2019/6/23, Sun.

 中島 (……)おそらく日本語も、空海の時代の日本語に比べると相当変わってきている。それにもかかわらず、いまおっしゃったような構造的な問題が残っているわけです。よく日本は関係性を中心とする考え方をしがちなところだと言いますが、わたしはその考えはいつも不思議に思っています。逆に、カスリスさんもそうですが、アメリカの知識人としゃべっていると、非常に繊細な関係性の感度をもっているわけです。自分たちの抱えている、それこそインディビジュアリズムに対する批判を常にもっていますよね。日本の場合、それをすぽっと抜きにして、関係性だから大丈夫なんだという、非常にあやふやな構造があります。
 小林 それを、「甘え」の構造というわけですよね(土居健郎[たけお]『「甘え」の構造』弘文堂、1971年)。つまり、関係性が先立つ。関係性はすでにあるのであって、私はすでにその関係性のなかにいるのだから、私はそれには責任がないという方向に、日本の文化は行く傾向が強い。無責任体制、甘えですね。
 中島 そうですね。
 小林 まず甘えありきなんですよ。それは、たとえば母子融合的な関係に乗っかっているわけですよ。だって、当たり前ですが、母親と子どもの1対1の関係のときに、主語を明記する必要はないですから。いちいち「私は[﹅2]乳がほしい」とか言わなくていいわけですよね。基本的に言語の発生段階では、いちいち主語を明記して関係性を構築しなくていいわけです。でも、その後、その親密な1対1の関係が崩れると、今度は、他の人に対して自分がなんであるのかを、自分自身で責任をもって規定しなくちゃいけなくなる。そのとき自分をインテグラルに把握する必要が出てきます。ここの問題だと思いますね。
 近代ヨーロッパでは、君の責任において関係性をつくりなさいというモラルが押し掛かってくるので、非常に繊細な神経が生まれる。でも、日本人には、すでに関係はあるのだから、自分がつくらなくてもいいという考え方がどこかにある。これは、特に企業もそうですが、集団になったときに、そこに全部の関係性を押しつけてしまって、自分はそこから逃げる、つまり自然に免除されている状態に自分を落とし込んでしまうということがありますね。
 (小林康夫・中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、20~22)


 五時を過ぎたあたりで出し抜けに目が覚めた。Twitterに関連する夢を見ていて、そこから直に引き出されたような形だった。普段だったらそこでふたたび寝ついて長い寝坊の旅に出るのだが、この日はどうも二度寝に入ることが出来なさそうだと直感された。無闇に目が冴えて、覚醒が定かなものだったのだ。それでカーテンを引き開けると、空は偏差なく真っ白、すべてを吸い込んで同化するかのような無情なまでの白であり、空間の遠く外縁部からは鶯が頻りに鳴き声を放つのが響いてきた。その声や、もっと近くで囀ったり、虫の声のような地鳴きを聞かせている鳥たちの歌声を耳にしばらく眠るでもなく起きるでもない時間を布団のなかで過ごし、五時二〇分を過ぎたあたりで一念発起して布団を剝ぎ、身体を起こした。コンピューターに寄って起動スイッチを押し、パスワードを入力してログインしておくと、便所に行った。放尿してから出て手を洗い、水を一杯飲むと部屋に戻ってきて、準備の整ったコンピューターを前にEvernoteをひらき、前日の記事の記録を付けるとともにこの日の記事も早速作成した。そうしてCharles Lloyd『Rabo de Nube』をヘッドフォンで聞きながら日記を書きはじめたのが五時三八分、二二日の記事はすぐに書き終えて、この日の分もここまで書けば六時を目前としている。早朝から、勤勉な働きぶりではないだろうか。
 前日の記事をブログに投稿した。上階に上がって食事を取るにはまだ早い気がしたので、七時になるまでのあいだ、手帳にメモを取ることにして、ヘッドフォンで音楽を聞きながら東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』の文言を手帳に引いた。宇野重規が言う、安倍首相は何を言われても「印象操作だ」で終わってしまう、それだと政治の言葉が非常に貧困なものになるという指摘はまったくその通りだなと思った。宇野はハンナ・アーレントを引き継いで、政治の領域で一番重要なのは言葉である、複数の存在者のあいだでの言葉のやりとりこそが政治において本質的な動態であると強調している。