2016/7/21, Thu.

 目覚ましの鳴り響く音で一挙に覚醒した。念を入れて、六時に鳴るように設定しておいたのだ。雨降りの朝で、開け放した窓から湿った涼気が流れこんでいた。時計を止めると一旦床に戻ったが、二度寝には捕まらないことはわかっており、少しすると立って部屋を出た。洗顔と放尿をして、戻って瞑想である。起き抜けの肌にいささか冷たいほどの涼しさである。大した運動などしていないのだが、なぜだか腕や脚に筋肉痛めいた圧感があったのは、起床できているとはいえやはり眠りが足りないことの現れだろうか。六時一五分から二六分まで座ってから上階に行き、真っ先に風呂を洗っておいてから、新聞を取りに玄関を出た。雨はそれなりの降りだった。戻って新聞をテーブルに置いておき、それから冷蔵庫を開けたのは、例によってハムエッグを焼こうと思ったのだが、ハムがもうない。代わりに捻れて長い棒状のベーコンがあるのは、先日どこかで母親が、肉類の安い詰め合わせを買ってきたものである。そのなかにハンバーグもあったので、卵を焼くのはやめてこの練り肉を食うことにして、鍋の水に沈めて火を掛けた。新聞を読みながら熱が通るのを待ち、出来る頃には父親も起きてきて、洗面所に入っていた。いくつか入っているハンバーグを父親と分け合い米に乗せて、ほかには母親が作ったワカメとシソの味噌汁に素っ気ないキュウリとトマトを並べて、卓に就いた。新聞を読みながらものを食べ、片付けをしてから茶を持って室に下りたのが七時半前だろう。涼しいので窓を閉めて、Richie Kotzen『Break It All Down』を流し、口ずさんでいるうちに八時が近づいてきたので、歯を磨いたり服を着替えたりと準備をした。荷物をまとめて居間に上がり、iPodの電源ボタンを押すと、罅の走った小さな画面のなかにしかし何の文字もアイコンも表示されず、ただ真っ白に染まるのみだった。壊れたかと思って繋いでいたイヤフォンに付いている再生ボタンを押してみると、音楽が始まりはして、耳に寄せたコードの先端からJimmy Pageの荒々しいギターソロが聞こえる。再生停止とボリュームの調整しかできない欠陥品になってしまったのだが、今日一日の行き帰りに聞くくらいはまだできるらしい。仕方あるまいと置いておき、台所に入っておにぎりを一つ作ると、リュックサックに収めて出発した。雨は続いている。傘を差して、まだ薄いアブラゼミの音の下を歩いていき、街道に出ると欠陥品に鞭打ってLed Zeppelin『The Song Remains The Same』を流した。二枚目の "Dazed And Confused" 、二九分ある途中の長々しい間奏からである。それから裏通りを行く途中で "Stairway To Heaven" の例のアルペジオが流れはじめ、展開を追っていると、何だかんだ言ってもやはり素晴らしい曲だと思われた。ギターソロの途中で職場に着いてしまったので、停止してなかに入り、眠気を抱えながら労働である。正午過ぎに終えて、授業記録を付けたあと、奥の席を確保してひとまずおにぎりを食べた。それからコンピューターを点けたが書き物を始めはせず、携帯電話で他人のブログを読んでいると、保護者との面談を終えたらしい上司の声が壁の向こうから聞こえたので、声を掛けに行き、話し合いをした。一時過ぎから二時あたりまで、それで席に戻ってまた他人のブログを読んでから、書き物に掛かったのが二時二四分である。Jimi Hendrix『Blue Wild Angel: Live at the Isle of Wight』で耳を塞ぎながら進めたのだが、眠気と疲労の混合物が脳内を麻痺させて指も頭も容易に動かない、のろのろと鈍重に一歩一歩踏むように打鍵して、前日の記事を終えたのが四時八分である。それからこの日の分に入って、こちらは四時四三分には上がった。ある程度の時間まで書き抜きをしてから帰るつもりだった。それで読んでいる途中の、浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』をひらき、よくわからないが引っ掛かった箇所を長々と写していくのだが、モニターを見る目の底が淀んで、身体が眠りたがっているのがわかる。写す文章の意味も明瞭に頭に入ってこないので、五時を越えた頃だったか、コンピューターを一度閉じて片寄せ、机上に突っ伏して仮眠を取った。仕切りの向こうの隣の列では授業が行われているのだが、講師や生徒の声を背景に聞きながら夢のなかに意識を落とし、気付いて顔を伏せたまま目をひらくと、よだれが唇の端から細く垂れているのが見えた。