2016/7/30, Sat.

 友人の結婚式の日である。覚めた視界の先がぼやけて、壁に掛かった時計の針が視認できなかった。カーテンの裏から陽が射しこんでいる。しばらくそちらを向いて目を慣らしてから、一度布団から抜け出て携帯電話を確認すると、四時四〇分だった。まだ間があるなとふたたび寝床に入って、まどろんでいるあいだ、鶯の声がいくつも落ちて弾けるのを窓外に聞いた。しばしののち、五時三〇分の目覚まし時計の響きで覚醒した。そのまましばらく床に留まり、六時前に起床すると、用を済ませてきてから瞑想をした。五時五七分から六時九分までである。それから階を上がっていき、台所に入ると、冷蔵庫から前夜の残り物――野菜炒めと肉じゃが、インゲンの和え物――にうどんを取りだした。鍋に汁を用意して玉ねぎを切り、投入して火を通しているあいだ、インゲンなどをテーブルに運びに行くと、ゴキブリが居間の床にいることに気付いた。なぜか既に弱っていて瀕死状態であり、裏返しになって足を緩慢に動かしている。うどんを煮たあと、溶き卵を入れておいてから、洗面所の黴用洗剤を取って、ゴキブリに少々吹きかけておいた。そして沸騰していた鍋の火を止め、丼に入れて運び、卓に就いて食べはじめた。テーブルの向こうにゴキブリの姿が見えて、気持ちのあまり良くない食事である。食べると六時四五分かそこらで、食器を洗ってから室に帰った。歯磨きをしながら前日の記事に僅かに文を足し、投稿すると七時一五分である。その後、せいぜい一、二ミリしか伸びていないのだが、手の爪の固さが気になったので、切ることにした。Bill Evans Trio "All of You (take1)" を薄く流してベッドに移り、ティッシュの上に爪を切り、やすりを掛けて粉を落とした。窓に目を向けると、アサガオの蔓の産毛が白さを宿して、縦に伸びた一本の片側の輪郭に光の線が引かれている。葉の表面も砂糖をまぶされたようにざらざらと光っていた。爪を切り終えると上階へ行き、制汗剤シートで身体を拭ってからワイシャツとスラックスを身につけると、上着も一度纏ってみた。銀色がかった明るめのネクタイと揃いのポケットチーフがある。胸元にそれを入れて鏡の前に立ってみたが、あまり気に入らないので、これはいらないだろうと捨て置いたところが、母親はやっていくべきだと主張して聞かない、アクセントになるからとしきりに言う。華やかさなど不要だし、アクセントなどないほうがすっきりとしていいと思ったのだが、聞き入れて、適当に三角形にたたんだものを差しこんでおいた。それから招待状の封筒や、誤って買った二一六〇円のモレスキンの手帳もポケットに入れておき、洗面所に入って寝癖を直した。するともう出る時間である。さすがに暑いので上着は片腕に預けて、もう一方の手には母親の葉書を持って出発した。午前八時前だが既に旺盛な陽が、液体じみて肌に差しこみ、重い。林のなかではミンミンゼミの声が波打っている。駅に向かって坂を上がりながら早くも息をついている有様で、この先の一日のことが思いやられた。ポストに葉書を投函してホームに渡り、電車が来るまで少々屋根の下で待った。烏が二羽、低い位置の電線に止まっていたが、やがて一匹ずつ飛び立って、明るい緑や青の色を背景に宙を流れていった。階段からは選挙公報を持った男が降りてきて、立ち止まって紙をじっと眺めながら、時折り思いだしたように数歩進んで、また止まった。アナウンスが掛かるとホームの先に進んだ。陽のなかに出ると途端にまた服の内がべたつきはじめる。電車に乗って扉に向かい、窓外を眺めると、空は澄んで雲はほとんどなく、絶好の晴れの日といった風である。降りて乗り換え、先頭へ行って、座ると膝の上のジャケットからノートを取りだして、この日のことをメモした。発車すると隣席はすぐに埋まった。二五分ほど掛けて現在時のことまで記録を取ると、瞑想めいて瞑目し、じっと静止した。立川で一度目を開けるとまたすぐに閉じ、国分寺で乗り換えた。特別快速は混んでいる。身動きが取れず、上着を右手に保持して、左手を上に伸ばして吊り革の付いた柱を掴んだ。すぐ右にはアジア系の男性と日本人女性のカップルがいる。女性が男性の方を向いて恋人らしく胸に手をあて、顔を寄せてちらほらと会話をしていた。彼らは三鷹で降りていった。ここで多少余裕が生まれたので向きを変えて北の扉に向かい合い、また目を閉じた。高円寺付近で外を眺めると、雲が地元よりも増えていて、小さなちぎれ雲がいくつも浮かび、水平線に近いあたりのものは、繰り返し踏まれて崩れ、ほとんど溶けて白さを失った雪のように沈んでいる。