これは基本的なのだろうけれどなかなか重要な点ではないだろうか。すなわち、政治の領域というのは意見(ドクサ)の領域であって、真理を追究する哲学の領域とは異なっている。だから、唯一の真理が支配するような状態は非政治的であって、複数の声が響き合っている状態こそが政治の領域を担保するというわけだ。真理というものはある意味で天上のもの、人間には究極的には到達し得ない高みにあるものであり、人間存在の政治という現実的な営みはあくまで地上のものであると言っても良いのかもしれない。勿論政治家は皆、自分の思う政治的真理を追い求めて仕事をするには違いないのだろうが、真理を巡って発される声において複数性、ある種の雑多性が成立していることこそが政治領域を形成するわけで、単純な話、一つの意見しか存在せず誰もがそれに合意しているような状態というのは、不健康なのだと考えられる。それはその意見が正しいにせよ間違っているにせよ、結局は全体主義に通じるものだろうと思われるのだ。政治的真理を追い求めるという趨勢は当然必要なものではあるが――それがなければ何でもありの、言ったもの勝ちの世界になってしまい、この現代はまさしくそうした状況を迎えようとしている――現実においてはそこですべてが一つの見解に収斂していくことはなく、必ず意見の複数性が保たれる、この動態こそが政治という営みの本質的なあり方なのではないだろうか。それは、自然科学が客観的に実証できる世界の「真理」というものを求めながら、現実には科学者間のコミュニケーションによって、同じパラダイムや価値観を共有した共同体のうちで「真理」というものが常にその都度制作されていくというあり方とも重なるように思われる。
 七時に達したところでメモを取るのを中断し、上階に行った。台所に入って冷蔵庫を覗くと、卵はたくさんあるがハムがなかったので、仕方なくハムはなしで卵を焼くことにした。流し台には父親が夜に食事をして酒を飲んだあとの食器が放置されていた。飲み食いするのならばそのあとに洗って片付ければ良いのにとこちらは思うのだが、多分これは母親が、夜に洗い物をすると音が響いてうるさいからやらなくていいと言い渡しているのだろう。卵を二つ、油を引いたフライパンに割り落とし、熱しているあいだに玄関を抜けて新聞を取りに行った。今日、六月二三日は沖縄県の慰霊の日であると一面から知った。戻ってくると白身が大方固まっていたので、丼に米をよそり、その上に焼いたものを引き込み――いつも白身がフライパンの底からうまく剝がれずに、残骸が少し、汚く残ってしまう――卓に向かって椅子に座り、醤油を掛けて食べはじめた。完食してもまだちょっと何か食べたいような感じがあったので、豆腐でも食べようかと冷蔵庫を覗いたところ、前日のメカジキのソテーが少量残っているのを発見したので、それを電子レンジに突っ込み、丼に米をもう少しおかわりして、そうして卓に就いて追加で食した。食べ終えると台所に入って、父親の食器もまとめて皿を洗い、そうして下階に下りて自室に戻ってきた。
 まもなく母親が起き、それに続いて父親も活動を始めて上階に行ったようだったので、それならば音楽を流しても問題あるまいとFISHMANS『Oh! Mountain』をスピーカーから流しだしながら、七時四〇分から読書を始めた。東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』である。しかし三〇分程度経ったところで眠気が満ちてきて、いつの間にか意識を失っており、気づくと九時半頃に至っていた。枕とクッションに凭れ掛かって、頭をクッションに半端に凭せ掛けていたので、意識を取り戻すと首が痛かった。それで姿勢を崩して横たわり、布団を引き寄せて眠気に身を任せ、そのまま一二時四〇分頃まで床に留まった。