ハンカチで唾液を拭い、ふたたびコンピューターに向かい合うと、眠ったのはせいぜい一五分かその程度だったと思うが、それでも意識がよほど晴れて軽くなり、眼底も苦しまずに文字を認識した。途中で席を立って新人同僚に声を掛けたりしながら、Jimi Hendrix『People, Hell & Angels』を流して進め、六時半を迎えるだったと思うが、モニターがブラックアウトした。バッテリー切れである。それで強制的に取り組みを終了させられて、職場をあとにした。雨はまだ軽く残っていた。街路樹に鳥が群がって鳴き声を撒き散らしているなかを駅に渡り、電車に乗ると目を閉じて到着を待ち、ホームに降り立つと、空は勿忘草めいた青にしっとりと包まれて、建物の壁にもその色が感染している、例の宵時である。図書館に渡って傘を箱に立てておき、ゲートをくぐるとカウンターにCDを返却した。それで、何も借りるつもりはなくてカードも持ってこなかったが、CDの新着棚を確認しに行き、その後階を上がって新着図書も見たあと、海外文学のほうにフロアを歩いて行った。ゼーバルト『目眩まし』が、八月半ばの会合の課題書になっている。先日図書館のホームページで検索して、ゼーバルトの本は誰かがまとめて読んでいるらしくどれも貸出中になっているのを確認していたが、もしかしたらあるだろうかと見に行ったのだ。棚のあいだに入るとまず、仏教関連の文庫本を見分し、それから振り向いて、ドイツにたどり着く前にフランスの区画を見れば、前日に自分が返却したばかりの『失われた時を求めて』の水色の姿が、まだ戻されていないのかそれとも遂にすべて書庫入りの境遇に落ちたのか、二冊とも見当たらず、あるのは一冊にまとめた抄訳本のみである。棚の下部からそれを取ってぱらぱらめくり、あとがきのほうを覗くと、編訳者の角田光代が、『失われた時を求めて』に興味がない人、興味はあるけれど全篇を読むつもりはない人に読んでもらいたいとか何とか書いていた。それからドイツのほうに進むと、ゼーバルトであるのは『土星の環』のみで、やはりまだ大方借りられているらしい。ゲーテの全集から最終の書簡の巻を手に取り、シラーに送った手紙をちょっと拾ってからここでも解説に飛ぶと、冒頭に、ゲーテは生涯で一四〇〇〇以上の手紙を書き、最も大きな全集であるヴァイマル版の一四三巻のうち、五〇巻が書簡に充てられているとあって、わりと頭がおかしいなと思った。それから棚の横を回って、海外文学の文庫本のほうを見分すると、『エッカーマンとの対話』はあるが、『詩と真実』はない。岩波文庫吉川一義訳の『失われた時を求めて』一巻を取り、冒頭や、庭で読書をしている時に青空に弧を描いて鳴り響くサン=ティレールの鐘について述べた箇所などを読んで、鈴木道彦訳の記憶と比べた。そうこうしているうちに七時二〇分くらいになったので帰ることにして、出口に向かい、傘を取って出ると駅に渡った。乗車すると車両の隅に引っこんで到着を待ち、降りて乗り換え、他人のブログを読んで発車を待った。最寄り駅に着くと、雨はまだ細かく続いている。駅を出て足もとに赤茶色の楓の葉が濡れ落ちているのに、楓はこの時期にも色を変えるのかと顔を上げ、枝の先の葉がいくつか確かに染まっているらしいのを見てから横断歩道を渡った、そこまでは覚えているのだが、坂に入ってから自宅に到着するまでの道の記憶がまるでないので、よほどぼんやりしていたらしい。帰宅は八時を過ぎた頃だったはずである。記録によると八時一一分から二九分まで瞑想をしているので、室に帰ってからすぐに座っている。その後、他人のブログを読んだのだったかウェブの他の場所を散歩したのだったか、携帯電話を持ってベッドに転がり、怠惰な時間を過ごした覚えがあるが、それからいつになって食事に行ったのかが定かでない。九時半頃にRichie Kotzenの曲を流しているところでは、この時歌を歌ってから飯に行ったのかもしれないが、だとすると随分と長く自室に留まっていたものだ。夕食はおじやや茄子と肉の炒め物や、母親が料理教室で作ってきた弁当だった。食べるとそれなりに速やかに入浴に移行したはずで、出るとシャツにアイロンを掛けることにした。母親がザッピングしていたテレビの番組案内表示に、『水曜どうでしょう』の語が見えたのでチャンネルを戻してもらった。名前は知っているがこれまで目にする機会がなかったので、見てみたかったのだ。若い頃の大泉洋が、アメリカだかどこだかの川をカヌーで航行してテント生活をし、近くの小島で寂れている船の残骸を前に『世界ふしぎ発見!』の物真似を一人でするのだが、全篇に充満した何とも弛緩したぐだぐだな空気に笑いつつ、アイロン掛けをした。