2016/7/28, Thu.

 五時半に鳴るよう仕掛けた目覚まし時計の甲高い叫びで、夢のなかから一息に、強制的に浮上させられた。鳴り響きを止めてから一度布団に戻り、しばらくごろごろとすると起きあがって、洗面所に行った。顔を洗い、水を飲んで、便所に入って用も足すと部屋に戻って、瞑想である。ひらいて網戸を掛けた窓の外では、まだ早朝とあって蟬の音は聞こえず、種々の鳥が鳴き交わしている。烏が欠伸めいて長閑に鳴き、張りのある強く短い声の鳥が渡っていくなかに、そういえば鶯はまだ鳴いているのだろうかと思いだして耳を寄せると、遠くのほうに谷渡りらしい螺旋状の落下が薄く聞こえたようだったが、気のせいだったのかもしれない。六時ぴったりから一三分間瞑想をして上階に行くと、母親が既に起きていたようで台所のざるにはうどんが一食分茹でてあり、洗面所に入ると洗濯機も動いていた。その直後に下階から上がってきたのに挨拶を交わすと、鍋の水に麺つゆを足して火に掛け、玉ねぎを一つ取りだして刻んだ。鍋に投入してしばらく待ち、少々火が通ると灰汁も取らずにうどんを足して、ちょっと煮込んでから溶き卵を落とし、その上から細い葱を鋏で刻んで散らした。それで完成、もう一つにはピザトーストを熱して、卓に移って朝食を取った。朝刊に大まかに目を通したり、携帯電話で他人のブログを読んだりしているうちに、七時になったのではないか。自室に帰って蕎麦茶を飲みながらインターネット各所を訪れて、そののちなぜそうしようと思ったのか覚えていないが、隣室に入ってギターを弄った。あるいはこれはもう既に歯も磨いて仕事着にも着替えたあとのことだったかもしれない。七時三五分か四〇分あたりから、四五分か五〇分ほどまで音を鳴らして、室に帰ると荷物をまとめたり薬を飲んだりと準備を済ませた。職場で書き物をするつもりで、久しぶりにリュックサックも持って上がると、ちょうど八時を過ぎた頃合いだったはずである。風呂場に行って浴槽を洗い、そうして出発した。雲は薄く、それほど晴れ晴れとしてもいないが、朝のわりに早くも空気に熱が籠っていた。街道に出て道を行くと陽射しが出てきて、前から向かってくる車の角、額にあたる上端と、一段落ちて突き出た鼻面の縁とに光が白く付着して、車がこちらの位置に近づくにつれてその丸い純白が右から左へと一直線に抵抗なく、ゆるりと滑る。袖を捲りながら裏通りに入り、進むと、瓦屋根も突端部に光を点々と整列させて、魚の鱗のようになっていた。薄陽に巻かれながら職場まで行き、着くと即座に働きはじめ、仕事を終えたのは午後二時過ぎである。飯を買いに外に出ると、白っぽい空の下で薄陽の染みた空気の色が淡いようで、ロータリーの周囲に駅から出てくる人の姿も少なく、いかにも昼下がりといった風情だった。微熱を帯びて静かな大気のなかをコンビニへ渡って、おにぎりとサンドウィッチ、それにチョコレートを買って戻った。奥の一席に就いて、携帯電話で他人のブログを読む傍ら、隣の列で女子中学生が雑談しているのを盗み聞くともなしに耳を向けつつ飯を食った。エネルギーを補給するとコンピューターを取りだして、Evernoteをひらきつつチョコレートを口内に溶かす。甘味も平らげるとごみをビニール袋にまとめて捨てて、書き物に取りかかった。二時五〇分頃である。Joe Lovano『Tenor Time』で耳を塞いだなかで打鍵して、三時二六分には終えたのだが、終盤は眠気にひどく苦しめられた。外界の音をきっちりと防ぐと公共の場にいるという意識が忘れられるのか、社会性のある人間としての最低限の緊張感、精神の張りのようなものが薄れるようである。それで打鍵の合間に頬杖を突いて、斜めの方向を向きながらまどろんでいる有様、これでは駄目だと仮眠を取ることにして、前日の記事を仕上げたところで一旦コンピューターを片寄せて、机上に突っ伏した。それでしばらく意識を落とし、現世に戻ってくると三時四六分である。僅か二〇分にも満たない眠りだが、随分と楽になったようだった。