2019/9/11, Wed.

  夜がやって来る

 駝鳥のような足が
 あるいて行く夕暮れがさびしくないか
 のっそりとあがりこんで来る夜が
 いやらしくないか
 たしかめもせずにその時刻に
 なることに耐えられるか
 階段のようにおりて
 行くだけの夜に耐えられるか
 潮にひきのこされる
 ようにひとり休息へ
 のこされるのがおそろしくないか
 約束を信じながら 信じた
 約束のとおりになることが
 いたましくないか

 一見、虚無的な夜の訪れを徹底的に孤独な位置で歌った作品のようでありながら、全体にはそのこと自体を楽しむような雰囲気がある。冒頭の「駝鳥のような足」からして、どこかユーモラスですらある。改行の間合いも絶妙としか言いようがない。ぷつりぷつりと途絶えるようでいて、むしろそれがつぎの行への橋渡しとなっている。ただし、ここでは「さびしくないか」、「いやらしくないか」、「おそろしくないか」、「いたましくないか」といった情緒がたえずつきまとっている。むしろそういう情緒を確認することこそがこの作品の眼目のようである。これにたいして、それらの情緒的な部分を表現のうえからすっかり削ぎ落とすことによって、「位置」「条件」「納得」といった、『サンチョ・パンサの帰郷』のなかの第三の層を代表するいっそう厳しく酷薄な作品が書かれることになると言える。(……)
 (細見和之石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』中央公論新社、二〇一五年、185~186)

     *

 『サンチョ・パンサの帰郷』の主流をなす作品、「位置」「条件」「納得」「事実」などが漢字・漢語の内在的・アレゴリー的な展開をつうじて、それらの漢語に充塡されている記憶を解き放つ独特の力学に支えられているのにたいして、ここで「クラリモンド」というロマンス語系のカタカナは、それらの漢字・漢語の重力を軽々と遮断する力を有している。そして、このカタカナのもつ解放的・開放的な力は、やはり、石原が若いころから身につけ、鹿野武一とも共有していたエスペラントに淵源しているのだと私は思う。漢字・漢語の重力とエスペラントに由来するロマンス語系語彙の浮力――。この二つの力学を、ロマンス語系語彙の優位という形でみごとに提示しているのが「自転車にのるクラリモンド」ではないだろうか。石原が特徴的に用いる漢字・漢語がほとんど不可避にシベリアを指し示してしまうのにたいして、ロマンス語系の語彙は、それとはまったく異質な別世界を暗示する。シベリアを核とするのが石原の「世界」だとすれば、まさしく「反世界」と呼べるような未知の物語の場である。
 (199~200)