水色の空に白い雲の群れと、いかにも典型的な空の像を見ていると、マグリットの絵にもそんな定型的な描写があったなと思いだされた。じきに新宿である。降りて携帯を見ると、一本遅れて九時四五分になると待ち合わせ相手の友人から連絡が入っていた。階段を上がり、上着を羽織ってトイレへ、男性用便所は改装中で簡易的な室が設けられており、小便器は壁の低い位置に小さくひらいていて、両側に仕切りがあった。出ると待ち合わせ場所である構内喫茶店の前へ行った。人が絶え間なく流れ、頭上からもひっきりなしに何らかの人工音が落ちて、まことに騒がしい街である。招待状を確認してから、再度メモを取った。上着を纏っていると動いていなくともやはり暑く、ペンを操りながら肌に汗が湧くのを感じた。記録を終えると服を脱いで、流れる人々の姿を眺めた。首のあたりを観察すると、背がそれほど丸まっていなくとも、前へ突きだし気味になって首の後ろが斜線になっている者が結構いる。特にリュックサックを背負っていると、背に掛かる重さの反動なのか、大概そうなるようである。そのうちに人間たちのあいだから、友人の姿がこちらにやってくるのが見えた。額を大方出して左右に分かれた髪は細かくうねり(のちにはベートーヴェンかと思った、と同級生に軽口を叩かれていた)、礼服は落ち着いた青のもので、なかに黒いベストも着込んでネクタイはピンクに寄った薄めの赤のストライプ、靴は褐色だった。行こうと言って階段をホームに降りていくその足取りを見ても、両手はポケットに突っこみながら靴の先が左右にちょっとひらいて、歩み自体も外側に僅かに膨らむ。なるほど、格好は出来合いじみたこちらのものよりも遥かに洒落ているし、意気は軒昂らしく、世間にそこそこ揉まれながら渡ってきたらしいことが窺えるかのよう、なにしろ既に家庭を支える一児の父である。電車に乗って座ると、祝儀にいくら包んだと訊いてくる。詰まっていると、訊くもんじゃねえかと続いて、互いに秘密にしておくかとこちらは返したが、そのあとすぐに俺はまあ平均、と来たのに、自分は相場よりも高めにしたと答えて、結局互いに知れることになった。それからもう一人招待されているはずのクラスメイトのことを思いだして、メールを送ると、既に東京駅にいてぶらついているらしい。合流しようと送って降りて、出口に向かい、改札を抜けたところで相手に電話を掛けた。地下街にいるらしく、現在位置を説明しようとするのを、もう時間もあまりなかったので、お前がこっちに来いと切って通話を終えた。それでこちらは地下街の入り口が見える位置に立ち、友人は柱の陰、上ってくるだろう相手からは見えない位置に隠れた。というのはこのベートーヴェン風の友人(カフェ店員である)は長いあいだ音信不通だったので、都職員であるもう一人は本日彼が招かれていることは知らないところに、いきなり姿を現して驚かせてやろうという魂胆だったのだ。それでアイコンタクトを交わしながら、相手が来るのをいまかいまかと待ち受けたところが、なかなかやってこない。そろそろ行かないとまずいぞという時間になって、来ないじゃねえかと呆れて陣形を崩し、もう置いていくかとか言っているとようやく現れたのだが、逆にこちらが不意を突かれたようになって、脅かすことができなかった。それでも駅を出て陽射しの下を歩きながら、カフェ店員が矢継ぎ早に、結婚して子どもがいると告げると、驚いたようになっていた。もう時間もないしタクシーに乗ろうというわけで乗り場に並びながら、都職員に、舛添前知事については例の件の以前から、庁内ではああいう噂が流れていたものなのかと尋ねると、ケチだという評判はあったと言う。例の、食事をしにマクドナルドに行くのに、クーポン券に執着したという話である。それから、お前は今次の知事選なら誰の下で働きたいのかと訊くと、それを言えない立場にあると相手は答えて、そりゃそうかとひとまず収めてタクシーに乗った。数分して会場のホテル前に着き、なかに入ってエレベーターで上へ、降りて受付を済ませると階段でさらに一階上がって、式場に入った。礼拝室めいた小部屋である。新郎側新婦側で左右に分かれて長い席に座った。壇上では女性がハープを演奏しており、ほかに聖歌隊らしく臙脂色のガウンを着た女性が二人いる。じきに外国人の神父が入ってきて、片言で挨拶をした。