身体を起こした瞬間には、眠りのために体温が下がったのだろう、ちょっと寒気がして、天井の蛍光灯の光がひどく明るく感じられ、机に視線を落としていると、まるで屋根が取り払われて自然光の落ちるなかにいるような感じがした。それで書き物に戻り、この日の記事を頭から綴って、途中でJoe Lovano Ensemble『Streams of Expression』に音楽を繋げたのち、仕舞えたのが四時二三分である。久しぶりに生活に遅れを取らず、日々の記述を現在時に追いつかせることができたのが、ともかくも安堵材料ではあった。そしてすぐさま、浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』の書き抜きに移った。イヤフォンを付けずに打鍵しているうちに授業が始まると、同僚がどのような教え方をしているのかと気になって、隣の列から聞こえる声を盗み聞きながら進めたので、写しながらも文字の内実を理解せず、読み返しの用を果たさなかった。そろそろ真面目にやろうとイヤフォンを戻したところが、音楽のなかにいるとまたどうしようもなく眠気が湧くのでまた外して、打鍵を続けた。途中で席を立って新人に声を掛けに行き、頼みがありますと願いの口調で指示を出しておいた。それで六時四〇分くらいになったところで、そろそろバッテリーも危ういし帰るかというわけでコンピューターを片付け、棚の授業記録をいくつか見分してから帰途に就いた。帰りの道中、取り立てたことは覚えていないが、このような詐欺めいた仕事などさっさと辞めたいという願望はしばしば脳内に洩らした。帰宅すると七時半頃だろうか、居間に入ったところでネクタイを外し、上半身を裸にして、洗面所の籠に洗濯物を入れておくと、手を洗ってから室に帰った。廊下を行って室に入るところで、暗闇のなかで行く手を塞いでいる何かに足がぶつかった。見てみると、扇風機である。母親が置いたらしいが、この夏は今のところ、扇風機を使う必要性を覚えていない。勿論使ったほうが快適ではあるのだろうが、数年前とは違って汗を流すことにも慣れたようで、暑気による体調の危機を感じていないし、意地を張るわけでもなく、服を脱げばそれで済むではないかというのが実感らしい。そういうことができるようになったのも体調改善の賜物で、以前は裸でいれば途端に腹を冷やしたり風邪を引いたりしていたはずなのだが、今年はまったくそのような徴候がないのだ。それでせっかくの器具を兄の部屋に運んでおいてから、自室に入ると下着一枚になってベッドに転がるいつもの流れである。ごろごろとしたのちに、この日は瞑想を怠けて上に行った。夕食のおかずはトマトソースを絡めたジャガイモと肉の料理などである。それぞれ熱してから席に就き、ものを食べて、風呂を出ると一〇時だったと記録してあるからには、九時半頃には入浴に行ったらしい。二日後は、友人の結婚式に招かれている。当日荷物を持つつもりがないが、祝儀の袋が上着の内ポケットに入るのだろうかというのが問題だったので、礼服を下階から持ってきて試してみた。布に包まれたものを差しこんでみると、片方は無理そうだったがもう片方は、布が皺寄って崩れながらもなんとか収まる調子だったので良しとし、入れたままにしておいて室に帰った。蕎麦茶を飲みながら一〇時四五分まで歌を歌い、その後はJoe Lovano Ensemble『Streams of Expression』を聞きながら、前日の新聞を写したらしい。一一時一六分まで掛かったと言う。それから今度はこの日の新聞を、ベッドに寝転がって読んだ。夜も進んで、カーテンを閉ざしていても窓から入る涼気が冷たいが、顔の前に掲げた新聞の端が胸に乗るとそこが温もって、新聞にくるまると意外と暖かいというのは本当なのだなと思った。その後歯ブラシをくわえながら三〇分ほどインターネットを回り、そうして就寝前の読書である。『ベンヤミン・コレクション1』をいい加減に読み終わるぞと意気込んだはずが、前々夜の教訓を活かせず同じ轍を踏んで、寝そべっているうちにまたもや睡魔にやられて、意識を失った。三時の時計を辛うじて見たらしいのを覚えている。それで瞑想もせずに布団に潜りこんだ。



