2019/9/22, Sun.

 そこへゆこうとして
 ことばはつまずき
 ことばをおいこそうとして
 たましいはあえぎ
 けれどそのたましいのさきに
 かすかなともしびのようなものがみえる
 そこへゆこうとして
 ゆめはばくはつし
 ゆめをつらぬこうとして
 くらやみはかがやき
 けれどそのくらやみのさきに
 まだおおきなあなのようなものがみえる
 (谷川俊太郎『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』青土社、一九七五年、74~75; 「ポール・クレーの絵による「絵本」のために」; 《選ばれた場所》1927、全篇)

     *

 かわりにしんでくれるひとがいないので
 わたしはじぶんでしなねばならない
 だれのほねでもない
 わたしはわたしのほねになる
 かなしみ
 かわのながれ
 ひとびとのおしゃべり
 あさつゆにぬれたくものす
 そのどれひとつとして
 わたしはたずさえてゆくことができない
 せめてすきなうただけは
 きこえていてはくれぬだろうか
 わたしのほねのみみに
 (80~81; 「ポール・クレーの絵による「絵本」のために」; 《死と炎》1940)


 一二時四〇分まで惰眠を貪った。両親はKのおばさんの葬式で不在である。上階に上がって冷蔵庫を覗くと、エノキダケの炒め物が小鉢に入っていたのでそれを取り出し、電子レンジに突っ込んだ。電子レンジが回っているあいだに便所に行って放尿し、戻ってくるとゆで卵やよそった米とともに卓に運び、椅子に就くとエノキダケに醤油を垂らして食べはじめた。この日の新聞が見当たらなかった。それなので前日の夕刊を引き寄せ、一面に載っていた記事――サウジアラビア駐留の米軍が増派される見込みとの報――を読みつつ、エノキダケとともに米を食った。終えると抗鬱薬を飲み、台所に行って食器を洗い、それから風呂も洗うと居間に出てアイロン掛けを行った。ハンカチやエプロンをいくつか処理しておくと階段を下り、自室に入ってコンピューターを前にして、いつも通り前日の記録を付けるとともにこの日の記事を作成した。それから、後回しにすると自分の首を締めることになるとわかってはいるのだが、前日の長い日記に取り組む気力が身になかったので、ベッドで読書をすることにした。リチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』である。一時半前から寝床に移って、クッションと枕に凭れて脚を伸ばしながら読んでいたのだが、例によって例の如く、眠気が重苦しく引っ掛かって瞼を閉ざそうとする。しばらくそれと闘っていたが、四時前になったところで抗うことを諦めて、手帳に時間を記録しておいて薄布団を被った。その頃には両親も帰ってきていたかもしれない。五時半まで休んだあと、上階に行き、薄暗いなかソファでテレビを見ている母親の横に座ってこちらもしばらくテレビを眺めた。母親が父親に、何時の電車で行くのかと訊いた。六時一五分だと言うが、どこに行くのかと尋ねると、福生で同級生と会食があるとのことだった。しばらくすると食事の支度をしようと立ち上がって冷蔵庫を探り、葱とワカメの味噌汁を作ることにした。そのほか、おかずとしては餃子を焼けば良いかということになっていた。冷凍された塩蔵ワカメの塊を鋏でちょっとずつ切り落として、水を汲んだ椀のなかに入れて戻す。そのあいだに母親が葱を刻み、豆腐も切ってくれたので、小鍋の湯が湧いたところでそれらを投入した。一方で王将の冷凍餃子をフライパンに並べ、火に掛けた。味噌汁の方は粉の出汁に椎茸の粉、味の素を入れたあとチューブの味噌も投入して完成、餃子は羽根の部分がなかなか茶色くなってこないので火を強めて加熱していると、段々と焦げてきた。完成するとまだ六時一五分頃だったがもう飯を食ってしまうことにして、母親が作った胡瓜とトマトのサラダとともにそれぞれの品をよそり、卓に就いた。そうして餃子に醤油を掛けて、それをおかずに米を貪る。テレビは風光明媚なアルプス山脈周辺の地域を走る列車を紹介していたが、そのうちに母親が番組を替えてニュースが映し出されたと思う。ものを食べ終えると薬を服用して食器を洗い、下階に戻った。
 Cornel West and George Yancy, "Power Is Everywhere, but Love Is Supreme"(https://www.nytimes.com/2019/05/29/opinion/cornel-west-power-love.html)を読みはじめた。一日三〇分を目安に英語を読んでいきたいと考えている。それでこの時も、John Coltrane『Blue Train』を背景に三〇分だけこの記事を読み――最後まで読み終わらなかったがそれでも良いのだ――、それからNew York TimesのThe Stoneの記事をEvernoteの「あとで読む」欄にストックしておこうと記録を遡りはじめた。ベルナール=アンリ・レヴィやマーサ・ヌスバウムの名前が見られたので早速メモしておこうと思ったのだが、そうすると、無料でアクセス出来る記事数の限度に達しているとの表示が出てきたので、仕方ない、subscribeしてやるかというわけで登録した。