一〇時台のうちに一度、目を覚ました。しかしいつものことで気付かないうちにまた眠りに落ち、次に覚めると既に午後一時になりかかっていた。カーテンをひらくと、窓の向こうの空は一面、一片のくすみもない青に満たされていた。また眠ってしまわないようにと注意しつつ、姿勢を変えながら自分の呼吸や身体の感覚に意識を寄せて、起き上がる意志が自然と生じてくるのを待った。布団から抜け出すと一時五分か一〇分というところだった。睡眠時間を計算すると、四時四〇分から一時五分までとして、八時間二五分となるが、やはりもう少し縮めて七時間台には収めたいと思うものだ。ベッドの縁に腰を掛けて肩を少々回してから、洗面所に行って口のなかをゆすぐとともに水を飲んだ。それから便所に入って用を足すと、部屋に戻って枕の上に尻を乗せた。遅い起床にはなってしまったものの、やはり起きてすぐ、一日の始めに瞑想を行っておくことは大切だろうと考え、この日はきちんとこなすことにしたのだ。布団で脚を覆い、薄手のダウンジャケットを羽織ると、外の音が聞こえるようにと窓を細くひらき、瞑目して何らの能動性もない自然さのうちに身を委ねた。そうして一時一六分から三〇分ちょうどまで一四分間を過ごすと、食事を取るために部屋を出た。
(……)前夜の餃子の残りがあったので、それを電子レンジで加熱して、椀によそった白米とともに卓上に並べた。ほか、白菜やニンジンを小さく分けて多少熱したものらしく、飾り気のない野菜の入った皿も横に置き、食事を始めた。新聞をめくって興味を惹く話題を確認している最中に、あいだの頁に挟まれたユニクロの広告のなかにカシミヤのセーターを着た女性の画像があり、見れば佐々木希と名が付されているのに、佐々木希という人はこんな顔だったかとちょっと意外に思った。結婚をしたから、人妻らしく(というのも良くわからず、疑問符が付く言い方だが)、化粧が以前よりも落着いて「ナチュラル」な風になっているのだろうと、そのようなことを考えながら、この情報が自分の頭のうちで「あとで書き記すこと」のほうに分類されかかっているのを感じ、このようなささやかな、特段の興味もない人物についての印象は、わざわざ記さなくとも良いのではないかと自分自身の脳の動きに対して反論した。記録の必要は明らかにないだろうと思ったが、しかし必要性で考えるとなると、日々あれほど長々とした日記を綴る必要そのものがもとよりまったく存在しない。結局は自分の気分と欲望に任せて、自ずと書き記されるものは記されるに委ねればそれで良いわけだが、そもそもそれがどのような物事であれ、何かがそこに「ある」(存在している)ということは、それだけですなわち、「書かれる価値がある」ということと同義なのだ。この世に生起するすべての[﹅4]物事のうちで、(現実的には勿論、能力的に書けないこと、感情的に書きたくないことが様々あるにせよ)「本来的に(原理的に)書くに値しない」ことなど、ただの一つとして[﹅8]存在しない、というのが、二〇一四年の頃以来、変わらずこちらの主体の根幹に据えられている「信条」(信仰)である(「法」でも「神」でもなく、「筆」の前の平等という意味での平等主義)。
新聞のなかでは例によって国際面から読みはじめ、まず、「パレスチナ・ファタハ幹部 「統一政府樹立に遅れ」」という記事を読み、次いで、「レバノン首相帰国 辞任は保留の意向 大統領が要請」、「ムラジッチ被告 終身刑 旧ユーゴ戦犯法廷 ボスニア虐殺 判決」、「新たな独裁懸念も ジンバブエ ムナンガグワ氏 政敵弾圧の疑惑」と進んだあとに、一面に戻って、「19年5月1日 改元へ 新元号、来年中に公表」というトップニュースを読んだ。それに隣接して、「退位へ 残された課題」と題したシリーズものの記事が始まっていたのでそれにも目を通し、四面に続きがあるとされていたので、そちらも最後まで読み通すと切りとした。食べるものも既に食べ終えていたので、そうして席を立ち、台所に食器を運んで洗い物を済ませると、風呂場へ行った。そこから湿った束子を持ってベランダに行き、陽射しのなかに吊るしておくと浴室に戻って、ゴム靴を履いた。浴室の床には、普段立てられてあるはずのマットが何故か寝かされていたが、室内に漂白剤の香りが僅かに感知されたので、処理中なのだろうかと放っておくことにして、ゴム靴でその上を踏みつけながら浴槽の蓋を取り、ブラシを使って縁や内側を洗った。