途中で父親も帰ってきて、こちらはシャツを処理し終えると一旦部屋に行って、急須と湯呑みを持ってまた上がってきた。テーブルの端、蒸気音を立てるポットの前で用意をしていると、食事で卓に就いた父親が、一方のリモコンを右手に持って差しだし、無言で振っている。ソファの母親がそれに気付いて、これ、と訊きながら炬燵テーブルの上からもう一つのリモコンを取るのだが、父親は、それじゃねえよ容れ物のほうだよ、と言って、母親が改めて渡したリモコンを収めておくための小箱を受け取りながら、馬鹿野郎、とつぶやく。茶を注ぐ一方でそれを見ながら、何だこいつは、馬鹿か、と実の父親に向けて心中思ったのだが、同時に、こういう場面を目にすると以前は必ず抱いていたはずの不快感や苛立ちが、自分の心にまったく生じないのを不思議に思った。そうは言っても茶を持って階段を下りながら、やはりいくらか冷めた気分にはなるようである。ただ一言、それ取って、とでも言えばいいだけの話ではないか。家の外では会社内にそれなりの地位を得た人間としてそれは外面よく振舞っており、多少の尊敬も得ているのかもしれないが、しかし家内でのあのような振舞いは、図書館や飯屋などで時折り見かけるものだが、職員店員に突きかかっていつまでも文句を撒き散らしている手合いのそれと、何が違うのか? 対象が身内か他人かというだけで、その高圧性の醜悪さには差などないではないか。そう考えながら室に帰って、燃料切れのコンピューターを助けてやると一〇時四〇分頃だった。まずのっぺら坊と化したiPodを繋いで改善するか試してみたが、相変わらず白面のまま、これは駄目だなと思いながらも一応インターネットで解決策を検索し、それを試しているうちに今度は白面すら見せなくなり黒面に固まって何の反応もしなくなったので、ついにお陀仏である。これで出先で音楽を聞く手段がなくなったのだが、新しいプレイヤーを買うかという気もあまり起こらなかった。それからインターネットに文章を投稿して、前日の新聞から記事を写し、図書館の蔵書を検索したり、『失われた時を求めて』の井上究一郎訳について調べたりした。BGMはJimi Hendrix『Valleys of Neptune』で、それから『ベンヤミン・コレクション1』の、中途半端に途切れていた書き抜き部分に取り組んだあと、また諸々の検索をした。ムージルについて調べていると、ポール・ブレイ追悼のタイトルの下に、「オーストリアの作家ロベルト・ムジールはポールの暗喩について以下のように表現している; 彼は自ら軌道を敷きながらどこまでも突き進む列車のようだ」という文章が見えて、クリックするとJAZZTOKYOのサイトである。先の一月に死んだPaul Bleyに寄せられた追悼コメントが並んでいるなかで、上の一節はSteve Swallowの言葉のなかにあった。それでムージルPaul Bleyを聞いていたのか、そもそもムージルはジャズを聞く人種だったのかなどと一瞬錯誤しかけたのだが、そんなはずはない、彼が死んだのは一九四二年である。おかしいなと思って一緒に載せられていたコメント原文のほうを見ると、対応部分は "A metaphor by the Austrian writer Robert Musil describes Paul: he was a train which laid its own tracks before it as it moved forward" となっているので、これは明らかに誤訳、正しい意は、「オーストリアの作家、ロベルト・ムージルのある隠喩がポールのことをうまく言い表している」というところだろう。このようなごく単純な文にどうして奇妙な誤訳が起こったのか不思議だが、それにしてもSteve Swallowはムージルを読んでいるということは、高僧のような見た目に相応しく、結構なインテリなのだなと思って、さらに検索を続けると、英文のインタビューが出てきて、ちょっと拾い読みしただけなのでよく覚えていないが、SwallowはRobert Creeleyという詩人と交流があったらしく、彼から音楽にも通ずる多くのことを教わったとか述べていた。そこで電脳の逍遥をやめると、既に零時半頃になっていたのではなかったか。あってなきが如きものだがせめて一時まで読書をしようと『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』に触れ、一時四分から瞑想、眠気に身体を揺らされて、回想が現時点まで辿りつけないままに二〇分で切り上げ、就寝である。