 起き上がって上階に行くと、母親が食卓の端に就いており、台所には炒飯が拵えられていた。父親は床屋に行っているらしい。まだ腹が減っていないので食べないと言って、炒飯にラップを掛けて冷蔵庫に入れておくと――小鉢のサラダも同様に冷蔵庫に収めた――風呂場に行って風呂を洗った。浴槽のなかに入りこんで、背を曲げて洗剤を持った左手で手摺を掴み、真下を向きながらブラシを動かした。窓の外で鴉がざらざらとした声色で絶叫しているのが聞こえた。そうしてシャワーで泡を流して出てくると、一旦自室に引き返して、Radiohead『Kid A』とともにふたたび東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』を読んだ。五〇分弱読むと腹が良い具合に空いたので、食事を取るために部屋を出て階段を上った。テレビは『パネルクイズ アタック25』の終盤を映しているところだった。台所に入るとちょうど父親も帰ってきた。こちらは炒飯を電子レンジで温め、父親の分もスープをよそってやり、卓に就くと味の薄い炒飯を食いはじめた。『アタック25』はハワイ旅行を掛けた最後の問題が挑戦されるところで、取得したパネルを抜いた先に見える画像からある半島を当てるという問いだったが、最後になまはげの画像が出たところで父親が男鹿半島、と言った。挑戦者も自信なさげに躊躇するような素振りを見せながらもその名を口にし、正解に至った。食事を終えるとこちらはさっさと食器を洗い、自室に下りてきて、そうして何故かRainbow『On Stage』のことが思い出されたので、youtubeにアクセスして音源を流しだし――このライブ・アルバムは中学時代に盤質の悪いものを入手して聞いていた覚えがあるが、もう手もとに残ってはいない――二時二四分から日記を書きはじめた。しかし、文字を打鍵しているとどうも進みが遅いと言うか、コンピューターの動作が重くてEvernoteが応答なしになるような状態だったので、まもなく再起動を施した。再起動をしているあいだは『世界の語り方2』を読みながら待ち、準備が整うとEvernoteyoutubeをひらいて、スムーズになった入力速度をもってすらすらと日記を綴っていった。そうして現在、ここまで記すと三時一一分となっている。音楽は"Mistreated"の途中だ。今流しているのは、『On Stage』のDeluxe Editionというやつで、これは中学時代には耳にしなかった音源も含まれているようだ。
 それからMさんのブログを読んだ。四日分を読んだあと、音楽をLed Zeppelinのライブ盤である『The Song Remains The Same』に繋げながら、Sさんのブログを続けて読んだ。最新記事から相当に遅れているが、五月一二日から一八日に掛けての一週間分である。クリストファー・ノーランダンケルク』の感想中の描写の滑らかな感触というのはさすがだと思い、二箇所に引用スターをつけておいた。二人のブログを読みはじめたのは三時一五分だったのだが、読んでいるうちにいつの間にか四時半直前を迎えていた。そこでブログ閲覧は切り上げて、ベッドに移り、東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』を読みはじめた。五時一五分まで読んで区切りの良いところに達すると、食事の支度をするために上階に行った。台所では既に母親が活動しはじめており、焜炉の一方では、味噌汁にするのだろう、細切りにした大根が煮られており、もう一方ではフライパンで人参・牛蒡・蒟蒻が炒められており、そこに今ちょうど牛肉の赤い塊を投入したところらしかった。そのフライパンの前に立ち、木べらで野菜を搔き混ぜ炒めつつ、凍っていて固い牛肉の塊を少しずつ突き崩していった。肉の色が変わると火を止め、笊を持って玄関に出て、戸棚のなかから三合の米を笊に掬い取り、流しの前に戻ってくると流水で米を洗った。磨ぎ終わったものを炊飯器の釜にすぐに入れてしまい、水も注いで六時五〇分に炊けるようにセットする――そのあいだ、母親はフライパンの煮物を三つめの、火力の弱い焜炉に移して水を注ぎ、昆布を入れ、一方でもう一つのフライパンを焜炉に据えて、冷凍の餃子を取り出していた。それで餃子を焼く仕事はこちらが担当することにして、パックを引き裂き開けて油を少量垂らしたフライパンに、餃子を一つずつ並べていった。火を点けるとすぐに蓋を閉め、タイマーで五分をセットして、焼けるのを待つあいだは屈伸を繰り返したり、左右に開脚して股関節をほぐしたりしていた。五分が経つと蓋をひらいた。するとフライパンの端の方はもうこんがりと褐色に焦げはじめていた。あとは全体が褐色になるまで水気を飛ばしてからひっくり返すだけである。それでしばらく弱火で加熱を続け、全体が焦げて褐色に染まると、フライ返しを使って焦げの端をかつかつと突いて縁を持ち上げ、それから少しずつ餃子の下に器具を差し込んでいった。一挙にひっくり返すというわけには行かず、箸も使って何個かずつひっくり返しておくと完成である。そのほか、味噌汁の方に味噌を溶かし入れた時間もあったのだが、これは餃子が焼けるのを待っているあいだのことだったかもしれない。