一週間で一ドルだから大した出費ではない。それで記事をいくつかストックしておいたあと、入浴に行った。湯のなかで身体を寝かせて浴槽の縁に頭を預け、降りはじめた雨の音やそのなかを貫いてくる虫の音に耳を傾けながら身を休めた。出てくるとパンツ一丁で下階に戻り、燃えるゴミの袋を持って上階に引き返してゴミを合流させておき、ふたたびねぐらに帰ると大層久しぶりにfuzkueの「読書日記」を読んだ。なかなか読む時間が取れずにここのところは購読だけ続けながらも放置していたのだが、やはり送られてくるからには読むべきだろうと思い直し、一日で一日分ずつゆっくりと読んでいくことにして、この日は九月九日の分を読んだ。これならばさしたる時間を取らないので続けられるのではないか。それからさらに自分の過去の日記、まず二〇一八年九月二二日のものを読んだ。「この日は合わせて一五時間もの時間を寝床で過ごすことになったわけだが、大して何も行動していないのに疲労感を身に帯びてこれほどまでに休んでしまうというのは明らかに異常であり、だいぶ回復してきたと思っていたものの、自分はその実、うつ症状の圏域からまだまだ逃れていないということなのかもしれないと思った。とにかく気力というものが心身に湧いてこず、眠気がなくとも起き上がることができずに、目を閉じて臥位のままに時間が流れて行くのだった」とのことである。また、「卓に就き、出川哲朗の充電バイクの旅を見ながらものを食ったが、やはりテレビを見ていて興味を惹かれるとか面白いと感じるという心の働きがまったく生じず、心身にあるのは疲労感と空虚感のみだった」とも述べているので、回復してきてはいるのだろうがやはりまだ本調子ではないようだ。
 続けて、二〇一六年六月一〇日金曜日の記事を読んだ。この頃は鬱病になるなどとは夢にも思っておらず、まだどちらかと言うとパニック障害の圏域にある頃である。「緊張感などはどうですかと問うのには、苦笑のようにしながら、結構緊張しやすい質なので、些細なことでも緊張することがありますね、コンビニで店員とやりとりする時とか、あとは生徒の相手をしている時なんかも、と答えた。コンビニでも緊張しますか、と相手は意外な風に返して、生徒にも、と加えるので、やりづらい生徒なんかは、と笑って返して、でもまあ、と置いた。その緊張が発作に繋がることはないな、というのが、もうわかってますから、と繋げて、日常生活を送る分には、問題はないですね、と結論を述べた」とあるので、大きな支障はないけれど緊張しやすさはまだ幾分残っているというところらしい。またこの時期はまだ感傷的な質[たち]が残っていたようで、『ドキュメント72時間』を目にしながら感動して涙を催している。そのような時期もあったのだった。「一一時になるとテレビは、七二時間同じ場所に密着取材する番組を始めた。今回は再放送のようで、先ごろ亡くなるまでは日本で最高齢の象だったはな子と、彼女を見に来る様々な人々を映したものだった。米やジャガイモを咀嚼する一方、人々の表情だったり、人生の断片だったりを眺めながら、一体何がそんなに感傷的な気分にさせるのかわからないが、瞳が奥から濡れてきて、その水量があまり多くならないように気を付けた。両親は、しみじみとした感じではあるが、平然として見ている。そのあと風呂に行きながら、どうも自分は、馬鹿げているほどに、あまりにもナイーヴ過ぎるのではないかと思った。実際、何に感動しているのか明瞭にわからないが、あまりに安易な感動の罠にはまっているのではないか」。
 過去の日記を読み返してブログ上に投稿したあとは、この日の日記を初めから書き出し、ここまで綴って九時一〇分である。何もやっていないにもかかわらずどうにも疲労感が身にこごっていて、前日の日記に取り掛かる気力がなかなか起こらない。
 しばらくだらだらしたあと、ひとまず本を読むことにして、ベッドに移ってリチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』を手に取った。それで読んでいたところが、一体何度眠れば気が済むのか、ここでも途中で意識が弱くなる。それでもそこそこ読み進めていたのだが、途中からもう今日は日記は良いやという気になって、コンピューターもシャットダウンしてしまい、今日は出来るだけ本を読もうということで日付を越えても読書を続けた。零時四〇分に達したところで一旦本を置き、手帳に時間を記録しておいて、上階に行ってカップ麺を用意した。湯を注いだ即席麺を持って戻ってくるとコンピューター前の椅子に就き、引き続き本を読みながら麺を啜り、健康に悪いがスープも飲み干してしまうと容器をゴミ箱に放って、ふたたびベッドに乗って書見を続けたのだが、またいつの間にか気を失っていて、何時まで読めていたのかわからない。眠りに就いたのは四時頃だったのではないかと思うが、これも記憶が曖昧である。


・作文
 20:38 - 21:10 = 32分

・読書
 13:23 - 15:55 = (1時間引いて)1時間32分
 18:48 - 19:18 = 30分
 20:13 - 20:33 = 20分
 21:47 - 24:40 = 2時間53分
 24:53 - ? = ?
 計: 5時間15分 + ?

・睡眠
 ? - 12:40 = ?

・音楽