 言語は事物の言語的本質を伝達する。だが、言語的本質の最も明晰なる現われは言語そのものである。それゆえ、言語は何を[﹅2]伝達するのか、という問いに対する答えはこうなる――どの言語も自己自身を伝達する[﹅14]。たとえば、いまここにあるこのランプの言語は、ランプを伝達するのではなくて(なぜなら、伝達可能な限りでのランプの精神的本質とは、決してこのランプそれ自体ではないのだから)、言語 - ランプ〔言語となったランプ〕、伝達のうちにあるランプ、表現となったランプを伝達するのだ。つまり言語においては、事物の言語的本質とはそれらの事物の言語を謂う[﹅22]、ということになる。言語理論の理解は、この命題を、そこに含まれているかに見える同語反復性を完全に払拭してしまうような明晰さにもたらしうるかどうかにかかっている。この命題は同語反復なのではない。というのもそれは、ある精神的本質にあって伝達可能なものとはこの精神的本質の言語を謂う[﹅3]、ということを意味しているからである。一切はこの<……を謂う>(これは<そのまま直接に……である>と言うに等しい)に基づいている。――先ほどこの段落に移ったところで言ったように、ある精神的本質にあって伝達可能なものが、最も明晰にこの精神的本質の言語のうちに現われる[﹅4]のではなく、その伝達可能なもの[﹅5]がそのまま直接に言語そのものなのである。言いかえるなら、ある精神的本質にあって伝達可能なものが、そのまま直接に、この精神的本質の言語にほかならない。ある精神的本質にあって[﹅4](an)伝達可能なものにおいて[﹅4](in)、この精神的本質は(end12)自己を伝達する。すなわち、どの言語も自己自身を伝達する。あるいは、より正確にいえば、どの言語も自己自身において[﹅4]自己を伝達するのであり、言語はすべて、最も純粋な意味で伝達の<媒質>(Medium)なのだ。能動にして受動であるもの(das Mediale)、これこそがあらゆる精神的伝達の直接[﹅2]性〔無媒介性〕をなし、言語理論の根本問題をなすものである。そして、この直接性を魔術的と呼んでみるならば、言語の魔術こそが言語の根源的問題であることになる。同時に、言語の魔術という言葉はいまひとつ別のものを、すなわち言語の無限性を指し示している。この無限性には直接性が前提条件となっている。なぜなら、なにものも言語によって[﹅4]自己を伝達しはしないからこそ、言語において[﹅4]自己を伝達するものは、外側から限定されたり量り比べられたりすることはできず、それゆえどの言語にも、同一尺度では量れない唯一無比の無限性が内在しているからである。言語の限界を表示するのは、言語の言語的本質なのであって、その言語の語義的内容ではない。
 事物の言語的本質とはそれらの事物の言語を謂う。この命題を人間に適用して言いかえれば、人間の言語的本質とは人間の言語を謂う、となる。すなわち、人間は自身の精神的本質を人間の言語において[﹅4]伝達する。人間の言語は、しかし、言葉において語る。したがって、人間は他のあらゆる事物を名づける[﹅4]ことによって、自身の精神的本質を(それが伝達可能である限りにおいて)伝達するのである。だがわれわれは、事物を名づける言語をまだほかに知っているだろうか? 人間の言語以外にわれわれはいかなる言語も知らない、などと異議を唱えることなかれ。この異議は誤っている。われわれはただ、名づける[﹅4]言語を人間の言語(end13)以外には知らないだけなのだ。命名する言語を言語一般と同一視すると、それによって言語理論は、最も深遠なる洞察を奪われてしまうことになる。――つまり人間の言語的本質とは、人間が事物を名づけることを謂う[﹅28]。
 何のために名づけるのか? 人間は誰に自己を伝達するのか?――だがこの問いは、人間に向けられた場合、他の伝達(言語)に向けられた場合とは異なる問いになるのではなかろうか? ランプは誰に自己を伝達するのか? 山々は? 狐は?――こうした事物に向けられる問いに対しては、答えは、人間に伝達する、となる。これは決して擬人観[アントロポモルフィスムス]に立って言うのではない。この答えの真実性は哲学的認識において証明されるし、またおそらく芸術においても証明されるだろう。しかも、もしランプ、山々、狐が人間に自己を伝達しないのだとすれば、どのようにして人間はそれらのものを名づけられよう? ところが、人間はそれらを名づける。それらのものを[﹅7]名づけることによって、人間は[﹅3]自己を伝達するのである。では、人間は誰に自己を伝達するのか?
