2016/7/8, Fri.

 たびたび目は覚めても身体が動かず、長々と眠るなかでいくつも夢を見た。小さい覚醒のたびにそれを反芻してみるのだが、次の目覚めの時にはおおよそ失われており、それを繰り返してまどろみを続けて一〇時半過ぎ、確か曇天だったと思うが、空のほうを見て目を覚まそうとしていると階上で電話が鳴って意識が冴えた。寝床に居座ったまま取りには行かず切れるのを待って、一〇時四〇分を睡眠の終わりと定めたが、最初の瞑想の時間が一一時二七分開始になっているのでそれからもしばらく寝床に留まったらしい。一一時三八分に瞑想を終えると上階に行って、この日は母親は骨密度検診か何かで出掛けており、作っておいてくれたサンドウィッチを冷蔵庫から取りだした。加えて即席の味噌汁を作るとともに卵とハムも焼いて、皿を三つ卓に並べて食べた。食後に携帯電話でウェブを回っていると母親が帰宅した。多分一二時四〇分頃だったのではないかと思うが、それを機に立って食器を洗い、おそらくこの時風呂も洗って、それから蕎麦茶を注いで居室に帰った。まずこの日の新聞を読んで、前日の新聞を写しはじめたのが、Thelonious Monk『Live at the It Club』ディスク二の冒頭、 "Straight, No Chaser" の再生記録が一時二一分になっているので、どうやらその頃らしい。既に時間がかなり遅くなってしまったので、すべては写さずに途中で止めて、それから自民党改憲案を解釈した解説サイトを読んだ。二時過ぎまでそうしてから、脹脛もほぐしたいし本も少しは読みたいしというわけで、ベッドに仰向けに寝そべって浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』を読んだ。二時四〇分あたりまで書見し、腕立て伏せを行ってから汗ばんだ身体を拭きに上階に行ったが、風呂を洗ったのはこの時だったかもしれない。制汗剤ペーパーを使って肌を拭った時に、もう時間も遅いしいっそのこと今日は自宅の居間で書き物を済ませて手ぶらで出勤しようか、音楽で耳を塞げば母親がうろうろしていても意に介しないくらいの集中力は発揮できるのではないかと思ったのだが、母親が何だかんだ言っているのを聞いてやはり職場に行こうと決めた。それで室に帰って着替え、灰色のシャツに黒と灰の地味なネクタイを着けて外出に向かうと、リクエストした本が入ったらしいから図書館分館に寄ってくれないかと母親が言う。面倒くさいなと最初は払っていたが、そのうち折れて聞き入れ、兄の図書カードを受け取った。それで出発しようと玄関のほうに扉をくぐると、外から途切れず持続する拡散性の虫の音が響いている。蟬ではないか、と思った。思いながらもそれがなぜだか信じられないようで、本当に蟬だろうかと疑いながら外に出て、林のなかの高みから落ちる電子ノイズめいた音を聞いた。歩きだしてちょっと行っても、林の縁から鳴き声が降っているので、その下で立ち止まって、持続しながらも僅かに波を描く声を見上げた。確かに蟬らしいが、木々の近い家に二六年住んできたわりに虫の知識がなくて、何という蟬なのかは知らない。また踏みだして坂に入りながら、そういえば前年の今頃、夏至を過ぎてまだ僅かの日に、紫めいた籠るような暮れ方のなかで蟬の声がしているというのを、俳句にしたことがあったはずだと思いだし、ということはやはり去年も今頃に鳴きだしていたのだろうかと考えた。もう七月なので蟬が鳴いてもおかしくないはずだが、そう思ってみてもどういうわけかまったく実感が伴わない。蟬が鳴いているのを聞いて覚えたのも、ああもう蟬が鳴くような夏に至ったのかという季節の推移に対する感慨ではなく、むしろ今ここで蝉の声が聞こえるのがまったくの場違いであるかのような意想外の情だった。この六月七月、晴れの日には陽射しに打たれて汗をだらだら流し、ぬるい宵の空気に夏の語を書き付けてみても、実のところ夏を実感できてなどおらず、その感触はまるで過去の残骸、抜け殻のようなものだったらしい。それが歳を取ったということの一つの表れなのだとしたら、歳月とともに季節というもの時間というものもまた、形骸化するのかもしれない。街道に出ると、Thelonious Monk『Solo Monk』を、 "I Should Care" から聞きはじめた。裏通りに入って歩いて行くと、道の途中で赤のランドセルを背負った女児二人が、手を繋いで互いに逆方向に引っ張り合っており、一回り以上身体の小さいほうが丸々育ったほうに負けて、引かれて通りすぎて行った。