2016/7/6, Wed.

 九時頃から意識を取り戻してはいたのだが、頭のなかは比較的はっきりとしているわりに布団の下の身体が動かず、そうしてじっとしているとふたたびまどろみのなかに引きこまれて時間を減らすことになった。一〇時を過ぎると寝返って白い窓に目を向け、申し訳程度のものだがその明るさに瞳を触れさせて、それでようやく瞼をひらくことができた。一〇時一五分だった。三時から眠ったとして七時間一五分、最近では九時間一〇時間も寝過ごすことはないし、遅くまで起きているわりに日中の暑さに触れて気分が悪くなることもないから、瞑想の効果はおそらく出ていると見ていいだろう。あとはこのまま自然に睡眠時間を減らしていき、なおかつ毎日夢を記憶して記録することができれば上々である。布団を剝ぐと例によって仰向けのまま、マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて』一巻をしばらく読んだ。それから立って洗面所に行き、戻ってくると枕の上に腰掛けて起床後の瞑想である。一〇時三七分から四七分、昨夜聞いたBill Evans Trioの演奏が脳内で再生されてほとんど止まらなかった。それから上階に行き、味噌汁の鍋を火に掛けた。炭水化物としては、ドライカレーというのか、カレー風味のチャーハンのようなものが、冷凍庫から取りだしたらしく凍った状態で置かれていたので、それを電子レンジに入れた。温まるまで時間が掛かったので先に味噌汁を食べはじめて新聞を読み、レンジの音が止まると見に行くのだが、まだまだ凍っていて何度か卓と台所の往復を繰り返した。そしてようやくドライカレーも食卓に加わり、食べ終えてからもしばらく新聞記事を追った。前日に続いて涼しい曇天で、居間の気温計は二四度程度だった。食器を片付けると風呂を洗い、蕎麦茶とともに室に下りた頃には、もう一二時近くになっていたのだろうか。ちょうど正午のあたりから、Gabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraをひらいた。まず語の復習を一〇ページ分、これはつつがなく行って、それから久しぶりに前線を進めに入った。ウルビーノ博士の葬式も済んで、ようやくフロレンティーノ・アリーサが出てきたあたりである。ベッドの上に乗って、不明語に線を引き、段落ごとに辞書を繰りながら読んで一時間、一時一〇分で切りとした。それから歯を磨き、またしばらくプルーストを読んで、一時四五分くらいになったあと、一九五四年のMiles Davisの "The Man I Love" をバックに腕立て伏せと腹筋運動をすると、もう一度曲を掛けてMilt Jacksonのソロに合わせて歌いながら服を着替えた。そしてネクタイを締め、薬も飲み、荷物もまとめて上に運んでから戻ってきて、外出前の瞑想を行った。最初は脳内に先ほどの音楽を聞いていたのだが、そのうちひらいた窓の向こうに賑わう鳥の声に意識が行った。距離は遠くて一つ一つは霞のような覚束ない実体しか持っていないのだが、実にさまざまな声音がそこかしこに湧いているものである。入れ替わり立ち替わり前面化するそれらに耳を寄せていると、入り乱れる声の連なりがリズムと音域に時に思いもかけぬ飛躍的な展開をもたらし、構成も秩序もない流れのそのまったくの偶然性が前衛音楽のようで面白がられた。そのうちに幼稚園児の拙いそれのように、同じ鳴き声を持つ鳥たちが不揃いの合唱を始めて、ぴよぴよぴよぴよとしきりに騒ぐその音は、まるで小さな花がひらいては閉じてをほんの一瞬で繰り返し、空間のあちこちに灯っているかのようなのだが、渡ってくる槌の音がさらにその上にかぶさって、ほとんど同じようなリズムで打音を響かせて人為と自然のあいだの一種の協調を見せるのだった。二時二〇分から二八分までそのような瞑想をして、上階に戻り、出発した。大きな本を二冊入れた背のリュックサックが重く感じられたが、空気は過ごしやすい。