 この問いに答える前に、もう一度、人間はどのように自己を伝達するかを吟味しておく必要がある。深い意味をになう区別がなされねばならない。つまり、言語についての本質的に誤った見解がその誤謬性を確実に露呈させずにはいない、そのような二者択一の問いを立てねばならない。人間がその精神的本質を伝達するのは、人間が事物に与える名によって[﹅4]なのか、それとも、そうした名において[﹅4]なのか? この問い質しに含まれる背理性のなかに、この問いに対する答えはある。人間は名によって[﹅4]みずからの精神的本質を伝達すると信ずる者(end14)は、他方また、人間が伝達するのは自身の精神的本質であるということを受け入れることができない。――なぜなら、人間がみずからの精神的本質を伝達するのは、事物の名によって、とはつまり、人間が事物を言い表わす際のその言葉によって、行なわれるのではないからだ。このとき彼が受け入れることのできるのは、彼がある事柄を他の人間に伝達する、という見解だけである。というのもこの場合の伝達は、私がある事物を言い表わす際のその言葉によって行なわれるのだから。こうした見解こそが市民[ブルジョワ]的言語観にほかならず、その根拠のなさ、内容の空虚さは、以下においてしだいに明らかに示されるだろう。この市民[ブルジョワ]的言語観の言わんとするところは、伝達の手段が言葉であり、伝達の対象は事柄であり、伝達の受け手は人間である、ということである。これに対して、もう一方の言語観はいかなる伝達手段も、いかなる伝達対象も、そして伝達の受け手となるいかなる人間も知らない。この言語観が言わんとするところはこうだ。名において人間の精神的本質は自己を神に伝達する[﹅23]。
 (ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』ちくま学芸文庫、一九九五年、12~15; 「言語一般および人間の言語について」)

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 言語の形而上学にとって、精神的本質を、段階的区別のみを知る言語的本質と同一視することは、すべての精神的本質の段階的な区分を生み出すことになる。精神的本質そのものの内部で起こるこの段階的区分は、もはやいかなる上部カテゴリーのもとにも把握することが(end18)できない。したがってこの段階的区分は、言語的本質および精神的本質の、――精神的本質に関してはすでにスコラ哲学がなじんでいたような――実在程度ないしは存在程度による段階的区分を招来する。しかしながら、精神的本質を言語的本質と同一視することは、言語理論的な観点に立つとき、きわめて大きな形而上学的射程をもっている。なぜならこの同一視は、あたかもおのずからのごとく言語哲学の核心部に繰り返し立ち現われ、言語哲学をきわめて緊密に宗教哲学に結びつけてきた、かの概念に至らしめるからである。それはつまり、啓示の概念である。――あらゆる言語的形成〔表現〕の内部には、<語られてあるもの/語りうるもの>と、<語りえぬもの/語られぬままのもの>との相克が存在している。この相克を観察するとき、語りえぬもののパースペクティヴのなかに、同時に、究極の精神的本質をひとは見ようとする。だが、精神的本質と言語的本質を同一視する場合、両者のあいだのこの逆比例関係が否定されるのは明白である。というのも、両者を同一視する場合、根本命題はこうなるからだ。すなわち、精神が深くあればあるほど、つまり、実在性を増し現実性を増せば増すほど、それは語りうるもの、語られてあるものとなる。そもそも精神と言語の関係をまったく一義的な関係となすことは、まさに右の同一視の意味のうちに含まれているのであって、その結果、言語的に最も実在性をもつ最も確定された表現こそが、言語的に最も含蓄深く最も動かしがたいものこそが、一言でいえば、最もはっきりと語られてあるものこそが、同時に、純粋に精神的なものなのである。啓示の概念は、言葉の不可侵性ということを、言葉において自己を語り出す精神的本質の神性の、唯一で十分な条件にして特性とみな(end19)す。そのとき、この啓示の概念は、まさにいま根本命題として述べたことを謂っているのだ。宗教という最高の精神的領域は、(啓示の概念においては)同時に、語りえぬものを知らない唯一の領域である。なぜなら、それは名において語りかけられ、啓示として自己を語り出すからである。しかしこのなかに、次のことが告知されている。つまり、宗教において立ち現われるような最高の精神的本質だけが、純粋に人間および人間のうちにある言語に基づいているのであって、これに対してすべての芸術は、文学をも例外とはせず、言語精神の究極の精髄にではなく、たとえ完璧なる美の姿をとろうとも、事物の言語精神に基づいている。「言語[﹅2]、其[それ]は理性の母[﹅]にして啓示[﹅2]なり、此れらのA[アルファ]にしてΩ[オメガ]なり」とハーマンは言っている〔一七八五年一〇月一八日付、フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ宛ての手紙〕。
 (18~20; 「言語一般および人間の言語について」)

