いつも通りに深夜のうちに目覚めたのだが、それが何時頃だったかは定かに覚えていない。服薬をして寝付き、七時頃に覚めたかと思うが、やはり眠りを稼ぎたくて八時四五分まで浅い睡眠のなかにいた。カーテンをひらくと、外は真っ白な空である。一五分ほど寝床に留まってしまうが、そのあいだ湧いてくる思念も、もうよほど気にならなくなって、自分はだいぶ回復してきたという実感がある。
九時に至ると起き上がって上階に行った。音読のやり過ぎなのか、それとも花粉が寄与しているのか、喉が痛かった。それで洗面所に入り、嗽を念入りに行った。食事にはうどんがあったので、パックに入ったそれを箸で引き上げ、ちょっと揺さぶって絡みついているのをほぐして鍋に入れる。一方、前日に母親が作ってくれたもので、肉と里芋を合わせて焼いた料理が、冷蔵庫にちょっと残されていたので、それを温めた。あとはレタスなどのサラダであり、パックに収めたままそれを卓に持って行き、食事の最後に大根おろしとドレッシングを掛けて食べた。
食事を取りながら新聞をめくって、気になったのはエルサレム大使館移転の記事だが、これはまだ正式に読んではいない。書評欄には、最近「(……)」などでも言及されていた覚えのある、マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』が取り上げられていた。抽象的な思弁をすることによって頭がおかしくなるのではないかという懸念を拭い去れず抱きながらも、頁のなかでそうしたテーマの本に目が行き、その記事を読んでしまうあたり、自分の頭は結局はやはり、もうそうしたことを自ずと考えてしまうようにできているらしい。
母親は(……)の仕事に出かけて行った。こちらは皿を洗い、風呂も洗って下階に帰る。コンピューターを点けてTwitterにアクセスしてみると、こちらのブログ更新の通知をリツイートしてくれた方がいたので、ありがたく思った。インターネットをちょっと巡ってから、ヴァージニア・ウルフ/御輿哲也訳『灯台へ』を読みはじめる。一〇時四五分頃だった。空は白いのだが、太陽の影が僅かに浮かんでもいて、手帳に読みはじめの時間を記す銀色のボールペンの先にちらちらと跳ね返るくらいの光もあった。『灯台へ』はやはり素晴らしく、音読でゆっくりと読んでいると、以前は頭に引っ掛かって来なかったところがしばしば書抜き対象として目に留まる。小説作品の読み方というのは色々あって、物語の面白さに浸るなり、その内容から思索を巡らせるなり、テーマ批評的に細部に着目するなり、人々は各々の読み方をするわけだが、自分の場合、結局はやはり、書抜きたいと思う箇所、何だかわからないけれどここは良いな、と感じられる箇所が見つかれば、それで良いのではないかという気がする。こちらが書抜きたいと思う要因も色々あると思うが、それはもしかすると「リアリティ」と呼ばれるような何らかの質なのかもしれない。
この時に読んだなかでは、第一部の一一章が全篇通じて、ほとんど完璧なのではないかと思った。ラムジー夫人が灯台の光を見つめて主客合一のような境地に入っているさまなどを読み進めながら、どうもこれは完璧なのではないかという思いが兆していたのだが、一二〇頁に至り、彼女がふたたび灯台の光を見つめ直して以降の記述を読むなかで、感動が高まりはじめた。「(……)そんな光をうっとりと催眠術にでもかかったように眺めていると、まるで光がその銀色の指で彼女の頭の中の密封された器を愛撫[ストローク]し始め、やがて器が割れはじけて、彼女の全身を歓喜の渦で満たすことになるとでも言うように、彼女は幸福を知っている、精妙な幸福、激しい幸福を知っているのだと悟った。昼間の光が薄らぐにつれて、荒波はさらに明るく銀色に染まり、海の青さがかき消えると灯台の光は澄んだレモン色の波となってうねり」と、ここまで来て、「レモン色」という語を視認した瞬間に涙が湧いてきてしばしのあいだ声を出せなくなり、その後、「波は丸くなって盛り上がっては浜辺にくだけ、それを見る夫人の目には恍惚感があふれ、純粋な歓喜の波が心の底[フロア]をかけめぐって、彼女は、もうこれで十分、これで十分だわ、と感じた」に至っては、感動が頂点に達して目から涙が溢れ出し、しばらく頬の上を伝って下って行くのに任せていた。それからティッシュを一枚取って鼻をかみ、ふたたび文を読みはじめたのだが、一体これは何の感動だったのか? 「共感」だったのか、ほかの何かだったのか、わからないし、理解する必要も感じない。ただ本を読んでいて、こうした激しいと言って良いだろう感動が訪れたのは久しくなかったことだった。