 自室に戻ってくると五時四〇分過ぎ、ふたたび東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』を読みはじめ、一時間ほど読んで最後まで読了した。それからコンピューターに寄り、Led Zeppelinのライブ・アルバムは終わっていたので、前日に図書館で借りてきたものんくる『RELOADING CITY』を流しはじめ、そうして今しがた読み終えたばかりの『世界の語り方2』の内容を手帳にメモした。音楽が終幕を迎えるまでメモを続けると七時二〇分、腹が減ったので食事を取りに行った。上階に上がると、父親は既に炬燵テーブルで膳を前にしていたが、母親はタブレットを弄っており、まだ食事を取っていないようだった。台所に入って底面の濃い茶色に焦げた餃子を四つ、小皿に取りながら、食べないのと訊くと、食べるけれど、これをやっているとつい時間が経っちゃう、と母親は言った。餃子のほかに煮物や大根の味噌汁や米やサラダ――紫玉ねぎを基調として蟹蒲鉾などを加え、酢などで和えたもの――をそれぞれ用意し、卓に就くと、黙々とものを食べた。テレビはまもなく『ダーウィンが来た!』を映し出しはじめ、何とかカンザシ何とかというような名前の、熱帯はパプアニューギニアに住むと言う真っ黒な鳥が紹介されていた。頭の後ろに簪のように長い飾りの羽――なのだろうか、あれは?――が生えているのが名前の由来らしい。その映像を時折り眺めながらものを食べ、皿を洗ったあとに卓に戻ってきて、抗鬱剤の袋を引き寄せて薬を取り出していると、母親が、次医者に行くのはいつ、と訊いてきたので、そろそろ行くようだと答えた。薬はあと三日か四日分しか残っていない。早く起きることが出来れば、明日、月曜日に行くのも良いだろう――労働が一時限だけで比較的時間に余裕があるからだ。父親は今度の水曜日が休みであるらしく、ジャガイモを掘るか何かするつもりのようだったが、そんな父親に向けて母親が、医者についていったらと言う。こちらとしてはもう良くなっているわけなのでわざわざついてきてもらうほどのこともないし、体調ももう改善したのに親についてこられるなど気恥ずかしいので、皿を洗いながら、いいよ別に、と笑った。食器を洗ってしまうと下着を持って洗面所に入り、入浴の前に伸ばし放題になっていた髭を剃った。鏡の前で電動剃刀を操りながら、この電動の髭剃りという器具も、肌をほとんど傷つけずに髭だけうまく当たれるようになっていて、よく出来た発明だなあと素朴な感慨を抱いた。それから浴室に入り、父親がシャワーを使ったあとで水気でびちょびちょと濡れた蓋をひらき、湯のなかに浸かった。しばらくして上がると、パンツ一丁で洗面所を抜け、父親の買ってきてくれたアイスを一つ、冷凍庫から取り出し、はい、お先にと母親に向けて呟いておいてから階段を下った。自室に戻ってアイスを瞬く間に食べてしまうと、ものんくる『RELOADING CITY』をふたたび流しながら日記を書きはじめた。音楽が一周して先ほど三度目を流しはじめたばかりなのだが、日記を書きはじめてからもう三〇分もの時間が経っているという事実に、何か馴染まないような感覚を覚えた。現在は八時四三分である。
 その後九時一〇分から、Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionの書抜きを始めた。BGMは引き続き、ものんくる『RELOADING CITY』を繰り返す。いわゆる「バルフォア宣言」の文言や、ウラディーミル・ジャボティンスキーの略歴を書いた部分などを打鍵して写していき、三〇分ほどで切りとしたあと、今度は東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方1 心と存在』の書抜きも行った。尾藤晴彦によると、「ヒトの脳のシグナルを測ると、確実にある行動が起こる7秒ぐらい前に、その行動を規定するシグナルというのが必ず見つかります。7秒かけて、それが自分の行動の予測にたがわず、やっていいことかどうかということを無意識に確認して、それで7秒後に意識下で行動するというふうになっているんです」(31~32)とのことなのだが、主観的にはまったく信じられない話である。七秒というのは結構長い時間である。我々の行動、例えば今こうしてキーボードの上に指を走らせているというような行為も、七秒も前にそれを規定する信号が脳内では発されていると言うのか? 