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 (……)この詩人はかつてどこにおいても、もろもろの原現象の位階秩序を打ちたてようと試みたことはなかった。彼の精神にこれらの原現象の数多の形式が顕現する様は、耳に混乱せる音の世界が響くのとなんら変わらないのだ。彼が音の世界について与えている描写を転じて、この比喩に関係づけてもかまわないだろう。それは、その描写自体が他にほとんど例をみないほど明確に、彼が自然を観察する際の精神を告げ知らせているからである。「目を閉じよ、耳を開き研ぎ澄ませよ。そうすれば、最もかすかな息吹から最も荒々しい音に至るまで、最も単純な響きから最も気高い和声に至るまで、最も激しい情熱の叫びから最も柔和な理性の言葉に至るまで、語るのは自然のみ、その存在、その力、その生、そしてその諸関係を啓示するのは自然のみである。それゆえ、無限の可視の世界が拒まれている盲目の人も、聴覚の世界で無限に生気あるものを捉えることができるのだ」〔『色彩論』序文〕。したがって、最も極端な意味においては「理性の言葉」さえも自然の所有に加え入れられるのだから、ゲーテにとって思考内実が原現象の王国を完全にくまなく照らし出すということが(end85)決してないとしても、なんの不思議があろうか。だがそれによって彼は、境界線を引く可能性をみずから奪ってしまったのだ。存在を担うものは無差別に自然の概念に帰するところとなり、この概念は一七八〇年の断章が教えるように、怪物じみたものにまで巨大化する。しかもゲーテは、晩年においてもなお、この断章――『自然』――に記された文章を信奉するものであることを表明している〔Fr・v・ミュラーとの対話、一八二八年五月二四/三〇日頃、および同年五月二四日付のミュラー宛ての書簡形式をとった『自然』についての説明文〕。その断章の結びの言葉はこうだ。「自然が私をそのなかにおいた。自然はまた、私をそとへ連れ出しもするだろう。私は自然に身を委ねる。自然は私を支配するがいい。自然は自分の業を憎みはしないだろう。私が自然について語ったのではなかった。たしかにそうではなかったのだ。何が真実であり、何が虚偽であるのか、すべては自然が語ったのだった。すべては自然の罪であり、すべては自然の功績なのである」。この世界観のなかにあるのはカオスである。というのも、統べる者も限界もなく、己れ自身を存在するものの領域における唯一の力として据える神話の生が、最終的にはここへ流れこむのだから。
 (85~86; 「ゲーテの『親和力』」; Ⅰ 正命題としての<神話的なもの>; 3 ゲーテにとっての神話的世界の意味; B ゲーテの生に即して; ①オリュンポスの神、あるいは芸術家の神話的生形式; b - 自然との関係)

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 (……)同じ頃のシラーに宛てた書簡でゲーテは、「完全に詩的で」あるわけではないのに、自分のうちにある種の詩的な気分を呼び起こした対象のことを述べている。そこで彼はこう言っている。「そのようなわけで私は、こうした効果を生み出す対象を仔細に観察し、その結果、驚いたことに、それらの対象が本来象徴的なものであると気づいたのです」〔一七九七年八月一六日(および一七日)付の手紙〕。しかしながら象徴的なものとは、真理内実が事象内実と解きがたくかつ必然的に結びついて立ち現われる、その現われを担っているものを謂うのだ。同じ手紙にはこうも書かれている。「将来、旅を進めてゆく際に、人目をひくものよりも意味あるものに注意を向けるならば、結局は自分にとっても他の人びとにとっても、すばらしい収穫を得られるにちがいありません。私はまだここにいるうちにまず、どのような象徴的なものを認めることができるかを試してみるつもりでい(end92)ますが、しかしとりわけ、はじめて目にする未知の土地でこそ修練に励もうと思います。もしそれがうまくゆきますれば、経験をあれこれと幅広く追いかけようとしなくても、許し与えられる限りでのいかなる場所、いかなる瞬間においても、深く見ることに努めるなら、よく知っている国々や地方からでも、やはり充分な収穫を手に入れられることでしょう」。「こう言っていいであろうが」――とゲルヴィーヌスはこれに続けて述べている――「この態度はゲーテ晩年の文学作品にほとんど一貫して該当するものであり、以前は芸術の要求するままに、感性の広がりのうちに示してみせていた経験を、これらの後期の作品においては、ある種の精神的な深さによって測定している。ただその際に彼は、しばしば底なし沼に迷い込みもするのだ。シラーはこの神秘めいた被いに包まれた新たな経験をきわめて鋭く見透していて、こう述べている。すなわち、……詩的な気分も詩的な対象も抜きにした詩的な要求、それが、ゲーテの場合であるように思われる。実際ここでは、重要なのは対象ではなく、その対象が彼にとって何かの意味をもつことになるかどうかという心情なのだ、と」。(そして、このシラーの所見に表わされた命題のもとに、象徴を把握しかつ相対化しようとする努力ほど、擬古典主義にとって特徴的なものはない。)「つまり、シラーによれば、ここで境界を定めるのは心情にほかならないのである。