 (……)ゲーテの次のような断片的な言葉は、アレゴリーの否定的な追構成と言っていいだろう。「詩人が普遍的なもののために特殊なものを求めるか、それとも特殊なもののなかに普遍的なものを見るか、これは大きな相違である。前者のありようからはアレゴリーが生まれる。この場合には、特殊なものはたんに、普遍的なものの事例、実例と見なされる。これに対して後者のありようこそが、元来、文学[ポエジー]の本性〔自然〕[ナトゥーア]たるものである。それは、普遍的なものを考えたり示唆したりすることなく、特殊なものを語る。そこで、この特殊なものを生き生きと捉えた者が、同時に普遍的なものを、それと気づかぬままに手にすることになる、あるいは後になってはじめてそれと知るのである」(『箴言省察』)。シラーのある手紙がきっかけとなって、ゲーテアレゴリーに対してこのような態度をとった。アレゴリーのなかにゲーテは、考量に値する対象を何ひとつ見出さなかったのかもしれない。いくらか後のものだが、ショーペンハウアーが述べる次の同主旨の言葉は、より詳細である。「さて、すべての芸術の目的とは把握された理念を伝えることだとすれば……、さらに、芸術においては概念から出発することは排すべきだとすれば、芸術作品を意図的かつあからさまにひとつの概念の表現にしてしまうことは認められないであろう。ところが、これがアレゴリーにおける場合なのである。……したがってあるアレゴリー的な形象〔絵画〕[ビルト]が芸術価値をも具えているのなら、その価値は、この形象がアレゴリーとして果たしている事柄とはまったく切り離された、まったく無関係な価値なのである。このような芸術作品は同時に二つの目的に、すなわちある概念の表現と、ある理念の表現とに奉仕している。そして、後者のみが芸術の目的でありうる。前者の方は芸術とは無縁の目的なのであって、ひとつの形象に――象形文字として――碑銘の役割をも同時に果たさせようという、戯れの余興にすぎない。……アレゴリー的形象はたしかに、ほかならぬこの特性によっても、心に生き生きとした感銘を与えることはできる。がしかしそれなら、碑銘でも、同じ条件のもとで同じ作用をなしうるであろう。たとえば、ある人間の心情のなかに名声を求める願望が永続的にかつ固く根ざしている場合……、この者がいま、桂冠を戴いた名声の守護神の前に進み出たとする。すると彼の全心情がこれに刺激されて、その力は活動へと呼び覚まされる。だが、彼が突然、壁に大きく明瞭に刻まれた<名声>という言葉を目にした場合にも、まったく同じことが起こるであろう」(『意志と表象としての世界』正篇(end193)第三巻第五〇章、一八一九年)。この最後の言葉は、アレゴリーの本質のいかに間近をかすめていることか。だとしてもこの叙述は、「ある概念の表現とある理念の表現」の相違において――ショーペンハウアー自身は象徴概念を別様に捉えているにもかかわらず――アレゴリーと象徴についての、近代の根拠のない言説をそのまま受け継いでいるのであり、こうした論理主義的な基調のために、その論述は、アレゴリー的表現形式を手早にぴしゃりとやっつけてしまう一連の議論から、結局抜け出せないでいるのだ。このような論述がごく最近に至るまで権威を保ってきた。たとえばイェイツのような、偉大な芸術家たち、非凡な理論家たちですら、アレゴリーとは、何かを表示している形象とその意味とのあいだの、慣習に基づく関係を謂う、といった思い込みのうちにとどまっている。それらの論者たちは、近世のアレゴリー的な見方に成る真正の記録、つまりバロックの文学や版画におけるエムブレム的作品については、漠然とした知識しかもっていないのが常である。十八世紀に遅れてやってきた、より広範囲に及ぶバロックの末裔たちからは、アレゴリー的な見方の精神はごくかすかにしか語り出してはいないので、その結果、大本の諸作品を読んだ者だけが、アレゴリー的志向の不屈の力に相まみえることができるのだ。ところが、歩み寄らんとするそれらの作品の前に、あの弾劾判定を手に、擬古典主義的偏見が立ちはだかったのだった。それは、ひと言でいえば、アレゴリーが具現しているような表現形式は記号的意味表示のたんなる一方法にすぎない、という弾劾である。アレゴリーは――以下の考察はこのことを証明しようとするものなのだが――戯れの比喩技法などではなく、言語が、いやそれ(end194)よりも文字が表現であるのと同じように、表現なのである。まさにこの点にこそ、バロックの十字架の試み[エクスペリメントゥム・クルキス]があったのだ。ほかならぬ文字が、慣習に基づく記号体系として、他の記号体系をさしおいて立ち現われた。アレゴリーは本質的に文字と異なるものではない、と指摘することによってアレゴリーの問題がすっかり片づいたと思っているのは、ひとりショーペンハウアーだけではない。バロック文献学のあらゆる大きな対象を理解できるか否かは、結局、こうした態度にどう反論しうるかにかかっている。バロック文献学の哲学的基礎づけは――それがいかに骨の折れる遠い道のりと見えようとも――避けえぬものなのだ。(……)
 (ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』ちくま学芸文庫、一九九五年、192~195; 「アレゴリーバロック悲劇」; 「擬古典主義における象徴とアレゴリー」)