その後の一二章、夫人とラムジー氏が連れ立って庭に出て、ささやかな話を交わしながら歩く場面なども、最初は穏やかな雰囲気を漂わせていたのが、それが次第に、二人のあいだに僅かに齟齬が挟まれたようになって行くのも、まさしく意識や内面の転変といった風で、実際にこういったことはあるだろうなあという感じを受けた。と言うか、自分の思念の動き、まさしく「意識の流れ」が以前よりもよく見えるようになってしまったこちら(この一月二月は、それに結構悩まされたものだ)としては、『灯台へ』の記述が大方全篇に渡って、以前よりも身に引きつけてリアルに感じられるような気がする。ウルフもやはり、自らの思念の蠢きを、おそらくはこちら以上に精密に、深く観察し、自覚し、実感していたのではないだろうか? そのように自分の身に比して考えてしまうわけだが、加えてやはり、このような小説を作り上げるまでに自分の精神を見つめすぎたがために彼女は病んだのではないかと(勿論それだけが要因ではないだろうが)、こちらはどうしてもそう考えずにはいられない。
一二時半前まで読むと日記を書き出したのだが、先の感動のことを思うと、やはりこれは書いておきたいという思いが自ずと湧いたものだから、自分は何だかんだ言っても書く意欲をまだ失ってはいないらしい。
その後、日記の読み返しをしてから上階へ行った。母親と一緒に話しながら飯を食べたいなという気持ちがあったのだが(これも以前の自分からは考えられない、驚くべきと言うべき変化である)、なかなか帰ってこなかったので、一人で食べることにしたのだ。フライドチキンに即席の味噌汁、ゆで卵である。ちょうど食べ終えたあたりで母親は帰ってきた。買い物をしてきており、買ってきたバナナを食べるかと訊かれた瞬間に、自ずとありがたいという心が湧いた。バナナは一本一本がやや小振りだが、なかなか美味いものだった。
その後、母親と並んで炬燵に入り、テレビを見たが、母親は携帯を見ていたり、うとうととしていたりで、あまりまともに視聴してはいなかったようだ。録画されたもののうちから最初は、『U-29』というドキュメンタリー番組が流され、これは二九歳以下の若者の各回一人取り上げてその生き様を見るといった趣向のものだが、今回見たのはクラブイベントなどを管理する警備員の回だった。特段印象に残っている点はないが、しかし人生というもの、自分というものは、本当に訳がわからないものだと思う。こちらはそれが概ね揺るがずにわかっているつもりでいたのだが、年末年始の変調以来、自分のまさしく根幹であった書く欲望が揺らいだことで、わからなくなってしまった。とは言え、ここ数日では、自分にはやはり、この日々を書くことのほかにはないのではないか、というような思いがまた芽生えはじめてもいる(何しろ、一日を過ごしながら自動的に頭のなかで書いてしまうのだから)。自分がどのような人間かなどということは、最終的には誰にもわからないのではないか。ロラン・バルト的な言い分ではないが、主体の深奥にはただの空虚が広がっている、そこに向けて人間は一生のあいだ、ああでもないこうでもないと、「自己の解釈学」を延々と続けて生きなければならないのかもしれない。
それから、『櫻井・有吉THE夜会』が流された。これはこの日は坂上忍のプライベートに密着するという企画で、「キチキチ」と称されるその時間管理の厳守ぶりには結構笑った。炬燵に入っていると気持ちが良くて、自ずと心身が弛緩して眠たいようになり、瞼のあいだも狭くなった。
次に、『じっくり聞いタロウ』という番組に移った。これは自分は初めて見たもので、テーマに添って様々な人を呼んで話を聞くといった趣向のようだが、今回は「地獄を見た男」という特集だった。初めに、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』(だったか?)という、確か光文社新書から出ているものだったと思うが、あの本の著者である公認会計士の人が語る。この人は会計士の仕事を紹介する小説も書いていてそれも結構売れており、また『さおだけ屋は~~』も一六〇万部と言っていただろうかヒットして、三八〇〇万円だかを印税で儲けていたところ、それらをFXにつぎ込んで最終的にすべて溶かしてしまったという話だった。もっとも良い時期には、利息で毎日五万円が入ってくるような生活だったと言う。