それでまず新郎の入場、音楽とともにやや緊張した面持ちで入ってきた姿は、白いジャケットのタキシードに蝶ネクタイ、黒いストライプのベストをなかには着ていて、手袋を嵌めていたような気もするがどうだったか。続いて新婦の入場、ここでは "Ave Maria" が流れて聖歌隊の女性が歌い、両親とともに純白のドレスを身に纏い、肩を晒してブーケを手に持った新婦が戸口に姿を現した。父親の腕に引かれていた新婦は一旦手を離して、和装の母親のほうを向き、母親がレース模様の施されたヴェールを下ろすと、ふたたび父親が腕に新婦の手を受けて、ゆっくりと、交互に繰り出される一歩一歩に間を置きながら、前に進んだ。専属のカメラマンが素早く動いて身をかがめつつカメラを構えるのみならず、周囲では多くがスマートフォンを取りだし、ぱしゃりぱしゃりという音が聖歌に被さる。それで新婦が、新郎の手に引き渡されたのち、式の詳細な展開など覚えられるはずもないのだが、確か次には我々も起立を求められ、一度祈りを捧げたのではなかったか。そしておそらく賛美歌の唱和だったと思う。神父は我々にも共に歌うように求めた。前の席の背面の部分に式次第が置かれており、その右側のページに賛美歌の詞が載っていたのだが、こちらは最初から歌うのを諦めて声を出さず、詞を読んだり、あるいは左側に記された式の次第を読んで、のちに文章を書く時の助けにと覚えようとしたのだが、その甲斐虚しくほとんど覚えていない。賛美歌のあとは神父によって聖書が朗読された。確かそれが二段階、あるいは二種類あったのだが、始めの一つでは神父は、おそらくスペイン語らしい言葉を用いていた。そのあと英語に変わって、 "my father" とか "heavenly happiness" とかいう言葉が聞かれた記憶があるが、神父の出自は先のスペイン語からしてもラテン系らしく、英語のほうはそれほど滑らかな発音ではなく、ほとんど聞きとれなかった。その次が誓約、例の、健やかな時も、病める時も、というやつである。互いに向かい合った二人のそれぞれに向けて神父が、いついかなる時にも、この人を愛し、この人を敬い、この人を助けることを(本当はこのあとにもう一つ文言があったのだが、忘れてしまった)、誓いますか、とやはりやや片言で訊く、新郎は緊張も見せず声も震えず、堂々とした調子で大きく、はい、誓います、と答えて、新婦もまたそれに相応して怖じずにまっすぐ答えた。それから指輪の交換である。新郎から新婦へ、新婦から新郎へ、と神父がそれぞれ宣言しながら、指輪が互いの指に嵌められ、そして誓いの口づけである。新郎がややぎこちないような手つきで、花嫁のヴェールを持ち上げると肩に手を置いて、上体を前に差しだす瞬間に、こうかな、というように一瞬戸惑いめいたものを僅かに見せながら、右側にちょっと傾いで、花嫁の口もとに顔を寄せた。傍目には二人のあいだの距離がやや遠めで、上体を伸ばす感じになったので、それで瞬間迷ったのではないかと思う。それから二人はこちらに向き直って、神父が結婚の宣言をし、拍手が降り注がれた。そして結婚証書への署名、台が持ちだされてきて、大きな白い羽の付いたペンで署名がなされ、それを皆に向けて掲げるとふたたび拍手が鳴った。そして、確かこのタイミングだったと思うが、二度目の賛美歌が歌われて、おそらく最後にまた祈りを捧げて、新郎新婦の退場だったはずである。そのあとから皆も室を辞して、エレベーターに乗りこむ人々のそばを過ぎて我々三人は階段を取りながら、カフェ店員が、ああいう外国人の神父は大体、本当は日本語をきちんと話せるところをわざと片言で喋っているらしい、と言う。そのほうが感じが出るから、と言うのだが、その「感じ」とは一体どのような感じなのか、こちらにはよくわからず、喋れるならば普通に日本語らしい発音で喋ったほうが、単純に格式らしいものが出て良いのではないかと思った。実際今回の神父にしても、故意なのか地なのかは知らないが、日本人なら伸ばさないところを伸ばしたり(「幸せ」の「わ」や、「誓いますか」の「ま」が間延びしていた記憶がある)、反対に、いくつかの音節が駆けこむように速くなったりすることがあって――つまりは完全に西欧語の抑揚が付されており、その柔軟な速度変化と波打ちに比して我らが日本語はよほど平坦であり、一歩一歩確かに一定の歩みを進めるがごとく堅実な発音を持った言語だと改めて自覚されるのだが――、それがちょっとした滑稽味、軽さの印象をもたらしていたようである。