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 (……)アレゴリーはすぐに古くさくなってしまう。人を驚かせるという特性がその本質の一部をなしているからである。メランコリーのまなざしのもとで対象がアレゴリー的なものと化し、メランコリーがその対象から生を流出させ、そのあとに、この対象は死せるものとなって、とはいえ永遠のなかに確保されたものとして残るとき、この対象は無条件にアレゴリカーの手に引き渡されて、その目の前に横たわっている。それはすなわち、以後この対象はなんらかの外的意味(Bedeutung〔対他的意味〕)、なんらかの内的意味(Sinn〔即時的意味〕)をみずから放つことがまったくできない、ということである。この対象は、アレゴリカーがこの対象に付与するところのものを、己れの意味[ベドイトゥング]として受け取ることになる。アレゴリカーは、自分が対象に付与しようとするものをこの対象の内部に投げ入れ、その深部に入りこむのだ。これは心理学的な事態ではなくて、存在論的な事態を謂っている。アレゴリカーの手のなかで、事物は己れ自身ではない他のなにかになり、それによってアレゴリカーは、〔事物について語りながら〕この事物そのものではない他のなにかについて語ることになる。そして、事物はアレゴリカーにとって隠された知見の領域への鍵となり、アレゴリカーは事物を、この隠された知見のエムブレムとして崇拝するのだ。アレゴリーが文字的性格をもつのはこのためである。アレゴリーはひとつの図式[シェーマ]〔内容を離れた形式〕であり、このような図式として、それは知見の対象となるのである。アレゴリーは固定した像としてはじめて、すなわち、固定されたイメージであると同時に固定する記号でもあるものとしてはじめて、知見にとって失われることの(end230)ない対象となる。バロックの知見の理想、つまり収集して納め置くこと――その記念碑がかの巨大な図書館だった――は、文字像によって実現される。中国の文字とほとんど同様に、この文字像は、先に述べたような固定した像として、たんに知られるべき対象を表わす記号であるばかりでなく、それ自体、知見に値する対象でもあるのだ。この特徴についても、アレゴリーロマン主義者たちによって、ひとつの自己沈潜の端緒を手に入れた。とくにバーダーによってである。その著『観念の記号が観念の産出と形成に及ぼす影響について』(『バーダー全集』第二巻、一八五一年)のなかで、こう述べられている。「なにかある自然対象を、象徴的な文字や象形文字に見られるような、慣習的な観念記号として用いるかどうかは、周知のようにまったくわれわれ次第である。われわれがこの対象の自然的な特徴ではなく、この対象にわれわれがいわば貸し与えた特徴を、この対象によって表わそうとすることによってのみ、この対象は新しい性格を帯びる」。この箇所についての注で、さらにこう解説されている。「われわれが外部の自然に見るすべてのものは、それ自体すでに、われわれに向けられた文字であり、したがって一種の記号言語である、ということには十分根拠があるのだが、しかしながら、この記号言語には最も本質的なものである発音が、すなわち、まったく別のいずこからか人間のもとに到来し、人間に与えられたものであるにちがいないこの発音というものが、欠けている」。実際「別のいずこからか」、アレゴリカーはこの記号言語を捉えてくるのだが、そのなかに含まれている、知見の力のドラスティックな現われである恣意を、彼は決して忌避しはしない。深く歴史の刻印を受けた被造物界のう(end231)ちにアレゴリカーが見出した暗号めいた文字の、その夥しさを考えれば、コーエンが「浪費」と嘆いたのも無理からぬところである。この夥しさは、自然こそが支配しているのだとする〔コーエンの〕立場には、多分に適合せぬことだろう。陰鬱なサルタンとして意味[ベドゥイトゥング]が事物の後宮[ハレム]に君臨している、その淫蕩さを、この夥しさは比類なくよく表わしている。サディストに特徴的なのは、なんといっても、対象をまず貶めたうえで――もしくはこの貶めによって――満足を得ることなのだ。実際また、架空のものであれ、現実に経験されたものであれ、残酷な行為に酔っていたこの時代に、アレゴリカーが行なっていたことも、まさにこれと同じことだった。そのことは宗教画のなかにまで入りこんで。「仰ぎ見る目」をバロック絵画は、「そのときどきの主題によって条件づけられた状況とはまったく無関係なひとつの図式」(アルトゥーア・ヒュプシャー『相反的生感情の造形としてのバロック』一九二二年)にまで発展させたのだが、そうした図式となった「仰ぎ見る目」は、事物を筆舌に尽くしがたいやり方で裏切りかつ貶めているのである。具象的な事物の被いを取るというよりも、それをまさに剝き出しにすること、これがバロックの図像文字の機能にほかならない。エムブレム画家は「図像の背後」(同前)にある本質を与えるのではない。文字[シュリフト]として、つまり、エムブレム集のなかで表現されたものと密接に連関している説明文[ウンターシュリフト]として、エムブレム画家はその表現されたものの本質を絵の前に引っ張り出すのだ。(……)
 (230~232; 「アレゴリーバロック悲劇」; 「アレゴリー的奪霊」)