そしてゲーテは、何ごとにあたってもそうであるように、ここでも、普遍的で精神豊かなものを、素材の選択にではなく、ただその取扱いにのみ見出すことができるのだ。ゲーテの考えるところでは、彼にとってかの二つの広場が意味したものを、気分が昂揚したときには、どの通り、どの橋等々もがもちえた。もしシラーが、(end93)ゲーテにおけるこの新しい観察方法から実際に生ずる結果を予感できていたら、対象をそのように見ることによって個別的なもののなかにひとつの世界が据えられるから、という理由で、この観察方法にすっかり身を委ねるようゲーテを励ますといったことは、まずしなかっただろう〔以上、ゲルヴィーヌスによるシラーの引用は、シラーの一七九七年九月七日付、ゲーテ宛ての手紙〕。……というのは、そこからすぐ続いて起こるのは次のような事態だからである。つまり、ゲーテは旅行用の書類の束をつくり始める。そのなかにはあらゆる公文書、新聞、週刊誌、説教抜粋集、芝居のプログラム、各種条令、物品価格一覧表等々を綴じこみ、自分の所見を付け加え、これを世間の人びとの声と比較し、それによって自分自身の意見を修正し、新たに教えられたところをまた書類に記録し、そうしたさまざまの資料をそのまま、将来の使用のために保存しておきたいと願うのだ!! このことはすでに完全に、後にはまったくの愚かしさにまで昂じていった、さも意味ありげな振舞い方の前兆をなしていて、そうした態度で彼は日記やメモを最重要視し、まったくくだらないものでさえすべて、もったいぶった賢者面で見入るのである。それ以来というもの、人から贈られたすべてのメダル、人に贈る花崗岩の石片すべてが、きわめて重要な対象となる。そして、フリードリヒ大王がどんなに命令しても見つけだせなかった岩塩にみずから穴を穿ったとなると、そこに彼はとてつもない奇蹟を見、ナイフの先ひとすくい分を、この奇蹟の象徴として、ベルリンの友人ツェルターに送ってやる。年齢を重ねるにつれてますます昂じていった、彼のこの晩年の性向にとって、何よりも特徴的なのは、彼が古来の<何事にも驚嘆せず[ニール・アドミーラーリ]>にひたすら異議を唱え、むし(end94)ろ万事に賛嘆すること、万事を<重要で、不思議で、測りがたい>と見なすことを、自分の原則としていることである」〔ゲルヴィーヌス、『ゲーテの往復書簡について』(一八三六年)〕。ゲルヴィーヌスがかくも絶妙に、誇張なしに描いているこのゲーテの態度には、たしかに賛嘆というところもあるが、しかしまた不安もかかわっている。人間は象徴のカオスのなかで硬直し、――古代の人びとには知られていなかった――自由を失う。彼は行動において、しるしと神託の支配下に陥る。そうしたしるしや神託は、ゲーテの人生に欠けてはいなかった。ヴァイマルへの道を指し示したのも、そうしたしるしのひとつだった。それどころか、『真実と詩』〔第三部だ第一三章冒頭〕で彼は、ある旅の途上、自分が召されているのは文学なのか絵画芸術なのかについて思いが分かれ、お告げを得ようとする様を語っている。責任をとることに対する不安が、彼がみずからの本質によってとらわれていたすべての不安のうちで、最も精神的なものである。彼が政治的な問題、社会的な問題、そして晩年においてはさらに文学的な問題に対しても示した、その保守的な態度のひとつの理由をなすものが、この責任に対する不安である。(……)
 (92~95; 「ゲーテの『親和力』」; Ⅰ 正命題としての<神話的なもの>; 3 ゲーテにとっての神話的世界の意味; B ゲーテの生に即して; ②不安、あるいは人間の現存在における神話的生形式; c - 生の不安)

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 〔①-b 美の被い〕 すべて<本質的に美しいもの>は、つねにそして実体的に仮象に結びついているが、その結びつきの程度は無限にさまざまに異なっている。この結びつきは、この本質的に美しいものが<明白に生気あるもの>〔たとえば人間〕であるときに、その最高の強度に達する。しかもまさにそのとき、この結びつきは、勝ち誇る仮象と消滅してゆく仮象とにおいて、はっきりと対極をなすのである。すなわち、すべて生あるものは、その生が高(end169)次のものであればあるほど、本質的に美しいものの領域から解放されており、したがって生あるものの形姿においてこそ、この本質的に美しいものは、最も多く仮象として現われることになる。美しい生、本質的に美しいもの、仮象的な美しさ――この三つのものは同一である。この意味で、まさにプラトンの美の理論は、美の問題よりもさらに古い仮象の問題と、次の点において関連している。つまり、美の理論は――『饗宴』によれば――まず第一に肉体的に生気ある美しさに向けられる、という点においてである。それにもかかわらずこの仮象という問題が、プラトンの思弁のなかで潜在的なものにとどまっているのは、ギリシア人であるプラトンにとって、美しさは娘におけるのと少なくとも同じように本質的に青年男子にも現われるが、生の充実の度合は男性的なものにおけるよりも女性的なものにおける方が大きい、という事情による。けれども、仮象の一契機は、最も生気のないもののなかにもなお、それが本質的に美しいという場合のために、保持されている。