日本語のほうに自分から近寄っていかず、それを西欧語の発音体系に引き寄せていくらか強引に同調させようとするさま、おのれの言語に対するそのまったき帰属ぶりは、思い返してみると確かに、母国語の桎梏にあまりに無抵抗で、いかにも典型的な外国人の像をなぞってわざとらしかったようにも思われる。下階に行くと便所に寄ってから、披露宴会場に入った。広間の前に一室、小さなスペースがあって、そこには新郎新婦が二人ともジブリアニメが大好きだということで、そうした趣向の小物やウェルカムボードが置かれていた(そのテーマは式全体を通じて維持されており、流れる音楽にも多数ジブリアニメのものが使われていた)。なかにそれなりの嵩を持ったものは二つあって、一つは『魔女の宅急便』をテーマにした小さなウェルカムボードで、これは左側にあり、その右側にもう一つ何かがあったのだが、それは思いだせない。写真を撮る友人の後ろから眺めていると、横から声を掛けられた。向くと、和装の婦人が立っていて、一瞬、この人は誰だったかと記憶の脱臼が挟まったのだが、新郎の母親である。おめでとうございますと礼をして、元気、と尋ねられるのに、ええ何とか、とか答えていると、カフェ店員も気付いて、こなれた振舞いで何かしら喋ってくれるので任せて、こちらは通り一遍の礼や祝福を繰り返した。あれは私が描いたの、とウェルカムボードを指して婦人は言う。それで改めて近づいて見てみると、縦に長い面の下部に『魔女の宅急便』の少年と少女が、朗らかな感じで並んでおり、背景は大海のような濃い青に塗られて、上部にはヒマワリだったと思うが黄色の花が横に流れている。花びらを描出する筆使いや、その線の輪郭に目を向けて、上手なものだと見てから、広間に入った。我々三人の席はわりと戸口に近いほう、席は何席あったのか定かでないが、のちに帰宅したあと、座席表を見たのだろう母親がすごいじゃないと言ったところでは、全部で八〇名ほど人がいたらしい。席に置かれた名札の裏には、新郎からのメッセージが記されていた。各テーブルの上にはジブリアニメのキャラクターの小さな人形が置かれているらしく、我々のテーブルにはオレンジ色めいた明るい褐色で二股の角を持ち、白い毛を顔の下に蓄えた鹿風の動物、これは確か『もののけ姫』でアシタカが乗っていたやつだろうと口に出すと、ほかの二人はわからないようで、自分だってジブリアニメをそんなに見ているわけではないのだが、こちらが一番詳しいのかと驚きだった。あたりを見回すと透明で大きなシャンデリアが三つ、天井の各所から下がり、そのガラスの寄せ集まりのなかにはところどころに宝石じみた色付きの光の破片が秘められており、こちらが頭を動かすと角度の変化に応じて、赤、青、緑、金と色を変じるのだった。しばらく待っていると、部屋奥のスクリーンにオープニングムービーが映しだされ、新郎新婦の仲の良い様子が流されたあとに、二人が先ほどと同じ格好で入場、BGMは物憂げな女声による "Take Me Home, Country Roads" のジャズ風アレンジである。満場の拍手を受けて二人が奥の席に就くと、新郎が開宴の挨拶をした。それから確か、乾杯をするよりも前だったと思うが、新郎が配属された会社支店の支店長、恰幅のいい男性が出てきてスピーチをし、新郎は優秀な男でこちらの期待にも答えてくれていると褒めちぎった。このスピーチのあいだだったかその前だったかにテーブル上の細い、カフェ店員が言うにはシャンパンなどを入れる用だというグラスに乾杯酒が注ぎこまれていくのだが、こちらの分のグラスがないことに友人が気付いた。こちらは酒を飲まないからと、手配してあるのだろうと返すと果たして、そのうちに女性スタッフがジンジャーエールを用意致しましたと持ってきた。それから今度はだいぶ年嵩の、新婦の勤め先のほうの社長だったか上司だったかが出てきて、乾杯の音頭を取る前に一言だけ、と言って、新婦は会社になくてはならない存在であるとこちらも褒めちぎって、それから乾杯の発声がなされた。最初に出てきた料理は、海老と野菜に桜色じみたソースが掛かったもので、これは手もとのレセプションカードによると、「カナダ産オマール海老と季節の野菜のムース」である。その後、「フォアグラのフラン」、「真鯛のポアレ 白ワインソース」、「果実のジュレ」、「牛ロース肉のグリエ パルミジャーノのリゾット添え」、「ショコラのガトー」、「ウエディングケーキ」、「コーヒー」と続いたが、肥えた舌を持っていないこちらは、大して味わうこともなくどれもぞんざいに食べてしまい、フォアグラなど初めて食ったのに、その存在はのちに二次会の席で話題に上がった時に初めて気付いたくらいだった。