 一二時三五分までぐずぐずと臥位に留まった。まだ覚醒しきっていない意識のなかで、今日は九月一一日か、すると米同時多発テロがあった日だ、二〇〇一年のことだからあれからもう一八年か、と考えていた。窓は白っぽかった。姿勢を左に向けて瞼をひらくとその白さが目にいくらか刺激を与えたが、起床の助けにはあまりならなかったようだ。起き上がってベッドから下りると部屋を出て上階に行き、暑い、と言いながら居間に出ると、母親が遅い、と言うので、おそよう、と挨拶した。洗面所に入って顔を洗ったあと、冷蔵庫にウインナーの炒め物があると言うのでそれを取り出して電子レンジに入れるとともに白米をよそった。そして前夜の残りの汁物を温めているあいだに調理台の上の小皿に乗せられた焼売と春巻きは摘んで食べてしまい、大根の煮物を持って卓に向かった。新聞の一面に載っている改造された内閣の顔触れを興味なさげに眺めながらものを食っていると、母親はタブレットを差し出して、Mちゃんが描いたという絵の画像を見せてきた。二歳児が描いたとは思えないと母親が言い、才能があるんじゃないなどと笑うのだが、これは明らかに親馬鹿の類で、祖母としての贔屓目が入っている。絵は、一本の茶色い線が緩くうねりながら用紙の下部で横に引かれ、用紙左方ではその線の上に接するようにして何やら赤い塊が蟠っている、というような感じのもので、実際確かに抽象画めいた雰囲気を醸し出してはいたのだが、まあ幼児が思うままに色を並べれば時にはこういう風にもなるだろうとこちらには思われた。それから水を注いできて抗鬱薬を服用し、そうして食器を洗うために台所に立った。母親の使った皿もまとめて洗ってしまうと、さらに風呂を洗いに行き、済ませると下階に下って自室にエアコンを点け、扇風機のスイッチも入れた。コンピューターを起動させ、FISHMANSCorduroy's Mood』を流しはじめると、さっさと日記を書かなければならないのだが取り掛かる気が起こらず、ここ数日間の日記を無意味に読み返してしまった。二時を越えると音楽を『Art Pepper Meets The Rhythm Section』に繋げて、ようやく打鍵に取り掛かった。まずこの日の記事をここまで綴って二時三七分である。
 その後、四時一〇分頃まで前日の日記を綴り続けた。父親はこの日何故か随分と早く帰ってきて、この頃には畑で耕運機を操っていた。少し前から雷が轟き、日記を中断した頃には雨も始まっていたかもしれない。上階に行くと、母親が――彼女は確か歯医者に出掛けていた――室内に入れたまま放置していったパジャマの類がソファの背の上に乗せられていたので、それらを畳んだ。それから食事である。冷蔵庫から蜜柑の入ったゼリーの残りと、ゆで卵と、小さな豆腐と即席の味噌汁を取り出してそれぞれ卓に用意した。ものを食べていると急激に雨が盛ってきて、あっという間に白い粒子が空間に浸透し、満ち満ちていった。結構な大雨だった。しかしそこで留まらず、雨はさらに激しくなって白さは蔓延し、山が消え、川沿いの林もほとんど見えないほどに霞み、空と地の境がなくなったのだが、まさしくバケツをひっくり返したような大雨は短い一過性のもので、食後に皿洗いに立った頃にはもう大方収まっていた。皿を洗ったあと、シャワーを浴びた。出てくるとパンツ一丁の格好で下階に下り、洗面所で歯ブラシを取って咥えながら自室に帰って、余計な汗を搔かないようにエアコンを点けた。そうして歯を磨きながらMさんのブログを読む。口内を大体綺麗にし終わると口を濯いできて仕事着に着替え、引き続きブログを読んで、五時過ぎになって上階に上がった。ソファに腰掛けて目の前の炬燵テーブルの上に置かれてあった新聞を取り上げて見ていると、ちょうど母親が帰ってきた。送っていこうか、と言う。こちらとしてはどちらでも良く、どちらかと言えば自分で最寄り駅まで歩いて行こうと思っていたのだが、母親は、じゃあ最寄り駅まででも乗せていこうかと続けて言う。それだったら青梅まで送ってもらいたいというわけで、歩いて余計な汗を搔くのも嫌だし、結局乗せていってもらうことに決めた。玄関を抜けると、雨がまた弱く降り出していたので、傘を持った。