2016/7/29, Fri.

 最初に覚めたのは九時台の早い頃だった。寝惚け頭で時計を認識すると、一瞬今日が結婚式ではなかったかと錯誤が挟まって、寝過ごしたのではと頭がひやりとしたが、すぐに式は翌日であると思い直して安堵した。それで携帯電話を取って寝床に転がったまま、長くごろごろとし続けた。横になった身体の背面に、窓から陽射しが入って宿るのが肌に強く、水が抜けていくような感じがした。一一時を過ぎてようやく起きて、起床時の瞑想も怠けて暑い暑いと言いながら上階に行き、顔を洗って用を足した。前夜の残り物があるにもかかわらず卵とハムを焼き、米に乗せて醤油を垂らしてかき混ぜ、キャベツの千切りなどとともに食った。合間に向かいの母親が、ウェブで婦人雑誌のバックナンバーを注文したいのだができないのでやってくれと言う。面倒くさく思いながらも、携帯電話を借りて画面を見てはここを押すんだと示して返し、一つ一つの行程をおのれの手で通過するようにさせた。商品をカートに入れて、注文する段になって、住所やアドレスを入力してもうまくいかないと言っている。見ると、メールアドレスのなかに余計な半角スペースが一つ入っていたので、これを消すんだと返すと、母親は眼鏡を額から下ろしてじっと見つめたあとに理解したようで、その段階は無事通過できた。次はクレジットカード情報入力である。そのような方式はこちらも知らないのだが、何だか入力にカメラを使うらしく、テーブルに置いたカードの上に携帯をかざしながら、面倒くさいなあと言っているのに、思わず少し笑うようになった。人間の生活をより利便化するために開発されたはずの技術が、それを使いこなす知識や能力や意欲のない者にとっては不便な足手まといにしかならないという、ごくありふれてはいるのだろうが逆説的な事態を目の当たりにして、少々滑稽味を覚えたのだ。効率化の思想の体現であるかのような現代器具が、よりにもよってその対極である面倒くさいの一語を使い手の口から引き出してみせた逆転が、面白かったのだろう。続いて、名義をローマ字で入力するのに、どうやってアルファベットを大文字にすればいいのと母親は訊いてきて、電話でも注文できるかなとここまで来て一代前の技術に傾きはじめた様子だったが、代わりに入力してやって返し、注文を完了させることができた。それで正午あたりだっただろうか。皿を洗ったのちにまだ怠惰の気が続いて、ソファに就いてどうでもいいようなテレビ番組を眺め、しばらくしてから風呂を洗いに行った。それから蕎麦茶を持って下階に戻ったのだが、自室の狭い机の上に湯呑みと急須を置くと、なぜか隣室に入ってギターを弄ってしまった。ブルース進行に合わせて適当に弾いてから、顔を上げて時計を見ると一時である。自室に帰ると茶を飲みながら、前日の新聞から記事を写した。Joe Lovano Ensemble『Streams of Expression』はすぐに終わって、Joe Lynn Turner『Holy Man』を繋げて、一時四五分頃に打鍵は終えたらしい。裸の背から汗がだらだら湧いていた。それから、いい加減に本を読み終わるぞと、浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』を持ってベッドに移り、寝転がりながら読みはじめた。合間に、同じく翌日の結婚式に招かれている友人とメールをやりとりし、九時半に新宿でと待ち合わせを決めた。カーテンは窓の端に留めてあり、結構風が流れこんでくる。窓外のネットにはアサガオが育って、上端を越えて行き場をなくした蔓は水平方向に軌道を変えて網戸に近づき、手のひらよりも大きな三叉の葉とともに、ふるふると身じろぎして、その向こうには湖めいた空のなかに水面に立つ波頭と同じ色の雲が溜まっていた。二時半頃、ツクツクボウシの鳴き声を、今夏初めて耳にした。驚くことに寝そべっているとまた眠気が湧くのだが、その攻撃を回避して起きあがりつつ読書を進め、三時頃にようやく本を読了した。それから水を飲みに行ったりしたあと、さぼっていた瞑想を行おうと枕に座ったのだが、目を閉じてすぐに母親がやってきたので中断を余儀なくされ、ノートに記録された時間は三時一三分から一五分の僅か二分である。母親が行ったあと、腕立て伏せに腹筋運動、スクワットを軽くしてから上階に行き、アイロンを用意した。翌日に着ていくワイシャツに礼服のズボンや、その他のものにも器具を当てたのち、玄関に行って、涼しい薄暗がりのなかでスポンジで靴を磨いた。いざ手に取ってみると、片方の先端部は偽装できないほどに剝がれているし、踵の部分は両方ともすり減って、表面の層の端が削れたその下から接合部が覗いて、片方などは僅かに隙間ができてもいる。買ってまだ数か月程度なのにこれほどとは、品が安物なのか、それとも自分の歩き方に何か欠陥があるに違いない。それでも精一杯磨いて靴を黒光りさせると、夕食はどうするかと台所に入った。鯖が牛乳に浸かって保存されているということは、母親はこれを焼くつもりらしい。ほかに大した材料もないし、野菜炒めでも作ればいいかとキャベツやらニンジンやら冷凍された肉やらを確認して外に出しておいたが、時計を見ると四時なので、もう少し遅くてもいいかと戻し、自室に帰った。