飲み物はジンジャーエールを、その次にはグレープフルーツジュースを頼んだ。まだ始まって間もないうちに、皆が新郎新婦の席に行って写真を撮っているのに倣って、我々も行こうとなり、細いグラスを持って席を立ち、おめでとうございますと言って写真を撮ると戻った。それで雑談しながらものを食べていると、そのうちにウェディングケーキ入刀がなされると言うので、どうせだからよく見えるところに行こうとふたたび立ち、新婦新婦の席の前に集う人々のなかに混ざった。背の低く、平らに四角く広がったケーキに、二人が長いナイフを共に持って差しこむとシャッターが焚かれ、それから恒例らしいが、互いに食べさせ合うことが行われた。続いて新婦のたっての希望ということで、その父親が呼ばれた。背の高くすらりとしており、紳士然として物腰穏やかそうな灰髪の男性である。翌日がちょうど誕生日で還暦だということで、新婦が大きなスプーンでケーキをすくって、その父親にも食べさせた。それで席に戻り、それから間もなくお色直しということで新婦が仲の良いらしい弟にエスコートされて退場、続いて新郎も兄弟二人と腕を組んで退場した。あいだはまた別のムービーが流れて――これは両人の生い立ちと馴れ初めを紹介するものだった――再度の入場時にはこれもジブリアニメを取り入れて、 "さんぽ" が流れた。ひらいた扉から現れた新婦は純白のドレスから、色濃い青のものに装いを替えており、頭には縁の角ばった形の麦わら帽、新郎のほうは服装を替えてはいないが、これも『隣のトトロ』の趣向というわけで、劇中でトトロが傘として使っていた大きな葉っぱを模したものを手に持っていた。それでまた席に就いたあと、今度は新郎の仕事先の上司のスピーチである。ポケモンレベル一五であると話題のネタを取り入れて口火を切った上司は、新郎は非常に優秀な男であるとやはり褒めちぎって、その後は二人が各卓を回って写真撮影を始めた。我々の卓にやってくると、二人はこちらの背後に立った。カメラマンが都職員に少し似ていたのだが、写真撮影だろうと仏頂面を崩そうとしないこちらを巧みに笑わせようとしたのだろう、新郎はあいつが二人いるぞと冗談を言って、それで頬も容易にほぐれて撮影がなされた。そのあとだったか前だったか、二人が退場しているあいだだったかもしれないが、新郎の母親が飲み物を注ぎにテーブルにやってきて、酒は飲めないと言うとわざわざグレープフルーツジュースの大きな容器を持ってきて注いでくれた。この人は新郎によると、なぜかこちらのことを心配しているらしく、ここでもまた、元気ですか、まあなんとか、というような会話が交わされた。各卓での写真撮影も終えると、確かあとは特段の企画もなかったと思う。歓談の時間が続いたあと、そろそろ宴も酣となって、締めくくりの初めは恒例、花嫁の手紙である。入り口の扉を背にして両家の両親が並び、新郎がマイクを持って、スポットライトが当たるなかで新婦が両親に向けて感謝の手紙を読んだあと、二人一緒に卓のあいだを歩いて、両親のもとに行き、母親に花束を、父親にはおそらく箱に入った酒の瓶を渡した。それで二人も並びに加わって一同のほうを向き、新郎父が両家を代表しての挨拶である。新郎の家は何だったか、看板か何かを作る業者で、タピスリーなんかもたまには作ると以前聞いて驚いたことがあるのだが、それでやはり父親は職人気質そうな四角いような顔で、しかし涙を催すのはどこの親も同じである。新婦の父親のほうもどこかで挨拶をしていた覚えはあるのだが、ここではない、両家の対称性を考えると冒頭になされていたと考えるのが妥当だろうが、覚えていない。そして、最後の締めくくりとして、新郎の挨拶である。途中まで危なげなく言葉を述べていたのだが、いよいよ終わろうというところで、本来ならここで終わるのですが、と横に逸れる気配を見せた。何かと思えば、母親の涙を見て感動したので、というようなことを言い、その言葉をきっかけに自分のほうも感極まって、泣かないって決めてたんですけど、と洩らしたあとに、涙声で、育ててくれてありがとうございましたと両親に向けて礼を述べた。隣を見るとカフェ店員は少々もらい泣きしたようで、目もとを拭っていた。新郎も白い布で顔を拭ったあと、締めくくりの言葉を述べたところが、さらにサプライズで新郎から新婦へメッセージが贈られると言う。