風呂洗いを行ったあとは緑茶を用意して室に帰り、ベッドの縁に腰を掛け、椅子の上にコンピューターを置いて起動させた。Evernoteを立ち上げて前日の記録を付け、当日の日記記事も作成すると、Twitterを覗くなどしてインターネットをほんの少し回ったが、すぐにブラウザを閉じた。それでこの日は初めに何をするかと気分を探ったところ、このところ中断していた日記の読み返しのほうに気が向いたので、二〇一六年一一月一五日火曜日の記事を読みはじめた。描写的な一節を二つ、この日の記事にも引いておきながら、二時三一分から四〇分までの九分で読み返した。三時になったら洗濯物を取りこむつもりでいたところ、それまでの少しの時間で何をするかと考え、これも久しぶりに、半端に読みさしていた岡崎乾二郎「抽象の力」の続きを読もうと固まった。それでページにアクセスして、二時四三分から三時二分まで文章を読み進めて、「自由学園」という学校について触れた短い部分を日記のほうに引いておいた。「フレーベルの方法の批判改良もした(1919年に来日もしていた)ジョン・デューイの方法を取り入れた」という部分が少々気を惹いたのだ(ジョン・デューイの名が目に留まったわけだが、このアメリカの哲学者がいくらかの興味の対象となっているのは、(……)知人が研究しているのを瞥見したところ、いずれこちらも著作を読むべきではないかと思われていたからである)。この部分は、村山知義という美術や演劇など多方面で活動したらしい人物について記述されているその途中にあったのだが、この村山という人は初めて知る名前だった。
そして三時に至ったので一旦上階に移り、まず便所に行って放尿してから、ベランダの洗濯物を取りこんだ。先ほど食事をしているあいだなどには空気に光の感触が含まれていたが、この時には西の空に雲が広く無造作に湧き、陽射しの暖かみはなくなっていた。とは言え、気温としてはさほど低くないようで、戸口に立って外気を受けると、冷気が寄せてくるのでなく、どちらかと言えば爽やかというような大気の感触だった。それからソファに腰掛け、タオル類を畳んで洗面所の籠まで運んでおくと、ヨーグルトを一つ食ったのちに下階に戻った。ベッドの縁に腰を下ろし、ふたたびインターネットを覗くと、(……)が更新されていたので、それを読むことにした。二〇一七年一一月二二日分の記事である。三時一三分から四四分まで掛けて読み通し(途中には、何に触発されたのだったか、こちら自身のブログにもアクセスして前日に綴った一八日の記事を少々読み返した)、それから、身体をほぐすことにした。コンピューターをテーブルの上に移し、アンプから伸びたケーブルを繋いで音楽を室に満たせるようにしてから、例によってyoutubeを用いてtofubeatsの"WHAT YOU GOT"を流した。その音のなかで脚を前後にひらいて筋を伸ばしたり、左右にひらいてスクワット様の姿勢で静止したり、屈伸を行ったりした。音楽が自動的に"BABY"に移行されると、こちらもベッドに場所を移して、柔軟運動を行って下半身をさらにほぐした。"Don't Stop The Music"、"朝が来るまで終わる事のないダンスを"と音楽を移行させて、それが終わると運動も終いとして、三時四七分から四時九分までと時間を日記に記録した。そのまま例によって、またもや歌を歌いはじめた。初めにMr. Children "ファスナー"を歌い、それからライブラリを探っていると、実に久しぶりのことだがOasisを掛ける気になって、『(What's The Story) Morning Glory?』の二曲目から連続する三曲、"Roll With It"、"Wonderwall"、"Don't Look Back In Anger"を流して歌った。さらに同じアルバムから、最終曲である"Champagne Supernova"を流したが、Oasisのセカンドアルバムのなかでは、自分はこの曲が一番好きなのだと思う。それで興が乗ったのだろうか、熱の入った歌いぶりになって、昨日(この記事は、溜まっているものを後回しにして二三日の当日に記しており、現在は午後七時九分である)、一八日の記事に記した「ゾーンに入った」とでもいうような状態になり、そういう時にままあることだが、太腿のあたりの筋肉がぶるぶると細かく震えた。