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 (……)「ただ耳に快く響き、美しい言葉に満ち、しかしまた、まったく雑多な事物の断片のように一切の意味と脈絡とを欠いた――せいぜいのところ二、三の詩節が理解できるにすぎない――詩。真のポエジーはせいぜい全体としてひとつのアレゴリー的意味をもち、そして音楽のように間接的な作用を及ぼしうるにすぎない。したがって自然は純粋に詩的[ポエーティシュ]である。そして、魔術師や自然学者の部屋、子供部屋、物置きや貯蔵室などもまたそうである」(ミノール編『ノヴァーリス著作集』第二巻、一九〇七年)(……)
 (237; 「アレゴリーバロック悲劇」; 「アレゴリー的油断」)

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 (……)各幕は、前の幕から順次伸び広がるように成りきたるのではなく、むしろ段丘状に高まってゆく。劇の構造は、同時に見渡せる広い平面に段状に並んでいて、そのなかで、幕間劇の段は大げさな彫像術の場となった。「台詞のなかで教訓範例に言及するのと並行して、舞台情景においてはこの範例が活人画の形で表現される」(『アドーニス』)。そうした範例が三つ、四つ、さらには七つまでも舞台上に並べたてられることさえある(『アドーニス』)。修辞的な頓呼法〔今までの相手から急に転じて別の人物に、またはそこには不在の人物や事物に向かって、荘重に呼びかける表現法〕も同じように舞台情景化される。つまり、予言的な亡霊の台詞から聞き知るのと同じように、目でもしかと見よ、というのである」(コーリッツ、『ヨーハン・クリスティアン・ハルマンの劇作品』)。この<無言の上演>においてアレゴリーへの意志は、弱まって消え去らんとする言葉を、想像力を欠いた観劇者にもそれと見てとれるようにと、全力をあげて空間のなかへ連れ戻すのだ。劇中人物の幻視的な知覚の空間と、観劇者の世俗的な知覚の空間とのあいだの、いわば大気中での混和――これはシェイクスピアでさえ試みはしなかった演劇上の大胆な冒険なのだが――は、これら力量不足の作家たちにとって不首尾に終われば終わるほど、それだけ明瞭に、そこに籠められた意図を露わにする。活人画による幻視的な描写において、バロック的表現の露骨さとバロック的表現の対照法とが勝ち誇っているのである――「劇の筋[プロット]と合唱は二つの別個の世界であって、それらは現実と夢ほどにもちがう」(シュタインベルク、前掲書)。「したがって、劇の筋と合唱とにおいて、事物や出来事の(end246)現実世界が、意味や原因の観念世界から峻別されている、というのがアンドレーアス・グリューフィウスの演劇上の技法なのである」(前出、ヒュプシャー『相反的生感情の造形としてのバロック』)。これら二つの説を二つの前提として用いることが許されるならば、合唱のなかでそれと聞きとれるものになる世界は夢と意味の世界である、という結論まではそう遠くない。これら両世界の統一を経験することこそ、メランコリカーに最も固有のものなのだ。(……)
 (246~247; 「アレゴリーバロック悲劇」; 「アレゴリー的幕間劇」)

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 (……)「バロックの本質をなすのは、複数の筋[プロット]の同時性ということである」と、ハウゼンシュタインはかなり粗野な言い方ながら、事柄の核心を予感してはいる(前出、ハウゼンシュタイン『バロックの精神』)。というのも、時間を空間のなかに現前化させる[フェアゲーゲンヴェルティゲン]ための最も根本的な方法は――時間の世俗化とは時間を厳密に現在[ゲーゲンヴァルト]と化すことにほかならない――、生起する事象を同時化するというやり方である。(……)これらの劇の構造に見られる意外性が、それどころか錯綜さえもが、他のなにかを意味するという役割を担っていて、擬古典主義的な筋[プロット]の流れの透明さ(end249)に対して強調されるべきものであるとすれば、素材選択における異国趣味もこの構造と無縁のものではない。バロック悲劇は、詩的主題の創案を促すという点では、ギリシア悲劇よりも強力なのである。(……)バロック悲劇の筋[プロット]がもつ意味は、組み合わせ文字において字母がそうであるごとくに、複雑にもつれた状況において貫徹されるのである。ビルケンはある種の歌唱劇をバレエと呼んでいるが、「それによって暗示されているのは、登場人物たちの姿勢や配置が、そしてその際の外面的な見栄えのきらびやかさが最も本質的なものだ、ということである。そのような意味でのバレエはアレゴリー的な絵画にほかならず、ただそれが、生きた人物たちによって描かれ、そして場面転換をもっているという次第なのだ。交わされる言葉は、まったく対話であろうとはしていない。それらの言葉は絵の説明にすぎず、それが絵自身によって無表情に唱えられるのである」(前出、ティットマン『ニュルンベルク詩派』)。
 (249~250; 「アレゴリーバロック悲劇」; 「アレゴリー的幕間劇」)

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 (……)登場人物たちが交わす台詞の言葉も、彼ら相互の関係のアレゴリー的な状況に合わせて呪文で呼び出された、エムブレムの説明文風のものにすぎないことが稀ではない。一言でいえば、金言が舞台情景にその説明文として添えられて、この舞台情景がアレゴリー的なものであることを明かすのだ。(……)
 (中略)
 (……)ヴィルケンはその著『宗教劇についての批判的論考』(一八七三年)のなかで、宗教劇の役割を、「昔の絵画で、人物像に、その口から出ている格好に……描き加えられた」銘帯〔中世絵画で絵の内容を説明する言葉の帯〕に比しているが、同じことが、バロック悲劇のテクストの多くの箇所に妥当しうる。(……end253……)ヨーロッパのアレゴリーは、象徴とは対比的に、非常に意味深長な文化的対決に基づく、後代の形成物なのである。アレゴリー的金言は銘帯に比すべきものである。またさらに別様にいうならば、この金言は枠、もしくは絶対に必要な断面図と呼びうるものであって、劇の筋[プロット]はたえず変化しながら、断続的にこの枠ないし断面図のなかに入りこんできて、そしてそのなかでエムブレム的な主題としての姿を現わすことになる。したがって、バロック悲劇を特徴づけているのは――ヴィソツキは「動きではなく、動きのなさが見てとれる」(『アンドレーアス・グリューフィウスと十七世紀ドイツの悲劇[トラジェディ]』一八九二年)と述べているが――動きがないということでは決してないし、ましてや筋の進行の緩慢さなどではない。バロック悲劇の特徴をなしているのは、絶えざる停止と断続的な急転と新たな硬直とが生み出す、間欠的な律動性なのである。
 (252~254; 「アレゴリーバロック悲劇」; 「表題と金言」)