街道まで行くと一九六一年のBill Evans Trioを、ディスク二の最後、"Milestones" から聞きだし、母親の懸賞葉書をポストに入れて裏通りに入ると、ディスク三に移した。それでまたBill Evansについて考えながら道を行き、下校する小学生たちとすれ違って駅前に入ると、職場に行った。奥の一席に就いてコンピューターを出し、ぐずぐずせずにさっさと書き物を始めた。三時過ぎだった。Paul Motian And The E.B.B.B.『Europe』を流して進めていき、四時ぴったりに前日の分は仕舞えた。それからこの日の分にも入り、四時半を迎えたところで一旦飯を食べることにした。便所に行って尿意を解放してきてから、おにぎりを食べながらも打鍵を進め、四時四五分には記述に切りが付いた。労働まで、残り一時間弱である。書き抜きをするために『和歌文学大系25 竹乃里歌』を持ってきていた。しかし一時間も時間がなくては大して進まないし、プルーストも読みたい。とはいえ書き抜きするものも、レヴィ=ストロース『悲しき熱帯Ⅱ』に知人の論文にこの『竹乃里歌』と三つ溜まっている、と迷っているうちにモニター右下の時刻表示が移り変わっていくのが勿体なく思われたので、欲望に従ってプルーストを読むことにした。コンピューターもしまってしまい、ページをひらいて文字を追いはじめたが、するとやはり、明瞭に聞こえてくる声ではなく意味を刳り抜かれた単なる遠い響きであっても、そちらに知覚が行ってたびたび文字から集中が逸れるので、音楽を流すことにした。Thelonious Monk『Solo Monk』をiPodから耳に注ぎこんで、周囲に見えない音楽の膜を巡らせ、そのなかでページに目を落として労働前まで言葉を追った。六時前から九時半まで働いて、退出である。職場の前にいた女子高生に手を挙げて別れを告げ、横断歩道を渡って裏通りへと入った。すぐに止まってiPodとイヤフォンを用意し、例によってBill Evans Trioを聞きはじめた。ディスク三の二曲目、 "Gloria's Step (take3)" から流して歩いていく。涼しさに到達しそうでできず、ぬるさのほうにたびたび傾いてしまう空気で、昼間は雲が掛かっていたわりに、今は空が晴れて、金属板のような鈍く暗い表面のなかに、星の針穴が点々とひらいていた。帰宅して部屋に下りると、服を脱いですぐに瞑想を始めた。一〇時八分から一七分を座って、上階に行った。母親は確か、帰宅した時には風呂に入っていたのではないか。それでこちらが瞑想しているあいだに下階の寝室に行ったようで、この時には姿がなかったように思う。それで天ぷらやら肉じゃがやらを温めて、米や味噌汁の皿も卓に並べ、席に就いて食べようというところで父親が帰ってきた。下はハーフパンツで上は裸のこちらを見て、お前まだ風呂入ってないのかと尋ねるので、肯定すると、じゃあ先に入るわと返った。それで新聞の夕刊を読みながらものを食べ、その後は何をして父親が出るのを待っていたのだろうか。多分、久しぶりに携帯電話で他人のブログでも読んだのかもしれない。父親が出てくる気配がしてきたところで立って、食器を洗い、この頃になると母親も上がってきて、もう侘しい髪を乾かしている父親に何か横からやいのやいの言っているのをこちらはソファで待って、それから入浴に行った。一一時頃だった。三〇分を使って汗を流し、肌をたわしで擦り回し、それから出ると、蕎麦茶を持ってねぐらに帰った。コンピューターを机に据えると、インターネットに繋いで他人のブログを訪れ、ラルフ・ウォルドー・エマソンについての記述を読んで、非常に興味を覚えた。それで七月六日も終わって零時過ぎ、引き続きインターネット巡りに精を出して、一時前になったところで一旦、プルーストを読んだ。しばらくしてから今度は性欲を雲散させるためにポルノを閲覧しはじめて、射精すると二時、ふたたび読書に入った。それから一時間ほど読んで、瞼のほうも固定力を失ってきたところで三時、もう眠ろうと枕の上に座ったが、頭の平衡を保つほどの意識の明るさがもはやなかったので、一分で瞑想は諦めて布団にもぐりこんだ。