ここからは、一一月二六日の深夜一時三一分に記しはじめている。上の記述は二三日当日に書いたものであり、まだ時間が経っておらず記憶も詳細に残っていたので、自分の行動や印象をできるだけ細かく追い、正確に記してみようと試みたのだったが(と言うか、明確な意思を感じないまま、書いているうちに記述が勝手にそうした方向に進んだのだが)、これはやはり面倒臭い。何時何分から何分まで何をやったなどと、日課の記録から正確な時間の数値を引き写してもみたが、これはまったくもって億劫で、やる必要はないなと判断された。自分が何の歌を流したり歌ったりしたかなどということも、日記本文に仔細に跡付けるほどのことではなく、端的に言ってどうでも良いではないかと思う(しかし対して、何の音楽を聞いたか(じっくりと腰を据えて耳を傾けたか)ということについては、きちんと記しておきたいという気持ちがある)。そういうわけで、OasisのあとにまたSuchmos "STAY TUNE"を流したり、Stevie Wonderを歌ったりもしたのだが、そのあたりの詳細は省いて次の行動を述べると、五時に至ったあたりで上階に行った。暗くなった居間のカーテンを閉めていると(……)その時こちらはベランダに通じる西のガラス戸の前に立っていたところで、水晶的な青さの夕空に細い三日月が掛かっているのが目に入った。
それから台所に立って多少の料理を行うわけだが、"いちょう並木のセレナーデ"を聞きたいという気分があったので、この日も小沢健二『刹那』をラジカセで流した。件の曲を聞いてから冒頭に戻し、手軽なところで肉と合わせて炒めるために玉ねぎを切った。また、炊飯器にもう米がほとんどなく、それをおじやとして食べることになったので、その具として人参や大根も細かく切り分けてから、冷凍されていた肉と玉ねぎをフライパンで調理した。
食事の支度に切りを付けると室に帰り、一時間五〇分ほど書き物をしている。この時記したのが、この記事の冒頭からの四つの段落である。七時を回ると瞑想をしてから食事に行ったはずだ。食事の席ではテレビが『プロフェッショナル 仕事の流儀』を流しており、この日の放送は舞妓スペシャルというような形で、舞妓という存在を成り立たせるのに欠かせない専門的な職人たちを取材していくという趣向だった。インタビュアーとして滝沢カレンという女性モデルが招かれており、職人の人々に話を聞いていたのだが、この人は確か、Instagramの写真に付すコメントで個人言語とも言うべき「狂った」文章を発明している人ではなかったかと思い出された。最初に取り上げられていたのは簪を作る職人で、記憶が正確でないが、多分仕事の動機の中核は何かというような問いが向けられたのに対して職人が、自分の道具を使ってもらえて嬉しいという気持ちよりも、責任感のほうが強いですね、これがないと舞妓さんは座敷に出られないわけだから、というような具合で答えたのに対して、滝沢カレンは、珍しい言い分だという風に評価していた。それが本当であれ嘘であれ、わかりやすく嬉しいからとか、「笑顔のために」とか言う人が多いじゃないですか、でもそうじゃなくて、「責任」ということをおっしゃったので、すごく頑固なんだなと思いましたという風に述べて、職人のほうも、それは大変褒め言葉ですと受けていた(支配的な「物語」に対して批判的/批評的距離を取るという身振りの、実にささやかな水準ではあるものの、一具体例)。次にフォーカスされたのは帯を作る職人で、こちらは確か七〇歳にもなるというくらいの女性だった。手機を使って糸を一本一本手作業で織り上げているわけだが、その手機というものが何と言うか、無数の糸が取り付けられた細密な構造物で、有機的な生き物のように動くもので(蜘蛛のイメージが微かに喚起されたかもしれない)、あそこにも多分、あの女性にしかわからない小宇宙みたいなものがあるのだろうなと思われた。実際、カメラの前で作業をしている途中に、手もとで織られている布地に何か異変があったらしく(正しい模様とは違う場所に妙な筋が入っているという話だったが、こちらには見分けられなかった)、それでどこかの糸が切れているなと女性は判断して、無数に垂れ下がっているもののなかから切れた箇所を見つけ出していた(業者を呼んでいる暇がないので自ら直すわけだが、老齢のために機械の上部に登って下りるのが難儀そうで、骨を折ったことも二回あると言っていた)。