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 (……)なぜなら、この――総じてバロックの――表現法の気取った不自然さは、その大部分が、極端に具象語へと回帰する点にあるのだ。そして、一方ではこうした具象語を用い、他方では巧みな対照法を呈示してみせようとする性癖は、まさしく決定的なものなので、その結果、抽象語がどうしても避けがたく思われる場合であっても、実にしばしば、この抽象語に具象語が添加され、そうして新造語が生まれることになる。たとえば、「中傷の稲妻」、「高慢の毒」、「無垢のヒマラヤ杉」、「友情の血」(以上、ハルマン『マリアムネ』第三幕)といった具合である。(……)
 (中略)
 ツュザルツは絶妙にこう述べている。「いかなる思いつきも、それがどれほど抽象的であっても、圧延されて比喩像とない、この比喩像は、それがどれほど具象的であっても、抜き型で打ち抜かれて言葉になる」(前出、『ドイツ・バロック文学』)。劇作家のうちでハルマンほどこの技巧にとらわれた者はいない。この技巧は、彼が思い描いた対話の構想を台なしにしてしまった。というのも、なにかある諍いが起こるやいなや、対話者のどちらか一方によってそれはたちまちにして比喩に変えられ、その比喩が、双方の応酬の繰り返しによって大なり小なり変奏されながら、どんどん増殖してゆくのだ。「徳の宮殿に情欲が移り住むことはできません」(ハルマン『マリアムネ』第四幕)という言葉で、ソヘームス〔宦官で、マリアムネの召使い〕はヘロデをいたく侮辱する。それなのにヘロデは、この侮辱に報復するどころか、もうアレゴリーのなかに沈みこむ。「高貴な薔薇のかたわらにはクマツヅラも咲いている」(同前)。このようにして、想念はさまざまに比喩像のなかに散ってしまうのである。(end257)
 (256~257; 「アレゴリーバロック悲劇」; 「隠喩法」)

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 (……)「しるしの認識なしに神について語られ、書かれ、あるいは教えられることはすべて、黙していることになり、理解されない。というのも、それらのことはもっぱら、他者の口[ムント]が語る歴史という虚妄に発しているのであり、そこでは精神は、認識されることなく沈黙しているからである。しかしながら、精神がある人にしるしを開示するならば、その人はこの他者の言葉[ムント]を理解し、さらには、精神が……声による響きとなって自己を啓示したことも理解する。……なぜなら、すべての被造物の外的な形姿、その衝動、欲望によって、また同じく、被造物が外へ発した響き、声あるいは言語によって、隠れたる精神が知られるからである。……万物が、啓示のための口〔言葉〕[ムント]をもっている。そして、これこそが自然 - 言語なのであり、この言語のうちからこそ、万物は己れ自身の本性から語りつつ、つねに自己自身を啓示するのである」(ベーメ『シグナトゥーラ・レールム――万物の誕生としるしについて』一六八二年)。これによれば、音声言語とは被造物の自由で根源的な発話の領域であり、それに対してアレゴリー的な文字像は、事物を、意味が巻き起こす偏心的な錯綜のなかに隷属せしめる。この言語――それは、ベーメにあっては至福の被造物の言語であり、バロック悲劇の詩行においては堕ちた被造物の言語である――は、それがなす表現に即してだけではなく、むしろその発生そのものに即して、自然的なもと見なされる。(……)
 (263; 「アレゴリーバロック悲劇」; 「バロックにおける言語理論的なもの」)

     *

 (……)行為ではなく、知見こそが、悪本来の存在形式である。したがって、情欲、暴飲暴食、怠惰といった肉体的な誘惑は、それが官能的にのみ理解される限りにおいては、悪の唯一の存在根拠というにはほど遠く、それどころか厳密にいえば、悪の究極的にして正確な存在根拠ではまったくない。悪の存在根拠はむしろ、絶対的な――つまり神を認めない(gottlos)――精神性[ガイスティヒカイト]の国という蜃気楼[ファータ・モルガーナ]とともに開示される。このような絶対的な精神性の国が、精神の対極をなす物質的なものと結びついたときに、悪ははじめて、具体的に経験されうるものとなる。悪のうちに支配している感情の状態とは悲しみであり、それはまた同時に、アレゴリーの母にしてアレゴリーの内実(end311)なのである。そして、悪魔[サタン]の三つの根源的な約束は、この悪に由来している。それらの約束は精神的なものだ。それらの約束をバロック悲劇は、たえず、あるときは専制君主の姿のうちに、またあるときは陰謀家の姿のうちに、効果的に呈示している。誘惑の餌となるこれら三つの約束とは、すなわち、自由の仮象[シャイン](禁じられたものを究めることにおいて)、自立性の仮象(敬虔な人びとの共同体からの離脱において)、そして無限性の仮象(悪の空虚なる深淵において)、である。というのも、すべての徳に特有なのは、ひとつの終極〔目的〕[エンデ]を――すなわち、神のうちなるみずからの模範を――自身の前にもっているということであり、これとちょうど対照的に、すべての悪徳は、深淵に転落してゆく無限の過程を開くのである。(……)
 (311~312; 「アレゴリーバロック悲劇」; 「悪魔の恐怖と約束」)