それで手紙が読まれていよいよ終宴、六人は退場していって、招待客たちは最後にもう一度ムービーを見たのだが、それは今しがた終えたばかりの式と披露宴の様子を編集したものだったので、仕事が随分速いなと驚かれた。会場が明るくなると隣のカフェ店員が、結婚したくなったかと訊くのだが、まったくなりはしない。否定すると相手は笑って何とか言ったが、覚えていない。一度も恋人のいたことのない身であるから、まずは何はなくとも恋愛をしろという話で、結婚どころの騒ぎではない。自分は結婚は一生しないと思うが、恋人はいてもいいなと偉そうなことをつぶやくと、カフェ店員は、でも女の子からしてみれば、付き合っていたらいずれは結婚となるだろうと言って、それは大概その通りに違いない。便所に行ってきてから、そろそろ行こうと返礼品の袋を持って席を立った。通路に出ると、出口の前で両家の皆が並んでいる、順に、新婦の両親、新郎新婦、新郎の両親である。番がやってくるとほかの二人が先に並んで新婦の両親の前に立って、新郎の高校の同級生で、とか説明しているのを後ろで待った。二人がずれたあとに入っておめでとうございますと述べ、お二人と一緒で、と訊かれたのに肯定し、そのあとはこちらは何を言えばいいのかわからないし、相手も特に思いつかないようで、互いに礼を述べて横ずれし、まず新婦に祝福の言葉を掛けた。ここでも何を言っていいのかわからなかったので、お疲れでしょうとか相手の身を気遣う姿勢を見せて、このあと二次会もありますけど頑張ってください、よろしくお願いしますとかよくわからないままに適当なことを述べて、新郎の前に出た。こちらは言葉に迷うことはない、別にほとんど何も言わなくたって良いくらいである。おめでとうございます、と言って、握手をした。そのあと、また落ち着いたら、ゆっくり話そうと、そのくらいで次に行って、新郎の両親に挨拶をした。母親のほうがやはりなぜかこちらの身を気遣って、元気でねとかまた掛けてきたのを取って、お二人もまだまだ暑いですから、お身体に気を付けてくださいと、舌が回らなくてちょっと吃りながら返して、室を出た。エレベーターで下り、ビルをあとにすると二時頃、とりあえず東京駅まで行こうということになって歩きだした。礼服の上着まで羽織っていると非常に暑い。一度道を間違えて反対だとなったのだが、立ち止まったちょうど目の前の建物に、国立近代美術館フィルムセンターとあって、こんなところにこんなものがあるのかと興味を持ちながらも引き返した。直立するビルの合間を歩いて駅に着くと、カフェ店員は一度自宅に帰って着替えてくると言うので別れ、残った都職員と喫茶店に行くことにした。青空に向けて角ばったビル群が、まるでかえって間抜けたような高さへの執着ぶりで、巨壁のように並び突きだし、そびえている。その合間の通りに入って、二次会の店の位置を確認しておいてから、そのすぐ傍の喫茶店に入った。グレープフルーツジュースを注文して、テーブル席に向かい合って座った。土地が足りず店内が小さいだけあって、隣の席との隙間も非常に狭い。互いに上着を脱いで椅子に掛け、シャツの袖を捲って話をした。初めのうちは相手の仕事の話を主に聞いた。こちらがたびたび質問するのに相手が答える形で会話が展開されたのだが、いつもは面倒くさがるところを珍しく、わりと細かいところまでつぶさに訊いて聞き取った。仕事は忙しく、都庁を出るのが午前零時を過ぎて、電車がなく自宅に遠い場所からバスやタクシーで帰ることもあると言う。これまでの道中にも、つまらないし激務だと聞いていたが、聞いてみるとそれほど心底からうんざりしているという調子でもなく、真面目な人柄なのでそれなりにこなしているようだった。職員はやはり足りないものなのかと訊くと、部署による、とありきたりの前提がひとまず返る。それから続いたことには、閑職というのもあるにはあって、そこには有り体に言えば、あまり仕事のできない人たちが回されるらしい。その一方で、有能な人物がいくら集まってもなかなかどうにもならないようなところもあると言い、全体としては曖昧ながらもやはり増やしてほしいというほうに傾くようだった。仕事の話から知事選に話題が繋がって訊いてみると、「我が社」(という言い方をなぜかするのだが)で扱うことではないのではないかという政策もある、と言う。というと、と返すと、原発とか、と言った。それは国政でやることだろうというスタンスらしい。官僚畑で実務を知っていることは望ましいとは言いながら、増田寛也候補については、岩手に多量の赤字を残してきたことと、地方分権を積極的に推進していたのが都知事になってそう容易に転換できるのか、というのが気に掛かる様子である。