食後は自室に緑茶を用意してふたたび岡崎乾二郎「抽象の力」を読み、一箇所を日記に引いたのち、風呂に行った。戻ってくると九時半から一九日の日記を綴りだし、おおよそ一時間ほど続けて完成させたらしいが、そのまま次の日の分には入らず読書に移っている。それはおそらく、腰のあたりがひどくこごっていたからだったと思う。入浴前に岡崎乾二郎の論文を読んでいる際にも、ベッドに腰掛けながら腰回りを良く揉みほぐしていたのだったが、ここまで来てこわばりのために、スツール式の椅子に背すじを伸ばして座りながら打鍵を続けるのが辛くなったのだろう。それでベッドに寝転がり、ヴァージニア・ウルフ/土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』を一時間強読みながら休んだのち、書き物を再開する前に音楽を聞いた。原則に従って、Bill Evans Trioの一九六一年の音源から、"All of You (take 2)"と"Some Other Time"を聞いたのち、一七日に購入したTHE BLANKEY JET CITY『Live!!!』の冒頭三曲を流した("絶望という名の地下鉄", "冬のセーター", "僕の心を取り戻すために")。至極曖昧な印象でしかないのだが、浅井健一の歌唱というのはある面で、Robert Plantとタイプとして近いところがあるのではないかと思った。浅井健一も声は甲高いけれど、ハイトーンがどうのこうのという話ではない。基本的に「歌唱」というのは、旋律を構成する音群を整然と区分けしながら、そのそれぞれの高さをなるべく正確になぞって発声するという技術を基盤として、その上に何らかの質感だとか「表現力」とか呼ばれる類のものを付与する(要するに、ニュアンスを凝らす)、というものとして披露されると思うのだが、浅井健一とかRobert Plantとかいうボーカルは、そうした意味での「歌唱」や「歌声」というものから不安定にはみ出た、ある種の「語り口」のようなものが優勢となる場面が多いのだ(だから、他人がそれを真似する/彼らの楽曲を歌いこなすのは難しい)。THE BLANKEY JET CITYのあとは、現代ジャズと呼ばれているジャンルの音楽を続けた。Fabian Almazan, "Alcanza Suite: Ⅰ. Vida Absurda y Bella", "Alcanza Suite: Ⅱ. Marea Baja", "Alcanza Suite: Ⅲ. Veria", "La Voz De Un Piano (Fabian Almazan)"(『Alcanza』: #1-#4)、同じくFabian Almazan, "H.U.Gs (Historically Underrepresented Groups)"(『Personalities』: #2)、最後に、Ryan Keberle & Catharsis, "Madalena"(『Azul Infinito』: #8)である。Fabian Almazanの『Alcanza』は、数か月前にBandcampで購入したのをようやく聞きはじめることができたわけだが、ここまで来るともはや「ジャズ」という言葉を使う意味が良くわからなくなってくるような気がする(「現代ジャズ」と呼ばれる分野には、多分ほかにも結構そういった作品はあって、いまに始まったことではないのだろうが)。一曲目が面白かったのだが、このあたりは「ジャズ」というよりも、(「前衛的な」?)クラシック作品とか、あるいはプログレッシヴ・ロックなどのほうが作法として明らかに近いのではないか。
音楽には一時間をたっぷり費やし、その後一時半からふたたび書き物に入って、二〇日の記事を四五分間進めた。新聞記事を写したあとはだらだらと過ごしたらしい。その時だったか、書き物のあいだだったか忘れたが、Twitterをちょっと覗いた時に、阿部公彦を聞き手として古井由吉がインタビューされた映像を発見し、全篇を見るのは有料だったが、短いサンプルが三つ公開されていたのでそれらを視聴した。眠る前には瞑想を二〇分行って、四時一〇分に消灯である。