     *

 (……)墜落する者が落下中にもんどりを打つように、アレゴリー的志向は、比喩(Sinnbild〔意味像〕)から比喩へと落ちてゆくときに、己が底なしの深みの眩暈に襲われることだろう。ただしこれは、アレゴリー的志向が、それらの比喩のまさに最極限のものにおいて豹変せずにはいない、ということがなかったなら、そしてこの豹変の結果、アレゴリー的志向の暗闇、傲慢、神からの遠ざかりが、すべて、自己欺瞞にほかならぬものとして見えてくる、ということがなかったなら、の話である。それというのも、救済の浄福へのこの豹変が起こる比喩の宝庫を、死と地獄を意味するかの陰鬱な比喩の宝庫から切り離してしまうことは、やはり、アレゴリー的なものを完全に見誤っていることになるからだ。というのも、一切の地上的なものが崩壊して廃墟となる、ほかならぬこの、壊滅の陶酔という幻像において、アレゴリー的沈潜の理想よりも、むしろその限界が露呈す(end315)るからである。この時代の数多くの銅版画や言語による描写からアレゴリー的表象像の図式〔基型〕[シェーマ]として読みとれるような、髑髏が累々としている場所の慰めのない混乱したありさまは、あらゆる人間存在の荒涼を表わす比喩であるばかりではない。その慰めなき混乱したありさまのうちに、はかなさが意味され、アレゴリー的に表現されているというよりも、むしろ、このはかなさそれ自身が意味するものであり、アレゴリーとして呈示されているのだ。すなわち、復活のアレゴリーとして、である。最後の瞬間に、バロックの死斑のなかで――いまはじめて後向きの極大の弧を描きながら、救済しつつ――アレゴリー的な見方は豹変する。アレゴリー的な見方がひたすら沈潜していた七年も、わずか一日でしかない。というのも、地獄のこの〔七年の〕時間でさえも空間のなかで世俗化されるからであり、そして、悪魔[サタン]の深い精神に身を委ねてみずからの正体を顕わにしたかの世界とは、神の世界だからである。神の世界で、アレゴリカーは目覚める。

そうだ、
墓地で神が取り入れをするとき、
髑髏の私も天使の顔貌[かんばせ]になっていることだろう。
                      (ローエンシュタイン「マテーウス・マハナー氏のもの言う髑髏」
                                    ――『花』所収の「ヒヤシンス」より)

 これによって、最小に細断されたもの、最も生気を失ったもの、最も散り散りになったものの暗号が解かれる。それとともに、むろん、アレゴリーからはそれに最も固有なものが、つまり密かにして特権的な知見、死せる事物の国における専制的支配、一切の希望を欠いた状態の――誤って考えられた――無限性、といったものがすべて失われる。これらすべては、あの一回の[﹅3]豹変とともに雲散霧消してしまうのだ。つまり、この豹変によってアレゴリー的沈潜は、客観性というその幻像[ファンタスマゴリー]の最後の砦を明け渡さねばならず、いまや完全に己れ自身の上に立たされて〔己れ自身を頼りにして〕[アウフ・ジッヒ・ゼルプスト・ゲシュテルト]、もはや土質的な事物世界のなかで遊戯的に、ではなく、天空〔神〕[ヒンメル]のもとで真摯に、みずからの姿を再発見するのである。メランコリー的な沈潜の本質とは、まさに次のことにほかならない――すなわち、この沈潜がそこに邪悪なもの〔神から見放されたもの〕[ダス・フェアヴォルフェネ]を最も完璧に確保できると信ずる、その究極の対象でさえ、アレゴリーへと反転するということ、つまり、この〔メランコリー的沈潜の〕志向が、最後に、屍骸のころがる光景のなかに忠実にとどまるのではなく、背信的に復活へと寝返る、まさにその瞬間に、この沈潜の究極の対象は、己れの自己表出の場である虚無を成就しつつ、かつそれを否認するのだということ。
 (315~317; 「アレゴリーバロック悲劇」; 「沈思の限界」)

