やはり明け方、五時になる前くらいに一度覚めた。会陰部をほぐしておいたおかげか、この時、切迫する尿意の高まりはなかった。しかし例によって、頭が何だかおかしな状態になっており、ふたたび寝付こうとしてじっとしていると、両手の感覚が、特に左手のそれが消えて行く、あるいは痺れて行く。それでもこの日は、薬も使わずに寝入ることができて、その後もほとんど一時間おきに目を覚ますような状態だったが、そのたびに何とか寝付くことができた。と言うよりは、呼吸をしているうちに意識の乱れに巻き込まれて行って、入眠したのかどうか定かでない時間を過ごしたそのうちに、気づいて時計を見ると時間がいくらか経っている、というような感じだった。
最後に覚めたのは九時一〇分である。これくらい眠れればこちらとしてもありがたいとそれ以上は眠らず、しばらく寝床でぼんやりとした。緊張感はやや残っており、また気になることとして、左手の痺れもいくらか残っていた(薬を飲むと和らいだようだったが、一一時現在、今も手首のあたりにかすかに残っている)。寝床でやはり自分の症状について思いを巡らせてしまうものだが、考えても仕方がない、身体のことは身体に、不安のことは不安に任せ、自分にできることをやっていこうというわけで、ひとまず起き上がり、ダウンジャケットを着て伸びをした。そうして便所に行ったのだが、用を足すと、尿の色がいつにも増して濃い黄色だった。
戻ってくると、薬を服用してから瞑想を行う。左手の痺れがどうなるか気に掛かったが、静かに呼吸をしているあいだ、強くなりはしなかったので安堵した。薬の効果もあってか、心身も次第に落着いていったようである。九時半から四五分まで座って上階に行き、母親に挨拶して、ストーブの前にちょっと座ったあと、食事の支度をした。納豆を取り出して葱を刻み、タレと酢を混ぜる。ほか、前夜の残りのポトフと、これも僅かに残ったカレーピラフである。卓に就いて新聞記事をチェックしながらものを食べる。外では、川沿いの樹々が風を受けて薄緑の梢を、いたいけなように、やや緩慢に左右に揺り動かしている。食事を終えてぼんやりとしながら炬燵テーブルに目をやると、二枚乗っている座布団のその上に日なたが露わで、天板の上にはさらに、窓ガラスを区切る真ん中の枠の影が縦に差したその外側に、白い光がまばゆく溜まっている。
食器を片付けると、白湯とともに室に帰って、日記を書きはじめた。ここまで記して一一時半過ぎ、やはり前立腺のほうが気に掛かって、座らずに立ったほうが良いのだろうかと思いつつも、ベッドの縁に腰掛けている。薬を飲んで以来、朝は比較的穏やかな気分だったのだが、先ほど排便してきて以来なぜか、また少し落着かない、そわそわとしたような調子になってきている。
そわそわしてばかりいても仕方あるまいというわけで、風呂を洗いに行った。そうして戻ってくると、この不安感が瞑想によって改善されるのか試してみようというわけで、ふたたび枕の上に座って瞑目した。しばらく呼吸していると、一応、呼吸や身体が少々柔らかくなってきたようではあった。同時にちょっと眠いような感じになり、脳内に音楽が湧いてきたり、まったく何の脈絡もなく、創作物の一場面のようなシーンが浮かんだりするのだが、前者はともかくとして、後者の夢のようなイメージは一体何なのか。それほど深いところまで入ったつもりもなく(実際、瞑想は八分間で終わった)、意識は比較的明晰なのに(それらのイメージを妄念だとして払うメタ認知能力は定かに保たれている)、入眠時に見るようなイメージの断片が浮かんでくるのはどういうわけなのか。終えてみても、不安感が薄れたのかどうなのか、あまり良くわからない。
