つまり自分を行為の中心かつ実行者にしながら書く ; 私は行為の中に身を置くのだ、司祭のように外部に向かってではなく、主体と行為が同じひとつの塊をなすような、内部のある位置に :
1) 「何かを書く」 : これが何世紀にもわたって続いてきたことだ ; それは一般的に総称的な誰か、あるいは虚構的な誰かの代わりにおこなわれてきたのであり、作家はその単なる代理人でしかなかった ; 私は生贄を屠るナイフを、剣を、ペンを取ってきたのだ、ひとつの大義のために : つまり教化したり、説得したり、回心させたり、笑わせたりするために ; 写実的な小説を作ること、それは大衆のために[﹅4]自分を代理人に、司祭にすることである≠「書くこと」、それは司祭の手からナイフをもぎ取り、自分自身のために生贄を捧げることだ。確かに目的補語(何を[﹅2])はありうるし、不可避でさえあるのだが、それは常に、主体的人格として書く主体によってではなく、書くことがその主体に作用する限りにおいて書く主体によって、包含され含み込まれている : こうして人格の主体性ではなく、記述者の「主体性」が生まれるのである。作用を受けたこの行為の主体性に対応する実践的な計画、それは現在では発話行為[﹅4]と呼ばれているものだ → 古典作家(事を単純化するためにこういう言い方をしておこう)はペンを大義のために、外的な目的(たとえば宗教)のために用いていた : そうした作家は能動態[﹅3]の中にいたのである≠書くこと[﹅4]の典型的作家であるフロベール(彼が最初というわけではない : 彼以前にもシャトーブリアンがいたし、独自(end248)な例としてはおそらくモンテーニュもそうだった)は、もはや自分のペンの外部にはいない : 「ぼくはペンの人間です。ペンによって、ペンゆえに、ペンとの関係において感じとります、いやそれ以上に、ペンとともに、感じとるのです」。絶対的な<書くこと>[﹅8]はひとつの本質となるのだ、いかなる目的性によっても腐敗させられることのない、書くことの純粋さという一種の絶対的信念の中で、作家がそれに身を焦がし、それに同一化する本質に。
2) 中動態(内態)としての書くこと[﹅4]は、ある歴史的時期に対応している : 大ざっぱに言えばロマン主義(私はこの言葉を限定された学校的な意味で言っているのではない)、すなわちシャトーブリアン(あるいは晩年のルソーにまでさかのぼってもいい)からプルーストまでを含めた時期である。中動態そのものとしての書くこと[﹅4]は乗り越え可能であり、実際に人はそれを乗り越えよう、徹底化しようとしているのであって、これは現代文学のさまざまな試みを、さらには挫折を記述するのに有用な概念でさえあるだろう(まだそうした記述はなされていないが)。できるなら――もしそれが私の意図であったならの話だが、あいにく私は「ロマン主義的」な仕方で書く決意を語るひとりの人間にすぎない――この有用な概念を用いて、私は自分に送られてくるテクスト、人が私に読ませたいと思っているテクスト(「書物」とは言わない)を、次のような類型に分けて記述してみたい :
a) 書くことは非常に強い中動態である : 書くことによる主体への作用だけが、本当の意味で重要性をもつ ; 内的という以上の=内臓的な[﹅4]態 ; このとき対象は、分類不能に、標定不能になり、最善の場合も最悪の場合もいわば命名不能にな(end249)る ; それはテクスト[﹅4]であり、活動の痕跡、「落書き」であって、一般に読みやすさの規範の外にある : 叙述的でもなく、論述的でもなく、さらには「詩的」ですらない ; それは(読者の目からすれば)一種の「何でもいいもの」であって、そこから「出版可能性」の水準での緊張が生じる。
b) 別の道 : 論理的に主体の否定まで推し進められ、弁証法的に書くことの普遍性のうちに解消されるとき、書くこと[﹅4](ロマン主義的な仕方で)はもはや最終的な突き当りではなくなる : それは主体自身と同じように廃棄されるのだ → 今日見られる匿名かつ/または集団的なエクリチュールへの誘惑 : 1) 書くこと[﹅4]がもはや中動態の動詞ではなく、むしろ受動態の動詞であるような、ライティング[﹅6]の全般化された実践において : ある種の技法に従って、それは書かれる ; 2) 匿名かつ/または集団的なエクリチュールの試みにおいて ; 作者の名前がきわめてヘーゲル的な仕方で、普遍的なもの(特に観念 : 観念とは非人称的なものであるからだ、文学的所有権に関するブルジョワ法がそう言っている)の精彩を欠いたフィギュールのために犠牲にされてしまった場合。
これらの形はまだその効力を現していない(もちろんライティング[﹅6]は別だが)、読書行為[レクチュール]の側が抵抗しているからだ。私が今語っているような人物は、読みやすいと同時に絶対的でもあるようなエクリチュール――ロマン主義的なエクリチュールの問題を自らに提起する。したがって私たちは自分たちの話に戻るとしよう、中動態の動詞としての<書く>[﹅12]の問題に : 私は書くという過程そのものの中で自らその作用を受けつつ書く[﹅13]。
 (ロラン・バルト石井洋二郎訳『ロラン・バルト講義集成3 コレージュ・ド・フランス講義 1978-1979年度と1979-1980年度 小説の準備』筑摩書房、二〇〇六年、248~250; Ⅰ. 書く欲望; 「欲動としての書くこと」; 「自動詞」; 1979/12/8)