     *

 (……)アレゴリーが不変の(end317)深みとして抱いてきた純粋悪は、アレゴリーのなかにしか存在せず、それはただただアレゴリー以外のなにものでもなく、己れ自身ではないなにか別のものを意味している。しかもこの純粋悪は、それが表象しているもののまさに非在こそを意味しているのだ。専制君主や陰謀家によって代表されるような絶対的な悪徳は、アレゴリーである。それら、絶対的な悪徳は、実在するものではなく、それらが絶対的な悪徳としてあるのは、ただ、メランコリーの主観的なまなざしの前においてだけなのである。メランコリーの主観的なまなざしこそが絶対的な悪徳にほかならず、このまなざしは、自身の生み出したもの〔絶対的な悪徳という仮象〕によって滅ぼされる。それは、このまなざしの生み出したものが、ただこのまなざしの盲目性しか意味していないからである。絶対的な悪徳は、自身を存立させてくれている唯一のものを、純粋に主観的な沈思こそを、指し示している。純粋悪は、そのアレゴリー的形姿によって、自分が主観的な現象にほかならないことをみずから曝露するのだ。バロックにおける途方もない反芸術的主観性は、ここで、主観的なものの神学的本質と合流する。聖所は、悪を、知見という概念のもとに導入している。最初の人間たち〔アダムとエヴァ〕に蛇が与えた約束とは、「善と悪を認識するもの」になる、ということだった(マソラ〔ユダヤ伝承に基づく批判的な旧約聖書校訂本〕の『聖書』第二四巻に拠る――『創世記』三―5参照)。しかし、創造を終えたときの神については、こう言われている。「神が、造ったすべてのものを見られたところ、それは、はなはだ善かった」(同前――『創世記』三―31参照)。したがって、悪についての知見は、まったくいかなる対象をももってはいないのである。悪の知見の対象となるも(end318)のは、この世界には存在しない。それは知ることの喜び、いやむしろ〔善悪の〕判断の喜びとともにはじめて、人間自身のうちに生じきたる。善についての知見は、知見としては二次的なものである。それは実践から生じる。悪についての知見――知見としては、これは一次的なものである。それは観想のなかから生じる。したがって、善と悪についての知見は、事柄に即した[ザッハリヒ]〔神が創造した事物に即した〕知見の対極〔すなわち抽象的知見〕である。善と悪についての知見は主観的なものの深みに拠り所をもっており、遠本的には、悪についての知見にほかならない。それは、キルケゴールの言う深い意味において、「お喋り」〔『現代批判』〕なのである。主観性の勝利、および、事物に対する専制的支配の始まりとして、この知見は、すべてのアレゴリー的な見方の根源をなしている。<認識>の木の前における、罪と意味することとの一致は、抽象として、堕罪そのものにその源を有している。抽象のなかにアレゴリー的なものは生きており、抽象として、言語精神そのものの一能力として、アレゴリー的なものは堕罪を故郷としている。というのも、善と悪は名づけえぬものであって、名をもたぬものとして、<名 - 言語>において事物を名づけたのだったが、かの問い〔何が善で何が悪か、という問い〕の深淵のなかで、この<名 - 言語>を見棄てる。名こそ、言語にとって、具象的[コンクレート]な要素が根づいているただひとつの基盤にほかならない。これに対して、言語の抽象的な要素は、裁く言葉のうちに、すなわち判決のうちに、根ざしている。そして、地上の裁きでは、判決の不安定な主観性が懲罰でもって深く現実のなかに繋ぎとめられてい(end319)るのに対し、天上の裁きにおいては、悪の仮象が十分に相応の権利を認められる。そこでは、みずから認めるところの主観性が、法のあらゆる欺瞞的な客観性に対して勝利を収め、そして「最高の叡智と最上の愛の業」(ダンテ『神曲』「地獄篇」第三歌、五―六行)として、地獄として神の全能に調和する。(……)
 (317~320; 「アレゴリーバロック悲劇」; 「<神秘的考量>」)

     *

 (……)「反宗教改革期以来、とくにトリエント公会議〔一五四五―六三年〕以来」、建築や彫刻の分野をも「支配しているのは、<驚嘆すべきもの>というアリストテレスの理念である。これはすなわち、奇跡(聖書にある<しるし>)の芸術的な現われにほかならない。……まさに建築物の上層部で、力強く張り出した部分や宙に浮いているように見える部分において喚起されようとしているのは、超自然的な諸力の印象なのであって、それが、彫刻装飾の危なげに宙に漂う天使たちによって、通訳され強調される。……他方では――建築物の下層部において――、この印象をなお強めるために、これらの法則の現実性が、またもや誇張されて記憶のなかに保持される。支えかつ重圧を加える諸力の、その強大な力を暗示する、これら上から下まで一貫した意匠の数々、つまり、巨大な土台、二重三重に装飾柱を配されて前面に構える柱や柱形、それらの結合を強化し安定させるさまざまの補強物といったもの――それも、ひとつのバルコニーを支えるために、なのである――は、そもそも何を物語ろうとしているのか。下部から支えることの困難さを示すことによって、上部の宙に漂っている奇跡を強烈に印象づけること、これ以外にない。<神秘的考量(Ponderación misteriosa〔神秘的均衡〕)>、すなわち芸術作品への神の介入が、ありうべきものとして前提されているのである」(前出、ボリンスキー『詩学と芸術理論における古典古代』第一巻)。(……)
 (321; 「アレゴリーバロック悲劇」; 「<神秘的考量>」)