乗車すると、図書館で借りたものだと思うが、Every Little Thingの音楽が掛かっていた。発車し、裏道を上って行って街道に達し、市街を抜けて行くあいだ母親は、この日に行ったスーパーかどこかで誰々さんに会った、というような話をした。それが誰だったのか忘れてしまったし、元々こちらの知らない人だったのではないかと思うのだが、覚えているのはその人について母親が、随分飾り気がなかったと言うか、髪がざんばらで化粧もほとんどしていなかったと報告し、もっと綺麗にすれば良いのにと思った、と言ったことだ。それを言ったあと即座に、まあ、余計なお世話だけど、と彼女は言うのだが、やはり彼女のなかには女性として生まれついたからには身だしなみを美しく整える努力をするべきだというような観念がいくらか根付いているらしい。走っているあいだにまた母親は、Sの同級生にIくんっていたでしょ、と声を掛けてきたので、Iがどうかしたのかと思って肯定すれば、今通った人、Iくんのお母さんだよと言い、その人についても髪が随分白くなっていたとか、化粧っ気がないというようなことを言った。こちらはAさんのことを思い出した。九月三日の日記には書き忘れたと思うのだが、彼女に対して、女性として差別されているとか抑圧されているとか感じることはありますかという質問を投げかけた時間があったのだ。それに対してAさんは、自分はアトピーがあって肌が弱いので、化粧というものをしないのだけれど、やっぱり世間的には公的な場に出る時には女性は必ず化粧をして美しく着飾るものだというような意識があって、それがちょっと嫌だと話したのだった。勿論、身だしなみを清潔に整えるということは必要だと思うのだけれど、必ず化粧をしろというような感じがあって困る、とのことだった。Aさんは同時に、これから就活というものを始めるわけだけれど、その際に何センチ以上のヒールを履かなければいけないとかいう規則があるのが嫌だとも言った。ヒール強制はマジで意味ないですよね、とこちらは受けたのだった。
 駅前で下ろしてもらい、また雨がいくらかぽつぽつと降り出したなかを、しかし傘は差さずに職場に行った。この日は二コマの勤務だが、予習をするような授業科目もなかったので、準備はさっさと終えて余った時間は手帳にメモを取っていた。そうして六時に授業開始、最初のコマは(……)くん(中一・英語)、(……)くん(中一・英語)、(……)くん(中三・英語)が相手である。授業が始まってまもなく、室長がこちらのいる区画にやって来て何やら呼び寄せるような目配せをするので何かと思って近づいていったところ、彼は声を潜めて、(……)くんがもう一週間学校に行っていないのだという事実を明かしてみせた。母親から電話があったらしい。それで気分が落ち込んでいると思うと母親が言っていたと伝えてきたので、了解し、注意して当たることにしたが、こちらの見る限りさほど落ち込んだような様子、憂鬱そうな様子は見受けられず、まあ多少嫌がりながらではあるけれど授業も普通に受けていたと思う。(……)くんがそのように、不登校気味――とまで言って良いのかわからないが――の生徒だとは知らなかったが、生徒の方にも色々と事情はあるだろう。それで言えば、関係があるのかは知れないが、この日の帰り際には室長に呼び止められて、彼は学習障害の類がちょっとあるのだという新事実も明かされたのだった。あまり詳しいことはわからないし、見る限り学習障害の類を持っているという感じもあまりしないのだが、それはそれとして受け止めた。母親からも再度連絡が掛かってきて、帰ってきた息子の顔つきがちょっと変わっていたので安心したとの言があったとのことだ。それは良かったです、とこちらは受けた。