彼女らがその前を過ぎたあとの民家の石塀に目をやると、紅色にも近いような、色濃いピンクの花が咲いている。和紙をくしゃりと皺寄せたようなこの花は百日紅というやつではなかったかと思いだしながら、しかし百日紅というのは今の時期に咲くものだったかと訝しんだ。つい数か月前、せいぜい春先あたりに見かけたような気がしたのだ。雨に打たれて地に落ちているのを金平糖の散らばっているようだと比喩を書き付けた覚えがある、あれは桜の開花と同じ頃ではなかったかと思ったのだが、金平糖の比喩を当てたのはその桜のほうだったかもしれず、記憶が錯雑して真相は定かならず、じきにそのことは忘れて、Thelonious Monkのピアノに耳を傾けた。Monkの独奏は絶品と言うほかなく、豪奢ではないが細やかに仕込まれた滋味あふれる料理の感触を持ったそれは聴覚よりむしろ舌に触れるかのようで、上手いというよりはまさしく旨い。特に "Dinah" は涙が出そうになるほど素晴らしく、それに舌鼓を打ちながら道を進んで、小学校から帰る子どもたちとすれ違い、図書館分館へと踏切りを渡った。入るとカウンターは先客がいたので何となく書架室に入り、『失われた時を求めて』を確認したが、先日借りられていた一巻が戻っていた。しかし次の二巻は借りられずに置かれたままだったので、借り主は一巻読んだだけでプルーストの長々しい考察癖や装飾的な文体には愛想が尽きたのかもしれない。それからカウンターに戻って、リクエストした本が来ているらしいのでと兄のカードを差しだし、他の自治体の図書館から借りたものだからとパック様の袋に入った本を受け取った。それでまた音楽を聞きながら職場に行くと、既に三時四〇分かそこらである。奥の席でコンピューターを出し、Thelonious Monk『Live at the It Club』の続きを流して、書き物を始めた。途中、 "Just You, Just Me" と続く "All The Things You Are" の途中でノイズが入り、再生し直したりハードディスクを抜き差ししてみても取り除かれないので、のちに音源をインポートし直すためにノイズの事実をメモしておいた。そうして前日の分を仕上げたのが、五時二二分である。記事は七〇〇〇字弱になった。それからこの日のものだが、夢を記録しただけで時間が来たので、中断した。

・『風来のシレン』としてその時は認識されていたのだが、その類のダンジョン探索ゲームの裏技、抜け道近道を誰かが紹介し、目の前で実演してみせる。
・電車に乗っている。自分の格好はおそらく礼服で、どうやら結婚式に出るために東京駅に向かっているらしい。電車というのは実際にはトロッコのようなもので、自分はその最前の右側に位置し、両膝を床について台車の縁に手や腕を置いている。電車は凄まじいスピードで、周囲に見える電柱やら民家やら車やらがほとんど残像も残さずに過ぎ去っていくのだが、風圧などはまったくなく、台車に乗っているこちらは平穏でいる。ただ、縁から腕をはみ出させると外の電柱などに当たるのではないかと恐れて注意している。
・大部分不明。何か、村? ゾンビ。ゾンビの集団に襲われるか、囲まれるか、少なくともその群衆のなかにいる記憶。地面は乾いてさらさらした砂、埃が立ちそう、屋外で、あるいは山岳地帯かもしれない。黄土色のような印象。彼らがゾンビなのか不明だが、その群衆の端、縁のほうにいて、こちらは段の上に腰掛けて彼らを見下ろしていたのかもしれない。H.Tの記憶。群衆のなかにはほかにも過去の同級生や知り合いなどが何人かいたような印象がある。ところがHやこちらは、そのうちの誰かが、あるいは互いがゾンビではないかと疑っていたような、そんな厳しい、相手を信頼しきれていない表情の記憶。
・猫。自宅の前で猫と戯れている。ほかに小さな子ども、幼稚園か小学校低学年かそのくらいの男児が一人。自宅の駐車場、母親の車の下に猫が入りこんでしまう。

 そして労働、わりと困難なく済ませて、九時半を過ぎてから退出した。頭痛が始まっていた。目や眉間の奥、骨が圧迫されているかのような痛みである。音楽を聞いて苦痛を散らそうとまた『Solo Monk』を聞きだし、生ぬるい夜気のなかを帰宅した。父親はまだ帰っておらず、母親がオレンジ色の小さな明かりのなかでソファに座っていた。手を洗ってから階段を下りていくと、室に入る間際で早く食べちゃいなよ、と母親の声が後ろから届いた。ワイシャツを脱ぎ、汗ばんだ肌着と靴下も取って、パンツ一枚で瞑想、一〇時一八分から二九分までである。歩いてきた身体がまだ冷めておらず、生暖かい膜で背や肩が覆われているような感じがした。