そしてこれが、すべての芸術作品の場合である。ただ、それら芸術作品のなかでは、音楽が、仮象の契機となる度合が一番少ないということなのだ。したがって、芸術のあらゆる美のなかには、かの仮象が、とはつまり生に触れつつ境を接するものが、宿り続けており、この仮象なくして芸術の美はありえない。だが、仮象が芸術の美の本質を包括しているというのではない。この本質はむしろもっと深く、芸術作品において仮象に対立して<表現をもたぬもの>と言い表わすことができるもの、しかしこの対立関係において以外には芸術のなかに現われることはなく、また一義的に名づけることもできないもの、を指し示している。すなわち、仮象に対してこの(end170)表現をもたぬものは、対立という形においてではあるが必然的な関係にあり、その結果、まさに美なるものは、それ自身は仮象ではないとはいえ、自身から仮象が消え去れば本質的に美しいものであることをやめる。つまり、仮象は被いとして美に属していて、それゆえに、美そのものは被われてあるもののうちにのみ立ち現われる、ということこそ美の根本法則にほかならないことが明らかになる。したがって、陳腐な哲学学説の教えるところとはちがい、美そのものは仮象ではない。美は目に見えるものとなった真理である、という有名な定式、それを最後にはゾルガーが極端に平板化した形で展開してみせたのだったが、この定式はむしろ、この大きな対象の根本的歪曲を含んでいる。さらにはジンメルもまた――この哲学者にはゲーテの文章が、しばしばその本来の字句内容とは全く別の意味で気に入っているのだが――右のような定理を、ゲーテの文章からあのようにお手軽に取り出してはならなかったのだ〔ジンメルゲーテ』第三章に、「理念の目に見える形こそが美なのだという深い形而上学的確信」云々とある〕。真理はそれ自体目に見えるものではなく、真理が目に見えることがありうるとすれば、それはただ真理に固有ではない特徴に依拠した場合のみである、という理由で美を仮象と見なすこの定式は、それが方法論や理性を欠いていることはまったく問わないにしても、結局は哲学的蛮行という結果に終わる。なぜなら、美なるものの真理は被いを剝がして露わにしうる、という思想がこの定式のなかで養われるなら、その意味するところは右のこと以外のなにものでもないからである。美は仮象ではなく、他の何かのための被いでもない。美そのものは現象ではなく、あくまでも本質なのであって、ただもちろ(end171)ん、被われてある場合にのみ本質的に自己自身と同一であり続ける、そのような本質なのである。それゆえ、仮象は、他の場合はつねにまやかしだとしても、美しい仮象は、<必然的に最も被われてあるもの>を包んでいる被いなのである。というのも、被いも被われた対象も美ではなく、美とはその被いのうちに存在する対象を謂うからである。だが、被いを取り除くと、この対象は限りなく目立たぬものであることが明らかになるだろう。被いを取り除くと被われていたものは変貌する、被われたものは被われてある場合にのみ<自己自身と同一>であり続けるだろう、といった非常に古くからの直観はここにその根拠がある。したがって、すべて美なるものに対しては、被いを取り除くという理念は、被いを取り除くことはできない、という理念になる。これが、芸術批評の理念にほかならない。芸術批評は被いを取り除いてはならず、むしろ、それを被いとしてこの上なく正確に認識することにより、まず美なるものの真の直観へと高まらねばならない。いわゆる感情移入には決して開披されず、またこれよりは純粋な、素朴者の観察にも不完全にしか開披されない直観、すなわち美なるものを秘密として捉える直観へと、芸術批評はまず高まらねばならないのである。芸術作品が不可避的に秘密として現われた場合以外に、いまだかつて真の芸術作品が把握されたことは一度もなかった。言いかえれば、究極において被いが本質的なものであるような対象は、他に言い表わしようがない。ただ美なるものだけが、被いつつ被われた状態で本質的であることができ、しかも美なるもの以外のなにものもそのようにあることはできないがゆえに、秘密のなかにこそ美の神的な存在根拠があるのだ。したがって、美における仮象とは、まさ(end172)に次のことを謂っている――事物を不必要に被うものそれ自体ではなく、われわれにとっての必然として事物を被うもの、これが美における仮象にほかならない。そのような被いはときとして神的に必然のものである。というのも、時宜を得ず被いを取り除かれるとあの目立たぬものが雲散霧消し、それによって啓示が秘密にとってかわることになるのは、神的な原因によっているからだ。美の根柢をなすものは関係性格であるというカントの説〔『判断力批判』第一部第一篇第一章の第一〇―一七節参照〕は、したがって、心理学的な領域よりもはるかに高次の領域において、その方法上の意図を上首尾に貫徹する。あらゆる美は、啓示と同じく、歴史哲学的な秩序を内に含んでいる。なぜなら、美は理念を、ではなく、理念の秘密を、目に見えるものにするからである。
 (169~173; 「ゲーテの『親和力』」; Ⅲ 〔綜合命題[ジュンテーゼ]としての<希望>〕; 3 宥和の仮象; B 救済; ①震撼 - b 美の被い)