 書抜きに区切りを付けて一〇時台に入ったあとは、今度はインターネット記事を読むことにした。「<沖縄基地の虚実2>自衛隊まず対応 米軍は「支援」「補完」」(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-244831.html)と「【香港デモ】「逃亡犯条例」改訂が巻き起こした衝撃と市民の怒り - ふるまいよしこ」(https://blogos.com/article/384590/?p=1)の二つを読み、後者の記事から「銅鑼湾書店事件」という出来事について知った。と言うか、このような事件があったということ自体は以前に新聞で読んだような記憶が朧気にあったが、その詳細を初めてここで知るに至った次第だ。二〇一五年一〇月から一二月に掛けて、習近平のスキャンダル本を発行・発売していた「銅鑼湾書店」という書店及びそれに隣接する出版社の関係者が五人、次々と失踪したという事件である。行方不明者らは翌年一月から二月に掛けて中国のテレビに姿を現し、公開の場で「自分の過ち」を謝罪したと言い、のちのち、スキャンダル本の中国流入に業を煮やした当局が書店関係者を拉致拘束し、取り調べていたことを明らかになったと言う。中国とは恐ろしい国だと言わざるを得ない。香港の人民一〇〇万人が逃亡犯条例改正に反対して街頭に繰り出したのもむべなるかなといった感じで、何しろ極端な話、あの改正案が通ってしまえば、香港において中国政府が望まない情報をインターネットで流しただけでも捕まるような可能性が生まれるわけだろう。実際、この記事によれば、香港に暮らしている中国出身の留学生やビジネスマンは、「中央人民政府駐香港特別行政区聯絡弁公室」(中聯弁)の監視下に置かれているのだと言う。
 二つの記事を読むと時刻は一一時過ぎ、ベッドに移って読書に入った。新しく読みはじめたのは亀井俊介編『対訳 ディキンソン詩集 ――アメリカ詩人選(3)――』である。こうして書いていると自分は本当にものを読んでばかりいるなという感じがして、実際、この日の読書時間――書抜きや、他人のブログを読んでいる時間も含む――は数えてみると総計で一〇時間を越えているのだが、それだけ読んでも別に賢くなっている感じはしないと言うか、ショーペンハウアーが言っていた、一日の大半を多読に費やす人間は次第に自分の頭で考えるという能力を失っていくのだ、という警句にそのまま当て嵌まってはいないかと危惧するところである。ともかく、『ディキンソン詩集』を一時間ほど読み進め――ラルフ・ウォルドー・エマソンがディキンソン家と繋がりがあり、アマストで講演をした際に同家を訪問していたというのには、へえ、そうなのか、と思った。エマソンという作家・詩人の射程も広いと言うか、一九世紀のアメリカの文学界におけるその影響は測り知れないものがあるのではないか――さらには、ニーチェプルーストなどもエマソンを愛読していたとどこかで聞いた覚えがある――少々インターネットを回ったあと、ふたたびベッドに移って脚を前方に伸ばしてクッションに凭れながらディキンソンの詩を読み進めた。そうして二時半を越えたところで就床した。


・作文
 5:38 - 5:51 = 13分
 14:24 - 15:11 = 47分
 20:11 - 20:43 = 32分
 計: 1時間32分

・読書
 6:09 - 7:01 = 52分
 7:40 - 8:10 = 30分
 13:00 - 13:47 = 47分
 15:15 - 16:27 = 1時間12分
 16:29 - 17:15 = 46分
 17:43 - 18:40 = 57分
 18:57 - 19:22 = 25分
 21:10 - 22:17 = 1時間7分
 22:22 - 23:07 = 45分
 23:10 - 24:14 = 1時間4分
 24:50 - 26:33 = 1時間43分
 計: 10時間8分

・睡眠
 3:00 - 5:20 = 2時間20分
 8:15 - 12:40 = 4時間25分
 計: 6時間45分

・音楽