まあでも、小池百合子で決まりの流れらしいなと放って、その下で働くのはどうなのかと問うと、人員が削減されないかが気になると言った。四時過ぎまでそんな話をしているうちに、だんだんと疲労が募って、頭痛も滲んで腹も調子が悪い。いますぐ眠りたいと口にして、目を閉じながら話を続けて、五時直前に携帯電話を見ると、カフェ店員からメールが入っていた。そろそろ東京駅に着くらしい。連絡しておいてくれと任せて便所に行き、排便してから戻って、ちょっと待ったところでカフェ店員が現れたので、行くかと立った。二次会の店へ階段を下ると、元クラスメイトの男女二人が通路の途中に並んでいる。久しぶりと挨拶して列が進むのを待ち、戸口に入って名前を告げ、会費を支払った。すると続いて、一枚写真を撮ると言う。誰だか知らないが若い女性がポラロイドカメラを向けてきたので、顔の表皮を張るようにきりっとさせて見返すと、真顔か、と友人に突っこまれ、女性にはめっちゃ真面目、と笑われた。それでプリントされた小さな写真の余白にメッセージを書いてくれと言うので、ぱたぱた振って像が映しだされるのを待ってから、ちょっとした文言を記して受付に渡した。それでテーブル席へ、左の一段高くなった空間の隅には、元クラスメイトの女子四人が集っている。こちらは式に参加した三人に、先ほど顔を合わせた横浜市職員の四人である。カフェ店員がビールを注いできて、こちらには烏龍茶らしい液体を持ってきてくれた。それで待っているとそのうちに司会が開会を宣言して、スクリーンにムービーが流れるのだがこれは披露宴で既に見たものである。終わると新郎新婦が入場してきて拍手で迎えられ、席に就くと順番に挨拶をした。それで一旦歓談、食事はバイキング形式だったので席を立って、サラダやらカプレーゼやら諸々並んでいるなかから、野菜を皿に取った。加えて、自分は食べる気がしなかったが、皆が勝手に食うだろうと唐揚げなどの肉を一皿に盛って戻った。食う気がしないというのは、胃の調子が悪くて全然食欲が湧いていなかったのだ。それで盛ってきたサラダをつまんだのだが、皿を空にすることすらできない有様、ものを摂取した傍から身体が暑くなってきて汗がしきりに湧き、これは変だなと思われた。吐き気、というほどではないが、どうも内臓が反発するような感じがあり、まさかとは思うが悪心が始まったりしないだろうなと久しぶりに発作の予感を覚えて、財布のなかの薬を一粒飲んだ。それで本当は着ていたかった上着を脱いで、シャツの袖も捲って休んでいるとわりと楽になって、何も食わずに烏龍茶をちびちびやりながら過ごした。披露宴と同様、ケーキ入刀が初めの頃に行われた。あとは大体歓談の時間で、企画はほかにクイズ大会だけだったと思う。兄の結婚式の二次会でも似たようなことが催されていたが、新郎新婦の思い出に関する四択クイズで、解答者は先に撮ったインスタントカメラの写真をランダムに引いて選ばれるのだった。正解者にはくじ引きで商品が贈呈される。新郎の属するバスケットボールチームのメンバーや、大学時代の友人らのなかから解答者が選ばれていくなかで、全部で六問あったうちの四問目か五問目かで自分の名が呼ばれた。既に先の二人が誤って二択になっており、ここで当てないと空気が非常に微妙になると言われるなかだが、そんなことは知らんと適当に決めた選択肢が見事正解して、くじを引くと松阪牛が当たった。ありがとうございますと何度か礼をしながら席に戻って催しを見届け、終えると終宴も近かったはずである。カウンターから水をもらってきて、勿体ないからと余していたサラダを食べてしまい、ついでに勢いに任せて唐揚げも二つ食ったのだが、これは胃に追い打ちを掛けるようなものだった。例の食道に空気があがってくる感覚が始まって、すると腹の側のみならず背のほうまできしむのだ。お開きになると上着を着て、また出口で待ち受ける新郎新婦に向かう列に並んだ。ここでも新婦に何を言えばいいのかわからなかったので、牛肉が当たったことへの礼を言い、母親と一緒に食べますとかどうでもいいことを足して新郎の前へ、すると、お前にディズニーランドが当たったらどうしようかとどきどきしたと言われた。クイズ大会の最大の目玉がそれで、見事に最後の正解者のもとにその獲得権が回ったのだが、カフェ店員にはお前は牛肉のほうが嬉しいだろうと言われる有様、そしてそれは正解である。