眠ってから四、五時間の時点で一度覚める。ここで起きてしまえば自由な時間が相当に生まれるのだがと思いながらも、やはり容易に寝付いてしまう。そうするとかえって意識の鈍化が甚だしくなり、正午直前まで床に張り付くことになった。この日も朗らかな調子の晴天である。一一時五五分に意識を定かなものとしたが、そこから起き上がるまでに一〇分くらい掛かって、ベッドに腰掛けて肉体の調子を落着けてから洗面所に行った。顔を洗い、嗽をするとともにトイレに入って用を足し、戻ってくると瞑想を行った。カーテンの向こうから、烏の声が時折り、薄く聞こえる。自らの心身の感覚を探って、そろそろ良いかなというところで静止を解き、両手で顔を擦ったり肩をぐるぐる回したりしてから目をひらくと、ちょうど二〇分が経っていた。
(……)新聞は前日に引き続き、米国の首都エルサレム認定の話題を取り上げている。ものを食べながらそれに目を向ける一方、NHKの連続テレビ小説の再放送が終わり一時に至って始まったニュースでは、沖縄は宜野湾市の保育園に米軍機からの落下物があったという出来事が伝えられていた。普天間飛行場から三〇〇メートルほどの位置にある施設で、ちょうど滑走路の延長線上に当たると言っていたと思う。新聞からは、「米大使館 エルサレムに トランプ氏指示へ パレスチナ反発」と、「「首都エルサレム」 トランプ氏 保守層に配慮 移転 時期・場所は未定」の二つの記事を読んだ。ほかにも読んでおきたいと思われるものはあったが、ひとまずそこまでとして、食器を片付け(……)、風呂を洗った。
白湯を持って自室に帰ってくると一時半前の頃合いだったはずだ。コンピューターを立ち上げ、Evernoteで前日の記録を付けたり、この日の記事を作成したり、またインターネットを少々覗いたりしたあとに、手の爪が伸びていたのでまずそれを切ることにした。tofubeatsの音楽を部屋に流しながら、ベッドの上にティッシュを一枚敷いて、爪を処理して行く。正面の西向きの窓には陽が射しかかっており、白いレースのカーテンの表面、編み合わされた糸で作られた縦の筋の整然と並ぶさまが露わになって、手前の布団の上に落ちた明るみのなかにもストライプ状のその影が投射されている。縦線の隙間には、繊維のそこここに光が引っかかるのだろう、全体として真白く眩しい白の地帯のまたそのなかに、明るさを凝縮された無数の微細片が見られて、光の屑が集合したかのようになっていた。爪を整えてしまうとそのまま少々体操を行って、身体がほぐれたところでちょうど二時である。余計な時間を作らず早々と日記を記しはじめた。前日の後半部のことを記述してしまい、それからこの日のことも綴ってここまで至ると、現在は三時一四分になっている。先ほどまで部屋を囲むようだった明るさは、もはや窓まで届かず既に乏しい。
そうして上階に行く。冷蔵庫を覗けば前日のケンタッキーフライドチキンが残っているので、箱から一つ出して温め、椀に盛った白米とともに席に就いた。新聞は自室に持ちこんでいたので、食事を取りながら読むものもなく、時折り窓外を眺めやりながら黙々と咀嚼を進める。ものを食べ終え、脂ぎった食器を洗って始末を付けておくと、そのままアイロン掛けを始めた。(……)やはり黙々と服の皺を伸ばしていく。窓の遠くに見える山には橙色が天辺から雪崩れるようになって差し込まれた地帯があるが、それが目に入るタイミングによっては赤々と、朱色に近いほどに色濃く映るようだった。アイロン掛けを終えると下階に向かい、洗面所で歯ブラシを取って室に帰る。歯磨きを済ませると、Oasis "Wonderwall"を流しながら服を着替えた。その後、"Hello"を掛けて一曲歌うと四時半前、ストールを持って上階に行き、靴下を足に付けるとソファに腰掛けて、少しのあいだ瞑目のうちに落着いた。そうして四時三五分になる頃合いで出発する。
空気はこの日も実に冷たい。坂を上って行く(……)街道に出るともう空に灯がなくなって黄昏に包まれるのも間近、西の山の先から残照が淡く洩れてはいるが、東の果てでは青さももはや澄まず、何やら濁ったような感じを覚えさせる。雲が混ざっているようにも見えないが、明るさを失って仄かな色に変じた青みの、緑の要素が幽かにはらまれているようでもあり、水中にあって先を見やるかのような見通しの悪さだった。裏路地を行っているうちにあたりは暗み、空き地に掛かったところで何とはなしに敷地を見渡していると、視界の端に引っ掛かった残照の、見やれば西の山際で赤の色味を強めていた。
労働中のことでは、精神疾患の類に対する世間一般の無理解について実感することがあり、(……)。
帰路は上のことについて考えを巡らせていたので、印象に残っている事柄はほとんどない。裏路の途中で振り向くと月が出ており、それが右上を少々欠いたもので、二、三日前に満月も間近の、などと書き記した覚えがあるところ、いつの間にそれを過ぎていたのかと困惑するようになった。空は澄ました群青色に明るく凍てて、街灯の少ない区画に入れば星もよく映る。
帰って室に戻り着替えると、コンピューターを点けて、足の裏をほぐして疲労を抜きながら(……)を読んだ。そのあと瞑想をしてから食事に行こうと思っていたのだが、思いのほかに時間が掛かって一一時に至っていたので、瞑想はのちにとして上階に行った。ケンタッキーフライドチキンほかを卓に並べて食べていると、ニュースは例のエルサレム首都問題を報じていたと思う。夕刊からもその話題の記事を追ったはずだが、あまり意識を寄せることができなかったようで、その時のことや文の内容が印象に残っていない。食器を片付けて風呂に入ったのが、もう一一時四五分になる頃だった。ゆったりと浸かっているうちに零時を越える。出てくると、(……)白湯を持って自室に帰り、インターネットに繰り出してしばらく遊び、気を緩めた。一時二五分に至ったところで後回しにしていた瞑想を始める。この夜は眠気は大してなかったものの、腰が疲れていて、枕の上で深呼吸をしているあいだにも肉の膨らんでは縮むその動きで疲労が助長される。それで瞑想を終えるとベッドに横になり、少々腰を休めてほぐしてから、コンピューターに向かい合った。新聞からの書抜きをいくらか進めることに決めていた。それで始めたのだが、文を打っている途中でEvernoteがフリーズ状態に陥り、しばらく待ってもそれが解除されない。ここのところ頻繁に「応答なし」の状態が発生していたので、そのうちこうなると思っていたが、過去にも経験はある。こうなったら強制終了しても甲斐はなく、新たに起動させて作業を再開してもまたすぐに停まるので、停止が自ずと融けるまで待つしかないのだ。それで寝転がって、パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』を読みながらソフトが直るのを待った。二〇分くらいは掛かったと思う。二時半前にモニターを見やると問題は解決していたが、また停まっても困るので、ほとんど作業を進められないままに新聞の書抜きは切り上げることにした。
(……)四時直前である。本をめくりながら歯磨きをして、口をゆすいでくると、Evernoteに「データベースの最適化」ということを行わせるように指令した。細かいことはまったくわからないが、これを行うとあまりフリーズしなくなり、動作速度が向上されると言う。過去の経験からしても結構時間が掛かるはずなので、コンピューターは停止させないでそのまま放置して、瞑想に入った。二四分間座って、四時三五分に就床した。