それで新聞を読むか書き物をするかというところだが、文章を書ける時に書いてしまうことこそが今日のおのれを救うだろうと記述に取りかかることにした。その前に読書記録を付けたのだが、『ベンヤミン・コレクション1』を読みはじめたのは七月七日であり、七月は三冊とデータで一つしかものを読んでいない。さすがにそれを見ると、何ページであれ毎日文章を読めてさえいればいいなどと悠長なことも言っていられない、何をやっているのかと久しぶりにおのれに対する怒りが湧くようだった。それから打鍵を始めて、前日の記事は四時三三分に仕上げた。この日の分にも入ってしばらくすると、外に出ていた母親が入ってきて呼ぶ。それに答えてもうやるのかと訊くと、五時になってからでいいと言うので打鍵を続けた。現在時に追いつかせたのは五時二四分である。母親は階段下の暗がりで休んでいるようだった。直後に階段を上がっていく足音がしたので、部屋を出てそのあとを追い、台所に入った。野菜炒めで良かろうと言って、まず人参を、ぎこちない手つきで細く切り、次にキャベツを適当に刻んだ。合間に母親が使うインゲンを鍋に投下しておき、それから玉ねぎだが、包丁がなまくらで、力を入れないとなかなか切れない。指を切らないように注意して包丁を押しこむたびに、まな板代わりのシートの下の調理台ががんがんと音を立てた。インゲンをざるに上げてから肉も切り、フライパンに油を垂らして野菜を投入した。適当に器具を揺らしながらかき混ぜていると、母親が切り分けたジャガイモを入れた鍋を渡してくるので、それを隣に置き、さらに炒めて肉の色が変わると、塩胡椒を振って調理完了である。あとの品は母親に任せて、自室に帰った。ベッドに乗ってこの日の新聞を読むと、六時二〇分である。それからW・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『目眩まし』を読みはじめて、七時前になると食事を取りに行った。野菜炒めやらインゲンの混ざった肉じゃがやらを卓に並べて早々と食べ、七時半には蕎麦茶を持って室に帰って、歌を歌ったのだが、そのために窓を閉めたので汗がだらだら湧いて背中がびっしょりと濡れた。八時頃から『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』の書き抜きを始め、そのうちに風呂に入るようにと天井がどんどん鳴ったので、入浴に行った。髭をあたってから髪を洗ったが、シャワーの熱めの湯を頭に当てていると軽くくらくらするようで、少々不安になって切りあげて、浴槽の外で深呼吸を繰り返した。それから冷水を浴びたり身体を擦ったりして、上がると居間の扇風機の前に陣取って汗を乾かした。だいぶ汗が引くと体重計に乗ったのだが、そこから南窓の向こうに見えた空と空気がやたらに青いようである。涼みがてらベランダに出ると、九時過ぎにしてはやはり確かに青みが強い。思えば前日職場を出た際にも、七時半にも近くなっているわりに空の青さが濃く残っていて、まるで夏至よりも日が長いようではないかと思ったのだった、と思いだした。ところどころ雲がうっすら掛かって、星はそれほど明瞭ではないが、群青色が地上の闇にも混ぜこまれている。東のほうから坂を下って過ぎていく車のライトがそのなかを貫通して、眼下の木々や草むらや家壁やらの上、その複雑な隙間に束の間入りこんで黄とも白ともつかない色をひらめかせては、すぐに消えた。周囲のあちこちから回転性の虫の音が立ち、やや遠くでは木々を渡っているらしく、ぎぎ、という蟬の詰まった声も聞かれた。空気は停止していても柔らかく汗を吸収して、風はあるかなしかのものだが、漣ほどのものでも吹けばよほど涼しい。汗が完全に引いたところで室内に入ったのだが、そうするとなかの空気の蒸され具合がよくわかって、便所に行くとまた汗が湧いた。室に戻って、まずはさぼっていたことをやらなくてはと瞑想をした。九時一六分から三一分、座っているうちにやはり眠気が湧いて、回想をしながら半分夢中のようなものである。終えるとRichie Kotzen『Return of the Mother Head's Family Reunion』を流し、ふたたび書き抜きをするそのあいだ、肩の上に何か小動物でも乗っているかのような熱だった。一〇時過ぎまで打鍵して区切りとし、歯を磨きながら三〇分ほどインターネットを利用したのち、John Beasley『Letter to Herbie』を共連れにふたたびこの日の記事を書いた。翌日は朝から夜までほとんど一日中外出で、文章を書く時間などとても取れないだろうから、この日のうちにおおよそ仕上げてしまいたかったのだ。それで一一時半前には現在時刻に追いつかせて、あとは眠るだけである。寝床に移って、ゼーバルト『目眩まし』を手に取り、そのうちに新たな日付を迎えた。上階では父親が何だか知らないが独り言を言っているのが聞こえる。裸体を晒しているとさすがに肌寒くなったので肌着を纏い、零時半過ぎまで読んでから眠ることにして瞑想をした。零時三五分から五〇分まで、ちょうど一五分を座って過ごし、明かりを落としてアイマスクを付け、布団のなかに入った。