新郎は、ディズニーランドパスポートが当たっても歯牙にも掛けず、すげなく払うこちらの様を低い声で真似してみせるので、そんな風にはしないと笑って、またゆっくり話そうと式の時と同じことを交わして別れた。外に出ると元クラスメイト八人で集って、別の店に行く気色である。流れに乗るかと自分も行くことにして、ちょっと歩いたところの居酒屋に入った。なぜか非常に空いており、静かな個室に入って、こちらはまたジンジャーエールを頼んだだけで何も食わずにいたのだが、身体が暑いので上着を脱いだ。会話は主に二つに分かれて、左のほうではカフェ店員と横浜市職員が、向かい合った、このなかでは恋が多いほうの女子と、相談に乗るような形で恋愛話をしている。関係が壊れるのが怖くて、好きって言えないの、とか聞こえたのに、何かあれ漫画とかで読んだことあるぞと隣の都職員に囁いた。右の半分では近況なり近々の花火大会に行く予定なり何なりが話されて、それに余り加わらずに大方黙って疲労をやり過ごしていたが、途中で一度大きなしゃっくりが出たのに驚かれて、恥ずかしい思いをした。続かないだろうなと危惧していると一回だけで収まったので安心してその後を過ごし、一〇時前になったところで帰ろうとまとまって退店した。駅まで行く道中でカフェ店員が、先ほどの純情じみた女子の前を行く背を示しながら、皆変わっただろ、とか訊いてくるのに、そうか、と疑問符付きの留保を返した。以前にも記した通り、こうした場における変わった変わらないの言葉は、一次的な意味合いにおいては非常に粗雑で人間の複雑さを矮小化するものなのだが、この発語の眼目はそこにはない――そのどちらが口にされるにせよこれらの語の事実上の機能は、過去とのあいだにひらいた時の積み重なりに対する曖昧な感傷の共有を図るというもので、その点においては両者の差はなく、そうした大雑把な感情の共有には自分は端的に興味がない。むしろこの女子について言えば、数年ぶりに顔を見たのだが、化粧をきちんと施したその顔作りが高校の時と全然変わらないように見えるなと、その点に少々の驚きを得たものだ。駅に入るとそれぞれの番線に別れ、中央線に乗る三人と連れ立った。電車の席は空いていて、座席の端に腰掛け、三人の会話を背景音にしながら薄く眠り、しかしたびたび目が覚めてなかなか時間が流れていかない。頭痛は高まり、疲労が見に染みて内臓も苦しく、胃を身体から外して取り替えたい。なかなか厳しい一日だなと思ってまた眠り、立川を過ぎてしばらくすると意識を保って、初めに降りる一人に別れの手を振った。それから同じ駅で降りていく二人とも別れて一人になり、地元に着くと駅を抜けて、夜道を行った。歩いて胃が揺れるためだろう、しゃっくりが続くようになって、口から頓狂なうめきが洩れるたびに身体の内が軋んで苦しい。途中で明るい褐色の猫に遭遇して、しゃがみながら車の下に隠れた相手に向けて手を振ったりしてみるのだが、警戒して近寄って来ず、じきにその場を離れて逃げてしまった。立って歩きだすと止まっていたしゃっくりがふたたび始まって、腹を押したり撫でたりあやすようにしていたのを、そのうち開き直って出るだけ出してやろうと気にしなくなり、酔っ払いのようにひっくひっくと夜道に響かせながら帰った。帰ると零時過ぎ、母親はまだ起きていた。服を脱いで疲れを口から洩らし、部屋に行ってベッドに寝転がった。ひとまずしゃっくりを止めなくてはならないが、経験上、それには横になって休むのが一番だとわかっていたのだ。だらだらと過ごしているあいだ、右を向くと鎖骨のあたりまで焼ける感覚が上がってきて、ということはやはりこれは胃酸が逆流しているのだなと知れた。原因はドリンク類の飲み過ぎだろう、ジンジャーエールグレープフルーツジュースをそれぞれ二杯ずつ、あとは式で食後にコーヒーも二杯飲んだので、カフェインも影響したと考えられる。以前はこの程度で苦しむことはなかったように思うのだが、胃酸が多く分泌されやすい体質になったのだろうか。思えばいつの頃からか、ハンバーガーショップや喫茶店などに行って、空いた腹にジュースやココアを一杯飲んだだけでも、空気の上がってくる感覚が始まることがしばしばあるのだから、自覚症状がないだけで慢性的な胃炎にでもなっているのかもしれないと考えた。一時を過ぎて、そのまま眠ってしまいようだったが、やはり汗を流したいと起きあがり、風呂に行った。湯を浴びて戻ってきて、眠気に惑わされながらゼーバルト『目眩まし』を少々読み、就寝したのはおそらく二時半頃ではなかったか。