 (……)くんは宿題をやって来ていた。前回、宿題をやって来ないと勿体ないよと言い、ノートにもその旨コメントを記したことが奏効したのかもしれない。対して、(……)くんの方が今度は宿題をやって来ていなかったので、彼にも同じように、宿題をやって来ないと単純に勿体ない、それは自分のレベルアップの機会をわざわざ自分で捨てていることになるからだ、我々講師も無考えに適当に出しているのではなくて、授業の内容を考慮してここをやればさらにレベルアップ出来るかなという頁を考えて出している、だからその機会を自ら潰すことはなるべくしてほしくない、忙しいとは思うが何とか頑張ってやって来てくれればと思う、と真面目なことを語った。何と教師らしい振舞いを取っているのだろう! 信じられない。実に良い先生ではないか? 宿題に関しては、こちらは最近、授業本篇で扱った頁をもう一度やらせるような形に段々傾いてきている。同じところを繰り返しやる方が生徒としても楽だろうし、一回やっただけで知識や理解が定着するのはよほど地頭の良い生徒のみなので、繰り返し同じ頁に当たらせるのは大抵の生徒にとっては無駄にならず、有効だと思われるからだ。
 二コマ目は(……)くん(中二・英語)と、(……)(中三・社会)が予定されていたのだったが、後者の(……)は安定のサボりである。それで(……)くんと一対一で授業をすることになった。ノートに日付を記入する段になって、君は何年生まれ、と訊くと、二〇〇六年だという返答があった。それじゃあ九・一一とか知らないでしょうと訊くと当然知らない。それで、二〇〇一年の九月一一日にアメリカで同時多発テロという非常に大きな事件があったのだと言い、当時は僕も子供だけれど、テレビで連日報道されてね、ツインタワーっていうでかいビルがあったんだけど、そこに飛行機がぐわーっと突っ込んでいく様子が何度も流れて、などと身振りつきで語った。九・一一って言えば、日本人もそうかもしれないけれど、ある程度以上の年齢のアメリカ人なら、知らない人は本当に一人もいないよ、と言った。(……)くんはその映像を見てみたいと言った。テレビでやってるかなと言うので、今日ならもしかしたらやってるかもねとこちらは受けた。
 授業自体は概ね滞りなく、一対一だから充分な余裕があって、教科書本文の訳も確認しながら進めることが出来たのだが、途中(……)くんは腹が痛いと言ってトイレに行き、そのまま長い時間戻ってこなかった。結構な時間籠っていたのだが、それが本当に腹が痛かったのか、それともその振りをして携帯か何かで遊びながらサボっていたのか、その判断は付かなかった。
 それで授業を終えると片付けもすぐに済んで、九時一五分頃、余裕を持ってさっさと退勤した。雨は止んでいた。駅に入り、ホームに出ると、奥多摩行きはまだ着いていなかった。自販機に寄っていつものように二八〇ミリリットルのコカ・コーラを買い、ベンチには空きがなかったので――奥多摩行きが到着する前のこの時間に駅に来るといつもは空いているベンチが埋まっているのか、と新たな発見をした――待合室の壁に寄って立ち尽くしながらコーラを飲んだ。飲み干すと自販機横のボックスにボトルを捨て、手帳を見ているうちに電車はやって来て、なかに入って三人掛けに腰を下ろし、引き続き手帳を眺めた。最寄り駅に着くと降り、駅舎を抜けて坂道に入ると、風が行く手の暗闇の奥から緩く吹き上がってきて、雨に湿った空気のなかに鈴虫の音も幽玄に漂う。
 帰り着くとワイシャツを脱いで丸めて洗面所の籠のなかに入れておき、ねぐらに帰った。服を着替えるとすぐに上階に引き返して食事である。夕食はガーリック・ライスに菜っ葉の入った味噌汁、あとは鶏肉を使った肉じゃがのような料理などだった。父親はまた酒を飲んだようで、テレビで流れるスポーツニュースを見ながら独り言をぶつぶつと呟いている。訓練に励む陸上選手の様子が映し出された時に、コーチか誰かが走る選手に向けて、はい、ラスト、ラストー! と声を掛けたのだが、それを真似して父親も、ラスト、ラスト~と呆けたような笑みをへらへらと浮かべながら口にした。それを見聞きした時にはさすがに、こいつ阿呆か、と思ったものである。父親の独り言はわりと鬱陶しいし、酒に崩れて白痴のような表情を浮かべているさまも見っともない。そのうちに風呂に向かう母親がソファに就いている父親に向けて、玄関に置いてある炭酸水の箱を運んでおいてねと声を掛けるのだが、それにも父親は答えず、テレビを見ながらへらへらぶつぶつとしている。炭酸水は父親が定期的に注文しているものである。ペットボトルが何本も詰まった段ボール箱は母親には重くて運べないだろうし、自分のものなのだから自分で運ぶのが道理だと思うが、どうせ父親はやらないだろうし、そうなるとまた母親の方もぶつぶつ文句を言って鬱陶しいことになるだろうからと、食後、皿を洗ってからこちらが箱を元祖父母の部屋に運んでおいた。食事を終える頃には一〇時に差し掛かっており、テレビは『クローズアップ現代+』を映していて、一般病院での身体拘束の問題が取り上げられていた。