 ボードレールの文学のもつ無比の特徴は、女と死のイメージが、第三のイメージ、すなわちパリのイメージのなかで浸透しあっていることである。彼の詩におけるパリは沈める都市、しかも地中にというよりは水中に沈める都市である。この街のもつ地下的要素――パリの地誌学上の地層、つまりセーヌ川がかつてそこを流れていた河床――は、たしかに彼のなかに跡をとどめている。しかしボードレールの場合、都市がもつ「死の影がさす牧歌的雰囲気」において決定的なのは、ある社会的な基層、近代的な基層である。近代的[モデルン]なものが、彼の詩の主アクセントのひとつである。彼は理想を寸断して憂鬱[スプリーン]と化する(「憂鬱と理想」〔『悪の華』一八五七年、第一部〕)。しかしまさに近代[モデルネ]こそが、たえず原史[ウァゲシヒテ]を引用するのである。それがここで起きるのは、この時代の社会的諸関係および社会的所産に特有の二義性による。二義性とは弁証法がイメージとして現われたものであり、静止状態における弁証法の定則である。この静止状態がユートピアであり、弁証法的イメージはしたがって夢のイメージということになる。そのようなイメージをなしているのがたとえば商品そのもの、つまり物神としての商品であり、またたとえば家屋でもあり街路でもあるパサージュ、またたとえば売り子と商品を一身に兼ねる娼婦である。
 (ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』ちくま学芸文庫、一九九五年、348; 「パリ――十九世紀の首都」; 「Ⅴ ボードレールあるいはパリの街路」)

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 人生の嫌悪[タエディウム・ウィータエ]に入りこみ、これを憂鬱[スプリーン]に変える決定的に新しい酵素は、自己疎外である。反省の無限の遡行は、ロマン派においては生の空間を遊戯的に、次第に広がる円として拡大してゆくと同時に次第に狭まる枠のなかに縮小してゆくものであったが、このような反省の運動のうち、ボードレールの悲哀[トラウアー]に残されているのは、主体の自分自身との<暗鬱にも澄(end362)み切った差し向い>〔「救われ得ぬもの」〕にすぎない。ここにはボードレールに特有の<真摯さ>がある。まさにこの真摯さゆえに、彼がカトリックの世界観を本当に受け入れることはなかった。カトリックの世界観とアレゴリーの真摯さとは、遊戯という範疇のもとでのみ折り合える。ここではアレゴリーのもつ仮象〔見せかけ〕的性格は、もはやバロックにおけるのとは異なり、みずから認めたものではない。
 (362~363; 「セントラルパーク」)

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 憂鬱[スプリーン]は、恒常的な破局に対応する感情である〔「憂鬱 四」参照〕。