二人目は鳥越俊太郎で、彼は四度も癌で闘病したわけだが、初めの大腸癌の際、便が赤黒く染まっていたとか、肛門から内視鏡を入れて自分の腸内を見てみると、明らかにこれは癌だなという肉の盛り上がりが見えたとかいう話を聞いていると、不安神経症の頭が勝手に、やはりいずれも自分は癌になるのだろうかということを考えてしまい、怖いような気分になった。その後、笑い話として、五〇年以上も前の話になるが、ファーストキスの際に下半身的に感極まって思わず射精してしまったなどという話も語られていた。
三人目は会社経営者の人で、一四〇億円の借金があってどうのこうのと言うが、それだけの金額になるとまったく訳が分からず、想像の届かない世界の話である(こちらの月収は良い時で一〇万円程度しかない)。そろそろ飯の支度をと言いながらも炬燵から抜け出せず、五時頃に至り、録画されていた番組は終いとして母親が現在放映されているチャンネルに移すと、幽霊の存在を科学的に証明することはできるのか否か検証しようというような番組がやっていたのだが、これについては細かく書くほどの意欲がいま起こらないので割愛する。
次第に何とか炬燵を抜け出て、米を研いだ。おかずにはフライドチキンが残っており、また朝のうどんも残っていて、母親が厚揚げを買ってきてくれてもいたので、もうそれで良かろうと、飯についてはやることがないのでアイロン掛けをした。それから、便所に行ったのだったか、何かの際に玄関に出た時小窓から、(……)が外で掃き掃除をしているのが見えた。手伝ってあげようかという気持ちが湧き、しばらく迷ったのだが、話をしたいという気もしたので外に出た。駐車場にいるところに話しかけ、しばらく立ち話をした(手伝いを申し出たのだが、これは断られた)。(……)は隣家に一人で住んでいる九七歳の老女であり、耳がやや遠いので、多少声を張って話した。会うといつもそうなのだが、しきりといい男だと褒めてくれる。このあいだで二八になったと言うと、これもいつもそうであるように、結婚だなと返ってくる。以前は曖昧に受けながら、心中で結婚はしないと否定していたのだが、他者との関わりに対するスタンスが変わった現在、そう意固地に拒否するでもなくなった。子孫を残すということには未だ怖気づくところがあり、その責任を負える気がしないものの、少なくとも、人生をともに過ごしていくパートナーのような相手は欲しいなと思うようにはなった。そういうのは巡り合わせだからね、良い巡り合わせがあれば、とこの時は答えた。(……)は、最近調子が悪かったと言う。ここで死ぬかなと思った、と言うのには、こちらも真面目なような顔になってしまったが、しかし調子は持ち直したようで、食欲はあるかと訊けばそれはあると言うから安心した。
まだ寒いから身体に気をつけてと言って別れると、こちらも家の前を少々掃いておくことにした。塵取りと箒を持ち出しながら、自ずと目に涙が湧いた。(……)も、そうは言っても遠からず死ぬのだろうという思いが過ぎったのだ。最近は本当に涙を催してばかりで、昔だったら女々しいとか女子供みたいになどと言われそうなほどのこの感じやすさは一体何なのか? これこそ頭がどうにかなっているのではないかなどともちょっと思ってしまう。
なかに入って自室に帰ると、(……)のブログを読んだ。それから二四日の記事を書く。何となく、やはり自分にはこれを書くしかないのかなあというような気になってきている気がした。八時前まで文を綴り、その後、Nina Simoneを流して運動を行った。腹が空になっていたので、筋トレは腕立て伏せのみで、腕振り体操とストレッチである。
そうして上階へ行った。母親は入浴中だった。台所に入り、うどんの鍋を布巾を使って掴み、中身を丼へと流し込んだ。そのほか、厚揚げやチキンを温め、生野菜のサラダと卓に並べる。うどんに大根おろしを入れて、のちにサラダにも掛けた。食べていると母親が風呂から出てきて、父親もじきに帰ってきた。母親がテレビのチャンネルを回すと、『水曜どうでしょう』の文字が見えたので、ちょっと見てみたいと言って止めてもらった。アメリカかどこかの川を下りながら旅をしているもので、一歩間違えると内輪で笑っているだけになりかねないような雰囲気だったが、食後にアイロン掛けのかたわら見ながら少々笑った。その後、皿を洗って、下階へ下りた。
そうしてこの日のことをメモに取ると一〇時で、時間が過ぎるのが速すぎるなと思った。その後は入浴と、ウルフ『灯台へ』を読んだこと以外に特段に書いておくことはない。