2016/7/27, Wed.

 前夜の混濁が長く続いて、一一時を迎えてやっと覚醒に至った。ベッドから下りて一旦洗面所に行き、用を済ませてから戻ってくると瞑想に掛かった。諸々の夢を見たはずだが、それらの記憶は既にほとんど失われていた。なかの一つに過去の意中の女が出てきたはずだという覚えがあったが、残っているのは形骸化したその事実の印象のみで、具体的な内実は既に流れだして消えていた。一一時一〇分から二〇分まで一〇分間座り、それから部屋を出て居間に上がった。母親は料理教室で出かけている。台所に入ると前夜の残り物であるゴーヤ炒めを電子レンジに突っこみ、回しているあいだに浴室に入って風呂を洗った。出てくると豚汁も冷えた鍋から一杯よそって椀をレンジに収め、米もよそって卓に並べると、食事を取りはじめた。相模原市の障害者施設襲撃事件の続報を多少追ったろうが、ここではまだ新聞をきちんと読みはしなかったはずである。正午を迎えたところで皿洗いに移り、蕎麦茶を持って自室に帰還した。コンピューターに向かうとブラウザをひらいて電脳空間の各所を訪れてから、新聞記事の写し、ここのところ時間が取れなかったので二四日の分からである。BGMはJoe Henry『Tiny Voices』の続きを流した。その後、Joe Lovano『Tenor Time』に繋げて、新聞写しに充てた時間は一時五分までである。労働の前に少しでも本を読みたいとそれからベッドに転がって、浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』をひらいた。膝で脹脛をマッサージしながら一時半まで読んで、その後服を着替えたり歯を磨いたりと外出の準備をした。二時頃に家を出たはずである。曇天のわりに微熱の籠った空気だった覚えがあるが、道中のことは、そのほかに何も覚えていない。職場に出勤し、午後八時頃まで働いて帰路に就いた。帰り道のことも特段記憶に引っ掛かっていない。帰宅は八時半を過ぎたはずである。玄関から床に上がると母親は洗面所にいるようで、そちらのほうから声が聞こえてきた。風呂を出たところらしい。扉の前に行ってこんこんと拳を当てると、しばし待って、と言うので、テーブルのほうに行ってネクタイを外し、ワイシャツと肌着もここで脱いでしまった。母親が出てくると籠に洗い物を入れておき、石鹸を使って手を洗ってから自室へ下りた。スラックスを脱いでパンツ一枚の姿になり、痛む尾骶骨を労るようにベッドの上に横たわった。身体からまだ散っていない熱がシーツに挟まれて肌のなかに籠り、自分の汗の香りが鼻に届いた。ごろごろとして腰をほぐしたあと、起きあがって尻を枕に乗せ、瞑想である。八時五五分から九時五分まで、やはり三時限の、普段より長めの労働後のために、疲労と眠気が湧いて、身体がややふらつくようだった。それから上階に行き、台所に入って、フライパンをあけると卵とハムとインゲンを合わせて焼いたものがあった。それを半分くらい取り分けて電子レンジに入れ、ほかに母親が料理教室で作ってきた弁当――玉蜀黍の粒の混ぜこまれた米に、嵩が大きめのピーマンや茄子、それに少々不調和だが、イカの煮物が入っている――も続けてレンジに突っこみ、豚汁の僅かな残りも熱して椀に収めた。さらにトマトスープも食卓に加えて席に就き、夕刊を読みながらものを食べはじめた。父親はこちらの瞑想中に既に帰ってきて入浴していたが、途中で出てきて向かいに座り、飯を食べはじめた。こちらが先に食べ終わったのだが、気怠さのために次の行動に移れず、朝刊をひらいたりして卓に留まっているうちに父親が先にごちそうさまと立って、皿洗いをした。それも一緒に洗おうと、こちらの前に雑多に並べられた食器を指して言うのを断って、父親が台所からどくとそのあとに入って皿を掃除した。一〇時過ぎである。北川景子という女優が家を売るテレビドラマを両親は見ている。こちらは風呂へ行き、ゆったり浸かって出てくると一一時近くだったろうか。下着一枚の、裸に近い状態で体重を量ると五三. 六五キログラムだった。蕎麦茶を二杯分と半ほど用意して自室へくだり、コンピューターを眠りから覚ますと、書き物を始めた。とは言っても前日の後半部のことなど大して覚えていない、覚えていたとして特段のことがあったわけでもない、やっつけ仕事の要領で僅かに五〇〇字程度書き足して即座に仕上げた。綴りながら、前晩望まずに眠ってしまったことが改めて悔やまれた。その怠惰を引きずったのだろうか、この朝に久しぶりに一〇時間も寝坊したことも苛立たしかったが、過ぎたことは仕方あるまいと記事を投稿すると、この日の事柄も素早く一気にメモを取って、一一時二〇分を迎えた。それからこの日の朝刊を読んで一一時五〇分、そこから寝床に転がって『ベンヤミン・コレクション1』を読みはじめた。カーテンの裏でひらいている窓から涼気の滑りこんで、下着一枚では少々肌に冷たいくらいだった。肌着を纏うと、保持される肌の熱のために眠気が湧くものなのか、零時台も押し詰まってくると断片的に意識を失いはじめたようである。数秒間のみ目を閉じて夢の短い幕間劇を目撃しては現実に帰って文字を追うということを繰り返して、最後に自分が夢から戻ってきたのを認識したのが、一時五分である。翌朝のためにそろそろ眠ろうと目覚まし時計を五時半に鳴るよう設定し、瞑想を始めた。一時七分から二〇分まで座って消灯、アイマスクを付けて布団に潜りこんだ。