 破局の概念によって表わされるような歴史過程は、実はそれほど理解困難なものではない。それは子供の手に握られた万華鏡に比することができる。万華鏡を回転させるごとに、秩序だっていたものが全部崩れて新しい秩序が作られる。このイメージにはそれなりの根本的な正当性がある。支配者たちがもっていたいろいろな概念はいつでも、<秩序>のイメージを映し出してみせる鏡であった。――万華鏡は打ち壊されねばならない〔「憂鬱 四」参照〕。
 (364; 「セントラルパーク」)

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 芸術のための芸術[ラール・プール・ラール]に対して、当時におけるその擁護者たちによってだけではなく、なによりも文学史によって(今日におけるその擁護者のことは措くとして)与えられたもろもろのくだくだしい定理は、要するに次の命題に帰着する。すなわち、感受性が詩[ポエジー]の真の主題である。感受性は、その本性からして苦しみを受けるものである。感受性が最高に具体化され、最も内実豊かな規定を与えられるのは性愛においてであるとすれば、感受性がその絶対的な完成――これは感受性の美化と一致する――に到達するのは受難においてである。芸術のための芸術の詩学は、『悪の華』における詩的受難のなかに、齟齬をきたすことなく流れこんだ。

 花々がこのゴルゴタの丘のひとつひとつの留[りゅう]を飾っている。それらは悪の華である。

 アレゴリー的志向によって捉えられたものは、生の連関から切り離される。それは粉砕されると同時に保存される。アレゴリーは瓦礫に固執する。アレゴリーは<凝固した動揺>(end374)〔ケラーの詩「失われた正しさ、失われた幸福」〕のイメージを呈示する。ボードレールの破壊衝動は、その手に落ちるものを廃棄することには決して興味をもたない。
 (374~375; 「セントラルパーク」)

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 迷宮は、目的地に着くのがまだ早すぎる者にとっては正道である。この目的地とは市場である。
 (377; 「セントラルパーク」)

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 凝固した動揺は、発展というものがなかったボードレールの人生像の公式でもある。
 (378; 「セントラルパーク」)

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 大都市の登場によってはじめて売春の手に入った秘密のひとつは、大衆である。売春は、大衆との神話的な交感の可能性を開く。しかし他方で、大衆が成立したのは大量生産が成立したのと同じ時期である。私たちがごく日常的に用いる事物がだんだん大量生産品になってきた生活空間で、なんとか我慢して生きてゆく可能性を、売春は先の可能性と同時に含んでいるように思われる。大都市の売春においては、女自体が大量生産品になる。(……)
 (378; 「セントラルパーク」)

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 迷宮は逡巡する者の故郷である。目的地に着くことを恐れる人のたどる道は、容易に迷宮を描くであろう。衝動も、充足される前にたどるいくつかのエピソードにおいて迷宮を描く。しかしまた、みずからの行く末を知ろうとしない人類(もしくは階級)もそうなのである。

 追想[エアインネルング]に万物照応を贈るのが空想力[ファンタジー]であるとすれば、追想アレゴリーを捧げるのは思考である。追想は空想力と思考を相互に交流させる。
 (379; 「セントラルパーク」)

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 少数の基本的シチュエーションがこの詩人に繰り返し及ぼした磁力のような魅惑は、憂鬱症[メランコリー]の徴候圏に属している。ボードレールの空想力[ファンタジー]は、千篇一律なイメージになじんでいる。ごく一般的に言って、彼は自分のモティーフのどれにも、少なくとも一度は立ち返るという強迫にとらわれていたように見える。これは実際、犯罪者を繰り返し現場に立ち戻らせる強迫に比較することができる。もろもろのアレゴリーは、ボードレールが彼の破壊衝動を満足させてきた場である。彼の散文作品の多くと『悪の華』の詩とのまったく独特な対応関係は、そのように説明できるかもしれない。
 (379; 「セントラルパーク」)

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 ボードレールの文学は、<新しいもの>を<繰り返し同じであるもの>において、<繰り返し同じであるもの>を<新しいもの>において発現させる。

 永劫回帰の観念が、ほぼ同じ時期にボードレール、ブランキそしてニーチェの世界に入り(end385)こんでくるさまを、力を込めて叙述しなければならない。ボードレールにおいては、ヒロイックな努力によって<繰り返し同じであるもの>から勝ち取られる<新しいもの>に力点があり、ニーチェにおいては、人間がヒロイックな態度で対峙する<繰り返し同じであるもの>に力点がある。ブランキはボードレールによりもニーチェにはるかに近いが、しかし彼にあっては諦観が優勢である。ニーチェにおいてはこの経験が宇宙論的に、次のテーゼのなかに投影されている――もはや新しいものは現われない。
 (385~386; 「セントラルパーク」)