それから寝転んで身体を休めながら、『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』を読んだが、たびたび天井が鳴って、時折り母親の呼ぶ声も聞こえた。しばらくしてから上がっていくと、何でさっさと食べないのと言う。台所のほうに入りながら、休む時間くらいくれないのかと言うと、そういうわけじゃないけど、と母親は答えた。流し台の前から、こちらに背を向けてテレビを見ている母親に、休んでから食べてはいけないのかと低めの声で投げると、相手は黙って何も返さなかった。続けて、自分の食事が遅くなることがあなたにとって何か問題なのかと訊いてもやはり答えないので、くだらないと思ってそれ以上何か言うのはやめにした。そのうちに何だかわからないが、なになにをしなきゃとか言って立ちあがるのだが、まったくもって阿呆らしい。ある意味で、人生の途上に立ち塞がる大きな障害よりも、こうした日常的で瑣末と言うほかないほどの極小の齟齬の、その反復のほうが、遥かに自分をうんざりさせ、疲労させる。今まで一体何年のあいだ、何度に渡って、このような本来なら書く価値もないようなまったくくだらぬやりとりが繰り返されてきたのか? サラダうどんやらカレー風味の鶏肉やらをよそって卓に就くと、まもなく父親が帰ってきた。着替えてくると腹が減ったと言って向かいに座って、飯を食べはじめた。テレビには七二時間密着ドキュメンタリーが映っていて、今回の取材場所はどこかの碁会所だった。遊びに来ている人々のなかに偶然六段のプロが混ざっていて、あっという間に対局者を負かしていた。その後プロの大変さはという取材に答えて、顔を苦いような微笑にして、勝たないと、とにかく勝たないと、と言っていた。それはプロの世界の重圧を日々身に受けている者の実感なのだろうが、ルールも定かに知らない部外者の気楽さでこちらは、勝たないと、などと言っているうちは二流なのではないかと目の前の父親に言った。なぜかと言うのに種目は違うが、羽生善治なんかはもはや勝ち負けではないらしいと答えると、そりゃお前、あれは本当に一流の、一部のトップの話だろうよと父親は言った。それからこちらは、羽生の動画を見ていると、勝っているくせに全然嬉しそうでなく、まったく納得のいっていない顔で首を傾げているのが面白い、と珍しく父親相手に雑談めいたことを言って笑った。将棋という競技については辛うじてルールを知っている程度なので、羽生善治の打ち手のその独創性、閃きの素晴らしさについてはまったく理解できないのだが、彼はやはり、言ってみれば次元が違う人間なのだろうか。幼い頃からほとんど毎日のように将棋という営みについて考え続けてプロの地位に到ったに違いない人間たちのあいだにあっても、異形際立つ突然変異種なのだろうか。仮に今から自分が生涯の探究対象を将棋に鞍替えして、毎日毎日練習を続けたとしても、羽生善治がきっと見ているはずの盤面の宇宙の有り様を目にするところまでは到らないだろう。同様に、自分はこの生においてThelonious Monkのようにピアノを弾くことはできない、彼がピアノや音楽とのあいだに培っていた関係を我が身のこととして感じることはできない。そうしたことが、自分はひどく恨めしい。どれだけ色々な知識や体験を身のうちに取りこんで己の世界を、己の認識を大きく膨れさせ拡大させていったとしても、自分は結局自分の外に出ることはできない。あまりにも貧しい自分自身のうちに留まるほかないということ、自分の目に映るものしか自分は見ることができないということ、その極々当然の事実が、自分は、ひどく恨めしい。父親はそのうちに風呂に行った。母親が居間を行き来しながら愚痴をこぼすのを聞き流しながら、携帯電話でウェブを回って父親の入浴を待ち、食器を洗ってから入れ替わった。一一時半頃だったはずだ。従って、出るともはや零時、蕎麦茶を室に持っていって、背に汗をだらだら流しながら飲み、この日のことを少々メモ書きすると零時半になった。それからGabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraをひらき、一時一〇分まで英語に触れた。さらに、ベッドに移って寝転がりながら『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』を読んだ。「言語一般および人間の言語について」は一応通り抜けて、「ゲーテの『親和力』」に入ったのだが、相変わらず何を言っているのか全然わからない。二時過ぎまで読み、二時一三分から一九分まで瞑想、そして就寝である。