その後、『後藤明生コレクション』を読んだが、このあいだのことは覚えていない。覚えていないことはどんどんカットして進むと、居間で昼食を取るあいだに、窓外の景色を眺めた。朝と同じく、川沿いの樹々が風に靡いているのだが、朝よりも光の粒立ちが均されて全体に渡るようになっているその薄緑色のざわめきを一心に見つめる。山の樹々から雪はほとんどなくなり、右方の山肌の露出した丘にはまだ残っているのだが、白さの合間に茶色が差し込まれているその質感が、全体としてまるで樹の皮を貼りつけたように見えた。空中には光が満ち渡って実に明るく朗らかであり、そのような光景を眺めていると、ああ美しいなあという感傷的な気分がやはり兆してしまい、小沢健二 "さよならなんて云えないよ(美しさ)"の一節、「本当はわかってる/二度と戻らない美しい日にいると」が自動的に連想され、このような光景もまたすぐになくなってしまうのだなあ、そして結局、我々も死に、消え去って行くのだなあと、無常感の典型みたいなことを思って、恥ずかしながら涙を催しかけた(日本の古典文学にでも描かれていそうなセンチメンタリズム)。その後、食事を終えてアイロン掛けをしているあいだも、涙が湧きそうになるのを抑えたのだが、このようなセンチメンタルな感じやすさこそが最近の自分の精神的・神経的不安定を証すものではないのかなどとも考えた。
昨晩、極寒のなかを歩くことになり、やはり身体を冷やすのは神経にまずいと思ったので、今まで着ていなかったコートをこの日は大人しく羽織ることにした。そうして三時半頃、出発する。道を行くあいだ、やはり少々不安があって、最後のほうではまた頭がぐるぐる回って離人感めいた症状が出てきていたようである。職場に着いてからもそれはしばらく続き、最初のうちは働きながら、自分の行動や言動が自分のものでないようだというか、本当に自動的に適したように動いてくれる感じで、しかしそれで特段の誤りもないのでこれはこれで、自分自身が勝手にやってくれるのだから楽ではないかというような分離の感覚があったのだが、そのうちにそれもなくなったようだった。また、折々に前立腺炎的な症状が生じていた。この日は身体を冷やさないように、さっさと電車で帰りたかったのだが、仕事があって間に合わず、結局歩いて帰らざるを得なくなった。空腹になると交感神経が優位になるのだったか、何となく落着かない感じもあり、暖かいものを補給しなくては冷え冷えとした夜道を渡って行けないだろうということで、自販機でコーンスープを買って飲んだ。そうすると多少楽になったようで、コートを着ていたこともあって震えることもなく歩いて行く。弧が真下に向いた月が西の途上に出ていた。
帰宅後、呼吸を意識しながら心身を落着けるように、服をゆっくりと脱いでは着替える(ボタンを外すだとか、ハンガーに掛けるだとかの動作にいちいち集中した)。食事のあいだの記憶は特段蘇ってこないので省略して、一一時を回った頃合いに入浴である。温冷浴と束子健康法の習慣を、常になく丹念に行った。冷水シャワーは細かく区切って、まずは左右の脚の膝くらいまで浴びせてから一度湯船に戻り、次は太腿のあたりまで、次は腰までという風にして、冷水と湯のあいだを何とか往復した(上半身までやると負担が大きいので、最近はもう腰くらいまでしかやっていない)。その後、束子で身体を擦るわけだが、これもほとんど身体全体、隅々までやってみようというわけで、腕から始めて腹や背、首回り、下半身は足の先から始めて両脚の付け根まで、と丁寧に行った。特段力を込めてごしごしとやる必要はない。自らの心身を労るようなつもりで、ゆっくりと軽い調子で、しかし丹念に行い、時折り身体に湯を掛けたり、湯船に戻ったりしていると、外に出ていてもあまり寒さを感じないようになった。最後にふたたび冷水をいくらか浴びて上がったが、服を着ると身体の熱が保たれており、身も軽くリラックスして、明確に神経が調っているのがわかった。眠気もあって、本を読むような頭でもないので、下階に戻るとさっと歯磨きをして早々に眠ることにした。零時二五分である。不思議なもので、歯磨きをしているうちから、身体が眠りに向かいつつある状態になると、前立腺のほうがやや蠢きだしているのが感じられたのだが、束子健康法を行って身体を温めたおかげか、大したものではなく、この夜は床に入ってからも股間のほうが縮こまるような感覚は生じなかった。まったくありがたい話で、入眠にはそう苦労しなかったのではないか。