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 弁証法的に思考する者にとっては、世界史の風を帆に受けることが肝要である。彼にとって思考とは帆を張ることである。帆をどう[﹅2]張るか、それが重要である。言葉は彼においては帆にほかならない。言葉をどう配置するか、それによって言葉が概念になるかどうかが決まる。
 (387; 「セントラルパーク」)

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 『悪の華』が今日まで見出してきた絶え間ない反響は、大都市がそこで史上はじめて詩のなかに登場したことによって獲得したある面と深く関連している。それは最も意外な面である。ボードレールが彼の詩のなかでパリを喚起するとき、そこに共振しているもの、それはこの大都市の虚弱さと脆さなのである。「朝の薄明」におけるほどそれが完璧に暗示されたこと(end387)はなかったのではないか。ただしこの虚弱さと脆さという面自体は、程度の差はあれ「パリ情景」全体に共通するものである。それは「太陽」が巧妙に現出させているような街の透明さのなかにも、「パリの夢」の対照効果のなかにも表現されている。
 (387~388; 「セントラルパーク」)

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 進歩の概念を、破局の概念に基づかせなければならない。<このままずっと>事が進むこと、これがすなわち[﹅7]破局なのである。破局とはそのつど目前に迫っているものではなくて、そのつど現に与えられているものである。ストリンドベルィの考え――地獄とはわれわれの目前に迫っているものではなく、ここでのこの人生[﹅8]のことだ。
 (403; 「セントラルパーク」)

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 抒情詩受容の条件がますます厳しくなってきたとすれば、当然考えられるのは、抒情詩がもはや例外的な場合しか読者の経験と触れ合っていないということである。これは読者の経験の構造が変化したためであるかもしれない。この考え方は正しいと認めることができようが、しかしそうなると、読者の経験がどう変化したのか、それを述べるのに困難を感じることになろう。こういう場合は哲学に答えを求めることになるであろう。ここでひとつの独特な事情が見えてくるのである。前世紀の末以来哲学においては、<真の>経験を獲得しよう(end420)とする一連の試みがなされた。この<真の>経験は、文明化した大衆[マッセ]の画一的で不自然な生活に沈殿する経験と対立するものとされる。これらの勢いこんだ試みは普通一括して「生の哲学」という概念で呼ばれている。当然ながら、それらは社会における人間の生活から出発することをしなかった。それらが引き合いに出したのは文芸であり、あるいはむしろ自然であり、そして最後にとりわけ神話時代であった。ディルタイの著作『体験と創作』〔一九〇五年〕は、この系列における最も早いもののひとつである。この系列の最後にくるのはクラーゲス、そしてファシズムに身を捧げたユングである。これらの書物のなかでひときわ高くそびえている記念碑的業績が、ベルクソンの初期の作品『物質と記憶』〔一八九六年〕である。これは他の著作よりも、厳密な科学的研究との関連を保っている。この作品は生物学に則って書かれている。表題が示すとおり、そこでは記憶[ゲデヒトニス]の構造が経験の哲学的構造にとって決定的に重要であると見なされている。事実、経験というものは集団的な生においても個人的な生においても、伝統にかかわる事柄である。経験は、追想[エアインネルング]において厳格に固定される個々の事実よりも、堆積されて記憶のなかで合流する、意識されないことの多いデータから形成される。記憶を歴史的に特定することは、無論ベルクソンの意図ではない。むしろ彼は、経験の歴史的な規定をすべて斥ける。こうすることで彼はとりわけ、そして本質的に、ある経験に肉薄するのを避けることになるのだが、じつはこの経験から彼の哲学が生じてきたのであり、あるいはむしろ、この経験に対抗するために彼の哲学が要請されたのである。その経験とはすなわち(end421)大工業時代の不毛で眩惑的な経験である。この経験に対して閉ざされる目には、この経験のいわば自然発生的な残像として、補色的性格をもつ経験が現われる。ベルクソンの哲学は、この残像を詳述し定着しようとする試みである。このようにベルクソンの哲学は、自分の読者というかたちでボードレールの目にありのままに見えていた経験について、間接的に示唆を与えるものである。
 (420~422; 「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」)