 食後、風呂は母親が入っていたので自室に引き返し、プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』の書抜きをちょっとしたあと、入浴に行った。湯を浴びて出てくると一一時過ぎ、部屋に戻ると日記を書かねばならないのだが、気力が湧かないので先にインターネット記事を読むことにした。村上隆則/平尾昌宏「「差別はなぜいけないの?」倫理学者に聞いた、"正しさ"が強調される時代を生き抜くためのヒント」(https://blogos.com/article/379023/)と「土田知則×巽孝之トークイベント(東京堂書店)載録 ポール・ド・マン事件とは何だったのか!? 『ポール・ド・マンの戦争』(彩流社)刊行を機に」(https://dokushojin.com/article.html?i=3551)の二つを読んで、零時に至るとようやく前日の日記の続きに取り掛かったのだが、打鍵しながらも面倒臭い気持ちが抜けず、何となく誰かと会話なりやりとりなりをして日記から逃げたい感じが強まったので、Twitterで、誰か文学談義でもしないかと話し相手を募集した。するとそれに、ERさんという方が応じてダイレクトメッセージを送ってきてくれたので、挨拶し、二時半までメッセージのやりとりを交わした。彼女は蛇を飼っていて今餌をあげているところだと言うので、そのあたりの話から伺っていった。餌は冷凍の鼠らしい。それは僕には厳しそうですね、と笑いで受けると、と言うか全然文学談義じゃなくてすみませんと彼女は謝るので、いやいや全然良いんですよと応じて、どんな話でも結構面白いものです、文学ってどんな対象も扱うものだから、どのような話のなかにも文学的な要素って見出すことが出来るんじゃないかと思いますと答えた。その後書き物について話したり、ERさんが参加した文学フリマについて話を聞いたりした。好きな小説について訊いてみると、彼女の好みはすべて澁澤龍彦から始まっていると言うので、ここにも幻想怪奇好きのホラー・エリートが一人、と思った。あとは江戸川乱歩三島由紀夫も大好きだと言う。そのあたりのものも読んでみなければなるまいと思う。こちらの好みも訊かれたので、どちらかと言うと海外文学寄りで、今まで一番繰り返し読んだのはガルシア=マルケスの『族長の秋』だといつもながらの自己紹介をし、そのほかヴァージニア・ウルフの『灯台へ』も非常に素晴らしいと紹介した。ERさんも海外文学をそこそこ読む様子だったが、『百年の孤独』は挫折したと言う。
 それで二時半に至ったところで、もう遅いし今日はこのへんでおひらきにしましょうかとこちらから言い出し、礼を交わし合ってやりとりを終えた。後半、やりとりを交わしながら久しぶりに短歌を作っていたのだが、生まれたのは以下の五つである。

凝視せよアウシュヴィッツの朝焼けを火のない炉から昇る煙を
満天の星夜に焚いた火のもとで鎖の響き時空を超えて
指と指唇と唇が触れ呼吸が止まるそれが平等
掌の生命線を切り裂いて流れ出た血で遺書をしたたむ
確実に死ぬ方法を探しつつ食事を止めないこれが矛盾か

 それでベッドに移り、牧野信一『ゼーロン・淡雪 他十一篇』を読んだはずなのだが、いくらも読み進めないうちにまた意識が飛んだらしい。気づけば四時一五分に至っていたので、就床した。


・作文
 14:15 - 16:09 = 1時間54分
 24:01 - 25:12 = 1時間11分
 計: 3時間5分

・読書
 16:49 - 17:06 = 17分
 22:27 - 22:39 = 12分
 23:10 - 24:00 = 50分
 26:43 - 28:15 = (1時間引いて)32分
 計: 1時間51分

・睡眠
 4:00 - 12:35 = 8時間35分

・音楽